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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

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2002-06-08 Japan Trekご報告 9
2002-06-06 Japan Trekご報告 8
2002-06-06 Japan Trekご報告 7
2002-06-06 Japan Trekご報告 6
2002-06-05 Japan Trekご報告 5
2002-06-05 Japan Trekご報告 4
2002-06-02 わが心のワールドカップ 2
2002-06-02 わが心のワールドカップ 1
2002-06-01 Japan Trekご報告 3
2002-05-31 Japan Trekご報告 2


2002-06-08 Japan Trekご報告 9

5月25日。この日は一日東京フリータイム。しかしほとんどの連中は我々スタッフが個別に主催したオプショナルツアーに参加した。中には三つのツアーを梯子という者もいた。

開催したツアーは、隅田川クルーズ&浅草ツアー、渋谷&原宿ショッピングツアー、東京グルメツアー、鎌倉お茶会&観光ツアー、奥多摩澤乃井酒造見学ツアー、西武vs.近鉄戦観戦ツアー、大相撲五月場所観戦ツアー、屋形船乗船ツアー、東京アンダーグラウンドツアー(パチンコ、マンガ喫茶等)。

僕は野球と大相撲のチケットを手配。巨人や阪神の試合が東京ではなかったため西武vs.近鉄になったのだが、4対4で迎えた9回表、ローズの満塁ホームランで近鉄が勝ち越しというなかなか豪快な試合になってよかった。野球はチケットだけ手配して勝手に球場に行ってもらい、大相撲は26人と大勢で、前のツアー、後のツアーに参加するメンバーの受け渡しがあるため、僕も一緒に観戦した。

うちの会社のスポーツ・マーケティング局にてチケットを手配。実は僕の入社後初めての仕事は大相撲だった。相撲協会から直接購入したのだが、海外の学生などが団体で観戦する際は、恒例でNHKがテレビ放映中その団体を映し簡単に紹介するとのこと。実家で録ってもらったビデオを観たが、「今日は○○○○○大学の日本を研究している学生さんが20名ほど来ています」との紹介だった。うーん、ちょっと違う。しかも映像は全然違う人たちだった。

Sumo wrestlingのことは知っていても、実はルールとなると誰も知らない。ルール解説に始まり、年に5つの場所がありそれぞれ15日間戦うこと、対戦相手の決め方、番付、現在誰が優勝戦線にいて、今日誰が誰に勝ったらどうなるかなどを詳しく説明。疲れる。東関部屋で間近に見た高見盛が武蔵丸を追う千代大海と対戦。あの温和な顔に似合わないものすごい勢いで自分の体をバンバン叩き、千代大海の優勝の望みを断つべく突進したが、敢えなく敗退。結局武蔵丸が栃東を破って千秋楽を待たず自力優勝。別の班で武蔵川部屋を見学した連中は大喜びだった。

26人のうち半数ほどがWakana率いる19:00からの屋形船ツアーに参加するため、彼らを勝鬨橋まで引率。僕はサッカーの日本vs.スウェーデンが気になって仕方なくホテルへ急ごうとしたが、担々麺のおいしい八丁堀の「支那麺はしご」(銀座にもあります)が近かったため、食い意地に負け速攻で食べてホテルに帰り、何とか後半戦に間に合わせた。40人弱で行った屋形船は怒涛の盛り上がりだったようで、皆船の屋根によじ登って踊り狂ったという(ちゃんと屋根の上にも安全な設備があるそうです)。さすがはWakana女史。

この日も希望者は西麻布のクラブ「Muse」に22:00に集まることにしていたが、ビールを飲みながらサッカー中継を観ていたところ最後の5分で沈没。結局東京のきらびやかな夜を楽しむ機会は僕には与えられなかった。もうオジサンだから別にいいんだけど。

ああ、忘れるところだった。この日大相撲に行く前の昼ごはんは、帰国の目的の大事なひとつ、僕が世界中で最も愛する高田馬場のパキスタン料理屋「ラージ・プート」で懐かしの「クライ・チキン」を食した。「アジャンタ」もよかったがやはり「ラージ・プート」が最上。聖なる儀式なのでこの日もひとりで脇目も振らず食べる。帰国まで何回行けるかな。

(つづく)

先頭 表紙

こっこさん、もし昼に行くのならバイキングになっちゃってますがアラカルトもあります。正直つくる人によって味にばらつきがあるのでちょっとだけ不安はあります。ご主人のハッサンがいたらいいんだけど。僕は妻と行くときはクライチキンとチキンカレーをとってシェアします。NYのインド・ネパール、教えてください。 / Hidey ( 2002-06-12 05:46 )
りぃなさん、その船は外国人用に英語をしゃべるお姉さんも乗っていたので、カラオケで盛り上がって屋根に登ることは大いに想定しての船のつくりなのだと思います。気持ちだけはまだまだ若いです。 / Hidey ( 2002-06-11 16:05 )
ステキなRさんは涎なんか垂らしちゃダメです(笑)。パキスタン料理、よりスパイシーと言いますが、要はその家その家でスパイスの調合も全然違うので、一概にどこがどうとは言い切れないところが奥が深いです。 / Hidey ( 2002-06-11 16:03 )
邪夢猫さん、それほど多くは知りません。単に思い入れが強いだけかも。東京にお帰りの際はいろいろお教えしましょう。 / Hidey ( 2002-06-11 16:01 )
まうさん、正直マーラバールという店は分かりません。あまりにラージプートに惚れすぎていて、新しい店の開拓がなかなかできないのです。 / Hidey ( 2002-06-11 15:59 )
マッキ〜さん、早稲田通り沿いですけど小滝橋方面に3、4分上がって、ロイヤルホストを過ぎたところのパチンコ屋の向かいにあります。「窓ガラスから…」という話はちょっと合致しないのですが、なんか最近2号店もできたみたいだからそっちの方がそうなのかもしれません。できれば1号店でご主人のハッサン氏本人が作ってくれたものがいいのですが。 / Hidey ( 2002-06-11 15:58 )
しゃどう猫さん、そう、アメリカ在住の型がうらやむような書き方に努めました(笑)。そうですね、誰にとっても忘れ得ぬ旅になったと思います。 / Hidey ( 2002-06-11 15:55 )
どれも魅力的なツアー!屋形船で、屋根にまでよじ登ったところ、見てみたいな。止められないなら、せめて安全策を用意しておこう、なのかな。盛り上がると、ノリでよじ登る人が多いのかな(笑)オジサンなんて言っちゃだめですよ〜。まだまだわかーいっ☆ / りぃな@実は・・・ねぇ。。 ( 2002-06-09 13:43 )
偶然!水曜日に学校の友達と「ラージプート」へ行く予定です。Hideyさんお勧めのクライチキンを頼んでみます。こっこはNYで食べてたインド・ネパールカレーの味が忘れられません。 / こっこ ( 2002-06-09 09:08 )
わたし、もう涎垂らしそうです。困った。インド料理は大好きで神楽坂のマラバールによく行きますけど、パキスタン料理ってどう違うんですか? / R@インド料理は世界三大料理のひとつ〜。個人的には、だけど。 ( 2002-06-09 04:29 )
ほんとうに、ここぞとばかり、おいしいもの食べてらっしゃいますね。羨ましい。それに美味しいお店をよく知ってらっしゃるのね。浦島な私には絶対に真似できないわ(涙)。 / 邪夢猫 ( 2002-06-09 03:17 )
ラージプート、チャイとラッシー飲み放題万歳な店ですね?週一回は行ってます。 ↓ナンを焼いてるのは、マーラバールという店だったかと。 / まう@横レス失礼 ( 2002-06-08 20:21 )
ラージ・プートって、馬場の早稲田通り沿いにあって、窓ガラスから作ってる様子の見えるところでしょうか?前を通ることはあっても入ったことはないのです。でも美味しいなら一度いってみたい! / マッキ〜 ( 2002-06-08 17:31 )
わーい、一番のりですわ。JapanTrek、ほんと、みなにとって忘れられぬ旅、になっていることでしょう。でも、特に、食事のところ、特に、くいいるように読んでしまうわたくし。あぁ、もう、すっごく羨ましいです。 / しゃどう猫@ロブスター食べたい。 ( 2002-06-08 17:02 )

