帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。 もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが もしこの先もおつきあいいただけるようであれば メールをいただければ幸甚です。 皆様、本当にありがとうございました。お元気で。 絵日記 |
目次 | (総目次) [次の10件を表示] 表紙 |
2002-07-09 What is strategy? 2 |
2002-07-09 What is strategy? 2 | |
サウスウェストは以下6つの戦術により掲げた目標を現実にした。第一に到着した空港から素早く折り返し出発すること。空港停留時間15分という短さでの折り返し運航を実現した。第二に機種をボーイング737に統一すること。これにより機体のメンテナンス作業が統一化でき、折り返し時間が短縮できる。第三により混雑しない郊外の古い空港を使用すること。例えばダラスならフォートワース空港ではなくラブフィールド空港、シカゴならオヘア空港ではなくミッドウェイ空港を使用し、飛行機の混雑による遅延を回避した。第四に乗客サービスを限定すること。ファースト・ビジネスクラスや機内食、他航空会社へのバゲージの転送サービスをなくし、コスト削減と時間短縮を可能にした。第五に指定席ではなくオープンシーティング方式を採用したこと。指定席予約やボーディングパスを発行するための高価なシステムが不要になりコスト削減に貢献した。そして最後に旅行代理店をかまさず自らチケットの販売を行うこと。代理店手数料が不要な分運賃に還元した。 |
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海外ではオーナー企業でない限りCEOなんてただの雇われ経営者ですからね。ただの経営専門職。その代わり解雇された人を拾ってくれる企業も数多いわけですが。 / Hidey ( 2002-07-30 20:14 ) 厳しい現実ですね。結局、模倣のつもりが、本来の目的すら果たせなくなった訳ですか。それで解雇か。いやあ、厳しい。 / ガス欠コイン ( 2002-07-16 12:19 ) |
2002-07-09 What is strategy? 1 | |
久しぶりに授業のお話。後期授業の最後の方はJapan Trek準備で多忙になってしまい授業の報告が書けなかったので可能な限り振り返ってみたい。
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↓ガス欠コインさんへ。 / Hidey ( 2002-07-30 20:12 ) 本当に広告においてはあれもこれもで焦点がボケることが日常茶飯事ですね。クライアントの不勉強もありますが、広告代理店が実際のところ広告注目率、そして実際広告紙面(画面)上どのメッセージにどれだけ注目するかなど、科学的なデータについてまだまだ不勉強だからだと思います。データについては出すと薮蛇と言う人はいるけれど、僕は必ずしもそうとは限らないと思います。本当に優秀な広告マンならクライアントの信頼をより獲得できるはず。 / Hidey ( 2002-07-30 20:11 ) 度を越した顧客満足、僕も感じますね。例えば、広告づくりひとつにしても、僕はいつもクライアントに、焦点を絞らなければ、結局何も伝わらなくなると訴えるのですが、てんこ盛りの情報を載せるよう、要求されることが多いです。これも、彼らにとってはCSを意識してのことだと思いますが。 / ガス欠コイン ( 2002-07-16 12:15 ) プルーさん、オーバーワークになるかどうかは会社単位のやり方次第だとして、日本の企業が過剰に顧客満足を追っていることは事実です。以前付き合いのあった企業なども、顧客の声を真面目に反映させすぎるがためにあれこれ一貫性のない機能がごちゃごちゃついて商品としてのキレや魅力が失せることしばしでした。ポーターは戦略性の高い日本企業としてソニー、キャノン等を挙げています。 / Hidey ( 2002-07-12 06:01 ) 労働者側からすれば、際限なく顧客を満足させるという作業はいささかオーバーワークかなと思います。日本企業が、同事業の他社にない個性的な戦略を考えるなんて、出来るかしら。皆と一緒で安心してるという感じがするのだけど。 / プルー ( 2002-07-09 21:41 ) |
2002-07-04 ワールドカップの残したもの 3 | |
僕個人は、スマートさや美しくあることにこだわる日本のサッカーにある種民族的アイデンティティを感じて好感を持ち、中田英寿という男の知性やリーダーシップ、そして海外に自分を追い込み極限的に自己を磨く強さを彼のプレーの中に追った。また毛色の異なる各国のサッカーに僕の各国の友人達の言動を重ねた。計算され尽くした組織行動と堅実な個人的能力のバランスに優れたドイツチームや、天性の勘というよりはノリと言ったほうが正しいロナウドのゴール前の突進は、僕に何人かのドイツやブラジルの友人の顔を思い起こさせた。スペイン語放送しかない環境でも、日本から来ていた六十過ぎの母は夢中になって言葉の分からない準決勝の試合に見入り、それは僕を温かい気持ちにさせた。ドイツとブラジルの選手達がそれぞれメダルを受け取り、初めて栄光のカップが画面いっぱいに大写しになった瞬間、熱い涙がこみ上げてきた。放送終了後、ボストンの街をクラクションを鳴らしあいながら車の窓から身を乗り出し自分達の旗を振るブラジル人たちに思わず手を振り返した。 |
