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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-09-03 USオープン・テニス観戦 3
2002-09-03 USオープン・テニス観戦 2
2002-09-03 USオープン・テニス観戦 1
2002-08-31 アマデウスの愛した街 2
2002-08-31 アマデウスの愛した街 1
2002-08-27 旅と文学 2
2002-08-27 旅と文学 1
2002-08-23 幻のスープ <修正版レシピ>
2002-08-21 幻のスープを求めて 2
2002-08-21 幻のスープを求めて 1


2002-09-03 USオープン・テニス観戦 3

ふと気づくと雨がやんでいた。コートの四隅からトンボ(水を掃く道具)を携えた係員が大挙して登場し、会場に大きな拍手が沸きあがった。巨大なドライヤーも現れ、彼らの秩序だった動きはハード・コートをみるみる乾かしていった。

午後3時半、いまやアメリカのテニスファンの誰もが愛してやまないジェニファー・カプリアティが対戦相手のティナ・ピズニックを従えて登場した。もはや僕を惹きつける選手はいないと書いたが、カプリアティは辛うじて思い入れのある選手だ。というのも件の女子テニス・トーナメントを運営したとき、まだプロとしてプレイし始めたばかりの彼女を僕が日本でデビューさせたからだ。当時彼女は13歳でプロ最年少デビューを果たしたばかり。その更に半年近く前から僕は海外のテニス雑誌で天才少女現るとの記事を読んで彼女のことを知っていた。彼女がフロリダのトーナメントでデビューしいきなり決勝に進出、ガブリエラ・サバティーニと接戦の末準優勝したときのビデオは今でも家にある。日本ではまだほぼ知名度がなかった彼女を初来日させるためにエージェントと交渉を行った。

彼女は有名なステージ・パパにスポイルされつつも、とても朗らかで天真爛漫な少女だった。しかし思春期に絶頂を味わった者の常として燃え尽き症候群に苛まれ、万引き、薬物所持など自らを傷つける十代を過ごした。どん底から這い上がった彼女は唯一の心の支えであるテニスを再度見つめ直し、徐々に天才少女と言われた頃のキレを取り戻す。そして昨年の全豪オープンで念願のグランド・スラム・イベント初優勝。続く全仏オープンも制し、一躍現代の病んだアメリカ社会の希望の象徴となった。

試合は、度重なるダブル・フォルトに悩まされながらも、地力に勝るカプリアティが6-4、6-2で勝利を収めた。持ち前の豪快なストロークとネットに詰めたピズニックの頭上を抜いた鮮やかなトップスピン・ロブが印象的だった。

続くアーサー・アッシュ・スタジアムの第二試合ではアンドレ・アガシが登場。安定したストロークでジメルストーブをストレートで下した。アガシももちろん大人気だが、テレビの解説ブースに現れたジョン・マッケンローもいまだに高い人気を誇り、会場のあちこちから「Johnny Mac!」と歓声が上がっていた。独特のサーブ・フォーム、滑るようなアプローチ、そして天才という言葉しか浮かばないしなやかなボレー。その彼もコナーズにはしばしば信じられないようなコースのパッシング・ショットを決められた。

しばしば語られるとおり男子テニスはつまらなくなった。高速サーブが決まればほとんどそれでポイントが決まるという単調なテニスになったからだ。思うにそれは選手が悪いのではなくてテニスというスポーツに限界があったということだ。野球で言えばストライク3つに対してボールは4つ、また4つのベースに対して3つのアウトというルールが、どんなに選手の身体能力が向上しても絶妙なバランスを保ちつづけているのに対し、テニスのエンターテインメント性はプレイの進化やそれに応じた選手の肉体の発達に置き去りにされたのだ。そして確かにカリスマ性のある選手が今はもういない。

(つづく)

先頭 表紙

そうですね、あの全豪オープンは僕も久しぶりに感動しました。先日USオープンの昔の映像(1991年)を流していたのですが、デビューして1年半のジェニーちゃんはまだ細くて可愛らしい女の子でした。イタリア系の独特の可愛さがありました。まあ今くらいのほうが体重の載ったショットが打てるのかもしれないけど。 / Hidey ( 2002-09-07 14:29 )
私もカプリアティの復帰には感動しました。すごいですよね。えーっ、ウソでしょ?って夫に言ったくらいですもの(笑)。 / 邪夢猫 ( 2002-09-04 15:40 )

2002-09-03 USオープン・テニス観戦 2

8月29日、当日。朝からボストンは大雨だった。ニューヨークも一日雨との予報。キャンセルのポリシーによると、一試合でも成立すればチケットの払い戻しはないとのこと。とにかくニューヨークまで行ってみるしかない。午前6時に小さなシビックにのって危険な雨のハイウェイをぶっとばした。

フラッシング・メドウのナショナル・テニス・センターにはメイン会場のアーサー・アッシュ・スタジアムと、サブ会場のルイ・アームストロング・スタジアム及びそれに併設されているグランド・スタンド、そして15のグラウンド・コートがある。二つのスタジアムで観戦するにはそれぞれ別のチケットが必要で、それらがあればグラウンド・コートの試合は無料で観られる。まだ一週目の平日ということで、両スタジアムともコートサイドのいい席が取れた。アーサー・アッシュは200ドル、ルイ・アームストロングは100ドルだった。

第一試合開始予定時刻の11時に間に合って着いたものの雨脚は一向に弱まらない。チケットの払い戻しや全部で900試合以上もあるトーナメントの進行を考えると主催者側としては何とか粘りたいところだろうが今日はさすがに無理そうだ。それでも正式な中止のアナウンスがないので食事をしたり土産屋をのぞいたりして時間を潰した。

午後2時頃になってようやく雨脚が弱まり、来場者の不満を解消するためかスタジアムへの入場が可能になった。僕が一番夢中になっていた頃にUSオープンが開催されていたフォレスト・ヒルズのスタジアム・コートとは異なるが、確かにそれはアメリカにおけるテニスの聖地だった。四角いすり鉢のようなスタジアムの天辺に設置された巨大なスクリーンでは1989年のジミー・コナーズ対アンドレ・アガシ戦の映像を流していた。

ジミー・コナーズ。僕がもっとも好きだった男子選手だ。テニスにもファンタジスタという言葉があるとしたらそれは間違いなく彼のことだろう。ボール・コントロールがしやすいトップ・スピンが主流になる中、肩と手首で豪快に打ち込む彼のフラット・ショットは、頑ななまでにネットすれすれに一直線の軌跡を描く。スーパー・ランニング・ショットを決めたあと勢いあまって観客席につっこみ、そのまま観客が手に持っていたジュースをゴクゴク飲んでしまう。大事なポイントをもぎとれば両の拳を突き出して天に向かって雄叫びを上げる。昔はそんなプレイヤーがいたのだ。スタジアムにまばらに散る傘を差した観客たちはみな懐かしそうに目を細めてスクリーンを見上げていた。僕の隣にやってきた60歳過ぎくらいの女性は「あら、ジミーじゃない」と目じりに皺を寄せて微笑んでいた。

1989年のアンドレ・アガシは若く精悍でおまけに獅子の鬣のような髪の毛を生やしていた。そして今と変わらない鋭いリターンや安定したトップ・スピンを放っていた。この年のUSオープンは男子はボリス・ベッカーが、女子はステフィ・グラフが制した。ステフィは前年のゴールデン・スラム(四大大会に加えてソウル五輪でも優勝)に続く大会二連覇を達成し、まさに絶頂期にあった。その頃はアガシと結婚して一子をもうけるなど想像すらしなかっただろう。彼女は華麗なフットワークで強引に回り込んで強烈なフォアハンドを叩き込み、スピードとキレが絶妙にバランスされたバックハンド・スライスで対戦相手の胸元をえぐった。ドイツ的な美徳である強固な意志に制御された極限的にアスレティックな肉体がコートに躍動していた。

(つづく)

先頭 表紙

マッツ・ビランデル、これも懐かしい名前ですね。アガシの頃は正直既に男子テニスに興味を失っていたのですが、この年まで頑張っているのを見ると応援したくなっちゃいますね。毛もなくなっちゃったし(笑)。 / Hidey ( 2002-09-07 14:26 )
アガシの試合で一番好きなのは、仏オープンのビランデルとの試合です。若さと気迫が溢れていて、いかにも彗星のごとくだったから。 / 邪夢猫 ( 2002-09-04 15:45 )

2002-09-03 USオープン・テニス観戦 1

1983年9月3日、10ヶ月間の米国高校留学のため前夜ホームステイ先の家庭に到着した僕は、時差ぼけのため午後1時頃になってようやく目が覚め、誰もいない居間のテレビのスイッチをつけて唖然とした。昼間からUSオープンテニスを生中継している。それもまだ早いラウンドだというのに。当時日本では準決勝と決勝くらいしか中継しないというのが当たり前だった。当時熱狂的なテニスファンだった僕は震えるほど興奮しながら食い入るようにテレビを観た。

大学に入ってからもテニスへの情熱は募るばかりで、学生らしくアルバイトをするようになってからは東京で開催される国際トーナメントは欠かさず観に行った。いつしかそれらのトーナメントは広告代理店によって運営されているのだと知り、僕は代理店への就職を熱望するようになった。そして僕は今の会社に入った。