2002-06-06 Japan Trekご報告 8

5月24日。この日はソニーを見学。海外の要人や皇族もよく訪れるというソニーの先端技術を集めた「メディアワールド」を案内していただく。アイボと遊んだりクロマキー技術を使った合成映像などを体験、また最後にはビデオでありながらフィルムレベルの高画質を再現できるHDCAM映像を堪能させていただいた。HDCAMはジョージ・ルーカスがスター・ウォーズ・エピソードUを撮った際にフィルムの替わりに使用。時間的にも費用的にも膨大な節約ができ、デジタル映像で編集も簡単なため、彼はもう二度とフィルムでは撮らないと語ったという。

最先端のプレゼンテーションルームでは、ソニーの掲げる「ユビキタス・バリュー・ネットワーク」の概念の説明をしていただく。ブロードバンド時代の情報の偏在性に加え、ソニーならではのハード・ソフトの融合により独自のバリューを付与するという概念。さらに今後のソニーのビジネスのキーになるメモリー・スティック事業のプレゼンを受ける。あらゆるハードを有機的に繋ぐというだけでなく、記録媒体がハードをコントロールするという発想の転換を可能にし、またソニーが従来苦手としてきた他メーカーとの互換性の推進による製品ファミリーの形成もアドバンテージのひとつということだ。

マーケティング、ストラテジーの授業で学んだとおり、ハード・ソフトを縦横に連関させ、絶対的なブランド・パーソナリティによって独自の世界を織り成すソニー製品群の強さを学び、また自己完結するが故の互換性への懸念も払拭可能な近年の戦略に納得した。

午後は貴重なフリータイム。僕はどうしても行きたかった麹町のインド料理店「アジャンタ」へ。さすがに日本を旅している連中に「カレー食いに行こう」とは言いがたく、別の用事を兼ねて一人で食べにいった。涙が出るほど美味しい。ボストンのカレーも美味しいが、やはり忘れていた繊細な美味しさがある。とにかく日本での限られた食事回数において何を何回食べるかは大事な判断を要する。

18:00からはセンチュリー・ハイアットにてレセプションを開催。我が校の日本人OBやTrekスポンサーを招待し、著名なスピーカーによる講話とパーティーを提供するのだ。今年は元大蔵省財務官で「ミスター円」と異名をとり国際的に影響力を発揮、現在は慶応大学の教授を勤める榊原英資氏、そしてゴールドマン・サックスのチーフ・ストラテジスト、キャシー松井氏を招いてレクチャーをいただいた。学生たちからはこのTrekで最も学びの大きかったイベントのひとつと高い評価を得る、素晴らしいレクチャーだった。榊原教授はよりマクロ的に見た日本経済の問題点、「NATO(No Action Talk Only)」に過ぎない小泉内閣の機能不全、構造改革の重要性を説き、松井氏は膨大な実データを駆使したプレゼンテーションにより、よりミクロ的に日本企業が抱えている問題、今成すべきことを語った。

パーティーではまたも驚きの再会があった。スポンサーの一社である日米会話学院の大井学院長が開宴挨拶をされたが、彼は僕が大学一年のとき政治仏書という授業を教わった教授だった。フィー子夫を含め5人という少人数のクラスでフランス語による現代政治に関する書物を読んだが僕ははっきり言って出来の悪い学生であった。その辺のことは都合よくお忘れになっていたようでちょうどよかった。

その後はカラオケでスパーク。今年の日本人新入生も駆けつけてくれて、すでに女王と呼ばれるReinaちゃんと「Endless Love」を熱唱したらやたら受けた。ブラジル人たちが歌った前回W杯テーマソング「Cup of Life」も時節柄大受けしていた。

(つづく)

先頭 表紙

akemiさん、いや、ミーハー業界人は本当なので(笑)。全然気にしてませんよ。 / Hidey ( 2002-06-11 15:54 )
>しょせんはミーハー業界人…イテテテッ(爆)…ごめんよう、前に書いたことの仇取ってる?(笑) もう言いませんから許して!原田真二はとっても好きだったので、夕方急いで学校から帰っては、テレ東だったか?でやってた彼の番組を見ていました(*^_^*) / akemi ( 2002-06-09 15:50 )
パンドラさん、僕自身どんなに勉強したってこんなに色々な企業をまわったりなどできないのですが、すべて彼らが日本に興味を持って大挙して来てくれたからできたこと。心から彼らに感謝しています。美声ではないですが、ご要望あらばぜひ。でもほんとはカラオケってあまり行かないんですけどね。 / Hidey ( 2002-06-08 16:14 )
しゃむさん、本当はもっとたら〜りとさせたかったのですが、何しろ途中から酔っ払って細かい食材のことなどあまり覚えていないのです。 / Hidey ( 2002-06-08 16:12 )
akemiさん、そういっていただけると本当に嬉しいです。僕自身あまり難しいことは書けませんので、まったく違う世界の方に読んでいただくにはちょうどよいのだと思います。しょせんはミーハー業界人ですから(笑)。原田真二、懐かしい!あの頃では数少ない本物のミュージシャンでしたね。 / Hidey ( 2002-06-08 16:10 )
reiさん、長ったらしくなってごめんね。もっとコンパクトな構成をすべきだったと後悔しているのですが始まっちゃったのでもう手遅れと、延々続きを書いています。早く終わりたい。でも日々の充実はご指摘のとおり本物。築地、銀座の美味しい店ならいくらでもご案内できますよ。ああ、会社のそばの美味しい魚の店、「ふく」に行きたい! / Hidey ( 2002-06-08 16:07 )
夢樂堂さん、そうかもしれません。でも技術にしがみついてしまい経営戦略を持たないメーカーも多く、結局技術や生産効率などは模倣可能なため、競争力を失っている企業が多いということも実感しています。 / Hidey ( 2002-06-08 16:05 )
なんだかわくわくしてくるなあ! ・・・・今度生まれ変わったらもっと一生懸命勉強して、こんなTrekに参加させてもらえるようになろう。 ところで、「Endless Love」だなんてスゴイ!・・・聞いてみたいなその美声♪ / パンドラ ( 2002-06-08 09:10 )
素晴らしいTrekでしたね!オーガナイズお疲れさまでした。お食事の描写にたら〜りとしていました。でも今はなんでもないご飯に心魅かれるんですよね。 / しゃむ ( 2002-06-07 13:21 )
あたしはいつもこちらで日本のことを勉強させてもらっています。Hideyさんの文章はとっても難しい話を楽しく上手に語ってくれるので新聞は東スポしか読まないあたしにもとてもよく理解できます。そしてそこかしこにのぞく書き手の人間性が読み手をほっとさせてくれるのでした。あたしもゆうべはイギリス人の方が経営されてるらしいレストラン&バーでW杯観ながら飲み食いして、それからカラオケボックスに行き、原田真二の「キャンディ」を歌ってきました♪ / akemi ( 2002-06-07 08:48 )
とりあえず、ここまでの報告ごくろうさまです。じっくり楽しみながら読ませていただきましたが、Hideyさんの体験を想像しているうちにとてもわくわくしてしまいました。ストレスやプレッシャーも多かったようですが、本当に充実した貴重な体験をされたんですね。私も参加してみたかったな。特に築地、銀座あたりのお話は私もそこら辺で少し働いてたから、とても興味深かったです。続きを楽しみにしてます! / rei ( 2002-06-07 02:44 )
日本の技術を一番知らないのはきっと日本人なんではと思ったりしました。技術に自信を持てば、日本経済が復興するような気がします。 / 夢樂堂 ( 2002-06-06 17:17 )

2002-06-06 Japan Trekご報告 7

この日の午後の新生銀行とローソンへの訪問は学生たちにとってきわめて満足度の高いものとなった。というのは授業でも散々議論した出口の見えない日本経済において、確かな可能性を感じさせる企業経営の姿を目の当たりにできたからだ。破綻、国有化を経、外国資本によって再生を果たした旧長銀、現新生銀行では、日本を代表するプロの経営者で英語も堪能な八城政基社長が、日本の金融業界の問題点、バブルの傷跡、再生への手がかりなどとうとうと語った。八城社長がエッソ、シティバンクで培ってきた現代的・合理的経営は旧来的な日本の金融文化に決別、長期信用銀行という過去にも拘らずリテールを含めた真に自立した新しいビジネスモデルを確立。やむことのない学生たちからの質問にもストレートかつ真摯に答えていただいた。

ローソンでは、我々の訪問から一週間後の株主総会において正式に社長に就任した新浪氏に話を伺う。近年ローソンに資本参加した三菱商事出身、43歳で一部上場企業最年少社長となった新浪社長は実は我々のOBであり、その講話の中でもMBA的経営が旧態依然としたローソン再建の鍵だと強調。欧米では当たり前のROE本位の経営、経営のスリム化、現場への権限委譲などを推進し、水をあけられているセブンイレブン・ジャパンへの反撃を開始する旨語った。

