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YIN‐NER WORLD

【他言無用です。無断転載はご遠慮下さい】
現場に出て5年を過ぎましたが、まだまだ修行中。
相変わらず忙しいのか忙しくないのか良く判らない日々。

2010年夏の別荘

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-10-01 学生になれない人
2002-09-30 他所では別の顔
2002-09-22 よせばいいのに…
2002-09-18 嘘くさい
2002-09-12 毒入りコンテンツ
2002-09-08 ただの人。
2002-09-07 杉本健吉美術館
2002-09-06 デビュー?
2002-09-02 心理学は役に立たない?
2002-09-01 療養ちうです


2002-10-01 学生になれない人

今週から後期がスタートなのに、課題を全くやっていません。
いや、院生がしくだいをやるなんてヘンな話かもしれませんが。
うちはアカデミックスクールというよりは、プロフェッショナルスクールなので、タスクは沢山あります。
実習とか、演習とか、論文作成とか。

一応社会人が対象なので、いろんな現場のプロも入ってきます。各種学校の先生なども多い。
その多くが臨床心理への転向を希望して入学してくる人達です。

で、ときどきトンでもない学生が出現します。
つまり、学生になれない人。
カリキュラムに文句をつけたり、カンファレンスに仕事で出席できないのを当然としたり。(あの、カンファの時間帯は入学前に通知して了承を得たはずなんですけれど…それも当初から「必ず出席」と;)
臨床実習を自分の仕事で(それも学生の相談にのっている、というだけで、心理面接をしていないのに)認定しろ、とか。
教授連が「それは、ちょっと認められない…」というと、「もういいです」と逆ギレ。
教授たちも、社会的な責任があるので、なあなあで卒業を認めるわけには行かないので、説得で大変です。

こういう人達、職場では先生だから、今更教えを乞うということがなかなかできない…らしい(汗)。
社会人としての経験があるということは、プロパーの学生にとっては良い刺激になる、と思ってたのに、これでは逆効果;

成長しようと思ったら、頭を下げて教えを乞うることができる、ということは、絶対に必要なのだ、と思います。勿論、自主的に研究をする意欲も必要だけど。

先頭 表紙

>のびんばさま。でも、臨床心理ってあんまり頭が良すぎても現場では困ったりします。切れすぎ、判りすぎる人って、なかなか不器用で困っている人達には共感できないことが多いのです。だからかなぁ…臨床の人に「天然(どこか穴が開いている人)」が結構多いのは……(汗)。 / YIN ( 2002-10-06 03:54 )
>らいむさま。それで授業のなかで煽りを食らってしまうのは、すごくイヤですよね。気分を害されるだけでなく、物理的な時間までとられた日にゃ……(汗)。がんばってね…<スクーリング / YIN ( 2002-10-06 03:48 )
>マッキ〜さま。そうですね。堂々と教えてもらえるのは学生の特権(授業料も払ってますが)だと思います。だから、学生のうちに、いろいろなことにぶつかっておく方が特だと思います。卒業してしまったら、なかなか教えてもらえません。それなのに勿体ないことだ、と思います。 / YIN ( 2002-10-06 03:46 )
 ほんとに その分野を 心底学びたいという気持ちがあれば そんな言動は でないハズ。ちょっとがっかりですね。 それにしても ハイレベルな分野ってカンジですわ〜。 / のびんば ( 2002-10-05 22:04 )
スクーリングの時に講師の親くらいとか講師と同じ年代から上の人って居るんですけどそういう傾向ありますよね。どっちが生徒だかわかりゃしないっていう。スクーリングに行くとそれが苦痛だったりします; / らいむ ( 2002-10-01 21:22 )
自分で選んだ道なのだから、やることはきちっとやったらいいのに、と思う学生が時々います。そういう筋違いみたいな大人にはなりたくないな〜と思いますね。 / マッキ〜 ( 2002-10-01 19:29 )
で、でもとりあえず、自分の課題をやろうっと……(汗) / YIN ( 2002-10-01 19:23 )

2002-09-30 他所では別の顔

真面目?そうな顔をしているYINだが、実はヘタレな同人サイトも持っている。
ヘタレなりに、真面目に(お堅く…というイミではなく、一生懸命に)運営してます。

さて、先日とあるサイトマスターとトラブルを起こしたのだけれども、トラブルの最中に、偶然、その方の別のサイトを見つけてしまった。
驚いたことに、そこでその方は自分のサイト(かなり大きいサイトだ)の閲覧者たちが属するカテゴリーの人達に対して、差別的とも言える発言をしていた。
別に普通の人がそういう事をしても、私は特に驚いたりしない。そんなことは良くある。人間、矛盾がない方が珍しい。
でも、サイトマスターが、自分のサイトの客層に対して影でそういう発言をするって、何?

それで、私はその方に訊いてみた。「どちらが本当なのか?」
その人は「自分でもわからない」と言った。そしてそのすぐあと、そのサイトは消えていた。「お休み」なんだそうだ。そしてまた、コンテンツを隠すらしい。

残っていたBBS(転載禁止宣言はなかったな…)にあったカキコ。
『「見ようとしなかった」のは、相手のほうだと思うからだ。
本気であたしに注意を注いでいれば、見抜けない筈はない』
『どれが本当のあなたなのか分からない?
・・・どれも本当だっつうの。
肝心なところでは、矛盾も破綻もない筈だ。』

…だったら消すなよ(笑)<そのコンテンツ
堂々とそのままでいりゃぁ良い。矛盾を生きたほうがまだしも、だ。

『どうにも、あたしは追跡される運命らしい。』

あの、別に…追跡してませんが(笑)。
某所でお宅のバナーをみたときに、私の中でアクマが囁いただけ。「おい、外部からの呼び出しに弱いサーバーにあるサイトのバナーが、どうして表示されているんだ?」と。TOPを見つけるまで数分で「追跡」とは…ねぇ(笑)。伏せてあったファイル名が何故判ったかは自分でも記憶がないから判らないけど(きっとそれもアクマが囁いたんだろう)。

でも私がそんなにバカ正直で純粋に見えたのなら、お互い様(笑)。
人様のダークな面にお付き合いする私が、それなりに多少なりともダークな面を持っている…くらいは想像できなかった?

