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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 2
2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 1
2003-05-11 勉強終了 2
2003-05-11 勉強終了 1
2003-04-04 Network Effect
2003-03-31 daseinさんへ −つっこみ返しに代えて−
2003-03-25 ふたたび、つかの間の帰国 2
2003-03-25 ふたたび、つかの間の帰国 1
2003-03-02 悲しい過去を越えて 2
2003-03-02 悲しい過去を越えて 1


2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 2

乱暴にドアが閉められる音で僕たちは叩き起こされた。目を細めて時計を見ると朝の5時半。M氏が部屋に戻るなり落ち着きなくうろうろしてあれこれ自分の持ち物をいじっていたが、とにかく無視して眠ろうと僕は心に決めた。しかしあまりにも彼が無遠慮に音をたてるので眠るに眠れない。Alexも同じ状況にあるようだった。そのうちM氏はイエローページを取り出してどこだかに電話をかけ始めた。遠くでぼそぼそと話しているのですべて聞き取れなかったがなにやら真剣な口調で、「同室の二人には迷惑はかけられないので…」と話していた。行動に似つかわしくない発言だが何らか配慮があるのならないよりは遥かにましだった。

しかしM氏は電話を切ったあと可哀想なAlexを起こし、悪いけど40ドル貸してくれ、タクシー代が必要なんだと言って金を借りた。そのうちまたドアの閉まる音がして彼が出て行った。「何なんだよ」と起き出したAlexは広げたままのイエローページを見つけ、「Hidey、あいつエスコートサービス(いわゆる売春クラブ)に電話してたんだよ」と呆れて言った。僕もなんでこんな時間にと思ったがいずれにせよ同室の僕たちに気を遣って別のホテルでことを済ますのならまあ勝手にやってくれと思い再び寝る態勢に入った。しかし僕は一度起きてしまったらなかなか寝つけない性質なのだ。虚しい努力ののち僕は寝ることを諦めてなるべく物音をたてずにシャワーを浴び、ロビーで月曜日の授業のケースを読もうと部屋を出た。すると部屋を出たカーペット敷きの廊下にM氏が寝そべり早くも届けられていた朝刊を広げて読んでいた。何と言ってよいか分からず意味のない挨拶をし、僕は階下に降りた。何故彼はここにいるんだ?

気にするのはやめてケースを読み始めるとしばらくして早朝にも関わらず女性が外からドアをくぐってロビーに現れた。普通の身なりをした若い金髪の大柄な女性だったがさすがにピンと来た。コールガールだ。じろじろ見ても仕方ないし朝食サービスも始まったので僕はカフェに入ってアメリカのホテルよりは数段まともな朝食を摂りはじめた。ロビーに戻ってみると彼女は既に消えていた。

マクドナルドの国際展開の面白いケースだったので一心不乱に読みふけり、8時半頃にそっとドアを開けて部屋に戻った。Alexは起きていた。「Hidey、信じられるかい?あいつコールガールを部屋に連れ込んだんだぜ。それで俺がいるからってトイレで始めたんだ。お陰で一睡もできなかったよ」僕は僕自身を朝から勉強しようという気にさせた自分の気まぐれに心の底から感謝していた。

この日は一日雪が降る中何人かで一緒に昼食に行ったりめいめいに過ごしたりした。夜は前の晩の繰り返しでまたも高価で雰囲気のあるレストランでゴッドファーザーに出てくるマフィアの会合のように皆で食卓を囲み、そのあとは別のストリップ・バーへ行った。前日より面白かったのは幹事役の学生が手配をして、bachelor(ここでは婚約済みの独身者のこと)のScottとMarcを次々に舞台に上げソフトSMショーの餌食にしたこと。パンツ一丁で女王様に鞭打たれる姿は普段の理知的な彼らとは似ても似つかなかった。もうひとりのbachelorのM氏はレストランにすら顔を出さなかった。未だに彼のこの夜の行動は謎のままだ。

そんな風に明け暮れたモントリオールの二泊三日はこれまでなかなか見ることのなかった友人たちの一面を僕に見せてくれた。雪のモントリオールを後にしてボストンに戻ると久しぶりの暖かい日差しに遠くの芝生が輝き始めているのが見えた。春の足音をはじめて聞いた日のことだった。


*Olympic Stadium


先頭 表紙

akemiさんらしい想像ですね(笑)。そうなったら面白かっただろうけど。現実はあまり面白くなかったです。 / Hidey ( 2003-05-14 22:45 )
KATSUMIさん、まあ勝手に消えたりするのはどうでもいいんですけどかなり実害を蒙りましたからね。それに二日目のディナーは彼を含むbachelorたちの幸せを祈念して、予約をしてのディナーだったので、何の連絡もなく欠席したときは皆ただ唖然でした。やっぱりちょっと変わってる。 / Hidey ( 2003-05-14 22:44 )
ちょっとアテがはずれたなあ。あたしはてっきりHideyちゃまが奪われそうになったんだろうと、想像して読んでたですよ(爆) / akemi ( 2003-05-14 13:29 )
団体で出かけていての彼の行動は、そんな人もいるのかな、という感じですが、自分が同室だったら・・・(笑)。お疲れ様でした。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-14 03:21 )
鳥さん、それは人によりけりのようです。人によってはbachelor parteyだとは言わずに行くようだし、人によっては旅先でカバンを開けてみたら婚約者が気を利かせてストリップでダンサーにあげるチップ用の1ドル札を50枚も束でよこした(もちろんシャレです)というのもあるし。M…勘弁してほしいです。 / Hidey ( 2003-05-13 22:48 )
りりさん、ありがとうございます。でもおめでとうは先のためにとっておいてください。一応まだ卒業が確定したわけではありませんから。すべて最後の試験・論文の結果次第。へえ、やっぱりモントリオールはゲイで有名な街なんですか。こちらこそなるほど〜です。 / Hidey ( 2003-05-13 22:45 )
コインさん、ようやく、ようやくです。まだ実感が伴いませんが。また夢パンさんたちとご一緒したいですね。もちろんストリップはなしで(笑)。 / Hidey ( 2003-05-13 22:44 )
ぶちょう、さすが古いすね。当時から「ニッポンチャチャチャ」があったというのにも驚きました。ふーん、伝統芸なんだ。帰国後は出発前のボスとまた同じ部署になりました。希望通りの結果です。とうことでこれからもたくさん相談させていただくことになると思いますがよろしくお願いします。 / Hidey ( 2003-05-13 22:42 )
みほちゃん、ということは僕はまともな性癖ということだね!うちはインテリの人たちばかりだけど僕は落ちこぼれだし。うーん、自分がまともな人間であると自信が持てるようになってきたよ。ありがとう。 / Hidey ( 2003-05-13 22:40 )
プルーさん、ありがとうございます。普通のbachelor partyはそういうものなのかもしれません。やはりコンサバ、真面目なうちの連中は綺麗に店で飲んですませて、しかもそういうところに主義として(敬虔なクリスチャンとか)行きたくないという人は行かないというほどでした。 / Hidey ( 2003-05-13 22:39 )
りぃなさん、関西出身なのによく新宿二丁目なんて知ってるね。ゲイのエリアもあるんだ。知らなかった。まあゲイに関してはアメリカではどこでもいるし。価値観の多様化に過ぎないしね。 / Hidey ( 2003-05-13 22:37 )
カ、カルチャーショック!婚約者の女性は、相手がそういうことが目的の旅行に行くことを寛大に許すんですか?!ひゃ〜。いやいや、私がウブすぎなのかも。//Mさん…強烈ですね… / ( 2003-05-13 21:47 )
2年間お疲れ様でした。そして、おめでとうございます。モントリオールってそういう街だったのですね。友人がゲイのデザイナーの話をよくするのでふーんと思っていたのですが、なるほど〜。 / りり ( 2003-05-13 20:47 )
ようやく2年間が終わるのですね。早く日本で再会したいです。ストリップはなしでね(笑)。 / ガス欠コイン ( 2003-05-13 19:06 )
初めて海外に行ったのがアメリカと同時にオリンピック時のモントリオール(古い!)本場のピスト(競輪場)に感動して、バレーボールでは「ニッポンチャチャチャ」を絶叫していました。ともあれ2年間ご苦労様でした。帰国後は社を正しき道に導き給う事を。 / ぶちょう ( 2003-05-13 15:43 )
・・・・インテリ階級の方てどうもこぞいもそろって普通とは違う性癖があるような気がしてなりませんよ(遠い目) / みほ ( 2003-05-13 11:50 )
いつのまにか沢山更新されていて驚きました。学業は無事終了とのこと、おめでとうございます。あとは帰国へ向けて準備ですか。このモントリオール旅行はちょっと変わったバチェラー旅行でしたね。イメージ的にはどこかのホテルで男性だけでどんちゃん騒ぎ(それなりの女性も呼んで?)という感じがあります。 / プルー ( 2003-05-12 23:42 )
モントリオールに行かれたんですね。私もあるんですよ、2年前の夏に。その時は、ゲイの街(新宿2丁目のような)を通って彼らに手を振ったりしたので、今回は、もしかしたらそういう場面が?と思ったのですが、さすがに、もっとノーマル、もっとクリーンでしたね(笑)ちなみに、紫色の服を着ていると、ゲイであるという意味だとか☆右ピアスと似てますね。 / りぃな ( 2003-05-12 23:31 )

2003-05-12 モントリオールの夜は更けて 1

4月3日に遡るがセクションの男子学生22人で二泊三日のモントリオール旅行へ行ってきた。ScottとMarcとM氏(匿名の理由は追って明らかになる)が今年結婚する予定であるため、アメリカでは一般的な独身最後を男だけで祝うbachelor partyを兼ねた旅行になった。僕はbachelor partyというのは参加したことがなかったので何事も経験ということで加わってみた。「Hidey、モントリオールってどんなところか知ってるかい?」と友人に訊かれ、「知らない」と答えたら「まあ今に分かるよ」と言われた。その時点である程度予想はしていたものの予想以上に下品な旅となった。ただしその下品さはは予期せぬ形で訪れた。

要は新宿歌舞伎町を拡大してその中に普通の店や教会やオフィスビルをはめ込んだような街だった。それに観察不足もあるかもしれないが歌舞伎町にも程遠いほど歓楽街的な要素は小規模だったような気がする。まあいずれにせよそれが彼らがこの街を旅先に選んだ理由だ。旅先を決める投票で僕はラスベガスを選んだのだけど多くの者がモントリオールを選びそのように決まった。

腰を抜かすほどうまいという触れ込みだったが、結局は騒ぐほどではないステーキハウスで一人140ドルも散財させられたあと、数人の学生のたっての希望で初日からストリップ・バーへ。でもまあコンサバで真面目なうちの学生が行くような場所ということで極めてまともな店だ。大きなホールになっていて女性客もちらほらいて、みんなで飲んだり話したりしながらショーを見るという場所。余分にお金を払えば間近で踊ってくれる。パパがお金持ちの華僑C氏などはひとりで三回くらいプライベート・ダンスを注文していたが、あとは皆比較的おとなしいものだった。

コンサバな学校のモラル的規則の影響も多少あるにせよ、それ以上にここの学生は学生間の評判に敏感だ。妙な性癖をあらわにしたり他人の目を顧みず行動したりすることは慎むべきことという不文律がある。クリーンといえばクリーンだがそのへんに東海岸ビジネスエリートのつんとすました会員組織的な空気がある。いずれにせよそんな空気のお陰でさして下品な経験もなく旅が進行するかと思われたが、それはちゃんと訪れた。しかもとても個人的な形で。

