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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-05-14 高級百貨店の誕生と経営戦略 2
2003-05-14 高級百貨店の誕生と経営戦略 1
2003-05-13 NBA観戦
2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 2
2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 1
2003-05-11 勉強終了 2
2003-05-11 勉強終了 1
2003-04-04 Network Effect
2003-03-31 daseinさんへ −つっこみ返しに代えて−
2003-03-25 ふたたび、つかの間の帰国 2


2003-05-14 高級百貨店の誕生と経営戦略 2

1902年にリニューアル・グランド・オープンしたマーシャル・フィールドは彼のブランド観、顧客サービスの精神を具現化した金字塔である。その店舗はコリント式の柱に支えられ、ティファニー製のシャンデリアがマホガニーのショーケースにその煌めきを注いでいた。広大なアトリウムは12階まで吹き抜けになっており、イタリア宮殿風に各フロアがこのアトリウムに向かって開け放たれていた。トイレにはアメニティ設備が完備されており、髪をカールするためのアイロン、ブラシ、櫛などが置かれ、必要があればメイドが石鹸、化粧用パウダー、ヘアピン、針、靴紐などを無料で手渡した。

誰が買うわけでもない高価なペルシャのカシミヤ製のショールなどが飾られ、他にもロシア製の毛皮、日本製の屏風、フランス製の手袋など、フィールド独自の海外ルートで仕入れた舶来品が並んでいた。フィールドは特定の供給業者と独占契約を結び、それをさらにプライベート・ブランドに発展させたりした。また自ら生産設備を持って綿の布地などを供給し服飾を生産したりもした。いわゆる垂直統合であり、その根拠には取引費用や中間マージンの削減と規模の経済性による価格の低減または自社の利益の増大ということのほかに、生産工程をコントロールすることでより市場ニーズに合わせた柔軟な対応が可能ということがあった。こうした戦略はフィールドのブランド力と密接な関係があった。プライベート・ブランドは小売店のブランドが大前提だし、独自生産によるオリジナルデザインはブランドを強化した。しかしこれらの戦略は市場が未発達であればこそ意味をなすが、現代においては逆効果にもなりかねない。自社内生産設備は固定費の増大を生み、むしろ激変するファッショントレンドについていけなくなったりもする。現代においては市場の他プレイヤーに任せておいたほうが経営の柔軟性を保てるのだ。

自社ブランドの活用以外にもフィールドは様々な販売促進および経営効率向上のための戦略をうち出した。クレジット会社やそのエージェンシーなど存在しなかった当時においてマーシャル・フィールドは独自の調査網で顧客の信用情報を収集し、自前の割賦販売システムを構築した。利益をほとんど出さないかもしくは損失を生むほど安価な値段で特定の商品を売り出すことで集客効果を高め、彼らが同時に他の利幅の大きい商品も購入することにより最終的には利益を確保するといういわゆるロス・リーダー戦略を開発した。棚卸資産回転率という概念に注目し資産の効率的活用を図った。今は一般的な地下のバーゲン売場を設けることによって回転率の落ちた商品を一ヶ所に集め、バーゲンを大きく訴求して集客を図り、通常の売場の貴重なスペースは回転率も利益率も高い商品のために確保した。

フィールドの独創的な戦略は着実に効果を上げ、その売上高は1867年の創業当時の140万ドルから1905年には2530万ドルへと拡大し、彼の店を全米でもっとも有名な百貨店へと押し上げた。今でこそニーマン・マーカスやノードストロームなどの高級百貨店が群雄割拠しているが、当時のマーシャル・フィールドのブランド価値はそれらのものを遥かに凌いでいた。そして彼のビジネスセンスやブランドに対する洞察からは今も色褪せない経営の極意を見出すことができる。

この文章は授業で教科書として使用した「Brand New」という、この授業を教える女性教授ナンシー・ケーンの著書から抜粋、授業の内容と僕自身の考察を交えて書かれたものである。次の日記においてはこの学校で僕がもっとも人間的に尊敬するこの教授とその授業、著作について少し書いてみたいと思う。

先頭 表紙

2003-05-14 高級百貨店の誕生と経営戦略 1

2月28日の日記「19世紀のブロードバンド」に続くような話をひとつ。同じThe Coming of Managerial Capitalismの授業からの抜粋である。この日の日記でも書いたように鉄道の発達に伴いアメリカは西へ西へと開発が進み、その過程でシカゴという大都市が誕生した。そのシカゴを舞台に希代の創造性をもって現代の百貨店ビジネスの基礎をつくりあげたのが、今もアメリカ中西部を中心に展開する高級百貨店としてその名を残すマーシャル・フィールドである。

マーシャル・フィールドは1834年にマサチューセッツ州に生まれ、1856年に兄を頼りに新天地シカゴに移り、兄の勤める服飾小売店に就職した。早くからその商才を発揮した彼はめきめきと実績をあげて出世をし、若くして経営者の一人となった。しかしより大きなビジネスチャンスを求めるフィールドは1865年、当時シカゴで急成長していたポッター・パーマーという百貨店を安価で買収する機会を得た。これがフィールド・パーマー&ライター、後のマーシャル・フィールドの誕生である。

当時のアメリカでは輸送・通信革命によって全国規模の市場が成立していた。つまりこれまでは不可能だった遠隔地からの物品の調達、遠隔地での販売が可能になったのだ。また経済も好調で1870年から1880年にかけては平均所得が年率4%近くの割合で上昇した。こうした環境を追い風として多くの小売業者が誕生し凌ぎを削った。しかし当時はまだ大変多くの粗悪品が流通し、消費者は商品購入に際して細心の注意を払う必要があり、損失を蒙っても購入者本人がその責任を負うというのが常識だった。そんな社会環境の中、有象無象の小売業者の間でどのように仕入先及び末端消費者に対して差別化を図るかが求められていた。マーシャル・フィールドが導いた答えは「ブランド」だった。

当時の小売店の差別化は単純に品揃えと価格の組み合わせによるものでしかなく、相場価格で売られている商品についてはどこで何を買っても変わりがなかった。しかもそこには粗悪品が混じっていた。フィールドは彼の店が絶対的なブランド力を持つことにより、仕入先とも消費者ともブランドの信用に基づく差別的な取引ができると考えた。同じ商品を買うにしてもフィールドの店で売っている同じ商品を買いたい、と思わせるということだ。そのために彼は自らも差別的に特定の顧客に仕えるという戦略を採った。当時のシカゴで急増していたものの他の小売店が重要視することのなかった上流階級の女性たちに客層を絞ったのだ。彼女たちのニーズを把握しそれにもっともよく応える店だからこそ彼女たちもフィールドの店を選ぶ。今でいうこのターゲティングはビジネス全般の戦略の選択において大きな影響を及ぼす指針となった。

高品質でハイファッションな商品政策が採られたのは当然のこととして、むしろその豪奢な店舗の設計や徹底した顧客サービスにこそフィールドの創造性を見ることができる。彼は顧客が求めるのは商品を購入することだけではなく、それに伴い心を高揚させる環境であり経験であると考えた。今でいうところの経験マーケティングである。そしてそこにはブランド論の大家デビッド・アーカーの言う機能的ベネフィットを超えた情緒的、自己実現的ベネフィットに通じるものがある。要するにフィールドは、顧客の心理を誰よりも熟知し、ブランドビジネスの真髄を理解していたのだ。

(つづく)

先頭 表紙

2003-05-13 NBA観戦

僕は決してバスケットボールファンではない。むしろほとんど疎いと言っていいほどだ。選手の名前も知らなければルールも細かいところまではよく分からない。第一あんなに気前よく点数が入るスポーツなんて堪え性のないアメリカ人らしいスポーツだと思って多少冷ややかに見ていたのも事実だ。しかし昨夜の体験は僕のバスケットボール観を一変させた。ボストン・セルティックス対ニュージャージー・ネッツのイースタン・カンファレンス・プレイオフの第二ラウンド第四戦を妻と共に観戦した。

セルティックス(Celtics)とは「ケルト人」という意味で、ボストンにはアイルランド移民が多かったことから命名されたのだそうだ。アイルランドらしくチームカラーは白と緑。NBAではもっとも優勝回数の多い名門で、1959年から1966年にかけては前人未到の八連覇を成し遂げている。80年代にも名選手ラリー・バードが活躍し三度の優勝を飾った。当時同じニュー・イングランドのメイン州に留学していた僕は今と同じくバスケットボールにそれほど関心を示さないながら、単純な地元愛からだけで試合があればセルティックスを応援し、帰国するときはちゃんとセルティックスのパーカーを買った。要するにずっと馴染みだけはあるチームなのだ。

そのセルティックスがかつての強さを取り戻し始め、昨年に続きカンファレンス・プレイオフに残り、今回も第二ラウンドに駒を進めた。とは言え七回戦方式でまさかの三連敗。崖っぷちに立たされての昨夜の第四戦だった。僕にとってももしかしたらセルティックスを観る最初で最後のチャンスということもあり一人175ドルもするチケットを買って観戦したというわけだ。チケットをチェックしたあとに係員からチアリーダーのポンポンみたいな応援道具をもらってやる気満々で席についた。

バスケットボールがこんなに面白いとは知らなかった。オフェンスのスピードだけでなくディフェンスにおける知略と判断能力。黒人たちの精悍にして強靭な肉体美。そして最低限の合図だけで組織化されないこちらの応援には素直に応援しようという気持ちにさせられる。その最低限の合図というのも、天井から釣られたスクリーンに「ブレイブ・ハート」などの映画のワンシーンが出てきて、「さあ、みんな立ち上がるんだ」などという科白にあわせて観客が立ち上がり「It’s noise time!」という文字のフラッシュにあわせて全員で大声をあげたりなど、洒落が効いてていい。