でも私は自分のサイトのお客様をこころから大切にしてますよ。荒らしさん以外は。

…ひとつ残念だったのは、彼女のサイトは休止してしまったやつの方が同人サイトよりは面白かったってことかな。

先頭 表紙

>perimiさま。仕事が絡むとどうしてもシビアになってしまいますね。自閉症や軽度の知的障害の場合は、器質的な障害なので、こうした対応ができますが、そうではなく「関係性の障害」の場合は本当に難しいです。実際臨床の事例でみても、凄まじいものがありますし、長い治療期間を必要とします。クスリだけで何とかなるものでもありません。こうした事例は近年非常に増えてきて、大きなトピックになっているのです。治療を含めた対応の確立はまだまだこれからだと思います。 / YIN ( 2002-10-11 22:42 )
え?咲良ちゃん、気がつかなかった?じゃ、私が某所の「土蔵」に監禁されていたことは(苦笑)? / YIN ( 2002-10-11 22:35 )
>咲良ちゃんおひさ〜。自嘲だったら、「その」サイト内でやることだと思いますよ。隠れてやって、それが見つかったからコンテンツを隠す、というのは少し違うとおもいます。加えていうなら、彼女はもう1つのサイトのお客さんに対しても「ヘンな人」と形容してましたから、どっちも「同じ」なんですよ。彼女は本当の意味ではどちらにもidentifyできないんでしょうね。 / YIN ( 2002-10-11 22:33 )
嘘をつかないと生きていけないなら自分はこういう奴なんだと看板をぶら下げていてくれれば私的には何の問題もないです。そういうホームページも見たことがありますよ。自分を意識的に分裂した人格にして別のハンドルで発言なさるのです。理由を聞くとうなずける物があり納得できます。嘘つきだと言われたとぎゃあぎゃあ騒いで攻撃する人はやはり問題があると思います。原因を他人に見つけている限り良い方向には向かないと思うんですよ。 / perimi@長々とすみませんね ( 2002-10-11 21:05 )
精神科のお医者さんが心に何か抱えた人たちをかばう気持ちはとても分かるのですがかばうだけではどうしようもない現実があるのです。分かってやってくれと言うだけでなく居場所を見つけてやるくらいでないと彼らは救われないように思います。同じ職場に軽い知的障害か自閉症らしき男性がいましたがこの人は「こういう人なのだ」と認識され指示も本人に会わせた物になり、それ故に、ちゃんと仕事をこなしていました。 / perimi ( 2002-10-11 21:03 )
職場ならよけいに虚言癖の人の立場は苦しくなるばかりです。私はこの職場で解離性障害を疑った時点で理解しようとした方でしょう。「あの人は自分で言ったこ嘘を真実と思いこむことで精神を保っていないか?」と同僚に話してみました。結果は「なぜあんな人を擁護するのか」と、ものすごい逆風を受けました。 / perimi ( 2002-10-11 21:03 )
ビジネスの現場ということであえて言いますが、本当に世の中は厳しいのです。それこそ生き残りをかけた能力の売り込み合戦ですね。思いやりとか悠長なことは存在しないに等しいかもしれません。人様を蹴落とさないと自分が生き残れないのが社会なのです。お金を稼ぐことなのです。 / perimi ( 2002-10-11 21:03 )
本人が空っぽになっていくのもすごく分かりますね。あの日記と同じ方だったのですか。こういうページっていつまでも後を引きますね。 / perimi@考えるの好き ( 2002-10-11 21:02 )
あら、YINさんそんなサイトをお持ちだったのですね?初耳・・・(鈍) お客さんに対しての差別発言って、自分もそのカテゴリーに所属するという前提の下での自嘲、とかではないのですか?(そういうのならあたしもやっちゃうかも) / 咲良 ( 2002-10-11 15:17 )
しかしそれでも、裏で差別的な発言をして自サイトのメンバーの尊厳を食い物にしてはいけないことだ…とは思いますが。 / YIN ( 2002-10-11 14:58 )
ネット上を含めてプライベートな付き合いでは、相手を分析したくないのですが、彼女からは「分析するべき」とメールで言われた事もあり、分析してしまいました。そして、そういうメールを送ってきた彼女は、「自分が人から受け入れられて、称賛されているかどうか」を非常に気にしている方ではありますが。称賛を受けるために、いろいろと良い人を作ってしまう…と彼女はどんどん空っぽになってしまうわけで、そうすると、空っぽである不安から、彼女は益々人の評価にしがみつく…ってところでしょうか。そう考えると、痛々しいです。 / YIN ( 2002-10-11 14:56 )
私も上記の日記の記述では多少怒りが入っています。実は9月2日、12日との方と上記の方は同一人物です。私の怒りは「彼女の自尊心と自己愛のために、自分の自尊心と自己愛が不当に食い物にされた」とでもいったものでしょうか。でも、反面彼女が「自分の思ったように反応しない」私に送ってきた「自己愛憤怒」の手紙は激しくも痛々しい(冷静になってきた今読めば)ものですし、彼女が自分で受け入れられないものに関してムリヤリ「劣ったもの」だとレッテルを貼るやり方も、痛々しいものがありました。 / YIN ( 2002-10-11 14:47 )
臨床の場でそういった方たちの話を聞いていると、痛々しいですよ。痛々しい…と思うのも束の間、その攻撃が自分たちに向けられてきますが。それがこの方たちの対人パターンなのです。臨床家意外でも、この人達にとことん付き合わねばいけない人たちがいます。家族です。そうした人達が、単に「嘘吐き」と攻撃するのではなく、「嘘をつかなければやっていけない」ということを少しでも思いやれたらよい、と私は思っているのです。「日常生活」では難しいといったのはそのことを(それを書いた時には)漠然と述べていたのです。 / YIN ( 2002-10-11 14:43 )
>permiさま。普通に攻撃されたなら、普通に防衛したり、反撃したりするのが、ノーマルな反応だと思います。もう少しマイルドな反応だったら、自分が傷ついたことを伝えるでしょう。でもビジネス等の場であったらもうすこし、冷静になって「その時に何が起こったのだろうか」と考えて見ることも必要だと思います。こういう方たちは、想像以上に「いっぱいいっぱい」なのです。その時に余裕がないのです。だから、よく適応障害を起こして職場を去られるというエピソードがあります。 / YIN ( 2002-10-11 14:39 )
嘘をつくことで身を守る人を思いやって欲しい。そこにも疑問が出てきてしまうのです。身を守るためにつく嘘で人を攻撃してしまう場合はどうなのでしょう?攻撃された人は我慢していなさい、仕方がないという事なんでしょうか?実生活で私は職業がかかっていましたから反撃しました。下に書いたホームページの管理人さんはどなたかを攻撃しているようでしたが、言われた方は相手を思いやってガマンし、攻撃した方は相手を思いやらなくてもいいのでしょうか?人ごとながら気になってしまいます。 / perimi@嘘書いてますよと表示してあればいいのにね。 ( 2002-10-10 19:17 )
>perimiさま、それはきっと「嘘つき」でしょう(笑)。あともうひとつ、矛盾を抱えられない…ということについて、道徳的に「悪い」と価値判断するのではなく、「そうしなければ生きていけない」その人の状態について、思いやることが出来れば良いのですが…日常生活では難しいかもしれません。 / YIN ( 2002-10-10 12:26 )
あ、名前なんてどうでもいいです(笑)すみませんややこしいことを書いて。素人なんてこんなもんですね。解離性障害と解離性同一障害は違うのですねえ。とても勉強になりました。ありがとうございます。 / perimi@嘘をついてる自覚があってつく人はなんなんだろう ( 2002-10-10 10:08 )
あ、↓のお名前は「perimiさま」、の間違いでした。失礼いたしました。 / YIN ( 2002-10-10 03:40 )
【さらに続き】多重人格は「解離性同一性障害」といって、解離症状の1つとされていますが、この場合は2つ以上のはっきりと他と区別される同一性または人格状態が存在することをいいます。「解離性同一性障害」は派手な症状なので、話題にされ易いですが、事例として報告されるのは比較的稀だと思います。「医原性」ではないか?という説もあり、語るときは慎重になる必要があると思っています。一般に臨床心理の場で「解離」が指摘されるのは、「憶えているべき記憶を憶えていない」エピソードが出現する時でしょうか。 / YIN ( 2002-10-10 03:35 )
【続き】解離性障害は、誤解を受け易い概念だと思います。「解離」は一般に精神が記憶や意識やアイデンティティ等を統合する能力が「一時的」に失われた状態、と定義されています。記憶や、知覚や、情動などが一時的に失われるのです。 / YIN ( 2002-10-10 03:33 )
>permiさま。すみません、自分が直接知らない個別の事柄について、ここで述べるのは差し控えさせてください。その代わりといっちゃナンですが、概念的な補足説明を少し。まず、自我の水準がひくい…というのは、精神分析系の言葉ですが、主体の統合性が悪いことをいいます。ですから、矛盾のある部分をそれぞれ「自分」として抱えられないわけです。その際、意識レベルでは知覚することはできるのですが、「認識」することができないのです。 / YIN ( 2002-10-10 03:16 )
切れちゃいました(汗)続きです。上司に訴えに行きました。上司に呼び出された私たちはこの人と付き合う方法が分からないと逆に訴えいつしか会社を去られました。嘘をついてしまう人とのつき合いは難しいです。その方はとても疑心暗鬼が強く親切から出た言葉もゆがんで捉えてしまいましたし、なんといってもとても攻撃的なのです。YINさんが出会ったサイトの人のよく私を見ていれば分かるはずというのを見て、やはり分かって貰いたいんだろうかと思いました。 / perimi ( 2002-10-06 19:36 )
テレビ番組で脳の特集などよく見るのですがある時解離性障害なる物の特集を見ました。いわゆる多重人格といわれるものですね?この方は私と揉めたことでとてもまずいことになったと思い、それぞれの人に自分の都合のよい結末を作り上げて、自ら作り上げた話を自らが信じてしまっているのだろうか、と思うほど言われた人たちはウソに思えなかったというのです。この人は日常的に嘘をつくので会話をするのも難しくなり誰も話しかけたりしなくなったのですが、今度は無視されたと上司に訴えに行きました。どう付き合っていいか分からないと上 / perimi ( 2002-10-06 19:31 )
当然次の日にそれぞれの話を聞いた私は本当にあったことをそれぞれに伝えて嘘をついた方の立場が悪くなっただけなのですが、なぜすぐ分かってしまうような嘘をつくのかさっぱり分からないのでです。 / perimi ( 2002-10-06 19:25 )
自我の水準が低くなるというのは具体的にどんな風になるんでしょうか?矛盾が抱えきれない何となく分かるような気がします。昔いた職場に相当な嘘をつく方がおられました。ふとしたきっかけで私と揉めてしまい、同僚には私に謝って仲直りしたと言い、上司にはperimiさんは仕事に不満があるようで非常に困ると言いに行きました。私にはこの件はもう終わりなのでここだけにしようと言ってきました。 / perimi ( 2002-10-06 19:20 )
[続き]こうなると、その方に言動の矛盾について尋ねて見ても、「あの時はああ思ったし、この時はこう思っていたのだから仕方ない」とかいう答えが返ってきてしまうのです。こういう方とお話していると、埒があきません。真実のその人になかなかお会いすることができないのです。実害のない時は割りきってお付き合いすれば、楽しくお付き合いできるのですが。両方の側面が見えてしまったときは、…日常的なお付き合いするのはしんどくなってしまう、と思います。 / YIN@これを書いた後、考察してみました ( 2002-10-06 03:41 )
>perimiさま。いらっしゃいませ。こういうサイトがあるのは、何となく想像がつきます。この方に限っていえば、「矛盾はない」といいながら、そのコンテンツを消すという行動、矛盾していますよね(笑)。これはこの人が「矛盾」を生きることができないことを示唆しているように思えます。普通の人間は矛盾を抱えながら生きてます。私達が「健常者」とか「神経症」レベルと呼ぶ方々はそうです。しかし、自我の水準がそれより低くなると、矛盾を抱えられないのです。そうすると、一種の分裂が起きるのです。 / YIN ( 2002-10-06 03:34 )
YINさんは心理学を勉強なさっているんですね。私はウソをついてしまう心理状態に興味があるのですが、こういったホームページはよく見かけます。昨日もYINさんが書かれているようなことをご自分の掲示板でを見かけてびっくりしました。こういった人たちって時々はほんとうのことをしゃべってしまいたいのでしょうか?それとも自分で漏らしてることに気がついてないんでしょうか?ネットにとても詳しいと言われていたように思うのでとても不思議です。 / perimi@はじめまして。時々拝見してました。 ( 2002-10-05 10:54 )

2002-09-22 よせばいいのに…

木の下に黒いぽちぽちが落ちていると、つい、気になってしまう。
ぽちぽちの直径が2〜3ミリになると、もう我慢できない。
立ち止って…
じっと目を凝らして………


あぁぁいたよ〜〜!