僕はAlexと冒頭に紹介したM氏と同室だったのだが、もともとうちのセクションでは多少浮いた感じのあるM氏は確かに不可解な人物だった。ロー・スクール出身の彼は授業中の発言でもビッグ・ワードを多用し、その一見難解で冗長な発言の割には中身が乏しく虚飾が多いと評判だ。ボストンから到着して三人で部屋に入るなり彼は自分の荷物の中身を部屋中に文字通り撒き散らしていた。何の必要があったのかよく分からないが次々と彼は部屋をカオスに陥れていった。僕とAlexはその余ったスペースに慎ましく小奇麗に自分たちの荷物をまとめた。

ストリップを観終えて深夜2時ごろに部屋に戻った。ベッドが二つしかなかったため体の大きいM氏が一つのベッドを占有することをあらかじめ決めていたので僕とAlexは多少狭いながらも同じベッドで寝た。M氏が一向に戻ってこない。そう言えば彼はストリップ・バーにもいなかった。どうしたのかなと訝りつつもあまり気にせず二人で話し込んだ。Alexは珍しくストレートに僕の人生的な価値観―結婚観や諸々―を僕に尋ねてきたので僕も少し踏み込んだ密度の濃い話をした。電気を消し互いの顔が見えない状況でそんな話を延々としていた僕たちの姿はまるで高校生のそれのようだった。そうして二人ともいつの間にか眠りに落ちた。

(つづく)

先頭 表紙

鳥さん、はい、モントリオールはカナダです。僕も最後まで歓楽街というイメージはそれほど持てずに帰りました。綺麗な教会も多いし素朴な人も多いようだったし。きっと友人も誇張して話していたんだと思います。 / Hidey ( 2003-05-13 22:35 )
モントリオールってそういう街だったんですか?!カナダの都市でしたよね?(違ったっけ・・) なぜだか分からないけど清楚で真面目な人が多いイメージを勝手に持ってました(笑) / ( 2003-05-13 21:38 )

2003-05-11 勉強終了 2

結局5月5日の夜に現地6日朝のインドネシアに電話をし、無理な話を呑んでいただき、6枚にわたる質問項目をメールでお送りし、翌日再度電話をして口頭で返事をいただいた。貴重な情報を沢山得ることができて、完成のための材料だけはすべて揃った。事前に得ていた一般情報だけでもある程度書ける部分は先に書いておいたので、これで何とかなると一安心。

そんな時友人から遊びの誘いのメールが相次いだ。「多くの人は試験の後卒業式まで旅行でいなくなったりするので、ゆっくり話をするには最後の機会だからみんなで思い切り飲もう」と韓国の友人が書いてきたかと思えば、日本人の学生グループからも試験の最終日の夜にカラオケに行こうとの案内が届く。二年生は取っている授業がバラバラで、人によっては早めに試験も論文も終わるという場合もあるし、僕の場合は試験の最終日の翌日である5月9日に最後の論文の提出期限が設定されており、その日ギリギリまで粘るつもりでいたのだ。一応卒業にも関わる最後の論文も大事だがかけがえのない友人たちとの最後の語らいの機会も失いたくない。欲張りな僕は結局両方追い求めることにし、その代わり効率よく着々と論文を書いた。

韓国人、中国人、日本人の集まった韓国料理ディナーでは二年前のある狂乱の一夜を再現しようと、とにかく何でもいいから理由を30個程つくっては30回程小さなグラスで韓国酒を一気飲み。翌日の日本人カラオケパーティーではアルコールを置いていない上に持ち込みも禁止しているところへ(ばれたら料金2割増)ワイン3本とバーボン1本をしっかり持ち込み夜10時から1時半まで熱唱。充実したがかなり疲れた。

そして5月9日提出期限当日。実はこの日は学生会主催の年間最大のパーティー、Newport Ballが開かれることになっていた。ロードアイランド州のニューポートという、豪邸が海辺に建ち並び、かつてのアメリカズカップ開催地としても知られるリゾート地での泊りがけでのイベントである。午後3時頃には出なければならなかったので酒の残る頭で早朝から論文の総仕上げ。グラフ等の資料を作成するのに少々手間取りながら午後1時半、すべての作業が終了し、一生を通じて多分最後の機会である二年にわたる集中的学習が幕を閉じた。そんな感慨に耽る間もなくニューポート行きの支度をし、同じく慌しく帰宅した妻とともに車に乗り込みニューポートを目指した。

Ocean Cliffという海辺に立つ大変豪華なゲストハウスに1000人近くもの学生たちやその連れが集まった。タキシードにドレスという出で立ちでいつもの友人たちが現れた。こんな機会ももうほとんど最後ということで皆デジカメを持参していた。あちらでもこちらでもハグで互いの体温を確かめ、卒業後の身の振り方について話し、再会を誓う姿が見られた。そして夜も深くなるとダンスフロアに人が集まりだし、DJが小気味よく曲を繋いでいった。我々は同じセクションの仲間で集まったり、個人的に仲のいい連中で輪をつくったりして踊る。赤ワインがフロアにこぼれたり服にはねたりしても気にしない。世界中で活躍していくに違いない仲間たちが子供のように無邪気に体を揺らす姿を感慨深く見つめながら僕も同じようにステップを踏んでいた。黒々とした夜の海に街の灯の欠片がいつまでも揺れていた。

そんな訳でようやくこちらの日記を書く時間を得た。ひと月以上ご無沙汰してしまったがその間の話題も振り返りながらこれからの一ヶ月間、できるかぎりこのボストンでの最後の日々を記録していきたいと思う。今日はとりあえず久しぶりに、ひとり自室にて白ワインで乾杯。


先頭 表紙

KATSUMIさん、いや、単に体が求めていたのです。フットサルもいいけど飲みもいいですね! / Hidey ( 2003-05-14 22:42 )
お疲れ様でした。論文の締め切りと飲みを両立させるところはさすがですね。帰国の後は、是非フットサルに!(笑)。  / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-05-14 03:28 )
可能性は言葉が不適切だったかもしれません。むしろ可能性があるのか疑問に思ったという意味です。取引先や他業界企業など様々なプレイヤーが情報を持つようになり商社のdisintermediationが進むでしょうし。授業のエッセンスは、企業の国際化は市場よりも企業ヒエラルキーの方が効率よく国際的なビジネス環境を形成できるという信念により進むということでした。商社としては規模と範囲の経済をテコにこれまでどおり新分野における権益を獲得し、状況に応じてサービスのバンドルとアンバンドルを使い分けるしかないのでしょうね。 / Hidey ( 2003-05-13 22:32 )
今後の可能性について?是非聞かせてください。 / むらぱぱ ( 2003-05-13 00:03 )
夢樂堂さん、クールダウンしつつも実践の場に備えるため、学びの内容を整理しなければならないと思っています。あんまり遊んでばかりはいられません。早々の再会、心待ちにしています。 / Hidey ( 2003-05-12 18:40 )
やっちーさん、ありがとうございます。ジンバブエのサバイバル生活ほど大変ではないにせよ、かなりどきどきの経験でした。こちらのパーティーはほんとに映画と区別ありませんからね。常に自分が主役。そのふてぶてしさと積極性は学びたいと思うことのひとつです。うちの妻はそういう人じゃないんですよー、残念ながら。それにこの日は足を痛めていた上に体調が悪くて、ダンスタイムが始まる前に早めにホテルに返しました。 / Hidey ( 2003-05-12 18:39 )
むらぱぱさん、ありがとうございます。そうでしたか、インドネシアご担当!色々お聞きしたかった。総合商社については授業でもかなり取り上げて教えていたので論文の中でも現地資本との合弁解消後、三井物産がヤマハと組み、どんな機能を果たしたかについても簡単に触れました。商社の機能と今後の可能性についても色々と考えさせられる授業でした。 / Hidey ( 2003-05-12 18:35 )
八百屋六助さん、ありがとうございます。大学というよりはビジネス大学院でみな社会人経験はある程度ある連中だから、派手さも余計だと思います。相変わらずの年功序列社会の日本をほとんど唯一の例外として、この学校の卒業生はすぐさまかなりのポジションに就いていくことは事実です。でもそんな日本、そんな元の会社に帰ることを決めたのは僕自身なのだから、ぼやかず焦らずやっていきたいと思います。 / Hidey ( 2003-05-12 18:32 )
みほちゃん、あなたはやっぱりおいちゃん?でも確かにMonika嬢、ストラップのたわみ具合がセクシーすぎる。この子は同じセクションでJapan Trekにも来てくれた、とても素朴でいい子なのです。コスプレねえ…。いずれにしてもありがとう。あと一ヶ月楽しみまくります。 / Hidey ( 2003-05-12 18:29 )
akemiさん、おっちょこちょいの僕なのでそう簡単に話は終わらないのでご安心を(笑)。二年間、誰にでもきっと何かしらいろいろある時間ですよね。僕にとってもそうでした。akemiさんの着々と「夢」に向かって歩かれている姿が麗しいです。 / Hidey ( 2003-05-12 18:27 )
これからはクールダウンの時期、お帰りお待ちしていますよ。 / 夢樂堂 ( 2003-05-12 12:06 )
2年の課程、そして論文終了おめでとうございます!「ヤマハがゴールデンウィークでお休み」と読んだ時にはまるで自分のことのように「どうするの〜!!!」と手に汗にぎってしまいました。でも、本当に提出できて良かったですね。それにパーティも、まるでアメリカ映画の1コマのようで素敵だ〜。‘終り'って、淋しいけれど、また新しい‘始まり'なんですから!Hideyさんも、写真のように奥様と踊ったんですか!? / やっちー ( 2003-05-12 03:01 )
ご苦労さまでした。私はインドネシア向け自動車輸出を担当していたし、現地にも長期出張で滞在していたので自分自身も知らない事ではないし、会社の先輩後輩が現在でも何人も現地に駐在しているのでテーマの事を事前に知っていたら何かお役に立てたかも知れないと思い、とっても残念。でも無事に書き上げたと言う事でこちらも安心しました。次は日本での社会復帰がちゃんと完了する様に頑張って下さい(笑)。 / むらぱぱ ( 2003-05-12 01:58 )
無事,終了,おめでとうございます.アメリカ(海外の大学はほとんどこうなのだろうか?)の大学の最後のパーティーは,みんな晴れ晴れしくってうらやましいですねぇ.みんな,これから活躍するんでしょうね. / 八百八六助 ( 2003-05-11 23:09 )
お姉さんのドレスのズレ具合にグっときますね!!(そこに目がいくか)やっぱり卒業式は黒のガウン着てあの帽子ですか〜?いいなぁ、やってみたいなぁ、コスプレしたいです。・・・何につけても二年間お疲れ様でした!残りのボストン生活楽しんでくださいませ! / みほ ( 2003-05-11 21:19 )
最後に来て、また「見せ場」が?(笑) ギャラリーとしては淡々と論文を書き終えられては物足りない・・などとご本人の頭ん中真っ白・・のときに言ったら叱られるでしょうが、今読んでの感想なので許してください。二年間、本当にお疲れ様でした。(その間、あたしにも色々あったなあ・・などと思い出してみたり・・・)  こちらもなんとかGW終えて、また明日から銀行との交渉が始まります。 / akemi ( 2003-05-11 19:16 )