ゲーム自体も大熱戦。もう後がないということではじめから大変な熱気の中双方とも得点を積み上げていく。途中六点ほど差をつけられて今日も駄目かと思うとアントワン・ウォーカーやポール・ピアースといった選手がたて続けに得点し均衡を取り戻す。一時は逆に六点リードしてこれで決まりかと思ったが敵の人気選手ジェイソン・キッドのスリー・ポイントが次々に決まり、90対90で延長戦へ。一度目の延長も同点で終わり二度目の延長に入ったが、急にセルティックスのシュートの精度が落ち始め、最後はフリースローの失敗が決め手になり110対101で四連敗。セルティックスのシーズンが終わった。

結局のところバスケットボールに惚れたというよりは愛する街が誇る人々を応援し、ボストニアンとして熱狂を分かちあえたことが嬉しかったに過ぎないけれど、これからもセルティックスの試合は観つづけることと思う。NBAにしてもMLBにしても日本にいるままに居間でビールを片手に生で熱戦を堪能できるということは文明の進化による最大の恩恵のひとつだと僕は個人的に思っている。そんな風にして僕は郷愁を味わうのかなと少し想像してみた。


先頭 表紙

マイケルさん、ほんとにこの試合はフリースローで勝負が決まっただけにとても残念。帰りの電車は夫婦そろってどっと疲れました。 / Hidey ( 2003-05-16 22:24 )
八百屋六助さん、その魅力がようやく僕にも分かりました。野球で言えば投球術の醍醐味を覚えるような。めったにない機会がこんなすばらしいチームの大舞台でラッキーでした。 / Hidey ( 2003-05-16 22:24 )
↓そうそう! あんだけ点数がバカスカ入っても終わってみると数点差ってのが多い。ホントにたった一つのプレーが勝負の分かれ目になるんですよね。だからフリースローくらいきちんと決めて欲しいんだよなぁ! / マイケル ( 2003-05-16 11:32 )
バスケットボールって,点はたくさんはいるけど,点が入るのは当たり前と言うところから考えて,どう点が入れられないかというところが勝負のような気がするんです.特に最後の2分なんか,大変.最近あまりみてないけど,生観戦はうらやましい. / 八百八六助 ( 2003-05-15 23:07 )
むらぱぱさん、ほんとに美しいというくらいの身体能力でした。日本のバスケは悲しいかな素人目にも全然劣ってしまうんでしょうね。こればかりは野球などと違って埋めるのは無理なギャップみたいですね。 / Hidey ( 2003-05-15 22:18 )
NBAは黒人の身体能力あってのおもしろさだと思いますよ。日本での最高峰の試合に行ったってあのスピードは体験できません。 / むらぱぱ ( 2003-05-15 01:37 )
マイケルさん、みほちゃんへの回答ありがとうございました。Heatはそんなに弱いんですか。それは悲しいですね。マイアミ、帰るまでに行きたかったなあ。でも妻がそれほど興味ないしなあ。 / Hidey ( 2003-05-14 22:52 )
みほちゃん、そりゃ単にやる気なしと思われたんじゃないの(笑)?ほーいってな感じで下からボール放り投げて。 / Hidey ( 2003-05-14 22:51 )
KATSUMIさん、そうなんです。ほんとは「ケルティックス」と読むべきところをボストニアンがイングランド風に「セルティックス」にしてしまったそうです。 / Hidey ( 2003-05-14 22:50 )
しんちゃんさん、ほんとに残念。ものすごく盛り上がって夫婦そろって大声で応援していたので最後はどっと疲れました。セルティックスのファンは日本にも多いようですね。 / Hidey ( 2003-05-14 22:49 )
チチローさん、はじめまして。観客、インテリなんでしょうか?少なくとも僕らの隣に座っていた男性はセルティックスの負けが見えてくると、近くを歩いていた女性に向かって「I love your ass!!!」と大声で叫んでおりました。個人的にはレイカーズよりもジャック・ニコルソンが見てみたいです(笑)。 / Hidey ( 2003-05-14 22:48 )
Heatが! Miami Heatがディヴィジョンで最下位〜 (;△;) 気を取り直して、レイアップシュートって、走りながらボールを下手で投げるシュートのことらしい。 / マイケル ( 2003-05-14 16:59 )
バスケかぁ・・・小学生の頃の部活はミニバスだったなぁ・・・。庶民シュートを高校の体育の授業でやってたら「なんでミホがレイアップできるの!?」といわれましたなぁ・・・。どういういみだったんだろうなぁ・・・。 / みほ ( 2003-05-14 14:54 )
セルティックというのはそういう意味だったんですね。NBAのバスケは、肉体と頭脳の両方が高くて、楽しいです。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-14 03:16 )
いやー残念でしたね。僕もネッツが嫌いなだけにセルティックスを応援していただけに残念でなりません。 / しんちゃん ( 2003-05-14 01:20 )
野球に比べると、観客がインテリですよね。マジック・ジョンソンの時代のレイカーズの試合を何度か見ました。いつも、ジャック・ニコルソンが指定席に座ってました。 / チチロー ( 2003-05-14 01:05 )

2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 2

乱暴にドアが閉められる音で僕たちは叩き起こされた。目を細めて時計を見ると朝の5時半。M氏が部屋に戻るなり落ち着きなくうろうろしてあれこれ自分の持ち物をいじっていたが、とにかく無視して眠ろうと僕は心に決めた。しかしあまりにも彼が無遠慮に音をたてるので眠るに眠れない。Alexも同じ状況にあるようだった。そのうちM氏はイエローページを取り出してどこだかに電話をかけ始めた。遠くでぼそぼそと話しているのですべて聞き取れなかったがなにやら真剣な口調で、「同室の二人には迷惑はかけられないので…」と話していた。行動に似つかわしくない発言だが何らか配慮があるのならないよりは遥かにましだった。

しかしM氏は電話を切ったあと可哀想なAlexを起こし、悪いけど40ドル貸してくれ、タクシー代が必要なんだと言って金を借りた。そのうちまたドアの閉まる音がして彼が出て行った。「何なんだよ」と起き出したAlexは広げたままのイエローページを見つけ、「Hidey、あいつエスコートサービス(いわゆる売春クラブ)に電話してたんだよ」と呆れて言った。僕もなんでこんな時間にと思ったがいずれにせよ同室の僕たちに気を遣って別のホテルでことを済ますのならまあ勝手にやってくれと思い再び寝る態勢に入った。しかし僕は一度起きてしまったらなかなか寝つけない性質なのだ。虚しい努力ののち僕は寝ることを諦めてなるべく物音をたてずにシャワーを浴び、ロビーで月曜日の授業のケースを読もうと部屋を出た。すると部屋を出たカーペット敷きの廊下にM氏が寝そべり早くも届けられていた朝刊を広げて読んでいた。何と言ってよいか分からず意味のない挨拶をし、僕は階下に降りた。何故彼はここにいるんだ?

気にするのはやめてケースを読み始めるとしばらくして早朝にも関わらず女性が外からドアをくぐってロビーに現れた。普通の身なりをした若い金髪の大柄な女性だったがさすがにピンと来た。コールガールだ。じろじろ見ても仕方ないし朝食サービスも始まったので僕はカフェに入ってアメリカのホテルよりは数段まともな朝食を摂りはじめた。ロビーに戻ってみると彼女は既に消えていた。

マクドナルドの国際展開の面白いケースだったので一心不乱に読みふけり、8時半頃にそっとドアを開けて部屋に戻った。Alexは起きていた。「Hidey、信じられるかい?あいつコールガールを部屋に連れ込んだんだぜ。それで俺がいるからってトイレで始めたんだ。お陰で一睡もできなかったよ」僕は僕自身を朝から勉強しようという気にさせた自分の気まぐれに心の底から感謝していた。

この日は一日雪が降る中何人かで一緒に昼食に行ったりめいめいに過ごしたりした。夜は前の晩の繰り返しでまたも高価で雰囲気のあるレストランでゴッドファーザーに出てくるマフィアの会合のように皆で食卓を囲み、そのあとは別のストリップ・バーへ行った。前日より面白かったのは幹事役の学生が手配をして、bachelor(ここでは婚約済みの独身者のこと)のScottとMarcを次々に舞台に上げソフトSMショーの餌食にしたこと。パンツ一丁で女王様に鞭打たれる姿は普段の理知的な彼らとは似ても似つかなかった。もうひとりのbachelorのM氏はレストランにすら顔を出さなかった。未だに彼のこの夜の行動は謎のままだ。

そんな風に明け暮れたモントリオールの二泊三日はこれまでなかなか見ることのなかった友人たちの一面を僕に見せてくれた。雪のモントリオールを後にしてボストンに戻ると久しぶりの暖かい日差しに遠くの芝生が輝き始めているのが見えた。春の足音をはじめて聞いた日のことだった。