立派なやつが(汗)。
体長5センチはあろうかという、
「芋虫(あるいは毛虫)」……

別に好きなわけじゃないんだけどね〜
どっちかというと苦手なんだけどね〜
1匹ならまだしも、
一度見つけると、次々目について、
「群れ」に気がつくことも…(ぞぞッ)

でもどうしても目が探してしまうの〜〜
誰か私を止めて〜〜(汗)!!

先頭 表紙

>はなくろ様。私は八本脚の巣も大嫌いです。…でも裏の戸口を抜けるときには避けて通れないの…(泣)アタマっから突っ込んでしまった日にゃ………(汗) / YIN ( 2002-09-30 22:47 )
八本足が死ぬほど嫌いな私だが、探してもないのに何故かソイツを見つけてしまう…って、それとは別かな(T_T) / はなくろ ( 2002-09-30 22:16 )
>はなさま。群れは……私もなかばフリーズでございます。特に一斉に食べる音とかが……。あ、そういえば今日も他所様のアケビにイラガの幼虫のご一行が……(いぢわる;) / YIN@にゃん ( 2002-09-30 20:54 )
>のびんばさま。アゲハの幼虫…、成虫が大きいだけに大食漢です。うちもなんど山椒を裸にされたことか…。最近は見つけたら夏みかんの木に強制移動です(笑)。 / YIN ( 2002-09-30 20:52 )
>ねこみちさま。マルハナバチってかわいいですよね。「ブ〜ン…ズボッ」って感じで花のなかに突入する姿が…(笑)。例の虫はもしかしたら、アゲハかもしれないです。でももう芋虫を卒業してどこかに…。幼虫と成虫が一目瞭然で判る図鑑が欲しい…。 / YIN ( 2002-09-30 20:49 )
群れはダメ!ほんとダメ!これ読んだだけで鳥肌〜 / はな ( 2002-09-29 02:17 )
分かりますわ〜。 のびんばも 虫さんを見つけると、ついしばらく 見入ってしまいます。(あと 海のフナ虫さんとか。) この夏ちっちゃな山椒の木買って喜んでたら、アゲハの幼虫が。面白いのでほっといたら・・・山椒の木が丸裸になっちゃいました〜。(泣) / のびんば ( 2002-09-28 11:23 )
そうです〜 他にも何種類か来てました。あとマルハナバチとか、蜂も良く来ます。青い体に黒って…アゲハでしょうか? / ねこみち ( 2002-09-26 02:27 )
>ねこみち様。もしかしてそれは、クチナシにつくオオスカシバの幼虫??私はパセリで新しいのを2匹発見しました。青い体に黒の模様……何になるのか気になりますが、捕まえて飼うまでは、ちょと………(汗)、写真もちょっと………; / YIN ( 2002-09-24 15:53 )
>mikaさま。やはりそうですか(笑)。私は見つけて後悔し、それでも好奇心に耐えきれず、接近して観察してしまいます……いや〜ん(汗)。 / YIN ( 2002-09-24 15:50 )
ふひゃひゃ 私も昨日庭で発見(3匹)写真撮っちゃいましたよ あまりにも立派に成長してたんで たぶん蛾の幼虫 最近スズメガが花の蜜を吸いに良くくるんだよなぁ〜 / ねこみち ( 2002-09-23 03:15 )
わかる、わかる(笑) ついつい気になってみちゃうんですよね(笑) / mika@初めまして ( 2002-09-22 22:56 )

2002-09-18 嘘くさい

関西まで学会に行って参りました。
今回の学会のテーマは「破壊と創造」でした。
会場が兵庫だったから、なるほど相応しいテーマとも言える。

一日目はワークショップと講演、シンポジウム。
二日目は発表。

臨床の研究発表は、大きく分けて2つある。
一つは調査および実証研究。
もう一つは事例研究。

事例研究は臨床心理学独自ともいえる研究発表形式だろう。
実際の面接記録をモトに、ケースの考察を行い、それから症状その他の構成要素に対する仮説を述べるものが事例研究である。
予め計画をたてて、というより、終結したケースやながいケース経過の中からの、治療者の体験に基づいた報告になる。
でも、モトとなるのは1回50〜60分、時には数十回〜百回以上にわたる長〜い経過の記録だ。だからデータの盛り込みようによっては、(おおげさに言えば)ナンとでも解釈できる。統計データのように、解析の決まりもない。全ては発表者が全体の何処を提示するかによってくる。

でも、発表者もやはり人間。長いケースのなかでは、いろいろな失敗やズレが生じる。それを正直に発表することに耐えられる人間がどれほどいるかどうか。
…だから、なんとなく誤魔化した記述や、いいわけめいた記述にはよく会う。
それでも、本人がそれについて十分判っていて、反省しているときには、それも何となく判る。だからそういうときは敢えてつっこまない。
だって、発表時間は限られているし、そんなことをしていては、折角他の箇所に大事なことが現れているのを論じることができなくなってしまう。

でも、ときどき、ツラの皮が厚い人がいるんだよね〜〜。
そのくらい本で調べておけ、っていうような不備とか、
自分は判っていた…と根拠の無い言い訳をするとかある人が。
そういう時は容赦なくツッコミます。だって、嘘くさくて耐えられないんだもの。

実はこの間の私の発表にも、問題になるかもしれない箇所はあった。
指定討論者の先生が「ここは質問されると思うけれど、答えられるか?」と事前に訊いておいでになった。
私は、自分の思うところを先生に話して、「答えられます」と言った。
不思議なもので、学校のカンファでもそうなのだが、そういう風にこちらが覚悟している時は、まずツッコミは入らない。
「これくらいは大丈夫だろう」とタカをくくっていると、厳しく指摘される。

…実はこれ、私たちが臨床現場で実践していることだ。
相手の言った内容でなくて、その人が今、自分自身に正直かどうか、に治療者は焦点を当てる。
相手の姿勢に反応するわけだ。
ある意味優しく、ある意味とても厳しい。

先頭 表紙

私の発表は、事例検討のニュアンスの濃いものでした。ですから、違った立場からのツッコミもけっこう多いのです。臨床心理学で客観的事実を求めるのは、難しいことです。同じ(と思われる)現象について、複数の学派が違った言葉で述べた本がそれぞれ存在したりするのです。 / YIN ( 2002-09-24 15:48 )
ああ。学派があるのですね。当方は発表の時点で特許出願済が多いので色々な意見は確実に派生特許のネタになります。転んでもただじゃ起きない?語られた時は、寝てます。2時間は平均的のような…。 / nyan ( 2002-09-20 12:37 )
で、この間自分は、準備してあったところではなく、もっと別なところを突っ込まれました。学派の違う方から。こういうのはどうしても生じます<盲点みたいなところ…(汗) / YIN ( 2002-09-20 10:23 )
>nyanさま。発表時間が2時間ってあたりで、妹から「長い!」といわれました(彼女はグループ発表で、一人あたり5分くらい)<形式。揚げ足取りはうっとおしいですね。あと、ときどき「語り」に入ってしまう方がいて困ります。イエローカード、いいですねぇ…司会者が注意する時間も節約できて(笑)。 / YIN ( 2002-09-20 10:19 )
>菜種さま。容赦ありません(笑)同じ時間に行われる発表が多いと20くらいはあるわけで、その中から選んで聞きにいくわけです。モトはとりたいですわ〜〜(笑) / YIN ( 2002-09-20 10:15 )
分野が違うと随分発表形式が違うものですねぇ。当たり前か;;「ツラの皮が厚い」でドキ!100枚くらいありそうです(汗)発表論文はサクサク書いて後は理論武装ですね…。たま〜に揚げ足取りな質問を繰り返す人がいて、さすがに司会者にイエローカード出されてます。 / nyan ( 2002-09-19 16:58 )
容赦なく、つっこむのですね。私ならきっと、周囲にまかせてしまうわ・・・。でも、あまりにつっこみどころ満載!だと、やっぱり言ってしまうのかなぁ。 / 菜種 ( 2002-09-18 10:35 )

2002-09-12 毒入りコンテンツ

この日記を作った時のことを思い出して想像するのだが、
サイトを立ち上げるのって、一部の公的なサイトを除いては「必要とされているから」ではなくて、「サイトのオーナーがその場所や受け手を必要としているから」作るのではないだろうか?

私も自分の思ったことを書いて、それを読んで反応してくれる方が欲しかったから、ここを作った。(…うーん、実は最初は勘違い操作をして「日記が出来てしまった」のが発端だけど、結局それをきかっけに自分の「書きたい」という気持に素直になったわけだから)

なのに、いつのまにか「いろいろ嫌な思い(ちなみに「荒らし」ではない)をしたけれど、読者がいるから頑張って運営しています」と、オーナーが書いているサイトがある。

何?これ。

そもそも、サイトが存在しなかったら、読者も生まれなかったわけだし、オーナーが「作りたい」と思わなかったら今だってこのサイトは存在していないのに。ここは同人サイトだから、無くても誰も「不自由」はしなかったはずなのに。
…そのことを忘れていないか?

