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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-07-04 ワールドカップの残したもの 2
2002-07-04 ワールドカップの残したもの 1
2002-06-30 伯母とハーレムとreiさんと 2
2002-06-30 伯母とハーレムとreiさんと 1
2002-06-28 アメリカを母と歩く
2002-06-19 Japan Trekご報告 15
2002-06-19 Japan Trekご報告 14
2002-06-19 Japan Trekご報告 13
2002-06-16 Japan Trekご報告 12
2002-06-16 Japan Trekご報告 11


2002-07-04 ワールドカップの残したもの 2

試合の感動が美しく静かに収まっていく中、しつこいほど街中で楽器を打ち鳴らし続け、肩車や電柱によじ登るなどして半ば自己を顕示しながら声援を煽り、またそれに応える姿には確かに試合や選手による感動の表現を超えたものがあり、そこには上述の様々なニュアンスが個人によりそれぞれの度合いを帯びて感じられる。ある者は愛国心や自他同一化願望はそれほど持たないが集団帰属願望は強かったりする。

いずれの場合でもそれは不自然でいけないことではない。人間の本性、日本のおかれている社会的環境を考えれば必然的な社会的行動と言える。日本固有の環境があるから日本的な行動が生まれるが、その根にある帰属願望、愛国心、夢を求める心、自他同一化願望は万国共通である。他の国のサポーターの応援はすべて純粋にサッカーを愛する心から来るのだなどと真剣に思っている人がいたらそれは相当世界を知らないか卑屈であるかどちらかだ。人間心理は国が違うからといってそう簡単に変わるものではない。またフーリガンか否かということについては、あれだけの人波が各地で沸き起こりながら暴力行為での逮捕者はわずか6名、あとはダフ屋や公然わいせつなどがほとんどというのなら、相当上出来と思っていい。国の英雄を称える集会や小規模なパレードなどでいちいち目くじらを立てるのはそのほうが了見が狭いというものだ。

多くの人は街に繰り出すところまではせず、家族や友人たちとテレビの前で歓声を上げるに留まったが、程度の差さえあれ上記のいずれかの要素を心に抱いていた場合が多かったと思う。もちろんそれぞれの要素のレベルがゼロで純粋にサッカーが好きだという人もいるわけだ。それも長年サッカーを純粋に愛してきたと自称する人の一部が、上記の要素による加熱を侮蔑的に称して用いたのが「にわかサッカーファン」という表現だ。

彼らは、こんな盛り上がりはサッカーとはまるで関係ないじゃないか、にわかファンなどさっさと消えてくれと嘆く。多分に彼らは人知れず密かなるものを、密かなる流儀によって鑑賞することに特権的な悦びを覚える種類の人である。少数の者だけが理解している「本物の」サッカーを愛でるのは自由だ。しかしにわかサッカーファンや歌舞伎町に溢れかえる群集を断罪するとしたらそれは傲慢な独占欲の表れに過ぎない。なぜなら彼らを突き動かしたその根底にあるものは紛れもなくサッカーや選手の魅力であり、その鑑賞の仕方は人それぞれあっていいはずだから。もっと言えば、大衆を扇動するほどの魔力を持ち、時には一国の政治や経済を動かすそれこそがサッカーであるからだ。そしてもちろん長年のサッカーファンの中は「にわか」であろうと何であろうと、このワールドカップがより日本にサッカーが浸透するきっかけになったことを率直に喜ぶ寛容な人が大勢いる。

ただしそれぞれの社会的行動にはそれぞれの危険性が潜むのもまた事実だ。帰属願望や愛国心は自律性を失えばファシズムの標的となる。不景気ゆえ経済効果は結果として期待したいものではあるが、それがワールドカップ開催や選手団招聘の主たる理由になるとすればそれは本末転倒である。選手との同一化願望についても、自分の努力の足らなさを選手の努力にすり替え、自己を赦免する方法論になるようなら成長がない。熱に浮かされながらも個を守り切ることが肝要であるのは言うまでもない。

(つづく)

先頭 表紙

アメリカは国が大きい分自国のよさをじっくり見極めて誇りを高めると同時に外の文化には疎くなり井の中の蛙にもなる。日本はその逆です。どちらにしても容易に比較できることではないですね。日本人は口に出さなくても本当は愛国心はあると思います。四季を愛でる心、繊細さ、自然とともに生きる姿。いずれにしても国家に結びつかない内的なものですね。その程度の方が本当は害がなくていいのかもしれません。 / Hidey ( 2002-07-12 05:51 )
りぃなさん、無事日本に着かれたようで安心しました。アメリカ人と比べるとね、愛国心は少なく見えますね。何度か書いたことではあるけど、戦争に勝った国と決定的に負けた国の違いが大きいと思います。負けて卑屈になったというよりは愛国心はファシズムの始まりと否定することで平和を愛する国という自負を得るという。正当化の手段だと思います。それとアメリカの土地の大きさ。日本が島国であること。 / Hidey ( 2002-07-12 05:47 )
(↓は1のつっこみ。。) / りぃな ( 2002-07-10 11:58 )
日本人を見てると、愛国心って、ないよな、って思ってしまうんです。自分がそうだから、そう思い込んでしまうのかな?? その私が愛国心の強いアメリカにいて、なんだか皮肉ね、と思うことや、ひいてしまうことはよくあります。気恥ずかしいだけなんでしょうか。愛国心は、自分の国に誇りや自信があるかに左右されるのかも、と読んでいて思いました。 / りぃな ( 2002-07-10 11:51 )

2002-07-04 ワールドカップの残したもの 1

ロナウドの2発のゴールとカフーが天高く差し上げたカップで宴が終わった。ワールドカップは日本人の心の中に多くのものを残して過ぎていった。誰もが何かしらを考え、多くの人が公の場で何かを論じてきた。よく耳にするのはサッカーのスポーツ性を離れたサポーターの話だったり日本人論だったりする。もっと具体的には、日本のサッカーファンなどにわかサッカーファンばかりでサッカーとは別のところでしか盛り上がれない、サッカーの真髄が分かっていない、日本サポーターこそフーリガンである、という論調だ。往々にしてこれらの議論は一面的でありそれ故多分に反論の余地が残る。それで何が本当に悪いのか。果たしてそれは日本人だけのことなのか。所詮は数多の議論のひとつに過ぎないが、僕なりに考えたことを記してみたい。

日本が決勝トーナメント進出を決めた夕方僕は新宿歌舞伎町へ向かい、青いサポーターの渦に遭遇した。ミラノやパリで見た光景が目の前に蘇り、僕は片隅で静かにその光景を見つめていた。そのときいくつか感じ取ったことがある。この狂騒の底辺にサッカーというスポーツが、そして日本選手たちが与えた感動があることは間違いない。しかしそこにはそれを超えた要素が多分にあることも否定できない。

帰属願望の表れということ。太古からの日本人の村意識によって形成された我々のDNAが、ますます勢いを強める西洋的個人主義志向に耐え切れず、ワールドカップという触媒によって噴き出したように見えた。西洋人が個人主義の反動としてキスやハグやパーティーといった形ある人との交わりによって他者との繋がりを確認しあうように日本人サポーターも見知らぬ人とハイタッチを繰り返し、何かを共有している群れに属する喜びを確認したのだ。集団とのアイデンティティを見つけようとする人間の普遍的な営みが見られる。

愛国心。前述の帰属願望の帰属するその先が日本という国でよかったという再確認。人に自己愛がある以上往々にして愛国心は当然の帰結だ。人はどこかしら民族の優位性を自己の美徳に置き換える。体格的なハンディキャップを補って余りある知的なプレーと組織力に誇りを感じた人は多いと思う。普段口には出さなくても感じている繊細さ、洗練といった日本の美徳を愛でる心がある形を与えられたのではないか。