*Olympic Stadium


先頭 表紙

akemiさんらしい想像ですね(笑)。そうなったら面白かっただろうけど。現実はあまり面白くなかったです。 / Hidey ( 2003-05-14 22:45 )
KATSUMIさん、まあ勝手に消えたりするのはどうでもいいんですけどかなり実害を蒙りましたからね。それに二日目のディナーは彼を含むbachelorたちの幸せを祈念して、予約をしてのディナーだったので、何の連絡もなく欠席したときは皆ただ唖然でした。やっぱりちょっと変わってる。 / Hidey ( 2003-05-14 22:44 )
ちょっとアテがはずれたなあ。あたしはてっきりHideyちゃまが奪われそうになったんだろうと、想像して読んでたですよ(爆) / akemi ( 2003-05-14 13:29 )
団体で出かけていての彼の行動は、そんな人もいるのかな、という感じですが、自分が同室だったら・・・(笑)。お疲れ様でした。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-14 03:21 )
鳥さん、それは人によりけりのようです。人によってはbachelor parteyだとは言わずに行くようだし、人によっては旅先でカバンを開けてみたら婚約者が気を利かせてストリップでダンサーにあげるチップ用の1ドル札を50枚も束でよこした(もちろんシャレです)というのもあるし。M…勘弁してほしいです。 / Hidey ( 2003-05-13 22:48 )
りりさん、ありがとうございます。でもおめでとうは先のためにとっておいてください。一応まだ卒業が確定したわけではありませんから。すべて最後の試験・論文の結果次第。へえ、やっぱりモントリオールはゲイで有名な街なんですか。こちらこそなるほど〜です。 / Hidey ( 2003-05-13 22:45 )
コインさん、ようやく、ようやくです。まだ実感が伴いませんが。また夢パンさんたちとご一緒したいですね。もちろんストリップはなしで(笑)。 / Hidey ( 2003-05-13 22:44 )
ぶちょう、さすが古いすね。当時から「ニッポンチャチャチャ」があったというのにも驚きました。ふーん、伝統芸なんだ。帰国後は出発前のボスとまた同じ部署になりました。希望通りの結果です。とうことでこれからもたくさん相談させていただくことになると思いますがよろしくお願いします。 / Hidey ( 2003-05-13 22:42 )
みほちゃん、ということは僕はまともな性癖ということだね!うちはインテリの人たちばかりだけど僕は落ちこぼれだし。うーん、自分がまともな人間であると自信が持てるようになってきたよ。ありがとう。 / Hidey ( 2003-05-13 22:40 )
プルーさん、ありがとうございます。普通のbachelor partyはそういうものなのかもしれません。やはりコンサバ、真面目なうちの連中は綺麗に店で飲んですませて、しかもそういうところに主義として(敬虔なクリスチャンとか)行きたくないという人は行かないというほどでした。 / Hidey ( 2003-05-13 22:39 )
りぃなさん、関西出身なのによく新宿二丁目なんて知ってるね。ゲイのエリアもあるんだ。知らなかった。まあゲイに関してはアメリカではどこでもいるし。価値観の多様化に過ぎないしね。 / Hidey ( 2003-05-13 22:37 )
カ、カルチャーショック!婚約者の女性は、相手がそういうことが目的の旅行に行くことを寛大に許すんですか?!ひゃ〜。いやいや、私がウブすぎなのかも。//Mさん…強烈ですね… / ( 2003-05-13 21:47 )
2年間お疲れ様でした。そして、おめでとうございます。モントリオールってそういう街だったのですね。友人がゲイのデザイナーの話をよくするのでふーんと思っていたのですが、なるほど〜。 / りり ( 2003-05-13 20:47 )
ようやく2年間が終わるのですね。早く日本で再会したいです。ストリップはなしでね(笑)。 / ガス欠コイン ( 2003-05-13 19:06 )
初めて海外に行ったのがアメリカと同時にオリンピック時のモントリオール(古い!)本場のピスト(競輪場)に感動して、バレーボールでは「ニッポンチャチャチャ」を絶叫していました。ともあれ2年間ご苦労様でした。帰国後は社を正しき道に導き給う事を。 / ぶちょう ( 2003-05-13 15:43 )
・・・・インテリ階級の方てどうもこぞいもそろって普通とは違う性癖があるような気がしてなりませんよ(遠い目) / みほ ( 2003-05-13 11:50 )
いつのまにか沢山更新されていて驚きました。学業は無事終了とのこと、おめでとうございます。あとは帰国へ向けて準備ですか。このモントリオール旅行はちょっと変わったバチェラー旅行でしたね。イメージ的にはどこかのホテルで男性だけでどんちゃん騒ぎ(それなりの女性も呼んで?)という感じがあります。 / プルー ( 2003-05-12 23:42 )
モントリオールに行かれたんですね。私もあるんですよ、2年前の夏に。その時は、ゲイの街(新宿2丁目のような)を通って彼らに手を振ったりしたので、今回は、もしかしたらそういう場面が?と思ったのですが、さすがに、もっとノーマル、もっとクリーンでしたね(笑)ちなみに、紫色の服を着ていると、ゲイであるという意味だとか☆右ピアスと似てますね。 / りぃな ( 2003-05-12 23:31 )

2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 1

4月3日に遡るがセクションの男子学生22人で二泊三日のモントリオール旅行へ行ってきた。ScottとMarcとM氏(匿名の理由は追って明らかになる)が今年結婚する予定であるため、アメリカでは一般的な独身最後を男だけで祝うbachelor partyを兼ねた旅行になった。僕はbachelor partyというのは参加したことがなかったので何事も経験ということで加わってみた。「Hidey、モントリオールってどんなところか知ってるかい?」と友人に訊かれ、「知らない」と答えたら「まあ今に分かるよ」と言われた。その時点である程度予想はしていたものの予想以上に下品な旅となった。ただしその下品さはは予期せぬ形で訪れた。

要は新宿歌舞伎町を拡大してその中に普通の店や教会やオフィスビルをはめ込んだような街だった。それに観察不足もあるかもしれないが歌舞伎町にも程遠いほど歓楽街的な要素は小規模だったような気がする。まあいずれにせよそれが彼らがこの街を旅先に選んだ理由だ。旅先を決める投票で僕はラスベガスを選んだのだけど多くの者がモントリオールを選びそのように決まった。

腰を抜かすほどうまいという触れ込みだったが、結局は騒ぐほどではないステーキハウスで一人140ドルも散財させられたあと、数人の学生のたっての希望で初日からストリップ・バーへ。でもまあコンサバで真面目なうちの学生が行くような場所ということで極めてまともな店だ。大きなホールになっていて女性客もちらほらいて、みんなで飲んだり話したりしながらショーを見るという場所。余分にお金を払えば間近で踊ってくれる。パパがお金持ちの華僑C氏などはひとりで三回くらいプライベート・ダンスを注文していたが、あとは皆比較的おとなしいものだった。

コンサバな学校のモラル的規則の影響も多少あるにせよ、それ以上にここの学生は学生間の評判に敏感だ。妙な性癖をあらわにしたり他人の目を顧みず行動したりすることは慎むべきことという不文律がある。クリーンといえばクリーンだがそのへんに東海岸ビジネスエリートのつんとすました会員組織的な空気がある。いずれにせよそんな空気のお陰でさして下品な経験もなく旅が進行するかと思われたが、それはちゃんと訪れた。しかもとても個人的な形で。

僕はAlexと冒頭に紹介したM氏と同室だったのだが、もともとうちのセクションでは多少浮いた感じのあるM氏は確かに不可解な人物だった。ロー・スクール出身の彼は授業中の発言でもビッグ・ワードを多用し、その一見難解で冗長な発言の割には中身が乏しく虚飾が多いと評判だ。ボストンから到着して三人で部屋に入るなり彼は自分の荷物の中身を部屋中に文字通り撒き散らしていた。何の必要があったのかよく分からないが次々と彼は部屋をカオスに陥れていった。僕とAlexはその余ったスペースに慎ましく小奇麗に自分たちの荷物をまとめた。

ストリップを観終えて深夜2時ごろに部屋に戻った。ベッドが二つしかなかったため体の大きいM氏が一つのベッドを占有することをあらかじめ決めていたので僕とAlexは多少狭いながらも同じベッドで寝た。M氏が一向に戻ってこない。そう言えば彼はストリップ・バーにもいなかった。どうしたのかなと訝りつつもあまり気にせず二人で話し込んだ。Alexは珍しくストレートに僕の人生的な価値観―結婚観や諸々―を僕に尋ねてきたので僕も少し踏み込んだ密度の濃い話をした。電気を消し互いの顔が見えない状況でそんな話を延々としていた僕たちの姿はまるで高校生のそれのようだった。そうして二人ともいつの間にか眠りに落ちた。

(つづく)

先頭 表紙

鳥さん、はい、モントリオールはカナダです。僕も最後まで歓楽街というイメージはそれほど持てずに帰りました。綺麗な教会も多いし素朴な人も多いようだったし。きっと友人も誇張して話していたんだと思います。 / Hidey ( 2003-05-13 22:35 )
モントリオールってそういう街だったんですか?!カナダの都市でしたよね?(違ったっけ・・) なぜだか分からないけど清楚で真面目な人が多いイメージを勝手に持ってました(笑) / ( 2003-05-13 21:38 )

2003-05-11 勉強終了 2

結局5月5日の夜に現地6日朝のインドネシアに電話をし、無理な話を呑んでいただき、6枚にわたる質問項目をメールでお送りし、翌日再度電話をして口頭で返事をいただいた。貴重な情報を沢山得ることができて、完成のための材料だけはすべて揃った。事前に得ていた一般情報だけでもある程度書ける部分は先に書いておいたので、これで何とかなると一安心。

そんな時友人から遊びの誘いのメールが相次いだ。「多くの人は試験の後卒業式まで旅行でいなくなったりするので、ゆっくり話をするには最後の機会だからみんなで思い切り飲もう」と韓国の友人が書いてきたかと思えば、日本人の学生グループからも試験の最終日の夜にカラオケに行こうとの案内が届く。二年生は取っている授業がバラバラで、人によっては早めに試験も論文も終わるという場合もあるし、僕の場合は試験の最終日の翌日である5月9日に最後の論文の提出期限が設定されており、その日ギリギリまで粘るつもりでいたのだ。一応卒業にも関わる最後の論文も大事だがかけがえのない友人たちとの最後の語らいの機会も失いたくない。欲張りな僕は結局両方追い求めることにし、その代わり効率よく着々と論文を書いた。

