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口車版「雑学の泉」

 
なんで,こんなにいろいろなどーでもよいこと,知っているのでしょうかねぇ。



口車筆無精乃介、IT業界を語る  口車大王「旅のおもひで」

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-01-28 [近況]口車家の雪景色
2001-01-27 [旅行記]帰ってまいりました日本へ、日本と言ったらやっぱ富士山
2001-01-26 [雑感]口車、JAVA携帯電話にがっくりする
2001-01-25 [旅行記]機内食、それは謎のカップラーメン
2001-01-22 [旅行記]続 口車、「そこ」について語る その2 アンネ・フランクの家2
2001-01-21 [旅行記]続 口車、「そこ」について語る その1 アンネ・フランクの家1
2001-01-20 [旅行記]トラムでゴー再び!美形の運転士
2001-01-18 [旅行記]アムステルダムの海老と鯛
2001-01-14 [旅行記]ゴッホ美術館
2001-01-12 [旅行記]ゴーヂャス、Amsterdam Diamond Center


2001-01-28 [近況]口車家の雪景色


 口車家から見た本日(27日)の雪景色です。東京も、こんな風景になっております。

先頭 表紙

ようぽんさま、この写真はデジカメで撮って、デジカメについてきた簡単な画像処理ソフトでぼかしを入れてみました。PhotoShopを使わなくても、もっと安い画像処理ソフトでこの程度のことはできます。3月のヨーロッパなら、南の方が良いですよ。スキーやるのなら別ですけれど。マルタ島なんてオススメ。ここ、口車一家にとっていろいろ縁があるところでして、そのあたりはおいおい。。。。 / 口車大王 ( 2001-01-31 16:13 )
とっても綺麗なお写真ですね!これはデジカメで撮られたのでしょうか?それと、ご旅行記、すごく興味があります。私も3月にヨーロッパのどこかに行こうと計画しているので。あとでじっくりと読ませて頂きます。 / ようぽん ( 2001-01-31 16:08 )
口車様、一番乗りでどうもありがとうございました。この写真、美しい…。東京は本当にさむそうですね。 / 美奈子 ( 2001-01-31 07:08 )
この日、私はドンキホーテまでお使いに行かされました。(涙)強風にあおられて、立ってもいられず、電信柱につかまってきゃーきゃー言ってました。いやだよう、雪の中のお使い物は。 / さえこ ( 2001-01-31 00:29 )
大王さま、いつも色々、勉強させていただいております。ありがとうございます。(*^.^*) / akemi ( 2001-01-30 21:23 )
やっぱ、体力勝負。 / 口車大王 ( 2001-01-29 22:11 )
ほんとに雪はすごかったですね。今年は雪が多いなあ。子どもは喜んでいるけど、相手させられるお父さんは大変。 / 綾丸 ( 2001-01-29 19:08 )
お取り込み中お気遣いいただき、恐縮至極でござる。ソニーファミリークラブでも構わぬでござる。ここのところ、極貧を極めているので差し当たってお礼はできぬが、無理せずお頼み申し上げる。見つかったらまたご連絡まで。 / 口車大王 ( 2001-01-29 01:59 )
口車様、例の物、私の勘違いで、通販生活のではなく、ソニーファミリークラブのでした。どうしましょ!すみません。。お蔵を開けて探してみますね。いろいろあって返信遅くなりました。 / しっぽな ( 2001-01-29 01:36 )
んで、ぼかしかましてみました。しかし、あったかいというレベルが違うぞ。札幌で年越ししたことがあるから、わかるけれど。 / 口車大王 ( 2001-01-28 22:40 )
なんか、向こうに露天風呂が・・・。あっ、これだとデバガメね。 / 夢楽堂 ( 2001-01-28 22:28 )
をを、突っ込みありがとうござんす。デジカメで撮った画像にぼかしを入れたり、細工してみました。 / 口車大王 ( 2001-01-28 21:04 )
おお。美しい。山水画のようです。こちら札幌も今日は暖かく、0度でした。雪まつり部隊は苦労してるだろうなぁ。 / okka ( 2001-01-28 17:51 )
今日はなんてあったかいんだ、快晴だし。 / 口車大王 ( 2001-01-28 15:57 )

2001-01-27 [旅行記]帰ってまいりました日本へ、日本と言ったらやっぱ富士山


 2000年9月25日月曜日。

 さて、ストックホルムとアムステルダムの旅から日本に帰ってまいりました。今回フライトが取れず、帰りは関西空港経由。思わず初めての関空滞在となってしまいました。しかしまあ、9月がこんなに混んでいるなんて。

 関空、最近はやりのデザインですが、なんか解放感が中途半端。外観は良いんですがね。解放感ではストックホルムアーランダと、札幌新千歳が秀逸。

 口車、7年ぶりのヨーロッパ旅行だったのですが、この7年間で大きく変わったことは、VAT(付加価値税)のrefund(払い戻し)が、空港で即金でして貰えるようになったこと。お店によって異なりますが、"TAX FREE"というマークのあるお店で買い物をすると、このサービスが受けられます。出国の時に空港の税関で確認を受けるのは変わらないですけれどね。これまで、カードの口座への払い戻しでないと、送金手数料でほとんどゼロになってしまっていましたから、それよりはるかに少ない手数料でなかなか良いサービスです。関空では、なんかいのサービスカウンタに窓口があります。もちろん成田にもありますよ。