閉塞した社会や不景気への反動。新聞をめくれば目に飛び込んでくる政治腐敗、果てを知らない企業の不祥事、底入れと言いながらその実感を伴わない日本経済。そんな中誰にでも分かりやすいスポーツという形で久しぶりに日本人が素朴な夢を共有した数週間だった。ある政治討論番組では日本チームをある種組織のサクセスモデルと見なし、政治改革のヒントを論じ合っていた。多分に簡略化された比較論ではあるものの大変興味深い視点だった。

選手達との同一化願望。ファン心理とは結局のところ自他同一化願望に他ならない。それぞれの世界に住みながら、自分は同じにはなれないけれど願わくはこうありたいと思える選手を選び出し自己を投影する。好きな選手と同じ背番号のレプリカを着込むのはそういうことだ。

(つづく)

先頭 表紙

2002-06-30 伯母とハーレムとreiさんと 2

ハーレムやソーホーやブルックリンを車で廻りその日の陽は暮れた。そしていよいよreiさん紹介のLennox Loungeでの夜11時の約束に間に合うべくホテル前でタクシーを拾おうとしたのだが30分以上経っても全然空車が来ない。ようやくホテルで客を降ろすタクシーをつかまえて店に急がせたが結局30分の遅刻。魅力的なreiさんをハーレムのバーカウンターに一人待たせてしまった。案の定白人の色男が彼女に言い寄っていたが我々が来たのを見て退散。reiちゃん、ほんとごめんね。

この日は夜11時から1時間の演奏だけでおしまいということだったのでその半分しか聴けなかったことになる。しかしその演奏は魂のこもった素晴らしいものだった。この街で育ったミュージシャンがこの街の心を音に託して残していく。この店は1930年代からあって、かつてはビリー・ホリディも歌っていたそうだ。ジャネット・ジャクソンの歌にもこの店の名が登場する。

演奏が終わり、あらためてreiさんを囲み酒を飲みながら話が始まった。伯母とは話の接点が多く、クラシック音楽、読書、猫の話(伯母は現在猫に関するチェコ語の本を翻訳中)など延々と話した。reiさんも日記に書いていたが僕ともボケとツッコミの具合が噛み合ってきて(どっちがどっち?)前回に増して楽しい時が過ごせた。きっとはじめは僕の硬い文章のイメージが先行していたのだろう。本当はもっと適当でちゃらんぽらんなのだ。reiさんは日記と同じように、笑い話や心が温かくなる話や勇気づけられる話を色々と織り交ぜて話してくれた。僕は彼女の強く優しく飾らない生き方に心底惚れ込んでいる。この人の言うことなら信じられると思える人だ。

帰りの車もreiさんにお世話になった。結局店では2時まで話し込み、そんな時間にハーレムのど真ん中でタクシーなど拾える訳はないらしい。reiさんの判断でさっと白タクを捕まえ彼女を送りがてらホテルに戻った。白タクと言っても要はタクシーの拾えない時間や場所で素人が商売しているだけで特に危険なものではなく、reiさんの交渉により来たときのタクシーよりも安く済んだ。reiさん、本当にありがとう。あなたなしではこんな経験とてもできませんでした。

ニューヨークからボストンに戻りひとしきり落ち着くと伯母が僕のパソコンを使いたいと言った。パソコンを起動してしばらく隣室にいたら「どうやら私の彼は死んじゃったようね」と彼女が戻ってきた。コロンビアの彼のことをYahoo!で検索した結果、あまり情報がないものの多分彼のことではないかという有料記事の見出しに出合ったという。それ以上のことは分からないというので僕がGoogleでさらに調べるとより詳しい記事がたくさん検索され、読んでみると彼に間違いないことが分かった。彼はその後アメリカでは相当名の知れたジャーナリストとなり、一昨年の彼の死は各紙で大きく報じられ、クリントン大統領も哀悼の言葉を贈ったという。いくつかの記事をプリントしてあげると伯母は別室でしばらくそれらの英文を読んでいた。

夜、母よりは酒をたしなむ彼女と杯を傾けた。アメリカ文化の話、日本の政治経済の話、人の生き方の話など語り合った。僕は普段彼女と正面切って議論することはあえてしないのだがアルコールも手伝ってこの日は随分話した。そして彼女と話すとそんな真面目な話も冗談をぽんぽん交えながら話せるのだ。時に赤裸々過ぎて後から考えると恥ずかしいが話せてよかったと思う。

