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復活! マイケルの「小さなことからコツコツ党宣言」

先ずは自分と周囲の人が幸せになるにはどうすればいいかを考えてみる。

基本的にFacebookに書いたものからエントリーを厳選し、実名やらを編集したり、ひまじんの文字数制限を満たす様に削ったりしてます。Facebookの方に興味がある場合は、コメントなどでお知らせください。でも、後で思いついた小ネタをひまじんの方だけに仕込むこともありますよ。

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-02-16 【家族の肖像】 親子よりも、夫婦よりも、
2001-02-16 【家族の肖像】 町内会の人々
2001-02-15 【家族の肖像】 万が一、とは?
2001-02-14 【家族の肖像】 植物人間って? (別にふざけているわけではないけれど...)
2001-02-10 【家族の肖像】 医療関係者ゆえの苦悩
2001-02-09 【家族の肖像】 僕の役割
2001-02-09 【家族の肖像】 遺影と遺骨とムッシュからのお花
2001-02-08 【家族の肖像】 再出血
2001-02-07 【家族の肖像】 1998年2月4日
2001-02-04 【日常】 サッカー USA vs Colombia を観戦


2001-02-16 【家族の肖像】 親子よりも、夫婦よりも、

お通夜での出来事...

と書いて気がついた。うちの母は洗礼を受けたクリスチャン(プロテスタント)なので、キリスト教式だったのだ。お通夜じゃなくて前夜式だったかなぁ? じゃ、告別式はなんて言ってたっけ?

それはさておき。

今回の一連の出来事の中で妹1号は本当に良くやってくれた。看病の時もそうだし、母が亡くなった後には、遺体を拭いて化粧も施してくれた。しかし、僕が本気で怒ったことが一度だけあった。

前夜式に、藤沢に住むおじ(母の弟)が駆け付けた。ちなみに我々の間では「東京のおじさん」と呼ばれていた人である。北海道民にとっては藤沢だろうが大宮だろうが誤差の範囲で東京なのだ。

話を戻すと、このおじが嗚咽を漏らしながら泣いているのを見て、妹1号が、

「おじさん、母さんは頑張ったよ、やれることはやりつくしたし、仕方がなかったんだよ、運命だと思って諦めるしかないよ...」

と言っていた。最初は自分に言い聞かせているようでもあったけど、そのうちに泣き止まないおじさんを説得しだした時には、「何かがちがうだろう?」と僕も思った。

つまりそれは変な言い方かもしれないけど、僕が死んだ時に僕の子供から何を言われたところで、お前(妹)は納得しないだろう? と言う事なのだ。


「小さくて靴の紐がうまく結べなかった頃、姉さんは毎日学校に行く時に僕の靴の紐を結んでくれたんだ...」

とおじさん。確かに親子の絆は強い。夫婦もまた然り。しかし、僕らが生まれる前から、父親が出会う前からおじさんは母と一緒だったことを忘れてはいけない。

母のことを思う気持ちは時として親子よりも、夫婦よりも強いかもしれない。本人が自分で納得するまでは思う存分泣いてもらったほうがいいのだ。

先頭 表紙

今私は1人暮しですが、離れてみて姉弟の大切さがわかりました。私って改めてブラコンだな〜ともわかりましたし。 / マッキ〜 ( 2001-02-17 12:53 )
くりさま、離れると淋しくなるけどいなくなるわけではないですからね〜 本当のこと言うと弟が欲しかったんですけどね。 / マイケル ( 2001-02-17 08:21 )
おとじろうさま、だから僕は自分の子供は2人は欲しい、なんて思ってます。 / マイケル ( 2001-02-17 08:19 )
小さい頃は喧嘩ばっかりしてたけど、なくてはならない存在ですね。もうすぐいなくなっちゃうので淋しいなぁ〜。 / 藤沢は東京と呼ぶには田舎すぎかも@くり ( 2001-02-16 19:51 )
そう、兄弟は生まれた時からその時までずうーーーっと一緒ですものね。小さいときからの想い出のあちこちに刻まれているのですものね。普段は一緒にいなくてもその絆は強いと思います。 / ブラコン・おとじろう ( 2001-02-16 16:29 )

2001-02-16 【家族の肖像】 町内会の人々

親戚総動員の全身マッサージでなんとか持ちなおしましたが、やはり日々体力は少しずつ低下していき、遂にというか1998年の2月4日の朝に永眠しました。

ここからしばらく先はお葬式について...

母が亡くなってから、いろんなことがドドドドド〜と起きたので、今一つ細かい事は覚えておりません。一番シッカリすべき父は魂抜かれちゃっていたので、僕は結構冷静でいたつもりなのですが、なかなか思い出せない事がたくさんある...