私は思ったこと、感じたことをどんどんメールに書いたり、チャットで発言したりしまうから、このオーナーさんにとっては嫌なメンバーの一人だったかもしれない。でもそんな事は何も知らずに、閲覧をしているメンバーさんも確かにいるはず。そういう方たちがこのオーナーのメッセージをみたらどう思うんだろう。

何か悪い毒を盛られているようだ。
コンテンツを読もうと思っても、毒入りだと思うと気が失せる。
だって、そのメッセージに答えるとしたら、普通は「やめないで」しかない。
(私は絶対に言わないけど;)
そうしたメッセージを読者相手に期待しているとしたら、それも何だかな〜〜……。

嫌になったら止めればいい。
ムリして続けるものでもないと思う。
嫌だったら「一身上の都合」とか言って止めてしまえばいい。
読者と付き合うのが嫌だけど、どうしても発信を続けたいなら、BBSもチャットも閉鎖して一方的に発信すればいい。
サイト運営を続けたいなら、事情を知らない多くの人にわざわざそんなことを知らしめることないと思う。
最初はオーナーのほうから求めた読者だ。
その相手にコンテンツと毒をいっしょに盛るようなことはやめて欲しいものだ。

…そのくらい、サイトのオーナーは最低限の矜持として持ってて欲しいと思うのだけど。

追記:
いつもだったら、ここまで書かないけれど、
敢えて書く気になったのは、このオーナーさん自身が以前にサイト閉鎖をちらつかせる他のオーナーを批判していたから。批判しながら、自分が同じようなマネをするのは如何かとも思って。
そして、サイトの運営状況は、ある意味オーナーのパーソナリティを反映するとも私は思っているし。どうなんだろう…

先頭 表紙

まあ、もしかしたら、元々毒持ちの本人が、毒の無い振りをして作ったサイトなのかも。でも運営しているうちにボロが出てきたとか(苦笑)。そう思うと滑稽かも。あんまり露骨な毒なんで、私以外にも気がついて生温い目で眺めているメンバーさんもいるかもしれませんね(つか、いるけれど…)>nyanさま。 / YIN@私も毒を吐いて見る ( 2002-09-12 14:30 )
毒と地雷はどこにあるか分からないから効果があるのかも。その内、本人もどこに埋めたか忘れるし。ヤラレタ!と分かって割り切れない思いだけが残るけど「あ〜私はマヌケだったよ#」と思う今日この頃(おい;) / nyan@調子ぶっこき中 ( 2002-09-12 12:46 )
要は毒の盛り方ですよね。はじめから毒とわかっていれば毒をサカナにナニすることもできますが、メインコンテンツ以外の日記とかに盛られるとなぁ…。 / YIN@せめて注意書きを ( 2002-09-12 11:20 )
>nyanさま。毒は自覚的に吐くならいいと思います。あと、書いた事にいろんな反応があるのは当然だし、それは私は面白いと思います。100パーセント共感されちまったら、逆につまらない…つか居心地悪いです。 / YIN@そんな、逃げなくても; ( 2002-09-12 11:15 )
↓(あ。足りませんでした;)だから、読者と話をするのは好きですね。しかも毒テンコ盛りのハリセンボン状態です。 / nyan@ボルジア家の毒薬が欲しい ( 2002-09-12 11:06 )
同じ文章でも読者(受け手)に温度差があるのはアタリマエだと思うし、同じなら却って気持ちが悪い。そんな個々の違いを楽しんでいるのかなぁ、私は。 / nyan@書き逃げっ! ( 2002-09-12 10:46 )
私は自分が暴言を吐き散らしたいからサイトやってるようなものです。他人の事や他人の目は…考えてないですね。あくまでも「私はこう思う」です。そして、毒を含んだ人は好きです。 / nyan@私に言われても(汗) ( 2002-09-12 10:38 )
「世の中は自分が動かしている、そして自分は必要とされている」との自意識の強い人が多いのでは?本人は無意識だと思いますが。数値データから言えば何億分の1でも本人にとっては100%なのでしょうね。だから攻撃されたと感じてしまえば、さっくり撃墜モードに入るわけで。 / nyan@自意識過剰 ( 2002-09-12 10:37 )
…とかいうこの日記にも相当毒があったりして(汗)。 / YIN ( 2002-09-12 07:10 )

2002-09-08 ただの人。

先週(書かなかったけど)、学部生の方たちと院生で合宿を行った。
私はそのゼミに属しているわけではないのだけど(ドクターにはゼミはないので)。
ゼミを聴講させて頂いているので、参加させていただいた。

学部生のなかでネット上での人格について研究したい、という人がいた。
面白いテーマだけれども、追跡が難しい。
ネット上のパーソナリティであるだけに、
本人に会って検証することが殆どできないと思われるので。


…ところで、私もネット生活をしている、と言ったら、
「臨床心理専攻であるということを開示しているのか?」
と質問された。
この事で、迷ったり悩んでいる学生は結構多いようだ。
「臨床心理が専攻です」と言った途端に、
何かしら色眼鏡で見られるのではないか、と思っている。

じつは私もそうだ。
「何か観察しているのではないか」と疑われて関係が壊れてしまうんじゃないか、
「読まれているのではないか」と勘ぐられたりされてしまうような気がしてならない。
自分の専攻について話したら、
その後自分が自由に反応することが出来なくなるのではないか、
と思って黙っている交友関係もある。

でも、それはそれで気持が悪い。
気楽に他愛ない話もしたいけれど、ディープな話をしたいと思う自分もあるのだ。
話題というのは、どこで誰とでも話したい、という訳ではなくて、
その人の間の関係において、語りたくなるので、こういう時に困ってしまう。

だってそれもこれも私だもの。

サイコセラピストだってバカ話するし、下世話な話もするし、酔っ払うし、
えっちもするし、失恋するし、喧嘩するし、失敗するし、落ち込むし……。

…でも何だか「そんなことしてはいけない」と押しつけられている気がする。
押しつけているその半分は自分かもしれないけれど、
でも現実に押しつけられることも、確かにある。

それは、世間の「臨床心理」に対する誤解のせいあるのだろう、と思っているけれども。
私たちはそんなに人のことが判るわけじゃないです。
だから何回も面接重ねて、時間をかけてクライエンとさんといっしょに問題を考えているのです。
判ってしまったらサイコセラピストではありません、
占い師とか超能力者とか霊能者ですって、それは。
サイコセラピストはただの人です。

…て言っても、判ってもらえないんだよなぁ……。


勿論「ただの人」という言葉にはそれなりに意味があるのだけれども。
「ただの人」である、ということは、本当に難しい。

先頭 表紙

ああ、ちゃんとツッコミに答えているのでしょうか?<私; でも職業的や専門的な部分と、個人的な部分もごっちゃにしてほしくないです、私としては。ひとりの個人としての場がないと、息が詰まってしまいます>菜種さま / YIN ( 2002-09-09 11:10 )
事例を見ると、「先生は何でもお判りなんでしょうから、答えを教えて下さい」という問答は結構多いです。でもそれはそれなりに意味のあることとして、面接で生かしていかなければならないのですが。面接は答えよりもプロセスが大切なのです。そのプロセスのなかで、いかに臨床家が「先生」から「ただの人」になっていくか、も大切だと思います。ただの人になったあたりで、大体問題は解決して、面接が終結を迎えることが多いようです。 / YIN ( 2002-09-08 19:06 )
いっしょくたにされちゃうんですよね。なんとなく、カテゴリーが一緒になってしまうのかなぁ。 / 菜種 ( 2002-09-08 18:31 )

2002-09-07 杉本健吉美術館

発表も無事終わったので、今日はシンポをサボって(汗)杉本健吉美術館 に一目散。

ああっ、楽しい!楽しすぎる〜〜!
美術館の建物の上に陶器でできた鳥が並んで飛んでいる〜〜
入り口を入ると「ぶっつけ本番」と書いた幡が飾ってある〜
美術館一杯に喜びが溢れている。

あちこちに遊びのある作品がこそっと展示されていて、探すのが楽しい。
曼荼羅の部屋にある「木端成仏」が是非見たいと思っていたのですが、
やっぱりステキでした。
空海像を彫った時に出た木片を捨てずに作品にしてあるんです。
魚とか河童とかイノシシとか、いろいろに見たてて作品にしてある。
それが空海像の前に置いてある。
無駄なものは何一つないのだ、という作品。
見ていてとっても嬉しくなる。

涅槃瓜とか、蝉心経とかも好き。壁に飾ってある仮面も愛嬌があって好き。
元気になれます。
ステキなところです。

先頭 表紙

2002-09-06 デビュー?

…というわけで、今回初めて学会発表なるものをいたしました。
ここ2ヶ月ほど、原稿にかかりきり(?)になっていました。

発表時間が2時間、原稿を読む時間が1時間程度の予定だったので、
長くてどうしよう、と思っていたのですが。
あっという間におわってしまいました。

人の前で自分の発表をするのは嫌いではありません。
自分の見えていなかったところを指摘してもらえるので。
勿論、ときどき、イタイこともあるのですが。
まだまだ未熟者だから、それは当然と思っています。
みんなでああでもない、こうでもない、と意見を述べ合うのが好き。

それにしても学会は楽しい。
いろんな人に出会って、いろんな経験を聞くことができる。
それでまた刺激をうけて元気になる。
…身体はヘトヘトなんですが。

先頭 表紙

>oyoさま。ありがとうございます。やっとスタート地点に立ちました。 / YIN ( 2002-09-09 11:13 )
>菜種さま。まな板の上の鯉になった気分で「エイヤー」と(笑)。でもはじまってしまうと短いくらいです。でも頭がぶっとんでいる所為でしょうか??<2時間。 / YIN ( 2002-09-09 11:12 )
学会デビューだったのですね。おめでとうございます! / oyo ( 2002-09-08 07:18 )
けっこうな時間なのですね。私ならきっと、耐えられません・・・。お疲れさまでした。 / 菜種 ( 2002-09-08 00:27 )

2002-09-02 心理学は役に立たない?