伯母の初めてのアメリカ旅行はそんな具合に過ぎた。六十を過ぎた彼女のこれからの人生に何かしら示唆を与えつづける旅になっていてくれたらこの上ない幸せである。

先頭 表紙

スーパーしえろさん、僕はS&Gの歌しか知らないなあ。文法的には目的語として使われているならme and...でもいいと思うのですが...and Susie had so much funだったら主格の"I" になりますよね。もちろんSusie and Iの方がいい表現なんですけど。 / Hidey ( 2002-07-09 01:34 )
マイケルさん、それは知りませんでした。ありがとうございます。 / Hidey ( 2002-07-09 01:29 )
あ、知ってる、知ってる、その歌・・・多分。 me and ○○という言い方は良くないから、ちゃんと○○ and myself と言いなさい、と注意されていたから、覚えてる気が・・・いや、しかし、待てよ、あれは、me and Susie had so much fun♪とかだったかな。あれ? / スーパーしえろ@未ログインごめん ( 2002-07-04 17:32 )
Paul Simonの「Me And Julio Down By The Schoolyard」という曲の邦題なのです。よくこれをパクッた「○○と××と△△で」という題のコラムを良く見かけるのです。 / マイケル ( 2002-07-04 06:51 )
lim.さん、場所といいメンツといい本当に素晴らしい時間でした。この日もいつものJack Daniel。特にjazz barではお似合いなのです。lim.さんの飲みはちょっと激しそう(笑)。 / Hidey ( 2002-07-04 02:35 )
reiさん、いま下のRさんへつっこみ返しをしていたらreiさんから電話がきました。13:00に起きたってやっぱり相当疲れてたんだね(笑)。今夜Tapeo楽しみにしてます。Top of the Hubもね。 / Hidey ( 2002-07-04 02:33 )
おとじろうさん、ハーレム、ちゃんと安全な場所とか情報を聞いていけば楽しめると思います。いざとなったらreiさんに頼っちゃえ! / Hidey ( 2002-07-04 02:30 )
Rさん、いえ、それで女性崇拝者になったわけではないんですが(笑)。。。中学生時代に恋した人の気高さと強さが女性崇拝の源のようです。 / Hidey ( 2002-07-04 02:29 )
パンドラさん、ちょっと素晴らしすぎて押され気味でしたが(笑)。今夜ボストンにてまたreiさんと彼女の友達と会います。 / Hidey ( 2002-07-04 02:24 )
たまたまさん、reiさん大人大人(笑)。安心してください。reiさんの秘密、今度聞き出さなくては。 / Hidey ( 2002-07-04 02:23 )
夢樂堂さん、正直中島みゆきと演歌の(カラオケより)イメージだったのでビリー・ホリディとは以外です。僕はCDは一枚しか持っていないのですがとても好きですし、僕も青函連絡船の甲板に停めたシビックの中で親友二人とテープを聴いた思い出があります。 / Hidey ( 2002-07-04 02:22 )
ゴリラさん、いらっしゃいませ。大叔母様がニューヨークに行かれたきっかけが気になります。その頃の方は歴史的にも色々な思いを経験されているでしょうから。いつかお話聞かしていただきたいくらいです。 / Hidey ( 2002-07-04 02:20 )
たらママさん、ジャーナリストがそれほど大きな扱いを受けること自体驚きました。New York Daily Newsで書いていたそうです。 / Hidey ( 2002-07-04 02:18 )
akekiさんのイメージは正直伯母にダブるところがあります。強さ、優しさ、豪快さ、懐の深さ。地域の繋がりを大切にしているところも。akemiさんもいつまでもかっこよくいてください。 / Hidey ( 2002-07-04 02:17 )
ガス欠コインさん、この日の演奏も渋くて素晴らしかったです。スタンダードでした。reiさんも書いてたけどコインさんのいい噂いろいろ話しましたよ(笑)。 / Hidey ( 2002-07-04 02:16 )
PAOさん、気骨はありすぎてもちょっと困りますね(笑)。でも確かに素晴らしい伯母です。伯父も含めあのバイタリティは一生追いかけないと。 / Hidey ( 2002-07-04 02:14 )
マイケルさん、そんなわけないです(笑)。ていうかそれ何ですか? / Hidey ( 2002-07-04 02:13 )
良い時間を過ごされましたね。素敵な人々とお話しながら飲むお酒はおいしかっただろうな。ちょっと飲みたくなりました。 / lim. ( 2002-07-03 12:03 )
お母さまと叔母さまにお会いできて本当に嬉しかったです。水曜日、楽しみにしてるよ! / rei ( 2002-07-02 13:25 )
素敵な伯母様ですね。ハーレム一度は行ってみたい。 / おとじろう ( 2002-07-02 13:02 )
可愛らしいお母さまと恰好良い伯母さまを見て育ったHideyさまが女性崇拝者になるのも納得です? / R ( 2002-07-02 08:35 )
素晴らしい女性たちに囲まれた時間だったのね。ブラボー! お互いが自分の時間を懸命に生きて、だからこそその輝きが刺激を与えあう。 素敵!アア、みなさまにカンパイを。 / パンドラ ( 2002-07-02 07:16 )
reiはんは、今回は酔っ払わずに大人の女性を演じていましたか???レイさんの秘密を知っている男より。 / たまたま ( 2002-07-01 18:52 )
ビリーホリディ、学生時代に夢中になっておりました。今日は彼女の唄が聴きたいな。 / 夢樂堂 ( 2002-07-01 15:43 )
な、何だか小説を読んでいるようなウットリする気持ちになりました。私の大叔母様もニューヨークに在住なのですけど日本語殆ど忘れてはります・・。 / ゴリラ ( 2002-07-01 01:43 )
訃報が記事になる人ですか。それは感慨深い。 / たらママ ( 2002-06-30 18:41 )
伯母様かっこいい!私もかくありたいです。そのためにも今を精一杯生きるのだわ、ね? / akemi ( 2002-06-30 18:18 )
マイケルさんのつっこみが笑える。羨ましい一夜ですね。ビリー・ホリデーも歌っていたのか。大好きなシンガーです。 / ガス欠コイン ( 2002-06-30 15:37 )
こんな気骨のある女性大すきです。そしていくつになってもいろんなことに興味をもち続けられていられたらと思います。 / 走る酔人(PAO) ( 2002-06-30 14:33 )
このタイトルは「僕とフリオと校庭で」を意識してますか? (そんなわけはないですよね...笑) / マイケル ( 2002-06-30 09:56 )

2002-06-30 伯母とハーレムとreiさんと 1

前回の日記にも書いたように、母のアメリカ旅行には伯母が付き添ってくれた。伯母といっても母の姉ではなく父の兄嫁にあたる人だ。60年安保の時には精力的に学生運動に身を投じ、共産主義の真贋を見極めるべくソ連に渡ろうとしたが、ふとしたきっかけからチェコスロバキア(当時)に長年住むことになった。学生運動のリーダー格であった伯父とウィーンで落ち合い息子を生む。帰国後はチェコ語の翻訳、通訳を手がけている。

僕が子供の頃から今に至るまで抱きつづけてきた素朴な印象は「豪快なおばさん」である。中野の某町では一目置かれる存在で、その懐も深く、彼女のマンションの住人は彼女の都合などお構いなしに勝手に家に上がりこみ、寄合ができるという具合だ。亭主である僕の伯父は結構名の知れたドイツ語の翻訳家であり、自他ともに認める天下の天邪鬼だ。そして類稀な知識人であることも事実だ。正誤に関わらず傍若無人なまでにものごとを断定する力強さに子供の頃よく憧れた。そんな伯父伯母の母校である大学に僕は進学することを選んだ。よくも悪くも僕に様々な影響を与えた夫婦なのだ。

伯母は長年チェコに住んでいただけあってヨーロッパの国々は随分渡り歩いているが、アメリカには訪れたことがなかった。その伯母が母の付き合いという名目で今回ニューヨークとボストンに来るに際し、もっとも興味を持っていたのがハーレムを見ることだった。小説や仕事上の文献を読んだりする上で、アメリカ文化を語るに欠かせない素材としてハーレムという地名には度々お目にかかる。そのハーレムを一度訪れてみたいということだった。加えてハーレムのジャズ・バーを覗いてみたいと言う。さすが豪傑だ。

心配性の母も一緒だし、安易に近づいてはいけない地域には変わりないので一応考えた。昼間にレンタカーでハーレム界隈をぐるぐる廻り、夜はハーレム在住のreiさんに聞いて、安全と思われるジャズ・バーにタクシーで行って帰ってこよう。そうしてreiさんにギリギリのタイミングでメールを書いたのだが、書きながらreiさんなら伯母と話が合うかもと思い立った。reiさんが負けずに豪快な女性だからだ。そんなことで、よかったら一緒にどうと誘ってみたところ、reiさんは快く承諾してくれた。

ニューヨークに着いて3日目、朝からレンタカーを借りてハーレムを目指した。しかし初めに車を停めたのはハーレムのすぐ手前にあるコロンビア大学だった。コロンビア・ビジネス・スクールはもともと僕にとっては第一志望校だったのだが、合格しながらも色々考えて今の学校を選んだ。そして今回初めて知ったのだが伯母もかつてコロンビア大学の研究員として合格通知を受け取りながら、事情によりそれを蹴ったのだという。何だここでも先輩後輩かと話しながらともにくぐることのなかった門をくぐった。キャンパスを歩きながら伯母はかつてアメリカ人の男性と付き合ったことがあり、実は彼はコロンビアの学生だったのだと教えてくれた。懐かしそうに今はどうしているかしらと言うので、インターネットで調べることができるかもしれないよと僕が言うと、そうね、いずれ調べてみようかしらと伯母は言った。

(つづく)

先頭 表紙

2002-06-28 アメリカを母と歩く

母について書く。いつも何かしら忙しそうに手を動かしている人。生真面目なところがかわいくて家族中にからかわれては生真面目に怒ってしまう人。そして僕が自分の良心を信じられなくなったとき、自分より人を慈しむ大切さを教えてくれた人。4年前からミラノに住む妹に続き昨年僕もボストンへ移ったため意を決してパソコンを購入、電子メールを覚えた。たどたどしく時間をかけたあとの見える文章がこまめに送られてくる。実はこの日記も楽しみに読んでくれている。

その母を連れてニューヨークを廻りボストンへ戻った。父は都合により来られず、日本への帰り道の不安があるため伯母が付き合ってくれることになった。父は酒が入ると時々遠い目をしてニューヨーク出張の思い出を話すことがある。仕事ではなく彼が二度見たというブロードウェー・ミュージカルの話だ。僕もブロードウェーは何度か訪れていたので話が合うが、アメリカへ行ったことのない母だけは羨ましそうに二人の会話を聞いていた。だから母にとってニューヨークの象徴はいつもミュージカルだった。その母のために僕はミュージカル「キャバレー」のチケットを取った。