母親と一緒に家に帰りました。しばらくすると町内会の方がお葬式の準備のお手伝いに来てくれました。

この家はもともと祖父母が住んでいた家の場所に、前の年の秋に建て直したばかりの新築の家。当然祖父母はここにず〜っと昔からそこに住んでました。僕も5歳までは祖父母と一緒に住んでました。当時僕は近所でも有名な腕白坊主だったらしく、おまけに人見知りもしなかったらしいので、ひとんちにあがりこんで勝手に飯食っていたとかその手のエピソードには事欠かなかったようです。

町内会のおばさんたちは僕を見るたびに、「いやぁ、○○ちゃん大きくなったね〜、おばさんのこと覚えてる?」っていうんだけど、申し訳無いけど全然覚えてません...

母親にとっては結婚した最初の5年くらいと亡くなる直前のほんの数ヶ月しかそこには住んでいなかったわけだけど、そんなことはお構いなしに色々てきぱき働いてくれた町内会の方々には感謝感謝でした。うむ、助け合いの精神。

ただ一つだけ、気になったのは町内会長さんが「香典返しは海苔だな」と放心状態の父に考えるひまも与えず?納得させてしまった事。あのおやじ絶対海苔屋と裏で繋がってる(笑)。うちの母親の実家はお菓子屋なので、そんなもの手配する必要はないのだ、冷静になれ我が父よ...

そういったわけで母の葬式の香典返しは海苔とお菓子詰め合わせというちょっと豪華な組み合わせとなったのだ。

先頭 表紙

口車さま、遺言で喪主も指定した方が良いかもしれませんね... / マイケル ( 2001-02-17 08:16 )
海苔はねぇ、ちょっと後日ツライ思いしましたんで... / マイケル ( 2001-02-17 08:14 )
口車祖母の葬儀では、口車父のひとつ上の兄、すなわち口車伯父ですが、この人にまいりました。もっとずっと前、祖母の生前からからえらく迷惑なおやぢだったのですが。だから、本人の葬式の時はみじめだったねぇ。海兵出ているのに、同期生がたった一人、それも変なおやぢが来たきりでした。ほんとに嫌われていたんだわ。ちなみに、海軍兵学校はものすごい団結があり、葬式とか言うと同期がどどっ駆けつけてくるもんなんだそうな。口車祖母、子育てうまく行ったとはとても言えません。残念ながら。 / 口車大王 ( 2001-02-17 00:07 )
友人が、普段会った事もないような親戚の人に仕切られて親がかわいそうだったと言っていました。こういうのってありがたいけど、デリカシーのない行動はちょっと受け入れられないですね。 / おとじろう ( 2001-02-16 16:32 )

2001-02-15 【家族の肖像】 万が一、とは?

さて、親戚一同の全身マッサージでひとまず最悪の事態だけは乗り切ったのだが、どうしても気になることがあった。

「この状態はいつまで続くのだろうか?」ということだ。

医師からは「助かる可能性は万が一です」と聞いていた。「助かる事=元に戻る」と言う事で無く、「100%ダメです」というのと同じ意味で、しかもちょっとやわらげる意味で使ったのだと皆理解していた。父親を除いては。

ある日、真顔で「昨日の夜、ずっと考えて見たんだけど、『万が一』ってのはどう言う意味だ?」と聞かれた時は本当にビックリした。

信じたくない気持ちはわかるが現実には目を向けないと...

脳のどういう部分を切り取って、それがどう影響するのかは、僕は知らなかったが(こういう部分は殆ど妹に任せっきりだったなぁ、と今更ながらに思う)間違っても、自分の意思で何らかの反応を示す事はないと聞いていた。

そこに横たわってるのは確かに生命をもった人間であるけれど、僕の知っている母親ではない、と不謹慎にも思った。

僕がもし、四肢が不自由になったり、視力を失うような事があったとしても、落胆しつつもそれでも生きていこうとするだろう、と思う。そしてそうなっても僕は僕だと思う。

しかし、意識がなくなってしまった時...我思わなくなった時に我はあるのか?

あ、別にだからと言って僕は安楽死賛成派と言うわけではないです。かといって意味の無い延命も嫌ですが。ただ、自分の身に起きた時は「頼むから楽にさせてくれ...」と言うかもしれませんけど。

そんなわけで植物人間の母とこれから何年も過ごす、と言う事も想像して見たのだけど、あまりにもシュール過ぎてまとまりませんでした。

この文章もまとまっていない...