 関空から羽田へはJASの国内線のフライト。同じ機内でも、ストックホルムからの飛行機との雰囲気とはなんか違う。やはりここは日本ですね。

 本当に今回の旅行は、最後まで天候に恵まれました。窓から外を見れば、なんと富士山が翼の先に!夏の富士山、当然だけれど黒かったです。

おしまい

先頭 表紙

え゛っ、ずっとお風呂に入っていない。。。えんがちょ。 / 口車大王 ( 2001-01-28 22:42 )
ずっと海外に入ってないな。最近はずっと日本探訪だ。 / 夢楽堂 ( 2001-01-28 07:59 )
だってー、スッチーが入っていないと絵になんないざんしょ。 / 口車大王 ( 2001-01-27 17:13 )
大王様〜この写真は「スッチ〜」目当てのショットすか?それとも「Mr・ブーの後ろ姿」 / ムッシュ ( 2001-01-27 15:14 )

2001-01-26 [雑感]口車、JAVA携帯電話にがっくりする

 旅行記はまだつづいておりますが、その合間に口車にとってあまりにも衝撃的だったので書いてしまいました。

 本日(2001年1月26日)付けの日刊工業新聞に、JAVA携帯電話の仕様が出ていたのですが、メモリの容量を見て愕然としました。なんと、メモリが10キロバイトですと!

 なんだそれっぽっちとお思いのあなた、口車もあまりの少なさに愕然としたと思ったでしょ。ところが違うんですね。携帯電話のあの大きさに主記憶が10キロバイトもついているということにがっくりきたのです。口車の、あの昔の努力はなんだったのと。まあ、最近スマートメディアとか出ているので、当たり前といえば当たり前なのですが、こういう形で見せられるとねぇ。

 学生時代、口車が研究に使ったミニコンピュータ、そうですミニコンピュータですよ、これは大型冷蔵庫並のサイズがあった。その巨大な図体に、CPUは8ビット、主記憶のメモリサイズは16KB(途中で100万円かけてメモリが32KBになってみんなで大喜び)、ハードディスクは1メガバイトで直径50センチはあるかという円盤、しかも標準の入出力装置は画面ではなくてテレタイプで、コマンドを打つとプリンタに答えが返ってくる。しかも、プログラムは紙テープに打ち込んで読み込ませてという、そういうものだったのですよ。

 ちなみに当時の口車、紙テープのパンチ穴で文字が読めました。なお、今は読めませんので試してみようなどと思わないように。ピンで紙テープに穴あけたり紙を貼って切り貼りしたり、プログラム修正作業、当時は文字通り「バグつぶし」だったのですよ。

 それがですよ、ポケットに収まる携帯電話になってしまったのね。がくっ。しかも、本体だけで500万円近くしていたのが、今や1万円でおつり。そういや、ハードディスクだって今や1ギガバイト1万円台ですもんね。当時、メガと聞くだけで「をを、すごい!」となっていたのに、今やギガの上を行くテラを見据える時代。ふゎー。18年前、口車がタイの工事現場で使ったコンピュータのハードディスクも、袖机サイズに27メガバイトで400万円だったっけ!

 おそろしい世の中です。

 でも、最近のメモリのむだ遣いの使えねーアプリケーションだらけの風潮の中で、こういう小さいところにプログラムを収めなければならないということがまた要求されるようになったわけで、ま、当分口車の出番がなくなるなんてぇことはないわけで、祝着至極でございます。

先頭 表紙

失礼しました、紙テープでした...ところでメガバイトの話。4〜5年前にニューヨークのインターネットカフェに行った時にそこでサンドイッチ(その店ではメガバイトと言う名前だった)というのを頼んだら、想像以上に小さいものが出てきて、「う〜むやはり時代はギガなのか?」と思ったことがあります。 / 突っ込む視点が間違っているような(笑) ( 2001-01-26 22:10 )
えー、パンチカードも使いましたが、この場合はテレタイプの紙テープです。昨年のアメリカ大統領選、もめたマイアミの選挙でそのパンチカードを使っているのを見て、「ほっほぉ。」と思ってしまいました。 / 口車大王 ( 2001-01-26 21:40 )
パンチカードっていうと、良く子供向けSFとかで、コンピュータが吐き出すやつを博士がフムフムと読んで「地球の危機じゃ!」とか言っていたのを思い出します。 / マイケル ( 2001-01-26 20:49 )