二次大戦前のベルリンのキャバレーを模した劇場の一階席はすべて丸テーブルにスツールで、女性が酒の注文を取って廻る。酒をあまり飲まない母は何も注文せず、僕はジャック・ダニエルのロックを頼んだ。母のために事前にネットであらすじを調べ翻訳した。忍び寄るナチスの足音、ユダヤ人の苦難、境遇の異なる男女の哀しい定めを描いた傑作で、キャバレーの歌姫サリー・ボウルズの妖艶さと狂言回し役であるエムシーの皮肉っぽい滑稽さが作品の味わいを深める。ステージから10メートル足らずの席には役者の熱がじかに伝わり母も大変感激していた。終盤でのサリーの「キャバレー」の独唱には胸が締め付けられた。1930年代の世の中の悲哀がこもった歌声だった。

母はボストンへ来ることも非常に楽しみにしていた。息子がどんな街のどんな家に住みどんな学校に通いどんな苦労をしているのか、これからの僕の話を読み、聞くにつけ正しい想像ができるようにその目で見ておきたかったと話していた。その通り僕は母と伯母を連れてボストンの美しい街を廻り、威厳あふれる学校を案内し、僕の部屋の本箱を埋め尽くすケースブック、二つの目覚まし、仮眠用のベッドを見せた。妻が仕事で日本に戻っていたこともあり、母はあれこれと料理を作ってくれた。落ち着かないから、と彼女は言って、家にいるのと同じにまめに動きまわった。

僕が高校でホームステイをしたメイン州の家庭にも母と伯母を連れて行った。アメリカの両親は1985年の正月に日本の僕の家を訪れたので、母とはそれ以来の再会になる。再び会えたことを三人は喜び抱き合った。僕が十八の歳を過ごした部屋、僕が当時描いて今も壁に飾ってくれている絵などを見、母は感慨深そうにしていた。そして豊かな自然とともに穏やかに生きる老夫婦を見て、こんな生き方もあるのねと呟いていた。

空港に母と伯母を送り、再び一年分の別れを惜しんだ。家に戻り母が律儀に畳んでいったシーツやタオルを見つけ、心に穴があいたように感じた。溜まっていた用事を片付け、前から観たかった映画をテレビで観、気がつくと夜11時で夕食もまだ取っていなかった。冷蔵庫を開けると母が余分に作ってくれていた切干大根があった。少し甘い懐かしい味がした。束の間の里帰りがひとくちごとに終わっていくのを感じた。

先頭 表紙

Rさん、そんな初めから夏の予定に入れなくても(笑)。。。でも13歳で親元を離れるってどういうことなのか、僕には容易に想像できません。今そのときの分愛おしさが増してらっしゃるのでしょうか? / Hidey ( 2002-07-04 02:12 )
パンドラさん、お一人で住んでらっしゃるというのも大きいのでしょうね。僕は妻に助けられてますから。余計な指摘だったらごめんなさい(笑)。 / Hidey ( 2002-07-04 02:09 )
むらりょうさん、僕もフランス語と美術だったのです。気が合いますね。勉強は最近だらけてしまってお留守です(笑)。 / Hidey ( 2002-07-04 02:08 )
Emikoさん、きっとそうなんでしょうね。Emikoさんだから読み取れるものがあるのだと思います。でもEmikoさん、息子の母を思う気持ちは分からないでしょう(笑)。ずっと先にEmikoさんの二人の息子さんも僕の気持ちを共有することになるでしょう。 / Hidey ( 2002-07-04 02:06 )
↓PAOさんへ。 / Hidey ( 2002-07-04 02:04 )
結婚してしまい、それも海外暮らしということでなかなか機会のない親孝行ですのでベストは尽くしたつもりです。お蔭で少し疲れて母と伯母が帰った後は寝てばかりいました。 / Hidey ( 2002-07-04 02:04 )
最初に親元を離れた13歳の頃には感じなかった母への恋しさが、年をますごとに強くなります。母の味、は一生ものですよね。おかげで?夏に日本にいる間に太るわたし…。 / R ( 2002-07-02 08:45 )
いつまでも大切なお母さま。 ワタシはまだ実家と離れて2年すこしなのに、たまに会ったあとの別れがだんだんつらくなっていて。 この前は不覚にも涙してしまいました。 Hideyさまの笑顔のむこうに、優しいお母さまを想像しています。 / パンドラ ( 2002-07-02 07:01 )
私はフランス語、美術でB組でした。同窓とは言え、その後の努力でMBAにチャレンジする人と雲泥の差が出るのですねぇ。 / むらりょう@激!後悔の涙 ( 2002-07-01 19:17 )
お母様がリネンを畳まれた気持ちが痛いほどよくわかります。きっと母親にしかわからない心境のようなものが・・・どのように説明していいのかわかりませんが本当にお母様はHideyさまのこと大切に大切に育てていらしたんですね。 / Emiko ( 2002-06-30 23:41 )
わたしはどうも照れもあるのか、親になかなか私の生活を垣間見せてあげることもできません。   親孝行してあげられましたね。 / 走る酔人(PAO) ( 2002-06-30 14:30 )
たらママさん、親の心境はまだ僕にはよく分かりません。やはり子供がいないと本当には大人になれないような気がして少し悲しいです。Maine州の車のプレートの下にはよく"The way life should be"と書かれています。 / Hidey ( 2002-06-30 09:07 )
夢樂堂さん、切干大根美味しかったです。アメリカの両親は色々な意味で僕の人生を変えてくれました。一生の恩人です。 / Hidey ( 2002-06-30 09:03 )
reiさん、以前の日記でそのお話書いてらっしゃいましたよね。その日記を読んで僕はひまじんというサイトはいいサイトだなと思い日記を書き始めました。これからもご両親を大切にね。で、母も伯母も無事に家に着きました。ご心配ありがとう! / Hidey ( 2002-06-30 09:01 )
akemiさん、妹さんのお話、ぐっときました。これからも親を大切にしたいと心から思います。 / Hidey ( 2002-06-30 08:59 )
むらりょうさん、同じ高校大学なのですね。大学に関してはむらりょうさんの誰かへのつっこみで存じていたのですが。。。いまだに大好きな母校です。僕はC組でした。 / Hidey ( 2002-06-30 08:58 )
むらりょうさん、ぜーんぜん鼻高々なんかじゃないですよ。いっぱい間抜けなことして苦労かけてるし。でもむらりょうさんのお母様同様愛してくれていることは事実のようです。心配かけないようにあと一年過ごさないと。 / Hidey ( 2002-06-30 08:56 )
プルーさん、戻りました。やはりボストンは落ち着きます。NYでは摩天楼の間をうろうろしつつプルーさんもお元気に働いてるかなーなんて考えてました。キャバレー、お薦めです。是非行ってみてください。 / Hidey ( 2002-06-30 08:54 )
息子がいたら私もこういうお母様の心境になったのでしょう。自然とともに穏やかに生きるご夫婦ですか。そういう平穏な日々、私には来なさそうかも。 / たらママ ( 2002-06-29 23:20 )
切干大根、何よりのご馳走ですね。ある種、Hideyさんの青春の軌跡を知って感慨深かった。 / 夢樂堂 ( 2002-06-29 07:55 )
ところで、お母さまと叔母さま、無事に家につきましたか?くれぐれもよろしく伝えて下さい。本当に楽しかったよ〜! / rei ( 2002-06-29 07:11 )
分かります、分かります。ほんとに。私も母と別れて背中を向けた途端、鼻水で顔ががびがびになって、泣きじゃっくりで呼吸困難になる程泣けてきてしまうんです。見送られるのも、見送るのもせつなくてしょうがない。いつまでたってもこれだけは慣れません。 / rei ( 2002-06-29 07:09 )
母と一番長く暮らした末の妹に、母が亡くなった後しばらくして風邪で寝込んだときに「なにが食べたい?」と聞いたとき「お母さんのごはん」と言いました。可哀そうで涙が出ました。親と長く過ごせるのは(たとえ一緒に暮らしていなくても)幸せだと思います。お母様に喜んでいただけてよかったですね。 / akemi ( 2002-06-29 02:24 )
ところでHideyさまは学院?私は学院。いや、reiさまの日記を読んでてロシア語、フランス語と書いてあったので、そうかなって思いました。 / むらりょう ( 2002-06-29 01:43 )
お母様、きっとHideyさんを鼻高々に誇りに思っていらっしゃるんでしょうね。すごい親孝行だと思います。私は全然優等生じゃなかったのですが、私の母はそんな私の事も大変愛してくれています。男にとって母親って大切な存在ですよね。 / むらりょう ( 2002-06-29 01:34 )
お帰りなさい。帰宅そうそう、NY旅行なんてHideyさんのパワー全開ですね。ちょうどむしむししてる頃でお母様や叔母様大丈夫でしたか? キャバレーってそんなミュージカルなんですね、行きたくなってきました。Have A Nice Summer! / プルー ( 2002-06-29 00:34 )