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フィー子さん、そうだね、3歳になったジュニアも一緒にね。 / Hidey ( 2002-08-04 02:34 ) 2006年、ドイツで! / フィー子 ( 2002-08-03 11:52 ) りぃなさん、今回のワールドカップは現代の日本人に個人差こそあれ大きな影響を与えたと思います。こう書くと申し訳ないけど、あれはその場にいて経験しないとわからないことかもしれません。お友達とワールドカップのお話をされているかもしれないけど、きっと言葉のうえでは「もりあがったよー」という程度のことが、実は深いところで大切な力がはたらいたのではないかと思います。その時期に日本に帰ったことは僕にとっては本当にラッキーでした。 / Hidey ( 2002-07-12 05:57 ) もこり〜んさん、メールありがとう。最新のメールを返しておきました。お互いうまく日程ができて会えることを心からお祈りします。では行ってきます。 / Hidey ( 2002-07-12 05:52 ) そういえば、私もスペイン語放送でみてましたよ♪たまたま日本でみてる人と電話しながらだったので、何秒かのずれが面白かったり。私も、サッカーはみないのですが、今回は楽しんで見させていただきました。今回のW杯、たくさんの人の視点や世界を広げたのではないでしょう。長い日記、お疲れ様でした♪ふむふむ、と思いながら読ませていただきました♪ / りぃな ( 2002-07-10 12:05 ) ボストンには8/1〜8/16の間の1週間くらいいけたらなと思っています。ちょうどhideyさんの体が空いている時期とづれてしまって本当に残念です。。。メールしますので!お願いします! / もこり〜ん ( 2002-07-09 08:55 ) ナライフさんに誉められると正直とても嬉しいです。言いたかったことを完全に分かっていただいてありがとうございました。サッカーを愛するからこそサッカーを大きく捉えてくださる方がこのサイトには大勢いるので素晴らしいことだなと思います。それにしてもあの時期日本に戻ったことは本当に正解でした。日本という国自体が一ヶ月で何か大きなものを経て以前とは違った国になった、そんな変遷を目の当たりにしていなかったら日本人として本当に悔しかったと思います。 / Hidey ( 2002-07-09 02:36 ) もこもこさん、せっかくのつっこみにお返しが遅くなってしまってすみません。ボストンに来たいなんていっていただくと躍りあがるほど嬉しいです。本当にいい街です。よかったら僕の過去の日記「ボストン観光案内」などお読みください。8月17日以降は体があきますので車でご案内することも可能です。ボストンにはいつ来る予定なのかな?これからもよろしく! / Hidey ( 2002-07-09 02:31 ) パンドラさん、ほんとに近くにやってきてくれた、という感じでしたよね。居酒屋でお酒飲んでたら周りのおじさんたち、どこもかしこもサッカー談議。それっていいことですよね。僕はなかなかサッカーは観る環境にないけれど、パンドラさん、Jリーグも楽しんでみてください。 / Hidey ( 2002-07-09 02:26 ) ゴリラさん、僕はあんなにシンプルな言葉であんなに人の心を打つことのできるゴリラさんをこそ心から尊敬します。くどくどと嘘のない思ったことは書きましたがそれは正確なだけで人に何かを与えたり心を動かしたりするのとは違うことは自分が一番よく分かっています。ゴリラさんの素敵な日記、これからも楽しみにしています。 / Hidey ( 2002-07-09 02:22 ) lamanchaさん、貴重な情報ありがとうございます!トロントは8月上旬に行って来ますので参考にさせていただきます。Le Papillon、さっそくサイトを覗きました。フレンチというからちょっとびびってたらリーズナブルなようで嬉しい!アイスクリームは妻が大好きです。ぜひ行ってみます。 / Hidey ( 2002-07-09 02:18 ) たらママさん、ほんとそのとおり。その意味でも子供達に与えた影響は大きかったでしょうね。決勝トーナメント進出を決めたときも浮かれず自らを戒めるコメントを堂々と発した選手達。人間誰しも人生で一度か二度、神がかったかのように美しく輝く短い時間があって、日本選手たちのそれを日本中がシェアさせてもらったという気がします。 / Hidey ( 2002-07-09 02:15 ) マイケルさん、僕もマイケルさんとほぼ同じかと思います。でも中田英寿が好きでセリエAの試合は仕事と受験勉強の両立で死にまくっていたときも週にただひとつの楽しみでした。ちなみにエクアドルのインタビュー、何を答えたんでしょう? / Hidey ( 2002-07-09 02:10 ) azzurriさん、はじめまして!時々読ませていただいていました。今我々が思いもしないところで、将来の名選手の卵たちの心にこの大会はたくさんの種を蒔いたのではないでしょうか。中田英寿が小学生のときの作文の中でやはりワールドカップに憧れて将来日本代表になることを夢見たということを思い出しました。世界の国、文化も然り。JTBの発表では今回のワールドカップで活躍したり日本が対戦した国へのツアーが増えているそうですね。どんなきっかけでも何かが膨らんでいけばいいと思います。 / Hidey ( 2002-07-09 02:08 ) たまたまさん、全然関係ないつっこみがたまたまさんぽくて面白い。reiさんとさやこさんとスペイン料理とプルデンシャルの天辺のバーに行きました。reiさんは今回も大人の素晴らしい女性でしたよ(笑)。 / Hidey ( 2002-07-09 02:03 ) KATSUMIさん、そうそう。にわかな気持ちから火がつくことだってあるし、極端な話にわかファンで終わって何が悪いのかと思います。誰もがサッカーの振興を真面目に考える必要なんてない。それぞれにとってのサッカーがあっていいはず。サッカーファンではなくワールドカップファンがいたって至極当然だと思うのです。僕自身は正直中田ファン兼ワールドカップファンで、サッカーファンや日本ファンではないと思います(笑)。 / Hidey ( 2002-07-09 02:02 ) 夢樂堂さん、物議を醸したこと自体ひとつの価値だったのではないかと思います。今の堕落した日本でだれもが何かを思った。