とある方とネット上でトラブルを起こした。
それはそれとして、その方の手紙にこんな一節があった。

「自分が人に好かれているかどうか、もっと真剣に観察すべきです。
自分がちゃんと「交流」ができているかどうか。
心理学が人と関わるのに、何の役にも立たないことぐらい、
誰よりも御存知でしょうに」
この方に
「私は人に好かれようということは諦めてしまっている」
と書いて送ったら、ものすごく非難された。
この方にとっては自分が人に好かれることは大切なのだろう。

以前、河合隼雄先生が「自分の本をよんで、ああそうだと思ってそれを人に対して使っても絶対に悪くなる」と書いておられたのを読んだ記憶がある。
そう。心理学の知識は「読んでも」役に立たない。
「人に好かれる為に」、「人とうまくやるために」心理学を学んで使っても、それは役に立たない。ちょっと上手くいったような気がしても、結局は役に立たない。
何故ならそれは、心理学をツールとして、人に適用しているからだ。
そのとき、多分その人は、相手に対して距離をとって、観察したり、分析したりしているはずだ。だとしたら、それは相手と関わっているのではない。距離をとって、観察・分析している。観察や分析は距離をとって行うものなのだ。それは嘘の関係にしかならない。
不登校や家庭内暴力の治療事例を読んで、其のケースとそのまま同じ態度をとっても、
相手はますます怒るだけ、という話はよくある。そこには真に関わる自分がないからだ。
真剣に関わることを避けるために心理学知識を使っているから。
相手が怒るのも、ムリはない。

でも、心理学は人と関わるのに役に立つと私は思う。
ただし、それは本人次第だけれど。

知識として得た心理学を、本当に役にたつモノとするためには、
まず、人に対してではなく、自分に対してそれを用いることだ。
相手を切るのではなく、自分を切ってみること。自分を分析してみること。
だから、カウンセラーの多くは研修中にスーパービジョンや教育分析を受ける。
知識を使って、相手を分析するだけではなく、相手に対する自分も分析するのだ。
そして、「そこに起きている現象」を客観的に見る。
相手と同じ土俵の上に立って、同じルールを自分に適用しない限り、心理学の知識は現実には役に立たない。


私は心理学を学んで、相手と一瞬でも本当の関係を持ちたいと思ったなら、
どこかで「相手に好かれよう」という欲求は諦めなければならない、
と考えるようになった。
何故なら「好かれよう」と考えて使ったとたんに、心理学は道具と化すから。
「好かれよう」とは思わないから、自分が失敗しても取り繕わない。
自分が悪いと思ったら言い訳したり、問題をすり替えたりしないで謝る。
本当に思ったことならば言う。ただし非難されたり、嫌われたりするかもしれないことを覚悟で。
そしてそれが間違っているとわかったら謝る。

全部きちんと出来ているわけではないけれど。
私はそうやって生きるようにしている。
私のやり方は相手にも負担を強いるかもしれない。いや、強いるんだろう。
キツイこと言うことになるから(いや、あんまり要求はしないんだが、たまにポロっと言ってしまうのだ;)。
私が相手に自分と同じように振舞うことを要求しなくても、
相手は「疲れる奴、鬱陶しい奴」だ、と感じるかもしれない。
それでも、偽物の関係や便宜的な関係よりは、
私は一つの本当に信頼できる関係が欲しい。
好かれるよりも、信頼されたい。