2002-06-19 Japan Trekご報告 15

16:00、それぞれのオプショナルツアーを終えた学生たちが東福寺に集まった。東福寺の誇る国内最大級という禅堂に案内され、80人全員が禅を体験した。10分間薄く目を開き宙を見据え無心になるのだが、どうしても難しい場合はゆっくりと心の中で数を数えるといいのだという。煩悩の多い僕にはなかなか難しい。

新緑が美しい小さな谷に架かる通天橋から見事な景観を眺めつつ開山堂へ。方丈庭園を飾る木々花々の華麗さに息を飲む。80人の学生が広間に敷き詰められた座布団に静かに座り、我々スタッフは隣接した客間に通される。程なく福島老師がお出ましになる。老師は禅の精神をアメリカに広めるため毎年2ヵ月半に渡り25の大学を廻られているのだが、何年か前にGeorgetown大学に訪れたとき、スタッフのWakanaと出会い、以後たびたび連絡を取り合っていたのだ。そのような背景があったからこそこの度このような機会を持つことができた。

我々も他の学生に混ざり老師の講義を拝聴する。老師は無、無心、無我といった概念について語られ、日本以上に男女均等なアメリカの禅人口を称え、またジョークや達者な英語を交えながらアメリカでの禅振興の逸話を話された。うちの四年制大学にも毎年訪れられているそうだ。

東福寺を後にし電車で京都駅へ。ホテルには帰らず、last night partyの会場であるしゃぶしゃぶ店に向かった。スタッフ全員が店の中央に集まりリーダーである僕が最後の乾杯の挨拶をすることになった。皆が楽しんでくれているのと同じように我々自身も日本文化の奥深さを再発見した。この機会を与えてくれた全員に感謝したい。ぜひこのTrekを次代に受け継いでいきたいので、その際はTrekの意義を語る証人になってほしいと話し、乾杯した。

あちこちで乾杯して廻り、Trekの成功を祝った。はじめは一致しなかった名前と顔が今はすっかり一致している。この機会がなければ同じ学校にいても知り合えなかった連中と、たった10日間で一生の友人になれた。しかもその半分は二年生で、彼らはすぐにビジネスの世界へ戻っていくのだ。ホテルの地下のバーで二次会があり、皆最後の夜を惜しみあった。

翌5月30日。僕たちは何十回もハグを交わして別れた。見慣れた顔の並ぶバスが動き出し、その中に自分がいないことが不思議だった。帰りの引率をひとり引き受けてくれたAlexisも窓の中から手を振る。彼女を含む10人の学生が同じセクションから参加してくれたが、もうこれからは彼らと机を並べることはない。長い旅の終わりと同時に一年の終わりが感じられた。

蕎麦屋で日本人スタッフどうし小さな乾杯をした。いよいよ彼らとも別れ三条大橋で妻と落ち合う。帰国後初めて二人きりで街を歩き喫茶店に入り飲み物を注文した。なぜかそのとき初めて日本に帰ってきた現実感を味わった。

束の間の出会いではあったが、このTrekが彼らがこれからのビジネスを通じて接していく日本および日本人を正しく理解するきっかけになってくれていればと心から願う。この記録を読んでくれたスタッフの皆さん、本当にお疲れ様でした。

先頭 表紙

PAOさん、Trek終了後参加者からゾクゾクと感謝のメールが送られ、嬉しい限りです。僕らもいろいろお膳立てをしましたが、最後は参加者自身がフリータイムなど利用してどんどん日本文化の奥深くまで踏み込んで行ってくれたお蔭です。誰にとってもいいTrekとなりました。ありがとうございます。 / Hidey ( 2002-07-04 02:03 )
お疲れ様でした。日本の文化や、過去の痛み、最先端の企業活動そして食。日本を訪れてくださった人たちにいろんな日本の姿を深いところまで見せてあげることができたHideyさんそしてスタッフの方々に敬意を表します。参加者の方々が満足された様子を読んで、本当に心から嬉しくなりました。 / 走る酔人(PAO) ( 2002-06-30 14:14 )
おさむさん、学期の終わりのほうはJapan Trekの準備や試験勉強で日記が疎かになりましたので、夏休みを利用して思い出せる限り学校生活の話を書こうと思います。お楽しみに。 / Hidey ( 2002-06-30 08:53 )
若菜、ずいぶん名前を出しちゃって済みませんでした。お金を預かるということは他の仕事とはまるで違うプレッシャーのかかるもの。それこそ誰にも若菜の苦労は分かり切れなかったと思うけど、耐え抜いてくれてありがとう。またいっぱい遊ぼうね。 / Hidey ( 2002-06-30 08:51 )
Hideyさん、ありがとうございます。Amandaからの連絡はのんびりまっています。Hideyさんの日記はHBSの生の話をリアルタイムで聞けるのは非常に興味深いです。これからもちょくちょく寄らせて頂こうと思ってます。 / おさむ ( 2002-06-29 18:45 )
本当に本当におつかれさまでした。Japan Trekをここまで成功させることができて本当に嬉しいです。Hideyの日記も貴重な証ですね。どうもありがとう! / 若菜 ( 2002-06-29 14:08 )
lim.さん、大変ぬるい文章に最後までおつきあいいただいてありがたいと同時に大変恐縮です。はい、愛しのボストンに戻りました。lim.さん、もうりっぱな大人でしょう(笑)!僕こそlim.さんの平衡感覚、合理性、そのそこにある優しさからはいつも学ばせていただいています。残りの休みはすこし感性を磨くための色々なことをしたいと思います。 / Hidey ( 2002-06-28 23:06 )
パンドラさん、ありがとうございます。僕の心にも種は蒔かれました。いつか世界の色々な場所で花が咲けばいいなと思います。 / Hidey ( 2002-06-28 23:03 )
misatoさん、おかえりなさい。こちらも今後の日記を楽しみに読ませていただきます。ちょっと今回の日記は記録上の義務感で長々と書いてしまい、読むほうにとっても大変辛い文章になってしまって恐縮です。 / Hidey ( 2002-06-28 23:01 )
山中君、ほんとうに色々手伝ってくれてありがとうございました。トートバッグは皆大変重宝して使っていました。企業訪問の際たくさんの資料をいただくのでトートが大活躍。僕もしっかり愛用してました。2年生が始まる前に一度飲みに行こうね。 / Hidey ( 2002-06-28 23:00 )
ガス欠コインさん、ご無沙汰してしまいました。煩悩からは一生逃れられそうにありません。それが原動力にもなっているようだから(笑)。でも部分的にでも悟りの境地に至れればいいでしょうね。ワールドカップもいよいよあと2試合。ますます熱い文章を期待しています。 / Hidey ( 2002-06-28 22:58 )
おさむさん、はじめまして。このところ母と伯母を連れてNY、ボストンの観光ガイドをやっていたので日記のチェックが遅くなりすみません。Amandaには伝えておきます。ただし現在彼女はinternshipの最中だと思いますのですぐにご連絡が行くかどうかはちょっと分かりません。今回のTrekの企画も随分手伝ってもらいました。最後に日程の都合で参加できないことが分かったときは本当に残念そうでした。 / Hidey ( 2002-06-28 22:56 )
みなみさん、ありがとう。冗長な文章に自分で嫌気がさしてしまったのですが、読んでくださった方には感謝です。一生忘れられない旅というのは本当にその通りだと思います。同時に一生の友達がたくさんできました。 / Hidey ( 2002-06-28 22:54 )
akemiさん、一年間色々な国の企業や政府について、いろいろな国の学生達と机を並べて学んだのですが、やはりこうしてある国をいっしょに訪れながら、それぞれの国の事情を比較して話ができるという経験は大きかったです。ぜひ僕も他の国へのツアーに参加してみたいと思います。 / Hidey ( 2002-06-28 22:52 )
ようやく読み終わりました。もうアメリカですか?大人になってもHideyさんみたいに色々な感覚を鋭く受けられる人でいたいです。 / lim. ( 2002-06-28 11:47 )
きっと、Trekはみなさんの心にいろいろな種を蒔いていったのだなあ、と思いました。 Hideyさま、スタッフのみなさん、おつかれさまでした。 そしてカンパイ!! / パンドラ ( 2002-06-25 06:31 )
Hideyさん、おひさしぶりです。しばらくログインしていない間に完結編が!これからじーっくり読ませていただきます♪ / misato ( 2002-06-24 09:39 )
Hideyさん、素晴らしいTrekになりましたね!本当に本当に、御疲れさまでした。 / 山中 ( 2002-06-22 22:13 )
僕も煩悩が多いからなあ。全部読み切れていない部分もあるので、是非ゆっくり読み返したいです。もう、戻られたのかなあ、アメリカへ。 / ガス欠コイン ( 2002-06-22 01:31 )
こんにちわ。偶然このサイトを発見しました。Japan Trekの中で出てきたAmandaと友達(一緒に働いてた)なのですが、彼女が留学して以来連絡が取れなくなっていました。彼女に私に連絡するように伝えて頂けないでしょうか?彼女は私のメールを知ってると思います。 / おさむ ( 2002-06-20 10:34 )
お疲れ様でした! 参加された方には、きっと一生忘れられない旅になったでしょうね。読んでいるだけでも楽しかったです。 / みなみ ( 2002-06-19 22:23 )
本当の意味での国際社会というものが見えてくるような気がしました。参加者および、スタッフのみなさんの目にはそれがしっかりと焼き付いたのではないかな?と思いました。 / akemi@未ログイン ( 2002-06-19 19:24 )