2003-05-11 勉強終了 1

5月9日13時30分。二年間の勉強がすべて終わった。4月29日に授業自体は終了していたのだが、それからの2週間は試験期間ということで、二つの試験をこなし三つの論文を書き上げた。

最終日のこの日にはEvolution of Global Businessという授業のための、ヤマハ発動機のインドネシアにおけるビジネスの変遷についての論文を提出した。スハルト政権やその終焉を招いたアジア通貨危機、民族・宗教問題などといった大変困難な環境にも関わらず、世界で将来的にもっとも成長が期待される二輪車市場のひとつであるインドネシアには、早くから日本の二輪車メーカー各社が進出した。インドネシアの経済・技術の発展のために、外国資本がインドネシアに進出する際には現地資本との合弁という形が義務づけられていた中(当時)、ヤマハ発動機がいかにローカルパートナーを選択・活用し、文化・慣習の異なる現地社員をコントロールし、現地のマーケット・ニーズにあわせた商品を開発し、最大のライバル・ホンダと異なる戦略・ビジネスモデルを選択し、そしてアジア危機を乗り切ったかについて書いた。

しかし最後の論文を書くにあたって大変な困難に遭遇した。The Marketing of Innovationsの20枚にわたる論文もようやく見通しがついた4月26日、そろそろ最後の難関のEvolution of Global Businessの論文の資料を集めなければと、勝手知ったるヤマハ発動機広報室の方に電話をした。しかし何度電話をしてもつながらない。おかしいと思ってかつての同僚に電話をかけたところ、ヤマハは早くもこの日からゴールデンウィークに突入し、営業再開は5月6日という事実が発覚。論文の提出が5月9日であり、すでに教授とも論文のテーマについて合意を得ていただけに頭の中が真っ白になった。インターネットを駆使してもヤマハのインドネシアの1970年代からのビジネスの変遷など簡単に調べがつかないことは分かりきっている。最後の最後に卒業に向けて最大の難問が訪れたことに僕は本当に久しぶりに愕然としていた。

妻も僕の様子がいつもと違うのにさすがに心配をして、こうしたら、ああしたらと、僕からすれば正直気休めにしかならない方法論をいくつか提案してくれた。しかし彼女と話している間に徐々に落ち着きを取り戻して、とにかくできるところまでインターネットで調べて形を作り上げ、不足している情報が何かを明確にし、日本の5月6日はアメリカではまだ5月5日なのでその日にすぐ情報を確保し、四晩かけて仕上げようと決意。また、失礼を承知で面識のないヤマハのインドネシアの事業所に電話をすれば、きっとゴールデン・ウィークとは関係なく営業されているに違いないと気づいた。その事業所の電話番号もなんとかインターネットで調べることができた。

早速代表番号に電話をして、営業か商品企画の担当の日本人社員の方につないでいただけないかと話し、そちらの番号を教えてもらったのだが、二人いらっしゃる日本人の方はその週ずっと出張か何かでいらっしゃらないという。仕方なくその週はインターネットでの調査と質問ポイントの抽出、質問票作成に終始した。しかし驚いたことにインターネットというのは本当に使える道具で、かなり詳しいポイントまで調べることができた。自動車工業会、外務省、国際労働機関、銀行系のシンクタンクから某大学の研究室にいたる様々なサイトから何百枚にわたるデータをプリント。さすがにヤマハに特化した話となると情報が薄くなるが、インドネシアへの二輪車メーカーの進出、アジア危機への対処などの一般論についてはほとんど把握することができた。本当に便利な世の中だ。

(つづく)

先頭 表紙

2003-04-04 Network Effect

Network Effect…例えばインターネットに見られるように、より多くの人が利用すればよりコンテンツ供給者も増えサービスも充実するといった波及効果を意味するビジネス用語である。うちの学生にとってはこの学校で学ぶ主たる目的―人的ネットワークづくり―という意味も持つ。そんな掛け言葉が今年の学生演劇ショーのタイトルだった。

と言っても素人の寄せ集めの学芸会とはちょっと違う。本格的な照明、音響、生演奏、そしてオリジナルな脚本・振付によるブロードウェー顔負けのミュージカルだ。同じセクションの友人たちも監督やダンサーとして活躍するということもあって、昨年同様セクションの連中と観劇した。

全米ネットワークのテレビ局がビジネススクールの実情をネタに番組をつくるべくうちの学校にやってくるという設定だが、要は内輪ネタで笑わせる劇だ。口先ではIntegrity(誠実さ)がもっとも重要だと言いながら学長から学生まで誰もが結局は金儲けしか考えていないと、強烈に学校を風刺した内容になっている。内輪ネタとは言え、それを徹底的にプロフェッショナルにつくり込んでいるのでかなり爆笑モノである。

NPV(正味現在価値)やFive Forces(うちの看板教授マイケル・ポーターが考案した、業界を取り巻く五つの力を精査することによりその業界の魅力度を分析する方法)などのお馴染みのMBA用語が科白や歌詞に散りばめられる。授業のシーンである学生が「よい組織には7Sの調和が必要です」と発言するが、教授に「その7つのSとはなんだか覚えているかね?」と聞き返され、学生は「Structure、Strategy…えーと、あとなんだっけ…?」と言って「ちょっと友達に電話で聞いてみます」と携帯電話のボタンを押すと、客席から本当に着信音が鳴り出す。びっくりしながら電話に出た客席の女子学生は舞台上の役者に「7Sって何だったっけ」と生で質問され、しどろもどろになっていた。ちなみに7SとはStructure、Strategy、Staff、Skill、System、Style、Shared Valueである。

また、過去日記にも書いた「Hit the Screen」(成績が基準を満たさず学業成績委員会の審理の対象になること)や「Shark」(他人を誹謗するような不謹慎な発言をすること)などのうちの学校独特の語彙も飛び出す。クラブ・ヌーボーの「Lean on Me」の替え歌「Build on Me(発言に自信がないとき、他人の意見の尻馬に乗って、『To build on 〇〇, …(〇〇君の発言に付け足しですが…)』という形で使う)」や「Young Man」の替え歌「Why MBA?(YMCAの部分でそう歌う)」もあった。

内容はともかく役者のパフォーマンスは見事だった。もともとプレゼン能力たっぷりのアメリカ人学生は日常から非常に抑揚のある会話をしており、彼らにとって科白など呼吸と同じなのだ。少なくとも僕にはそう見える。仲のよい台湾出身のミクロ系美女アイリーン(先日の日記のフィリピン人はAileenで、こちらはIrene)は高校時代に台湾でアイドル歌手をやっていただけあって本領を発揮していた。学生の配偶者も多数出演しており、そのうちの一人の女性はニューヨークでプロのダンサーだったこともあり、振付を担当し、自らプロの踊りを見せつけていた。10〜20人の群舞のシーンはさながらブロードウェーのステージだった。

僕らはといえば、会場が暗いのをいいことにセクションメイトのケビンの家でのPre-Show Partyから持ってきたビールをぐびぐび飲んで乾杯を繰り返していた。僕が持参したカルビーポテトチップス・コンソメ味やムース・ポッキ―も大好評。相変わらず勉強で忙しい一週間のど真ん中の出来事。たまにはこんな日もないとね。

先頭 表紙

しゃどう猫くん、僕も確かに一瞬携帯をチェックしました。僕は一応OFFにしていたけど。こっちはバイブレーションなんてない携帯も多いみたいだからねえ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:24 )
鳥さん、再度。ほんとに電源切ってたら・・・って考えるとやっぱりやらせだったのかなあ何て思ってしまいます。今度出演者に聞いてみよう。 / Hidey ( 2003-05-11 14:23 )
わかな、ごめん、順番抜かしちゃった。そんなに費用かかってたんだ。学生演劇にしては破格の予算だよね。たしかにあのSharkは笑えた。もうすでに懐かしくなっちゃったね。 / Hidey ( 2003-05-11 14:21 )
みほちゃん、僕も実は同じことを思っていたのです。よっぽどマナーが悪いか実はやらせか。でもやらせのようには見えなかったんだけどなあ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:20 )
ウサ子さんの演劇批評にかかってはちょっと物足りないかもしれないけれど、内輪的にはとてもおもしろい劇でした。プレゼンの表現力、あれはいつも授業中に感心しきりです。 / Hidey ( 2003-05-11 14:19 )
鳥さん、めちゃめちゃ楽しいですよ。こういう英語の勉強の仕方もありですよね、きっと。ちなみにアイドル歌手の子はコロンビア大学に行ってその後ニューヨークでビジネス経験を経てこちらにきています。 / Hidey ( 2003-05-11 14:18 )
Hirokoさん、7Sというのは考えてみれば至極当然のことなのですが、日本の企業はあまりにも政治的なしがらみが多すぎで実践できないようですね。うちの会社も似たようなものです。 / Hidey ( 2003-05-11 14:16 )
たらママさん、たしかにShared Valueはちょっと辛い。一応この7Sとはマッキンゼーが開発したモデルなのですけど。最近は英語のプレゼンテーションを学ぶスクールも日本にあるみたいですね。 / Hidey ( 2003-05-11 14:14 )
りぃなさん、メリハリはちゃんとつけないとね。それがないとここでは即死します。 / Hidey ( 2003-05-11 14:11 )
夢樂堂さん、かなりリラックス、かなり酔っ払って観てました。西洋人ってこういう演劇の世界に関してはただただ尊敬ものです。 / Hidey ( 2003-05-11 14:10 )
ミサトさん、きっといらしてたらとても楽しんでいただけたと思います。日本も最近はいろんな番組があるんですね。来月帰ったらすっかり浦島太郎だな。ポテチのコイケヤのり塩、ミサトさんぽくないというかぽいというか、とにかく微笑ましくていいです。今度ぜひ家でのパーティーでみんなに食べさせてみます。 / Hidey ( 2003-05-11 14:09 )
みほちゃん、関西人を笑わせられるとは思わなかった。光栄です。みほちゃんはどっから見てもきっと西洋演劇むきだよ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:06 )
コインさん、多分あれは不意打ちだったんだと思います。相当びびってたから。この劇のDVDも販売するという噂もあり、ほしいのですが日本ではこちらのDVDは観られないからなあ。 / Hidey ( 2003-05-11 14:04 )
横レスすみません。↓ 切り替え忘れている人が多く、誰かの携帯がなると、慌ててみんな自分の携帯をバイブレーションモードに切り替えるのでした・・・。って感じ? / しゃどう猫 ( 2003-05-05 07:01 )
横レスすみません。↓みほちゃんのコメント見て「なるほどーーっ!」と感心してしまいました。ほんと、電源切ってたらどうするんだろ?別の人にかけるつもりだったのかな。うーん・・・あれこれ考えてしまう。 / ( 2003-05-01 21:51 )
・・・あのー、久しぶりに読んで見て気付いたんですけど、あの、アメリカでは、舞台を見ているとき、携帯をマナーモードにするとか電源を切るとか、そういう事しないんですかね、あれで彼女の電源が切れてたら・・・真剣に悩んでしまいましたが彼女も役者の一人だったとかー!(そんなオチ?) / みほ@すみません書き逃げします ( 2003-04-24 08:56 )
すごいメンバーですね。プレゼンの際の表現力・・・すごい欲しい。うらやましい。 / ウサ子 ( 2003-04-14 18:13 )
すごい。めちゃめちゃ楽しそう!!舞台からいきなり電話かかってきたらビックリですよね(笑)アイドル歌手とかプロダンサーとか、ほんとにいろんな人が学びに来てるんですね。忙しい中でもそういう日もあったりして、とても充実してますね。 / ( 2003-04-13 18:10 )
7S、耳に痛いです。。。と、いうよりうちの上司にも聞かせてやりたいデス。(泣)/こういう演劇私も観てみたかったです。 / Hiroko ( 2003-04-13 14:18 )
7Sの最後のSahred Valueはちょっと苦しいような・・・。それにしても、アメリカ人って何であんなにプレゼンに長けてるんだろう、と思うことしばしばあります。 / たらママ ( 2003-04-12 23:46 )
総製作費が$70,000だったらしいです。When the Sharks Attack!の映像が好きだった・・・。 / わかな ( 2003-04-12 03:59 )
わ、こういうの大好き!見てみたかったな。そちらは、onとoffのメリハリがきいていていいですね。 / りぃな ( 2003-04-10 14:42 )
リラックスしながらも真剣に観られそうです。 / 夢樂堂@まだバリ気分 ( 2003-04-05 21:40 )
ミサトは風刺ネタや細かい演出、プロフェッショナル芸、大好きなのでとても楽しく読ませて頂きました。そういえば、日本のあるバラエティショーでとても細かい演出をする番組があるんですよ(笑)。番組内で女性タレント同士(2人とも日本語と英語を使うタレント)が口論になった事があったのですが、2人とも興奮状態になったのか日本語、英語入り混ぜての口論になってしまったの。そうしたら次の回での放送で、きちんと日英の通訳が用意されていて、ものすごく笑ってしまったことが(笑)!ポテチはコイケヤののり塩もお薦めです♪ / misato ( 2003-04-04 19:28 )
あ、すみませんWhy MBAでした、はは(書きにげ) / みほ ( 2003-04-04 19:19 )
Thy MBA・・・学校で見てたらふきだしてしまったじゃないですか、プッと、ぷっ、と!!ど・・・どうしてくれるんですか(笑)日本語でも何語でも抑揚を付けすぎる私の喋り方は日本の演劇には向きませんでした(遠い目) / みほ ( 2003-04-04 19:18 )
そんなアメリカの遊び心が好きです。学校を皮肉る劇なんて、日本じゃ不可能ですもんね(笑)。携帯電話をかけられた相手はやらせではなく、不意打ちなのですね。何となく、お金を払ってでも観たいような気がしました。臨場感が伝わってきます。 / ガス欠コイン ( 2003-04-04 14:14 )