ヨーロッパへの卒業旅行ではロンドンの街を軽く無視してウィンブルドンへ直行。真冬ではあったが、せめてあの緑のスタジアムの外観だけでもこの目で見たかった。併設のテニス博物館があったので入ってみると「Way to the Centre Court」という表示があった。センター・コートでの名勝負にまつわる展示でもあるのかなと表示に従って進むとそれは正真正銘のセンター・コートへの入口で、僕は何の前触れもなく客席の一角につくられたバルコニーに立ち呆然とした。テニスの聖地には僕以外誰もいなかった。心臓が大きな音を立てるのが分かった。ふと何か自分の足跡を残したいという気持ちになって、馬鹿みたいな話だけどポケットの中にあった10円玉を緑の芝生めがけて放り投げた。

入社後は奇跡的に希望がかなってスポーツ事業部に配属。テニスが好きだと口にしつづけた結果、新しい女子の公式トーナメントの運営を先輩ともども任された。トーナメント開催の権利をアメリカから買って日本の放送局に売却し、その放送局からの発注で実運営を行った。会場を決定、冠スポンサーやサブスポンサーへのプロモートをし、チケット販売、会場設営を統率した。公式トーナメントとはいえ有名選手には金銭による出場交渉をしなくてはならなかった。

1999年、もっとも敬愛するステフィ・グラフが引退し、僕はテニスへの情熱を失った。結局テニスが好きだというよりは人が、その人のプレイが好きだったのだと思い知った。足掛け20年にわたる熱が冷めたのだが、ひとつだけ心残りがあった。いわゆる四大大会のどれかひとつでいいからこの目で観戦したいという夢は果たせないままだった。

そして2002年8月28日。もうほとんどテニスへの関心が失せていた僕は、ネットのニュースを読んでUSオープンが始まっていることにはじめて気づいた。昔ならありえないことだ。そしてふと思いついた。これが最後のチャンスかもしれない。もう誰一人として僕を惹きつける選手はいないものの、夢の名残のようなものは味わえるかもしれない。次の瞬間僕はUSオープンのサイトで現在のトーナメントの状況を調べ、翌日のチケットを購入していた。9月3日には学校が始まるので早めに行った方がいいし、その日はメジャーな選手が大勢出場する予定になっていた。思いついたらその翌日にUSオープンが観られる環境にいることに今さらながら感動した。急に忘れていた高揚感が胸に蘇り、僕はいそいそと車の道順などを調べ始めた。

(つづく)

先頭 表紙

りぃなさん、一応妻には断ってからだったけどね(笑)。「そんなことになるんじゃないかと思ってた」そうでした。さすが妻。 / Hidey ( 2002-09-07 14:24 )
邪夢猫さん、このつっこみを拝見すると邪夢猫さんもそうとうテニス今日のご様子(笑)。ウィブルドンで観戦なさったとは心の底から羨ましい。ああ、グラフが活躍している頃にいけなかったのは一生の心残り…(溜息)。 / Hidey ( 2002-09-07 14:23 )
思い立ったらスグ行動!・・羨ましいデス。 / りぃな ( 2002-09-07 04:10 )
私もテニス熱狂家の夫に連れられてはじめてウィンブルドンのセンターコートに(もちろん観客席ですが)足を踏み入れた時は震えるほど感動しました。あそこにはつわものどもの夢の跡が気配として漂っているのですよね。 / 邪夢猫 ( 2002-09-04 15:38 )

2002-08-31 アマデウスの愛した街 2

作品は素晴らしかった。少なくとも、オペラに関してはまったくの門外漢である僕を、これから是非定期的に観に行こうという気にさせるほど素晴らしかった。妻も大変感激していた。上から二番目のランクのバルコニー席だったのだが、物価が非常に安いため、一人1750コルナ(約6700円)と非常にリーズナブルだ。

気づいてみればこの街が今でもモーツァルトを愛しつづけていることは至る所に見て取れた。この公演と時を同じくしてプラハ名物のマリオネット・シアターでも「ドン・ジョヴァンニ」の人形劇が演じられていた。モーツァルトの恋人であったと言われソプラノ歌手でもあったデュセック夫人がプラハに滞在中のモーツァルトを住まわせたベルトラムカ荘は、現在モーツァルト博物館になっており、ここでも連夜モーツァルトの音楽が演奏されていた。コンサート・ホールを兼ねた国立美術館や市民会館でも彼の書いたオペラ、シンフォニー、ピアノ・コンチェルトなどが演目に上がっていた。

オペラ「ドン・ジョヴァンニ」のプログラムによれば、プラハで語られるモーツァルトは決して古びた書物の中の伝説ではなく、詩人や小説家、役者、そして普通の人々が鮮やかな言葉で語り継いできた生き生きとした人間なのだという。そして飾り気のないプラハの人たちは、貴族の館や音楽家の集まるサロンを敬遠してこの街のパブに出入りし、他の客とビリヤードをしたりコーヒーを飲んで語らったりしたモーツァルトを今も熱烈に愛しているのだという。

プラハがモーツァルトを語った近年の例としては1984年にアカデミー作品賞を受賞した映画「アマデウス」が挙げられる。監督のミロシュ・フォアマンはモーツァルトの時代の面影を残すロケ地を求めてウィーン、ザルツブルグ、ブダペストを廻ったが、それらの都市の建造物が比較的新しいものばかりだったことから、彼の祖国チェコのプラハに白羽の矢を立てたという。中世の佇まいをそのまま凍結したかのようなプラハの街並は360度カメラを回しても何も手を加えなくてよいほどだったそうである。そしてこの映画の中でウィーンの宮廷劇場という設定で撮影に使われたのがエステート劇場だった。同じ時代の劇場のほとんどが戦火で焼失した中(ウィーンのオペラ座も同様)この劇場だけは1783年に木造で建てられた当時のままの姿を残しているのである。そんなことはまったく想像できないほど劇場は美しく優雅だった。

ニューヨークのメトロポリタン・オペラの今シーズンのチケットが徐々に売りに出されはじめた。モーツァルトの作品で言えば12月からは「ドン・ジョヴァンニ」が、1月からは「後宮からの誘拐」が上演される。ネットで簡単にチケットが取れるし、ニューヨークらしくそれ程気取った格好で行く必要はないというので妻とも是非行ってみようと話している。今年は勉強もそこそこに芸術を愉しむ時間も去年に増してつくりたい。