それだけパワーがあったのがワールドカップだったのだと思います。 / Hidey ( 2002-07-09 01:57 ) ガス欠コインさん、ワールドカップを語るにはかなり偏った話になってしまいましたが、まあ一番強く思っていたことだったので。ちなみにこの日記にもつっこみを入れてくださっているゴリラさんの6/25の日記がいいインスピレーションになりました。コインさんの考察ひきつづき楽しみにしています。 / Hidey ( 2002-07-09 01:55 ) 野球界は戦戦恐恐でしょうね。あの期間視聴率は壊滅的だったでしょうし。その後も回復するかどうか、皮肉な話海外にいるイチローや佐々木、野茂に頼るしかなさそうですね。明日は大リーグオールスター、楽しみです。 / Hidey ( 2002-07-09 01:52 ) (lim.さんへつづき)今回の騒ぎで政府自民党はニヤリとしたと思います。掴みにくいようで、ちょっとしたきっかけで掴みやすい現代の若者。本当の「個」や「自我」はまだまだ培われるべき。韓国に至っては社会環境や歴史の違いもあり日本より怖い状況ですよね。あの赤い大声援には民族の誇りを感じて感動したと同時に非常に怖いものも感じました。それと日本が厄介なのはマスコミがファシスト的に煽っていること。 / Hidey ( 2002-07-09 01:49 ) lim. さん、おっしゃる通りの若者の飢えを僕も感じ取りその社会的必然性を書いてみたつもりです。必然性は認めるけど僕はその中には決して交ざりたいとは思わなかった。それは僕がより個人的な人間であり、彼らと同じものを小さいながら共有していてもそれが何か、覚めた頭で悟っていたから。そして何よりlim.さんがおっしゃる危険を感じたからです。 / Hidey ( 2002-07-09 01:46 ) 素晴らしい洞察! 僕は恐らく「長年サッカーを純粋に愛してきた」人だとは思いますが、今回のこの大騒ぎぶり、純粋に楽しかったです。やはりサッカーに全く興味が無かった私の母や義理の妹が熱中していて嬉しかったし、そのサッカー熱が「にわか」でまた冷めていったとしても、それはそれでいいと思います。決勝戦はTV観戦でしたが、当日の昼過ぎ、新横浜の競技場近辺に行きました。もう駅から競技場まで大騒ぎのお祭り状態。地元開催ならではの興奮をチケット無しで味わいました。 / ナライフ ( 2002-07-08 10:15 ) この下の もこ は私です。。。さっそくページ作りました。私もサッカーはまりました!! / もこもこ ( 2002-07-06 14:06 ) 初めまして!ネットでボストンを検索していたらここにたどりついて、読んでみたらはまってしまいました。夏休み8月に1人でボストンに行こうと思っています。コネチカットに叔母の家があり、そこから1人でボストンに行きます。安いホテルが見つかったら1WEEKは行きたいです!なのですが、どうしたら探せるのだかわからなくてネットと戦っています。いきなり書き込んですみませんでしたm( )m / もこ ( 2002-07-06 13:11 ) このワールドカップでサッカーが近くにやってきてくれて。「にわかファン」という言葉に肩身が少し狭かったけど・・・・やっぱり、サッカーこれからも、見てみたいな。 人の心をこれだけ熱くするスポーツってすごい。 / パンドラ ( 2002-07-06 09:27 ) 素晴らしいっす。上手いこと言えませんけども、ここまでW杯のことについて美しくまとまった文章を書けるHideyさんてスゴイです。何かそれしか言えません。ごめんなさい。 / ゴリラ ( 2002-07-06 02:27 ) 名前が思い出せないのがいくつかあります、また思い出したらお知らせします。突然関係ないことでの突っ込みですいません。 / lamancha ( 2002-07-05 18:37 ) 先ほど、corso italiaと書きましたが、正しくはLittle Italyです。Corsoの方はもうちょっと北にあります。所でアイスクリームが好きなら、Little ItalyにあるSicilian Ice Cream Company (712 College St.)は外せません。 / lamancha ( 2002-07-05 17:33 ) 界隈とは別に、具体的な店で好きなのは、「Le Papillon」(French)、394 Bloor St. Westにある「Cedar's Lebanese Cuisine」(Lebanese)、200 Bloor St. West にある「Pho Hung」(Vietnamese) / lamancha ( 2002-07-05 16:46 ) 突っ込み返し、遅れていてすいません。トロントにはもう、行かれてしまいましたか?トロントは、シーフード以外、基本的に食の美味しいところです。個人的には、College Streetを西に行ったCorso Italia (イタリア人街)界隈、Bloor Streetを東に行ったDanforth Ave. あたりのギリシャ料理屋が、美味しいと思います。 / lamancha ( 2002-07-05 15:56 ) やっぱり正々堂々と戦う清々しさと団結が魅力ですね。世の中、そうじゃないことが余りにも多いので。 / たらママ ( 2002-07-04 22:54 ) さしずめ僕は年季の入ったにわかファンですかね〜 代表の試合は見るけどJリーグはあまり見ないからなぁ... 僕もあの日の歌舞伎町にいました。そしてエクアドルのラジオ局にインタビューされました。 / マイケル ( 2002-07-04 19:57 ) にわかファンからどれだけサッカーやW杯という世界大会を通じて、世界の国々や文化に感心を持ってくれる人達が残るか・・・そして、未来の日本代表が生まれるか、、、祭りのあとの寂しさを少し胸に抱えながら。 / azzurri ( 2002-07-04 18:06 ) 今夜こそーーレイさんの○っぱらい再現かーーー?こっちもボストンいきたいっす。例の場所で焼肉食いたい。。。 / たまたま ( 2002-07-04 17:56 ) 誰でも初めはにわかfanですからね。でも六本木や道頓堀の何割がJリーグに帰ってきてくれるんだろう、と思うのが寂しいですね。あと他国を素直に応援できること、そんな国知らないと言えてしまうこと。韓国や他国と比較しても、日本の状況はおもしろかったです。 / KATSUMI@休養中 ( 2002-07-04 16:09 ) いろいろ物議はあったけど、素晴らしいサッカーを見ることが出来たし、日本人の意識を日本人自身がなんとなく確認できたのはいいことだと思う。 / 夢樂堂 ( 2002-07-04 12:19 ) カメルーンを応援し続けた中津江村。何か、日本を象徴しているような気がして。もしそうなら、それは喜ぶべきことだし、ナショナリズムの高揚といったものに、まったをかけると思います。今の日本のフットボール人気を考えれば、W杯成功のためには、絶対に「にわかファン」は必要だったと思います。 / ガス欠コイン ( 2002-07-04 11:53 ) 素晴らしい話しをありがとう。僕は、この大会を通して、「にわかファン」と呼ばれた人達のわずかでも、引き続きフットボールに興味を持ってくれれば嬉しく思います。僕は燃えつき症候群にかられていますが(笑)、近いうちに僕なりにこのW杯を考察してみたいと考えています。(続く) / ガス欠コイン ( 2002-07-04 11:52 ) よっしーと同じ年の野球部の子の一部では、このところ時間があればサッカーしてるとか。「しょっちゅう丸刈りで出番は試合のうちの半分、ずっと走り回ってるサッカーの方がずっとキャアキャア言ってもらえる。こんなことなら中学からサッカーにしとくんだった。」こんな子たちも多そう?! / akemi ( 2002-07-04 09:15 ) 私自身はスター選手を観て楽しんでいましたが、自分の国を必ず応援すべしといった一貫した雰囲気に危険なものを覚えたことを記憶しています。4年後も同じように盛り上がるとすれば、日本におけるサッカーも定着したと言えるのでしょうね。それまでに何かいうのは早すぎる気がします。 / lim. ( 2002-07-04 08:13 ) 私がサッカー(というゲーム)をあまり好きではないからかもしれないけれど、今回のワールドカップにおける日本サポーターにはずっと疑問でした。渋谷を歩いていて、変に連帯感を主張する若者が多かった。最近の若い人は「皆で〜して喜ぶ」「心から楽しい」という経験に飢えているのではないか、と感じました。 / lim. ( 2002-07-04 08:09 ) |
2002-07-04 ワールドカップの残したもの 2 | |
試合の感動が美しく静かに収まっていく中、しつこいほど街中で楽器を打ち鳴らし続け、肩車や電柱によじ登るなどして半ば自己を顕示しながら声援を煽り、またそれに応える姿には確かに試合や選手による感動の表現を超えたものがあり、そこには上述の様々なニュアンスが個人によりそれぞれの度合いを帯びて感じられる。ある者は愛国心や自他同一化願望はそれほど持たないが集団帰属願望は強かったりする。 |
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アメリカは国が大きい分自国のよさをじっくり見極めて誇りを高めると同時に外の文化には疎くなり井の中の蛙にもなる。日本はその逆です。どちらにしても容易に比較できることではないですね。日本人は口に出さなくても本当は愛国心はあると思います。四季を愛でる心、繊細さ、自然とともに生きる姿。いずれにしても国家に結びつかない内的なものですね。その程度の方が本当は害がなくていいのかもしれません。 / Hidey ( 2002-07-12 05:51 ) りぃなさん、無事日本に着かれたようで安心しました。アメリカ人と比べるとね、愛国心は少なく見えますね。何度か書いたことではあるけど、戦争に勝った国と決定的に負けた国の違いが大きいと思います。負けて卑屈になったというよりは愛国心はファシズムの始まりと否定することで平和を愛する国という自負を得るという。正当化の手段だと思います。それとアメリカの土地の大きさ。日本が島国であること。 / Hidey ( 2002-07-12 05:47 ) (↓は1のつっこみ。。) / りぃな ( 2002-07-10 11:58 ) 日本人を見てると、愛国心って、ないよな、って思ってしまうんです。自分がそうだから、そう思い込んでしまうのかな?? その私が愛国心の強いアメリカにいて、なんだか皮肉ね、と思うことや、ひいてしまうことはよくあります。気恥ずかしいだけなんでしょうか。愛国心は、自分の国に誇りや自信があるかに左右されるのかも、と読んでいて思いました。 / りぃな ( 2002-07-10 11:51 ) |
2002-07-04 ワールドカップの残したもの 1 | |
ロナウドの2発のゴールとカフーが天高く差し上げたカップで宴が終わった。ワールドカップは日本人の心の中に多くのものを残して過ぎていった。誰もが何かしらを考え、多くの人が公の場で何かを論じてきた。よく耳にするのはサッカーのスポーツ性を離れたサポーターの話だったり日本人論だったりする。もっと具体的には、日本のサッカーファンなどにわかサッカーファンばかりでサッカーとは別のところでしか盛り上がれない、サッカーの真髄が分かっていない、日本サポーターこそフーリガンである、という論調だ。往々にしてこれらの議論は一面的でありそれ故多分に反論の余地が残る。それで何が本当に悪いのか。果たしてそれは日本人だけのことなのか。所詮は数多の議論のひとつに過ぎないが、僕なりに考えたことを記してみたい。 |
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2002-06-30 伯母とハーレムとreiさんと 2 | |
