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口車大王「旅のおもひで」

 
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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-03-15 [英國]大英博物館の招き猫
2003-03-13 [英國]Russel Hotelのトイレ
2003-03-12 [英國]Russel Hotel - Le Meridianは野村グループ
2003-03-12 [英國]Thai Restaurant 「山」
2003-03-11 [英國]Pub The Ship Anson
2003-03-10 [英國]港内クルーズ
2003-03-09 [英國]教育というもの
2003-03-07 [英國]産業革命の証人、戦艦Warrior号
2003-03-06 [英國]驚き!戦艦Victory号とネルソン提督
2003-03-06 [英國]Portsmouth Historic Dockyard


2003-03-15 [英國]大英博物館の招き猫


 ロンドンに着いた日の午後は、Mさんと二人で大英博物館へ。ホテルの目の前にあるのに、行かないわけにはいきません。

 はてさて、口車、大英博物館を訪れるのは、かれこれなんと30年近くぶり。昔はお金を取られた気がするのですが、入場料無料。大英帝国、太っ腹です。

 建物の外側の変化はありませんでしたが、中に入ると大きく変わっていました。入り口を入るとすぐ中庭の部分に突き抜けるのですが、ここに今は大きなガラス張りの天井が張られ、真ん中にミュージアムショップができています。ルーブルもそうですが、最近ヨーロッパの名だたる美術館・博物館がリニューアルをしていますが、大英博物館も例外ではありません。しかし、スペースをうまく使っているな。

 今日は、Queen of Shebaの特別展示をやっていて、そもそも大英博物館のエジプト・アラビアのコレクションはすごいものがありますから、そっち方面の展示室へ向かいます。

 それにしても、エジプト関係の展示品はすごいですね。高さ5メートルはあるかと思う石の門まであり、こんなものよくロンドンまで持ってきたものだと思います。そして、ここに来たらロゼッタストーンはやはりはずせません。通路のど真ん中の目立つところに、ケースに入れられて展示してあります。そして、これでもかという展示品の数に、だんだん見るのに疲れてきてしまいます。

 続いて、隣り合わせの貨幣の展示コーナーに移動したのですが、日本の大判、小判も展示してあります。世界中の貨幣集めて系統だって展示しているというのは、イギリス人の国民性としての収集・整理能力が如実に現れているところでもあります。

 3時間ほど歩き回って、もちろんとてもではないですが、そんな時間で博物館のすべてを見てまわれるわけはありません。あまりの展示品の迫力に圧倒されて疲れてしまったのと、夕食にでかける集合時間が迫っていたので、展示を見て回るのを切り上げて、ミュージアムショップに立ち寄ります。

 ところで、今回はエジプト・アラビア関係を中心に見て回りましたが、大英博物館は日本関係の収集品でも質が高いので有名です。そうしたら、ショップにも面白いものを売っていました。

 招き猫。

 これは収蔵品の複製なのでしょうか、それとも日本で現在も作られているものを売っているのでしょうか。聞くのを忘れましたな。こんなに表情のよい猫は、日本でもなかなか見かけません。

 つづく
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をを、1000円近くも!寄付金ボックス気がつかなかったな。昔は、1ポンド1008円だったが。 / 口車大王2号 ( 2003-05-18 15:26 )
大英博物館,入り口で寄付募ってましたよね.5ポンド入れてきた覚えが. / 八百八六助@太っ腹 ( 2003-05-04 08:18 )
そそそさま、よござんしょ。思わず買いそうになったけれど、お金とスペースが。。。 / 口車大王2号 ( 2003-05-02 09:27 )
金運BIG・・・ぷぷぷっ(笑) / そそそ ( 2003-03-21 21:16 )
レイさま、mummyはこれでもか!っちゅうくらいいました。まさか、後世、自分の亡骸が衆人にさらされるとは思わなかっただろうなぁ。 / 口車大王2号 ( 2003-03-17 20:00 )
スーパーしえろさま、ほんとこの棚のところだけ、ほのぼのしておりました。 / 口車大王2号 ( 2003-03-17 19:59 )
tomohikoさま、いやいや、大英博物館の学芸員の感性に脱帽です。 / 口車大王2号 ( 2003-03-17 19:58 )
エジプト関係といえばレイの大好きなmummyもいました?盗品戦利品の寄せ集めなどとも言われていますがあの規模はやっぱり圧巻です。全然日本美術がわからないレイでも日本のコーナーはちょっと誇らしくなりますし、インドのコーナーを見るとちゃんと世界史勉強しとけばよかったという気になります。あ〜〜次にいけるのは何年(何十年?)先でしょう。 / レイ ( 2003-03-17 11:10 )
大英博物館の威風堂々と、招き猫(それもけっこう最近っぽい?)のほのぼの。なんともミスマッチでよか〜。 / スーパーしえろ ( 2003-03-16 10:58 )
もはや日本でも探すのが大変な招き猫がイギリスにあるんですね。ビックリです。 / tomohiko ( 2003-03-15 14:41 )