先頭 表紙

ううぅ‥ダメですぅ、この手のお話には耐えられませぇん、すんすん。 / spi ( 2001-02-16 01:17 )
口車さん、それは感動的な光景ですね! うちはそこまで望むことすら出来なかった。せめて目だけでも開いてくれれば...という感じでしたので。 / マイケル ( 2001-02-15 23:21 )
おとじろうさん、いやホントこういう時に男は弱い...この時以来、父の威厳は地に落ちて今や家族に突っ込まれまくりです。 / マイケル ( 2001-02-15 22:42 )
絵子縁さん、そういう状況を乗り越えてってのは凄いですね! うちの場合はもし奇跡的に助かってもどつかれるのは母の方ですが... / マイケル ( 2001-02-15 22:39 )
口車母と入院してから一週間後に父を見舞いに行ったとき、無意識のうちに点滴の針を取ってしまうので右手をベッドにしばってあったのが、ひもがはずされてだらんとしていました。さすがにこのときは半身不随になったかと思い、母と二人で今後の生活を考えて暗い気持ちになりました。3週間後、意識が戻った父に二人で開口一番、「右手動く?」と聞いて、「え?なんで?動くよ。」と動かしたときには、思わず二人して「をを、よかったぁ!」と叫んでしまいました。 / 口車大王 ( 2001-02-15 20:12 )
マイケル様のお父様は、点滴といい「万が一」発言といい愛すべきお方だわー。マイケル様は素敵なご両親に育てられたのですね。 / おとじろう ( 2001-02-15 14:07 )
しかし、うちの場合は入院していた病院が脳外科に明るいところだったこともあり、奇跡的に回復して現在は元気に私をどついていますが。 f(^^; / 絵子縁 ( 2001-02-15 12:57 )
すごくマイケルさんのお父さんの気持ちがわかります。私も今から10年程前、母がくも膜下で倒れたとき、くも膜下で倒れたことを否定したい気持ちが強くてなかなか母の病室に行きたがらなかった、ということがありましたから。多分うちの家族の中では一番病室に入らなかったんじゃないかなぁ? / 絵子縁 ( 2001-02-15 12:53 )
今気になっているのは、むか〜し、読んだ吉本ばななの「白河夜舟」。確か主人公の恋をしている相手の男性の奥さんが植物人間、という設定だったような。 / マイケル ( 2001-02-15 11:38 )
実はですね、元気だった頃に「病院で死ぬということ」という"末期ガン患者に対して、延命措置ではなく、尊厳死を"という主旨の本の感想を母と話したことがあって、その時は「もしガンになったら病院じゃなくて家で皆に囲まれたい」みたいな事は話したことがあるんです。でも、この時は本人の意思も確認できないし、そもそも家に連れて帰る事も出来ないわけですし...こういうことはタブー視しないで話しておいた方がいいですね。 / マイケル ( 2001-02-15 11:29 )
私は安楽死賛成派かも・・・。私がその立場になったら、無理な延命はイヤ。点滴コードで生きるのはイヤ。でも周りの人間がその立場に立ったときは、本人の意思を尊重してあげたいですね。普段からそういう話しておこうっと。 / JAI@考える機会をありがとうございます ( 2001-02-15 11:14 )

2001-02-14 【家族の肖像】 植物人間って? (別にふざけているわけではないけれど...)

さて、くも膜下出血の結果、植物人間状態になってしまったうちの母ですが、この時点で僕は「植物人間」とはなんなのか良くわかっていませんでした。

僕自身も勘違いしていましたが、「植物人間」と「脳死」は別です。

前者は自分で呼吸をし、意識は無いけれど外からの刺激に対して反応を示すそうです。母は栄養は点滴で取りましたが、食物も胃まで届けば消化するそうです。

後者は呼吸もしませんし、外からの刺激に反応しません。人工呼吸機を外せば直に心臓も止まるそうです。

さて、外からの刺激、ということで僕ら兄妹は母親とちょっと遊んでみました。

肩をポンポン叩いてみて「朝だ〜起きろ〜」と言って見たり(ホントに起きたらスゴイ)、下唇を指でブルンブルンとはじいて見たり...もちろん横になったままの母親はそんな事には反応を示すはずもありません。

傍から見てると不謹慎な...と思うかもしれませんが、本人達は楽しみながらも母とのスキンシップを取っていたつもりでした。キャラ的につっこみがいのある人だったので、普段と同じような接し方をしていた、というように好意に受け取ってください。

母がちゃんと「生きている」というのを感じたのは、体をもんだり擦ったりして刺激を与えると、管から出てくる尿の量が増える事でした。まるで恩を仇で返されているような感じがしないでもありませんでしたが、目の前に横たわっているのは肉の塊ではなく、命を持ってちゃんと代謝している人間なんですね。


さて、再出血から数日経った日、心拍数や血圧のデータが一気に悪化し、「これはヤバイかも?」という状態になりました。

未明に近所に住む親戚一同が召集され見守る中、妹2号がポツリとつぶやきました。

「あたし母さんに添い寝する...」

今にも息を引き取るかもしれない、母親の横に添い寝する末っ子(まぁ成人してましたけどね)の図。涙を誘う光景じゃないですか。

ところがその5分後、いびきの音がどこからとも無く...もちろんその音の主は母親であるはずが無く...

その時、僕は思った。「コイツ、おいしすぎる...」


ダメもとで体を擦ってみようか? と誰かが提案。そこでそこにいた親戚8人くらいで、全身マッサージ状態。

そうすると相当気持ちよかったらしいのか、心拍数や血圧のデータが一気に回復! おしっこもいつもよりたくさん出しています〜(染乃助・染太郎風)ってな感じ。

なぜかマッサージしているみんなもナチュラル・ハイ状態。

おいおい、これがついさっきまでシーンと静まり返っていた病室なの? ってな感じで、チョット遅れてやってきた親戚の人が、「笑い声が聞こえてきたから部屋を間違えたかと思った」というのも納得の一コマでした。

別にふざけているわけじゃなかったけど、ホントにこんなんで良かったのでしょうか?