2001-01-25 [旅行記]機内食、それは謎のカップラーメン


 2000年9月24日日曜日、午前中アンネ・フランクの家を訪れた口車は時間の経つのも忘れ、資料を読んだりしておりました。

 ナチスは、ユダヤ人のみならず、いわゆるジプシー、ドイツ人の身体障害者、同性愛者、共産党員等の政敵、ポーランドやロシアといった周辺諸国民も虐殺しています。いったい「人種的優位性を持った完ぺきなるアーリア人」とはいったいなんなのでしょうか。身体障害者を殺して、殺した当事者が身体障害者になったら自分たちを抹殺するのでしょうか。ヒステリックのストレスだらけの社会となって、結局滅亡へとひた走ることになります。人種浄化、それが現在も繰り広げられていることに、怒りと悲しみを感じます。

 さて、そんなこんなしているうちにもうお昼。正午までにホテルに戻ってチェックアウトしなければなりません。慌ててアンネ・フランクの家で軽食をとり、いざホテルへ。

 長いような短いような旅もいよいよおしまいです。しかしそれにしても、スキポールはほんとーーーーーに広い。よりによって日本への飛行機はターミナルの一番端。出発カウンタからどれくらい歩いたでしょうか。軽く10分は歩いたような。

 いざ、KLMの機上へ。考えてみれば、ヨーロッパとの往復でKLMを一番使っています。比較的安いし機内食もまあまあ。今回のフライトでこれまでと違ったことと言ったら、途中やたら水やソフトドリンクを持ってきてくれたことでしょう。最近、エコノミー症候群なんて騒がれていますからね。

 それから、本日のタイトルなんですが、KLM、最近のフライトでは、軽食にカップヌードルかお菓子を配ります。行きはミニカップだったのですが、帰りはフル。で、すっちーがトレーに載せて配っている中に、なんか色違いのが一個混じっている。よく見れば、日清食品製ではあるが、なんとタイ語で書いてあるではありませんか!!!思わず、見慣れたカップヌードルには見向きもせず、この赤いやつを取ってしまいました。

 味は、、、

 見事にタイ人好みの辛め。タイに1年半住んでいた口車には、とってもなつかしい味でした。しかし、なんで日本向けのフライトでタイのカップラーメンが紛れ込んだんだろ。

 なんか、得した気分であった。

先頭 表紙

はい、日本向けのより全体的に赤く、ぴりっとしています。でも、激辛ではありません。 / 口車大王 ( 2001-01-26 08:45 )
口車大王さま。はじめまして。タイのカップヌードルって、やっぱり香辛料とかで味付けが辛いのですか? / hamamama ( 2001-01-26 07:03 )
ヴァニラ様、謎は解けましたでしょうか。コーンウォールの先のポーツマス、イギリス海軍の軍港なんですが、口車祖父、今から84年前に立ち寄っているんですわ。デヴォンシャーからコーンウォール、風光明媚なところです。 / 口車大王 ( 2001-01-26 00:11 )
おとさま、そうそう、通販でも売っていたような。 / 口車大王 ( 2001-01-26 00:09 )
綾丸様、そのカップヌードルははるか彼方M80星雲からやって来たのですが、途中、だれも取りませんでした。 / 口車大王 ( 2001-01-26 00:08 )
大王さま、どうもありがとう。クリームを求めて。イギリス最端の地、いつか行ってみたいです。 / ヴァニラ ( 2001-01-25 23:45 )
JALの機内食のカップモノは、「そばですかい(sky)」と「うどんですかい」という名前で最近スーパーでも売ってますね。 / おとじろう ( 2001-01-25 21:35 )
ほんとに得した気分ですね。その昔、ヨーロッパ便がアンカレッジ経由だった頃、アンカレッジ空港で食べたカップうどんもうまかった。 / 綾丸 ( 2001-01-25 20:36 )

2001-01-22 [旅行記]続 口車、「そこ」について語る その2 アンネ・フランクの家2


 2000年9月24日、日曜日、快晴。隠れ家の人達が拉致されたときも、こんな天気だったのでしょうか。ホテルを早めに出て9時過ぎにはアンネ・フランクの家にたどり着きます。昨日とは逆に、西教会の前から向かっています。

 以前は隠れ家の正面から入るようになっていましたが、最近隠れ家の右隣が建て直され、そちらが入口になっています。中に入ると隠れ家に至る前に展示があり、気分は一気に沈んでいきます。

 そこには、ナチスに圧迫されながらもまだ平穏無事に暮らしていたころのフランク一家の写真が展示されています。ユダヤ人であるということだけで脅かされる理不尽。偏狭な民族主義は周囲に害毒を流すばかりか、自分たち自身も滅亡へと導いてしまいます。それは、日本も例外ではありません。

 隠れ家の入口は本棚で隠されています。その本棚をかいくぐるように見学順路は狭い階段を上って、隠れ家へと至ります。この階段の下で待っているときの、上の階の見学者の靴音のやかましいこと。隠れ家の住人が昼間どのような生活をしていたか、そんなことからも想像できます。ただでさえ狭いところに生活しているのに、靴音さえ忍ばせなければならない。そんな生活を2年も続けたのです。そしてその苦労も報われずに。。。


ペーター・ファン・ペルス(ペルス夫妻の長男)
 ナチスのアウシュビッツ撤収に伴うオーストリア・マウトハウゼン収容所への長く過酷な死の行進を強いられ、1945年5月5日、マウトハウゼンで死亡。解放のわずか3日前でした。