2002-06-19 Japan Trekご報告 14

5月29日。16:00からの東福寺見学までの時間はフリータイム。京都、奈良、大阪、広島の4つのオプショナルツアーを開催。僕は広島を担当した。そもそも広島観光ツアーは、サマージョブの関係でTrekには加われなかったが、途中までスタッフとしてミーティングに参加してくれていた、日本での勤務経験のあるAmandaが提案したものだった。

のぞみでも京都から広島までは1時間半かかるため、原爆ドーム、平和記念公園を廻り食事して帰るだけのコンパクトなツアーになった。恥ずかしながら僕自身広島は出張で訪れたのみで、ドームや平和記念公園はまだ見たことがなかった。ただし大学時代に東京で開催された原爆展は見ており、その出展物の多くが広島の平和記念資料館からのものだったため、外国の学生たちに何を見せられるかは大体予想はついていた。のぞみの往復やタクシー代、食事代を合わせるとほぼ25,000円のツアーだが、それでも15人の学生が参加した。

原爆ドーム前に今も絶えず手向けられている花や千羽鶴を見、この建造物は過去のものではないのだと実感した。Seanが現代の日本人の戦争観は昔の日本人のそれとは異なるのかと神妙な声で尋ねてきた。アメリカを敵国とみなし続ける人はほとんどいないし、いたとしても世代的にはかなり高齢で減り続けている。戦後世代である我々の親の代には反戦意識が強いがアメリカにはむしろ親しみを感じている人が多い。敗戦国である日本が敗戦の屈辱から逃れて自己正当化をするには反戦思想が必要だった。同時に戦後の日本の処遇においてアメリカが寛容であったことは多くの人が認識している。しかしその寛容の裏に政治的な意図があることは知識層なら誰でも知っている。政府自民党が親米的な政策をとってきたことによって、教科書上の原爆に関する記述はニュートラルなものになっている。高度成長期すら知らない我々の世代では戦争観自体もニュートラルになりつつあると思う。平和が当たり前の現代の日本人は戦争で死ぬのはまっぴらだと誰もが思っているが、それは強い反戦感情の表れというものでは毛頭なく、むしろ無関心に近いものだ。例えば自衛隊の紛争地域への派遣についても若い世代ほど賛否の意識は薄いのではないか。ノンポリ層でなくても、政治経済問題の綱引きの中で軍事協力を現実的な手段としてニュートラルに捉える現代人は多いのではないかと勝手な見解を述べた。間違っているとおっしゃる方がいらしたらご意見ください。

原爆慰霊碑、平和の灯を拝し、平和記念資料館へ。1時間半後に出口で集合と言って自由に見させたのだが、皆真剣に展示の文章を一字一句読む。30分くらいして心配になり一人先回りして出口までの行程を確認したところ、彼らのペースでは全部見切れなくなってしまうので、残念ではあるがそのように彼らに伝えた。

エノラ・ゲイからのものを含む原爆投下の瞬間の貴重な映像、投下前と投下後の広島の街を再現した模型は衝撃的だった。原爆の犠牲者の遺品や、彼らの最期を綴る文章が心に痛かった。ぼろぼろになった服の持ち主である19歳の女性は、ただれた口で痛々しく彼女を囲む家族たち一人ひとりに「さようなら」と言って亡くなった。静まり返った部屋の隅々から呻きや嗚咽が聞こえてくるかのようだった。次々と出口前に集まった15人の学生たちは皆無言だった。京都に戻るまで誰一人原爆の話は口に出さなかった。しかし彼らがこの訪問をどう受け止めたかはよく分かっていた。Trek後のアンケートで広島ツアー参加者は皆このツアーに最高の評価を与えてくれていた。

(つづく)


先頭 表紙

りぃなさん、広島ツアーはもともととても人気が高く、20人以上の人が希望をしていたのですが25,000円もかかるので最終的には15人になりました。アメリカ人が多かったです。軍備の必要性や是非は各国の事情や思想により意見がまちまちになることは当然ですが、いずれの場合でもあの最も悲しい結末を知っておくことは大変意味あることだと思いました。簡単な問題ではない。だから誰も何も言えなかったのだと思います。 / Hidey ( 2002-06-28 22:50 )
広島へのツアーを選ばれた方に、感謝、かな。。逆の立場だと、多分行ってないと思うし、彼らはちゃんと受け止めてくれたみたいですから。自衛隊は存在そのものが疑問なので、なんとも言い難いですね。 / りぃな ( 2002-06-20 13:37 )