2003-03-31 daseinさんへ −つっこみ返しに代えて−

daseinさん、はじめまして。3月2日の日記に対し貴重なご意見をいただきありがとうございます。ですが僕は決して感情に流されたわけでもないし謝罪を繰り返したわけでもありません。daseinさんのいわゆる「相手の言うコト」とは相手国一般の言うことを指しているものと理解しましたが、念のため僕の韓国、中国の友人は別段一方的な歴史解釈で僕に謝罪を迫ったわけではないことを申し上げておきます。靖国問題にしても黄文雄氏が唱えているように日中で異なる死生観があると僕も認識しており、メイソンにはそれを伝えたつもりです。

国家というものは加害者であれ被害者であれ、国益のために歴史を歪曲して解釈したり伝えたりするものであり、それは日本にも韓国・中国にもあてはまります。ですから僕自身は相手国の教科書や歴史書の主張を盲信するつもりはありません。

しかし、韓国についてはdaseinさんも日記で取り上げていらした三・一独立運動やその歴史的根拠とされる日本人による虐殺事件が問題の焦点のひとつとなりますが、いみじくもdaseinさんが引用された藤岡寛治氏も書いているとおり、仮に7509人の殺戮が誇張だったとしても553人の殺戮は大いにあり得たということになります。問題は人数の正誤ではなくそのような史実が存在したということだと思います。

中国に関しては日本軍自作自演の満州事変に始まり南京大虐殺にそのクライマックスを見ますが、満州事変については日本も国としてその謀略を認識しているところです。最近南京大虐殺の存在を全否定する新しい根拠も某所で発表されているようですが、圧倒的に多数にして多角的な文献がその存在については認めていることはさておき、僕が問題にしているのは虐殺に至る帝国主義的な動機や、これに類する小規模でもおびただしい数の虐殺の史実は存在したということです。

そしてもっとも強調したいところですが、僕は史実に対して即謝罪することが必要だと言っているのではなく、加害者が存在するのだとしたらそれを生み出した人類共通の根源的理由があり、日本人も韓国人も中国人もそれに対してともに闘うべきだということです。日本人による殺戮が史実だとすれば、儒教的封建制により抑制及び抑圧されてきた日本人の精神がひとたび西洋的資本主義、帝国主義に染まるや否やその儒教的封建制ならではの忠実さにも助長され、歴史上稀に見る残虐性を発揮し得たということだと思います。ですから史実とすればそれは人類共通の不幸な悪性が戦中の日本という特殊な設定を媒介にして世界に露見したということにほかなりません。それは歴史の成り行きによっては韓国や中国でもあり得たことだし、部分的には彼らも共通した残虐性を実践してきました。植民地時代の欧州各国に関しては言わずもがなで、彼らだってアジアやアフリカで残忍にして恥ずべき歴史を繰り返してきました。アメリカは植民地は持ちませんでしたが、奴隷制度には共通の残虐性を見出すことができます。

Daseinさんは「被害者」による歴史の歪曲の可能性に重心をおき、僕は人類共通の不幸に重心をおいただけで、お互いにそれほど違った価値観を持っているとは思いません。しかし、加害者とされ、多くにおいてそれを自認する国民だからこそ果たせる役割、提供し得る視点もあると思います。それこそが謝罪以上に大切な我々日本人の責務かと思います。「鵜呑みに」したわけではないのでそこはご理解いただきたいと思い、この長い返事を書かせていただきました。これからも率直なご意見をいただければ幸いです。

先頭 表紙

ミサトさん、すっかり返事が遅くなりごめんなさい。SARSにしてもそして容易に想像できるけど白装束集団についても、メディアは人格を持ちすぎていると思います。事実だけを客観的に提供し、異なる視点を公平に紹介することに徹するべきですね。メディアには昔から感心がある分その功罪にも僕は非常に敏感になりがちです。ミサトさんのおっしゃること、すべてその通りだと思います。 / Hidey ( 2003-05-11 14:03 )
情報操作は本当に小さな日常生活レベルのものからメディア、国家によるものまでと色いろありますね。例えば最近のSARS。あれも情報操作の1つ。最初の時点での情報公開の仕方が違っていたら又違った流れになったはず。そして今回の戦争報道に代表されるようなメディア側の意図が透けて見え過ぎるケースなど・・。各アングルからの情報収集がこれからもっともっと必要になってくるのだと思います。又、そういう事ができる環境に生まれた事についての意味を深く考えなくてはと思ったりするのです。 / misato ( 2003-04-04 18:34 )
Rさん、確かに国民自身に努力する意志があれば相当に多角的な情報を得られる国ですよね、日本は。アメリカに対してそこはきちんと誇りたい部分です。ただしイデオリギーにすら基づかない視聴率本意の偏重報道にはさすがに辟易しています。そこはアメリカも足元にも及びませんね。CNNの件、存じませんでした。先日戦争とは無関係に学校で実施したアンケートによるとCNNが偏っているという意見は比較的多数でした。少なくとも旧三大ネットワークよりは。ちなみにFOXが一番偏っているとの結果でした。 / Hidey ( 2003-04-04 16:39 )
イッセイさん、はじめまして。NTTの件、貴重な情報をありがとうございました。さすがに親方日の丸。まあA級戦犯が国家のトップに立った国ですからね。過去と上手く決別できている人ならいいのでしょうけれど。 / Hidey ( 2003-04-04 16:32 )
ミサトさん、つっこみにくい日記につっこんでくれてありがとう。これだけ民主的な世の中でも情報操作はちゃんとありますからね。気をつけないと。下の日記のみほさんへのつっこみ返しに改めて思うところを書かせていただきました。僕が言いたかったことを感じ取ってくださり、本当にありがとうございます。もともとメディアに対しては僕はかなり過敏な神経を持っているのです。 / Hidey ( 2003-04-04 16:29 )
情報操作から、日本人は自由な方ですよね。国民の多くがネットなどを利用し、自由に日本以外のメディアからも情報を仕入れられるわけですから。ただし、受け手がそれを求めるのならば、ですが…。ところで情報操作といえば!アメリカ海軍がCNNのスポンサーになったという話をちらっと聞いたのですが、本当なのでしょうか? / R@わたしもズレズレだわ〜 ( 2003-04-03 01:40 )
はじめまして 10年前NTTの役員のなかに 関東軍幹部の生き残りの名前を見つけて暗い気持ちになったのを 思い出しました。そういうものなのだと思います日本人は。昔は身を捨てて世の中のために尽くした人もたくさんいたみたいですけどね。 / イッセイ ( 2003-04-02 21:22 )
日記の内容のつっこみとしては少しずれてしまいますが、Hideyさんの日記を読みながら、ふと、メディアにおける情報操作(世界各国での)について考えました。最近は特に情報操作が各分野目立ってきているせいか、Hideyさんの日記を読みながら様々な考えが浮かび、リンクしたのかもしれません。思うのですが、、いつの時代も、どこから情報をピックアップするか、したかがキーになっていて。そしてその事にとても大きな意味があるように思うのです。・・今できるであろう事、自分の役割、再確認したいと思います。 / misato ( 2003-04-02 14:26 )
daseinさんへのお返事という形を取りましたが、他の皆様からもご意見をいただければ考える材料になります。忌憚ないご意見をお待ちしています。 / Hidey ( 2003-03-31 17:06 )

2003-03-25 ふたたび、つかの間の帰国 2

また、6月中旬から社に戻るにあたり今月中に配属希望を提出することになっている。かねてから個人的に業務上のテーマとして掲げているナレッジマネジメントを実践できる部署として、営業統括的な部署を希望することにしている。要は知の共有によって5000人を越える社員を抱えるうちの会社の量的優位を質的優位に変換し、こと営業に関して言えば誰もが「勝てる営業」になれるような情報インフラを構築するという趣旨だ。今回の帰国では、迷いなく配属希望を提出するためにこの部署の先輩三人と会って話を聞いた。ナレッジマネジメントはかつて何度かトライしたがいずれもうまくいかなかったとのこと。様々な障壁はあるが需要はあるという。自分を試すにはよい環境だ。

先述の「Leading Teams」の論文提出が迫っているため、帰国中も毎日パソコンに向かって英文を綴りつづけた。そんなこともあって今回は極力夜に会合を入れることは避けたのだが、どうしても会いたい人々もいた。

中学時代をともにパキスタンのカラチ日本人学校で過ごした男女二人の親友が5月にボストンを訪ねてくれることになっていた。しかし女性の方の友人から今月頭に連絡があり、先月僕もよく知っている彼女の妹さんが27歳の若さで急逝したというのだ。ご両親も大変衝撃を受けており、この状況では5月にボストンへ来ることも難しいかもしれないということだった。せめてもということで今回の帰国で二人の親友と久しぶりに再会を果たした。僕の行きつけの築地の居酒屋で乾杯をし、笑って沢山の話をした。妹さんの話は一切しなかった。