心理学は人に対して使うものではない。
自分がそれを生きるものなのだと、私は思う。

先頭 表紙

嗣麻子さま>そうですね、私もまだまだ修行が足りません。もっと開かれた自分でありたい、と思います。 / YIN ( 2002-09-18 03:26 )
日々、努力してそういう所を改善しないといけないでしょうね。と私自身に言ってみる(笑)↓一緒に努力しましょう(笑)「誰が言ったか」が問題では無く「何を言ったか」が問題なのだという事を心に命じて / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-12 22:43 )
あと、「意見」と「意見をいう人」を切り離すのって難しいな、と今回思いました。件の方とのことは私のなかではまだぐっちゃぐっちゃしてて、ワケわからんようになっているので(というのは、件の方が矛盾した言動をされるからですが)、「意見」さえも自分のなかにはすんなりとは入ってきません。oyoさんご自身の発言としてのツッコミのほうがずっと入りやすいです。それは感情のなせることなのでしょうが、事実です>oyoさま / YIN ( 2002-09-12 14:23 )
でもoyoさま、心理学が嫌いとおっしゃるなら、もう少し心理学についてお知りになった上で仰って頂きたいのです。私の答えも広〜い分野のなかのひとつの、そのまた片隅の学派に立脚していますので偏っています(私はざっとひととおり学びましたが)。それにしても、件の方も美術系なので、これは何か関係あるのかしら〜?と思ってしまう私です。 / YIN ( 2002-09-12 05:40 )
>oyoさま。「、『好き』と『嫌い』の反対が『無関心』」。なるほど!リビドーの有無という観点で言うならば、こちらのほうが確かに正確だと思います。 / YIN ( 2002-09-12 05:33 )
>嗣麻子さま。「嫌い」と簡単には言いたくない、と踏ん張っているからには、まだまだきっと何か沢山引っ掛かっていると思うのです、この方とは。私も本人に言う事はないと思うので、ひとりで格闘していますが。それはそれでしんどいので、いっそのこと分析し尽くして、すべての投影を引き戻して、「無関心」の域まで達してしまいたいと思うほどです(汗)。私は業が深いのかもしれません。 / YIN ( 2002-09-12 05:30 )
睡魔に負けている間に、状況が変わっていて、それから、どうつっこみ返しをたら良いものかずっと悩んでおります…… / YIN ( 2002-09-12 05:27 )
なるほど…そうかもしれません。それにあまりYINさんにとって嫌なことを蒸し返してもお仕事に障るかもしれないからこの辺で。また次の機会に参ります〜。長々とおじゃましました。 / oyo ( 2002-09-11 15:24 )
とても興味深いです、oyoさん。原因をYINさんに求めないで、oyoさん自身の中で探した方がoyoさんの為にはなりますよ。YINさんの中に求めても、oyoさんの為にはなりませんから。YINさんの為には、YINさん次第でなると思いますが(笑) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-11 05:02 )
そのほかにもいろいろとツッコミして聞きたいこと満載で。この相手の方が私と同じく心理学を嫌っているらしい、そういう人がいて嬉しい、という事もありますがこの日記は私にとって「問題発言」なんです。 / oyo ( 2002-09-11 03:01 )
また、私が日ごろいろいろな人たちとおつきあいしている関係に関して「偽物の関係や便宜的な関係」と言われているような気がすこしするので、人に対して仲良くしようといろいろ考えることを「つまらないこと」だというふうに片づけないで欲しいと思うのです。でもYINさんを説得しようとかそういう積りではないです。 / oyo ( 2002-09-11 02:44 )
>嗣麻子さま どうしたいかはあまり考えていませんでしたが言われてみるとそうかもしれないです。 / oyo ( 2002-09-11 02:35 )
oyoさんって、もしかして、YINさんに「相手が言っている事は正しい」と認めさせようという努力をしているのですか?(そういう展開をしているのかな?と思ったので聞いてみました)>oyoさん / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-11 01:30 )
もうひとつ〜(ごめん何度も!)『「好き」の反対は「嫌い」ではなく、「無関心」です』は、私は違っていて、「好き」の反対はあくまでも「嫌い」で、「好き」と「嫌い」の反対が「無関心」。だなあ〜私は。 / oyo ( 2002-09-11 00:30 )
あ、2002-09-10 04:31 のレスありがとうございます。「残念ながらそれをやっても効果なし」という事だと思いますが、私が思うにはYINさんは相手の方に気を遣いすぎて勘違いされてしまったのではないでしょうか?苦しくなるって事は無理してなければ無いと思うんだけど…。 / oyo ( 2002-09-11 00:22 )
相手の方の言うことを「もっともだ」と思う個所ってないのですか? / oyo ( 2002-09-11 00:06 )
「好かれることを諦めてしまっている」という事を相手の方に非難されたと書いていますよね。その相手の方の意見については肯定も否定もされていないように思いますがどうですか?私は相手の方がどういう言葉で非難したのかわからないけれどおそらくその相手の方と同様の反論を自分もすると思います。うまく言えないけど「好かれることを諦める」ってかなり暴言にとれるんです。もっと言うと「相手をばかにしている」という態度とも… / oyo ( 2002-09-11 00:04 )
↓大きなお世話ですね(笑) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 18:06 )
手紙の主に面と向かって嫌いという必要は全く無いと思いますが、嫌いと心の中で認めることをするのはいいのでは?と思います。そうすると、対応の仕方も変わってくると思いますよ。その人に対してもっと冷静になれる気がします。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 18:06 )
(無くなっているわけではありません。以前に比べてという事です)。好き、嫌いが関係なくなるのは何かを成す為の意志の力の強さによります。プライベートなどうでもいいことでは、好かれたいと思います。が、意志が強烈に働く、作品作りの時には、好き、嫌いはあまり関係が無くなるのです。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 18:04 )
私は監督という職業柄、結構、厳しいことを他人に要求する立場です。その人がへとへとに疲れていようが、熱があろうが、作品のクオリティの為にはやり直しを命じたりもします(状況によっては、もちろん妥協します。妥協は常に多いです)。そういう立場ですので、私も以前はYINさんのように「嫌われても仕方がない」と諦めていました。が、途中、それが嘘で、本当は好かれたいと強く思っている自分を発見しました。それを発見して認めると、好かれる事も嫌われることもあまり感心がなくなってきました / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 18:03 )
「好き」の反対は「嫌い」ではなく、「無関心」です。つまり、接点が全くないということです。嫌いならまだ何かが生じる可能性があるような気がします。(あれ?先に述べたのと矛盾していますか?;そんなつもりはないのですが)一番辛いのは「関心を抱かれない」ということでしょうか。…だから敢えて私はいろいろと言葉にするのだと思います。何かを喚起するために。 / YIN ( 2002-09-10 17:06 )
それから、もう一つのツッコミについてですが、そうですね。もともと諦めたわけではありません。でも嫌われることにも意味ってあるのではないでしょうか?(それはしんどいことではありますが)最近、私はそんな気もするのです。 / YIN ( 2002-09-10 17:01 )
あれ?話が横にそれていますか?でも、そういうわけで、生身の人間相手に「嫌い」というのは、とても難しいです。もっと考えれば別の人物像や感情が湧くかもしれませんし。 / YIN ( 2002-09-10 16:59 )
でも、現実には厄介なことに、今回のように生身の相手が存在するわけです。恐らく相手の方は私を刺激したのですから、何かをお持ちになっていると考えられます。しかし大抵、「意見の否定」を伝えたとしても、相手の方はそれを「人格の否定」と解釈するので、相当感情の入った反論を送ってこられます。そこにはその方の抱く私に対しての(勿論事実をも含んだ)ネガティブなファンタジーが展開されています。でもそれもまた、その方御自身がお持ちのものでもあるわけで…。 / YIN ( 2002-09-10 16:58 )
>嗣麻子さま。大変難しい問題だと思います。「嫌い」ということは。何故なら「嫌い」と言った途端に…というかそういった感情を抱いた瞬間にはすでに、それに対応部分する私の内にもあるあるわけで、それを否定して消し去ることはもうできない、と私は感じるのです。だからその「嫌い」というのは何に対してか、自分自身で考えなければならなくなります。相手についてなのか、自分自身の投影なのかも含めて。 / YIN ( 2002-09-10 16:43 )
そういう所を素直に表現できるようになると、色々と楽になるような気がするんですけどね。(別に今でも楽ですと言われるかもしれないけれど) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 11:19 )
「私は人に好かれようということは諦めてしまっている」諦めてしまっているという言葉があるという事は、以前は期待していたという事ですよね。何かが積み重なって諦めるに至っている。で、諦めているということの根底には、やはり好かれたい気持ちはありますよね?好かれたいけど、諦めているんでしょう?だから「諦めている」んですものね。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 11:17 )
否定には大きくわけて二つありますよね?意見の否定と人格の否定。で、日本人は意見を否定されると人格まで否定されたと思う人が多いので、oyoさんように「相手の良い点を探し出してまず言う」という意見が出るのだと思います。で、YINさんの方は実はどっちの否定をしているのだろう?一見、意見の否定の様に書いているけど、人格を否定している様にも感じます。人格の否定まではいってなくても、嫌いなんだろうなと思います(笑)嫌いっていっちゃえばいいのに。心理学やっていると言えなくなっちゃう言葉なのかな? / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-10 11:12 )
>oyoさま。大抵は私もそうやっています。でも中には、それを続けていると、私が相手の全てを肯定している、と誤解してくる方がいらっしゃるのです(件の方もおそらくそうだと思われます)。そして、次第に当然のように賛意を期待してくるようになる、…ように私には思えます。そうなると、私は苦しくなってしまうのです。そして、正直に同意できない部分のあることを言わざるを得ない時がくるのです。残念ながら。 / YIN ( 2002-09-10 04:31 )
相手を否定しない(あるいはそうとられない)ためには…「相手の良い点を探し出してまず言う」ではないでしょうか?嘘やお世辞じゃなくて本心で。無ければ仕方ないですが…。YINさんにとってはそういうのは欺瞞でしかないですかね?(笑)一応言ってみただけです;;; / oyo ( 2002-09-10 03:34 )
あともう一点の排除についても、私は別にプロフェッショナルとして排除しない、という訳でもないのです。やっぱり世界はゴチャゴチャしててフクザツなほうが好きなのです。説明すると難しいことになりますが、排除して抑圧をかけると、その当の排除した筈のものから、リベンジされることもあるのです。また、排除したつもりでも、姿を変えただけで、存在し続けることもあります。…話が抽象的になってしまいますが。 / YIN ( 2002-09-10 02:37 )
相手を否定しないために、できるだけ要求をせずに「私はこう感じる」とか「私はあなたと違ってこうだ」という表現を心がけたいとは思っているのですが…なかなか難しいです。それに、そういった表現をしても、否定されたと感じる方もいるし、押しつけられたと思う人もいるようです。あ、議論があさっての方向に行っているかも…(汗) / YIN ( 2002-09-10 02:32 )
うーん、やっぱり私の言葉不足なのかもしれません。否定の目的語である「相手を」という部分が抜けていますね。自分を定義するときは「私は○○ではない」という形で否定を使わざるを得ませんし。そこの処は判りにくかったかもしれません。 / YIN ( 2002-09-10 02:28 )
暴言はいけませんけどね…(自分が暴言吐いてないか、いまちょっと考えてしまった…) / oyo ( 2002-09-09 21:38 )
ちなみに私は「否定したり排除してしまったら自分の世界が狭くなる」という命題にも疑問符です。心理学は広く見ないといけないからあらゆる事象に目をつぶってはいけないのでしょうが、一般人は極端に狭くならなければいいのでは?というのが私の考えです。 / oyo ( 2002-09-09 21:29 )