ハーレムやソーホーやブルックリンを車で廻りその日の陽は暮れた。そしていよいよreiさん紹介のLennox Loungeでの夜11時の約束に間に合うべくホテル前でタクシーを拾おうとしたのだが30分以上経っても全然空車が来ない。ようやくホテルで客を降ろすタクシーをつかまえて店に急がせたが結局30分の遅刻。魅力的なreiさんをハーレムのバーカウンターに一人待たせてしまった。案の定白人の色男が彼女に言い寄っていたが我々が来たのを見て退散。reiちゃん、ほんとごめんね。
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スーパーしえろさん、僕はS&Gの歌しか知らないなあ。文法的には目的語として使われているならme and...でもいいと思うのですが...and Susie had so much funだったら主格の"I" になりますよね。もちろんSusie and Iの方がいい表現なんですけど。 / Hidey ( 2002-07-09 01:34 ) マイケルさん、それは知りませんでした。ありがとうございます。 / Hidey ( 2002-07-09 01:29 ) あ、知ってる、知ってる、その歌・・・多分。 me and ○○という言い方は良くないから、ちゃんと○○ and myself と言いなさい、と注意されていたから、覚えてる気が・・・いや、しかし、待てよ、あれは、me and Susie had so much fun♪とかだったかな。あれ? / スーパーしえろ@未ログインごめん ( 2002-07-04 17:32 ) Paul Simonの「Me And Julio Down By The Schoolyard」という曲の邦題なのです。よくこれをパクッた「○○と××と△△で」という題のコラムを良く見かけるのです。 / マイケル ( 2002-07-04 06:51 ) lim.さん、場所といいメンツといい本当に素晴らしい時間でした。この日もいつものJack Daniel。特にjazz barではお似合いなのです。lim.さんの飲みはちょっと激しそう(笑)。 / Hidey ( 2002-07-04 02:35 ) reiさん、いま下のRさんへつっこみ返しをしていたらreiさんから電話がきました。13:00に起きたってやっぱり相当疲れてたんだね(笑)。今夜Tapeo楽しみにしてます。Top of the Hubもね。 / Hidey ( 2002-07-04 02:33 ) おとじろうさん、ハーレム、ちゃんと安全な場所とか情報を聞いていけば楽しめると思います。いざとなったらreiさんに頼っちゃえ! / Hidey ( 2002-07-04 02:30 ) Rさん、いえ、それで女性崇拝者になったわけではないんですが(笑)。。。中学生時代に恋した人の気高さと強さが女性崇拝の源のようです。 / Hidey ( 2002-07-04 02:29 ) パンドラさん、ちょっと素晴らしすぎて押され気味でしたが(笑)。今夜ボストンにてまたreiさんと彼女の友達と会います。 / Hidey ( 2002-07-04 02:24 ) たまたまさん、reiさん大人大人(笑)。安心してください。reiさんの秘密、今度聞き出さなくては。 / Hidey ( 2002-07-04 02:23 ) 夢樂堂さん、正直中島みゆきと演歌の(カラオケより)イメージだったのでビリー・ホリディとは以外です。僕はCDは一枚しか持っていないのですがとても好きですし、僕も青函連絡船の甲板に停めたシビックの中で親友二人とテープを聴いた思い出があります。 / Hidey ( 2002-07-04 02:22 ) ゴリラさん、いらっしゃいませ。大叔母様がニューヨークに行かれたきっかけが気になります。その頃の方は歴史的にも色々な思いを経験されているでしょうから。いつかお話聞かしていただきたいくらいです。 / Hidey ( 2002-07-04 02:20 ) たらママさん、ジャーナリストがそれほど大きな扱いを受けること自体驚きました。New York Daily Newsで書いていたそうです。 / Hidey ( 2002-07-04 02:18 ) akekiさんのイメージは正直伯母にダブるところがあります。強さ、優しさ、豪快さ、懐の深さ。地域の繋がりを大切にしているところも。akemiさんもいつまでもかっこよくいてください。 / Hidey ( 2002-07-04 02:17 ) ガス欠コインさん、この日の演奏も渋くて素晴らしかったです。スタンダードでした。reiさんも書いてたけどコインさんのいい噂いろいろ話しましたよ(笑)。 / Hidey ( 2002-07-04 02:16 ) PAOさん、気骨はありすぎてもちょっと困りますね(笑)。でも確かに素晴らしい伯母です。伯父も含めあのバイタリティは一生追いかけないと。 / Hidey ( 2002-07-04 02:14 ) マイケルさん、そんなわけないです(笑)。ていうかそれ何ですか? / Hidey ( 2002-07-04 02:13 ) 良い時間を過ごされましたね。素敵な人々とお話しながら飲むお酒はおいしかっただろうな。ちょっと飲みたくなりました。 / lim. ( 2002-07-03 12:03 ) お母さまと叔母さまにお会いできて本当に嬉しかったです。水曜日、楽しみにしてるよ! / rei ( 2002-07-02 13:25 ) 素敵な伯母様ですね。ハーレム一度は行ってみたい。 / おとじろう ( 2002-07-02 13:02 ) 可愛らしいお母さまと恰好良い伯母さまを見て育ったHideyさまが女性崇拝者になるのも納得です? / R ( 2002-07-02 08:35 ) 素晴らしい女性たちに囲まれた時間だったのね。ブラボー! お互いが自分の時間を懸命に生きて、だからこそその輝きが刺激を与えあう。 素敵!アア、みなさまにカンパイを。 / パンドラ ( 2002-07-02 07:16 ) reiはんは、今回は酔っ払わずに大人の女性を演じていましたか???レイさんの秘密を知っている男より。 / たまたま ( 2002-07-01 18:52 ) ビリーホリディ、学生時代に夢中になっておりました。