悲しい死もあれば喜ばしい生命の誕生もある。今年の一月に生まれたばかりのフィー子ベビーのご尊顔を拝みに、フィー子さんとその夫である高校時代からの僕の親友を訪ねた。フィー子さんもすっかり母の貫禄がつき、以前にも増して静かな落ち着きを身につけていた。写真で見ていたとおり茶髪で現代的な美形ベビーだった。フィー子夫が泣き叫ぶベビーちゃんをあやそうと抱っこしていたが泣き止まず、試しに僕が抱っこしてみたらぴたりと泣きやんだのには皆驚いた。

最後に、今回の帰国中に戦争が始まった。このタイミングで日本の様子を見ておけたことは何にしても収穫だったと思う。予想通り表面的かつファシスト的に反戦を煽るメディア。良心と密かにして残虐な好奇心と宿命的な無責任とを織り交ぜて茶の間に陣取る視聴者たちと双方向のゲームに興じる。いつもの構図だ。国連や国際法遵守の意義、行過ぎた先制攻撃論のもたらす悪しき前例などの議論はそっちのけに感情論だけの反戦を叫ぶ人々。彼らを揺り動かすのが罪無きバグダッド市民の死だとしたら、もう片方の天秤には罪無きクルド人たちの死が既に載せられている。感情論が感情論によって相殺されれば、あとは正しい理性によってきちんとことの重みを計るしかない。その努力すらしない者は口を閉ざすべきだ。アメリカの法律家のほとんどが今回の先制攻撃は国際法違反であると明言しているとアメリカのメディアによって報じられたことには辛うじてほっとさせられた。

慌しい里帰りを終え、コートを羽織って夜のボストン・ローガン空港に降り立った僕は生暖かい空気に驚いた。闇に揺れる川面は氷がとっくに溶けていることを教えていた。休み明けの今日キャンパスを歩きながらふと顔を上げると裸の木々の枝先に微かな蕾がのぞいていた。背に注ぐ真昼の太陽がうっすらと熱かった。ボストンにももうそこまで春が来ている。

先頭 表紙

みほちゃん、すっかりタイミングをはずしてしまった返事になってしまい申し訳ありません。戦争は比較的早く終わり、イラクも再興へ向けて歩き始め、少なくともこのアメリカではあの戦争の是非を問う報道はほとんど姿を消しました。未だに大量破壊兵器が発見されていないことに関しアメリカの戦争開始の根拠を疑問視する風潮すらありません。きっとこのままイラクの民主化が進めばアメリカ批判自体が陳腐化されてゆくのだと思います。これが大国の論理。そんな横暴を許さないためにもこうして継続的にお互い考えていきたいですね。 / Hidey ( 2003-05-11 13:58 )
それでも私は自分はただの傍観者だと言ってしまうでしょう。それでも傍観者なりに冷静に物事を見極めて確かな感情をもっていたいものです。ほんとーに文というのは誤解を誘ってしまうものなのですね、もーちょっと文を作るとき、何か考えないとなぁ、迷惑をかけてすみませんでした・・・!しかしこれでまた誤解を呼ぶと元も子もないので腑に落ちないであればきになさらず・・・(書きにげ) / みほ ( 2003-04-04 23:01 )
もう終わりに向かって考えなければいけないのかもしれませんね。私はそこで「感情論」が正しく動いてくれることを祈るばかりです。もう終わりには戦争の意味や正当化や背景事実の積み重ねなど無く、ただただ死者への追悼と記憶だけが残るのでしょう。失った命はもう知識人が論じる論文の上では計れない、その事実が世界の人にどう響いて、それから世界がどう動くか、を考えているばかりです。 / みほ ( 2003-04-04 22:59 )
「感情論」は時としてメディアの標的に成ってしまうことは分かります。今の「反戦ブーム」も人の感情を過剰に刺激したメディアからの産物なのかもしれません。だからといってもうアメリカが戦争を国家による政策の合理的手段だと捕らえている、それについての論議や戦争が非倫理的だと思えばこそ、そのような悲惨なことを今度こそ終わりにするための戦争をしているのだと人々の感情をこれまた刺激してしまうようなことを言っていることに関して色々と論じてももう遅いのだと思います。戦争は実際に始まってしまいました。 / みほ ( 2003-04-04 22:58 )
私のまた誤解を誘うような文章に対して時間とスペースを割いて下さってありがとうございました。背景知識の不足、特定のメディアに踊らされているという事実は私にも言えることです。正しい知識を持っていればこそ今の、敢えて言ってしまいますが「反戦ブーム」に流されない視点が持てるのでしょう。 / みほ ( 2003-04-04 22:56 )
人間の盾については実はちゃんと効果をあげているようです。アメリカもバカじゃないから世論を考えれば人間の盾がどこに配置されているのかちゃんと把握していて、そこは攻撃対象から外しているということです。イラク軍ももちろん戦略的にそれを活用して、きちんと米英軍に人間の盾の人々の居場所を通知し、さらにそれを利用してイラク軍にとっての主要機能をそのうような場所に配置しているそうです。 / Hidey ( 2003-04-04 16:25 )
りぃなさん、戦争について考えたり個人的な努力をしたりするというのは、時に自己満足に過ぎないのではないかと思ってしまうけれど、僕は総じて無駄とは思いません。自己満足はね、誰も逃れられないと思います。自分もその状況にいないのであればね。でも自己満足が混ざろうとも彼等のためにしてあげらることがあればそれは大きなプラス。往々にして個人は無力でも、時に国家権力を覆すこともあります。それを信じなければ元も子もない。 / Hidey ( 2003-04-04 16:21 )
ニナさん、ありがとうございます。つっこみいただいて嬉しい!そう言えば同じ三月でしたね。気づかずに失礼しました。歳とともに訪れる平穏な気持ちはわりと好きです。でもお互いまだまだ若いですから!より魅力的な大人になったということでよしとしましょう。 / Hidey ( 2003-04-04 16:18 )
みなみちゃん、ありがとう。お気になさらず。先週はとても暖かい一週間でしたが、今週は少しボストンらしい肌寒さが戻りました。でもまた来週からは最高気温が10度以上の日が多くなりそうです。日本の春を見られて嬉しかったけど花粉症で死にました。 / Hidey ( 2003-04-04 16:14 )
フィー子さん、先日はありがとう。大変だったでしょう?哺乳瓶、キャップを明日にでも送るね。これでベビちゃんも僕の後輩だ。 / Hidey ( 2003-04-04 16:12 )
パンドラさん、ありがとうございます。そして本当に今回は残念でした。ガス欠コインさん同様、6月に本物の乾杯をしましょう。2日前に思い出したように軽い雪が降りましたが、それが正真正銘の最後のようです。先日は最高気温18度までいったくらいですから! / Hidey ( 2003-04-04 16:11 )
ガス欠コインさん、ありがとうございます。今回の帰国もお会いできませんでしたが、また昨年同様6月に再会しましょう! / Hidey ( 2003-04-04 16:08 )
ミサトさん、ありがとう!ミサトさんに負けないくらい素敵な年にしたいと思います。枝の蕾は次第に膨らんできましたよ! / Hidey ( 2003-04-04 16:07 )
プルーさんまでハモってくれて!!ありがとうございます。勉強はさっさと終わってほしいけれど日本にはまだまだ帰りたくない。大いなる矛盾に苦しんでいます。でも5月上旬に試験が終わったら最後一ヶ月ほど休みがありますので、それが最後の楽しみ。その時はもう一度会いましょうか?ちなみにアンチフレンチはさすがにこの学校ではありません。みな常識的。 / Hidey ( 2003-04-04 16:06 )
Rさん、しゃどう猫くんとハモってのお祝いメッセージ、ありがとうございます!卒業後10日以内に現場復帰せよとの社の命令ですので仕方がないですね。確かに早く実践したいのはやまやまですが、なんの役にも立てずに終わる自分の姿も容易に想像できて、ちょっと心配でもあります。 / Hidey ( 2003-04-04 16:02 )
しゃどう猫くん、ありがとうございます。ディナーはインディアン、でした。おしゃれじゃないね。ただし絶品のお店。夫婦で20分で平らげて、さっさと家に帰って勉強をしました。 / Hidey ( 2003-04-04 16:00 )
真冬さん、ありがとうございます。ほんとに最後まで息が抜けないはずですが、一つ目の論文が終わったところで今週だけはちょっと一息と言う感じです。最新の日記にもあるように友人の劇を見たり今週末はセクションメイトとモントリオールに行ったり。誕生日は論文提出前だったので特にお祝いもしませんでした。悲しい。 / Hidey ( 2003-04-04 15:58 )
ああ、きりがないからもうやめておくね。とにかく僕の本意はそういうことだったのです。短く端折ったような文章だったので伝わりにくくてごめんね。きっと多くの人がみほちゃんと同じ印象を持ったと思う。自業自得でした。 / Hidey ( 2003-04-04 15:54 )
しかも大量破壊兵器についてはアメリカがそもそもその種を蒔いた張本人であり、その分その存在に確信があるのだろうけど、張本人ならそれらしく相手の事情ももう少し尊重しろと。そして僕は1989年、湾岸戦争の2年前のバグダッドで素朴で平和的なイラクの人々と交わりを持ったことがあります。真昼の広大な公園の芝生一面にたくさんの家族たちがピクニックをしていましたが、どの家族も僕に「ちょっとこっちに来て一緒に食べていけ」と誘ってくれました。個人的にも、罪のない彼らが命を落としたり傷を負うことが悲しくてなりません。 / Hidey ( 2003-04-04 15:52 )
ちなみに僕自身は今回の先制攻撃は言語道断だと思っています。これだけ歴史的経緯や文化・価値観の相違が状況を難しくしている現代の世界において、国連の創設は人類共通の努力の結果だし歴史的偉業だと思います。平和を本当に考えるからこそ国連の尊重と国際法の遵守はイラクのためだけでなく、これから焦点になりうるすべての紛争地域のためにも大変重要なことです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:44 )
それは「難しいこと」では決してなくて、知る努力すらすれば誰でも簡単に理解できることです。フセインがこれまでしてきたこと、これからするかもしれないこと、そして大量破壊兵器がなぜ存在しうるかなどをきちんと認識した上で、暴走するアメリカを説得するには何を言えばいいのか。それは国連安保理での討論に限らず、個人レベルの会話でも必要な手続きだと思うのです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:38 )
浅い分析、過剰演出で人々の情感だけを掻き立て、より「戦争ショー」を盛り上げようと躍起になるテレビ局と、あっさりその思惑に流される大衆。反戦の部分だけ見ればそれはいいことかも知れないけれど、少し引いて考えればとても危険なことです。ファシズムに呑まれることの危険性は置いておいたとしても、政治家だろうが一般大衆だろうが真にイラクのことを考え世界平和を考えるのだったら、少なくともあれだけ人々の憎悪の的になっているブッシュですら注意を払っている周辺事情はちゃんと知る努力をすべきだと思います。 / Hidey ( 2003-04-04 15:35 )
これは日本のテレビを観ていてインタビューに答えたりする人々を見て思ったことです。クルド人が5000人虐殺されたことを知らない人までいるんだから。そして視聴率を稼ぐことだけを考えて意図的に骨抜きな番組をつくり、朝から晩まで無分別に戦闘シーンを伝えるテレビ局にも大いなる怒りを感じました。職業柄彼等の表向きだけの反戦メッセージなんて簡単に見破れるのです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:27 )
みほちゃん、少し長くなるかも知れないけどごめんね。まず真意が伝わらないような文章を書いてしまってごめんなさい。人の命を計るのは間違いなく人の心です。論理や理屈ではありません。僕が言いたかったのは、気持ちを大切にするのはもちろん大切で必要だけれども、その気持ちがあるのならもう少し歴史的背景や多角的な事実の認識をしてほしい、と思わせられる人が多いということなのです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:24 )
しんちゃんさん、ありがとうございます。そちらも肺炎にだけは気をつけて、楽しい生活を送ってください。 / Hidey ( 2003-04-04 14:54 )
akemiさん、二つ目のつっこみもありがとうございます。友人の妹さん、こんなに早く別れが来るとは想像できませんでした。このごろは戦争やら肺炎やら個人的な寝不足やら(!)で、ほんとにいつどうなるかわからないのでちゃんと生きないとな、なんて思うこともあります。季節の狭間の海、いとおしゅうございます。 / Hidey ( 2003-04-04 14:53 )
azzurriさん、せっかく一番乗りしていただいたのに返事が遅くなってすみません。有意義ではありましたが勤めを果たしただけのような気もしました。フィー子ベビーは可愛くなってますよー。いつか一緒にフィー子家に集まりたいですね。来年のバースデーはどんな状況で迎えているのか、そう言えばまったく想像できません。 / Hidey ( 2003-04-04 14:48 )
断固反対と叫んでみても、国家レベルで動く事には太刀打ちできない。…と考えて、もう無力感と悲しさでいっぱいです。投げやり気味の考えですが。世界は広くなったけど、目も当てられない程ぐっちゃぐっちゃになってしまった、と日記を読んで思いました。長いツッコミですみませんでした。。 / りぃな ( 2003-04-02 16:27 )
もう戦争の事は、語る言葉も尽きたというのが正直な気持ちですけど、最後にここでつっこんで、終わりにします。個人と国家レベルでは対処も建前も使える力も違っていて、自分は個人としてしか動けないから、早期終結には直接的には何も出来ない。それでも人間の盾として現地に残る人や、反対運動で座り込んだりする人もいて、やらないよりかはマシだろうけど、あまり意味はないと感じてしまいます(汗) / りぃな ( 2003-04-02 16:25 )
お誕生日おめでとうございます。こちらにも春が来ました。私もひとつ歳をとり、良いこともそうでないことも、変化を受け入れられる大人になりつつあります。良きはじまりでありますように。 / ニナ ( 2003-04-01 02:04 )
↓最後、もう来ましたか の間違いでした。すみません。(^^;; / みなみ ( 2003-03-31 21:08 )
わたしも見落としてしまったようです。遅れ馳せながらお誕生日おめでとうございます! ボストンには春は来ていますか?  / みなみ ( 2003-03-31 21:06 )
お誕生日おめでとうございます。抱っこどうもありがとう。ハーバードの哺乳瓶、ウケました! / フィー子 ( 2003-03-28 18:04 )
お誕生日おめでとう! 春になると、いろんなことが動きだしますね。雪解け。Hideyさまの2年間が、大きく花開く春になるのでしょう。 今度こそカンパイ、心から楽しみにしています。 / パンドラ ( 2003-03-28 10:46 )
遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。いよいよ、ラストスパートですか。Good Luck! / ガス欠コイン ( 2003-03-27 17:00 )
お誕生日おめでとうございます。今年もHideyさんにとって素敵な1年でありますように♪春・・もうすぐそこまで来てるんですね! / misato ( 2003-03-27 11:05 )
ぎょぎょっ。ワールドのトップって滅多に開けないので見落としました、ごめんなさい。お誕生日おめでとうございます。(*^-^*) / akemi ( 2003-03-26 23:05 )
わーいわーいわーい。お誕生日おめでとうございます。超多忙ですね、アメリカ生活ラストスパートかしら。楽しんでください。 / アンチフレンチもヒステリックだわ@プルー ( 2003-03-26 06:53 )
わーいわーい。お誕生日おめでとうございます!卒業後、すぐにお仕事に復帰なさるなんて、休む間もないのですね。それとも、2年間で学んだことを実践できる楽しみで一杯といったところでしょうか? / R ( 2003-03-26 03:53 )
わーい。お誕生日おめでとうございます! ディナーは、イタリアン、だったのかしら? / しゃどう猫 ( 2003-03-26 03:17 )
お誕生日おめでとうございます。いよいよ終盤の追い込みでしょうか。最後まで息が抜けないとは、このこと?お誕生日くらいはゆっくりと楽しいお時間をお過ごしになったことでしょう。 / 真冬 ( 2003-03-25 22:59 )
誕生日おめでとうございまーっす!東京、多くの友人が上京してその内の数人かはHideyサマの後輩になりまっせ。人の命は感情論以外でどう言い表せるのでしょうか。論理的に説明されてしまう人の命の重さは。 / みほ ( 2003-03-25 21:15 )
生日快楽♪です^^ 今年もいい年であるといいですね〜^^ / しんちゃん ( 2003-03-25 18:11 )
お疲れ様でした。慌しい中にも収穫の多い最後の一時帰国?だったようでなによりでした。人生というのは出会いと別れの繰り返しですね。今を精一杯生きたい、、とこの時期、特に強く感じます。海辺の街でも空気の匂いが変わってきていますよ。 / akemi ( 2003-03-25 11:39 )
お誕生日おめでとうございまーす!!一番乗りかな???怒涛の日々の中で束の間の帰国は有意義な時間になられたんですね、、、フィー子さまベビちゃん、1月よりもさらに可愛くなってるんでしょうね〜♪ボストンでの生活を終えられて、また新しい日本での日々がスタートする一年が、実り多き一年となりますように! / azzurri ( 2003-03-25 09:09 )