韓国人、中国人、日本人の集まった韓国料理ディナーでは二年前のある狂乱の一夜を再現しようと、とにかく何でもいいから理由を30個程つくっては30回程小さなグラスで韓国酒を一気飲み。翌日の日本人カラオケパーティーではアルコールを置いていない上に持ち込みも禁止しているところへ(ばれたら料金2割増)ワイン3本とバーボン1本をしっかり持ち込み夜10時から1時半まで熱唱。充実したがかなり疲れた。

そして5月9日提出期限当日。実はこの日は学生会主催の年間最大のパーティー、Newport Ballが開かれることになっていた。ロードアイランド州のニューポートという、豪邸が海辺に建ち並び、かつてのアメリカズカップ開催地としても知られるリゾート地での泊りがけでのイベントである。午後3時頃には出なければならなかったので酒の残る頭で早朝から論文の総仕上げ。グラフ等の資料を作成するのに少々手間取りながら午後1時半、すべての作業が終了し、一生を通じて多分最後の機会である二年にわたる集中的学習が幕を閉じた。そんな感慨に耽る間もなくニューポート行きの支度をし、同じく慌しく帰宅した妻とともに車に乗り込みニューポートを目指した。

Ocean Cliffという海辺に立つ大変豪華なゲストハウスに1000人近くもの学生たちやその連れが集まった。タキシードにドレスという出で立ちでいつもの友人たちが現れた。こんな機会ももうほとんど最後ということで皆デジカメを持参していた。あちらでもこちらでもハグで互いの体温を確かめ、卒業後の身の振り方について話し、再会を誓う姿が見られた。そして夜も深くなるとダンスフロアに人が集まりだし、DJが小気味よく曲を繋いでいった。我々は同じセクションの仲間で集まったり、個人的に仲のいい連中で輪をつくったりして踊る。赤ワインがフロアにこぼれたり服にはねたりしても気にしない。世界中で活躍していくに違いない仲間たちが子供のように無邪気に体を揺らす姿を感慨深く見つめながら僕も同じようにステップを踏んでいた。黒々とした夜の海に街の灯の欠片がいつまでも揺れていた。

そんな訳でようやくこちらの日記を書く時間を得た。ひと月以上ご無沙汰してしまったがその間の話題も振り返りながらこれからの一ヶ月間、できるかぎりこのボストンでの最後の日々を記録していきたいと思う。今日はとりあえず久しぶりに、ひとり自室にて白ワインで乾杯。


先頭 表紙

KATSUMIさん、いや、単に体が求めていたのです。フットサルもいいけど飲みもいいですね! / Hidey ( 2003-05-14 22:42 )
お疲れ様でした。論文の締め切りと飲みを両立させるところはさすがですね。帰国の後は、是非フットサルに!(笑)。  / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-14 03:28 )
可能性は言葉が不適切だったかもしれません。むしろ可能性があるのか疑問に思ったという意味です。取引先や他業界企業など様々なプレイヤーが情報を持つようになり商社のdisintermediationが進むでしょうし。授業のエッセンスは、企業の国際化は市場よりも企業ヒエラルキーの方が効率よく国際的なビジネス環境を形成できるという信念により進むということでした。商社としては規模と範囲の経済をテコにこれまでどおり新分野における権益を獲得し、状況に応じてサービスのバンドルとアンバンドルを使い分けるしかないのでしょうね。 / Hidey ( 2003-05-13 22:32 )
今後の可能性について?是非聞かせてください。 / むらぱぱ ( 2003-05-13 00:03 )
夢樂堂さん、クールダウンしつつも実践の場に備えるため、学びの内容を整理しなければならないと思っています。あんまり遊んでばかりはいられません。早々の再会、心待ちにしています。 / Hidey ( 2003-05-12 18:40 )
やっちーさん、ありがとうございます。ジンバブエのサバイバル生活ほど大変ではないにせよ、かなりどきどきの経験でした。こちらのパーティーはほんとに映画と区別ありませんからね。常に自分が主役。そのふてぶてしさと積極性は学びたいと思うことのひとつです。うちの妻はそういう人じゃないんですよー、残念ながら。それにこの日は足を痛めていた上に体調が悪くて、ダンスタイムが始まる前に早めにホテルに返しました。 / Hidey ( 2003-05-12 18:39 )
むらぱぱさん、ありがとうございます。そうでしたか、インドネシアご担当!色々お聞きしたかった。総合商社については授業でもかなり取り上げて教えていたので論文の中でも現地資本との合弁解消後、三井物産がヤマハと組み、どんな機能を果たしたかについても簡単に触れました。商社の機能と今後の可能性についても色々と考えさせられる授業でした。 / Hidey ( 2003-05-12 18:35 )
八百屋六助さん、ありがとうございます。大学というよりはビジネス大学院でみな社会人経験はある程度ある連中だから、派手さも余計だと思います。相変わらずの年功序列社会の日本をほとんど唯一の例外として、この学校の卒業生はすぐさまかなりのポジションに就いていくことは事実です。でもそんな日本、そんな元の会社に帰ることを決めたのは僕自身なのだから、ぼやかず焦らずやっていきたいと思います。 / Hidey ( 2003-05-12 18:32 )
みほちゃん、あなたはやっぱりおいちゃん?でも確かにMonika嬢、ストラップのたわみ具合がセクシーすぎる。この子は同じセクションでJapan Trekにも来てくれた、とても素朴でいい子なのです。コスプレねえ…。いずれにしてもありがとう。あと一ヶ月楽しみまくります。 / Hidey ( 2003-05-12 18:29 )
akemiさん、おっちょこちょいの僕なのでそう簡単に話は終わらないのでご安心を(笑)。二年間、誰にでもきっと何かしらいろいろある時間ですよね。僕にとってもそうでした。akemiさんの着々と「夢」に向かって歩かれている姿が麗しいです。 / Hidey ( 2003-05-12 18:27 )
これからはクールダウンの時期、お帰りお待ちしていますよ。 / 夢樂堂 ( 2003-05-12 12:06 )
2年の課程、そして論文終了おめでとうございます!「ヤマハがゴールデンウィークでお休み」と読んだ時にはまるで自分のことのように「どうするの〜!!!」と手に汗にぎってしまいました。でも、本当に提出できて良かったですね。それにパーティも、まるでアメリカ映画の1コマのようで素敵だ〜。‘終り'って、淋しいけれど、また新しい‘始まり'なんですから!Hideyさんも、写真のように奥様と踊ったんですか!? / やっちー ( 2003-05-12 03:01 )
ご苦労さまでした。私はインドネシア向け自動車輸出を担当していたし、現地にも長期出張で滞在していたので自分自身も知らない事ではないし、会社の先輩後輩が現在でも何人も現地に駐在しているのでテーマの事を事前に知っていたら何かお役に立てたかも知れないと思い、とっても残念。でも無事に書き上げたと言う事でこちらも安心しました。次は日本での社会復帰がちゃんと完了する様に頑張って下さい(笑)。 / むらぱぱ ( 2003-05-12 01:58 )
無事,終了,おめでとうございます.アメリカ(海外の大学はほとんどこうなのだろうか?)の大学の最後のパーティーは,みんな晴れ晴れしくってうらやましいですねぇ.みんな,これから活躍するんでしょうね. / 八百八六助 ( 2003-05-11 23:09 )
お姉さんのドレスのズレ具合にグっときますね!!(そこに目がいくか)やっぱり卒業式は黒のガウン着てあの帽子ですか〜?いいなぁ、やってみたいなぁ、コスプレしたいです。・・・何につけても二年間お疲れ様でした!残りのボストン生活楽しんでくださいませ! / みほ ( 2003-05-11 21:19 )
最後に来て、また「見せ場」が?(笑) ギャラリーとしては淡々と論文を書き終えられては物足りない・・などとご本人の頭ん中真っ白・・のときに言ったら叱られるでしょうが、今読んでの感想なので許してください。二年間、本当にお疲れ様でした。(その間、あたしにも色々あったなあ・・などと思い出してみたり・・・)  こちらもなんとかGW終えて、また明日から銀行との交渉が始まります。 / akemi ( 2003-05-11 19:16 )

2003-05-11 勉強終了 1

5月9日13時30分。二年間の勉強がすべて終わった。4月29日に授業自体は終了していたのだが、それからの2週間は試験期間ということで、二つの試験をこなし三つの論文を書き上げた。

最終日のこの日にはEvolution of Global Businessという授業のための、ヤマハ発動機のインドネシアにおけるビジネスの変遷についての論文を提出した。スハルト政権やその終焉を招いたアジア通貨危機、民族・宗教問題などといった大変困難な環境にも関わらず、世界で将来的にもっとも成長が期待される二輪車市場のひとつであるインドネシアには、早くから日本の二輪車メーカー各社が進出した。インドネシアの経済・技術の発展のために、外国資本がインドネシアに進出する際には現地資本との合弁という形が義務づけられていた中(当時)、ヤマハ発動機がいかにローカルパートナーを選択・活用し、文化・慣習の異なる現地社員をコントロールし、現地のマーケット・ニーズにあわせた商品を開発し、最大のライバル・ホンダと異なる戦略・ビジネスモデルを選択し、そしてアジア危機を乗り切ったかについて書いた。