2002-06-19 Japan Trekご報告 13

5月28日。終日京都ガイドツアー。Alexisの出身企業ノエビアの好意によりバス2台と観光ガイドさん2人をご手配いただき、完全にお任せのツアーとなった。我々スタッフもこの日一日は観光客気分を味わった。外国人学生の点呼も原則取らず、途中自由行動をすることも認めたため気も楽だ。訪問企業との連絡、調整など一切を担当していたSunnyも前日のトヨタ訪問以降ようやくリラックスできたようでよかった。本当にお疲れ様。

この日は妻が朝からツアーに加わった。妻はJapan Trekの開始とほぼ同じタイミングで某企業のコンベンションの司会を務めるために帰国していたが、妻も僕も泊まり込みのため東京ではまったく会えず、仕事を終え実家の京都に戻っていた彼女とようやくこの日会えたのだ。京都生まれ京都育ちの妻はかなり上達した英語で学生たちに京都の街の説明をしてくれた。

清水寺、竜安寺、金閣寺、知恩院、退蔵院というお寺巡り決定版コース。予想通り清水と金閣寺が一番受け、最後の方では正直お寺はもう充分という空気が伝わってきた。ただし退蔵院ではお茶会ということではないが、緑茶と和菓子のおもてなしがあり、正式ないただき方を教わって皆感激していた。英語が堪能なガイドさんが英語で解説してくれるのだが、途中適切な表現が浮かばず止まってしまったとき、なんと妻が大きな声で“Avoid the most beautiful side of the cup…”と堂々と言葉を引き取った。びっくりするとともに彼女の成長ぶりを誇らしく思ってしまった。

親戚との約束があった妻は夕方ツアーから離れた。芸子さんを見たいという学生が非常に多く、僕は彼らを連れ立ってバスを途中下車、花見小路へ案内した。「ゲイシャ、フジヤマ、シンカンセン」は未だに日本の象徴であり、Trekはこれらをすべてカバーしたことになる。タイ人の女の子Beeと韓国人の女の子Juneは特にミーハーで、どこからともなく芸子さんが現れるたびにものすごい勢いで駆け出し、写真を撮る。Trekの参加者だけでなく多くの外国人が同じような意図で茶屋の前に陣取っている光景はちょっと異様だった。

帰国後楽しみにしていてまだ叶えていなかったささやかな夢がおいしい鳥料理を食べることだった。妻が、以前から話していた知る人ぞ知る名店「鳥どり」に予約を入れてくれた。カウンターで少人数しか入れない店なので、南青山「椿」以来僕の舌を信じ切ってくれていたBeeとJuneを連れて行ってあげた。のけぞるほど美味しくて安い店なのだが、BeeとJuneは臓物系がどうしても苦手で、ちょっとトライしてはと注文したのだが結局すべて僕が平らげることになってしまった。鳥刺しもパス。店のご主人は妻のことをよく知っているのでさすがに残すことはできず、僕が一人でせっせと片付けた。本当に美味しいんだけど、あれだけ臓物や刺身を集中的に食べるとちょっと辛い。BeeもJuneも京野菜の微妙な美味しさを正しく評価してくれたのが救いだった。

(つづく)


先頭 表紙

たらママさん、お名刺をいただけるとは知りませんでした。通勤途中でなかなかお忙しそうなのでうちの女の子達も追っかけて走るのが精一杯だったようです。 / Hidey ( 2002-06-28 22:42 )
りぃなさん、清水さんって呼ぶんですね。京都らしい。僕も妻との初デートは高台寺というお寺さんでした。あまり人がいなくて静かに話ができたことを覚えています。ところでボストンでは水菜売ってるよ。 / Hidey ( 2002-06-28 22:41 )
真賀砂州子さん、ええ、西陣の鳥どりさんです。ほんとにおいしいですね。今度は適量をいただきたいです。砂州子さんはお元気でいらっっしゃいますか? / Hidey ( 2002-06-28 22:29 )
芸奴さんのお名刺はいただけましたか。あれって外人さんにとっても喜ばれるんですよね。 / たらママ ( 2002-06-23 19:22 )
清水さん、懐かしい♪ 南にある本願寺に、お彼岸の時はいつもお参りに行ってるんです。帰国したら、また行こうかな、と思っていたところなので、びっくりしました。鳥どりさんは、両親なら絶対知ってますね。聞いてみよ♪ / りぃな@京野菜だったらみぶな、らヴ ( 2002-06-20 13:29 )
鳥どりさん!懐かしいです!あの西陣の?Hidey様の日記で またまた京都再発見!日本再発見で砂。 / まがさすこ ( 2002-06-19 16:49 )

2002-06-16 Japan Trekご報告 12

人間心理として、稼働率を高めるためには四六時中止まってしまうラインでの生産よりも作業を一括して目標値を達成するダンゴ生産を選びがちになる。そのほうが個人的なミスをも表に出さずに個人的に帳尻を合わせられるからである。トヨタ・プロダクション・システムにおいてはそうしたミスをひとつ残らず表出化し、飽くなき改善を図ることこそが重要な目標となる。ミスが発生したのはなぜか、その原因はなぜ発生したのか、そのまた原因はなぜ、と「なぜ」を5回繰り返して徹底的に問題をつぶし、今後の問題解決に役立てる。個人のミスではなくそれを生んだ工場の不備を究極的に探り当てるのだ。

このシステムを構築するためには作業員一人ひとりの意識の徹底、それを可能にする人事管理、情報管理、ひいては経営方針が必要になる。このシステムの主旨に沿った作業の改善のアイデアは作業員から月に何千と寄せられ、そのほとんどが採用され実践される。作業員はこうした提案に対し報酬を得る。「できません」という言葉は排除され、何が何でもできる方法を考える癖をつけさせる。経営者の理念がこのシステムに一致していなければこれらのことは実現しない。トヨタ・プロダクション・システムは生産管理方法ではなく、経営哲学なのである。

生産管理の授業で学んだこうした事実を学生たちはその目で確かめた。日本の高度成長期を支え、バブルを超えて今なお世界に冠たる企業であり続けるトヨタはやはり偉大な会社だった。

感慨深げな学生たちを乗せてバスは名古屋駅に到着。海外でも有名な新幹線に乗り込んだ。250km/hのスピードと正確な発着時間に驚きつつ京都に到着。駅前の新・都ホテルにチェックインした。

夕食はフリーにしていたので、我々日本人スタッフは何人もの参加者からおいしい店に連れて行ってくれとせがまれる。しかし7〜8人のブラジル人学生が、今夜だけはつきあえとしつこく我々を誘う。何かと思ったら日本人スタッフ全員を招いてその労をねぎらいたいという。もちろん彼らの奢りだ。僕自身セクション(クラス)の連中に誘われていたが、ブラジル人学生の心意気に応え、セクションの連中を手頃な焼き鳥屋に案内し、オーダーも一通り裁いてからブラジル人たちと合流。先斗町の洋風居酒屋に入った。

どの国の学生もいい連中ばかりだが、ブラジルの学生はことに人情に厚い。彼らの中には同じスタディ・グループで毎朝一緒だったDanielとJoana、そしてサマースクールから一緒のRuiもいた。彼らはこのTrekがいかに素晴らしいかを熱く語り、そしてそれが我々の運営によるものだと感謝の意を表してくれた。我々スタッフも彼らの気遣いに感激し、何度も乾杯をした。最後はブラジル式に腕を組み合って杯を空けた。「Hidey、絶対サンパウロに来い。来たら絶対に連絡しろ。でなければお前は友達じゃない」とDanielは言った。偶然店のスピーカーからうっすらとボサノバが聞こえてきた。世界中のどの音楽よりもボサノバをこよなく愛する僕にとって既にブラジルは永遠の憧れの国なのだと彼に教えた。

旅も終盤に差し掛かり、別れの寂しさを予感した初めての夜だった。

(つづく)

