祖母の母親は何不自由なく育てられたお嬢さんだった。
親の言うがままに嫁いだのは土地きっての豪農。
そこでの暮らしは想像を絶するものだった。嫁とはいえ農繁期になれば慣れない農作業に駆り出される。子供が手を離れてひとつの労働力としてでしか扱われなくなくなった時点で母親は実家に逃げ帰った。
連れ戻されて、生まれたのが祖母。両親は祖母が小学校に上がる頃相次いで亡くなった。祖母は「いらない子」と思われないよう、必要とされるために、誰よりも早起きして家事をこなし、兄の子供達の面倒を見て毎日を過ごした。学校を出て単身上京。住み込みの家政婦として何年か過ごした後、お見合い結婚をして待望の跡取り息子を産み落とした。次いで女の子。やっと祖母は自分の居場所をみつけた。
夫はたいそうなハンサムだった。背がこどものように低くて、自分の容姿に自信がなかった祖母には自慢の夫だった。が、「いろおとこ。金も力もなかりけり。」を絵を書いたような、真面目なのだけが取りえの男だったので暮らしていくのが精一杯。このままでは子供たちに十分な教育を受けさせるだけの蓄えができない。向上心に燃えていた祖母は決意した。「満州に行こう!」
満州での生活は順風満帆だった。たくさんの中国の人たちに働いてもらって洋服屋を営んだ。長女を結核で亡くしたのが唯一の悲劇だった。でも子供は4人に増えていた。けれど、ロシア軍が攻めてきて、その中国のひとたちに匿ってもらって、命からがら日本に逃げ帰った。
身を寄せたのは夫の実家。
そこで祖母を待っていたのは姑による壮絶ないじめの毎日だった。
舅は他の女性の家に転がり込んでいてまったく帰ってこない。頼りの夫はひとりっことして母親に溺愛されて育ったため逆らえない。
長男は全寮制の中学、県外の高校に進んで残されたのは幼い3人の子供だけ。
長男が東京の大学に進んだのを機に祖母は身一つで飛び出した。
夫と次男を中学生だった三女に託して。
そこで自分と夫の仕事先をみつけて家族を呼び寄せ水入らずの生活を始められたのもつかの間。すぐに長男は結婚して祖母の手許から旅立ってしまった。それから十数年。
夫が定年退職をしたのを機に長男の隣家に引っ越したのにわずか数年で「通勤が大変だから。」と長男一家は都会のマンションに移ってしまう。
そしてその家の管理を任されて何年もそこから動けなくなってしまった。
夫が怪我をして入院して一人暮らしを余儀なくされたときは娘達や嫁が交代で泊り込みに来てくれていた。
自身も骨折などで入退院を繰り返していた最中、夫が米寿を迎えて亡くなった。嫁はかねがね「一緒に暮らしましょうね。」と言ってくれていた。
ようやく、追いかけ続けた最愛の長男と暮らせると思った祖母に待っていたのは厳しい現実。
息子からの「老老介護はできない。」の言葉。
すでに痴呆が始まっていた祖母は特労に入れられた。
そして数年が過ぎ。最愛の息子の顔もわからないまま、今日、97歳の誕生日を迎える。
おばあちゃん。今、しあわせですか? |