*写真はエステート劇場


先頭 表紙

マイケルさん、それはおめでとうございました!いつか日記で読ませていただけると嬉しいです。 / Hidey ( 2002-09-07 14:21 )
あ、日記にはいつか書こうと思っていたのですが2000年の2月にリベンジしています。そうそう、良くも悪くも西欧化されていました。 / マイケル ( 2002-09-04 07:44 )
りりさん、僕もニュースで見て「あのプラハが…」と思って悲しくなりました。オペラ、いい作品があったら教えてくださいね。それからプラハは美食の国でもあるのでぜひ一度どうぞ。ドイツやウィーンよりは洗練された肉料理、そしてロブスターを、ピーチやアボカドを半分に割った上に載せて香味野菜をあしらったカクテルが絶品でした。ビールも世界で一番美味しいところのひとつですしね。 / Hidey ( 2002-09-03 23:19 )
りぃなさん、ボストンもすっかり秋だよー!もう結構肌寒いです。この冬はなんか寒そう。今日から新学期。といっても今日は午後3時からイベントだけだけど。ちょっとしばらく芸術の秋はお預けかな。まずはなまった脳みそを少し慣らさないとね。そちらもよい秋をお迎えください。 / Hidey ( 2002-09-03 23:16 )
おとじろうさん、僕も「アマデウス」は好きで何度か観ています。サリエリとの軋轢と匿名のレクイエム作曲の依頼という実話を創造的に組み合わせた設定が秀逸ですね。ほんとにプラハではモーツァルトの息吹を感じたような気がしました。 / Hidey ( 2002-09-03 23:13 )
ナライフさん、仕事とは言え2週間も滞在していたとは本当に羨ましい!クラシックは全然詳しくありませんが、色々な逸話を聞くにつけモーツァルトはどんどん好きになります。さっそく何枚かCDを買ってきてしまいました。もちろん交響曲38番「プラハ」も。しかし来日公演7万円とは!NYでは一番いい席でも200ドルくらいですよ。プロモーターだか代理店だか、暴利貪りすぎ(笑)。 / Hidey ( 2002-09-03 23:10 )
lim. さん、うっとりしていただけて僕も嬉しいです。劇場は中がまたとても美しかったので、今度チラシの写真をスキャンしてアップしておきます。メトロポリタンではまずカルメンを観ようと思っています。 / Hidey ( 2002-09-03 23:06 )
マイケルさんは確かプラハは少し残念な旅になってしまったんですよね?よくも悪くも今は西欧化していますので何の違和感もなく旅を楽しめると思います。ぜひリベンジをしてみてください。そもそもプラハの春に見られるように東欧圏の中でももっともリベラルな気質をもった国民なんですけどね。 / Hidey ( 2002-09-03 23:04 )
プルーさん、「行ってみたくなった」と言っていただけるのが一番嬉しいです。オペラ、お奨めの作品がありましたら改めて教えてください。またNYに行く回数が増えそうです。 / Hidey ( 2002-09-03 23:01 )
ガス欠コインさん、ご両親のお気持ち、すごく分かります。あの街はミーハー観光客からこだわりのある人まで誰でも楽しめるところです。あまり脚光を浴びていないのが不思議なくらい。でもその程度が嬉しいかな。とっちーさん、読んでくれているだけで嬉しいです! / Hidey ( 2002-09-03 23:00 )
Ecruさん、僕はテレビやCDですらほとんどオペラ鑑賞をしたことはありませんでした。クラシックも門外漢。でも歴史は好きなので、音楽家のエピソードなどを読むのは好きだったのです。今回はオペラだけでなくクラシック・コンサートも他に三つほど行って感激して帰ってきました。趣味の幅が広がって嬉しいです。 / Hidey ( 2002-09-03 22:58 )
夢樂堂さん、僕もオペラはなにか敷居が高いイメージがあったのですが、ウィーンのオペラ座の30分程度の見学ツアーに参加したところ、一番安い席は1000円もしない程度なのだそうです。日本は敢えて敷居を高く見せているようなところがあってちょっと嫌ですね。是非気軽に行ってみてください。 / Hidey ( 2002-09-03 22:56 )
PAOさん、まさにそのとおり!あの物価の安さには申し訳ないくらい感動しました。最高級ホテルに泊まってもそんなに高くないし美味しいレストランもせいぜい二人で3000円くらい。また行きたい街です。 / Hidey ( 2002-09-03 22:53 )
むらりょうさん、トルコも羨ましいけど、是非今度はプラハに行ってください!街はどこを歩いても風情があるし、郊外には温泉もあるし。お子さんにもきっといい影響を与えるでしょうね。 / Hidey ( 2002-09-03 22:52 )
彩霞さん、はじめまして。日記を読ませていただきましたが、以前僕もいくつか読ませていただいたことがあります。大変鋭い目をお持ちでいらっしゃいますね。プラハ、満喫できなかったとは残念でしたね。本当にあの街は宝石のように美しかった。でもそれだけでなく同時に芸術を心ゆくまで鑑賞することができたというのは大いなる付加価値でした。是非また行ってみてください。 / Hidey ( 2002-09-03 22:50 )
あややん、本当にすばらしかったです。まだオペラに関しては何も知らない僕ですが、徐々にその世界を覗いていきたいと思います。ヴェルディのお奨めありがとう。さっそくイタリア人化計画に組み込みたいと思います。 / Hidey ( 2002-09-03 22:47 )
これを読んでプラハに行ってみたくなりました。でも8月の水害がひどかったみたいですね…。復旧が上手く行っているといいのですが。オペラ、私も好きです。来週は蝶々夫人を観に行きます。 / りり ( 2002-09-03 15:19 )
こちらでは秋の気配が近づいていますが、ボストンはいかがですか?これから、まさに芸術の秋、本番ですね。良いお時間を過ごされますように☆ / りぃな ( 2002-09-03 14:55 )
映画「アマデウス」は好きな映画です。悲しい終わり方が印象的というか私の中で尾を引いてます。でも今でも人々や街の中でモーツァルトが生きていることを知りなんかうれしくなりました。 / おとじろう ( 2002-09-02 15:04 )
3年前に出張で2週間程プラハに滞在したことがあり、プラハは大好きな街です。そしてモーツァルトは、僕が最も愛してやまない音楽家であり、中でも彼のオペラは無人島に真っ先に持っていきたい宝です。オペラは日本だと異常に高価なのでなかなか行けませんが、プラハにしてもNYにしても羨ましいです。かつてメトロポリタンオペラの来日公演での「フィガロの結婚」」など、7万円くらいしましよ。 / ナライフ ( 2002-09-02 14:28 )
綺麗な建物ですね。こんな所でオペラを見ることができるなんて幸せですね。ドン・ジョバンニ、久しく見ていません。トリスタンとイゾルデも観たいなあ。うっとりうっとりです。 / lim. ( 2002-09-02 13:45 )
日没後にプラハの旧市街を歩いているとまるで中世にタイムスリップしたような錯覚に陥りますよね。 / マイケル ( 2002-09-02 09:58 )
モーツァルトのオペラ大好き、です。音楽と同様陽気で楽しくメルヘン。 ドンジョヴァンニも。CH13で時々放映されるライブのオペラ、ドンジョヴァンニやってた時思わず全部見てしまいました。TVだと迫力が足りないからあまり集中できないんですが。 / プラハに行ってみたくなりました@プルー ( 2002-09-02 04:17 )
そういえば、先週、とっちーさんと会いました。時々、読み逃げしているそうです(笑)。 / ガス欠コイン ( 2002-09-01 19:41 )
オペラは僕も生で観たことはありませんが、プラハはぜひ訪れたい街のひとつです。両親が行ったことがありますが、熱く語っていたような気がします。 / ガス欠コイン ( 2002-09-01 19:39 )
オペラ、ハイライトをCDでしかありません。絶対、一度は行きたいと思ってるのだけどね。丁度6歳のころ、モーツァルトの曲を練習していて、「神童」という言葉があるのを知りました。 / Ecru ( 2002-09-01 19:05 )
オペラはまだ生で一回も観たことがありません。いいオペラはチケットがすぐに売り切れてしまうしね。一度行きたいな。 / 夢樂堂 ( 2002-09-01 16:05 )
質の高い芸術を安く鑑賞できるということは、幸せなことです。そしておいしい食べ物を安くいただけるということも。 / 走る酔人(PAO) ( 2002-09-01 11:59 )
プラハは最後の最後まで新婚旅行の候補地でした。結局、まとまった休暇を有効に活かせる(広い)トルコ旅行にしてしまいましたが、今後、チビが旅行できる年齢になったら必ず行こうと思ってます。やはり、すばらしい街ですね。 / むらりょう ( 2002-09-01 10:24 )
私はモーツァルトやオペラはあまり聴くことはありませせんが、プラハは昔より憧れの街でしたが、いざ念願かなって訪問できた時は体調が悪く、ほとんど見どころもまわれませんでした。この写真のような雰囲気の建物が多かった、と記憶しております。 / 彩霞@初つっこみです ( 2002-08-31 23:44 )
予定に入っていなかったというのに、すばらしいものをご覧になったのね。その土地その土地で、見て楽しい作品が違いますものね。ミラノに妹さんがいらっしゃるのでしたら、機会があったらスカラで是非ヴェルディの作品をごらんになってください。「ナブッコ」の第三幕、イタリア人第2の国歌とも言われる"Va!Pensiero"のあと、イタリア人の狂喜喝采を聞くのは、きっとHidey夫婦のイタリア人計画にとって価値があるでしょう。 / あやや ( 2002-08-31 13:21 )

2002-08-31 アマデウスの愛した街 1

先日の日記に書いたチェコに長年住んでいた伯母の奨めもあり、今回の旅行でもっとも長い3泊4日をプラハ観光に充てた。大きな川を挟んで城の聳える丘と市街が向き合っているところがブタペストとそっくりで、最初はどちらの地図を見ているのか戸惑ったほどだ。ドナウ川の代わりにヴルタヴァ川が流れているのだが、もうひとつ大きく異なるのは、このプラハという街はモーツァルトを深く愛し、またモーツァルトもこの街を深く愛したという点だ。

ユーレイルパスが通用しない区間の列車に乗りブダペストから7時間かけてプラハの駅に着いた我々の目に最初に飛び込んできたのは、モーツァルトの肖像を大きく使った、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」のポスターだった。オペラ鑑賞などまるで考えていなかったのだが「いいねえ、行ってみようか」と妻に話したところ妻もすぐに賛成。ホテルまでの道々何度も同じポスターや垂れ幕を目にした。どうやらこの夏プラハ一番のイベントであるようだ。ホテルに着くなりコンシェルジェで翌日の公演のチケットを予約してもらった。

このときは知る由もなかったのだが、この公演が行われたエステート劇場(チェコ語ではスタヴォフスケ劇場)こそ、モーツァルトが自らの指揮により「ドン・ジョヴァンニ」を初演した劇場だったのだ。

1787年1月にプラハを訪れたモーツァルトは、街中が彼の新しいオペラ「フィガロの結婚」に熱狂しているのを見て驚く。彼はそのときの印象をこう記している。「この街の誰もが私の作った『フィガロ』の曲をカドリール(フランスの舞踊)やドイツ舞踊にアレンジして踊っているのを、私は歓喜をもって眺めた。彼らが話すのは『フィガロ』のことばかり、彼らが口笛やトランペットで吹くのも『フィガロ』の音楽ばかりだ。皆『フィガロ』に何度も何度も足を運んで、それ以外のオペラはまったく観ようとしない。これは私にとって真の名誉だ」

彼の本来の活動の場ウィーンでは「フィガロ」はそれ程高い評価を得ていなかったため、モーツァルトの感激はひとしおだった。歓びのあまり彼はその10日後にエステート劇場で自ら「フィガロの結婚」を指揮した。エステート劇場の音楽監督のボンディーニは劇場の評判をさらに高めるためモーツァルトにオペラの新作を依頼する。当時の相場では決して高額とは言えない100ダカットでモーツァルトが請け負ったこの作品こそが「ドン・ジョヴァンニ」であった。