アウグステ・ファン・ペルス
 戦局の悪化に伴い、1944年10月にマルゴーとアンネ姉妹とともにベルゲン=ベルゼンに移送され、1945年春にブーヘンヴァルト経由でチェコのテレジエンシュタットに送られ、死亡。

ヘルマン・ファン・ペルス
 オットーと息子のペーターの前を連れていかれ、アウシュビッツのガス室で抹殺。抹殺後、トラックに乗せられたヘルマンの服だけが彼らの前を通り過ぎていく。

フリッツ・フェファー
 アウシュビッツからノイエンガンメに移送され、1944年12月20日死亡。

エーディト・フランク(マルゴーとアンネの母)
 マルゴーとアンネと別れ別れになり、そのままアウシュビッツに残される。1945年1月6日死亡。アウシュビッツは1945年1月17日に撤収され、1月27日にソ連赤軍によって解放。

マルゴー・フランク
 1944年10月、アウシュビッツからベルゲン=ベルゼンに移送され、1945年3月末チフスで死亡。

アンネ・フランク
 姉のマルゴーとともにベルゲン=ベルゼンに移送され、姉の死の数日後、死亡。なお、ベルゲン=ベルゼンは、姉妹の死後1か月足らずのうちに解放される。

オットー・フランク
 アウシュビッツでの過酷な日々を生き延び、1945年1月17日の撤収時に病院で隠れていて難を逃れる。1月27日、ソ連赤軍の解放によって救出される。その後4か月かかってアムステルダムにたどり着く。

協力者達
ビクトル・クーフレルとベップ・フォスキュイルは収容所に送られるが、4人全員生き延びて終戦を迎える。


リンク
Anne Frank House
しののめ教会
ホロコースト教育資料センター

先頭 表紙

そうなんです。口車も彼らがどうなったかという地を見てきていますから、たまりませんでした。しかも、この日記にあるように、無理矢理家族を離散させているのですね。肉体的な暴力だけでなく、精神的な暴力まで徹底的にやったのです、ナチスは。しかし、ユダヤ人に対する差別は、ドイツ人だけではないのですね。 / 口車大王 ( 2001-01-25 20:27 )
そういえば、たらママ様は行ってらしたのですよね。 / おとじろう ( 2001-01-25 13:30 )
アウシュビッツ=ビルケナウをこの眼で見てきましたので、アンネのお家なんか見ると、この後の彼らの人生の悲惨さを思い、たまらない気持ちになります。 / たらママ ( 2001-01-25 13:17 )
何十年ぶりにアンネの日記を再び読んでみたくなりました。 / かよちゃん ( 2001-01-25 01:07 )
うう〜〜ん。。そうなんですか・・・。しょうもない質問してすいません。でも、なんもわかんない人への対策(笑)なので、問題なさそうなんです。ありがとうございました。フリーソフトを探してみます。パスかけるタイプのがいいかな。。 / akemi ( 2001-01-24 20:12 )
akemi様、ResEdit以外にも売り物ソフトとかフリーソフトでありますが、一番てっとり早くできてただなのはResEditです。ファイルを見えないようにするだけなら、とても簡単です。ただし、ファイルを隠してしまうと、自分も何もできなくなってしまいますよ。もっとも、ResEdit使ってもとに戻せばよいのですが。それから、隠すのが目的だったら、ResEdit使っていることがわかったら、簡単にばれます。 / 口車大王 ( 2001-01-24 18:54 )
口車ファンのさえこ様、アンネの日記のバージョンについては、アンネの家に行くと詳しく説明があります。 / 口車大王 ( 2001-01-24 18:51 )
大王さま、Macな質問いいですか?隠しファイルを作るのって、どうすればいいんでしょう?ResEditを使う以外に方法はありますか?日記の内容につっこめなくってごめんなさい。 / akemi@ネスケでは勝手にログアウトさせられてる。 ( 2001-01-24 01:08 )
アンネが収容所でなくなったことは知っていましたが、一緒にいた人たちの運命までは知りませんでした。到底信じられないような、ひどいことが実際にあったんですよね。 / 綾丸 ( 2001-01-23 16:46 )
そうだったんですね。んも〜博学!!どうしてそんなにいろいろ知っているの?先生みたいです、口車さまは。スゴイ! / 口車さま ファンより ( 2001-01-22 23:37 )
教科書で学ぶ歴史もいいけど、日記はその時の状態を素直に映している。アンネの日記もその一つですね。 / 夢楽堂 ( 2001-01-22 20:01 )
私もここ行きました。ドイツ人は未だにヨーロッパ内で自分はドイツ人だと大きな声でいえないそうですね。フランス人からはドイツ人は日本人は似てると言われました。アンネの家、本で読んでだいたいわかってたつもりでも実際見るとショックですね。特にアンネの部屋から(だったかな?)見える西教会の鐘… / yaco ( 2001-01-22 18:59 )
オットーの死後、アンネン本人が書き直したもの、最初の個人的なもの、すべてが出版されています。世の中で広く知られている日記は、1947年のものです。 / 口車大王 ( 2001-01-22 01:10 )
まず、アンネ本人が完全に個人の日記としてつけたものがあります。そして、1944年3月29日、イギリスからのラジオ放送で、戦争が終わったら人々の日記を集めて公開するという発表を聞き、アンネ本人が書き直したものがあります。そして1947年、父親オットーの手によって日記が出版されますが、これは書き直した日記を元にプライバシーに関わる部分を削除したものです。 / 口車大王 ( 2001-01-22 01:09 )
アンネの日記は手直しされていて、本当のものがあるって聞いたことがあるんですが・・・。 / そのままじゃなんかまずかったの?さえこ ( 2001-01-22 01:04 )