先頭 表紙

okkaさん、その映画未だ見てないので近々見てみようと思います。実は僕には封印していた映画が一本あります。「奇跡の輝き」。最初の数分見ただけで父親の置かれた状況と重なってしまって怖くて見れなくなりました。今なら冷静に見れるようになったのでは?と思ってます。 / 奇しくもともにロビン・ウィリアムス出演作 ( 2001-02-16 10:18 )
私も、もしも自分が植物人間になったら・・・って考えることがあります。『レナードの朝』を見ておとじろうさんと同じように感じました。自分がなってみないと、それが苦痛なのか、屈辱的状況なのか解らないのが歯がゆいですね。 / okka ( 2001-02-16 09:50 )
おとじろうさん、そこのところ僕も確信が無いんですよ。摘出した部分の脳がどういう機能を司っていたか、というのにもよると思うのですが。生きていることが実感できた嬉しさと、もう元には戻れないという絶望感がごちゃ混ぜになった気分でした。 / マイケル ( 2001-02-15 23:06 )
私もよかったのだと思います。私の想像ですが、植物人間の人はインプットはわかっても、アウトプットができないだけだと思います。外からの刺激はすべてわかる。ただ、それをわかったと自分の体で表現することができないだけだと。 / おとじろう ( 2001-02-15 14:01 )
かよちゃんさま(なんかヘン?)、ホントに不思議な感覚でした。単に触ったから反応した、と言うこと以上の"何か"があったと思いますね。 / マイケル ( 2001-02-15 11:36 )
人を想う気持ちって心も体も動かすんですね。まさしく感動です。 / かよちゃん ( 2001-02-14 13:11 )
JAIさま、はじめまして。自分でも知らず知らずのうちに美化しすぎたかな? そんな素敵な家族だなんてとてもとても... / 恐縮です... ( 2001-02-14 09:30 )
親戚の方々も含め、素敵なご家族ですね。そんな状況でも笑うことのできる皆様は、人間として大きいと思います。 / JAI@はじめまして ( 2001-02-14 09:21 )
えむさん、どうもです。「天の岩戸」じゃないけど、こちらの賑やかさにひょっとしたら意識が戻るんじゃないか、とそんなアホなことも考えたりしました。 / マイケル ( 2001-02-14 08:29 )
美奈子さん、この時は奇跡の?快復をしまして、亡くなったのは更に数日後です。まぁ、悲痛な面持ちで何日もずっと過ごせるわけではないとは思いますが、これが日常となるとどうなのかなぁ? とその時は思いました。 / 次は多分その事について書きます。 ( 2001-02-14 08:23 )
私も美奈子さんと同じ意見です。普段から明るいお母さんだったから、きっと周りが湿っぽくならなくて笑っていてくれた方がお母様も嬉しかったはずです。なんか逆にじーんときちゃいました・・ / えむ ( 2001-02-14 08:14 )
感動。すごくよかったと思います。脳死状態でも聴覚だけは機能している場合もあると聞きますし。最後までご家族皆さんで和やかに看取られたというのは、きっと物凄くいいことだったと思います。 / 美奈子 ( 2001-02-14 07:14 )

2001-02-10 【家族の肖像】 医療関係者ゆえの苦悩

身内に医療関係者がいるということは、こういう時に非常に心強いものだが、本人達にはそれゆえの苦悩もあったようだ。

今回母が救急車で運ばれたのは△△病院。当時妹2号が通っていた看護学校はこの病院内にある。市内でも有数の設備の整った大病院だし、母の希望したところでもあった。

しかし先日書いた通り、運ばれた時の検査では出血部位が特定できず、更なる検査をする為に設備や経験豊富な医師を手配する必要があった。それができるまでは薬で意識を落とし、例えばベットで暴れているうちに再出血...など、ということがないようにしていたのだ。(結果的には間に合わず、不測の再出血だったのだが)

しかし、この「手配」が都内のハイレベルの病院で働く妹1号からすると「遅すぎる」と映ったらしい。「もしこれがうちの病院だったら助かっていた」と...

主治医が病室にあまり顔を見せなかったこと、満足のいく説明をしてくれなかったのも気に食わなかったらしい。僕は修羅場を過ぎた後で、「もうだめだろう」、「運が悪かったと諦めるしかない」という状態から加わったので、気持ちの整理もついたけど、医療の現場の裏の事情までわかりすぎている妹1号には非常につらかったに違いない。

一時は病院を告訴する! なんてことも妹1号は言っていたけど、裁判に持ち込んでも医療ミスを立証できるケースは稀らしいということは本人が一番知っていたようだし、また訴えたところで、母親が回復するわけでもない。おまけに妹2号は卒業後、この病院で働くのだ。