先頭 表紙

↓はやり→やはり / Hidey ( 2002-06-20 00:55 )
lim.さん、うちの学校がgeneral managementを強調する学校なのでなおさらトヨタに関する教え方も上位概念的になるのだと思います。でもそのとおりなのです。効率重視、人格無視、ということに関しては僕の表現があまりうまくなかったかもしれません。トヨタではいい意味で人格を無視、つまりつまらないプライドや恥の意識を無視して、機械と人間を有機的に一体化させ、純粋な効率向上を図っているというのが僕の理解です。でも人間にしかない判断能力、向上能力ははやり残る。それも含めて有機的な一体化なんでしょうね。 / Hidey ( 2002-06-19 16:28 )
夢樂堂さん、つづきの日記に書いたのですが、参加者の半分はもうすぐ世界中のビジネスに散ってゆき、正直二度と会えない人もかなりいると思います。でもきっと皆この11日間のことは一生忘れないはず。再会も是非したいですけどね。 / Hidey ( 2002-06-19 16:21 )
ガス欠コインさん、工場と宣伝ではまた色々違うんでしょうね。なんとなくそういった過去の話は聞いたことがありますが。僕も今後仕事で接するかもしれないなあ。 / Hidey ( 2002-06-19 16:20 )
まうさん、そうだったのですか。本当に彼らは友情や人生を大切にしますよね。むかーしむかしのCMで「ブラジル人は遊びの天才だ」というコピーがあったのですがずっと心に残っています。 / Hidey ( 2002-06-19 16:18 )
りぃなさん、トヨタ・プロダクション・システムについては何冊も本が出ています。Daniel、ほんとにいいやつだし頭もいいんです。彼の案内してくれるブラジルをぜひ見たいです。 / Hidey ( 2002-06-19 16:15 )
akemiさん、お褒めのお言葉ありがとうございます。修学旅行、無事だったようで何よりです。よっしー君にとってもかけがえのない思い出になったでしょうね。 / Hidey ( 2002-06-19 16:13 )
たらママさん、JITは生産管理の基本になってしまってますからね。80人×11日間、もう二度とやりません(笑)。 / Hidey ( 2002-06-19 16:11 )
全員に意識を徹底させる手法、すごいですね。色々な局面でその手法を皆が活用することができれば、作業というものすべての効率が格段に上がって気持ち良いでしょうね。何かを集団でする時、つい効率重視になってしまうのは人格を無視してしまうことに繋がるのでしょうか(笑)? / lim. ( 2002-06-19 08:24 )
旅って出会いもあるけれど必ず別れがあるんですね。でも別れがあっても再会できるチャンスはあるんだよね。 / 夢樂堂 ( 2002-06-17 16:37 )
トヨタの特集は割と最近、TVで見ました。改めて、彼らの強さを痛感したものです。Hidey氏もご存じでしょうが、昔はクリエーターにとって楽しい広告がやらせてもらえず、不満ばかり募るクライアントでしたが。チャンスがあれば、今、フリーランスの身でやりたいなあ。 / ガス欠コイン ( 2002-06-17 04:11 )
私の恩師の一人はブラジル人でした。友情の大切さと人生の楽しみ方を教えてくれた人です。 / まう@着メロはイパネマちゃん ( 2002-06-16 17:32 )
なるほど、スゴイにはスゴイの理由がちゃんとあるんですね。下っ端の意見も吸収して活かせる事ができる会社は確かに強いです。「でなければ友達じゃない」がすごく印象的です。そこまで言ってくれるなんて、何にも代え難いな。 / りぃな ( 2002-06-16 15:16 )
本当に素晴らしい企画・実行力と「各国の友人達に日本を知ってもらいたい」という熱い思いは、参加者にめいっぱい届いているはずだもの!なんか…すごくイイ!って思います。トヨタにも増々感動。血の通ったシステムですよねぇ。  こっちも修学旅行が無事済んで、安堵感とともに精神疲労が…(泣) なのに身内はわかってねぇし。最後が愚痴で正直スマン。 / akemi ( 2002-06-16 13:52 )
10何年前になりますが、私が「カンバン」という言葉を学んだのは実はアメリカ人から聞いたのが初めてでした。自分の無知とjust in timeの世界的知名度に愕然としたものです。それにしても80人を率いてこれだけのツアーを敢行するとは、すごすぎます。 / たらママ ( 2002-06-16 09:49 )

2002-06-16 Japan Trekご報告 11

5月27日。二日酔いの頭にはほどよい和食の朝ごはん。余談だがこの日から納豆という食べ物に異常な執着をみせるようになった。現在日本人を実感中。この日は延々バスに揺られて名古屋のトヨタ自動車へ。唯一の雨の日が移動メインの日にあたってよかった。

以前の日記にも書いた通り、ビジネススクールにおいて「トヨタ・プロダクション・システム」は世界最高の生産方式として教えられる。独自のものづくりの思想が経営理念にまで昇華され、それがさらに細かい企業活動のひとつひとつに還元される。それらの企業活動が有機的に絡み合うことにより模倣が不可能な企業戦略が構築される。それこそがこの不況のさなか過去最高の経常利益1兆円を記録した世界の超優良企業の秘密であろう。そのトヨタ・プロダクション・システムを目の当たりにできる貴重な機会に、温泉ですっかりリラックスしたはずの学生たちは神妙な表情を取り戻していた。

はじめに広大なショールーム「トヨタ会館」を見学する。環境、安全、ITSを主眼にした様々な展示やデモンストレーションを見て廻ったが、正直なところ皆一番目を輝かせていたのはフロア一面に配置された実車だった。学生たちは各々の憧れの車に乗り込み、記念写真を撮りまくっていた。

次に会議室に案内され、なんと1時間半にわたるQ&Aセッションをもった。はじめは1時間半という長さに面食らったのだが、結果的には企業が話したいことよりも学生たちが知りたいことに焦点をあて、より多くの学生がより積極的に参加することが可能になり、大変有意義な時間となった。大変素晴らしい試みだが、これを可能にするにはどんな質問にも率直に答える懐の深さと、単純な話英語によるコミュニケーション能力が必要となる。驚いたことに担当の日本人役員の方がほとんど一人でそれをこなされた。

そしていよいよトヨタ・プロダクション・システムの実際を学ぶべく高岡工場を案内していただく。トヨタ・プロダクション・システムには「Just In Time生産方式」と「自働化」という2本の柱がある。Just In Timeとは、必要なものを必要なときに必要な数だけつくり、最大限無駄を排除するという概念。自働化とは単なるオートメーションではなく、不良品や異常事態を決して次の工程にまわさないという理性と判断能力を伴う自動化を意味する。Just In Timeを完全なものにするための大切なツールが「かんばん」と呼ばれる部品の指示書で、これにより現在どの部品をどれだけ使ったことによりどれだけの不足があるか、逐一管理することが可能になる。自働化を補助するのが「アンドン」と呼ばれ作業員の頭上に張られているロープである。異常が発生すると作業員はこの「アンドン」を引っ張り、自動的に生産ラインが停止、監督者が駆けつけトラブルに対処する。それだけのことかと思うかもしれないが、これこそが部品在庫を極限まで削り、工場に潜む問題点を何一つ隠すことなく顕在化させる究極のシステムなのだ。

実際の作業がどれほど難しいか考えてみてほしい。同一のラインで異なるモデル、異なるカラーやスペックの自動車が生産され、その何万という部品は物によっては地理的に離れた部品メーカーから供給される。その中で、一つひとつの車両に対し必要な部品が間違いなく同じ順番に現場に届き、その部品の供給はさらさらと水のごとく流れ、どこにも溜まりが発生しないのだ。

(つづく)


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