長女のI(あい)はお転婆です。
赤ちゃんの頃から「やさしく。たおやかに。」育って欲しいと願い続けてきたのに。
いったい誰に似たんだか。
小さい頃の私はおとなしくて、いつも男の子に泣かされている可愛い女の子でした。
なわけはなく。
幼稚園生で既に、3月生まれというハンディをものともせず、腕力でも言葉でも周りを圧倒して縄張りを拡大していったガキ大将でした。
そもそも当時、近所には同じ位の女の子がいなくて、いつも小学生のお兄ちゃん達とつるんで遊んでいたので、やることも年よりませていたのです。
入園試験で、「幼稚園始まって以来の知能指数の高さ。」と驚かれたのが母の自慢でしたが、親になった今にして思えば、それもわからないではないのです。
安月給の公務員の妻になりながら、嫁入り前の「お嬢様」だった頃の感覚を捨て切れなかった母が沢山の絵本を赤ん坊のワタシに読み聞かせ、3歳になったその日からピアノを習わせたのですから、いきなりポンッっと幼稚園に入ってくる子供たちより、刺激を受けてる状態だったに違いありません。当時、農村から新興住宅にかわりつつあったその近所でも英才教育なんてしている家庭はなかったでしょうから。
そういうわけで、体はクラスで2番目にちいさかったくせに、ワタシはそのクラスを仕切ってました。
一番覚えているのはヒーローごっこ。
私の役はいつもヒーローに助けられる、か弱い女の子。
何故かって?
はまり役だったから?
まさか。
配役を決める権限を持っていたのが私だったからです。もちろんヒーローはワタシの一番好きだった○ダイスケ君。
その頃の私は将来スチワーデスになるつもりだったので、ダイスケ君はパイロットになる予定でした。本人の本当の希望だったかは今ではわかりません。
滑り台で順番を待っている時も上でモタモタしていた怖がりな女の子を「早くしてよっ!」と後ろから押して擦り傷をつくらせたこともありました。
小学校一年のとき好きになったのはマエダ君という男の子。
集団登校をしていたので行きも、帰りもいつも一緒。
もう、大好きで大好きで、いつもこずいたり蹴ったりして泣かせてました。
母は何度もマエダ君のお母さんから「お宅のお嬢さん、うちの子をいじめて困ります。」と苦情を言われていたそうです。
本人にはいじめてる自覚はなかったんだけど。
4年生で都会のマンションに引っ越して「生意気な転校生。」と袋叩きにあうまではずっとこんな感じでした。
ああ、自分でも情けなくなってきました。
どうしようもない悪がき。
顔は似てないけれど、I(あい)は間違いなくワタシのムスメ。
ただ、ワタシよりはマトモ?
そう信じたい。
この先もツレのDNAがうまく働いてくれることを祈るだけですわ。
※姉妹で連弾?! |