これらの個所が、私から見ると相手を一刀両断に切って捨てている、くらいのきつい表現なんですよ(つまり否定のニュアンス)。ごく客観的な意見と「私はこうだ」という事を述べているだけなんですよね。形の上では… / oyo ( 2002-09-09 21:19 )
「この方にとっては自分が人に好かれることは大切なのだろう」「相手を切るのではなく、自分を切ってみること。自分を分析してみること」「偽物の関係や便宜的な関係」「それでも、偽物の関係や便宜的な関係よりは、私は一つの本当に信頼できる関係が欲しい。好かれるよりも、信頼されたい」 / oyo ( 2002-09-09 21:14 )
たしかにそうですね。否定とはNOTが入ることだとは思います。否定や排除のニュアンスを含めて私がひっかかった個所を挙げます。これは私の心の状態によっても変ることで、今強くそう思ったところを書きますね。 / oyo ( 2002-09-09 21:13 )
うーん、否定については、『私はそうは思わない』と、違いを主張する行為は私はだと思っているのですが、ニュアンスとして否定と伝わる可能性があるかもしれません。排除はしたくないですが。…どこらへんがそう感じられましたか?<否定と排除>oyoさま / YIN ( 2002-09-09 20:30 )
私のツッコミの直下の2件に対するツッコミです。否定も排除もしていないようにはどうしても見てとれなくて… / oyo ( 2002-09-09 20:06 )
え?どれに対するツッコミですか?>oyoさま / YIN ( 2002-09-09 19:39 )
↓本当にそう思ってますか???? / oyo ( 2002-09-09 18:44 )
違いについては良く理解したいと思いますが、否定したり排除してしまったら、自分の世界が狭くなってしまいます。それはつまらない…だから否定はしたくないのです。 / YIN ( 2002-09-09 11:14 )
「心理学と霊感ではそのうちケンカになるだろうというのは想像つきますね」…ふと思ったのですが、ケンカになるとは限らないかと。少なくとも私はこの点ではケンカするつもりはありませんから。違いに興味はありますが、相手を排除したり否定するつもりはありません。>oyoさま / YIN ( 2002-09-09 11:07 )
oyoさま。「YINさんにいろいろ言ったのも言い易い場を作ってくださったからだと思います」←こう言って頂けるなんて、私にとっては大変嬉しいことです。ありがとうございます。恐縮です。 / YIN ( 2002-09-08 23:59 )
「いいなあ〜 」って書いたやつか…何も考えずに素直に感動しちゃったので、自分とのつじつまが合ってないのかな?そもそも好きや嫌いに理由ないことが多いんです。心理学が嫌いなのも理由が無い…(無責任な!と思われるでしょうなあ〜) / oyo ( 2002-09-08 22:41 )
↓あ、ごめんなさい。これは6日のツッコミだったわ…(汗) / oyo ( 2002-09-08 22:28 )
「相手が嘘つきなら自分も嘘をつきがち」というツッコミですね?私は相手や相手の気分に協調してしまう性格のようです。「自分の主義主張を曲げる」ほどの違和感って不思議と感じたことないんですよ。見たくない場所には行かないことにしているし。反応が鈍いのであとになって怒りが出てくることもあるけど。だからYINさんにいろいろ言ったのも言い易い場を作ってくださったからだと思います。言ってることは反対なのに「招き入れてくれた」っていうのも不思議ですが。 / oyo ( 2002-09-08 22:25 )
ただし、日記が違えば「場」そのものも違ってくるので、感じるものも変わるかもしませんね。>oyoさま / YIN ( 2002-09-08 21:10 )
oyoさま。「私はその方の超能力によってこれらのツッコミをさせられたのかもしれませんね〜」その方もこの日記の存在はご存知なので、私としては何とも…(苦笑)。ただ、今迄触れていない部分、論じられていない部分があると、それに近い意見を持つ方が自ずと浮上してくるということはあります。だからoyoさまの意見というよりは、そういう意見を持つ役割が浮上してきた、と思って私は下のご意見については呼んでいた部分もあります、もちろん直下のコメントのように「判らない」と思ったこともあるのですが。 / YIN ( 2002-09-08 21:09 )
oyoさま、9月7日の日記のつっこみを拝見してそう思いました。超越者の目を意識すると、目の前の人に好かれるために相手に会わせようとか、自分を守るために嘘をつくとかいったことが、愚かな行為に思えてくると私は感じるので、判らない、とコメントしたのです。でも、嗣麻子さんの日記に対してoyoさまが感じたものが別のものだったら、話は別で、私の解釈と貴方の解釈が違っているだけのことだと思われます。違うことは悪いことではありませんので、それはそれで結構なのですが。 / YIN ( 2002-09-08 21:03 )
あ、そうだ。「嗣麻子さんの日記への貴方のつっこみと併せて読むと、ますます判りません」が気になります。嗣麻子さんへのツッコミでは私はどうなのですか?差別を感じましたか? / oyo ( 2002-09-08 19:41 )
なるほど…霊感があれば心理学は必要ありませんな。私はその方の超能力によってこれらのツッコミをさせられたのかもしれませんね〜心理学と霊感ではそのうちケンカになるだろうというのは想像つきますね。 / oyo ( 2002-09-08 19:08 )
因みに、このバックボーンになっていた隠された事情をひとつ申し上げれば、件の方は「自分には霊感がある」と公言し、その「霊感」はネット上でもしばしば有効である、と述べてらっしゃいます。そして、私は私の臨床的な勘が反応する部分とその方の霊感とが時折一致するという点において興味を持ったので、あえて正直に臨床を専攻している者としての側面も隠さずにお付き合いしていたのですが。 / YIN ( 2002-09-08 18:59 )
これを書いたらすごく嫌な人だと思われるかもしれないけど、YINさんはこのメールに書かれている事を素直に受け入れてもいいのではないかなあ〜と感じました。でも、それは個人の生き方の問題だから…聞き流してください。文字だから聞き流せないか…いずれにしても、こんなことを書き込みさせて貰って感謝しています。嫌なことをむしかえしてご気分を害されたかと思います。(あ、下のツッコミてにをはが変でした…) / oyo ( 2002-09-08 18:52 )
oyoさま、この件をこの日記に表記した以上に掘り下げると、個別の特殊な事情が出てきて問題がフクザツになってしまいます。私がこの方の世界に持ち込んだ要素が「異質」とすれば、この方にはこの方でご本人が公言していらしゃる「特殊」な特質がありますので。だから私はあえてこの方との関係性については日記の主題にせず、心理学というものとの関係について書いたのです。 / YIN ( 2002-09-08 18:47 )
↓これは私の推測であって実際は違うのかもしれません。私はYINさんのこの日記とか、YINさんとネットでおつきあいしている中でできたYINさん像から勝手に考えたものです。 / oyo ( 2002-09-08 18:22 )
最初の私のツッコミは、私が心理学を(イメージだけですが)嫌いだというのがあったので相手の方のメールの言葉に賛同したわけですが、その後毎日この日記を読んでいるうちに「相手の方は心理学がどうの、観察がどうの、ということを言いたいというよりも、ネットにおける自分の世界にYINさんが異質なものを(心ならずも、ですよ)持ち込んだことに怒っているのでは?」と思えてきたのです。 / oyo ( 2002-09-08 18:16 )
ただ、YINさんの日記はこういう内容の日記なので自分が言いたかったことをずばっと言い易かったのはあります。それは当の日記に関するネガティブな意見ということです。普通はネガティブな事は言わないようにしています。やはり相手の方に嫌な思いをさせると思うので。 / oyo ( 2002-09-08 18:05 )
YINさんの日記へのツッコミと嗣麻子さんの日記へのツッコミとで私が違うように見えますか?何が理解できないのか私にはわかりません。 / oyo ( 2002-09-08 18:02 )
この文面によると、「好かれている」ということが「交流できている」ということなんですよね。好き嫌いが交流の指標になるかどうか、私には疑問なのです。 / YIN ( 2002-09-08 17:05 )
嗣麻子様>私は人との交流に心理学を「使って」いるつもりはありませんし、「使い」たくありません。ただ、率直に私として反応したいだけです。ただ、ある程度私の生きかたの上で心理学は欠かせないものとなってしまっていますので、それを避けることができないこともあります。でもそれが私です。それに対して件の方は「好かれているかどうか観察」しろ、と仰っていると私は思うのですが。 / YIN ( 2002-09-08 17:05 )
そもそも交流とは何か?という事なのですが。手紙の主がYINさんに対して求めている交流と、YINさんが手紙の主に対して求めている交流が違ったというだけの事のように思いますが。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-08 15:42 )
その手紙が言いたかった事は『YINさんは他者との交流に「心理学」を使っているが、「心理学」は交流には役に立ちません。YINさんは他者との交流が出来ているかどうかを、確かめた方がいいです』という事だと思います。それに対してのYINさんの答えが「私は人に好かれようということは諦めてしまっている」 という風に主題から外れたものだと、やはり交流は成り立ってない感じではあると思います。oyoさんとYINさんのやりとりを見ていて、改めて考えてみました。単純に文面を読みとってみただけで、他意はありません。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-08 15:17 )
>oyoさま、申し訳ありません。私は貴方の仰っていることが理解できません。嗣麻子さんの日記への貴方のつっこみと併せて読むと、ますます判りません。 / YIN ( 2002-09-08 10:05 )
どこで何があったのかは私も知りません。でも、この方がYINさんに言おうとしている事ってなんかわかる気がするのです。「観察」とか「心理学」とかいう言葉にYINさんはこだわっている気がするのですが、言葉にこだわらなくてもこの方の気持ちは私にはよく伝わってきます。 / oyo ( 2002-09-08 07:30 )
↓ごめんなさい…このレスの意味がよくわからないんです。頭悪くてすみません… / oyo ( 2002-09-08 07:23 )
>oyoさま。了解いたしました。しかし「観察」していたら、観察している「私」は、正確には「その場に共に」いることにはなりません。個人的な出会いの場でそれをするなら、私は殺伐とした気分になってしまうと思います。そして、件の方の事はその行為の一つの帰結のような気がしてならないのです。 / YIN ( 2002-09-08 04:14 )
相手の方がどうこうでは無く、ここに引用してあるメールのことばが「その通りだな」と思ったのです。ツッコミをよく読んでください。「その方」じゃなくて「その方の意見」に賛成だと言ってるのですが… / oyo ( 2002-09-07 23:50 )
ああっ(汗)…これじゃ喧嘩売っているみたいですよね…すみません、そういう訳ではないのですが。ちょっとまだ消化しきれていない記憶を思い出してしまった…失礼いたしました。>oyoさま / YIN ( 2002-09-07 22:27 )
>oyoさま。件の相手となる人はありのままをネット上に決して書いてはくださらないのですが。AのサイトとBのサイトで言っている事が違う方ですが。それでも宜しかったら、どうぞその方に賛成して下さいませ。 / YIN ( 2002-09-07 22:13 )
>れすた@PSOさま。おそらくこの方と私がトラブルを起こしている真っ最中でしたので、私のことを否定にかかっているためだと思われます。<“人に好かれようと努力している人”。私は人に好かれるために、人に合わせて言動を変えたりしたくはありません。だってそれはどこか本当の自分とは違っているわけで、それを受け入れられたとしても、本当の自分が受け入れられているわけではないのですから。(…「本当の自分」が一体何かということを論じると果てしがないので、その件は保留しますが;) / YIN ( 2002-09-07 22:10 )
>みなみさま。私も聞いたときはびっくりしました。中高生ならともかく、曲りなりにも企業で数年務めた社会人の言うことではないと思います。しかも、呼び出しして…(笑)。でも、皆が同じことを言っていないと気が済まない心理って一体何でしょうね…。 / YIN ( 2002-09-07 22:04 )
毎日読んでます♪ううむ…私は、YINさんとトラブルを起こしている相手の方の意見に賛成かもしれない。それはYINさんがありのままをここに書いてくださっているからに他ならないんだけど。。 / oyo ( 2002-09-06 10:41 )
好かれようとする=媚を売る と考えるなら“好かれる事をあきらめる”というのは間違ってないと思います。でも、好かれる人間って“自分らしさを大切にしている人”だと思うのですが… / れすた@PSO ( 2002-09-05 15:39 )
う〜ん“深い”なぁ、お互いの“好かれる定義”の食い違いだと思うのですが… でも、先方の手紙“好かれようと努力している人”が書く文ではないですよね… 心理学が役に立たないなんて人によっては“侮辱”でしょうに。 / れすた@PSO ( 2002-09-05 15:35 )