2003-03-25 ふたたび、つかの間の帰国 1

相変わらず鬼のように大量のリーディングを課せられる日々が続いているが、別の要素も加わって日記がまったく書けずにいた。先週一週間にわたる一時帰国とそのための準備により多忙を極めていたのだ。

この学期はハーフコースの授業をふたつ取っており、前半のコース「Leading Teams」はその全日程を終え、3月28日提出の期末論文を残すのみとなった。かつて僕が広告代理店の営業として従事していたヤマハ発動機の海外販促物制作作業を題材にして、遠隔チーム作業の成功と失敗の要因について書くことにした。主にこの論文のリサーチのために3月15日から23日までの春休みを丸々潰して一時帰国したのだ。

静岡県磐田市のヤマハ発動機と東京にあるうちの会社、そしてアムステルダムのヤマハヨーロッパとブリュッセルにあるうちの関連会社の四者によるITを駆使したコラボレーションは、地域性に縛られることなくそれぞれの専門知識や技術を持ち寄った理想的なチームである傍ら、距離や文化の隔たりによりもたらされる様々な問題に直面することも多かった。その最新事例について書くために、僕の作業を継いだ後輩やクリエーティブスタッフに対しこと細かなインタビューを実施した。28日が提出期限であるため、帰国前から電話でできるだけの話を聞きだし、既に文章を起こし始め、帰国中の作業は補足のリサーチに留めることにしていたので、3月上旬から既に多忙な日々が続いていた。

今回の帰国では他の三つの授業のためのリサーチやインタビューも実施した。4月末提出の「The Marketing of Innovations」の論文では僕がかつて心血を注いだ電動自転車PASのマーケティングについて書くことにした。社に残した資料を集めるのと同時にクライアントからも情報収集するため磐田にも出向いた。いつも親しくしてくださっていたクライアントの方々から沢山の貴重な情報をいただいた。また「Evolution of Global Business」というハーフコースの後半の授業のための期末論文でもヤマハ発動機の海外戦略について書くことにし、これも磐田の広報室の方々からオリエンテーションをいただいたうえ、「コミュニケーション・プラザ」という広報施設にて様々な資料を漁らせていただいた。この論文は5月9日までに提出。そして「Managing across Cultures」という授業の課題として、異文化間マネジメントに携わるビジネスマン二人にインタビューをし、そこから学んだことをレポートにまとめて4月末までに提出することになっている。某有名外資系コンピューター関連メーカーの作業を担当するうちの会社の日本人営業と、彼をサポートするために提携先海外広告代理店からうちの会社に派遣されているニュージーランド人の営業の二人にインタビューすることによって、国による代理店文化の違いや、それを超えて共同作業を成功に導くための方法論を模索することにした。

(つづく)

先頭 表紙

りぃなさん、すっかり返事が遅くなりましたが、ありがとうございます。充実はしてますね。させないとね。そうでないと帰国してからpay the priceすることになるから。おたがいあと一ヶ月かな。最後まで気を抜かないで行きましょう! / Hidey ( 2003-04-04 14:46 )
お誕生日、おめでとうございます♪ もう、ボストンでは25日ですよね。忙しく、大変そうですけれど、すごく充実してらっしゃるのでは? 前も書いたと思うのですが、この学期が一番実りがありそうです。残りのラストスパート、共に頑張りましょう! / りぃな ( 2003-03-25 14:25 )

2003-03-02 悲しい過去を越えて 2

エラはやはりサマースクール当時からとても仲のいい友人で、一年生の本学期が始まる前の暑い夏の日に二人で家具屋を見てまわったり、他の友人とともにカラオケやクラブに行ったりした。彼女は何においても仕切り屋で、サマースクール当時の友人を束ねては度々パーティーを開いたりと、とても明るく思慮深く、本当にいい子だ。アイリーンはサマースクールには通わなかったが、エラのルームメイトであり、僕も彼女とはずっと仲よくしている。昨年の学生演劇コンテストでは得意のダンスを披露して舞台を彩っていた。クリスとはエラを通じて何度か食事をしたことがあった。

エラは“I like Japan.”としばしば口にし、それはとても嬉しいのだけれど正直僕はその度に歴史が脳裡をかすめ、複雑な気持ちになってしまう。「バターン死の行進」に代表される二次大戦中のフィリピンにおける日本軍の非人道的行為、そして戦後補償の名のもとに展開された日本の経済進出プログラムにおける償いの精神の欠如。そしてその構図が紆余曲折の末生活レベルに反映されたとも言える「ジャパゆきさん」などの問題が横たわりつづけてきた。始終そんなことを考えて友達づきあいをしたりはしないが、エラはどんな気持ちでこんな風に嬉しい言葉をかけてくれているのだろうとふと思ってしまう。忘却も時にはひとつの知恵だが、完全な忘却、ましてや無知は罪でしかない。

でも我々は落ち合えば互いにそんなことはひとたび忘れて底抜けに楽しい時間を過ごす。メイソンとリンリンとはよく夫婦でトランプをしたり、一緒にDVDで映画を観たりする。先日は紅白歌合戦のビデオを借りてきて一緒に観てはリンリンが実はキムタクの大ファンであることを知った。昨日は僕の大好きなイレーヌ・ジャコブが出ていた「トリコロール」の「赤」をBGVにしながら大貧民で盛り上がった。