ただ、今後同じようなことが起きないようにと、主治医をネチネチといじめていたようだけど。

ところでその妹1号が職場に状況報告の連絡を入れたときに、上司はこんなことをいったらしい。

「あなたをまっている患者さんがたくさんいるんだから早く帰ってきなさい」

それは確かに真実だろう。しかし、今日明日をも知れない実の母親をおいて行け、というのはあんまりだと思ったのは僕だけじゃないよね? 看護婦はいくらでも?代わりがいるけど娘はそうはいかないはずなのに。


【余談】

再来週、妹1号がマイアミに遊びに来る。本当は2号も休みをあわせてくるはずだったのが、休みを認めてもらえなかった。その理由が'99年のゴールデンウィーク、僕の赴任直前に家族で行ったヨーロッパ旅行で1週間強休んだからだという。

ああいうハードな仕事だからこそリフレッシュが必要なはず。 長さが問題なのか、前回の休みとの間隔のことが問題なのかよくわからないけど、「前にも海外に行ったし...」みたいな理由で却下するのはホントくだらない...

先頭 表紙

口車さま。うちの母の場合、もう少し重い出血だったら検査で発見されて、一命を取りとめていたかもしれません...本当にこれだけは運...ですかね? / 返事が遅れました... ( 2001-02-13 23:50 )
口車父も今から11年前、70の時ににくも膜下出血で倒れました。倒れたのは、千葉の市原にある大学で、そこから系列の大学の医学部病院に「頭が割れるようにいたい」ということで、車で30分かけて連れていかれました。千葉の、だいぶ田舎の方だから、このような病気に対して医療設備が整っていなかと思ったらとんでもない。後日「病院ランキング」を読んでみたら、脳外科に関しては千葉県でベスト3の病院でした。おかげで発病して30分以内だったこと、完ぺきな初期治療が受けられたことで、若干障害は残りましたが、今も元気でいます。 / 口車大王 ( 2001-02-10 23:41 )
マキコさん、どうもです。実は献血未体験...3月の一時帰国時にでも挑戦してみるかな? / その後は新宿ドトール巡りか? ( 2001-02-10 21:46 )
akemiさん、えぇわかりますとも! 1号さん、2号さん、ははは言われてみればヘンですね。 / マイケル ( 2001-02-10 21:42 )
はじめから通して読ませてもらいました。いろいろ考えさせられました。 / マキコ ( 2001-02-10 19:20 )
でも、マイケルさまの妹さんなら、あたしに下記のような印象を与えた看護婦さんのようではなかろうと、想像がつきます。(わかるでしょう?こういう気持ち=強要?)1号さん、キレものっぽい感じだし。(いや、1号さん、2号さんって「さん」づけだとなんか変!妹さんつかまえて、ごめんなさい。)(*^.^*) / akemi ( 2001-02-10 16:02 )
2号はボ〜っとしたタイプなので配属さえ代われば、上司を怒らすような事もないと思います... / 笑い事じゃないよな... ( 2001-02-10 10:12 )
ま、身内の話しなんでかなり甘くなると思いますが、1号は患者さんやご家族からの評判がいい、と先輩看護婦から聞いています。 / マイケル ( 2001-02-10 10:11 )
僕が見た限りはその病院では看護婦さんが患者さんに接する時の態度がヒドイ、と感じる事はありませんでした。 / マイケル ( 2001-02-10 10:05 )
あ、消えてる。(悲)まん中にはこう入ります。・・・看護婦の友人は「期待を持たせてもいけないから、シビアに事務的に対処したにすぎない。」と言いました。でも、その話の後、患者の家族にねぎらいの言葉をかけてはいけない、という申し合わせがあるかのような対応で、ほんとにがっかりしました。医師に牧師さまの役を求めてはいないけど、切った貼った(?!)の技術的なことだけで、「言葉」を知らないんだろうな?って思いました。 / akemi ( 2001-02-10 09:12 )
ただ、うちは父が脳いっ血で倒れて10日で逝ってしまう・・・というのを経験してましたから「でも、今お母さんは生きてるもんね!」とその後の『残された時間』を大事に過ごそう、という風に思って兄弟で傷をなめあってケアしましたが。 / akemi ( 2001-02-10 09:06 )
。 / akemi ( 2001-02-10 09:05 )
う〜ん、私は患者の身内サイドでしか、語ることはできないのですが、看護婦さんの就労状況が過酷なのはわかっていたので、病院の入り口とかでやってた「看護婦さんのお手当を国がもっと負担して、資格を持つ人が仕事にいてくれるようにし、手不足をなくしましょう」という署名に協力するくらいしかできませんでしたが、そういう慢性的な人手不足のためか、ちょっと余命いくばくもない人間をつかまえてその扱いはないんじゃないですか?という看護婦さんも多かったです。そして、医師の物言いも非常にひっかること多かったdす。 / akemi ( 2001-02-10 08:57 )

2001-02-09 【家族の肖像】 僕の役割

母が2回目の出血をして、手術中であるとの電話が未明にあった。

当時は会社から徒歩5分くらいのところに住んでいたので、朝一番で会社に行って、上司や同僚に事情を告げ、ノートパソコンを借りて、最悪の事態に備えて...喪服も持って空港に行った。