今日は彼女の唄が聴きたいな。 / 夢樂堂 ( 2002-07-01 15:43 ) な、何だか小説を読んでいるようなウットリする気持ちになりました。私の大叔母様もニューヨークに在住なのですけど日本語殆ど忘れてはります・・。 / ゴリラ ( 2002-07-01 01:43 ) 訃報が記事になる人ですか。それは感慨深い。 / たらママ ( 2002-06-30 18:41 ) 伯母様かっこいい!私もかくありたいです。そのためにも今を精一杯生きるのだわ、ね? / akemi ( 2002-06-30 18:18 ) マイケルさんのつっこみが笑える。羨ましい一夜ですね。ビリー・ホリデーも歌っていたのか。大好きなシンガーです。 / ガス欠コイン ( 2002-06-30 15:37 ) こんな気骨のある女性大すきです。そしていくつになってもいろんなことに興味をもち続けられていられたらと思います。 / 走る酔人(PAO) ( 2002-06-30 14:33 ) このタイトルは「僕とフリオと校庭で」を意識してますか? (そんなわけはないですよね...笑) / マイケル ( 2002-06-30 09:56 ) |
2002-06-30 伯母とハーレムとreiさんと 1 | |
前回の日記にも書いたように、母のアメリカ旅行には伯母が付き添ってくれた。伯母といっても母の姉ではなく父の兄嫁にあたる人だ。60年安保の時には精力的に学生運動に身を投じ、共産主義の真贋を見極めるべくソ連に渡ろうとしたが、ふとしたきっかけからチェコスロバキア(当時)に長年住むことになった。学生運動のリーダー格であった伯父とウィーンで落ち合い息子を生む。帰国後はチェコ語の翻訳、通訳を手がけている。
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2002-06-28 アメリカを母と歩く | |
母について書く。いつも何かしら忙しそうに手を動かしている人。生真面目なところがかわいくて家族中にからかわれては生真面目に怒ってしまう人。そして僕が自分の良心を信じられなくなったとき、自分より人を慈しむ大切さを教えてくれた人。4年前からミラノに住む妹に続き昨年僕もボストンへ移ったため意を決してパソコンを購入、電子メールを覚えた。たどたどしく時間をかけたあとの見える文章がこまめに送られてくる。実はこの日記も楽しみに読んでくれている。 |
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Rさん、そんな初めから夏の予定に入れなくても(笑)。。。でも13歳で親元を離れるってどういうことなのか、僕には容易に想像できません。今そのときの分愛おしさが増してらっしゃるのでしょうか? / Hidey ( 2002-07-04 02:12 ) パンドラさん、お一人で住んでらっしゃるというのも大きいのでしょうね。僕は妻に助けられてますから。余計な指摘だったらごめんなさい(笑)。 / Hidey ( 2002-07-04 02:09 ) むらりょうさん、僕もフランス語と美術だったのです。気が合いますね。勉強は最近だらけてしまってお留守です(笑)。 / Hidey ( 2002-07-04 02:08 ) Emikoさん、きっとそうなんでしょうね。Emikoさんだから読み取れるものがあるのだと思います。でもEmikoさん、息子の母を思う気持ちは分からないでしょう(笑)。ずっと先にEmikoさんの二人の息子さんも僕の気持ちを共有することになるでしょう。 / Hidey ( 2002-07-04 02:06 ) ↓PAOさんへ。 / Hidey ( 2002-07-04 02:04 ) 結婚してしまい、それも海外暮らしということでなかなか機会のない親孝行ですのでベストは尽くしたつもりです。お蔭で少し疲れて母と伯母が帰った後は寝てばかりいました。 / Hidey ( 2002-07-04 02:04 ) 最初に親元を離れた13歳の頃には感じなかった母への恋しさが、年をますごとに強くなります。母の味、は一生ものですよね。おかげで?夏に日本にいる間に太るわたし…。 / R ( 2002-07-02 08:45 ) いつまでも大切なお母さま。 ワタシはまだ実家と離れて2年すこしなのに、たまに会ったあとの別れがだんだんつらくなっていて。 この前は不覚にも涙してしまいました。 Hideyさまの笑顔のむこうに、優しいお母さまを想像しています。 / パンドラ ( 2002-07-02 07:01 ) 私はフランス語、美術でB組でした。同窓とは言え、その後の努力でMBAにチャレンジする人と雲泥の差が出るのですねぇ。 / むらりょう@激!後悔の涙 ( 2002-07-01 19:17 ) お母様がリネンを畳まれた気持ちが痛いほどよくわかります。きっと母親にしかわからない心境のようなものが・・・どのように説明していいのかわかりませんが本当にお母様はHideyさまのこと大切に大切に育てていらしたんですね。 / Emiko ( 2002-06-30 23:41 ) わたしはどうも照れもあるのか、親になかなか私の生活を垣間見せてあげることもできません。 親孝行してあげられましたね。 / 走る酔人(PAO) ( 2002-06-30 14:30 ) たらママさん、親の心境はまだ僕にはよく分かりません。やはり子供がいないと本当には大人になれないような気がして少し悲しいです。Maine州の車のプレートの下にはよく"The way life should be"と書かれています。 / Hidey ( 2002-06-30 09:07 ) 夢樂堂さん、切干大根美味しかったです。アメリカの両親は色々な意味で僕の人生を変えてくれました。一生の恩人です。 / Hidey ( 2002-06-30 09:03 ) reiさん、以前の日記でそのお話書いてらっしゃいましたよね。その日記を読んで僕はひまじんというサイトはいいサイトだなと思い日記を書き始めました。