半年ほど前に観た映画『王は踊る(Le roi danse)』のことを、マッキ〜さまの日記を読んで思い出した。
若くして即位したルイ14世と、その宮廷音楽家リュリの愛憎劇である。
早すぎる即位ゆえに、飾りものの王であるルイ。
イタリア出身ゆえに、フランスの宮廷では主流派になることができないリュリ。
バレエを愛するルイは、バレエで権威を表現するため、また、実権を握る母后や枢機卿へのカウンターカルチュアとするために、リュリを引き立て(バレエは元々イタリアのもので、ヴァロワ朝にイタリアから嫁いだカトリーヌ・ドゥ・メディシスがもたらした…はず)、リュリは「王の宮廷音楽家」となる。
この時点で、ルイのためのバレエを創作するリュリとその作品の優秀な表現者であり、リュリの後援者であるルイの関係は、決して一方通行ではない。
ところが、肉体の衰えによって、ルイは踊れなくなる。同時に失われる寵愛…。
踊れなくなったルイにとって、いつまでも踊ることを求めるリュリの存在は、失われた自分のバレエの死骸を見せつけられるようだったのではないだろうか。
わたしもあるものに絶望して、数年間、いっさい触れることができなかったことがある。
それに関わる、すべてが苦痛だった。
切り捨てて、距離を置くことが出来たわたしに比べて、いくら拒絶しても執拗にリュリに求められたルイは、永遠に傷口を晒し続けることを強要されていたようなもの。
リュリが踊れなくなったルイの苦しみに気づいていたら、その関係も変わったかもしれないけれど、飽くまでリュリにとってのルイは神だったし、ルイも神であろうとした。
お互いが、お互いに、一方通行の、痛ましい関係だった。
日曜日に、我が家にやってきた薔薇。
彼らの悲劇については、また今度。 |