母が余命宣告された期限の9月がやってきました。
でも、まだまだ生きて居そうですよ?
8月のケアマネージャーさんとの面談で「お孫さんにはしょっちゅう会えるし、考えようによっては今まで生きてきた中で一番お幸せじゃないですか?って言われて。翌日。「今まで生きてきて今が一番不幸だわ。」と言い出したりしてたけど。
好きなお料理もできないし、誰かにつくってあげるのが楽しかったのにそれもできないから生きていても楽しくない。早く死にたいって。
まあ、抗がん剤の投薬治療をしている3週間の間は食欲も気力もないから毎回こんな感じですけどね。
それが先々週の日曜日、高校生の次女が行ったときに「この間TVでカップ麺の特集をやっていたので気になったから買ってきて。」と頼まれて一緒に食べて。それ以来カップ麺の沼にはまってしまったようで、今は毎日カップ麺を食べています。最初は食べられるものが出来て良かったなぁと思いましたよ。
発病後、初めて「お昼ご飯を選んで作る楽しみ」ができて嬉しそうな母に良かったと思う反面、火の消し忘れの心配が出てきましたけど。一応、やかんの水がなくなると自動で消える機能はついていますが。
でもそれが続くと。
この間は、私が夕食に家族の思い出の「おぎのやの釜めし」を持って行ったのですが、5時頃に「ちょっとお腹が空いたからおやつにカップ麺食べるわ。」と言うので、「食欲が出てきたのは良かったね〜。じゃあ、もう夕食にしちゃって、カップ麺は夜にお腹が空いたら食べたら?」と言ったのですが、「夕食くらい入るわよ〜。6時半ね。」と押し切られ、カップ麺をすするのを見守ることに。その後おしゃべりして「あー。もう6時だから食前の漢方飲むわ〜。」と飲んだ母が6時15分に横になってしまい、そのまま寝てしまったので、起きるの待っていてもなんなので私は帰宅してしまったんですね。
翌日行った大学生の長女に確認してもらったところ、冷蔵庫に丸々釜めしが残っていたそうです。
母の歳と病気を考えたら、食べたいものを食べたいときに食べたら良いとは理解しているのですが。
思い出の味の「おぎのやの釜めし」がカップ麺のために捨てられてしまうのは悲しかったです。
今日もリハビリ終わった1時に、一緒に昼ごはんを食べて昼寝。起きてきたので「明日の朝ごはん買ってくるね。」と私が出かけ15分後に戻ったらカップヌードルを作って食べてました。4時ですよ?
「ちょっとお腹空いたからおやつに食べてるの。今まで食べた事ないのにね。昨日初めて食べて美味しかったから。」と言っていましたが11日連続カップ麺。下手すると昼夜カップ麺になってしまうので家族が一緒の時はマトモなモノを食べてもらうようにしているのに、結局マトモな食事は残して、たった15分目を離したすきに、おやつにカップヌードル。ずるずると麺をすすっている姿にイライラが止まらなくて。
でも、怒らない、怒らない。深呼吸して笑顔。
介護は我慢の連続ですね〜。
※そして、我が家のおやつ代も跳ね上がる〜。カップ麺ならぬカップケーキ。 |