その荘厳な序曲にも有名な逸話がある。初演の前日、モーツァルトの親しい友人であるプラハの音楽家デュセックはモーツァルトがこのオペラの序曲をまだ仕上げていないことに気づく。デュセックはモーツァルトが以前彼に聴かせていた三つの序曲のことを思い出し、彼が気に入ったものを選んで完成を促した。

1787年10月29日、初演の幕が上がろうとする頃、観客はオーケストラの方から聞こえて来るざわめきを不審に思う。実はようやく完成した序曲の譜面がまだインクも乾かない状態のまま開演直前になってようやく配布されたのだ。オーケストラはまさに初見でこの高名な序曲を演奏したのである。プラハはさらに深くモーツァルトとの恋に落ち、歓声は果てしなくつづいた。その日エステート劇場の観客の中には「ドン・ジョヴァンニ」のモデルでもあり、モーツァルトとも親交があったというジョヴァンニ・ジャコモ・カサノヴァもいたと言われている。

(つづく)

先頭 表紙

りぃなさん、僕もはじめは相思相愛という言葉をタイトルに入れようかと思ったのですが言葉がうまく座らないのでやめました(笑)。モーツァルトという人の飾らない音楽性が当時の大仰なウィーンの文化よりは遥かにプラハにマッチしていたんでしょうね。愛した街からも彼の人となりが想像されます。 / Hidey ( 2002-09-03 22:45 )
最後の段落を読んで、ほぉっ・・・としちゃいました。まさに相思相愛なんですね♪プラハはきっと、モーツァルトにとって運命の街だったんでしょうね。。 / りぃな ( 2002-09-03 14:54 )

2002-08-27 旅と文学 2

今回の旅行は準備も慌しく、妻との妥協の産物という側面もあり、そんな大げさなテーマを掲げた旅にはならなかった。夫婦の骨休めの旅に誰がそんな厄介なものを持ち込むだろう。手にした小説もそれほど深く考えて選択したわけではなく、たまたま先日日本で購入した文庫本から三冊選んだだけだった。しかし気がつくと三冊ともドイツ人の手によるものだったというのは、確かに僕という人間の傾向を表しているのだと思う。

今回ドイツは旅の終わりに妻のある目的のためにミュンヘンに寄ったというだけだったし、「マルテの手記」などはパリに暮らすデンマークの詩人の話ということもあって、特に小説との関連性のある旅をしたというわけではない。それでも車窓の風景に、フランス軍から逃亡し身寄りのないドロテーアを連れ立ったヘルマンが「あなたの見ているのはわたしのところの家です。(中略)あそこのあの窓は屋根裏のわたしの部屋の窓で、多分あの部屋がこれからあなたの部屋になるでしょう」と語る場面が浮かんできたりする。僕と同様イタリアの健康的な精神性をこよなく愛し、二年近くにわたりイタリアを旅するも夢破れドイツに戻ったゲーテは、ドイツ国民的抒事詩の金字塔と言われるこの作品の中に密かにイタリアへの思慕を託したということだ。

最後にもう一度卒業旅行の話に戻る。ヴェッツラルを後にした僕はゲーテが人生の後半を過ごしたワイマールを訪れた。曇り空の下、人気ない公園を何気なく歩いていると、大きな廟にたどり着いた。見るとゲーテとシラーの霊廟と書いてある。地下に続く階段を下りるとそこには生涯の親友の傍らに横たわるゲーテの棺があった。まだ朝早く、僕の他に人は誰もいない。静寂の中、檻によって守られる棺の足元に僕は歩み寄った。しばらくそのまま佇みながら、自分が世界中で彼の魂のもっとも近くに立っていることに僕は感動していた。十三年前、まだ冷たく横たわっていた「壁」の向こう側の世界でのこと。今回も旧東ドイツ圏を列車で走ったが、当時の面影はまるでない。

先頭 表紙

りぃなさん、ドイツは家並がほんとに美しいところですよ!統一感のある小奇麗な木造の家が並び、どの家の窓辺にも赤やピンクの花がこぼれそうに咲いています。料理は渋いのが好みなら(ペッパーステーキ、ソーセージ、野菜の煮込みなど)いいけど、一般的には確かに美食とはいえないかもしれませんね。でもグラーシュズッペはあるよ! / Hidey ( 2002-09-03 22:42 )
lim.さん、ありがとう。今度一時帰国する妻に頼んで買ってきてもらいます。 / Hidey ( 2002-09-03 22:29 )
ドイツか〜♪一度でもいいから行ってみたい場所です。Hideyさんのイタリア人計画に対抗して、ドイツ人計画を立てようかな〜♪あ、でも美味しいご飯は必須ね。ドイツの料理文化、あんまりいい評判聞かないからな。。まずは行ってみないと!?ドイツのお料理は、いかがなんでしょう?? / りぃな ( 2002-09-03 14:51 )
はい、そのとおりです。ベルゲングリューンの作品です。短編だし、おとぎ話風で可愛いです。 / lim. ( 2002-09-02 13:42 )
夢樂堂さん、僕も学生時代は詩に傾注していました。谷川俊太郎も好きな詩人です。僕が今旅をするとしたらリルケと萩原朔太郎かな。 / Hidey ( 2002-08-31 12:14 )
ガス欠コインさん、偏るって時に大切ですね。特に僕らみたいな商売だと。何かひとつにどっぷりつかって本質を見極めた経験があればあとはそれを応用すればいいわけですからね。離れてからその場所について読むことの切ないまでの味わいはとってもよく分かります。往々にして先に街を見て後に読むという順序が正解ってこともありますね。「ニューヨーク・スケッチブック」、覚えておきます。 / Hidey ( 2002-08-31 12:13 )
Ecruさん、たしかにファウストなどは結構やっかいですけど、ここにご紹介した「ウェルテル」や「ヘルマンとドロテーア」などは非常に読みやすい作品です。特に「ウェルテル」は高橋義孝氏の翻訳が絶品です。「ウェルテル」は一生に一度は読むべき作品だと僕は(勝手に)思います。 / Hidey ( 2002-08-31 12:08 )
lim.さん、おっしゃること、とても分かる気がします。文学にしても音楽にしても、理性の裏に潜む深い情熱を感じることが多いです。ヘッセの「知と愛」という小説が好きなのですが、まさに理性と感情の調和を詠った名作で、ここにもドイツ人のバランスのよさが見受けられます。「スペインのバラ」、ネットで軽く調べてみましたがベルゲングリューンという人の著作でしょうか?ぜひ(日本語で)読んでみたいです。 / Hidey ( 2002-08-31 12:05 )
トモコさん、はじめまして。実は僕もトモコさんの文章が先日から気になっていたのですがついぞつっこみを入れられずにいました。Wetzlar、行かれたのですね。HPも読ませていただきました。演奏旅行だったのですね。思いのままに歩いていただけなのでまともな観光はできず、ちゃんとした見どころを押さえられなかったと思います。今度はバランスよく見てみたいです。これからもよろしく! / Hidey ( 2002-08-31 11:58 )
みるみるさん、偶然ですね。「統一物語」、読ませていただきました。実は1年生の終わりの「ビジネス、政府と国際経済」という授業の期末試験がドイツ統一についてのものでした。西側諸国には指標的に遥かに劣る経済状態でも一国の中ではそれなりの秩序があり、しかも東ならではの完全雇用システムがあったわけだし、EU統合をあせりハイレベルな経済指標を維持しようとする旧西ドイツとの統一は相当に歪みを生んだようですね。それを覚悟してまで東の人たちは自由を渇望したということですね。 / Hidey ( 2002-08-31 11:56 )
夢樂堂は旅に出るとき、谷川俊太郎の詩集を持っていきます。旅をしていると深く読めますからね。 / 夢樂堂 ( 2002-08-31 08:14 )
僕も偏った人間なので、よく気持ちがわかります(笑)。僕の場合、大学4年に上がる前に1ヵ月、アメリカ本土を回った時、女友達から貰った、ピート・ハミルの「ニューヨーク・スケッチブック」が印象に残っています。NYに一週間いて、離れてから読むようになったもので、感慨深い気分になった記憶があります。 / ガス欠コイン ( 2002-08-29 14:05 )
何かしらテーマのある旅というのは、素敵ですね。はずかしながらゲーテの本は、ひとつも読んだことがありません。難しそうで…。 / Ecru ( 2002-08-28 21:13 )
今大学時代の友人が、ドイツに語学留学しているんです。ドイツは言語を学ぶ限りでは厳格で規範的な雰囲気を感じますが、実際にはかなり情熱的なところなのかも、などと思いを馳せてみたり。 ドイツ文学といえば、誰の作品か忘れましたが『スペインのバラ』という短編を原典で読みました。なかなかの代物です。 / lim. ( 2002-08-28 07:55 )
わぁ、Wetzlarだなんて!実は私の大好きな町だったりします。ゲーテが云々なんていうのは全く知らずに行ったのですが、こじんまりしてていい感じですよね♪ / トモコ ( 2002-08-28 04:20 )
住んでいたところは別のところでした。駄文で誠に申し分けないのですがもし良かったら前に本家日記に東ドイツの事を書いているのでごらんになってください。統一物語 / みるみる@Atelier ( 2002-08-28 00:40 )
実はそこで勉強していました(笑)あまりの偶然にびっくり。とても素敵な文章ですね。あのころの懐かしい想いが湧き上がってきました。私も公園はよく散歩しました。日本人はまだ私が最初といっていいほどいなかったのですがとても好きな街で得るものは多かったです。旧東ドイツ人の葛藤と優しさにも触れることが出来ました。また懐かしい思い出をありがとうございます。 / みるみる@Atelier ( 2002-08-28 00:35 )
たらママさん!さっそくいらしていただいて嬉しいです。欧州デビューでパスポート!おめでとうございます。今度はご主人にあまり妥協せず好きなところ沢山行ってきてくださいね(笑)。ゲーテハウスは僕も行きました。 / Hidey ( 2002-08-28 00:07 )
ゲーテといえばフランクフルトのゲーテハウスに行ったことを思い出します。私は文学とはどんどん疎遠となっていますが。近々仕事で欧州デビューすることになり、パスポートを再び取得することになりました。Hideyさんも頑張ってください。 / たらママ ( 2002-08-27 20:43 )