2001-01-21 [旅行記]続 口車、「そこ」について語る その1 アンネ・フランクの家1


 また、「そこ」について語るときがやってまいりました。

 皆さんご存知のことと思いますが、アムステルダムにはアンネ・フランクの家があります。かつて、「そこ」を訪ねたことのある口車としては、訪問しないわけにはいきません。

 2000年9月23日午後7時過ぎ。

 ダム広場からアンネ・フランクの家に向かって歩きます。夕闇の中に西教会が見え、いくつか運河を越えると隠れ家の前の道に出ます。周辺の静かなたたずまいは、本当に美しい。しかし、1940年5月16日、この西教会周辺には、アムステルダムに進駐するドイツ軍の軍靴の音が響きわたります。今こうして観光客として静かに石畳を歩いていると、平和の意味を噛みしめさせられます。

 アンネ・フランクの家は、西教会の隣のブロックにあります。家の前は、もうこんな時間だというのにまだ観光客が行き交っています。それにしても、アンネ・フランク達が隠れていた場所が、中央駅から1キロも離れていないこんなに市街のど真ん中だったとは。実際に来てみないとわからないことです。

 アンネ・フランクは、オットー・フランクとエーディト・フランク=ホレンダーの次女として、1929年6月12日にフランクフルト・アム・マインで生まれます。両親の一族とも代々ドイツに住んでおり、父のオットーは第一次世界大戦にドイツ軍人として従軍しています。また彼は銀行勤めで、比較的裕福な家庭でした。しかし、全国社会主義ドイツ労働党すなわちナチス・ドイツが政権を握りユダヤ人への圧迫が強まると、1933年にフランク一家はアムステルダムへ逃れます。そしてオットーはオペクタ商会という食品会社を設立します。しかし、アムステルダムも、フランク一家にとって安住の地ではありませんでした。

 1942年7月5日、アンネの姉マルゴーにSS(親衛隊)への呼び出し状が届きます。これを機に、オットーは隠れ家での生活を始めることを決意します。1941年の春頃からこのような事態に備えて、自分の会社の裏の倉庫スペースを秘密の隠れ家とすべく準備していましたが、いよいよ移ることになったのです。隠れ家に住むことになったのは、後から加わった一人を含め、3家族8人、そして彼らを支えたのは、オットーの会社のごく親しい従業員の4人でした。特にオットーの秘書のミープ・ヒース女史は食料の買い出し等、危険を顧みず中心的役割を担いました。また彼女は、後日アンネの日記を世に送り出す、重要な役割を果たします。おそらく、彼女はまだ健在なはずで、アンネ・フランクの家の展示のビデオの中にも登場します。

 そして、1944年8月4日、美しく晴れ渡った夏空の下、密告によって彼らが連行されるまでの2年間、隠れ家での生活は続きます。いったい誰が密告したのか、今でもわかっていません。彼らが連れ去られすべての家財道具が持ちだされた隠れ家に、数時間後ミープ・ヒース達がかけつけます。そしてミースとベップ・フォスキュイルによって、床に散乱したアンネの日記が拾い集められます。

 そして彼ら8人は1944年9月3日、オランダからアウシュビッツへ向かう最後の列車に乗せられたのでした。

隠れ家の住人達
オットー・フランク
エーディト・フランク
マルゴー・フランク
アンネ・フランク
ヘルマン・ファン・ペルス
アウグステ・ファン・ペルス
ペーター・ファン・ペルス
フリッツ・フェファー

協力者達
ミープ・ヒース
ヨハネス・クレイマン
ビクトル・クーフレル
ベップ・フォスキュイル

つづく

先頭 表紙

そうなんです。その場所に立つといろいろなものが見えてきます。アウシュビッツ=ビルケナウはそんなの通り越して、ぶん殴られたような思いでした。 / 口車大王 ( 2001-01-22 11:31 )
こんにちは。アンネ.フランクは本やテレビなどで、よく紹介されていますが、実際その地に立つといろいろなものが見えてくるのでしょうね / きりり ( 2001-01-22 10:21 )
うわー、8時間持たずに新着リストから消えている。 / 口車大王 ( 2001-01-22 00:23 )
さらにアウシュビッツへ行くと、本当にたまりません。つづきを乞うご期待。 / 口車大王 ( 2001-01-22 00:10 )
私もここ行きました。小学校の教科書で初めてアンネ・フランクのことを知り、アムステルダムに旅行に行く前に改めて読んでから行きました。よく出来ている秘密の本棚のドアや、連行された当時のままの屋根裏部屋などを実際に見るとなんとも言えない気持でいっぱいでした。 / おとじろう ( 2001-01-21 22:53 )