しかし最後の論文を書くにあたって大変な困難に遭遇した。The Marketing of Innovationsの20枚にわたる論文もようやく見通しがついた4月26日、そろそろ最後の難関のEvolution of Global Businessの論文の資料を集めなければと、勝手知ったるヤマハ発動機広報室の方に電話をした。しかし何度電話をしてもつながらない。おかしいと思ってかつての同僚に電話をかけたところ、ヤマハは早くもこの日からゴールデンウィークに突入し、営業再開は5月6日という事実が発覚。論文の提出が5月9日であり、すでに教授とも論文のテーマについて合意を得ていただけに頭の中が真っ白になった。インターネットを駆使してもヤマハのインドネシアの1970年代からのビジネスの変遷など簡単に調べがつかないことは分かりきっている。最後の最後に卒業に向けて最大の難問が訪れたことに僕は本当に久しぶりに愕然としていた。

妻も僕の様子がいつもと違うのにさすがに心配をして、こうしたら、ああしたらと、僕からすれば正直気休めにしかならない方法論をいくつか提案してくれた。しかし彼女と話している間に徐々に落ち着きを取り戻して、とにかくできるところまでインターネットで調べて形を作り上げ、不足している情報が何かを明確にし、日本の5月6日はアメリカではまだ5月5日なのでその日にすぐ情報を確保し、四晩かけて仕上げようと決意。また、失礼を承知で面識のないヤマハのインドネシアの事業所に電話をすれば、きっとゴールデン・ウィークとは関係なく営業されているに違いないと気づいた。その事業所の電話番号もなんとかインターネットで調べることができた。

早速代表番号に電話をして、営業か商品企画の担当の日本人社員の方につないでいただけないかと話し、そちらの番号を教えてもらったのだが、二人いらっしゃる日本人の方はその週ずっと出張か何かでいらっしゃらないという。仕方なくその週はインターネットでの調査と質問ポイントの抽出、質問票作成に終始した。しかし驚いたことにインターネットというのは本当に使える道具で、かなり詳しいポイントまで調べることができた。自動車工業会、外務省、国際労働機関、銀行系のシンクタンクから某大学の研究室にいたる様々なサイトから何百枚にわたるデータをプリント。さすがにヤマハに特化した話となると情報が薄くなるが、インドネシアへの二輪車メーカーの進出、アジア危機への対処などの一般論についてはほとんど把握することができた。本当に便利な世の中だ。

(つづく)

先頭 表紙

2003-04-04 Network Effect

Network Effect…例えばインターネットに見られるように、より多くの人が利用すればよりコンテンツ供給者も増えサービスも充実するといった波及効果を意味するビジネス用語である。うちの学生にとってはこの学校で学ぶ主たる目的―人的ネットワークづくり―という意味も持つ。そんな掛け言葉が今年の学生演劇ショーのタイトルだった。

と言っても素人の寄せ集めの学芸会とはちょっと違う。本格的な照明、音響、生演奏、そしてオリジナルな脚本・振付によるブロードウェー顔負けのミュージカルだ。同じセクションの友人たちも監督やダンサーとして活躍するということもあって、昨年同様セクションの連中と観劇した。

全米ネットワークのテレビ局がビジネススクールの実情をネタに番組をつくるべくうちの学校にやってくるという設定だが、要は内輪ネタで笑わせる劇だ。口先ではIntegrity(誠実さ)がもっとも重要だと言いながら学長から学生まで誰もが結局は金儲けしか考えていないと、強烈に学校を風刺した内容になっている。内輪ネタとは言え、それを徹底的にプロフェッショナルにつくり込んでいるのでかなり爆笑モノである。

NPV(正味現在価値)やFive Forces(うちの看板教授マイケル・ポーターが考案した、業界を取り巻く五つの力を精査することによりその業界の魅力度を分析する方法)などのお馴染みのMBA用語が科白や歌詞に散りばめられる。授業のシーンである学生が「よい組織には7Sの調和が必要です」と発言するが、教授に「その7つのSとはなんだか覚えているかね?」と聞き返され、学生は「Structure、Strategy…えーと、あとなんだっけ…?」と言って「ちょっと友達に電話で聞いてみます」と携帯電話のボタンを押すと、客席から本当に着信音が鳴り出す。びっくりしながら電話に出た客席の女子学生は舞台上の役者に「7Sって何だったっけ」と生で質問され、しどろもどろになっていた。ちなみに7SとはStructure、Strategy、Staff、Skill、System、Style、Shared Valueである。

また、過去日記にも書いた「Hit the Screen」(成績が基準を満たさず学業成績委員会の審理の対象になること)や「Shark」(他人を誹謗するような不謹慎な発言をすること)などのうちの学校独特の語彙も飛び出す。クラブ・ヌーボーの「Lean on Me」の替え歌「Build on Me(発言に自信がないとき、他人の意見の尻馬に乗って、『To build on 〇〇, …(〇〇君の発言に付け足しですが…)』という形で使う)」や「Young Man」の替え歌「Why MBA?(YMCAの部分でそう歌う)」もあった。

内容はともかく役者のパフォーマンスは見事だった。もともとプレゼン能力たっぷりのアメリカ人学生は日常から非常に抑揚のある会話をしており、彼らにとって科白など呼吸と同じなのだ。少なくとも僕にはそう見える。仲のよい台湾出身のミクロ系美女アイリーン(先日の日記のフィリピン人はAileenで、こちらはIrene)は高校時代に台湾でアイドル歌手をやっていただけあって本領を発揮していた。学生の配偶者も多数出演しており、そのうちの一人の女性はニューヨークでプロのダンサーだったこともあり、振付を担当し、自らプロの踊りを見せつけていた。10〜20人の群舞のシーンはさながらブロードウェーのステージだった。

僕らはといえば、会場が暗いのをいいことにセクションメイトのケビンの家でのPre-Show Partyから持ってきたビールをぐびぐび飲んで乾杯を繰り返していた。僕が持参したカルビーポテトチップス・コンソメ味やムース・ポッキ―も大好評。相変わらず勉強で忙しい一週間のど真ん中の出来事。たまにはこんな日もないとね。

先頭 表紙

しゃどう猫くん、僕も確かに一瞬携帯をチェックしました。僕は一応OFFにしていたけど。こっちはバイブレーションなんてない携帯も多いみたいだからねえ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:24 )
鳥さん、再度。ほんとに電源切ってたら・・・って考えるとやっぱりやらせだったのかなあ何て思ってしまいます。今度出演者に聞いてみよう。 / Hidey ( 2003-05-11 14:23 )
わかな、ごめん、順番抜かしちゃった。そんなに費用かかってたんだ。学生演劇にしては破格の予算だよね。たしかにあのSharkは笑えた。もうすでに懐かしくなっちゃったね。 / Hidey ( 2003-05-11 14:21 )
みほちゃん、僕も実は同じことを思っていたのです。よっぽどマナーが悪いか実はやらせか。でもやらせのようには見えなかったんだけどなあ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:20 )
ウサ子さんの演劇批評にかかってはちょっと物足りないかもしれないけれど、内輪的にはとてもおもしろい劇でした。プレゼンの表現力、あれはいつも授業中に感心しきりです。 / Hidey ( 2003-05-11 14:19 )
鳥さん、めちゃめちゃ楽しいですよ。こういう英語の勉強の仕方もありですよね、きっと。ちなみにアイドル歌手の子はコロンビア大学に行ってその後ニューヨークでビジネス経験を経てこちらにきています。 / Hidey ( 2003-05-11 14:18 )
Hirokoさん、7Sというのは考えてみれば至極当然のことなのですが、日本の企業はあまりにも政治的なしがらみが多すぎで実践できないようですね。うちの会社も似たようなものです。 / Hidey ( 2003-05-11 14:16 )
たらママさん、たしかにShared Valueはちょっと辛い。一応この7Sとはマッキンゼーが開発したモデルなのですけど。最近は英語のプレゼンテーションを学ぶスクールも日本にあるみたいですね。 / Hidey ( 2003-05-11 14:14 )
りぃなさん、メリハリはちゃんとつけないとね。それがないとここでは即死します。 / Hidey ( 2003-05-11 14:11 )
夢樂堂さん、かなりリラックス、かなり酔っ払って観てました。西洋人ってこういう演劇の世界に関してはただただ尊敬ものです。 / Hidey ( 2003-05-11 14:10 )
ミサトさん、きっといらしてたらとても楽しんでいただけたと思います。日本も最近はいろんな番組があるんですね。来月帰ったらすっかり浦島太郎だな。ポテチのコイケヤのり塩、ミサトさんぽくないというかぽいというか、とにかく微笑ましくていいです。今度ぜひ家でのパーティーでみんなに食べさせてみます。 / Hidey ( 2003-05-11 14:09 )
みほちゃん、関西人を笑わせられるとは思わなかった。光栄です。みほちゃんはどっから見てもきっと西洋演劇むきだよ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:06 )
コインさん、多分あれは不意打ちだったんだと思います。相当びびってたから。この劇のDVDも販売するという噂もあり、ほしいのですが日本ではこちらのDVDは観られないからなあ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:04 )
横レスすみません。↓ 切り替え忘れている人が多く、誰かの携帯がなると、慌ててみんな自分の携帯をバイブレーションモードに切り替えるのでした・・・。って感じ? / しゃどう猫 ( 2003-05-05 07:01 )
横レスすみません。↓みほちゃんのコメント見て「なるほどーーっ!」と感心してしまいました。ほんと、電源切ってたらどうするんだろ?別の人にかけるつもりだったのかな。うーん・・・あれこれ考えてしまう。 / ( 2003-05-01 21:51 )
・・・あのー、久しぶりに読んで見て気付いたんですけど、あの、アメリカでは、舞台を見ているとき、携帯をマナーモードにするとか電源を切るとか、そういう事しないんですかね、あれで彼女の電源が切れてたら・・・真剣に悩んでしまいましたが彼女も役者の一人だったとかー!(そんなオチ?) / みほ@すみません書き逃げします ( 2003-04-24 08:56 )
すごいメンバーですね。プレゼンの際の表現力・・・すごい欲しい。うらやましい。 / ウサ子 ( 2003-04-14 18:13 )
すごい。めちゃめちゃ楽しそう!!舞台からいきなり電話かかってきたらビックリですよね(笑)アイドル歌手とかプロダンサーとか、ほんとにいろんな人が学びに来てるんですね。忙しい中でもそういう日もあったりして、とても充実してますね。 / ( 2003-04-13 18:10 )
7S、耳に痛いです。。。と、いうよりうちの上司にも聞かせてやりたいデス。(泣)/こういう演劇私も観てみたかったです。 / Hiroko ( 2003-04-13 14:18 )
7Sの最後のSahred Valueはちょっと苦しいような・・・。それにしても、アメリカ人って何であんなにプレゼンに長けてるんだろう、と思うことしばしばあります。 / たらママ ( 2003-04-12 23:46 )
総製作費が$70,000だったらしいです。When the Sharks Attack!の映像が好きだった・・・。 / わかな ( 2003-04-12 03:59 )
わ、こういうの大好き!見てみたかったな。そちらは、onとoffのメリハリがきいていていいですね。 / りぃな ( 2003-04-10 14:42 )
リラックスしながらも真剣に観られそうです。 / 夢樂堂@まだバリ気分 ( 2003-04-05 21:40 )
ミサトは風刺ネタや細かい演出、プロフェッショナル芸、大好きなのでとても楽しく読ませて頂きました。そういえば、日本のあるバラエティショーでとても細かい演出をする番組があるんですよ(笑)。番組内で女性タレント同士(2人とも日本語と英語を使うタレント)が口論になった事があったのですが、2人とも興奮状態になったのか日本語、英語入り混ぜての口論になってしまったの。そうしたら次の回での放送で、きちんと日英の通訳が用意されていて、ものすごく笑ってしまったことが(笑)!ポテチはコイケヤののり塩もお薦めです♪ / misato ( 2003-04-04 19:28 )
あ、すみませんWhy MBAでした、はは(書きにげ) / みほ ( 2003-04-04 19:19 )
Thy MBA・・・学校で見てたらふきだしてしまったじゃないですか、プッと、ぷっ、と!!ど・・・どうしてくれるんですか(笑)日本語でも何語でも抑揚を付けすぎる私の喋り方は日本の演劇には向きませんでした(遠い目) / みほ ( 2003-04-04 19:18 )
そんなアメリカの遊び心が好きです。学校を皮肉る劇なんて、日本じゃ不可能ですもんね(笑)。携帯電話をかけられた相手はやらせではなく、不意打ちなのですね。何となく、お金を払ってでも観たいような気がしました。臨場感が伝わってきます。 / ガス欠コイン ( 2003-04-04 14:14 )