2002-08-27 旅と文学 1

今回の旅行に際し僕は三冊の本を鞄に入れた。ゲーテの「ヘルマンとドロテーア」、リルケの「マルテの手記」、ヘッセの「郷愁」だ。はじめにお断りしておくが、僕は読書家というには程遠い人間だ。その分せっかく何か本を手にしたからにはそれが駄作だったり時間の無駄だったりすることには耐えられない。ことに大学時代に文学論の授業を取ったとき「文学は五十年の風雪に晒されてはじめてその真価が分かる」という尊敬する教授のひとことを聞いてからは、現代文学はめっきり読まないという非常に偏った人間になった。(この教授が唯一例外として挙げていたのが当時「羊をめぐる冒険」を書いたばかりの村上春樹だった)

自分自身の単純さと言ってしまえばそれまでだが、小説の背景となった国や街を旅することは、確かに作家の言葉や行間の思いをよりよく吸収することに役立つ気がする。

大学の卒業旅行の目的のひとつはゲーテの「若きウェルテルの悩み」の舞台となったヴェッツラルを訪れることだった。この小説をはじめに読んだのは高校三年のときだったが、それ以来常にこの作品は僕の中で特別な位置を占めていた。フランクフルトからそう遠くないこの小さな町に二十二歳のゲーテはドイツ帝国最高法院の見習いとして赴任し、既に許婚のいる身であるシャルロッテ・ブフに運命的な恋をする。しかし当時の世の掟により思いを遂げられないゲーテはヴェッツラルを去り、間もなく耳にした旧友の自殺に啓示を得てこの悲劇的な作品を著した。小説中ではワールハイムという仮名を与えられ、ウェルテルが愛しいロッテを求めて訪れたこの町を二十二歳の僕はひとり歩いた。

せわしなく列車を乗り継ぎながらも僕は三度目になるその小説をわき目も振らずに読みつづけ、夕闇の迫るヴェッツラルに到着するのとほとんど同時にそれを読み終えた。ウェルテルの壮絶な死にまだ気持ちが高ぶったまま僕はプラットフォームに降り立った。二月の冷たい雨の中、ウェルテルがロッテを思い描きながら眺めた美しい谷を下った。小説の描写と同じくその傍らに植えられていた菩提樹の下で、ゲーテの時代から立っていたと思われる古い教会が、蒼い夜空を背に濡れた石壁を黄色い街灯に晒す姿を暫く見つめていた。駅近くの小さな料理屋で強い酒を飲みすぎた僕は勝手のよく分からない町を彷徨い、何度か嘔吐しながらふらふらになってユースホステルを目指した。「わが美しかりし姿を見しさすらい人はきたるべし、きたりてわれを野面に求めさすらうべし。されどわれを見いださざるべし―」ウェルテルが最後にロッテを訪ね、自らの運命をケルトの古歌オシアンに重ねて朗読する場面が何度も蘇った。この旅の後僕はこの古典的名作をさらに深く愛するようになった。

(つづく)

先頭 表紙

↓「列車の旅というよりは」→「列車の旅は旅情というよりは」 / Hidey ( 2002-08-31 12:49 )
邪夢猫さん、そうそう、宿も行き当たりばったりで上限8000円程度。列車の旅というよりはマストでした。でもそこから学んだことは他の旅からまなんだことの数十倍大事なことでした。たった3週間弱の間に沢山の出会いや学びがありました。酔っ払ってユースホステルで寝ていたら、ドイツ人の女の子が他の男と間違えて僕の毛布をめくったりと、結構面白かったです(笑)。 / Hidey ( 2002-08-31 12:24 )
misatoさん、村上春樹は却って読みやすい作品のように思えてしまうのですが、独特の比喩とかが難しいのかな?いずれにしても現代の日本語の模範となりうる彼の文章は言語学習には適しているでしょうね。今度は英訳された彼の作品を読んでみようと思います。こちらに10作近く出てますので。 / Hidey ( 2002-08-31 12:19 )
Ecruさん、ほんとにそんなに読まないんですよー。「ねじまき鳥」、結構疲れますよね。つらい部分っていうの、すぐ想像が沸いてきます(笑)。あの本はアメリカでも相当評価が高いです。 / Hidey ( 2002-08-31 12:16 )
あぁ、若い頃の自由なそれでいてお金のない旅行っていいですよね。もう二度とあのようなことはできないだろうけれど。若きHideyさまの悩み?(笑) / 邪夢猫 ( 2002-08-30 05:36 )
ミサトもEcruさん同様、Hideyさんはぜったい読書家というイメージがあるのですよね・・。日本語を習得した(読み書きOK)海外の知人が村上春樹に挑戦したと言うので、どうだった?と聞いたところ「とてもとても難しい・・」との事でした(笑)。 / misato ( 2002-08-29 12:07 )
なんとなく読書家のイメージが…。村上春樹氏の、「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいるところです。すっかり体力もついてきて、つらい部分もあわてずさわがず読んでいます。 / Ecru ( 2002-08-28 21:06 )
プルーさん、それは確か死後三十年を経過した作家ということではなかったでしょうか。「ノルウェイ」の永沢さんですね。教授の話と似通っていたのでかなり印象に残っています。まあでも誰もが同じように思うほど最近の小説は屑ばかりですけどね。 / Hidey ( 2002-08-28 00:05 )
「五十年の風雪に」うんぬんは村上春樹の小説にも出てきてたような、、、。もしかして、同じ教授の影響でしょうか。。 この文章もまた、彼の小説を読んでるみたい。私は旅には本を持って行くことはあまりないです。ガイドブックなどですでに重くなっているからという実際的な理由もあるのですけど、飛行機は別にして、電車などでは外をぼんやり眺めているのが好きだから。この前の帰国した際も日本の風景も飽きることはなかったみたい。 / デイドリーム趣向あり@プルー ( 2002-08-27 21:04 )

2002-08-23 幻のスープ <修正版レシピ>

先日の日記の文面から賢明な読者の方々はお気づきかもしれないが、実はウィーンで入手したグラーシュズッペのレシピをまだ僕は実践してつくってはいなかった。早速参考につくってみたいとおっしゃるつっこみがいくつかあったのでこれはまずいと本日実際につくってみた。途中何度も味見をしながら試行錯誤で舌の記憶に近づけたのだけど、その結果かなり初めのレシピから修正すべき点が見えてきたので責任上もう一度このスープのつくり方を書こうと思う。

煮込み始めてまず発覚したのが、当所では刻んだドライのものしか入手できないマジョラムが、牛肉の灰汁とともに浮いてきてしまうということ。マジョラムは灰汁を取ってから入れよう。

次に、味見をしたところちょっと味けがなさ過ぎる。急遽パプリカをはじめに入れたのと同量足して、そのあと妻が味見をした結果、野生の勘で冷蔵庫にあった市販のトマトスープを入れて正解。一気に味とコクが出てきた。トマトスープの代わりにトマトピューレと固形のビーフブイヨンを加えてもいいだろう。ちなみにアメリカのYahoo!で調べたレシピでは確かにホールトマトを使ったりしている。

そして60分煮込むとレシピにはあったが、忠実に実行すると僕が初めに書いたどろりとしたシチューになってしまうこと請け合い。40分〜45分程度で止めておくのがよいと思われる。また心配していたとおり、煮込む前からサイコロに切ったジャガイモを入れるというのは失敗だった。最後はほとんど溶けてしまっていた。せいぜい火を止める20分くらい前に入れたほうがよいだろう。

最後に塩加減。出来上がりは妻も合格をくれるほど美味しかったのだが、正直少ししょっぱかった。途中で入れたトマトスープに塩分が含まれているものの、初めに1ティースプーンの塩というのは少し多かったようだ。