羽田から旭川に飛んで、更にタクシーで病院へ。病室に入ったときに一番最初に目に入ったのは母ではなく、そのベットの横で点滴を打っている父親だった。

そりゃ、長年連れ添ったパートナーがいきなり倒れて、そして頭蓋骨開けられて、脳の一部を切り取られて、植物人間状態であると聞いて冷静でいられるわけがないだろう。

僕は一番の修羅場を見ていない。でも母親の変わり果てた姿を見て、無責任ながら、直感的に「これはだめだろう」と思った。

その時に思ったのは、何日間この状態が続くのか判らないけど、確実にやってくる「その日」に向けて、他の人(特に父親)が消耗してしまわないように、ということだった。

幸いにもうちの妹は2人とも看護婦。医者の「口からではなく、気管に直接空気を送り込むために喉を切りますけど良いですね?」との問いに、もうそれだけで卒倒寸前の父に対し、「これは必要な処置であり、心配する必要はなく、すぐに終わる簡単なものである」ということを説明する妹1号。医者の言う事に対しては「でも...でも...」といっているのに、娘の言う事には「まぁ、お前がそう言うのなら」と、素直に従うから不思議なものだ。普通逆でしょう? 

そんな妹たちはすっかりダメ親父と化した父に代わって病院側とのインターフェースを果たしてくれた。僕も父親同様医学に関する知識は殆ど無い。宇宙人のようなナゾの言葉を使って会話をし、時にはそこの病院の看護婦さんの代わりに点滴替えたり(ホントはダメなんだろうなぁ)する妹達を見て、この時ほど心強いと思ったことはなかった。母親に見せたかった。

僕はなるべく父親を休ませるように、そして「病室にも笑いを」キャンペーンを展開する事にした。

先頭 表紙

おとじろうさま。いつぞやの美奈子さんのところにつっこんだような、家族のニキビつぶしや白髪抜きや耳掃除に熱中し、その都度「ヒョエ〜こんなん取れた〜」て言ってるだけじゃない事がわかって僕も正直ほっとしました。 / マイケル ( 2001-02-16 08:52 )
お母様も妹さん方がそこまで立派に育たれてさぞお喜びだったことでしょう。きっとどこかで感じていられたと信じます。 / おとじろう ( 2001-02-15 13:52 )
あややさん、「まさか」の時に備えて弟さんとシミュレーションしておくのは良い事かもしれません。 / マイケル ( 2001-02-10 01:10 )
たらママさま、不謹慎以前に僕の場合、諦めが良すぎたのかなぁ、と自分でも反省しております。父親の落ち込みが激しすぎたのでかえって冷静になれたのだとも思いますが。 / マイケル ( 2001-02-10 01:08 )
私も弟も両親と離れて暮らしているので他人事には思えません。身内に医療関係者がいると、精神面でも心強いですね。 / あややん ( 2001-02-10 00:02 )
私も、集中治療室で沢山の管につながれている弟を見た時、不謹慎とはわかっていても、直感でもうこれは再び元気になることはないな、と思ってしまいました。その10日ほど後に息を引き取りました。肉親をなくすと、しばらく故人の思い出も口に出せない辛い期間がありました。マイケルさんも遠く離れた所で生活していらして、いろいろ大変でしたね。 / たらママ ( 2001-02-09 22:31 )
じいさんはそのことをかなり後悔したようです。母が死んで1年後くらいにばあさんも逝きました。じいさんは僕の父と妹2号、という奇妙な三世代同居をしていますが、じいさんの日常の世話は父の妹二人が交互に見に来てくれています。 / マイケル ( 2001-02-09 22:16 )
そう、そこ結構ポイントだと思います。うちの場合3人とも独身なので、自分達の都合の付く範囲で分担できたのですけど、それぞれにパートナーがいたり子供がいたり、更にそちらの方でも問題を抱えていたりすると、思っていたようにいかないこともままあるのですよね...うちのばあさん(父の母)がこの前後体調を崩していて、その時にじいさんが、「長男の嫁(つまりうちの母)が面倒を見るものだ」なんていうものだから、本人は家事に実家の商売の手伝いに介護に...と負担だったと思います。 / マイケル ( 2001-02-09 22:11 )
長くなるので、そのうちにアップします。 / akemi ( 2001-02-09 19:33 )
うちは基本的に、仲良しですが、まん中の妹の連れが「おまえは、うちに嫁に来たんだろう」と母の介護に寄越してもらえませんでした。手のかかる小さい子もふたりいる上に、身の回りのことが出来ぬ○ホ亭主だったため、店をしながらの介護(私は子供置き去り状態、まあ、うちのはなんでも出来るので助かりましたが)を強いられ、マジに倒れる寸前でした。(母のとき) / akemi ( 2001-02-09 19:31 )
医療関係がいた点で助かったことはもちろんありますが、本人達にはそれゆえの苦悩もあったようです。 / また後程... ( 2001-02-09 15:02 )
全くその通り。これが逆だったらここまでひどくないよね(失礼!)と妹達とも良く話しをしてました。うちは兄弟仲がいいんですよ、ホント。こういう時に助かります。 / マイケル ( 2001-02-09 14:57 )
不謹慎な言い方ですが、妻が先だと本当に「夫」という人は気の毒です。こういう時、女の方が強くいられるような気がします。うちは父が脳いっ血でしたが、メスを入れられないところの出血で、開頭手術はできませんでした。ここぞという時、兄弟の存在を心強く思えるのは嬉しいような誇らしいような気持ちですね。わかります。医療関係の方がいたらほんとに救われたことでしょう。 / akemi ( 2001-02-09 09:50 )