2003-03-13 [英國]Russel Hotelのトイレ


 恒例のトイレシリーズです。

 トイレの造作ひとつとっても、お国柄は出るものですね。ここ、ラッセルホテルのトイレは、あまりあか抜けた感じではありませんが、重厚な感じがします。ちょっとにおいが立ちこめていたのがいただけませんが、近日中に改修されるでしょう。

 つづく
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しんちゃんどの、お返事遅れました。おしゃれという点では、ノーベル賞受賞者もここでおしっこするこちらの方がおしゃれかもしれません。 / 口車大王2号 ( 2003-05-02 09:31 )
トイレひとつみてもお洒落な気がしてならないのは僕だけでしょうか。 / しんちゃん@人民用トイレもある意味・・・ ( 2003-03-22 10:33 )

2003-03-12 [英國]Russel Hotel - Le Meridianは野村グループ


 9月16日

 ロンドンに向かって10時過ぎに出発。ホテルのご家族全員で見送りです。ここのホテルはまた泊まってみたい。

 ロンドンからポーツマスへはアンバレーに寄るため一般道を来ましたが、帰りはモーターウェイM27をいったん西へサウザンプトンまで行き、そこからM3を北上。サウザンプトンはタイタニックが処女航海へと出発した港です。

 M3経由だとちょっと遠回りなのですが、M27とM3のジャンクションまで出発してから20分ほどで到着。M3に入って快調に飛ばします。ロンドンから西へ向かうM4は単調な道なのですが、M3は変化のある道です。気が付いたらポルシェに追いついている。ポルシェに道を譲ってもらいました。メーターは100キロを指しています。ん?イギリスだからマイル?

 M3の終点でそのままA316を進み、テムズ川を渡ります。もうロンドン市内に入っていて都心(バッキンガム宮殿?)から15キロほどのところなのですが、テムズ川の川幅が驚くほど狭い。ロンドンの西のはずれで一気に川幅が狭くなっているようです。ここまでは1時間少々で着いてしまいました。

 A316はA4と合流し、Hummersmith、South Kensingtonと街中を走り抜け、Knightsbridgeのハロッズの前を通過します。ここら辺りまでは渋滞もなく順調に来たのですが、そろそろ車の流れが渋くなります。Piccadilly Circusの辺りでは全く動きません。おっと道を右へひとつ間違えてしまいました。その先は一方通行の嵐。この辺は東京と変わりません。Sohoのど真ん中を走り抜けて、なんとか軌道修正したけれど、今度は西へ寄り過ぎ。ロンドン大学の裏手から走り抜けて、なんとか目的地のRussele Squareに到着。やれやれ。M3を降りてから、1時間もかかってしまいました。

 ロンドンの宿泊先のRussele HotelはこのRussele Squareに面していて、真向かいはロンドン大学です。そしてそのちょっと奥に大英博物館があります。外観は夕方撮ったので黄昏れていますが、風格のあるホテルです。このホテルは元々Principal Hotelsというグループの所有でしたが、Principal Hotelsを2001年に野村アセットマネジメントが買収し、続いてLe Meridianを買収してLe Meridianに統合しました。そして、現在Le Meridianのブランドでホテルを改装中で、改装前の古い設備の部屋をディスカウントで提供していました。

 ロンドンのホテルは外観はすごいけれど、高くてぼろいというので有名ですが、このRussel Hotelもまさにそういうホテルだったようです。今回ディスカウントで泊まった部屋の設備は、正直言って高級ホテルの設備とはほど遠いもの。他の人たちの改装後の部屋も覗いてみましたが、格段に良くなっています。

 それにしても、Le Meridianが野村の傘下だとは知らなかった。

 つづく
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レイさま、過去形ってこともないでしょ。ちなみに、ロンドンはほんとに高くてぼろかった。それで高級ホテルはだいぶ敬遠されたようで、野村がPrincipal Groupを買収したように、経営はよろしくなかったようです。悪循環なんでしょうね。だから、最近はディスカウントがすごくて、やっと1万円そこそこで泊まれるようになりました。インターネットでのホテル予約は、ロンドンが一番競争激烈ですね。 / 口車大王2号 ( 2003-03-13 22:48 )
ロンドンのホテルってこういう一流と言われるところはほんとに高い!でも近代的ではないし・・・そこがいいのかと思いつつもいつも安宿ばっかりでした^^;一度はトライしてみたかったなぁ。高級ホテルではアフタヌーン・ティーするのがせいぜいでした。 / レイ ( 2003-03-13 19:32 )