これからもご両親を大切にね。で、母も伯母も無事に家に着きました。ご心配ありがとう! / Hidey ( 2002-06-30 09:01 ) akemiさん、妹さんのお話、ぐっときました。これからも親を大切にしたいと心から思います。 / Hidey ( 2002-06-30 08:59 ) むらりょうさん、同じ高校大学なのですね。大学に関してはむらりょうさんの誰かへのつっこみで存じていたのですが。。。いまだに大好きな母校です。僕はC組でした。 / Hidey ( 2002-06-30 08:58 ) むらりょうさん、ぜーんぜん鼻高々なんかじゃないですよ。いっぱい間抜けなことして苦労かけてるし。でもむらりょうさんのお母様同様愛してくれていることは事実のようです。心配かけないようにあと一年過ごさないと。 / Hidey ( 2002-06-30 08:56 ) プルーさん、戻りました。やはりボストンは落ち着きます。NYでは摩天楼の間をうろうろしつつプルーさんもお元気に働いてるかなーなんて考えてました。キャバレー、お薦めです。是非行ってみてください。 / Hidey ( 2002-06-30 08:54 ) 息子がいたら私もこういうお母様の心境になったのでしょう。自然とともに穏やかに生きるご夫婦ですか。そういう平穏な日々、私には来なさそうかも。 / たらママ ( 2002-06-29 23:20 ) 切干大根、何よりのご馳走ですね。ある種、Hideyさんの青春の軌跡を知って感慨深かった。 / 夢樂堂 ( 2002-06-29 07:55 ) ところで、お母さまと叔母さま、無事に家につきましたか?くれぐれもよろしく伝えて下さい。本当に楽しかったよ〜! / rei ( 2002-06-29 07:11 ) 分かります、分かります。ほんとに。私も母と別れて背中を向けた途端、鼻水で顔ががびがびになって、泣きじゃっくりで呼吸困難になる程泣けてきてしまうんです。見送られるのも、見送るのもせつなくてしょうがない。いつまでたってもこれだけは慣れません。 / rei ( 2002-06-29 07:09 ) 母と一番長く暮らした末の妹に、母が亡くなった後しばらくして風邪で寝込んだときに「なにが食べたい?」と聞いたとき「お母さんのごはん」と言いました。可哀そうで涙が出ました。親と長く過ごせるのは(たとえ一緒に暮らしていなくても)幸せだと思います。お母様に喜んでいただけてよかったですね。 / akemi ( 2002-06-29 02:24 ) ところでHideyさまは学院?私は学院。いや、reiさまの日記を読んでてロシア語、フランス語と書いてあったので、そうかなって思いました。 / むらりょう ( 2002-06-29 01:43 ) お母様、きっとHideyさんを鼻高々に誇りに思っていらっしゃるんでしょうね。すごい親孝行だと思います。私は全然優等生じゃなかったのですが、私の母はそんな私の事も大変愛してくれています。男にとって母親って大切な存在ですよね。 / むらりょう ( 2002-06-29 01:34 ) お帰りなさい。帰宅そうそう、NY旅行なんてHideyさんのパワー全開ですね。ちょうどむしむししてる頃でお母様や叔母様大丈夫でしたか? キャバレーってそんなミュージカルなんですね、行きたくなってきました。Have A Nice Summer! / プルー ( 2002-06-29 00:34 ) |
2002-06-19 Japan Trekご報告 15 | |
16:00、それぞれのオプショナルツアーを終えた学生たちが東福寺に集まった。東福寺の誇る国内最大級という禅堂に案内され、80人全員が禅を体験した。10分間薄く目を開き宙を見据え無心になるのだが、どうしても難しい場合はゆっくりと心の中で数を数えるといいのだという。煩悩の多い僕にはなかなか難しい。
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PAOさん、Trek終了後参加者からゾクゾクと感謝のメールが送られ、嬉しい限りです。僕らもいろいろお膳立てをしましたが、最後は参加者自身がフリータイムなど利用してどんどん日本文化の奥深くまで踏み込んで行ってくれたお蔭です。誰にとってもいいTrekとなりました。ありがとうございます。 / Hidey ( 2002-07-04 02:03 ) お疲れ様でした。日本の文化や、過去の痛み、最先端の企業活動そして食。日本を訪れてくださった人たちにいろんな日本の姿を深いところまで見せてあげることができたHideyさんそしてスタッフの方々に敬意を表します。参加者の方々が満足された様子を読んで、本当に心から嬉しくなりました。 / 走る酔人(PAO) ( 2002-06-30 14:14 ) おさむさん、学期の終わりのほうはJapan Trekの準備や試験勉強で日記が疎かになりましたので、夏休みを利用して思い出せる限り学校生活の話を書こうと思います。お楽しみに。 / Hidey ( 2002-06-30 08:53 ) 若菜、ずいぶん名前を出しちゃって済みませんでした。お金を預かるということは他の仕事とはまるで違うプレッシャーのかかるもの。それこそ誰にも若菜の苦労は分かり切れなかったと思うけど、耐え抜いてくれてありがとう。またいっぱい遊ぼうね。 / Hidey ( 2002-06-30 08:51 ) Hideyさん、ありがとうございます。Amandaからの連絡はのんびりまっています。Hideyさんの日記はHBSの生の話をリアルタイムで聞けるのは非常に興味深いです。これからもちょくちょく寄らせて頂こうと思ってます。 / おさむ ( 2002-06-29 18:45 ) 本当に本当におつかれさまでした。Japan Trekをここまで成功させることができて本当に嬉しいです。Hideyの日記も貴重な証ですね。どうもありがとう! / 若菜 ( 2002-06-29 14:08 ) lim.さん、大変ぬるい文章に最後までおつきあいいただいてありがたいと同時に大変恐縮です。