驚いたことに新浪氏の片腕として実質的なプレゼンテーションを行ったのは、僕の高校大学の先輩でスタンフォードMBAを取得した清水達平氏だった。彼が三菱商事からローソンへ出向していることは聞いていたが、まさかこの場で再会できるとは思っていなかった。昔から僕の発音の師匠だった清水氏は変わらぬ流暢な英語でプレゼン。ほんの短い時間だったが嬉しい再会を祝いあった。

この日の夜はオプショナルディナー。前日に日本人スタッフがそれぞれお薦めの店、予算、定員を発表、希望者が申し込み抽選を経てグループを決定した。僕はとっておきの和食の店、南青山の「椿」へ8人を連れて行った。8,000円のプリフィクスのコースのみだが、小皿の料理が10品ほど出る。いわゆる懐石とは一線を画し、斬新なスタイルながら基本に忠実な調理法。食材の組み合わせの妙を堪能できる。日本酒とワインはご主人が厳選したもので、飲み物に合わせてグラスも細かく変えるという気配り。奥様が料理を運んで簡単な説明をしてくださるのだが、何年たっても若々しくお美しい。店構えもしっとりとして、外国人に和の精神を知ってもらうには格好の店である。連れて行った連中は、食のハイライトは文句なしにこのディナーだったと断言してくれた。

この日は日本人スタッフMike主催の「Gentlemen’s Night」の本番。まずは女性も含めてクラブ「Byblos」に集合。その後紳士たちは六本木の夜の闇に消えていったらしい。僕はやはり相当疲れが残っているらしく、Byblos行きは検討したものの一旦ホテルに帰るなり即死。かくして三企業訪問という緊張の一日が終わった。

(つづく)

先頭 表紙

たらママさん、その声はやはりちゃんとあり、うちの女の子たちに「J Men'sでも行けば?」と話していたのですが(J Men'sってまだあるんでしょうか?)、結局何もなかったようです。 / Hidey ( 2002-06-08 16:02 )
りぃなさん、でも本当にMBAを生かしてくれる企業はまだほとんどないです。どうしても外資が多くなってしまいます。Byblosねえ。もう若くないからなあ。 / Hidey ( 2002-06-08 16:01 )
ちなみに、Ladies' Nightは? / たらママ ( 2002-06-07 11:39 )
アメリカMBA卒業生は、どんどん日本の会社に浸透していってるんですね。それと、英語を流暢に使いこなせるトップが増えたのは、正直びっくりしました。Byblos行きは残念でしたね。 / りぃな@と、またからかってみる(笑) ( 2002-06-06 16:19 )

2002-06-06 Japan Trekご報告 6

5月23日。午前7:00から築地市場見学。築地に10年以上勤めながら場内は初めて見た。見渡す限りの鮮魚に自然と涎が出てしまう。シーフードの街ボストンとは言いながら魚の美味しさは日本が数十段上。しかもこの種類の豊富さ。ああ、早く食べたい。

ひとしきり見終わったあと、既にばらばらに行動している参加者を連れて場外の食堂へ。中には朝からの寿司はもとより、洋食屋なども重過ぎる、サンドイッチが食べたいという連中がいるので、かなり歩いて築地のスタバに連れて行ってやる。もう一度場外に戻って一人適当に寿司屋に入ると10人くらい見知った顔があった。June、Jeanie、Bee、Monikaのテーブルに座り、既に本場の寿司を味わい始めている彼女たちに混ざる。当然のことながら彼女たちにとっては生涯最高の寿司となった。Monikaはもともと味噌汁が死ぬほど好きとのこと。溶けた海苔を箸ですくって除けながらしっかりおかわりしていた。

NTTドコモ訪問。通信の未来図を描いたビデオを見たあとショールームへ。授業でも何度か話題になった第三世代移動通信システムということでFOMAに注目が集まる。英語を話す案内係の方の助けを得て学生たちがFOMAを初体験。携帯後進国アメリカでは最新の製品すら日本に比べて5年は遅れているという程なので、動画はもとより音声のクリアさに感動しまくっていた。ハイテクを駆使した会議室に通され、日本の携帯電話市場の現状、ドコモの位置づけ、サービス内容等のプレゼンテーションをしていただいた。

午後の新生銀行訪問まで多少時間があるので、ドコモのある溜池山王から班ごとに銀座エリアに出て散策と食事。僕も9人の班員を連れてまずは地下鉄出口すぐの鳩居堂へ。やはり外国人はこういう店が好きで、結構高い扇子を最後まで吟味して買ったりしていた。少し歩くと女の子の目が木村屋に釘付けになる。あんパンから洋風のパンまで舐めるように見続け、最後は皆あんパンを買っていた。銀座通りでさっそく食べ、皆感動。特にMonikaは痛く気に入ったようで、この日以降あんこを求め続けた。

次は隣の山野楽器。アメリカでは決して知ることのない巨大なJ-popマーケットに皆驚く。たまたま店頭展示していたMr.Childrenの名は彼らの頭に刷り込まれたようだ。韓国人のJuneは特に深い興味を示す。KATSUMIさんも書いてらしたが、公式には日本の歌謡がご法度の韓国でも実のところJ-popは憧れの的。最新のオムニバスが欲しいと言うので見繕ってあげた。

やはり銀座となると女の子主導だ。JuneとBeeがアメリカでも有名なミキモトに突進していったことから、集合時間を決めて別行動に。その間僕はイタ飯屋を予約。日本食が続いていたので大変感謝される。銀座にしては安めでしかもきちんとした店で、僕が常々伝えたがっていた日本のイタ飯の繊細さをようやくしっかりと伝えることができた。僕からすれば驚くような店ではないけれど彼らは大感動。これだけのことで「Gourmet」の称号をいただいた。

(つづく)

先頭 表紙

りぃなさん、何が食べたいかをいってもらえれば、メールで詳しくお教えしましょう。僕の好みでよければね。インド料理はぜひ高田馬場のラージプートへ。 / Hidey ( 2002-06-11 15:53 )
東京に遊びに行く予定ですが、その前にオイシイお店をレクチャーしていただこうかな(笑)とりあえず、インド料理は行ってみたいです! / りぃな@最近らヴ。 ( 2002-06-09 13:35 )
パンドラさん、築地市場、ぜひ行ってみてください。魚屋さんたちが「じゃまだじゃまだ」とばかりに闊歩してて結構大変ですが、本当に一見の価値ありです。本当は何か許可が要るらしかったのですが知らずに入ってしまいました。 / Hidey ( 2002-06-08 15:59 )
akemiさんの達筆に鳩居堂の絵葉書。。。それは極上のお礼状やご挨拶状になりますね。日本はまた絵葉書の印刷の質ひとつとってもアメリカより数段上ですから。 / Hidey ( 2002-06-08 15:57 )
Rさん、ワールドカップのお話、驚きです。僕も40日間でローマ、ミラノ、ナポリ、フィレンツェ、ジェノバ、パレルモ、ボローニャ、ウーディネを廻りました。僕もフランスよりイタリア主義です。真面目な話イタリア人化計画を検討中です。 / Hidey ( 2002-06-08 15:55 )
Rさん、その基準が違うんだよ、ってことを分かってもらいたかったのですが、ほんものの美味しいイタリアンなどに案内することはできませんでした。 / Hidey ( 2002-06-08 15:52 )
↓しゃむさんへ。 / Hidey ( 2002-06-08 15:51 )
鳩居堂は実は僕はそれほどappreciateしたことはなかったのですが、彼ら外国人の目で見るとなるほどと思いました。ちょっと高いですけどね。 / Hidey ( 2002-06-08 15:50 )
まうさん、それは残念。あの鮮魚の山を見せつけられて野菜サンドじゃちょっとね。。。場外歩いてたら梅宮辰男がいて何か食の番組のロケをやってました。 / Hidey ( 2002-06-08 15:49 )
りぃなさん、ほんと今回のメンバーはチャレンジャーが多くてよかったです。最後の方は結構気を遣って洋食にしようかなんて誘ったのですが、最後までラーメンだの寿司だのと騒いでました。今回、まだ絶品イタリアンは僕自身まだ行ってません。新富町のラ・ベットラに行くのが楽しみです。 / Hidey ( 2002-06-08 15:46 )
日本を味わうみなさんの姿は、そのまま空の向こうの文化の匂いを感じさせてくれるよう。築地市場は憧れです!個人的にはミキモト好きなので、久しぶりに覗きたくなりました(笑) / パンドラ ( 2002-06-08 09:00 )
鳩居堂の絵葉書は季節のものを数枚づつ常備しています。お礼状やご挨拶状に使います。便箋と封筒も季節によって絵柄が変わるので見にいくのも楽しみ。・・・ってあたしが行くのはもっぱら横浜ポルタ店ですが・・・(笑) / akemi ( 2002-06-08 08:51 )
下のワールドカップの話、突っ込めなくなったのでこちらに。 わたしもあの時イタリアにいたのです!ローマ、ミラノ、ナポリ、フィレンツェを廻っていました。といってもフットボールには全く関係ない、担当教授のお伴?だったのですが。いつも曇りのフランスのカルチャーショックの連続の中訪れたイタリアは、暖かく明るい光のようでした。それ以来のイタリアファン。フランスより断然イタリアが好き〜。 / R ( 2002-06-07 19:09 )
わたしも鳩居堂は必ず行きます。油取り紙も人気ですね。 しかし、アメリカンにグルメと言われるのは尊称というより蔑称というかんじ(笑)。君らの基準で言われたくなーいって思ってしまう。。 / R ( 2002-06-07 18:58 )
鳩居堂は私も帰ると必ず行きます。ぽち袋とお香、一筆箋はどなたに差し上げても喜ばれるので大量に。あ〜銀座に行きたくなりました。(涙) / しゃむ ( 2002-06-07 13:26 )
私も留学生達を築地に連れて行ったのですが、ベジタリアン達と野菜サンドを。 / まう@ヅケが食べたかったのに ( 2002-06-06 17:18 )
Monicaさんは日本の食文化がお気にのようで。食文化を伝える点では、食わず嫌いの人よりチャレンジャーがいいですね。日本のイタ飯はイタリア人も絶賛らしいですけど、今回実証されました、ぱちぱち。確かにアメリカと日本じゃ、当たりはずれは日本の方が・・・。田舎のせいかしら。 / 最近お味噌汁にはまってるりぃな ( 2002-06-06 16:15 )