2003-03-12 [英國]Thai Restaurant 「山」


 この日の夕食は、South SeaのSouth Pierのすぐそばの、海岸に面したタイ料理屋さん。看板が「山」の文字なので日本料理屋かと思ったら、タイ料理屋でした。ウェイトレスのお姉さんに由来を聞いたら、オーナーがつけたそうで彼女もしらないそうです。中国系のタイ人でなかったらわかるわけないですね。

 店内はモダンな造りで、いわゆる伝統的なタイの装飾では全くありません。そういう、モダンな感じを狙ったのでしょう。お客も、近所の割と若い人たちが多いようで、最先端のスポットとして定着させようという、経営者の意図が見えます。

 90年代に入ってイギリスでもタイ料理が大ブレークしたのですが、South Seaにもタイ料理屋があるのは驚きです。日本料理屋はないですから。

 それにしても、ウェイトレスのおねえさん、英語がうまかった。イギリスに10年いるそうです。

 つづく
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2003-03-11 [英國]Pub The Ship Anson


 Historic Dockyardを後にし、Dockyard目の前のPub The Ship Ansonに行きます。Ansonとは、第一次大戦時に建造されたAdomiral級の戦艦の1隻の名前です。

 名前もそうですが、場所柄海軍ゆかりのパブで歴史もあるのですが、ご他聞に漏れず、ここも大型のテレビが据えられていて、サッカーのゲームをがんがん流しています。小説家Nさん「いいパブがある!」と言っていたのですが、ちょっとがっくり。

 つづく
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しんちゃんどの、まあ、今やイギリスのパブにもカラオケがあるくらいですからねぇ。ただ、静かに飲みたいときはうっとうしい。つい最近、四谷駅から徒歩5分のところにRising Sunという、ナイスなパブを見つけました。ギネスが生でないのがちっと悲しいが。 / 口車大王2号 ( 2003-03-12 18:05 )
上海にいるイングランドの人たちも週末はパブでサッカーを見るのが好きだといいます。僕的には部屋でこっそりと見るのが好きなんですが。「オマリーズ」つう三年連続で上海ベストパブに選ばれたところは年齢層も高めでいい感じです^^でも高い・・・・。 / しんちゃん ( 2003-03-12 14:58 )

2003-03-10 [英國]港内クルーズ


 昼食をとってから、港内クルーズの観光船に乗ってみます。船着き場はWarrior号の隣。船は出航するとすぐに右に曲がり、Victory号を遠めに見ながら進んでいきます。やがて、護衛艦または駆逐艦のような船が見えてきます。我々の船の左舷を、ノルマンディ行きのフェリーがすれ違っていきます。ここは軍港でありながら、こういう民間船も発着しているわけです。

 右手奥に砕氷船とおぼしき船を眺めていると、前方に空母が視野に入ってきます。空母が入港していたのは、ラッキーかもしれません。イギリスの艦載機は、垂直離着陸機のハリアーが中心のせいか、飛行甲板の形状がアメリカ海軍のものと異なっており、舳先が上にそり上がっています。船内の説明でも、「アメリカのより効率がいいんだぁ。」なんてことを言っていて、その瞬間、見学者が「ウォー!」と腕を突き上げて盛り上がっていました。空母の横を通ると、写真では分からないのですが、乗務員が釣りをやっていました。そして、遊覧船に向かって手を振ってくれています。

 船は、反転して戻り始めます。軍港の反対側はヨットハーバーになっていて、風景は一変します。別のフェリーが出航していくのも見えます。

 そして、出発地点へ戻ってきたのですが、スウェーデンの帆船が入港しているのが見えました。Historic Dockyardとはいえ現役の軍港なので、こんなところに停泊しているのも驚きです。スウェーデン海軍署風の船なのでしょうか。そして、Warrior号の後ろを回り込んで、出発した桟橋に戻ります。Victory号の船尾の旗は白地でしたが、Warrior号は赤くなっています。これは、軍籍がなくなった船か、その他の船であることを示しています。

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Portsmouth Historic Dockyardについて、詳しくはこちら。 / 口車大王2号 ( 2003-03-13 19:27 )

