その日は雨でした。
お見舞いに行く約束をしていたのだけど、その週はもう既に3回も実家に行っていたし、幼子を二人連れてざぁざぁ降る雨の中を出かけるのがおっくうで、「明日でいいや。」なんてのんびり構えていたけれど。
母からの「高熱が続いて。呼吸がくるしそうなの。」との電話で全ては動き出しました。
二人に急いでレインコートを着せ、電車に乗ってのお出かけ。
いつものようにケイを抱きあげてベッドの上のその頬を一緒に触れた時。その熱さに思わず手を離してしまいました。
辛そうな、荒い息遣い。
父はまだ一所懸命生きようとがんばっていました。
「顔だけみたら帰って。」と言う母に。
ラッシュを理由に夕食まで居座りました。
多分、父の意識はもう遠のいていて、何もわからないのかもしれないけれど。
せめて。みんなで食事をするのが大好きだった父に、妻と娘と孫たちの団欒を聞かせてあげたかったから。
最後の記憶が、大切な家族たちのそんな笑い声だったらいいじゃないですか。
納得してくれたのか、それが運命だったのか。
私たちが帰った4時間後。父は息を引き取りました。
お医者様が帰った直後。
妻ひとりに看取られて。
末期癌患者の逝き方として。
いろいろ考えることはあるけれど。
病院でたくさんの機械につながれることもなく。
自宅で。
妹たちや娘、孫が入れ替わり立ち代わり会いに来る、そんな50日あまりを過ごしたあと。
3日間だけの高熱で逝く。
まあ、悪くない最後だったんじゃないかと。
勝手に思っています。
私自身は父にしてもらうことは全部してもらったあとだし。
父もこれ以上、何も私に望んでなかったし。
だた一つ、心残りなのは。
「お正月にみんなで温泉に行きたい。」と言ってた父の希望を叶えてあげられなかったこと。
私が計画して強行したらできないことはなかったのに。
「もし、病院から離れたところで病状が悪化したら私の責任になる。」と言う母を説得できなくて。
それでもいいじゃない。本人が是非にと望んでいるのだから。そう思ったのに。
実際に介護できない私に言う資格はないと諦めてしまったことを。
2月末に退院してすぐの頃。
もうほとんど食事が喉を通らなくなっていたのに。
「春休みになったらアイとケイ連れて温泉いきたいなぁ。そのために食べて体力つけないとな。」と私たちの前で一所懸命食べていた父。
バスをチャーターして家族みんなで支えれば、温泉くらい、いつだって行けたのに。
きっとそのことだけは一生後悔するような気がしています。
※父の最後のお誕生日に送った花束。 |