エラは僕が昔買った6枚組の80年代ポップスコレクションがお気に入りで、懐かしい曲をかけて盛り上がったり、ともに参加した一年半前のバーモント州への小旅行の写真を一緒に見ては思い出話に花を咲かせたりした。この日はお得意のイタリア料理で彼らをもてなし、それにあわせてクリスが持ってきてくれたで赤のトスカーナワインを飲みながらかの情熱的な国に思いを馳せた。ゲーテの時代から現代にいたるまでドイツ人はイタリアに特別な思慕を抱き、クリスもその例外ではなかった。そしてワインにあわせて出してきたリーデルのグラスに気づいたクリスは「趣味がいい」と言った。同じドイツ語圏のオーストリアのグラスを彼はことのほか喜んでくれたらしい。その夜我々は、隠居後にはお互いイタリアに移り住んでワイナリーで再会しようと誓い合って別れた。

時に過去を掘り下げてビジネスを学ぶ大人の我々には完全な忘却や無知は許されない。だからこそ我々は口には出さなくても互いに礼節をわきまえ、互いの国がしてきたことを真摯に受け止め、なおかつひとたびそれを忘れて無邪気に楽しい時を過ごす。それぞれに悲しい因縁を分け合う国の人々と一生続くであろう友情を持ち合えたことはこの留学をさらに実り多きものにしてくれている。

先頭 表紙

夢樂堂さん、うっかりつっこみ返しをし忘れてしまいました。ごめんなさい。歴史はどれだけ学んでもまだまだ知ったことにならないのが辛いですが、その努力をしないということは社会的責任を放棄するようなものですよね。温故知新という言葉の意味をこのところ痛感することしきりです。 / Hidey ( 2003-04-04 14:44 )
おとじろうさん、らしいボケをどうも(笑)。人間、国家という大きな単位になっても性質は一緒ですね。やりにくいことは先延ばしにする。僕もその点まったく人を批判できませんが(笑)。戦争の解釈が違うとしても、互いの違いの根拠は何か、同じ空間で考え合えればいいですよね。その貴重な機会がここにはあります。いつもそれには感謝しています。 / Hidey ( 2003-03-31 16:43 )
ぶちょう、先日はようやく再会を果たせて嬉しかったです!反戦集会、ぶちょうらしいですね。僕も行ってみたと思う。容易に変わらないのは事実だけど、さすがに今回だけは日本国民にも色々考える機会を与えたのではないかと思います。できるだけ肯定的に取りたいとは考えています。 / Hidey ( 2003-03-31 16:40 )
ガス欠コインさん、本当に細部の史実はなかなか知り得ないですね。でも骨格からその歴史的根源を探り、今の我々にも通ずる人の本性を考えることは大切ですね。君が代にしても正解はないと思います。反戦集会も参加すればいいというわけではない。何をどう考えたかによりますよね。 / Hidey ( 2003-03-31 16:38 )
やっちーさん、はじめてつっこみいただいたのに返事が遅くなってごめんなさい!フィリピンだけはさすがに史実として逃れようがないですからね。エラが「I like Japan.」と言うとき、その瞬間には意識的でなくても、彼女のこれまでの精神体験の中で間違いなく歴史も顧み、同時に現代の日本文化を思い、そのバランスの中で「like」という気持ちに至ったわけなので、その直接的・肯定的な言葉にだけは一瞬僕も反応してしまいます。おっしゃるとおり、最終的には一人一人の絆。それがなければ変化は起こりえないと思っています。 / Hidey ( 2003-03-31 16:36 )
フィー子さん、いろいろ活動的だったんだね。先日はそんな話にはならなくて残念でしたが、フィー子さんの経験もたくさん聞かせてほしいな。 / Hidey ( 2003-03-31 16:31 )
みほちゃん、つっこみ返しの順番がぐちゃぐちゃになってごめん。みほちゃんの場合は悲しみもさることながらそうした大切な話をやり方によっては率直に話し合える間柄でもあるのでしょうね。互いのdistortionの事実を認識した上で、健全な会話をされることを望みます。いつかそんな話も聞かせてね。 / Hidey ( 2003-03-31 16:30 )
りぃなさん、ほんとに受験戦争の弊害とは言え、あれだけ世界大戦の辺りを端折られるとお上の陰謀ではないかと思ってしまいますよね。僕も時々ですが祖父から生の戦争の話を聞き、色々思うところがありました。もう今はそれも敵いませんが。 / Hidey ( 2003-03-31 16:28 )
あれ、抜かしちゃいました。口車さん、「金づる」という発想は不健全ですがもちろん存在しますよね。もちろん日本人もそれを見透かして行動しなければいけない。国益に敏感な政治家はもちろんそんなことだけはとうに承知ですが。閔姫事件についても残忍な結果だけを見れば日本が一方的に反省してしまいがちですが、よく言われているように当時の朝鮮国内の政治的事情、諸勢力の対立などを見渡せば、これも日本人の悪行というだけではなく歴史の不幸とも理解できますよね。多くの異なる視点を持つということが肝要かと思います。 / Hidey ( 2003-03-31 16:25 )
りりさん、おこがましくも語ってしまいましたがりりさんこそ香港という特別な環境で思うことはたくさんおありでしょね。本当に海外にいるということは日本を改めて学ぶことを強いると僕も日々実感しています。 / Hidey ( 2003-03-31 16:14 )
ミサトさん、人によってはそしてその人の体験によっては、どんなに冷静に客観的な見解を示しても容易には理解されないのでそこだけは踏まえないといけないですよね。うちの学生はうちに来ているというだけでどの国の学生も相当戦後資本主義に偏ってますから。ところでミサトさんらし追伸がかわいい!麻婆豆腐、もちろん僕もあつあつのご飯にかけます!葱と中国山椒もね。 / Hidey ( 2003-03-31 16:13 )
ricaさん、ちょっとこの文章を書いたときがたまたま戦時中の映像を綴ったドキュメンタリーを観た直後だったので、かなり過去を見つめた文章になってしまったのでしょうね。すみません。普段は21世紀という新しい世界を生きる友人同士で、歴史を振り返りつつ話をすることはほとんどありません。そんな堅苦しい仲じゃないし。でもこの学校では毎日のように戦時中の歴史までも振りかえる授業において同じ教室で議論を繰り返していますので、無知はまったく許されないのは事実です。 / Hidey ( 2003-03-31 16:09 )
daseinさん、はじめまして。貴重なお言葉をありがとうございます。僕も思うところが多々ありましたので、お返事はつづきの日記という形で書かせていただきます。 / Hidey ( 2003-03-31 16:05 )
KATSUMIさん、大連も今は昔の面影をまったく残していないのではないかと思いますが、肌で感じれられるものがあったらいいですね。日記、これから読ませていただきます。 / Hidey ( 2003-03-31 16:04 )
たらママさん、おっしゃるとおり。歴史を学ぶと同時に現代政治も学ばないとものごとの本質は見えませんね。 / Hidey ( 2003-03-31 16:02 )
Arminnさん、はじめまして。朝鮮の分断についても諸説ありますね。部分的にどれも正しいように思います。国家の分断という大きな出来事は、外的要因においても内的要因においても、それぞれにそれを意図する人が存在したからありえたことだと思います。寛容なのはよりグローバルで公正な視点で史実を解釈し、現代にその学びを生かすということなのでしょうね。望んでもなかなか得られない直接的に他の国の人々と接する機会を得られていることにはただただ感謝です。 / Hidey ( 2003-03-31 16:01 )
八百屋六助さん、乖離についてはおっしゃる通りだと思います。国家の論理は前時代から本質的には余り変わろうとしないのに対して個人は理性を身につけつつあるということでしょうか。イラク攻撃のアメリカ世論に関しては大都市ほど反戦、田舎ほど戦争指示というギャップが見て取れます。国を開いて以来本質的には外にそれほど目を向けずにすみ、大国ゆえに中央部の外界との接触が希少になるというアメリカ独特の現象ですね。僕の周りの学生はみな「利口」なのではっきり口には出しませんが、大部分が今回の戦争には反対のようです。 / Hidey ( 2003-03-31 15:53 )
沢山のつっこみをいただいておきながら、お返事をする余裕がなくて遅くなってしまい申し訳ありません。少し落ち着いたら必ずすべてお返事させていただきます。 / Hidey ( 2003-03-25 05:50 )
国家間の償いはお金。愛のつぐないはテレサ・テン(すみません)。戦争による過去の過ちは早いうちに国としてきっちりと償いをしておいてほしかったです。一個人として出来ることは真実に目を向けそれを理解した上で相手と接する。その気持ちが一番大切だと思います。戦争の解釈は国によって大きく違いますしね。 / おとじろう ( 2003-03-13 15:28 )
日比谷の反戦集会行って来ました。来場者の世代の幅広さにちょっとびっくり、メディアの取材と報道の少なさにびっくり、ネットのパワーにびっくり。会場にいると(知る限り)歴史上初めての人民パワーによる戦争休止が実現できそうな希望が持てたけど、ウチ帰ってニュース見たら何も変わりそうに無いな。なんだかむなしいものです。 / ぶちょう ( 2003-03-10 10:22 )
本当の意味で細部までの真実を知ることはもはや不可能に近い部分もありますが、骨格を知り、自分の中の咀嚼する大切さを感じます。もちろん、当該の外国人とこの問題について語り合う機会を持てれば、それに越したことはないと思います。P.S. 今日、ピースボートが、日比谷の野音で反戦集会を開いたようです。 / ガス欠コイン ( 2003-03-08 18:04 )
僕は、両親が幼い頃から第二次世界大戦について語ってくれたことで、その骨格というものは早いうちに理解できていたかと思います。ただ、成人となってから、『君が代』は歌ってはいけないのかなど、自分の中で葛藤を繰り返し、結論を導いたものもあります。日本の現在の学校教育では、Hideyさんの語る歴史をとても物語ることは出来ず、偉そうに言うつもりはありませんが、無知のままか、偏向的な思想を持つか、そのどちらかになってしまっている人が多いような気がします。(続く) / ガス欠コイン ( 2003-03-08 17:58 )
そうですね、第二次世界大戦ぐらいになると3学期の終わりのほうで、ささっと流しておしまいって感じでした。「今」を生きるわたしたちにとって、もっとも大切なところなのに。アメリカで出会った韓国の学生さんたちは、何よりわたしたちが歴史を知らないことに驚いたでしょう。歴史の授業は古代史を最後にして現代から遡っていったほうがいいかもしれません。 / Arminn ( 2003-03-05 23:17 )
20歳の時、初めての外国・フィリピンの田舎で、友人は地元の人から戦争の時に日本軍にもらった物を見せられたり、私は会話の中で日本に対する気持ちを知り、日本の行いや戦争の傷を未だに引きずって生きてる人々がいることを知りました。でも、きっと新しい世代の私達が、新しい関係を作っていけるんですよね。例えば、韓国の方々は日本に対して良い感情を持っていないようですが、今私は、数少ないアジア人の仲間としてとても優しくしてもらっています。一人一人の小さな絆、でもそれがいつか大きな力になればいいですよね。 / やっちー ( 2003-03-05 21:56 )
大学時代にやっていた草の根交流(留学生と交流する)を思い出しました。諸外国の人との歴史の議論は白熱していました。3月、こんな話もしたいですね。 / フィー子 ( 2003-03-05 15:29 )
皆さま書いてらっしゃる、歴史をきちんと知ること、に強く同意、です。中高共に、日本史の授業では世界大戦の辺りは駆け抜けてしまったけど、それは全国的な事らしいし。。留学前に父が"おじいちゃん、戦争のことを教えて”という本を読ませてくれたのですが、目から鱗でした。 / りぃな ( 2003-03-05 14:52 )
私もよく人を見てからでないと、こういう話はできません。補償問題で団体が会社に押しかけてきたり、尖閣諸島問題では日本人学校までデモがきたり、色々経験しているので…。わざと無知を装うこともあります。ただ、こちらの高校の社会科の先生とこういう話題を論じた時は、お互いに理性的に話し合えたので勉強になったし理解も深まりました。サンフランシスコ条約を読んだり、靖国神社の歴史を勉強したりしたのは、恥ずかしい話ですがこちらに来てからですね。もっと日本にいる時に自覚していれば良かったと思いました。 / りり ( 2003-03-04 20:02 )
大切な人たちが戦時中、日本から被害をこうむった国の出身である事ほど辛いものはありません。それに直面したのは一年半前、17になったばかりの自分は涙を流すしかない程無知でしたが。それでも彼らの中で「日本人が思うほど単純ではない心の内」が払拭されるのを夢見ているのですけどね。私の中ではとても大切なトピックですが、言いたいことはHideyサマとほぼ同じ、です。 / みほ ( 2003-03-04 18:59 )
そうですね、わたしも朝鮮半島が分断国家になったことに日本が直接的にそうしたとは思いません。しかし、間接的なことであれわかっていなかった。そう言われるまで。韓国の人のどれぐらいの人しかしらないけど、そのことも含めて「過去」の問題なんだということも知らなかった。ワールドカップ共催でそういう感覚もだいぶ変わったかもしれませんが・・・ / Arminn ( 2003-03-03 22:49 )
下に書いたように、朝鮮半島が分断国家になったのには、間接的に日本が関与しているかもしれませんが、直接的には関係ありません。夢樂堂さまも書いていますが、自分達の国の歴史をきちんと知らないと言うことが大問題で、知らないと相手の言いなりに間違ったことを植え付けられてしまうのです。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 17:51 )
韓国の場合も、朝鮮戦争による同胞同士の殺しあい、その前のやはり1947年の済洲島でのアメリカ軍政による弾圧と虐殺なんてことが起きています。4.3事件は統一国家建国を狙った民族主義の人たちと、ソ連との分断国家を狙ったアメリカ軍政との対立の結果でもあります。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 17:47 )
ちなみに、誤解のないように書いておきますが、「金づるね。」と言った台湾人の程度が低いわけではありません。彼は承知して言っているのです。別の北京在住の中国人にも言われましたが、直接被害を受けた人は別として、大方の中国人は日本に対して恨みの感情なんて持っていないということを言っていました。それよりは、自国内での弾圧とかの方がひどかったのです。台湾に置ける1947年の2.28事件しかり、文化大革命然りです。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 17:33 )
夢樂堂たちの不幸は日本の歴史を知らないことです。いいことも悪いことも知っているべきで、そうでないとそれなりの歴史観をもてないでしょう。 / 夢樂堂 ( 2003-03-03 13:52 )
小泉首相が選挙民対策として靖国参拝にこだわるように、彼等も自分達への批判をかわすための政治の道具として「日本はけしからん。」とやっていたりします。その当たりを見失うと、弱みにつけ込まれるだけということになってしまいます。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 12:18 )
5年ほど前、仕事で付き合いのある台湾人を食事に誘ったとき、靖国神社の前をたまたま通ったので、「ここが例の揉めている場所。」という説明をしました。そうすると彼は開口一番、「あ、金づるね。」ということを言いました。朝鮮王朝の王宮内における閔姫暗殺事件のような破廉恥な行為に対して正式に日本政府は謝罪していない等、日本人として贖罪の意識を持つ必要はありますが、過剰に反応するのもいかがなものかと思うのです。相手は相手でその程度の意識であったりします。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 12:15 )
ミサトも同じ様な事がありました。その時はやはりメイソンさんのような客観的思考の方が多かったけれど、そうではない方々もいらっしゃる事(高齢の方などは特にそうなのかもしれません)は忘れてはいけないと思っています。そして今を生きる者として、今後このような悲しい過去を世界で1つでも増やしてはならないと強く感じています。ps:麻婆豆腐を刻んだ葱と一緒にあつあつごはんにのせるの好き♪ / misato ( 2003-03-03 10:06 )
日本人が日本人同士でお友達になるのと感覚は同じというか。だって一個人同士がお友達になるわけで、その友達の国を自分または相手が「好き」だと思えば「好き」なわけで・・・。それは歴史上どちらかがどちらかの国に対して何か良くないことをしたという事実があったとしても、です。うう、良くわからなくなってきた(笑)。ううむ。 / rica ( 2003-03-03 06:34 )
う〜ん、確かに過去や歴史について「無知である」「完全に忘れる(無視)」ことが良いとは思いません。それぞれの中に知識としてあるべきことだとは思います・・・が、個人レベルで「お友達」になる時には私はあまり深く考えません。また私が思うに相手もあまり考えていないように感じます。 / rica ( 2003-03-03 06:34 )
偏った情報だけでは、そりゃ、自虐的にもなりますよね。幅広く学ぶことをお薦めいたします。感情も大切ですが、事実をしっかりと見極め、相手の言うコトだけを鵜呑みにするのはやめたほうがいいでしょう。 / dasein ( 2003-03-03 03:40 )
今週末大連に行くのですが、日清・日露戦争や戦後の引き上げを抜きにして訪ねてはいけない場所だと思っています。過去を過去として捉えられる強さ、日本には少ない気はします。 / KATSUMI@プレイヤーモード ( 2003-03-03 01:31 )
国が教える歴史も、政府の判断でいろいろ事実に濃淡ついてますね。国益といえばそれまでですが。 / たらママ ( 2003-03-03 01:22 )
はじめまして。朝鮮半島が北と南に分かれてしまったのは日本のせいだということをあまりよく知らず、アメリカに語学留学したときに韓国人の学生さんたちに聞いてそのことを直視しました。日本が違う道を選択できたら、拉致問題にしたって起き得なかった。そうした過去をわたしはしっかり感じて生きていこうと思っています。 / Arminn ( 2003-03-02 21:44 )
国民一人一人の考え方(これがマジョリティだったりする)と国家の考え方の乖離,だんだん大きくなっていくような気がします.特に今回のイラク攻撃,アメリカでは結構支持率あるのでしょうけど,積極的な英豪日を含めて他の国はほとんど支持率無いですね. / 八百八六助 ( 2003-03-02 18:06 )