ということで、修正版レシピは以下のとおり。

<グラーシュズッペのつくり方(2人分)>
・サイコロ状に切って塩と胡椒を振った牛肉200gを2テーブルスプーンのオイルで焦げ目がつくまで強火で炒める。
・牛肉を一旦取り出し、残ったオイルで薄切りにしたたまねぎ大半個分を弱火でよく炒める。
・パプリカ3テーブルスプーンを混ぜてさらに炒める。
・牛肉を戻し入れ、小麦粉1テーブルスプーン、トマトピューレ100g、固形ビーフブイヨン、水1カップを足して中火で煮る。
 (粉末状のマジョラムが入手できればここで1ティースプーン加える)
・水2.5カップを足し煮込む。20分ほどしたらサイコロ状に切ったジャガイモ1個分を入れ、さらに20分ほど煮込む。
 (刻んだ乾燥のマジョラムしか入手できなかった場合は、牛の灰汁を取った後に1ティースプーン加える)
・最後に塩、胡椒で味を調えてできあがり。

フィレンツェのエノテカ・ピンキオーリで帰り際にお土産としてもらった赤ワインをあわせて飲んだが相性はばっちり。主食は真っ赤に熟したトマトでつくったspaghetti all'arrabiata。夫婦ともに幸せな夕食になった。

lim.さん、azzurriさん、もし既につくっちゃってたらごめんなさい。これでかなり美味しくなると思います。さあもう一度、召し上がれ。


先頭 表紙

ナライフさん、料理をされるとは知りませんでした。適当にアレンジしてみてください。 / Hidey ( 2002-08-31 11:43 )
鐵子さん、わざわざおつくりいただいて嬉しいです!まさにパプリカが決め手。本来はハンガリーのパプリカをつかうべきだそうです。この本にはスウィート・パプリカかスパイシー・パプリカか明記されていなかったのですが、アメリカのサイトではスウィートとなってました。でも僕の味の記憶だとスパイシーで正解だと思います。オレガノはマジョラムと同属だそうですね。問題ないと思います。 / Hidey ( 2002-08-31 11:39 )
遅いつっこみで申し訳ありません。あまりにおいしそうですね!! 作ってみます。 / ナライフ ( 2002-08-27 19:01 )
先週の木曜日につくってみました。オーストリアで食べたことはあったのですが... パプリカが決め手かなぁ なんて思いました。マジョラムがなかったので オレガノを入れて.. おいしくできたのは Hideyさんのレシピのおかげです! ごちそうさまです! / 鐵子 ( 2002-08-27 17:57 )
lim.さん、さすがです!僕もほんとはそれほど牛肉は好きではないのですが(しかも悪名高きアメリカ牛)。リブロースを使ったらなかなか柔らかく美味しくできました。最近はじゅくじゅくの生トマト(水煮缶ではなく)をきちんと湯剥きして種を取ってつくるポモドーロ・スパゲティに夢中です。 / Hidey ( 2002-08-27 17:53 )
綺羅さん、僕は数えるほどの料理しかつくれません。自分の好きなものばっかり。しょせんは自分勝手なのです(笑)。ところで日記お辞めになるとのこと。せっかく交流させはじめていただいていたのに残念です。でも綺羅さんらしい潔い辞め方なので納得してお送りさせてください。お忙しい別件の方、頑張ってください。またいつか遊びに来てくださいね。 / Hidey ( 2002-08-27 17:50 )
パンドラさん、そうですね、この料理だけはいかにパンドラさんでも赤ワインがいいかも(笑)。お風邪、治られたようでよかったです。やっぱり愛情料理が効きましたか? / Hidey ( 2002-08-27 17:46 )
まる子さん、ドイツに住んでらしたんですか!屋台のグラーシュズッペって一度飲んでみたい!そう、僕もドイツ語名で覚えた料理だったのでせいぜいオーストリア料理かと思っていたらもとはハンガリーなんですね。まあパプリカの国ですからね。是非つくってみてください。 / Hidey ( 2002-08-27 17:45 )
azzurriさん、よかったー!責任感じちゃってましたよ。そうですね、9月になったらちょうどいい季節かもしれませんね。ウィーンに行くときはお知らせください。幻のスープのお店をお教えします。 / Hidey ( 2002-08-27 17:43 )
和代さん、はじめまして。僕も某所での和代さんのつっこみにとても気がまわって思いやり深い方だな、と思っていました。逆立ちなんてとんでもない。これはご覧のとおり簡単レシピですので是非お試しあれ!これからもよろしくお願いします。 / Hidey ( 2002-08-27 17:41 )
XiXiさん、はじめまして。実はあまり濃厚にはしたくなかったのですが。。。火加減失敗しました。また試してみます。ところでXiXiさんのページ、ハードコアでいいですね(笑)。あんないいページがあるとは気づきませんでした。渋谷陽一とか、懐かしい。 / Hidey ( 2002-08-27 17:36 )
TAKEさん、すごく美味しかったです!ほんと、この料理はいくらでもアレンジ可能ですから、色々試してみてください。 / Hidey ( 2002-08-27 17:34 )
みるみるさん、こちらこそさっそくお試しいただきありがとうございました。グラーシュズッペにまつわるみるみるさんのお話も読めて嬉しかったです。東ドイツはワイマールに行きました。そのことも書いた日記、アップさせていただきます。 / Hidey ( 2002-08-27 17:33 )
みなみさん、おいしかったよ。安ワインでもばっちりおいしいはず。一度は目で見た記憶だけで店外で再現しようとしたのですが二人とも記憶力が衰え、結局戻って堂々と書き写してきてしまいました(笑)。 / Hidey ( 2002-08-27 17:31 )
oggiさん、便利な夫です。妻は何もつくりたくないとき僕の数少ない得意料理を食べたいとのたまいます。さっぱりラザニア、いいですね。僕なら赤唐辛子をいっぱい刻んでかけてしまいそうだけど。 / Hidey ( 2002-08-27 17:29 )
スーパーしえろさん、ほんとにいろんなところに行ってらっしゃいますね。確かにハンガリーの味噌汁かもしれません。ちょっと今回ハンガリーはほとんど時間がなくて残念なことをしたのですが。でもパプリカだけは本場のを買ってきましたよ。 / Hidey ( 2002-08-27 17:27 )
邪夢猫さん、ご無沙汰していました。ほんと、人生でも今しかないという感じで旅行してしまいました。たまたまもう二度とないような泡銭をつかんだこともあって(笑)。お米ねえ。それも美味しそうですね。シチューもご飯にかけるとおいしいですもんね。 / Hidey ( 2002-08-27 17:25 )
Ecruさん、もう幻とは呼べませんね。でもやっぱり向こうで飲んだのはあっさりしているのに味がよく出てて、僕のつくったのより相当おいしかったです。自分では完全に真似できないくらいがちょうどいいかもしれませんね。 / Hidey ( 2002-08-27 17:23 )
しゃどうさん、二つ目のつっこみによるともう作っていただいたようですね。ごめんなさい、お返事が遅くなって。もう解決済みかと思いますが、ブイヨンはbouillon、でもよくスーパーで売ってるbeef brothってやつでいいですね。マジョラムはmajoramですね。これの完全に粉末になってるのが欲しいんだけど、僕のところにはないのです。 / Hidey ( 2002-08-27 17:21 )
夢樂堂さん、僕はまた器用じゃない方なのでよけいに真剣な顔になってしまうかも。でも大概ボサノバとか聴きながら気楽にやってます。 / Hidey ( 2002-08-27 17:18 )
PACHIさん、いらっしゃいませ。そして改めてレシピを実践いただきありがとうございました。僕は実はあまり牛は食べない方なのですが。これだけは特別。ヨーロッパでも牛ばっかりでそろそろ頭がスポンジ? / Hidey ( 2002-08-27 17:15 )
reiちゃん、これはいけるよ。僕のはどろっとしすぎたのでPACHIさんやみるみるさんの日記もご参照。 / Hidey ( 2002-08-27 17:13 )
misatoさん、これは僕も安定させるまでは時間かかるかも。こちらのアパートはまた電熱器なので火加減が難しいのです。是非つくってみてね! / Hidey ( 2002-08-27 17:09 )
akemiさん、そんな、プロの方に言われるほどの懲り方じゃないです(笑)。思いはたっぷりこめましたが。 / Hidey ( 2002-08-27 17:05 )
御心配には及びません。味見ながらホールトマトも入れたし、灰汁もとったし。おいしかったです。勿論お肉は食べてもらいました(笑)。 / lim. ( 2002-08-27 13:13 )
料理のできる男性はいいですね♪相方のためにも作って見ましょうかね(笑) ところで、日記止めることにしました。今までいろいろなつっこみありがとうございました。 / 綺羅 ( 2002-08-26 21:53 )
Hideyさまのお料理なら、必ずやワインが喜ぶはず!^^ これをいただく時は、絶対ビールはやめてワインにしよう。 アア、そろそろスープが美味しい季節だもんね^^ / パンドラ ( 2002-08-26 21:23 )
美味しく召し上がらせていただきました。ご馳走様でした。 / しゃどう@頬が緩みます。 ( 2002-08-26 18:15 )
昔々ドイツ(西ドイツの頃)に住んでいましたが、大好きでよく飲んでいました、グーラッシュズッペ!寒い冬に市場の屋台で飲んだり、旅行帰りアウトバーンの寂れた休憩所で飲んだり。それにしても今の今までドイツのものだと思っていました。何せ”ズッペ”ですし。(当たり前だ)私もぜひ作ってみます! / まる子 ( 2002-08-26 17:25 )
まだ作ってませんでした(笑)!もう少しひんやりしてきたら、作ろうと思っていたので、、、本場のお味もぜひ試してみたいです♪ / azzurri ( 2002-08-26 16:20 )
プルーさまの日記から飛んできました。すごい!毎日焼き魚に煮物和え物程度の台所しごとの私。逆立ちしても作れない食べられないですわ。(笑)おおよそ別世界にお住まいの方の日記ってとても楽しいですね。また来させてくださいませ。 / 和代@はじめまして。 ( 2002-08-25 20:38 )
すてきな思い出話とともに、美味しいレシピありがとうございました。さっそくつっこみいただいて、感激でした。マジョラム以外のハーブでも美味しくできましたよ。次は濃厚版に挑戦してみたいです〜。 / PACHI ( 2002-08-25 20:04 )
うわぁ〜♥濃厚でおいしそうで、ついツッコミたくなってしまいました(笑)。 / X i X i@お初まして♪ ( 2002-08-25 18:45 )
すごく美味しそうです(ごきゅん) 自分に出来る範囲にアレンジして挑戦してみたいです! / TAKE ( 2002-08-25 15:18 )
実はうちでも昨日の夕飯に早速作ってみました。こんなところで思いもかけずレシピに出会えて嬉しいです。ありがとうございました!美味しくいただきました。 / みるみる@Atelier ( 2002-08-25 13:40 )
うわー、おいしそう。今お腹がすいているのでなおさらです。ほんとに、おいしいワインが合いそう。 それにしても、お店でメニューを写し取るなんて、Hideyさん夫妻、なかなかやりますね。(笑) / みなみ ( 2002-08-25 10:40 )
Hidey様。お料理までやってしまうなんて素敵すぎるわっ!私は明日、カッテージチーズも入れたさっぱりラザニアを作る予定なの。 / oggi ( 2002-08-25 01:07 )
卒業旅行でヨーロッパに行ったとき、オーストリアではこのグーラッシュズッペばかり食べてました。貧乏旅行だったのでレストランにはめったに行けませんでしたが、チェーン店(オーストリア版マクドナルド、いや、吉野屋か)とこにもありました。ハンガリーのみそ汁みたいなもん?さっそく作ってみます! / スーパーしえろ ( 2002-08-24 12:48 )
お久しぶりです。とても充実した、今やるしかない!って感じの夏休みをお過ごしになったのですね。ご夫婦でキッチンに立ってらっしゃる姿が目に浮かびます。ハンガリー人の友人はこのスープの中にお米を入れたりしていましたよ。 / 邪夢猫@やっと夏休み明け ( 2002-08-24 03:36 )
おいしそう!これで、幻のスープが、いつでも楽しめますね。わたしも試してみようと思います。マジョラム探さないと。 / Ecru ( 2002-08-24 00:30 )
これは、、、美味しそうなので、試させていただきます。あの、それと、もしよろしかったら、ブイヨン、と、マジョラムの綴りを教えてください。材料、売ってるかな? / しゃどう@美味しそう。 ( 2002-08-23 19:13 )
料理していると、夢樂堂は真剣な顔をしているといわれるけど、これを見るとHideyさんもそうなんだろうな。 / 夢樂堂 ( 2002-08-23 17:41 )
ビーフシチュー系のお料理に見えるけれども、「スープ」というからにはサラサラ感を目指すのがポイントなんですね。牛肉の煮込み系が好きなので、思わずレシピをコピーさせていただいてしまいました。週末はこれに挑戦してみましょう。(^^) / PACHI@初めまして。 ( 2002-08-23 16:21 )
わ〜、すっごいおいしそうだ〜。私も作ってみます! / rei ( 2002-08-23 15:25 )
とーってもおいしそう!!これはHideyさんレシピを参考に早速作って、練習に練習を重ねて味を毎回安定させなくちゃ!(笑)。完璧ミサト好みのお料理です♪ / misato ( 2002-08-23 15:18 )
凝り性ですね〜^^ 好きな方はとことんやるからなあ〜、まいるわ。あ〜まじ美味しそう。↓でおはなし聞いてるからなおさらね♪ / akemi ( 2002-08-23 14:54 )