2002-06-05 Japan Trekご報告 5

そのあとに僕がうちの会社のプロフィール、事業内容、強み、現状の課題と解決の方向性など、戦略論的な前置きのプレゼンテーションをした。課題としてはメディアの多様化による既得権益の喪失、海外の巨大代理店グループの日本市場席巻の脅威を取り上げ、その解決方法としてうちの会社が率先して新しいメディア業界のルールを再構築すること、デジタル放送時代の新しいビジネスモデルを確立すること、スポーツイベントやキャラクターなどのコンテンツを中心にしたビジネスモデルによりメディアの多様化にも一元的に対応すること、海外の代理店との戦略的提携によりグローバルなクライアントサービスを提供することを提示した。

三人のスピーカーを迎え、一人目はうちの事業の幅を見せながら最先端事例を紹介するという意味で、ニチレイ「アセロラドリンク」に関する、消費者の意識の深層を探り、これを意図的に変換するための定量的・定性的なプログラムの設計、キャンペーンの実施を紹介。あまりに先端的過ぎてここでは機密保持の観点からも詳細を紹介できない。そして前述の「課題解決の方向性」の具体的事例として、BSデジタルを利用した双方向マーケティングやCRM作業、開幕を直前に控えたワールドカップビジネスを、それぞれの部署の担当者がプレゼンした。

そのまま大ホールで中華弁当を食べさせながら、日本人スタッフのMikeが流暢な英語で「東京Scavenger Hunt」のルール説明を行う。8つの班がそれぞれ定められたコース(お台場方面、渋谷方面など大雑把)に従い移動、例えば渋谷なら109のカリスマ店員と記念撮影、ハチ公を囲んで記念撮影など複数の宿題をこなし、こなした数だけポイントが与えられるという仕組み。ほとんどノーヒント状態で東京の街に放り出す。18:45に恵比寿ガーデンプレイスの「ビアステーション」集合になっていたが、早く帰ってきた班にはボーナスポイントをあげることにした。その間我々8人のスタッフは貴重な自分たちの時間を得ることができた。僕はうちの会社の友人や先輩に挨拶して回った。

18:45。皆一様にどっと疲れた表情で恵比寿に集まる。時差ボケ、早朝からの相撲部屋見学、東京の街探訪とくれば無理はない。ビールで乾杯。ベジタリアンや宗教上の理由で豚肉が食べられないなどの食習慣を事前調査で把握していたのは7人だったが、当日になって自称ベジタリアンが増えて困った。

この日はオプショナル・ツアーでも一番人気の、達人Mike率いる「Gentlemen’s Night」(内容はご想像にお任せします)が予定されていたが、皆あまりに疲れていたので部分的な実施にとどまる。僕もまっすぐホテルに戻り倒れこむようにベッドへ。しかし相部屋したスペイン人学生は東京中(日本中?)にガールフレンドがいるというつわもので、この日も4:30まで帰ってこなかった。そんなマメさは僕にはもうない。

(つづく)

先頭 表紙

Ecruさん、そうです。秘密の人体実験が必要だったのです(うそです)。いや、変換するのはあくまで広告やパブリシティに過ぎないのですが、それ以前、それ以後の商品とイメージ連想の結びつき方を定量的、図式的に測定できるというところがミソです。まったくEcruさんまで。。。たしかに自他ともに認める「マメ男」だったようです。今はもうだめ。 / Hidey ( 2002-06-06 08:54 )
りぃなさんまで。。。下記参照です。Scavengerは実は「カリスマ店員」、「コギャル」系のネタをいくつか考えていたのですが、最後は僕の余裕がまったくなくなり、それを見かねた別のスタッフがすべて代わりに企画してくれたのです。その頃は時間も全然なく、彼としても残念だったかと思いますがわりと素直なテーマで落ち着いてしまいました。 / Hidey ( 2002-06-06 08:49 )
夢樂堂さん、本当に主催者である我々日本人スタッフも負けずに楽しんでいました。この機会を成立させてくれた外国人参加者に感謝でした。 / Hidey ( 2002-06-06 08:46 )
akemiさん、そんなに鋭くつっこまなくたって。。。確かに昔はマメでした。女性崇拝者の僕としては身を粉にしてあらゆる女性に尽くしていました。 / Hidey ( 2002-06-06 08:44 )
消費者の意識を意図的に変換するって、なにか確立した(秘密の)方法論みたいのがあるのかしら?どれくらい意図通りの実感が得られるのか興味あります。Hideyさまってその当時はまめな方だったんですか? / Ecru@すみません…つい ( 2002-06-05 16:37 )
akemiさんのつっこみに吹き出してしまいました(笑)確かに♪ 「東京Scavenger Hunt」の全内容が知りたかったです。大坂版を作るのも楽しいかなっ。 / りぃな ( 2002-06-05 14:48 )
ジャパントレック、日本人が参加しても十分に楽しめる内容ですね。ぜし参加したい。 / 夢樂堂 ( 2002-06-05 13:11 )
ふむふむと読みすすめて、終いに「そんなマメさは僕にはもうない。」って…かつては相当マメだったのかにゃ〜(爆)  / akemi ( 2002-06-05 08:29 )

2002-06-05 Japan Trekご報告 4

5月22日。朝6:00にホテルロビーに集合して元高見山親方の東関部屋へ。東関部屋は25人までしか見学できないので8班のうちの2班のみで伺う。他のメンバーは武蔵丸属する武蔵川部屋に行ったり、他の日に改めて東関部屋に行ったりすることになっている。

約20名をつれて都営新宿線に乗り込む。彼らにとっては初めての日本の電車。ラッシュが凄いよと脅していたが、さすがに6:00過ぎはまだすいている。むしろ彼らの興味を引いたのはキオスクや自動販売機。前夜に入ったコンビニでサントリーの「ダカラ」を気に入った連中は他の連中にも勧めて買わせる。缶コーヒーも人気。だが一番人気は「午後の紅茶ロイヤルミルクティー」だった。多くの連中が「これはアメリカで商売になる」と断言していた。

本所吾妻橋の東関部屋に着く。案内の方から静かにするように指示があり、皆緊張した面持ちで玄関をくぐった。ふすまを開けるとそこはもう既に空気が違う。土の地面に土俵が描かれ、7、8人の若い力士が激しい稽古をしていた。勝ち抜き戦を果てしなく繰り返すのだが、立会いのあたりの激しさは、その度に女の子がびくっと体を動かすほどだった。5月場所も2週目に入っていたので真剣さがびりびりと伝わってきた。東関親方も登場。力士もさらに気合いが入る。今場所は好調な高見盛関も最後に稽古に加わった。