2001-01-20 [旅行記]トラムでゴー再び!美形の運転士


 2000年9月24日日曜日、いよいよ今日は日本へ帰る日です。フライトは午後だったので、口車、アムステルダム市内某所を訪問するため、ちびっと早起きして再び市内にやってまいりました。

 そしたら、どうよ、本日のトラム20Bの運転士、えらく美形のおねいさんではありませんか。いやー、やっぱり早起きはしてみるものですね。どうもこういう公共機関、特にヨーロッパの場合イコールおばさんというイメージがあったのですが、こういうこともあるんですな。そう言えば、ストックホルムで空港まで乗った列車の車掌さんも若くて美形であったな。

 中央駅を発射すると、おっと発車すると、電車はすぐ目の前の運河を渡ります。本日もほんとに天気が良い。まだ9時前だというのにもう観光ボートは動きだしています。今回12日間も旅行していて雨に降られたのはたったの1日。それも仕事の最中だったので観光しているときはピーカン。これも、日頃の口車のおこないの良さの賜物でしょう。はっはっは。

 最後の写真は、中央駅構内にある花屋さんです。ひまわりがそれはそれはいっぱい。昨日ゴッホのひまわりを見てきたばかりなので、ゴッホの絵を思いながら写真を撮りました。最近は、東京でも東京駅や品川駅や上野駅はいろいろ店が増えていますが、ヨーロッパの駅はだいたいこんな感じで駅構内にお店がいっぱいありますね。ストックホルムの中央駅も感じが良かったです。

先頭 表紙

ここのところのおまけ写真、なかなかざましょ。 / 口車大王 ( 2001-01-21 01:05 )
すっごいひまわり!!素敵〜♪ / ウサ子 ( 2001-01-21 00:01 )
ほんと、ほんと。あんなに花があるのはうらやましい。 / 夢楽堂 ( 2001-01-20 21:55 )
トラムのある街って好きです。非効率的乗り物かもしれないけど、観光客にはゆっくり景色が楽しめてもってこいです。 / たらママ ( 2001-01-20 18:20 )
美形運転士も気になるが、ボリュームのすごい花屋さんも気になる・・・! / あやや ( 2001-01-20 17:51 )

2001-01-18 [旅行記]アムステルダムの海老と鯛


 あー、こんなこと書いている余裕ないのだけれど。。。旅行記、ロシア、ペルーに続く第三弾です。

 さて、旅に出てうれしいことのひとつに、予想もしないおいしいものが食せるときでしょう。今回アムステルダムでも、とてもおいしいレストランを偶然見つけてしまいました。口車、こういう嗅覚はすごく働き、これまでにもおいしいお店、いっぱい発掘しております。

 ゴッホ美術館を後にし、ショッピングモールをうろちょろして午後7時になったので、食事をする場所を探し始めました。ショッピングモールのすぐ近所に「地球の歩き方」に紹介されているオランダ料理のレストランがあると教えてもらって、いざ行ってみましたが満席。しかも、ウェイターのおっさんの態度がすごく悪い。このあたりは日本でも大変よく見かけるので、万国共通ですね。

 そこで、アンネ・フランクの家が近いので、場所がどのあたりか検討をつけるためショッピングモールからアンネ・フランクの家へ向かって歩いていったら、道すがら、なにやらおいしそうなレストランがあるではありませんか。入口に張ってあるメニューを見てもリーズナブル。そこでもうここしかないとばかりに、アンネ・フランクの家まで往復してもどって来ました。

 運良く席が取れたのですが、30分もしたら満席。いやいや危なかった。まわりを見渡すと、観光客とおぼしきお客は皆無。みなさん土地の人のようです。をを、これは期待できる。

 で、これで落ち着けたと思ったらちょっと待て、入口にクレジットカードのステッカー張っていなかったな。ということでウェイトレスのおねいさんに聞いてみると使えないという。おーまいがっ。口車、最低金額しか両替していないから、財布の中のギルダーはほとんどなし。そこで、レストランで教えてもらってキャッシュディスペンサまで走りましたよ。

 んが、教えてもらったキャッシュディスペンサの前には夜の7時過ぎだというのに列が。のぞき込んでみると、操作している女性の目の前でディスプレイの文字がどんどん薄くなっていき、ついには見えなくなっちゃった。がーーーーん。で、ふり返ると道路の反対側に郵便局があり、なんとそこにもキャッシュディスペンサがあるではないですか。いやいや良かった。

 ということでギルダーを手に取って返し、「本日のご注文」と相成りました。ウェイトレスのおねいさんに今日のオススメを聞くと海老と鯛がいいのが入っているという。迷わず頼んでしまいました。別に海老で鯛を釣ったわけではありません。それにしてうまかった。