2001-02-09 【家族の肖像】 遺影と遺骨とムッシュからのお花


親父から写真が送られて来ました。

何も指定しなかった僕が悪いので、お花だけではなく、遺影と遺骨と一緒に収まっていましたが、そのまま加工せずに載せます。

死んだのが3年前なのになんでまだ遺骨が家にあるのか、そして遺骨の横のパスタの入れ物みたいなものは?

それもそのうちここに書いて行きます。

先頭 表紙

おとじろうさま、ありがとうございます。今父は別な意味でいい味出しまくって家族一同困っています(実は嬉しくもあるのだけれど)。 / マイケル ( 2001-02-15 23:24 )
15日のつっこみのあと、戻ってまいりました。そう思うと、マイケル様のお父様がお撮りになったムッシュ様のお花の写真、味がありすぎです。 / おとじろう ( 2001-02-15 14:09 )
友さん、祈りの言葉ありがとうございます。 / マイケル ( 2001-02-09 14:53 )
美奈子さん、ありがとうございます。母は花がとても好きだったのできっと喜んでいると思います。 / もちろんムッシュにも大感謝。 ( 2001-02-09 14:50 )
地上に残されたご家族の方々の上に主の慰め、主にある再会の希望が信仰によって豊かに与えられますようにお祈りしています。 / 友 ( 2001-02-09 08:19 )
美しい人生を送られた人に、美しい心の花を。合掌。 / 美奈子 ( 2001-02-09 06:55 )

2001-02-08 【家族の肖像】 再出血

母が最初に倒れたのは1月19日の夕食後、洗い物をしている最中のことだそうです。

その頃の僕は出張で韓国にいました。週に1回くらいは実家に電話するのが習慣になっていて、たまたまその日にも電話したのですが、誰も出ませんでした。その時は近所に住む親戚の家にでも遊びに行っているのだろう...などと思っていたのですが。

その週の状態としては、命に別状は無いのでしばらく様子見、という感じで、他の家族としても出張先にわざわざ連絡しなくても...と思っていたそうです。

実際、1回目の出血は軽かったため、検査でも出血の部位を特定できず、頭を開いて手術をするにはリスクが大きい...とのこと。

出張から戻って留守電に母が倒れた旨のメッセージを聞いて、帰省中の上の妹(僕の妹は二人とも看護婦。上は都内の病院勤務、下は当時看護学生でした。)に連絡を取ったところ、

「今はとにかく小康状態、更に精密な検査をする為には、設備や経験豊富な医者が必要でその為の準備を整えている。薬で意識を落として再出血を防止している。」

とのことでした。妹も一旦、仕事の為に戻ろうとした矢先、致命的な再出血が起きました...

(この項続きます...)

先頭 表紙

2001-02-07 【家族の肖像】 1998年2月4日

「Floridian Life」復活のきっかけの一つであり、「旅の恥は書き捨て」で中途半端に前振りをしておいた出来事について書こうと思います。

表題はうちの母親が亡くなった日です。56歳でした。原因はくも膜下出血。

マイアミに来てからは、その日になかなか都合をつけて帰る事も出来ないので、お花を送ることにしています。

今回はムッシュ氏のHPからオーダーを入れさせていただきました。

妹たちは感銘を受けたようで、僕もどんな感じなのか気になっているのですが、親父がなかなかデジカメ写真を送ってくれません...

写真が届いたら追加します。ホント、なんて中途半端なページなんだ。

(この項しばらく続きます)

先頭 表紙

親父からメールが...「さっき写真添付でメールを送りましたが操作を間違えたみたいです、ちゃんと届いていますか?」との質問... 心配だったらつべこべ言わず送りなおせ〜 / んなわけで、写真未だ届いてません... ( 2001-02-08 01:54 )
口車さん、うちの母親も亡くなったのは病院ですが、新築して完成したばかりの家で(畳はないけど)死にたかったろうな、という感じがしています。 / こちらは幸いにも家族皆で見送りました ( 2001-02-07 22:52 )
akemiさん、何だか離れて暮らしていると、ひょっとして電話した時に出るんじゃないか? とか、帰ったらいるんじゃないか? とかそういう気分になることがあります。 / マイケル ( 2001-02-07 22:49 )
ムッシュ! お世話になりました。流石にメールで名乗るのはちょっと恥ずかしかった...だってムッシュ以外のスタッフさんが最初に読むかもしれなかったし... / 親父〜 写真〜 ( 2001-02-07 22:35 )
ちなみに、命日は2月10日です。 / 口車大王 ( 2001-02-07 22:34 )
口車の祖母も、最後は東伊豆の病院で息を引き取ったのですが、危篤との連絡で病院へ飛んでいったときは小康状態で持ちこたえ、その1週間後すっと消えるように亡くなりました。したがって、臨終の場に家族がだれもいませんでした。 / 口車大王 ( 2001-02-07 22:34 )
亡くなった身内のことを、思い出すのが供養なんだよね。離れていたって思うことはできるものね。母上は空の上からマイケルくんを見守ってるよ。心配かけないように元気でがんばるのだ。(*^.^*) / akemi ( 2001-02-07 19:33 )
みずくさいな〜最初は誰だかわからなかったですよ・・・・!ありがとう〜ございました! / ムッシュ ( 2001-02-07 09:12 )