稽古終了後、8人の運営スタッフのひとりで日系ハーフのRobinが、もともと知り合いだった親方に挨拶。親方の娘さんと同じ学校に通っていた縁で今回の訪問もお願いしていた。稽古中は撮影禁止だったのだが、最後に親方が若い衆に言って我々と親方、力士の方々との記念撮影をさせてくれた。学生たちは興奮しながら本物のSumo wrestlerとのツーショット写真などを撮りまくっていた。

この後はいよいよ僕の会社への訪問。都営浅草線に乗った頃は8:30を過ぎており、外国人学生はラッシュ電車の洗礼を受けた。東銀座で降り、うちの大ホールで朝食をとるべくコンビニへ。これも実は大切な社会見学だった。それというのも一年生のはじめに各国のビジネスモデルを学ぶ授業があり、日本についてはセブンイレブン・ジャパンがその緻密なマーケティングやロジスティクスにより本国アメリカをはるかにしのぐ業績をあげ、経営危機に陥った本国セブンイレブンに逆に資本参加、経営の建て直しを行ったという事例を取り上げていたのだ。それもあってこのTrekではLawsonへの企業訪問も予定された。うちの会社のそばのコンビニはampmだったのだが、弁当やコスメ、種類が豊富なパンや飲み物に外国人学生は驚嘆していた。あんパン、メロンパン、やきそばパンなどいちいち解説してやる。カレーパンを説明したら喜んで手を出す者もいた。飲み物ではコカ・コーラが日本のマーケットでのみ爽健美茶などのドリンクを生産していることにもいちいち注目していた。

うちの会社では僕がしょっぱなにうちの制作したコマーシャルを10分ほど見せた。日本ならではの商品・サービスとして今回訪問するドコモのFOMAや「週刊Lawson」のCMを見せ、海外ブランドが日本でどう広告されているかというテーマではワールドカップのコカ・コーラ、イチローのペプシ(これは他社制作)を見せた。アメリカでは考えられないタレントものでは数年前になってしまうが缶コーヒーのタレント戦争でネスレがマライヤ・キャリー、JTがブラピ、アサヒがタイガー・ウッズ、キリンがスティービー・ワンダーを起用した頃の作品を見せた。理屈抜きに受けたのはWOWOWの「走る女」、民放連のシドニーオリンピック(トイレ掃除のおばさんが急に新体操をはじめる)。

(つづく)

先頭 表紙

2002-06-02 わが心のワールドカップ 2

ジェノバの現地スタッフに「とっておきの場所に連れて行ってやる」と30分車で走って連れていかれた、夕日に映える街が一望できる丘。「フィアンセができたらぜひここに連れてこい」と言われたが約束はまだ果たしていない。彼の友人達と夕食をとったが、そのうちの一人はマリファナのやり過ぎで食べたものを戻していた。運営本部のアシスタント、小麦色のすらりとした手足に笑顔が美しいクリスティアナ。スタッフの友人宅での初対面の若者たちばかり30人での夜通しのパーティー。いくつかのカップルが何時の間にか二階の部屋に消えていった。小さなスタジアムで人波にもまれながら絶叫し合唱したマドンナのコンサート。コンサートに一緒に行った同い年くらいのスタッフの家に上がり、ビールを飲みながら彼のバンドのテープを遅くまで聴いた。家族も友人も日本の仕事もすべて捨てていいからイタリア人になりたいと心から思わせたシチリアの浜辺と太陽。そして帰国前夜、窓を全開にして走った午前3時のドライブ。狂乱の40日間。

これから先仕事にまみれて生きていくに違いない僕の心のどこかに、そうではない場所を、永遠の選択肢をイタリアは植え付けていた。

サッカーも負けず劣らず僕を酔わせた。ミラノのスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァの85,000人の大歓声で自分の声が自分で聞こえなかった事実への驚き。その中で繰り広げられる世界最高のサッカー。僕の両眼は華麗にして知的なフリットのボール捌きに見入り、彗星のごとく現れたスキラッチが次々と放つゴールに驚嘆し、当時から堅実なプレーを見せチームを勝利に導いたマテウスの雄姿を称え、激しいマークの中搾り出すように蹴り出されながらも奇跡のようなコースを描くマラドーナのパスに覚醒した。ナポリでダリオとこれも日本語の堪能なミシェルとともに大きなイタリア国旗を振り回して応援したイタリア対アルゼンチンの準決勝。最後の最後にPKで負け、大の大人が泣き叫ぶのを目の当たりにした。その夜のナポリは街中が葬式のようにひっそりしていた。これがサッカーなんだと思った。

98年のフランス大会でもまた違った業務の関係で日本対クロアチアの試合を観られるという幸運に恵まれ、今回は海外居住者のアドバンテージを生かし、神戸と宮城のラウンド16のチケットを確保した。日本が世界中の注目を集め、史上最強の日本チームに期待がかかる今大会はどうしても祖国日本で体感したかった。

しかし、はじめに最高を観てしまったという思いの強い僕にとってはあれ以上の期待感は正直ない。仮に日本が優勝したとしても僕にとってのワールドカップはItalia 90でありつづけるだろう。それはサッカーのサッカー性と真に合致する国民性を有するあの国ならではの大会であり、サッカーを文化として育て、愛してやまないイタリア人の生き様に僕が深く共鳴したからだ。

下世話でファシスト的な連日の特集番組に辟易し、町興しや経済効果など不純な動機や目論見が堂々と論じられる風潮には嫌気がさしている。プレイヤーはそんなことのために極東のこの国に来ているわけではない。彼らは最高のプレイを我々に見せてくれるために来ているだけなのだ。

虚飾に充ちた演出がひとしきり終わり、キックオフの笛とともに飾り気のない単純なルールにもとづく格闘が始まったとき、僕ははじめてあの日の興奮を思い出し、ワールドカップに興じることができる。連日まったく毛色の違う各国のサッカーが繰り広げられるが、与える感動は皆本物である。本当の国際理解はそんな些細なところにこそ存在すると信じている。