2003-03-09 [英國]教育というもの


 Warrior号を見学してから、構内のカフェテリアで昼食。隣で顔を迷彩色で塗った小学生の集団が昼食を取っていました。そのうちの一人が誕生日で、特別に作ってもらったケーキでお祝い。

 さて、この子供たちを見て考えさせられてしまいました。

 この海軍工廠には、ヘンリー8世の時代の軍艦から、Victory号、Warrior号と展示され、さらに現在の軍艦を港内で見ることができます。こういう施設を見学することによって、小学生のうちからイギリスという国に対する帰属意識が養われ、国を守るということはどういうことか、意識の底に植え付けられます。

 日本で、同じようなことをやったらどうなるでしょうか。必ずどこかから、異を唱える声が出てくるでしょう。こういう施設を見学することと軍国主義につながるということは、全く別の次元の話なのですが、そういうことが理解されないのが日本の現実でもあります。軍艦など軍備を見せ、なぜこういうものが必要なのか、できることなら使わずに済むにはどうするべきなのか、そこをきちんと教えなければいけない。しかし、異を唱える人たちの頭の中には、隠すことしかありません。隠すということは知らないでいることになり、それは自分さえよければ良いという考え方につながっていくものです。

 一番下の写真は、士官クラブ。ここは士官クラスの軍人の社交場でもあります。今の自衛隊にも、このような施設はあるのでしょうか。

 つづく
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しんちゃんどの、こういう話しになるとすぐ右翼だとかなり、ちゃんと説明しない、すなわち教育しないと言うのは大問題なんですね。もっとも、こういう話しになるとちょっとご遠慮したいと言うわけのわかんないのがいることも事実なんですけれど。あ、それは右も左もいますね。例えば、年間の軍事費、中華人民共和国より日本の方が多いなんて言うこと知られていないし、10年くらい前だと、東京都の年間の予算と中華人民共和国の年間の予算が等しかったのです。 / 口車大王2号 ( 2003-03-12 18:03 )
たしかにその辺への話になると日本人の大人の人たちは教えてくれませんが。僕チンは右側の人ではないのですが「知りたいと思う」ことは自然なことだと思うしそれについての教育もすこし考え直してもらいたいものです。 / しんちゃん ( 2003-03-12 15:00 )

2003-03-07 [英國]産業革命の証人、戦艦Warrior号


 Victory号の見学に続いて、戦艦Warrior号を見学。

 この船は1860年の竣工で、Victory号が純粋に帆船だったのに対し、蒸気機関を持つ蒸気帆船です。

 Victory号がトラファルガ海戦で勝利を収めてから約50年後、この船は竣工するわけですが、Victory号と比べると、驚くほど近代化しています。まず、船体が金属製になったこと、天井が高く居住空間が格段に快適になったことなどです。もちろん蒸気機関がついています。

 この船はヴィクトリア女王の時代建造されており、それはまさに産業革命のど真ん中でした。産業革命がなぜ「革命」と言われるのか、こうして産業革命以前の軍艦とその時代の軍艦を比べると、はっきりとわかります。この時代に建造された貴重な軍艦として、Warrior号は保存されています。

 しかし、この船は不運な船でした。技術的に中途半端な船だったのです。この船が建造されてから10年後には、軍艦は帆船でなくなり、エンジンのみで動くようになりました。すなわち、あっという間に時代遅れになってしまったのです。

 その後、Warrior号は軍籍から抜かれ、民間に払い下げられます。そして、油層船として使われたり、浮き桟橋として使われたりして、ぼろぼろになっていました。しかし、奇跡的に解体されず、ずっと現代まで残ったのです。そして、Warrior号の歴史的意義を認めた保護団体が復元作業にかかり、1990年代に入ってかつての姿が蘇り、現在の場所で繋留されて展示されています。

 つづく
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しんちゃんどの、産業革命が起きるまでの変化は、それはゆっくりとしたものでした。産業革命以後の技術の進展は、すさまじいものがあります。この10年を見ても、10年前にインターネットなんてごく一部の研究者のためのものでしかなかったし、WWWなんてものもなかった。携帯電話をだれもが持つようになるなんて想像もできなかったし、さらに電話で写真を送るなんてことも考えられなかった。 / 口車大王2号 ( 2003-03-09 21:07 )
当時の50年と現代の50年ではいろいろと違うものがあるのでしょうね。あと50年後にはどうなっているんだろう、いろいろと。。 / しんちゃん ( 2003-03-08 19:08 )