 しかし、このレストランなんて読むんだ。「ルヴテ」でよいのかな?アムステルダムにお越しの節は、ぜひおためしあれい。

 なお、最後の跳ね橋の写真はおまけの写真です。レストランからはちょっと遠いです。

先頭 表紙

あぁ、アムスは魚介の宝庫ですね〜。グ〜キュルル(お腹)掲示板でのぼくさまへの質問に対し、口車様の情報量の多さに改めて感服。ところでサヴァ修善寺の「独鈷の湯」帰りということもあり、都内、近場でもいいスポットをと探しているのですが・・・。掲示板であげられた物の中に、「露天風呂」を愉しめる温泉を探しているのですが。。サヴァの日記のタイトルに関わらず、口車様に「つっこみ」いただけたら・・と。 / サヴァ ( 2001-01-20 04:43 )
オランダは魚おいしいですね。目の前は北海ですし。 / 口車大王 ( 2001-01-18 19:25 )
うわ〜。海老ですか〜!! いいですねぇ。私は週末、蟹食べに行きますよ。でも寒そうですわ〜〜。 / なんだかねえ ( 2001-01-18 19:21 )
アムステルダムの食事は覚えていないんですが、ロッテルダムのホテルで「Friday Fish-day」といって、好きな魚を好きに料理してくれるという日に当たって、いろんな魚を焼いてもらって食べたのが、うれしかったですね。やっぱり、あちらは魚がうまいんでしょうかね。 / 綾丸 ( 2001-01-18 18:08 )
大丈夫ざんす。憧れのエビとカニさんなら想像妊娠できる。 / 夢楽堂 ( 2001-01-18 17:34 )
少々見にくい写真でもしわけない。 / 口車大王 ( 2001-01-18 16:44 )

2001-01-14 [旅行記]ゴッホ美術館


 ダム広場からまたトラムに乗り込み、ゴッホ美術館に向かいました。その直前に国立美術館があり、ここにはレンブラントの有名な「夜景」とかあるので、そちらにも行こうかと思いましたが、両方はきつそうなので、今回はゴッホ美術館にしてみました。あ、その手前に、コンセルト・へボーがあった。建物の写真撮ろうと思って忘れてしまいました。くっそお。

 9月は観光シーズンよと聞いてはいましたが、いやいやゴッホ美術館の入口は長蛇の列。それでも10分くらいで切符が買えました。残念ながら館内は写真撮影禁止なので、写真は入口までです。館内では説明を聞くレシーバの日本語版を借りたのですが、この説明がなかなか良かった。

 それにしても、日本で言われているゴッホと実際にゴッホ美術館に来てのゴッホでは、かなり異なりました。日本ではひわまりしか書いていないような感じで捉えられていますが、そんなことはありません。それから、初期のゴッホの作品は、はっきり言ってあまりうまくありません。パリに出てから開花したといったところでしょうか。そういうところも、ゴッホ美術館に来て初めてわかりました。ゴッホの家族の所蔵品を展示しているからこそ、わかることでしょうか。

 それから、日本の浮世絵がゴッホに与えた影響は、それはそれは大きなものです。彼が安藤広重の浮世絵を模写したものが2枚展示してありました。漢字まで模写しているのはびっくり。彼自身の絵にも、明らかに日本の画法の影響を受けた作品もあります。

 ゴッホは、一時期プロバンスでゴーギャンと共同生活をしますが、これも日本の影響です。日本では、画家が集団生活をしてそれで芸術活動をしていると、彼は固く信じていました。その、日本の真似をしようとしたのです。

 そうそう、日本といえば、あるひまわりの絵の説明で、「この絵の構図と同じものが、日本に破格の値段で落札されています。」とありました。

 しかしまあ、ゴッホとか19世紀末から20世紀初頭の印象派(ゴッホって印象派になるのか?)に与えた日本の浮世絵の影響は計り知れないものがあるということを、改めて教えられたわけですが、考えてみれば日本の「ものまね」であるわけです。日本はよく外国のまねばかりして独自性がないと言われますが、とんでもない。印象派のことを日本の物まねとだれも言わないでしょうし、日本に独自性がないなんていうこともないわけです。そう言われてしまうのは別のところに理由があるのであって、その理由を知ると、ま、言われてもしかたのないことなのですけれど。

 それからぶったまげたのは、美術館の食堂に、なんと「寿司バー」があります。ここまでジャポネスクやるかねぇ。もっとも、ロンドンから始まって、現在ヨーロッパは寿司ブームではありますが(ストックホルムの項参照)。