2002-08-21 幻のスープを求めて 2

場所的にはこの辺だったのではと記憶するあたりを二人でうろうろしていたら、とうとう妻が「あった!」と叫び僕を引っ張っていった。見ると店の名前は全然違うがその写真とまったく同じ舞台、同じ文字を刻んだ梁が店の奥に見えた。店の名と思った文字は実はドイツ語の一般名詞だったらしい。間抜けな話だ。

いよいよ再会とメニューをめくった僕は唖然とする。そこには10ユーロ程度のGoulaschとは別に3ユーロそこそこのGoulaschsuppeというものがあった。ドイツ語を学んだ方はお分かりだろう。Suppeというのはスープという意味で、実は僕たちが血眼になって探していたのはグラーシュではなくグラーシュズッペという名のまさにアペタイザーとして飲むスープだったのだ。注文してみたら正に正解。涙の再会を果たせたわけだが3年間の無知に二人は苦笑した。

それからというものウィーンの残り2日、そしてグラーシュ(及びズッペ)の故郷ブダペストでもこのスープを注文しつづけた。店によってはパプリカが強かったり小麦粉が多めだったりしたもののやはりみんな美味しい。でもやはり最上はこのホイリゲのものだった。今度は迷わないようにと僕たちはこの店の名前の入った写真を撮っておいた。

ウィーンを去る前日、王宮を見学して外に出ようとしたとき、お決まりの出口近辺の土産コーナーで妻が立ち止まり何やら手にとって凝視していた。何かと思うとオーストリア料理のレシピを満載した本で、彼女は早速グラーシュズッペのページを開けた。1000以上ものレシピが載っている本をこのスープのためだけに買うのもばかばかしいので、二人で協力してレシピを写し取った。店の人に怪しまれながらも何とか成功。グルメな読者の皆さんのためにここでご紹介しよう。多分色々なつくり方がある中でもっともシンプルなレシピだと思うので、これが僕の愛した味とは思わないように。

<グラーシュズッペのつくり方(2人分)>
・サイコロ状に切って塩と胡椒を振った牛肉200gを1テーブルスプーンのオイルで焦げ目がつくまで強火で炒める。
・牛肉を一旦取り出し、残ったオイルで薄切りにしたたまねぎ大半個分を弱火でよく炒める。
・パプリカ1.5テーブルスプーンを混ぜてさらに炒める。
・牛肉を戻し、小麦粉1テーブルスプーン、塩1ティースプーン、マジョラム1ティースプーンを混ぜ、水1カップを足し中火で煮る。
・水2.5カップを足し、サイコロ状に切ったジャガイモ小1個分を入れ、1時間煮込み、塩、胡椒で味を調えてできあがり。