はい、愛しのボストンに戻りました。lim.さん、もうりっぱな大人でしょう(笑)!僕こそlim.さんの平衡感覚、合理性、そのそこにある優しさからはいつも学ばせていただいています。残りの休みはすこし感性を磨くための色々なことをしたいと思います。 / Hidey ( 2002-06-28 23:06 ) パンドラさん、ありがとうございます。僕の心にも種は蒔かれました。いつか世界の色々な場所で花が咲けばいいなと思います。 / Hidey ( 2002-06-28 23:03 ) misatoさん、おかえりなさい。こちらも今後の日記を楽しみに読ませていただきます。ちょっと今回の日記は記録上の義務感で長々と書いてしまい、読むほうにとっても大変辛い文章になってしまって恐縮です。 / Hidey ( 2002-06-28 23:01 ) 山中君、ほんとうに色々手伝ってくれてありがとうございました。トートバッグは皆大変重宝して使っていました。企業訪問の際たくさんの資料をいただくのでトートが大活躍。僕もしっかり愛用してました。2年生が始まる前に一度飲みに行こうね。 / Hidey ( 2002-06-28 23:00 ) ガス欠コインさん、ご無沙汰してしまいました。煩悩からは一生逃れられそうにありません。それが原動力にもなっているようだから(笑)。でも部分的にでも悟りの境地に至れればいいでしょうね。ワールドカップもいよいよあと2試合。ますます熱い文章を期待しています。 / Hidey ( 2002-06-28 22:58 ) おさむさん、はじめまして。このところ母と伯母を連れてNY、ボストンの観光ガイドをやっていたので日記のチェックが遅くなりすみません。Amandaには伝えておきます。ただし現在彼女はinternshipの最中だと思いますのですぐにご連絡が行くかどうかはちょっと分かりません。今回のTrekの企画も随分手伝ってもらいました。最後に日程の都合で参加できないことが分かったときは本当に残念そうでした。 / Hidey ( 2002-06-28 22:56 ) みなみさん、ありがとう。冗長な文章に自分で嫌気がさしてしまったのですが、読んでくださった方には感謝です。一生忘れられない旅というのは本当にその通りだと思います。同時に一生の友達がたくさんできました。 / Hidey ( 2002-06-28 22:54 ) akemiさん、一年間色々な国の企業や政府について、いろいろな国の学生達と机を並べて学んだのですが、やはりこうしてある国をいっしょに訪れながら、それぞれの国の事情を比較して話ができるという経験は大きかったです。ぜひ僕も他の国へのツアーに参加してみたいと思います。 / Hidey ( 2002-06-28 22:52 ) ようやく読み終わりました。もうアメリカですか?大人になってもHideyさんみたいに色々な感覚を鋭く受けられる人でいたいです。 / lim. ( 2002-06-28 11:47 ) きっと、Trekはみなさんの心にいろいろな種を蒔いていったのだなあ、と思いました。 Hideyさま、スタッフのみなさん、おつかれさまでした。 そしてカンパイ!! / パンドラ ( 2002-06-25 06:31 ) Hideyさん、おひさしぶりです。しばらくログインしていない間に完結編が!これからじーっくり読ませていただきます♪ / misato ( 2002-06-24 09:39 ) Hideyさん、素晴らしいTrekになりましたね!本当に本当に、御疲れさまでした。 / 山中 ( 2002-06-22 22:13 ) 僕も煩悩が多いからなあ。全部読み切れていない部分もあるので、是非ゆっくり読み返したいです。もう、戻られたのかなあ、アメリカへ。 / ガス欠コイン ( 2002-06-22 01:31 ) こんにちわ。偶然このサイトを発見しました。Japan Trekの中で出てきたAmandaと友達(一緒に働いてた)なのですが、彼女が留学して以来連絡が取れなくなっていました。彼女に私に連絡するように伝えて頂けないでしょうか?彼女は私のメールを知ってると思います。 / おさむ ( 2002-06-20 10:34 ) お疲れ様でした! 参加された方には、きっと一生忘れられない旅になったでしょうね。読んでいるだけでも楽しかったです。 / みなみ ( 2002-06-19 22:23 ) 本当の意味での国際社会というものが見えてくるような気がしました。参加者および、スタッフのみなさんの目にはそれがしっかりと焼き付いたのではないかな?と思いました。 / akemi@未ログイン ( 2002-06-19 19:24 ) |
2002-06-19 Japan Trekご報告 14 | |
5月29日。16:00からの東福寺見学までの時間はフリータイム。京都、奈良、大阪、広島の4つのオプショナルツアーを開催。僕は広島を担当した。そもそも広島観光ツアーは、サマージョブの関係でTrekには加われなかったが、途中までスタッフとしてミーティングに参加してくれていた、日本での勤務経験のあるAmandaが提案したものだった。 |
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りぃなさん、広島ツアーはもともととても人気が高く、20人以上の人が希望をしていたのですが25,000円もかかるので最終的には15人になりました。アメリカ人が多かったです。軍備の必要性や是非は各国の事情や思想により意見がまちまちになることは当然ですが、いずれの場合でもあの最も悲しい結末を知っておくことは大変意味あることだと思いました。簡単な問題ではない。だから誰も何も言えなかったのだと思います。 / Hidey ( 2002-06-28 22:50 ) 広島へのツアーを選ばれた方に、感謝、かな。。逆の立場だと、多分行ってないと思うし、彼らはちゃんと受け止めてくれたみたいですから。自衛隊は存在そのものが疑問なので、なんとも言い難いですね。 / りぃな ( 2002-06-20 13:37 ) |