先頭 表紙

ゴッホといったら「ひまわり」が好きですね〜〜!色使いが暖かい・・・ / ぼくさま ( 2001-01-16 11:30 )
去年渋谷であったゴッホ展、最高に良かった!!自分の知っているゴッホとは、カナリ違う感じのもあって良かったなぁ〜リヘも本場のゴッホ美術館へ行って見たい!! / リヘ ( 2001-01-15 22:40 )
そりゃ言える。中もゆったり見ることができたし。やっぱり東京は人が多すぎる。 / 口車大王 ( 2001-01-15 22:18 )
混んでると言ってもこの程度なら、いいですよね。日本の美術館なんて、とうてい絵を見る環境じゃなかったりするから。 / 綾丸 ( 2001-01-15 18:14 )
ゴッホは追っかけをしている。なぜか、新入社員時代は東京、数年前は横浜で見損ねて、京都と名古屋に風邪を引いたことにして見にいった。ゴッホ、ゴッホと咳をしたのだ。 / 夢楽堂@龍角散 ( 2001-01-14 21:55 )
なんだかねぇさま、その後黒川記章設計の新館ができていますですよ。彼の設計としては、かなりまともだった。ちゃんと、日本国内でも使い物になる建物設計しろよな。 / 口車大王 ( 2001-01-14 17:38 )
ゴッホ美術館へ行ったのは四半世紀も前の事・・・・・。猫に小判。豚に真珠。。。。。絵には疎いのです。(^^; でも、写真を見せて頂きながら、古き良き時代を懐かしんでいます。 / なんだかねえ ( 2001-01-14 15:39 )
Wienみたいな内陸でというのがすごいですね。まあ、冷凍品なんでしょうけれど。ポーランドでもそうでしたけれど、海に面した地域でないと、基本的に魚食べなかったんですよね。 / 口車大王 ( 2001-01-14 13:36 )
Wienも多いですね。お寿司。それどころかジャパニーズフーズのファーストフードもどきまで。 / ウサ子 ( 2001-01-14 12:01 )
レシーバはほんとに助かりました。仕事で行った合間で見ているので、最初からゴッホ美術館を目的としているわけではないですから。レシーバで説明を聞いて、ゴッホの絵の背景が良くわかりました。 / 口車大王 ( 2001-01-14 11:59 )
浮世絵がヨーロッパに知られるきっかけとなったのはそうだったようですね。大量の印刷物ですから、そのような可能性もある。しかし、後年東洲斎写楽の初版刷りが2000万以上もするなんて、だれが想像したでしょう。 / 口車大王 ( 2001-01-14 11:57 )
ヨーロッパへ送られる陶磁器をつつんでいたのが浮世絵(今でいうチラシ)だったのですってね。確かにあっちのお方にはカルチャーショックでしょう!初めて見る浮世絵。 / しっぽな ( 2001-01-14 03:35 )
海外の美術館などで借りれるガイダンス用のレシーバーは、背景なんかもわかってとっても便利ですよね。下調べを入念にできなくても、色々わかってありがたいです。 / あやや ( 2001-01-14 00:54 )

2001-01-12 [旅行記]ゴーヂャス、Amsterdam Diamond Center


 さてと、相変わらず2000年9月23日の話題です。

 ダム広場に面して、Amsterdam Diamond Centerというのがありました。ダイアモンドといえばベルギーが有名ですが、オランダはお隣の国、こういうお店があっても不思議ではないでしょう。

 中に入ると、ショウケースのほかにいろいろ展示があってなかなか見ごたえがあります。例えば世界のダイアモンド。もちろんイミテーションですが、世界中の有名なダイアモンドが展示されていて、こんなでかいものも世の中にあるんだなあと、ため息です。口車、この中のいくつかは本物見たことあるのですが、このイミテーション、ほんとに良くできています。

 それから4Cについての説明。ダイアモンドというとCARAT、すなわち大きさに目が行きがちですが、CARAT, CUT, COLOUR, CLEARNESSの4つが重要です。そのことが実物を使って説明されています。

 そして実際に研磨を行っているところの実演を見ることができます。研磨の工程についてのサンプルもあり、ダイアモンドがどのように「宝石」となっていくか、よくわかるようになっています。

 店頭には、「をを、すごい!」というものは置いていなかったのですが、きっと、要求すると別室に通されて奥から出してきてくれるのでしょう。ああ、そういう身分になってみたいっす。

先頭 表紙

おっ[1,0,0]面.下のとがった面が[1,1,1]だね. / 八百八六助 ( 2001-01-13 01:28 )
私、ダイヤモンドは高いので、何焼きだか忘れたけど、きれいな陶器製品を買ってきました。 / 綾丸 ( 2001-01-12 16:02 )
口車大王様 旅行記素敵過ぎ〜〜〜〜〜!! / ちびくろさんぼ ( 2001-01-12 12:05 )
て、て、て、てやんでぇ。指輪ではなく手輪につけるデ〜ヤモンドつくってみやがれ。 / 早乙女主税 ( 2001-01-12 11:20 )
ダイヤ〜〜〜。大きいぃ。指折れちゃう〜〜。 / ウサ子 ( 2001-01-12 10:23 )
ありがとう、見事にひっかかってくれて。しかし、最近の日本のマスコミは単語の意味をわかっとらんようだ。 / 口車大王 ( 2001-01-12 10:09 )
どこどこ、ゴージャス。叶とデビはどこだ。 / ムラクドン ( 2001-01-12 09:55 )
ダイアモンド売り場と言うと、"Everyone Says I Love You"でEdward Nortonが歌う"♪My Baby Just Care for me♪"をつい思い出してしまいます。 / Happy Birthday (←遅い) ( 2001-01-12 08:30 )

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