2003-03-31 daseinさんへ −つっこみ返しに代えて−

daseinさん、はじめまして。3月2日の日記に対し貴重なご意見をいただきありがとうございます。ですが僕は決して感情に流されたわけでもないし謝罪を繰り返したわけでもありません。daseinさんのいわゆる「相手の言うコト」とは相手国一般の言うことを指しているものと理解しましたが、念のため僕の韓国、中国の友人は別段一方的な歴史解釈で僕に謝罪を迫ったわけではないことを申し上げておきます。靖国問題にしても黄文雄氏が唱えているように日中で異なる死生観があると僕も認識しており、メイソンにはそれを伝えたつもりです。

国家というものは加害者であれ被害者であれ、国益のために歴史を歪曲して解釈したり伝えたりするものであり、それは日本にも韓国・中国にもあてはまります。ですから僕自身は相手国の教科書や歴史書の主張を盲信するつもりはありません。

しかし、韓国についてはdaseinさんも日記で取り上げていらした三・一独立運動やその歴史的根拠とされる日本人による虐殺事件が問題の焦点のひとつとなりますが、いみじくもdaseinさんが引用された藤岡寛治氏も書いているとおり、仮に7509人の殺戮が誇張だったとしても553人の殺戮は大いにあり得たということになります。問題は人数の正誤ではなくそのような史実が存在したということだと思います。

中国に関しては日本軍自作自演の満州事変に始まり南京大虐殺にそのクライマックスを見ますが、満州事変については日本も国としてその謀略を認識しているところです。最近南京大虐殺の存在を全否定する新しい根拠も某所で発表されているようですが、圧倒的に多数にして多角的な文献がその存在については認めていることはさておき、僕が問題にしているのは虐殺に至る帝国主義的な動機や、これに類する小規模でもおびただしい数の虐殺の史実は存在したということです。

そしてもっとも強調したいところですが、僕は史実に対して即謝罪することが必要だと言っているのではなく、加害者が存在するのだとしたらそれを生み出した人類共通の根源的理由があり、日本人も韓国人も中国人もそれに対してともに闘うべきだということです。日本人による殺戮が史実だとすれば、儒教的封建制により抑制及び抑圧されてきた日本人の精神がひとたび西洋的資本主義、帝国主義に染まるや否やその儒教的封建制ならではの忠実さにも助長され、歴史上稀に見る残虐性を発揮し得たということだと思います。ですから史実とすればそれは人類共通の不幸な悪性が戦中の日本という特殊な設定を媒介にして世界に露見したということにほかなりません。それは歴史の成り行きによっては韓国や中国でもあり得たことだし、部分的には彼らも共通した残虐性を実践してきました。植民地時代の欧州各国に関しては言わずもがなで、彼らだってアジアやアフリカで残忍にして恥ずべき歴史を繰り返してきました。アメリカは植民地は持ちませんでしたが、奴隷制度には共通の残虐性を見出すことができます。

Daseinさんは「被害者」による歴史の歪曲の可能性に重心をおき、僕は人類共通の不幸に重心をおいただけで、お互いにそれほど違った価値観を持っているとは思いません。しかし、加害者とされ、多くにおいてそれを自認する国民だからこそ果たせる役割、提供し得る視点もあると思います。それこそが謝罪以上に大切な我々日本人の責務かと思います。「鵜呑みに」したわけではないのでそこはご理解いただきたいと思い、この長い返事を書かせていただきました。これからも率直なご意見をいただければ幸いです。

先頭 表紙

ミサトさん、すっかり返事が遅くなりごめんなさい。SARSにしてもそして容易に想像できるけど白装束集団についても、メディアは人格を持ちすぎていると思います。事実だけを客観的に提供し、異なる視点を公平に紹介することに徹するべきですね。メディアには昔から感心がある分その功罪にも僕は非常に敏感になりがちです。ミサトさんのおっしゃること、すべてその通りだと思います。 / Hidey ( 2003-05-11 14:03 )
情報操作は本当に小さな日常生活レベルのものからメディア、国家によるものまでと色いろありますね。例えば最近のSARS。あれも情報操作の1つ。最初の時点での情報公開の仕方が違っていたら又違った流れになったはず。そして今回の戦争報道に代表されるようなメディア側の意図が透けて見え過ぎるケースなど・・。各アングルからの情報収集がこれからもっともっと必要になってくるのだと思います。又、そういう事ができる環境に生まれた事についての意味を深く考えなくてはと思ったりするのです。 / misato ( 2003-04-04 18:34 )
Rさん、確かに国民自身に努力する意志があれば相当に多角的な情報を得られる国ですよね、日本は。アメリカに対してそこはきちんと誇りたい部分です。ただしイデオリギーにすら基づかない視聴率本意の偏重報道にはさすがに辟易しています。そこはアメリカも足元にも及びませんね。CNNの件、存じませんでした。先日戦争とは無関係に学校で実施したアンケートによるとCNNが偏っているという意見は比較的多数でした。少なくとも旧三大ネットワークよりは。ちなみにFOXが一番偏っているとの結果でした。 / Hidey ( 2003-04-04 16:39 )
イッセイさん、はじめまして。NTTの件、貴重な情報をありがとうございました。さすがに親方日の丸。まあA級戦犯が国家のトップに立った国ですからね。過去と上手く決別できている人ならいいのでしょうけれど。 / Hidey ( 2003-04-04 16:32 )
ミサトさん、つっこみにくい日記につっこんでくれてありがとう。これだけ民主的な世の中でも情報操作はちゃんとありますからね。気をつけないと。下の日記のみほさんへのつっこみ返しに改めて思うところを書かせていただきました。僕が言いたかったことを感じ取ってくださり、本当にありがとうございます。もともとメディアに対しては僕はかなり過敏な神経を持っているのです。 / Hidey ( 2003-04-04 16:29 )
情報操作から、日本人は自由な方ですよね。国民の多くがネットなどを利用し、自由に日本以外のメディアからも情報を仕入れられるわけですから。ただし、受け手がそれを求めるのならば、ですが…。ところで情報操作といえば!アメリカ海軍がCNNのスポンサーになったという話をちらっと聞いたのですが、本当なのでしょうか? / R@わたしもズレズレだわ〜 ( 2003-04-03 01:40 )
はじめまして 10年前NTTの役員のなかに 関東軍幹部の生き残りの名前を見つけて暗い気持ちになったのを 思い出しました。そういうものなのだと思います日本人は。昔は身を捨てて世の中のために尽くした人もたくさんいたみたいですけどね。 / イッセイ ( 2003-04-02 21:22 )
日記の内容のつっこみとしては少しずれてしまいますが、Hideyさんの日記を読みながら、ふと、メディアにおける情報操作(世界各国での)について考えました。最近は特に情報操作が各分野目立ってきているせいか、Hideyさんの日記を読みながら様々な考えが浮かび、リンクしたのかもしれません。思うのですが、、いつの時代も、どこから情報をピックアップするか、したかがキーになっていて。そしてその事にとても大きな意味があるように思うのです。・・今できるであろう事、自分の役割、再確認したいと思います。 / misato ( 2003-04-02 14:26 )
daseinさんへのお返事という形を取りましたが、他の皆様からもご意見をいただければ考える材料になります。忌憚ないご意見をお待ちしています。 / Hidey ( 2003-03-31 17:06 )