さあ、召し上がれ。

先頭 表紙

え、何か書いてありましたっけ?全然分からなかった(もしくは気にならなかった)なー。 / Hidey ( 2002-08-31 11:35 )
↓いや、もしや…?と思って聞いたんですけど、まさか、そうだとは…。(驚) だとすると、この間の、私の例の日記の後者に、不快に思われるような言葉が含まれてたことをお詫び申し上げます。しかも、お初だったのに、すみません。 にもかかわらず、冷静なHideyさんはホントに素晴らしい方ですね。←決してお世辞ではないです。(笑) / panda ( 2002-08-29 01:49 )
pandaさん、師匠だけは勘弁。そういうのはだめなんです。エンジ色、正解。でも何で知っているのでしょう?断片的な事実は書いても一文だけ読んで分かるようなヒントは書いた記憶がないのですが。。。 / Hidey ( 2002-08-27 16:57 )
↓また、わけ分からないつっこみしてしまいました。しかも、また、日記の内容に関係ないつっこみ、すみません。 私のつっこみ、削除してかまいません。 ホントに、申し訳ありません。 こんな奴ですけど、今後もよろしく。 / panda ( 2002-08-24 00:49 )
いろいろとアドバイス、ありがとうです。参考にさせてもらいます。結論は、もう少し先になると思います。 それと…、師匠って呼んでいいですか?(笑)いきなりすみません。 で、(さっそく?)師匠〜。師匠は…、エンジ色のガッコ出身ですか?(汗)あっ、変なこと聞いてすみません。 / panda ( 2002-08-24 00:47 )
azzurriさん、妻とは結構価値観が違うはずなのに、舌の構造だけはよく似ているようです。ホイリゲではグーラーシュズッペとともにウィーン名物の牛のコンソメも絶品でした。今度はそれもレシピを覚えたいと思います。lim.さんと同じく、もし早くもこの料理つくってしまってたらすみません。修正版のレシピを改めてアップしておきます。 / Hidey ( 2002-08-23 12:59 )
Emikoさん、ごめんなさい。酔ってて順番を抜かしてしまいました。なんとハンガリーの先生に習ってらっしゃるとは!ぜひぜひ本場のグーラーシュズッペ(ハンガリー語ではちょっと違いますが)のレシピを今度は教えてください! / Hidey ( 2002-08-23 12:57 )
みるみるさん、はじめまして。ドイツに留学なさっていたのですか。今回はドイツはほとんど回れませんでしたが僕個人はいくつかの理由からとても好きな国です。レシピ、ちょっと修正したものをアップしますのでそちらを参考にしてください。 / Hidey ( 2002-08-23 12:55 )
ブチョー、あの麻婆は陳建一氏のレシピそのままなので誰がどうつくっても本当に美味しいですね。一昨日妻のリクエストで久しぶりに僕もつくりました。こちらはちょっと肉の臭みが強いので、よく炒めるのがコツです。個人的に羊は苦手かな。噂のブチョーの料理も食べたいです! / Hidey ( 2002-08-23 12:53 )
lim.さん、ごめんなさい!もしそのままつくっちゃってたら。日記を書いた後に自分で作って相当味を調整しました。でも賢明なlim.さんのことだから味見しながらご自分なりに調整されたのではないかと勝手に想像しています。だけどlim.さん、肉は食べないんじゃなかったっけ?エキスだけで肉自体はR氏が食べるのかな? / Hidey ( 2002-08-23 12:50 )
あややん、やっぱり!?サウンド・オブ・ミュージックを巡る旅をしたって書いてたもんね。僕も書いたかどうか忘れたけどハネムーンではウィーンに行く前にザルツブルグをたっぷり満喫しました。もちろんサウンド・オブ・ミュージックゆかりの場所もね。 / Hidey ( 2002-08-23 12:46 )
ガス欠コインさん、僕も今回フィレンツェの小ぢんまりとた美味しいリストランテで食べたトリュフのタリアテッレが大ヒットでした。確かにリゾットも美味しそう。ペルージャ、次は絶対行きたいところです。日本人選手も在籍していそうですね。 / Hidey ( 2002-08-23 12:44 )
プルーさん、いえいえ、ご指摘のとおりブイヨンはあった方がよいようです。アメリカのyahoo!で検索したレシピだとbeef brothをたっぷり入れるように書いてありますし。ボロネーゼ、ぼくは一つ覚えでラ・ベットラの落合務師匠のレシピでつくっています。それによるとひき肉の他はトマト、たまねぎ、にんじん、セロリ、にんにく、ローズマリー、セージ、タイム、ローリエ、赤ワインで済むようです。店ではブロードなど入れるんでしょうね。 / Hidey ( 2002-08-23 12:42 )
マイケルさん、そうそう、本場ハンガリーの言葉ではグイヤーシュとなるようですね。僕はドイツ語圏のウィーンで食べたのでグーラーシュでしたが。メインディッシュも慣れれば美味しいと思います。よっぽど牛がお好きなようなら。でも決まってつけあわせで出てくるあの炭水化物ばりばりの白い物体(名前不明)はちょっと勘弁です。 / Hidey ( 2002-08-23 12:38 )
はじめまして。私はドイツに留学していた事もあってとても懐かしいです!ドイツ人が作ったものも食べたことがあるのですがレシピを聞かずじまいでした。是非今度作ってみたいと思います。 / みるみる@Atelier ( 2002-08-23 10:44 )
そういえば教えてもらった麻婆豆腐も美味かった。今や私の定番レシピ。でも羊の肉でやると更に美味いっす。お試しあれ。 / ブチョー ( 2002-08-23 10:08 )
奥様と二人で忘れられないスープを求めて、旅をされるなんて素敵ですね!本屋さんでレシピを二人がかりで写し取るお姿を想像すると、すごく微笑ましくて、羨ましいです♪幻のスープ、レシピ試させていただきますね〜! / azzurri@楽しみ♪ ( 2002-08-22 16:05 )
今習っているハンガリーの先生にマンマのスープの作り方を一度聞いて見ますね。 / Emiko ( 2002-08-22 15:50 )
今夏バテ中で固形物を食べられないので、今日はこのレシピを試してみま〜す。楽しみ楽しみ。運命のスープなんですね、きっと。 / lim. ( 2002-08-22 12:54 )
そういえば、ドロっとした感じのが出てきたときもありました。あれはベツモノだったのか・・。ドイツ語は挨拶とバウムクーヘンとオペラの歌詞しかわからん私は「お店によって色々違うのねぇ」などと思いながら食べてました。勉強になりました。 / あやや ( 2002-08-22 09:47 )
グラーシュ!私もほれ込みました。どうやら、私が食べたのも、suppeだった模様。オーストリア滞在中、毎日のようにオーダーしてました。ブダペストでも食べまくるゾ! / あやや ( 2002-08-22 09:45 )
僕はペルージャで食べた、トリュフの入ったリゾットの味が忘れられません。僕だけが注文し、分けてあげた仲間達が「しまった」と言った究極の味。今度行った時に見つかるかな。これなら僕でも創れそうですね。ご夫婦の思い出も効いた、いい話しでした。 / ガス欠コイン ( 2002-08-22 09:09 )
ブイヨンも入れないんですね。すごくシンプル。食べ物の不思議ってありますよね。私の場合ボロネーゼパスタ。ボローニャで食べたそれは、ぼろぼろっと肉だけでソースのない素朴な味でした。でもレストランで食べる味には何かがはいっていると思わせるものがあるんですが、まだ分かってません。ミラノのペックで売ってるミートソースの味はまさにそう。NYのレストランでも似たような味。でも家で作ると、、、。同じに出来ないんです。ふふふ、レシピをコピーしてるお二人の姿、微笑ましいです(私もやったことが)。 / プルー ( 2002-08-22 03:38 )
グイヤーシュともいいますよね? 確か「エド・ウッド」と言う映画の中でドラキュラ専門役者ベラ・ルゴシ(実在の人物、ハンガリー出身)が病床で「グイヤーシュを食べたい」とうわごとをいうシーンがありました。そっちは多分メインディッシュの方だと思うんですけど。 / マイケル ( 2002-08-22 00:36 )

2002-08-21 幻のスープを求めて 1

この3年間僕と妻は幻のスープを追ってきた。グラーシュ・スープというもともとはハンガリーのスープである。3年前の7月僕たちは新婚旅行でウィーンを訪れ、このパプリカが効いた汁気の多いさっぱりしたビーフシチューのようなスープに出会い、なかなかいけるねといくつかの店で注文を重ね、ついにウィーンの森と呼ばれる地域の入り口に当たるグリンツィングという町で究極のグラーシュ・スープに出会った。

ヨーロッパに詳しい人ならご存知かと思うが、このグリンツィングという町は、ホイリゲと呼ばれる夏場だけ開いてその年のワインを飲ませる田舎風レストランが鈴なりになっていることで有名な町である。大抵は高い木が屋根のように覆いかぶさる広い中庭にテーブルを並べ、ちょっとした楽器演奏などを聴かせる店になっている。僕たちは50軒以上はあろうと思われるグリンツィングのホイリゲからたまたま選んだ店に入り、パプリカの効き具合といい汁加減といい牛のコクの出具合といい、非の打ち所のないグラーシュ・スープに出会ったのだ。

日本に帰り、二度オーストリア料理店を訪れたことがあった。もちろんグラーシュ・スープに再会するためだった。一度目は有楽町の某店。さらっとして綺麗なオレンジ色をしたスパイシーなスープを心待ちにしていた僕たちは、かなり小麦粉とオイルがどろっと効いた正に濃い目のビーフシチューが出てたのに目を疑った。食べてみると見た目どおり結構しつこい。やはり日本のお店じゃだめだねとがっかりしながら店を出た。二度目は自由が丘の某店だったが結果は同じ。やはりウィーンに行かなければだめなのかと悲しくも納得した。

そして今回、奇しくも3年前と同じ7月18日の夜にウィーンに到着した僕たちは、ガイドブックに「グラーシュ専門店」ということで載っていた店を早速訪れた。沢山の種類のグラーシュがメニューに並ぶ中でスパイシーなハンガリー風と書かれたものを注文。3年ぶりの再会に胸は高鳴るばかりだった。しかし、またもどろりと黒っぽいシチューが出てきたのに我々の期待は軽く打ち砕かれた。やはりあれは幻のスープなのかと二人とも相当落胆してホテルに帰った。

しかしこんなこともあろうかと僕は手を打っていた。あのグリンツィングの同じ店に行けば間違いなく幻のスープに再会できる。しかし問題は似たようなホイリゲが一本道にずらりと並んだ中から果たして3年前と同じ店を探し出せるかということだった。そこで僕は新婚旅行の写真からその店で撮った写真を抜き出し持ってきていたのだ。幸い店の特徴がうまく表れた写真があったのでそれを持ってウィーン二日目の夜に僕たちはグリンツィングへ向かった。

ウィーン大学とヴォティーフ教会の間にあるショッテントーアという停留所からウィーン名物の市電で北西へ30分。リンク(中心街)内とは異なる郊外らしい街並みが見えはじめ、日暮れの低い山を背負ったその小さな町に着いた。記憶の通り、一本道に延々と軒を並べるホイリゲからは温かい灯りがこぼれ、どの店も素朴な美味しさを連想させる小洒落た店構えになっている。僕たちの手にした写真は店先を撮ったようなものではなく、むしろ店の奥でお抱えの楽隊が演奏する小さな舞台の上の梁のようなところに店の名前と思しき文字が刻まれているというものだった。従ってその文字と同じ名前の店を探して歩いたのだがなかなか見つからない。

(つづく)


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