先頭 表紙

スーパーしえろさん!なんとびっくり!あそこにいらしたんですか。ガス欠コインさんも日記に書いてらっしゃいましたが、あの時はイタリア人も心の中ではマラドーナを応援しており、非常に複雑な心境だったようですね。マラドーナがナポリに所属してましたから。僕の回りでも「ディエゴ、サイドが違うぞ」と野次が飛んでいたと通訳のダリオが教えてくれました。 / Hidey ( 2002-06-06 08:42 )
パンドラさん、ぴかぴかの芝生、いつも心の中にあります。イタリアという場所は僕にとってはつねに自己のバランスをとり、確認しに行く場所であるのです。二年に一度行かないと死にます(笑)。 / Hidey ( 2002-06-06 08:39 )
私も見ました!ナポリでの準決勝。マラドーナのファンで、アルゼンチンを応援してましたが、まさか勝つとは思ってませんでした。アルゼンチンの大きい旗を持ってましたが、試合終了であわてて、しまいました。ナポリ湾に面したエクセルシオールに泊まっていましたら、夜中に大音響。外を見たら花火!本当は祝賀会ようだったのかも。やけくそのように打ち上げていました。 / スーパーしえろ ( 2002-06-05 09:07 )
読み終わった後、思わず「ほぅ・・・」とため息が出ちゃった。 なんて言ったらいいんだろう。 イタリアで過ごされた日々の輝きが、そのままぴかぴかの緑の芝生を思い起こさせるような。  凝縮された夢のような時間が、自分の人生の中で強烈な決定権を持つことってあるような気がします。 / パンドラ ( 2002-06-05 05:21 )
Ecruさん、今でも思ってます。既にミラノに5年暮らしイタリア語もペラペラのうちの妹には相当先を越されてます。 / Hidey ( 2002-06-05 02:33 )
ガス欠コインさん、ほんとワールドカップと言いつつサッカーの話はほとんどなくてごめんなさい。でも本当にご指摘いただいたとおりで、イタリアのすべてがサッカーでした。神戸の後にでも会えるといいですね。 / Hidey ( 2002-06-05 02:31 )
りぃなさん、僕もイタリア人に対し、似たようなことを思いました。会社をやめたらイタリア人になりたいです。 / Hidey ( 2002-06-05 02:29 )
KATSUMIさん、若さもあるけどやはりイタリアとサッカーの同義性が僕の中では完全に成立しているようです。サッカー好きの方々には怒られてしまいそうだけど、あらゆるスタディオのピッチに立ち、VIPボックスでプラティニの真後ろに座り、プレスセンターでのベッケンバウアーインタビューなども至近距離でした。当時はそのありがたみが全然分かりませんでした。 / Hidey ( 2002-06-05 02:28 )
邪夢猫さん、体感してしまいました。お陰で今はイタ飯ばかりつくっています。サッカー、今日(既に昨日か)は盛り上がりましたよー!僕もかつては正座して四大大会を見ていたほどのテニス好き。でも最近は魅力的なプレイヤーが少ないからな。。。 / Hidey ( 2002-06-05 02:24 )
イタリア人になりたい!っておっしゃってましたものね。なんというか、すごく「好きさ」が伝わってきました。自分のワールドカップこれからも大事にしていってください。 / Ecru ( 2002-06-03 22:33 )
僕は街頭テレビで見ていましたが(笑)、忘れ得ぬ大会ですね。フットボールそのものにはちょっとしか触れていないのに、文章のすべてにワールドカップを感じます。そう、大の男がこの世の終わりかのように、泣くんですよね。素晴らしい文章をありがとう。神戸のラウンド16には僕も行きます。 / ガス欠コイン ( 2002-06-03 00:39 )
いいかげんさの反対は大らか。そして陽気♪ 背伸びしたために子供時代をすっ飛ばして、思いを自分の中にため込んじゃう自分には、イタリア人が羨ましいです。最高の試合を現地の人と味って、最高の国際理解でしたね。 / りぃな ( 2002-06-02 23:52 )
はじめてのワールドカップが最高なのは、若さが影響しているのかもしれません。私も入社2年目のアメリカが一番記憶に残っています。とはいえサッカーをこよなく愛する国でのワールドカップを一度体験したいものです。イタリアはそういう意味で(芸術性と食事の上手さも含めて)最高の大会だったのではないでしょうか。 / KATSUMI@W杯モード ( 2002-06-02 22:36 )
イタリアのマ〜マミ〜アを体感しまったのですね。うふふっ。先ほど散歩していたら、庭にテレビを持ち出して日光浴しながらサッカーをみている家がありました。おしゃべりの様子からもちろん、イタリアン。この時期、旦那さんはTVばっかり見ているのでつまらないという奥さま方の会合が頻繁だとか。。。でもうちの夫はどっちかとというとテニスのフレンチオープンに夢中です。 / 邪夢猫 ( 2002-06-02 21:58 )

2002-06-02 わが心のワールドカップ 1

Japan Trek報告記事の執筆中だが、この機を逃すとワールドカップのことは永遠に書けなくなってしまいそうなので、突然だがこの文章をしたためている。

12年前、ワールドカップは僕の生き方を確実に変えた。Italia 90(イタリア・ノヴァンタ)という名のあの大会である。

僕は当時広告代理店に入社して2年目で、就職前から希望していたプロテニスのトーナメント運営の準備作業に携わっていた。「6月頭から7月中旬までワールドカップ作業の手伝いに行ってくれ」と上司に言われ、断れないながらも僕は相当落胆していた。自分で骨格を作りつつある女子テニストーナメントの第一回大会を一時的にでも人の手に委ねることになってしまうし、なによりイタリアにもサッカーにもまるで興味がなかった。

うちの会社の資本が入った国際スポーツマーケティング企業が当時ワールドカップのすべてのマーケティング作業を請け負っており、うちの会社も日本国内企業へのスポンサーセールス権を独占していたため、スポンサーケアの手伝いということで僕も駆り出されたのだ。といっても内容は2年目の若造でも簡単に勤まる単純作業。大会が行われる12の会場のいくつかを担当、試合の前日に会場を訪れスポンサーの看板が順番どおりに並んでいるかどうか確認、会場やプレスセンター周りでスポンサーと競合する企業・ブランドの名称が露出していないかどうかをチェックし、本部にそれを連絡しつつ必要に応じてそれらを黒テープなどで隠す。スポンサーが提供している物品が故障していれば本部に連絡し、直してもらうよう手配する。あとは試合を見て翌日に帰るという気楽な仕事だ。

ルーズさの象徴のようなイタリアという国はどちらかというと嫌いだった。スイスからイタリアに入る列車に乗っても国境を過ぎるとそれまで定刻どおりに走っていた列車が急に遅れだし、最後は2時間遅れで終点に到着する。ホテルの浴室の具合が悪いと苦情を言っても、返事ばかり調子がよくて最後まで何もしてくれない。ローマの試合会場スタディオ・オリンピコも大規模な改修工事を行っていたが、開幕に間に合うめどは立っていなかった。しかしそのスタディオ・オリンピコにはじめの打ち合わせに出向いた日の目を刺すような初夏の日差しは今でも脳裏にあの日の風景の残像を残す。何か抗えない眩しさがあたり一面に注いでいた。

イタリアは日に日に僕を魅了していった。ローマの裏通りの小ぢんまりとしたトラットリアの店先で生まれて初めて食べたインサラータ・カプレーゼとプロシュート・エ・メローネ。ジェノバの海沿いのリストランテで食した、シーフード嫌いの僕にはじめてその美味しさを教えた見事なるスパゲティ・アレ・ボンゴレ。心から惚れ込み、最後の2週間は一日一度必ず食したシンプルなポモドーロ。どの店も味が違うがどの店も美味しい。日本語の堪能な相棒のコーディネーター、ダリオとの珍道中。夜な夜な何をするでもなく散歩に出る彼について歩き、ミラノでは試合後の暴動に巻き込まれ警察とのもみ合いの中を走って逃げた。

(つづく)

先頭 表紙

りぃなさん、ドイツ、フランス、イタリア、オーストリアを予定しています。妻が余りプライバシーは公開してほしくないと言うので旅行記は書けるかなー? / Hidey ( 2002-06-06 08:37 )
なるほど、Hideyさんらしい理由ですね!ヨーロッパ中のあちこちの国にいらっしゃるとか?大旅行ですね☆旅日記を今から楽しみにしています(笑) / りぃな@ドイツで環境対策を体感したいデス ( 2002-06-05 14:54 )
りぃなさん、僕は心からヨーロッパに惚れてます。歴史がある国がやはり好きなようです。歴史あるところに食文化もあり。食はやはり大きいです。食文化は貧しいけどアムステルダムも大好き。そんなアムスを彷彿とさせるボストンだからこそ惚れ込んでいるのだと思います。実はドイツの素朴な美しさも好き。7月のヨーロッパ旅行ではドイツも行く予定です。 / Hidey ( 2002-06-05 02:22 )
ヨーロッパはまだ行ったことがないですが、読んでいるとイタリアもいいな☆って思います。食に魅了されましたか? なんて、ゴメンナサイ。私も食いしん坊なので、食事がよかったら印象が多いに変わってそうです(苦笑) / りぃな@一番いきたいのはドイツ! ( 2002-06-02 23:39 )

2002-06-01 Japan Trekご報告 3

一年振りの日本は正直懐かしくも何ともなかった。どたばたと帰国したということもあるが、根本的な理由は三つある。

インターネットが常にバーチャルな日本を僕の周りに形成していたということ。ネット接続時のトップページはヤフージャパンに設定しており、常にリアルタイムなニュースが目に入る。メールやひまじんを通じて個人的なつながりも存在した。確実に世界は小さくなっている。

僕自身、慣れっこになっているということ。中学時代パキスタンに住んでいた頃ほんの4ヶ月で一時帰国しただけでも、10数年慣れ親しんでいたはずの日本の住宅の狭さに目が驚いた。高校で1年アメリカに留学した後はどこかしら日本が外国のように映った。しかし大人になって年に何度も海外出張を繰り返したりすると悲しいかな地理的な移動に感興を覚えることは少なくなる。

そして僕がどうしようもなくボストンに惚れ込んでしまっているということ。煉瓦と緑、新旧の建物の絶妙なバランス、歴史の香り。アメリカという国に僕は概して魅力を感じないが、この街には心酔している。正直日本に帰りたいという気持ちはそれほどなかった。食、友人、ワールドカップという属性にだけは惹かれていたものの、東京という街は僕に何らの魅力も与え得なかった。