2003-03-25 ふたたび、つかの間の帰国 2

また、6月中旬から社に戻るにあたり今月中に配属希望を提出することになっている。かねてから個人的に業務上のテーマとして掲げているナレッジマネジメントを実践できる部署として、営業統括的な部署を希望することにしている。要は知の共有によって5000人を越える社員を抱えるうちの会社の量的優位を質的優位に変換し、こと営業に関して言えば誰もが「勝てる営業」になれるような情報インフラを構築するという趣旨だ。今回の帰国では、迷いなく配属希望を提出するためにこの部署の先輩三人と会って話を聞いた。ナレッジマネジメントはかつて何度かトライしたがいずれもうまくいかなかったとのこと。様々な障壁はあるが需要はあるという。自分を試すにはよい環境だ。

先述の「Leading Teams」の論文提出が迫っているため、帰国中も毎日パソコンに向かって英文を綴りつづけた。そんなこともあって今回は極力夜に会合を入れることは避けたのだが、どうしても会いたい人々もいた。

中学時代をともにパキスタンのカラチ日本人学校で過ごした男女二人の親友が5月にボストンを訪ねてくれることになっていた。しかし女性の方の友人から今月頭に連絡があり、先月僕もよく知っている彼女の妹さんが27歳の若さで急逝したというのだ。ご両親も大変衝撃を受けており、この状況では5月にボストンへ来ることも難しいかもしれないということだった。せめてもということで今回の帰国で二人の親友と久しぶりに再会を果たした。僕の行きつけの築地の居酒屋で乾杯をし、笑って沢山の話をした。妹さんの話は一切しなかった。

悲しい死もあれば喜ばしい生命の誕生もある。今年の一月に生まれたばかりのフィー子ベビーのご尊顔を拝みに、フィー子さんとその夫である高校時代からの僕の親友を訪ねた。フィー子さんもすっかり母の貫禄がつき、以前にも増して静かな落ち着きを身につけていた。写真で見ていたとおり茶髪で現代的な美形ベビーだった。フィー子夫が泣き叫ぶベビーちゃんをあやそうと抱っこしていたが泣き止まず、試しに僕が抱っこしてみたらぴたりと泣きやんだのには皆驚いた。

最後に、今回の帰国中に戦争が始まった。このタイミングで日本の様子を見ておけたことは何にしても収穫だったと思う。予想通り表面的かつファシスト的に反戦を煽るメディア。良心と密かにして残虐な好奇心と宿命的な無責任とを織り交ぜて茶の間に陣取る視聴者たちと双方向のゲームに興じる。いつもの構図だ。国連や国際法遵守の意義、行過ぎた先制攻撃論のもたらす悪しき前例などの議論はそっちのけに感情論だけの反戦を叫ぶ人々。彼らを揺り動かすのが罪無きバグダッド市民の死だとしたら、もう片方の天秤には罪無きクルド人たちの死が既に載せられている。感情論が感情論によって相殺されれば、あとは正しい理性によってきちんとことの重みを計るしかない。その努力すらしない者は口を閉ざすべきだ。アメリカの法律家のほとんどが今回の先制攻撃は国際法違反であると明言しているとアメリカのメディアによって報じられたことには辛うじてほっとさせられた。

慌しい里帰りを終え、コートを羽織って夜のボストン・ローガン空港に降り立った僕は生暖かい空気に驚いた。闇に揺れる川面は氷がとっくに溶けていることを教えていた。休み明けの今日キャンパスを歩きながらふと顔を上げると裸の木々の枝先に微かな蕾がのぞいていた。背に注ぐ真昼の太陽がうっすらと熱かった。ボストンにももうそこまで春が来ている。