2003-03-02 悲しい過去を越えて 1

このところ勉強が忙しいことに加えて週末ごとに来客があったりこちらから友人宅に遊びに行くこともあったりして、落ち着いて日記を書く時間がとれずにいた。昨日は中国人のメイソンとリンリン夫婦の家にこちらも夫婦でお邪魔し、先週はフィリピン人のエラとアイリーン、そしてエラの彼氏でドイツ人のクリスが家に来てくれた。3週間前には逆にメイソンとリンリンを家に招待した。リンリン以外は皆うちの学校の友人だ。

メイソンは僕がボストンに着いてからはじめてできた友人だ。こちらに来て2日目に僕は学校の家族寮への申し込み手続きについて調べるために学校の運営する不動産関係の事務所を訪れた。そこで偶々出会って話をしたのがメイソンだった。英語に不自由する可能性のある学生50人あまりが集められたサマースクールで再び彼に会い、実際の授業が始まってからは偶然同じセクション(クラス)に属した。

すらりと痩せ型で眼鏡をかけた、いわゆる秀才タイプの彼は実は結構気骨の人だ。人当たりはよいけれど、議論になれば明確に自説を主張しつづける粘り強さを持っている。奥さんのリンリンとはネット恋愛から結婚に至ったという中国では超先端的なカップルだ。リンリンは目鼻立ちのはっきりした美しい都会的な中国人女性である。

初めて家に来てくれたときは彼らに敬意を表して僕なりの中華料理で歓待した。と言ってもひとつ覚えの陳建一流麻婆豆腐。豆板醤や辣油、花椒のきいた辛い味付けだったが、美味しい美味しいと言って食べてくれた。昨日は彼らの家でリンリンのつくった春巻、冷奴、餃子など、クラシックな中国の家庭料理を食べさせてもらった。

先日家に来てくれたときにはひょんなことから日本と中国の歴史の話になった。前に韓国人の友人が家に来てくれて、やはり日韓の悲しい過去の話になったことを話したのがきっかけだったと思う。国としては簡単に過去の過ちを認めることはないけれど、日本人は個人レベルではその大半が、戦時中の日本の暴虐ぶりを史実として認識しており、アジア各国に対し責任を感じていると話した。アジア各国が政治的な思惑から日本に対し過去の問題をを繰り返し取り沙汰することも事実だが、そこまでの話には至らなかった。

メイソンは「僕もこういう話はオープンに話したいと思っている」と前置きして、「なぜ日本の首相は中国人や韓国人が非難しているのを知りながら公然と靖国参拝をするのか」と質問した。それぞれの首相によって事情は異なるが、ある場合は、補償責任はともかく国のために戦死した人々への敬意という個人の強い信念ということもあるし、同時に右傾化した党のリーダーという立場、そしてその支持者たちへの政治的な配慮があるのだと説明した。彼はなるほどねと簡単に納得してくれたが、それは彼が資本主義国のビジネススクールに学ぶに足る生活レベルと客観的思考の持ち主だからだ。過去の過ちと現在なすべきことを体系的に分けて考える者同士、礼儀と理性を併せた話ができたが、これが一般の中国国民に通じるかと言ったら大間違いだということは忘れてはならない。

(つづく)

先頭 表紙

おとじろうさん、まさにその点は文化による死生観の違いだと思います。日本の死生観が必ずしも正しいということではなくて、仏教思想においては死が魂を浄化するという理解があり、政治家もその点をもう少し説明できればいいのに、と思います。ただし死生観の違いを超えて軍国主義復権ののろしのように参拝をする歴代首相も多くいたと思いますが。 / Hidey ( 2003-03-31 15:44 )
鳥さん、いえいえ、まだ日本のことをよく知ったとはいえないところが辛いです。今の世の中は多角的に学ぶ機会だけは与えられているのでそれは幸せですよね。できるだけ活用しないとね。 / Hidey ( 2003-03-31 15:40 )
りぃなさん、回答例というか、でき得る限りを我々も学び、でき得る限り公正な見解を持つことによって、多少の軋轢は残っても、双方の信頼性は向上すると信じます。ただし相手を見るのはたしかに大切だと思います。 / Hidey ( 2003-03-31 15:38 )
クリスチャンの人も強く批判していますが、私もHideyさまと同じ意見です。お国のために戦死した人が神様になろうが仏様になろうがその魂への敬意は国のリーダーとして当然やるべき行為だと思います。戦争を忘れないためにも。過去の過ちを繰り返さないためにも。 / おとじろう ( 2003-03-13 15:05 )
靖国神社のことをこんな風に説明できるなんてすごい!しかも英語で。日本語でさえ答えられないです。 日本のことをよく知った、真の国際人ですね。 / ( 2003-03-09 13:17 )
今まで、こういう事をどう説明したらいいもんか、と思ってたんですけど…いい回答例ですね。留学生は、マイノリティーという環境に身を置くからか、大抵の人は歴史的な話も落ち着いて出来るんですが。。日本国内でも、全ての人に通じるわけでもないし。。ため息出ちゃいますね。 / りぃな ( 2003-03-05 14:40 )

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