いずれにせよJapan Trekだ。僕は生々しい仕事の記憶がまだあちこちに染み込んでいる東京の街に戻ってきたのだ。

5月21日。ぎりぎりまで会社で準備作業をし、空港へ一行を迎えに行く。定刻の17:00より30分早く到着。税関を経てばらばらとそれらしき外国人が出てくる。まだ名前と顔がまったく一致していない。荷物につけてもらうタグを渡すために大声で一人ひとりの名前を読み上げる。彼らは初めての国に落ち着きなくうろつきまわり、点呼の効率は極めて悪い。彼らを率いてきたAlexisの話によれば既に一人ボストンで連絡が取れずグループと一緒に来られなかった者がいるという。いよいよ始まったのだ。

京王プラザホテルに向かうチャーターバスではブラジル出身のMarcoと同席した。好奇心あふれる彼は旅の疲れも感じさせず矢継ぎ早に僕に質問を浴びせる。日本の住宅事情、日本企業の福利厚生、小泉内閣への日本人の評価、日本人の宗教観など。できるだけのことは答えたが、これからの10日間は彼なりのより深い実感を伴う答えを与えることだろう。

ディズニー・リゾート、埋立地、兜町、皇居周辺と目まぐるしく移り変わる車窓の風景を彼らは興味深く見つめていた。「どこの国とも違う」と誰かがつぶやいた。バスは順調に京王プラザに到着。次々にルームキーを渡して集団を部屋に押し込み、先に到着していた他のスタッフと旅行代理店との打ち合わせを行った。

20:00、フィー子さん紹介の居酒屋「土風炉」でのウェルカムディナーへ向かうべく、ロビーに集合。80人を8つの班に分け、それぞれの班を日本人スタッフが率いることにしていた。なるべく自由に動かせてあげたいが、移動時は班でまとまって行動することを強いた。点呼しようにも予想以上の混乱。先が思いやられる。

長旅の後京王プラザから伊勢丹付近まで歩かせなくてはならないのは少し可哀相だったが、歌舞伎町を興味深く眺めたり客引きをからかったりとそれなりに皆楽しんでいるようだった。「土風炉」は期待通りの美味しさで日本の素朴な味をあらゆる角度から彼らに教えた。さすがに初日ということでアルコールは少なめ。六本木に消えた数人のつわものを除いては皆それぞれの疲れを抱えておとなしく部屋へ戻った。それもそのはず、明日は5:00に起きて相撲部屋の朝稽古を見学に行くのだ。

(つづく)

先頭 表紙

lim.さん、ただいまです。ドクタ生活も充実してますか?MITには遊びに来ないのかなあ? / Hidey ( 2002-06-05 02:18 )
みなみさん、昨日は本当にありがとう。味よしもなかなか感激でした。土風炉は今週末のイベントでまた使います。 / Hidey ( 2002-06-05 02:17 )
Ecruさん、戻りました。実は事件はそれほどなかったです。でも彼らの目から日本を見直すことはたくさんありました。 / Hidey ( 2002-06-05 02:15 )
KATSIMIさん、疲れました。メンバーが非常に大人の連中だったので実は比較的楽なツアーだったのかと思います。今日から韓国ですか。お気をつけて楽しんできてください。 / Hidey ( 2002-06-05 02:14 )
mignonneさん、僕も正直びっくりしてます。でも今回の旅行は無理せず、夜は勝手に遊ばせといて僕はさっさと寝てました。 / Hidey ( 2002-06-05 02:12 )
パンドラさん、いえいえとんでもない。でもネットの力は大きいです。日本にいてすらアメリカで見ているのと同じヤフージャパンを見てたほうが日本のことがよく見えてきたりするのです。 / Hidey ( 2002-06-05 02:11 )
PAOさん、ただいまです。ちょっと長くなってしまいそうですがおつきあいいただければ嬉しいです。 / Hidey ( 2002-06-05 02:10 )
りぃなさん、そうそう。外国人は団体行動はダメだからね。でもうちの連中は年齢的にも大人だし、結構まとも。ブラックリストに載るやつは必ずいるけど。朝稽古、すごいよ。アメリカ人の友達でも連れて連絡してみれば? / Hidey ( 2002-06-05 02:09 )
おかえりなさい。私は相変わらずの生活してます。いろんなこと、無理しないで下さいね。 / lim. ( 2002-06-03 15:07 )
うわぉ。土風炉。ちょうど去年の秋だったか、親愛なる某ひまじんライターさんに有楽町の土風炉でごちそうしてもらい感激いたしました。 / みなみ ( 2002-06-02 21:19 )
帰国されてるんですね。80人の大人の団体行動、大変でしたでしょう。これから色々事件がおこるのかしら? / Ecru ( 2002-06-02 15:49 )
お疲れ様です。ツアコン役の苦楽はホント、メンバーに左右されますね。 / KATSUMI@頑張ります! ( 2002-06-02 00:39 )
いつもながらHideyさまのタフさにはびっくりします。 / mignonne ( 2002-06-01 23:37 )
世界が小さくなった、というより、Hideyさまの世界がぐんと大きくなられているのだなあ、なんて思いが広がったのでした。  なんだかコトバにしちゃうとエラソウだね、ごめんなさい。 / パンドラ ( 2002-06-01 23:18 )
お帰りなさい。人数を聞いただけでいろんなことの大変さが想像できます。でもこの後の展開が楽しみ。 / 走る酔人(PAO) ( 2002-06-01 17:39 )
キチンとしてるらしい日本人でも、団体行動は必ず乱れるもの・・・それが大人数となれば、尚更ですよね。私はよく帰国しますが、周りに日本のモノが少ないので、逆に懐かしいかもしれません。そうですね、もしもっと日本が近い?環境だと、帰らずにアメリカに居着いてるかなぁ、羨ましい。80人の外国人が大勢で移動するのは、なかなか見物だったでしょうね♪ 朝稽古の見学、してみたいなー、いーなーー! / りぃな@入れ違いですが、見に来ます♪ ( 2002-06-01 12:58 )

2002-05-31 Japan Trekご報告 2

さらに困ったことがあった。僕のスーツケースがないのだ。すぐにトラックしてもらったところ、重量の関係で僕を含め15人の乗客の荷物はアメリカン航空の違う便に乗ってシカゴ経由で成田に運ばれることになっているという。そのせいでシャワーこそ浴びられるものの着の身着のまま。それより困ったのはボストンの空港で両親のために買った生きたロブスター二匹を冷やし続けるドライアイスが蒸発してなくなってしまうだろうということだった。ロブスターだけは受け取れたので、時々窮屈そうに動いては発泡スチロールのケースをきいきい軋ませる彼らの物音を聞きながら一夜を過ごした。

翌日はさすがに順調に出発。エコノミークラスにも小型モニターと電話がついた画期的な旅客機ということだったが、目もくれず寝る。アルコールを口にする気にもならず、目が覚めれば一応画面は完成していたプレゼンテーションの英語のナレーションをパソコンに打ち込み続けた。そんな風にして十数時間のフライトはあっという間に過ぎ、これといった感慨もなく成田に降り立つ。

そもそもJapan Trekの始まる5月20日に先立ち急いで帰国したのは、19日に日本に着くことにより20日の月曜日を有効に活用、3人のうちの社員にお願いしてあるプレゼンテーションの内容を確認、さらに僕のパートのアップデートのための材料収集などをするためだった。そんな目論見はあっさり崩れ、20日の14:30に成田着。さらに件のスーツケース受け取りでもろもろ手間取り、会社に直行したものの着いたのは既に16:00になっていた。

まずは派遣元の能力開発室にいかにも学生というふざけた格好で到着。挨拶もそこそこに3人のプレゼンターと連絡を取り打ち合わせをする。ロブスターがまだ生きているかどうかとても気になる。複数の部署を私服のまま飛び回り打ち合わせを終え、タクシーで中野の実家に着いたのは19:30。ロブスターは喘ぎながら削り取った発泡スチロールにまみれつつもまだ体を動かしていた。なかなかつかめないほど大暴れしていたものの水を張った鍋に直行。40時間以上の長旅を生き抜いた後に5分で昇天。白ワインでおいしくいただかせてもらった。

多くの新しい体験に充ちた一年を終えそれなりに感慨の深いものになるはずだった僕の帰国は、このように落ちつかず、大変ストレスに充ちたものになったのだ。何かこの先の道の険しさを予感させる、不吉極まりない11日間の始まりだった。

(つづく)