先頭 表紙

みほちゃん、すっかりタイミングをはずしてしまった返事になってしまい申し訳ありません。戦争は比較的早く終わり、イラクも再興へ向けて歩き始め、少なくともこのアメリカではあの戦争の是非を問う報道はほとんど姿を消しました。未だに大量破壊兵器が発見されていないことに関しアメリカの戦争開始の根拠を疑問視する風潮すらありません。きっとこのままイラクの民主化が進めばアメリカ批判自体が陳腐化されてゆくのだと思います。これが大国の論理。そんな横暴を許さないためにもこうして継続的にお互い考えていきたいですね。 / Hidey ( 2003-05-11 13:58 )
それでも私は自分はただの傍観者だと言ってしまうでしょう。それでも傍観者なりに冷静に物事を見極めて確かな感情をもっていたいものです。ほんとーに文というのは誤解を誘ってしまうものなのですね、もーちょっと文を作るとき、何か考えないとなぁ、迷惑をかけてすみませんでした・・・!しかしこれでまた誤解を呼ぶと元も子もないので腑に落ちないであればきになさらず・・・(書きにげ) / みほ ( 2003-04-04 23:01 )
もう終わりに向かって考えなければいけないのかもしれませんね。私はそこで「感情論」が正しく動いてくれることを祈るばかりです。もう終わりには戦争の意味や正当化や背景事実の積み重ねなど無く、ただただ死者への追悼と記憶だけが残るのでしょう。失った命はもう知識人が論じる論文の上では計れない、その事実が世界の人にどう響いて、それから世界がどう動くか、を考えているばかりです。 / みほ ( 2003-04-04 22:59 )
「感情論」は時としてメディアの標的に成ってしまうことは分かります。今の「反戦ブーム」も人の感情を過剰に刺激したメディアからの産物なのかもしれません。だからといってもうアメリカが戦争を国家による政策の合理的手段だと捕らえている、それについての論議や戦争が非倫理的だと思えばこそ、そのような悲惨なことを今度こそ終わりにするための戦争をしているのだと人々の感情をこれまた刺激してしまうようなことを言っていることに関して色々と論じてももう遅いのだと思います。戦争は実際に始まってしまいました。 / みほ ( 2003-04-04 22:58 )
私のまた誤解を誘うような文章に対して時間とスペースを割いて下さってありがとうございました。背景知識の不足、特定のメディアに踊らされているという事実は私にも言えることです。正しい知識を持っていればこそ今の、敢えて言ってしまいますが「反戦ブーム」に流されない視点が持てるのでしょう。 / みほ ( 2003-04-04 22:56 )
人間の盾については実はちゃんと効果をあげているようです。アメリカもバカじゃないから世論を考えれば人間の盾がどこに配置されているのかちゃんと把握していて、そこは攻撃対象から外しているということです。イラク軍ももちろん戦略的にそれを活用して、きちんと米英軍に人間の盾の人々の居場所を通知し、さらにそれを利用してイラク軍にとっての主要機能をそのうような場所に配置しているそうです。 / Hidey ( 2003-04-04 16:25 )
りぃなさん、戦争について考えたり個人的な努力をしたりするというのは、時に自己満足に過ぎないのではないかと思ってしまうけれど、僕は総じて無駄とは思いません。自己満足はね、誰も逃れられないと思います。自分もその状況にいないのであればね。でも自己満足が混ざろうとも彼等のためにしてあげらることがあればそれは大きなプラス。往々にして個人は無力でも、時に国家権力を覆すこともあります。それを信じなければ元も子もない。 / Hidey ( 2003-04-04 16:21 )
ニナさん、ありがとうございます。つっこみいただいて嬉しい!そう言えば同じ三月でしたね。気づかずに失礼しました。歳とともに訪れる平穏な気持ちはわりと好きです。でもお互いまだまだ若いですから!より魅力的な大人になったということでよしとしましょう。 / Hidey ( 2003-04-04 16:18 )
みなみちゃん、ありがとう。お気になさらず。先週はとても暖かい一週間でしたが、今週は少しボストンらしい肌寒さが戻りました。でもまた来週からは最高気温が10度以上の日が多くなりそうです。日本の春を見られて嬉しかったけど花粉症で死にました。 / Hidey ( 2003-04-04 16:14 )
フィー子さん、先日はありがとう。大変だったでしょう?哺乳瓶、キャップを明日にでも送るね。これでベビちゃんも僕の後輩だ。 / Hidey ( 2003-04-04 16:12 )
パンドラさん、ありがとうございます。そして本当に今回は残念でした。ガス欠コインさん同様、6月に本物の乾杯をしましょう。2日前に思い出したように軽い雪が降りましたが、それが正真正銘の最後のようです。先日は最高気温18度までいったくらいですから! / Hidey ( 2003-04-04 16:11 )
ガス欠コインさん、ありがとうございます。今回の帰国もお会いできませんでしたが、また昨年同様6月に再会しましょう! / Hidey ( 2003-04-04 16:08 )
ミサトさん、ありがとう!ミサトさんに負けないくらい素敵な年にしたいと思います。枝の蕾は次第に膨らんできましたよ! / Hidey ( 2003-04-04 16:07 )
プルーさんまでハモってくれて!!ありがとうございます。勉強はさっさと終わってほしいけれど日本にはまだまだ帰りたくない。大いなる矛盾に苦しんでいます。でも5月上旬に試験が終わったら最後一ヶ月ほど休みがありますので、それが最後の楽しみ。その時はもう一度会いましょうか?ちなみにアンチフレンチはさすがにこの学校ではありません。みな常識的。 / Hidey ( 2003-04-04 16:06 )
Rさん、しゃどう猫くんとハモってのお祝いメッセージ、ありがとうございます!卒業後10日以内に現場復帰せよとの社の命令ですので仕方がないですね。確かに早く実践したいのはやまやまですが、なんの役にも立てずに終わる自分の姿も容易に想像できて、ちょっと心配でもあります。 / Hidey ( 2003-04-04 16:02 )
しゃどう猫くん、ありがとうございます。ディナーはインディアン、でした。おしゃれじゃないね。ただし絶品のお店。夫婦で20分で平らげて、さっさと家に帰って勉強をしました。 / Hidey ( 2003-04-04 16:00 )
真冬さん、ありがとうございます。ほんとに最後まで息が抜けないはずですが、一つ目の論文が終わったところで今週だけはちょっと一息と言う感じです。最新の日記にもあるように友人の劇を見たり今週末はセクションメイトとモントリオールに行ったり。誕生日は論文提出前だったので特にお祝いもしませんでした。悲しい。 / Hidey ( 2003-04-04 15:58 )
ああ、きりがないからもうやめておくね。とにかく僕の本意はそういうことだったのです。短く端折ったような文章だったので伝わりにくくてごめんね。きっと多くの人がみほちゃんと同じ印象を持ったと思う。自業自得でした。 / Hidey ( 2003-04-04 15:54 )
しかも大量破壊兵器についてはアメリカがそもそもその種を蒔いた張本人であり、その分その存在に確信があるのだろうけど、張本人ならそれらしく相手の事情ももう少し尊重しろと。そして僕は1989年、湾岸戦争の2年前のバグダッドで素朴で平和的なイラクの人々と交わりを持ったことがあります。真昼の広大な公園の芝生一面にたくさんの家族たちがピクニックをしていましたが、どの家族も僕に「ちょっとこっちに来て一緒に食べていけ」と誘ってくれました。個人的にも、罪のない彼らが命を落としたり傷を負うことが悲しくてなりません。 / Hidey ( 2003-04-04 15:52 )
ちなみに僕自身は今回の先制攻撃は言語道断だと思っています。これだけ歴史的経緯や文化・価値観の相違が状況を難しくしている現代の世界において、国連の創設は人類共通の努力の結果だし歴史的偉業だと思います。平和を本当に考えるからこそ国連の尊重と国際法の遵守はイラクのためだけでなく、これから焦点になりうるすべての紛争地域のためにも大変重要なことです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:44 )
それは「難しいこと」では決してなくて、知る努力すらすれば誰でも簡単に理解できることです。フセインがこれまでしてきたこと、これからするかもしれないこと、そして大量破壊兵器がなぜ存在しうるかなどをきちんと認識した上で、暴走するアメリカを説得するには何を言えばいいのか。それは国連安保理での討論に限らず、個人レベルの会話でも必要な手続きだと思うのです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:38 )
浅い分析、過剰演出で人々の情感だけを掻き立て、より「戦争ショー」を盛り上げようと躍起になるテレビ局と、あっさりその思惑に流される大衆。反戦の部分だけ見ればそれはいいことかも知れないけれど、少し引いて考えればとても危険なことです。ファシズムに呑まれることの危険性は置いておいたとしても、政治家だろうが一般大衆だろうが真にイラクのことを考え世界平和を考えるのだったら、少なくともあれだけ人々の憎悪の的になっているブッシュですら注意を払っている周辺事情はちゃんと知る努力をすべきだと思います。 / Hidey ( 2003-04-04 15:35 )
これは日本のテレビを観ていてインタビューに答えたりする人々を見て思ったことです。クルド人が5000人虐殺されたことを知らない人までいるんだから。そして視聴率を稼ぐことだけを考えて意図的に骨抜きな番組をつくり、朝から晩まで無分別に戦闘シーンを伝えるテレビ局にも大いなる怒りを感じました。職業柄彼等の表向きだけの反戦メッセージなんて簡単に見破れるのです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:27 )
みほちゃん、少し長くなるかも知れないけどごめんね。まず真意が伝わらないような文章を書いてしまってごめんなさい。人の命を計るのは間違いなく人の心です。論理や理屈ではありません。僕が言いたかったのは、気持ちを大切にするのはもちろん大切で必要だけれども、その気持ちがあるのならもう少し歴史的背景や多角的な事実の認識をしてほしい、と思わせられる人が多いということなのです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:24 )
しんちゃんさん、ありがとうございます。そちらも肺炎にだけは気をつけて、楽しい生活を送ってください。 / Hidey ( 2003-04-04 14:54 )
akemiさん、二つ目のつっこみもありがとうございます。友人の妹さん、こんなに早く別れが来るとは想像できませんでした。このごろは戦争やら肺炎やら個人的な寝不足やら(!)で、ほんとにいつどうなるかわからないのでちゃんと生きないとな、なんて思うこともあります。季節の狭間の海、いとおしゅうございます。 / Hidey ( 2003-04-04 14:53 )
azzurriさん、せっかく一番乗りしていただいたのに返事が遅くなってすみません。有意義ではありましたが勤めを果たしただけのような気もしました。フィー子ベビーは可愛くなってますよー。いつか一緒にフィー子家に集まりたいですね。来年のバースデーはどんな状況で迎えているのか、そう言えばまったく想像できません。 / Hidey ( 2003-04-04 14:48 )
断固反対と叫んでみても、国家レベルで動く事には太刀打ちできない。…と考えて、もう無力感と悲しさでいっぱいです。投げやり気味の考えですが。世界は広くなったけど、目も当てられない程ぐっちゃぐっちゃになってしまった、と日記を読んで思いました。長いツッコミですみませんでした。。 / りぃな ( 2003-04-02 16:27 )
もう戦争の事は、語る言葉も尽きたというのが正直な気持ちですけど、最後にここでつっこんで、終わりにします。個人と国家レベルでは対処も建前も使える力も違っていて、自分は個人としてしか動けないから、早期終結には直接的には何も出来ない。それでも人間の盾として現地に残る人や、反対運動で座り込んだりする人もいて、やらないよりかはマシだろうけど、あまり意味はないと感じてしまいます(汗) / りぃな ( 2003-04-02 16:25 )
お誕生日おめでとうございます。こちらにも春が来ました。私もひとつ歳をとり、良いこともそうでないことも、変化を受け入れられる大人になりつつあります。良きはじまりでありますように。 / ニナ ( 2003-04-01 02:04 )
↓最後、もう来ましたか の間違いでした。すみません。(^^;; / みなみ ( 2003-03-31 21:08 )
わたしも見落としてしまったようです。遅れ馳せながらお誕生日おめでとうございます! ボストンには春は来ていますか?  / みなみ ( 2003-03-31 21:06 )
お誕生日おめでとうございます。抱っこどうもありがとう。ハーバードの哺乳瓶、ウケました! / フィー子 ( 2003-03-28 18:04 )
お誕生日おめでとう! 春になると、いろんなことが動きだしますね。雪解け。Hideyさまの2年間が、大きく花開く春になるのでしょう。 今度こそカンパイ、心から楽しみにしています。 / パンドラ ( 2003-03-28 10:46 )
遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。いよいよ、ラストスパートですか。Good Luck! / ガス欠コイン ( 2003-03-27 17:00 )
お誕生日おめでとうございます。今年もHideyさんにとって素敵な1年でありますように♪春・・もうすぐそこまで来てるんですね! / misato ( 2003-03-27 11:05 )
ぎょぎょっ。ワールドのトップって滅多に開けないので見落としました、ごめんなさい。お誕生日おめでとうございます。(*^-^*) / akemi ( 2003-03-26 23:05 )
わーいわーいわーい。お誕生日おめでとうございます。超多忙ですね、アメリカ生活ラストスパートかしら。楽しんでください。 / アンチフレンチもヒステリックだわ@プルー ( 2003-03-26 06:53 )
わーいわーい。お誕生日おめでとうございます!卒業後、すぐにお仕事に復帰なさるなんて、休む間もないのですね。それとも、2年間で学んだことを実践できる楽しみで一杯といったところでしょうか? / R ( 2003-03-26 03:53 )
わーい。お誕生日おめでとうございます! ディナーは、イタリアン、だったのかしら? / しゃどう猫 ( 2003-03-26 03:17 )
お誕生日おめでとうございます。いよいよ終盤の追い込みでしょうか。最後まで息が抜けないとは、このこと?お誕生日くらいはゆっくりと楽しいお時間をお過ごしになったことでしょう。 / 真冬 ( 2003-03-25 22:59 )
誕生日おめでとうございまーっす!東京、多くの友人が上京してその内の数人かはHideyサマの後輩になりまっせ。人の命は感情論以外でどう言い表せるのでしょうか。論理的に説明されてしまう人の命の重さは。 / みほ ( 2003-03-25 21:15 )
生日快楽♪です^^ 今年もいい年であるといいですね〜^^ / しんちゃん ( 2003-03-25 18:11 )
お疲れ様でした。慌しい中にも収穫の多い最後の一時帰国?だったようでなによりでした。人生というのは出会いと別れの繰り返しですね。今を精一杯生きたい、、とこの時期、特に強く感じます。海辺の街でも空気の匂いが変わってきていますよ。 / akemi ( 2003-03-25 11:39 )
お誕生日おめでとうございまーす!!一番乗りかな???怒涛の日々の中で束の間の帰国は有意義な時間になられたんですね、、、フィー子さまベビちゃん、1月よりもさらに可愛くなってるんでしょうね〜♪ボストンでの生活を終えられて、また新しい日本での日々がスタートする一年が、実り多き一年となりますように! / azzurri ( 2003-03-25 09:09 )

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