そりゃそうですねー(笑)はい♪男運はないけど友達運はあると思ってます(笑)できれば男運も欲しいです。(関係ないι) / 咲良 ( 2002-09-04 04:36 )
つっこみ返しへのつっこみで申し訳ないんですが、YINさんの元先輩がおっしゃったという「一緒に食事をしてもおいしくない」って、凄い言葉ですね。言われたらものすごく落ち込みそう。 / みなみ@いつも楽しみに拝読しています ( 2002-09-03 22:37 )
あ、言った恩師はお医者さんなので臨床のことかな?亡くなってしまったので今となっては聞けない… / oyo ( 2002-09-03 16:28 )
門外の者がイメージだけで心理学を評して大変失礼しました。いろいろあると言われてもどれかわかりません。心理学全体と言うしか…(心理学をやるつもりはないから一生わからないと思います) / oyo ( 2002-09-03 16:13 )
私は「変わっていること」や「人と違うこと」の方がいい環境にずっといるので、そういう部分は楽です。私もOLはできないだろうなと思います(笑) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-03 07:00 )
>ふたたび佐藤嗣麻子さま。内容的に戻ってしまいますが、「自己正当化を始めたら、原因を見失った証拠だ」……ううーん、これはイタイけれどもあてになる指標のようです。これ(自己正当化)を腹のなかでやり続けているときは「これって、全然生産性がないな」と、どこかで思っていますから。単に注意が奪われているだけで、建設的な意義は殆どないようです(汗)<自己正当化。 / YIN ( 2002-09-03 05:00 )
>咲良ちゃん。………これについて、私は何ともコメントできないです〜〜(汗)。だってその方たちを直に知らないので。咲良ちゃんが「好きだなあとか尊敬できるなあ」と思う理由は他にもあるかもしれませんし(笑)。でもいい人達に囲まれているようで、良かったですね。 / YIN ( 2002-09-03 04:41 )
>菜種さま。本当にそうですね、私もあります。なので時々虎のシッポを踏んでしまいます。そして時々食われます(汗)。せめてもっと自覚的にできたら良いのですが…。 / YIN ( 2002-09-03 04:38 )
>oyoさま。「心理学は血も涙もない学問だ」それは、実験心理学のことを指したているのでしょうか?それとも社会心理学?発達心理学?教育心理学?犯罪心理学?それとも臨床心理学なのでしょうか?心理学にもいろいろあるのです。 / YIN ( 2002-09-03 04:36 )
結局…それは「存在を許されたい」という事につながるのでしょう。今思い出しましたが、昔企業でOLをしていたときに先輩からこう言われました。「YINさんは人と違うことを言うので一緒に食事をしてもおいしくない」。違う意見を持っていては存在してはいけない…というのは暴力的な考えだと私は思います。でもそれが集団のなかで多数を占めるとそれが当然のこととなってしまう、それが恐ろしいです。もちろん、大学院ではむしろ「違う」ことが求められるので、快適に過ごしていますが。 / YIN ( 2002-09-03 04:30 )
私自身の問題に戻りますと、「譲る」について、私はコントロールされる…等というより、搾取される、という感じが強いようです。当然のように同意や共感、賞賛を求められるのが一番堪えます。でも、「私は違う」とか「私はそうは考えない」というと、受け入れられないどころか、いきなり全否定を食らうことが多いので、そこには触れないようにして通っていることが多いです。もちろん、違っていても受け入れてくださる方に対してはそのようなことはないのですが。 / YIN ( 2002-09-03 04:25 )
問題に取り組まないで横に置いておくとまた同じことが起きるのは経験的に知っています。心理療法の世界でも認知されている事柄です。問題を避けていると、それが何度も巡って帰ってきて、プロセスが先に進まないのです。 / YIN ( 2002-09-03 04:23 )
>佐藤嗣麻子さま。「感情は、その分析がしっかりと成されれば、別のものに変換される…」同感です。 / YIN ( 2002-09-03 04:18 )
私の周囲に数人いる心理学をやってる(やってた)人に対して、好きだなあとか尊敬できる人だなあと思うことが多いので(たまたまなのかもしれないけど)そういうの勉強してる人は対人関係とかも上手なのかしら。なんて思ってたんですけど。それはその人が「人に対してではなく自分に対して用いている」からなのでしょうか。 / 咲良 ( 2002-09-03 03:10 )
わかっていてもできないこと、って、あります。私は、よくあります。 / 菜種 ( 2002-09-02 09:52 )
私の恩師に「心理学は血も涙もない学問だ」と言った先生がいて、私もだいたいそういうとらえかたをしています。心理学やったことは無いですけど…。自分を生きることと心理学って別にしてもいいんじゃないかなあ…と思います。 / oyo ( 2002-09-02 07:59 )
長々と書きましたが、これは私の方法で、YINさんにこれをやりなさいと言っているわけではありませんから、誤解しないでくださいね。でも、興味があったら試してみてください。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 06:08 )
相手の感情は解らないので、起こった現象だけ書きます。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 06:07 )
まず、その出来事を順を追って、箇条書きにします。その時に、自分の感情を必ず書くのがポイントです。例えば、1)父に就職の事で相談した。2)父は新聞を読んでいて、私の話を聞いてなかった。3)その様子を見て、私は悲しくなった。4)悲しくなったので、父から新聞を取り上げた。5)父が怒った。という様な感じで最後までやります。根気のいる作業です。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 06:05 )
本当は具体例でやった方がわかりやすいので、たとえば、最近両親に「心理学やっているなら譲れ」と言われた時の事をやるといいと思います。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:59 )
書き出せるだけ、沢山、箇条書きにするのがコツです。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:51 )
「譲る」の話にもどりますが、もしYINさんが「譲る」から何を感じるかを書き出したら、次に、何故、そう感じるのかを考えます。まあ、とりあえず「譲る」から何を感じるかを書いてみるといいと思います。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:50 )
感情を押さえつけたり、分析が完了したふりをして(わかったふりをして)横に置いていたりすると、必ず、似たような状況で、また同じ事が起きます。その時、自分がその問題を放置していた事実に気づくのです。私の日記にあった「片づけ箱」の話です。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:46 )
YINさんの感情は、その分析がしっかりと成されれば、別のものに変換されると思います。不快、嫌いという感情から愛おしいとか可愛いという感情に変換されるかもしれないし、仕事に集中するためのエネルギーに変換されるかもしれません。(それは場合によって違うのでわかりませんが)エネルギー保存の法則があるので、感情のエネルギーも使用されるまではありますが、別のものに変換することは可能なのです。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:43 )
(まだ起きている私)まず、「譲る」という単語を分析してみたらどうでしょうか?YINさんにとって「譲る」とは何でしょう?私がYINさんの文章から受けた印象では「譲る」=「負ける」=「いいなりになる」=「束縛される」=「コントロールされる」というような感じを読みとりました。YINさんは「譲る」という単語からどういうイメージや感情が湧いてきますか? / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 05:40 )
>佐藤嗣麻子さま。実は時々私が悩むのは、「判っているなら、相手に譲らなければならないのか?」ということ。特に仕事ではなくて、私生活に於てのことです。「実際に感じる、ひっかかる、不快に思う」ところをどこまで表明していいのか、判らなくなるのです。両親などは「心理学やっているなら譲れ」と平気でいいます。でもそうしたら、私の自然な感情を、私はどうしたら良いのでしょうか。 / YIN ( 2002-09-02 04:53 )
私は心理学を勉強していませんので、専門用語もわかりませんし、専門的な分析もわかりませんが、私が私自身を分析した結果、大抵の感情は「存在したい」「存在を認めて欲しい」「存在を許されるために誰かに必要とされたい」という所から来ています。あとはその応用です。YINさんの場合はどうですか? / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 04:49 )
と、いいましたが、もし私がそれを自分の面接でやったとしたら、即スーパーバイザーと相談しつつ、自分を切ってみなければなりません。 / YIN ( 2002-09-02 04:41 )
「もうその部分を避けてこの方とお付き合いするのが自分にとって限界だったのでしょうか?」の一文の中に、私はまだYINさんが責任を相手に求めているのを感じます。今からでも分析してみると良いと思いますよ。責任を相手に求めた段階で、分析は分析じゃなくなってしまうと私は思っています。(自分自身の分析の場合ですが) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 04:40 )
>佐藤嗣麻子さま。ああ!いわゆる「錯誤行為」……恐ろしい穴でございます。あとは…カウンセリングに行くべきなんでしょうか(汗) / YIN ( 2002-09-02 04:38 )
>佐藤嗣麻子様。仰るとおりです。ですからこの方ともトラブルになった訳です。「この人にこれを言っては…」とうすうす判っているくせに、敢えて伝えてしまうことがあります。もしかしたら、もうその部分を避けてこの方とお付き合いするのが自分にとって限界だったのでしょうか? / YIN ( 2002-09-02 04:35 )
あら、同時かき込みですね(笑) / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 04:32 )
付け足し:ポロっと言う、うっかり間違える、うっかり忘れる。こういう行為の元の原因は奥深くに隠れているので探すのが大変です。探した後も、巧妙に別の姿に変わっていきます。自己正当化を始めたら、原因を見失った証拠だと、私は思うようにしています。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 04:32 )
(続き)そして、もうひとつ、自分の生きかたを反映させることなしにカウンセリングはできません。ただ、自分の生きかたを相対化できることが大事だと思います。そして生きかたのない治療者に、クライエントは相談に来ないと思います。 / YIN ( 2002-09-02 04:30 )
>かいも様。いらしゃいませ。そう、カウンセリングするなら、距離をとることと、その場に共にいることが同時に大切になります。距離をとるから見たてができ、側にいるから共感できるのです。ただ、この文章ではそのことテーマに言っているわけではないことをお断りしておきます。また「逆転移」の定義ですが、これも微妙に私と見解が違うようです。「逆転移」とは、クライエントに対する治療者の感情や態度の全般をいいます。 / YIN ( 2002-09-02 04:30 )
(いや、あんまり要求はしないんだが、たまにポロっと言ってしまうのだ;)の一文が、当面の課題でしょうか?これは私の課題でもあります。相手に言わなくていいことも沢山あるのです。何故、言ってしまったのか?相手を怒らせたかったのではないか?不快にしたかったのではないか?とそこも分析しなければいけません。そういう事を吟味した上で発言をしなければ……と思っています。実行は難しいですが、頑張ろうと思っています。 / 佐藤嗣麻子 ( 2002-09-02 04:28 )
好かれるための心理学ってのは、もしや、いろんなところで本に出ている心理学テクニックのことでは?「人に好かれよう」ということを念頭においてカウンセリングはしません。クライエントにとって何が問題でどのように、解決していくかが重要なのですから。自分の生き方をカウンセリングに反映してしまうことは、貴方もおわかりのように「逆転移」といいます。カウンセリングをするにあたっては、距離をとって観察、分析、仮説を立てることは不可欠です。 / かいも ( 2002-09-02 04:14 )

2002-09-01 療養ちうです

ほーちゃん、少し回復。
ご飯を食べるようになりました。

檻のなかなので外へ出たがるかと思ったのですが、そんな気配はまったくなし。
人が傍を通ると鳴いて「構ってくれ」といいます。
甘えたい放題。


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