先頭 表紙

スーパーしえろさん、ロストバゲッジしょっちゅうとは!この間うちの学校の日本人の女の子が南アフリカに着いた際やはりスーツケースがなくなり、最後まで行方不明で、服も全部現地で調達という可哀相なことがありました。今回は運営にかかわる多くの資料も入っていたので一瞬あせりました。 / Hidey ( 2002-06-05 02:06 )
Hirokoさん、ただいまです。旅行がなかなかできないようでちょっと悲しいですね。僕は20日のアメリカ帰国までほぼ毎日予定が埋まってしまい、死にそうです。ロブちゃん、手を合わせていただきました。 / Hidey ( 2002-06-05 02:04 )
おひさしぶりです!Hidey さまの困難に立ち向かっていく姿、というか、冷静な道筋のつけかたを読んでいると、とても励まされます。ちなみにロストバゲッジは私もしょっちゅうでした。おかげで交渉上手になりましたけどね。 / スーパーしえろ@未ログインごめん ( 2002-06-01 18:48 )
波乱に満ちたご帰国だったのですね。私も家からNYまで25時間の旅でしたが、それより15時間も長いなんて!! これからゆっくりなさってください。 自分で削った発砲スチロールにまみれたロブちゃん、なんかカワイソウ・・・。 / Hiroko ( 2002-06-01 12:34 )
パンドラさん、あらためてただいまです。おっしゃるとおり実りあるTrekになりました。キリンアラスカっていうのまだ飲んだことないので近々試してみます! / Hidey ( 2002-06-01 11:50 )
たまたまさん、調整してみたいと思いますが、昨日の夜だけでかなり今後の日程が埋まってしまいました。はらぽ〜んともまだ連絡を取っていません。ところでどちらにご連絡すればいいのかな? / Hidey ( 2002-06-01 11:49 )
むらりょうさん、ホテルまで届けてもらうとはラッキー。自転車を持ち歩くというところがむらりょうさんぽくてかっこいいですね。 / Hidey ( 2002-06-01 11:48 )
KATSUMIさん、余裕のあるスケジューリングのための犠牲は大きく、誰もが出席する一年の最後の泊りがけのパーティーを欠席せざるを得ませんでした。もっとも行ってたらほんとに死んでましたけど。ところでW杯はじまりましたね。これからKATSUMIさんの日記が益々楽しみです。 / Hidey ( 2002-06-01 11:46 )
浪花撫子さん、僕も似たような嫌味を言ってやろうかと思っていたのですが、最後は気力も失せました。AAはテロの標的になることが多かったのでやはり相当ぴりぴりしており、なんとボストンの空港ではロブちゃんの箱の紐を解きテープをはがし、ロブちゃんの姿を確認するという徹底振り。しかもその後自分で閉め直せと強要してくるし、持ちやすくなってた紐は無駄になったし。成田ではもうめんどくさくなったので「これはなんですか」との質問に「ロブスターです」と堂々と答え、そのまま出てきました。 / Hidey ( 2002-06-01 11:44 )
kofukuさん、結局ばたばたしてしまって一度もお声をかけることができず、大変失礼いたしました。最後のご旅行ですね。これからまた多忙な日々が続くかと思いますので、たっぷりご旅行をお楽しみください。 / Hidey ( 2002-06-01 11:37 )
akemiさん、ご婦人とはひょんなことからひまじんの話になり、とてもご興味を持ってらしたのでURLをお教えしました。もしこの文章を読まれているとしたらちょっと恥ずかしいです。 / Hidey ( 2002-06-01 11:35 )
ガス欠コインさん、ストレスははじめだけ。この後は充実の旅が続きます。ガス決コインさんの日記にもありましたが、昨夜の開幕戦、素晴らしかったですね。これから毎日ガス欠コインさんの日記がとても楽しみです。 / Hidey ( 2002-06-01 11:32 )
Rさん、ほんと、生まれ変わるとしてもこんなロブスターちゃんにだけは生まれたくないですね。ほんと可哀相なことしました。今日はこれから久々の日本の繊細なアサリでスパゲッティ・アレ・ボンゴレをつくります。 / Hidey ( 2002-06-01 11:30 )
プルーさん、お久しぶりです。プルーさんの気持ちがよく分かます。やはり日本の食事は美味しい。はじめはTrekの忙しさであまり食べてなかったのですが、このところ結構立て続けに飲んだり食べたりで、ちょっと体重が心配です。スポーツウェアとか持ってきたらよかったな。 / Hidey ( 2002-06-01 11:27 )
りぃなさん、またひまじんお休みに入られるようで、すれ違いですね。Trekの話はちょっと長ったらしくなってしまうかもしれないけど、自分たちのために書いておかなくてはと思います。 / Hidey ( 2002-06-01 11:25 )
邪夢猫さん、ロブスター、美味しかったんですけどやはり長旅の疲れのせいかいつもほどの美味ではありませんでした。帰国の際は母をアメリカに連れて行くので本場のおいしいのを食べさせてあげたいと思います。 / Hidey ( 2002-06-01 11:19 )
まうさん、それはそれは同情申し上げます。大変ですけどとても充実してらっしゃるのでは?僕にとってもこの留学で一番の思い出のひとつになりそうです。 / Hidey ( 2002-06-01 11:17 )
俺様さん、すっかりご無沙汰しました。さっそくのつっこみありがとうございます。ちょっと自己満の日記が続くかもしれませんが適当に読み流していただければ幸いです。 / Hidey ( 2002-06-01 11:14 )
おかえりなさい!  なぜかこの言葉が一番ぴったりくるの、今のキモチ。実りあるTrekだったんだろうなあ、とこれからアトの日記楽しみに待っております! / パンドラ@左手はキリンアラスカで。 ( 2002-06-01 08:22 )
わたしも誘ってください。はらぽ〜んさんのみでなくて、、、お誘い待っています! / たまたま ( 2002-05-31 21:17 )
荷物が出てきて良かったですね。私も自転車を預けたら大きすぎて別便にされた事がありました。その時はホテルまで届けてくれたので楽でした。 / むらりょう ( 2002-05-31 12:59 )
お疲れさまでした。到着するまでに疲れてしまうと、よりダメージ大きいですよね。でもその中でもトラブルを吸収できる余裕のあるスケジューリング、流石です。 / KATSUMI@W杯モード ( 2002-05-31 12:51 )
なんちゅう災難! うちやったら、ロブスターをAAのカウンター前でこれ見よがしに散歩させ、「ロブちゃん、待たせるけどごめんねー」とでも言ってやりますな。でも無事にご到着なによりです。 / 浪花撫子@NWはエコノミーでした。 ( 2002-05-31 12:26 )
ロジスティックスの混乱がすべてを狂わせてしまうのは何処も同じことですね.私はボストンを既に引き払い学校のインターナショナルトリップでベニスにきています. / kofuku ( 2002-05-31 08:38 )
御婦人と男性は本当に助かったのだろうなあ。巡り合わせの不思議。↓(下のあたしのつっこみ)だよねえ?そのお客さま方もただの観光ではなかったみたいなんだ。 / akemi ( 2002-05-31 07:45 )
お久しぶりでした。災難続きのようだったみたいですが、ストレスは癒えましたか。 / ガス欠コイン ( 2002-05-31 06:41 )
しょっぱなから波乱万丈ですね。続きが楽しみです。  それにもまして波瀾の生涯を終えたロブスターちゃん…。 / R ( 2002-05-31 05:29 )
まあ、久しぶりです。AAに乗って帰られたんですね。欠航だなんて災難だったけどロブスターや荷物が無事でなによりでしたね。それにしても忙しすぎですが。これからのんびりなさってくださいね。 / プルー ( 2002-05-31 04:25 )
分刻みの行動だったんですね!忙しかったり、大事なときに限ってアクシデントは起こるもの。。欠航なんか、特に! さて、いよいよTrek話の始まりなんですね☆わくわくv / りぃな@お忍び・・・。 ( 2002-05-31 03:58 )
お疲れさまでした。ロブスターちゃんも。おいしく食べてもらって生きていた甲斐があったというものです。飛行機が遅れるのは困りますよね、でも私はいままで一泊する、という事態には陥ったことがありません。これほど往復しているのに、かなりラッキーなのかも? / 邪夢猫 ( 2002-05-31 03:16 )
おつかれさまです!私もただいま米某大院生のJAPAN SUMMER STUDIOのアテンド中です。うー、くらくら。 / まう ( 2002-05-31 02:07 )
大変でしたね!読んだだけでクラクラしてしまいました。Japan Trekのお話も楽しみにしております!ではゆっくりお休みくださいませ。 / 俺様 ( 2002-05-31 01:58 )

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