2001-02-04 【日常】 サッカー USA vs Colombia を観戦

土曜日、昼頃にのんびり起きて、新聞のスポーツ欄を見たらこんな記事が載っていた。

「サッカーのUSA代表、W杯最終予選に備えた調整の為に、Colombia代表を迎えて試合を行う」。へぇ〜面白そう...え、今日?

会場のオレンジ・ボウルは家から車で20分。実はここで新年早々、W杯の一次予選で勝ち点どころか得失点も並んだGuatemala代表とCosta Rica代表の最終予選への進出をかけた決定戦が行われた場所でもあるのだ。(その時は残念ながらPeruに旅行中でした。)普段は大学のアメフトやる場所なんだけどね。

アメリカってMajor League Soccerってのもあるんだけど、あまり盛り上がっていない。ここではどうも女の人のスポーツ、っていう広がり方をしているような気がする。99年の女子のサッカーW杯がアメリカで開催され、中国を下して優勝した時の盛り上がりといい、例えばTVのCMとかで子供がサッカーをやっているシーンは殆ど女の子だったり。

男子サッカーなんて人気はアメフト、野球、バスケット、アイスホッケーの足元にも及ばない...それでも地元開催の94年のW杯ではしっかり決勝トーナメントに出ているし、シドニー五輪では日本を下している。(シドニーにいながら何にも映像を見ていないが...) よし、その実力をこの目でしかと見届けようではないか!

しかし、試合以外に実はもう一つのお楽しみがあったのだ。初期からの「旅の恥は書き捨て」読者にはお馴染みの鳥オヤジだ。ひょっとしたら感動の再会があるかも? オヤジと一緒に撮った写真を持参でスタジアムに駆けつけた。もちろんプレゼントする為に。

思いがけない工事渋滞などで前半20分過ぎたくらいでの入場。試合そっちのけでオヤジを探すが...いない...(;△;) やはり調整試合程度ではわざわざやってこないのか〜残念!

Miamiは中南米からの移民が人口の大半を占め、場所によっては英語が通じないというとんでもない街。案の定、客席の大部分がColombia国旗の黄色で埋め尽くされている。「コ〜ロンビア!」の大合唱、黄色いウェーブまで起きている! アメリカサポーターは一体どこに? おまけにアレパ(ColombiaやVenezuela人の主食。トウモロコシで作ったパンにチーズが挟んである。ホカホカで美味!)の売店まで!

つまり今日、アメリカ代表は自国にいながらにしてアウェーなのだ。そんな馬鹿な...ま、それも狙いなのだろうけど。

試合は前半はくそつまらない展開。お互いにパスが全然繋がらない。追いつめられて苦し紛れにボールを蹴ったら敵に渡る、みたいな。高校生でももっとマシなんじゃないの? ってな感じ。ところが後半になったら別なチーム?って思うくらいにColombiaのパスが面白い様に繋がる。後半8分頃にColombiaが均衡を破る1点を先取。その後も良い感じで攻めて行くがシュートまでなかなか持ち込めない。

後半の真ん中あたりからはアメリカがボールを支配する時間が長くなるけど、どうも攻めきれない。シュートどころかセンタリングすら打てない。唯一の決定的チャンスもGKのスーパーセーブに阻まれ、このまま終了。

Colombiaは最後まで攻めの姿勢を持っていたところが好感触。一方アメリカは度々オフサイドトラップが決まるなどディフェンスの統率力ではColombiaを上回っていたけど、攻撃面で課題多すぎ。今回どのくらいのメンバーが戦線離脱しているのか解らなかったけど、今日見た限りではどちらも日本の相手にはならないような気がしたなぁ。FIFAのランクではColombiaは15位、USAが16位。日本は40位ですけどね...

先頭 表紙

TAKEさん。半分を折り返したW-cupの南米予選で今6位。南米は4位までが本選出場、5位はオセアニアの1位チームと決戦...という感じなので、このままだとヤバイですね。 / ちなみにチリは7位、絶望的 ( 2001-02-05 01:03 )
あの有名な「鳥オヤジ」!! さすがマイケル様だ! コロンビアといえばかってはバルデラマを擁し結構な強豪でしたが、最近は低迷してるんでしょうか…。 / TAKE ( 2001-02-04 18:37 )

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