七五三には赤い着物を着せたいなーと思ってました。
衣裳を選ぶのは親の楽しみの一つ。
それなのに。
案の上というかなんというか、母がしゃしゃりでてきて「七五三にはあなたの白い着物を着せることにしたわ!」と言い切ったのです。
「ちょっとそれは・・・。夫にも相談しないと。」
「いいのよ。親の物をムスメが着るんだから!」
「裾に私の名前が刺しゅうしてあるから、やっぱりヘンよ。いやだわ。」
「金糸でしてあって綺麗よ!どうしても気になるなら「の子」って書き加えたらいいわっ!」
「「の子」なんていやよ〜。それに、家紋だってついてるし。」
「いいのよ。母系なんだから!」
「???」
これは埒があかないと夜に夫に訴えたところ・・・。
「孫が生きがいなんだから好きにさせとけば。」
揉め事が苦手なカレの鶴の一声でムスメの着物は決まってしまいました。
せめて一流の場所でのヘアメイク着付けを予約しよう。そう手配したところ。
「着付けなんてワタシがするのに〜。いいわ。締めすぎないように隣に張り付いて指示する。」
「やめなさい!相手はプロなんだからちゃんとやってくれるよ。」
「写真うつりばかり気にされて苦しい思いをさせたら可愛そうだモノ。」
「・・・。」
当日は二人のプロが口出しする隙も与えずするすると着付けをしてくれてことなきを得ましたが。
ほんと疲れました。
とはいえこの着物にかける母の思いもわからなくはなかったのですが。
当時。
嫁入り前、母の実家は隆盛の最後の時を迎えていました。とはいっても次姉の嫁ぎ先でしたが。
デパートでの買い物は全部ツケ。
「車を運転してみたいわ〜。」といったらぽんっと当時のサラリーマンの年収の数倍の値段の車を義兄が買い与えてくれたそうです。
しょっちゅう宝石屋と着物屋が出入りしていて嫁入り後も、「雅(みやび)の七五三の着物。」の一言でオーダーメイド。
粋な伯母がつくってくれたのは最高級の白い布に赤い家紋入り。金糸で名前を刺しゅうしてある一点ものの着物でした。
その数年後に、義兄が倒れて会社が倒産したのだから母にとってみれば最後の贅沢だったのだと思います。そして、この着物は母には亡き伯父にも繋がる大切な思い出の品。そう思って今回は一歩譲ることにしたのに。
今度は「7歳のときの着物も私が結婚式に来たオレンジに決めたわ!」
ですって!50年ものですか?!
はぁ・・・。もう逆らう気力もありませんでしたわ。
※リクエストにお答えして付き添いの衣裳。修正ナシ。相変わらず愛のない撮りかたよね〜。 |