2003-03-06 [英國]驚き!戦艦Victory号とネルソン提督


 Portsmouth Historic Dockyardの展示で目玉の一つは、戦艦Victory号です。

 戦艦Victory号は、1805年10月21日、ジブラルタル海峡北西のトラファルガ(Trafalgar)岬沖において、イギリス艦隊とフランス・スペイン連合艦隊との間で行われたトラファルガー海戦で、旗艦でした。この海戦でイギリス海軍は決定的な勝利を収め、結果としてナポレオン1世の英本土上陸攻撃を阻止し、現在に至るも、ジブラルタルがイギリス領となりました。ナポレオン1世の凋落のきっかけともなった海戦です。

 イギリス艦には損害がありませんでしたが、ネルソン提督は勝利を目前にしてフランス兵に狙撃され、戦死しました。

 歴史上有名な海戦で、歴史の授業でも習いましたが、実際に約200年前の戦艦が目の前にあるというのは、感慨深いものがあります。しかも、驚いたことに、船尾にイギリス海軍の旗が翻っているのが見えますが、白地の旗は、この船が現役の軍艦であることを示しています。すなわち、現在はドライドックに入れられていますが、Victory号はドックに水を入れればすぐにでも出航できるように整備されています。今でもVictory号は、イギリス海軍No. 1の現役軍艦なのです。

 Victory号の内部は時間を区切って30人ずつくらいで、ガイドとともに見学できるようになっています。艦内は写真及びビデオ撮影禁止。中に入ってみてその理由はわかりました。天井が低くて、背の低い口車でも中腰でなければ歩き回れないのです。これでカメラとか構えて歩き回ったら危なくてしようがありません。

 艦内に入ってすぐ、これからのガイドの注意事項があって、その時に「英語以外の解説書必要な人いますか?」とガイドが見学者に質問します。あるわけないよなという雰囲気で小説家Nさんが、「日本語!」と言ったら、なんとなんと、日本語の説明のファイルが出てくるでありませんか。びっくりしました。一応、外の案内版にも日本語はありましたけれどね。

 実際に見てみないとわからないことって世の中多いものですが、Victory号もおどろきの連続でした。前述しましたが、とにかく天井が低い。環境劣悪なんてものではありません。

 当時の水兵は、ごろつきとか犯罪者とか、強引に徴用して使っていました。だから、ロープの鞭を使ってぶっ叩いて仕事をさせていました。ですから、士官と水兵の間には、歴然とした差がありました。今だったら考えられないですね。

 そして、面白いのはトイレの位置です。究極の水洗トイレなんですが、それは舳先の左舷にあります。写真右下の船飾りのすぐ脇ですね。

 さらに、ネルソン提督の身長。彼は168センチしかありませんでした。士官のベッドは箱形で、それはイコール棺桶にもなっていました。戦死すると、ベッドを棺桶にするのですね。そして、彼が狙撃されて戦死したときの年齢は、なんと47歳でした。もっとずっと年行っていたのかと思っていたのすが、大変驚きました。

 だいたい、今でもこの船が現役であると言うことが、最大の驚きです。

 つづく
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tomohikoさま、しかもですね、軍籍はまだ現役の船なんですね。それが驚きです。ここでは、ヘンリー8世の時代の軍艦、ヴィクトリア女王の時代、すなわち産業革命の頃の軍艦と見ることができ、軍艦、すなわち工業技術のの時代の変遷を知ることができます。 / 口車大王2号 ( 2003-03-07 13:48 )
200年前の船が今でもきちんとメンテナンスされているなんて驚きです。大切にしているのでしょうね。素敵なことです。 / tomohiko ( 2003-03-07 02:02 )

2003-03-06 [英國]Portsmouth Historic Dockyard


 9月15日

 Portsmouth Historic Dockyardを訪問します。Dockyardとは海軍工廠のことで、historicと言っても、海軍工廠として現在も使われています。その一部が海軍ゆかりの軍艦や記念物の展示場になっていて、軍港内を遊覧船で見てまわれるようにもなっています。

 写真ではそんなに人がいるようには見えませんが、平日だというのに、結構観光客が来ていました。この日は、日本人は我々以外に一人しか見かけませんでしたが、案内表示に日本語があるので、かなり訪問しているようです。

 引退した水兵さんが、ロープワークを実演していました。話をすると、かつて軍人であったことを誇りとしていることが、ひしひしと伝わってきます。祖父の軍服姿の写真を見せたのですが、しみじみと見入っていました。

 この元水兵さんの説明によると、右下の絵は、海軍刑務所に終身刑で服役した服役囚が描いたものだそうです。

 定かではないのですが、祖父もここを訪れた可能性があるのかと思うと、感慨深いものがあります。

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