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口車版「雑学の泉」

 
なんで,こんなにいろいろなどーでもよいこと,知っているのでしょうかねぇ。



口車筆無精乃介、IT業界を語る  口車大王「旅のおもひで」

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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-06-03 [旅行記]東京一筆書きの旅 番外 口車、やっぱりてっちゃんでした
2001-06-03 [旅行記]東京一筆書きの旅 第六章 三ノ輪橋から浅草合羽橋へ
2001-06-02 [旅行記]東京一筆書きの旅 第五章 熊野前3つの商店街−商店街衰退の理由
2001-06-02 [旅行記]東京一筆書きの旅 第四章 都電荒川線熊野前へ
2001-06-02 [旅行記]東京一筆書きの旅 第三章 三田そして佃島
2001-05-31 [旅行記]東京一筆書きの旅 第二章 伊皿子坂から清正公へ
2001-05-31 [旅行記]東京一筆書きの旅 第一章 泉岳寺点景
2001-05-30 [宣伝]雑誌に記事書きました「LAN 有線/無線接続上手になるコツ50」
2001-05-30 [旅行記]東京一筆書きの旅 序章
2001-05-13 [近況]皇居の周りを走ってまいりました。


2001-06-03 [旅行記]東京一筆書きの旅 番外 口車、やっぱりてっちゃんでした


 第一回東京一筆書きの旅はこうして終了。浅草駅から都営浅草線で品川方面へ向かいます。

 駅で次に来る電車を見ると、快速特急三崎口行き。新橋でJRに乗り換えてと言っていたかねちゃん様、そのまま横浜まで京浜急行乗車に決定。そうこうするうちに、電車がやってくる。で、電車を見て口車、思わず「ををっ!」と叫んでしまいました。

 添付の写真を見て、口車が叫んだ理由がわかったあなた。あなたは立派な「てっちゃん」です。

 浅草駅ではカメラがうまく動かず危うく乗り遅れそうになり、次の駅で落ち着いて撮りました。

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先頭 表紙

ところで、この写真にはもうひとつ秘密があるのだな。 / 口車大王 ( 2001-06-08 22:04 )
そーいうことでしたか!実は私京成も都営浅草も身近なもので、三崎口行きはよく乗っておりました。成田空港から三崎口まですんごく長いですよね。お尻が痛くなる電車です。 / フィー子 ( 2001-06-08 21:50 )
フィー子様、お答えダス。京浜急行と都営浅草線は直通運転をやっていますが、現在都営の電車はほとんど羽田空港行きです。横浜方面もたいていは途中まで。それが、三崎口まで快速特急で運用というのは大変珍しく、口車も初めて見たのでした。ああ、やっぱりてっちゃんだぁ。 / 口車大王 ( 2001-06-08 20:30 )
つっこみありがとうございました、次回からは、だ〜いお〜め〜と呼ばせていただきます♪ / ゴットぱぱ ( 2001-06-04 07:24 )
ひちゃのさま、名古屋やっぱりむりだぁ。ところでビルってなんのこと? / 口車大王 ( 2001-06-03 23:56 )
これたら来てね。名古屋。どのビルかわかったーー 隣にGODIVAのお店があるところでは???? / ひちゃの ( 2001-06-03 23:50 )
見せました♪ / JAI ( 2001-06-03 21:58 )
わかんない〜。だけどこの列車ウサ子んちの方通る。 / ウサ子 ( 2001-06-03 21:54 )
フィー子様、本文の中にもヒントは書いてあるから、もうちょっと悩んでみてね。 / 口車大王 ( 2001-06-03 16:59 )
ついでに乗車券情報。今回は都営交通のみの一日乗車券を利用しましたが、その他にこれだけの一日乗車券があります。でも、今回の経験から、東京フリー切符でもととろうと思ったら、かなりきつい。 / 口車大王 ( 2001-06-03 16:59 )
なになに?叫べない〜。何に驚いてらっしゃるの? / フィー子 ( 2001-06-03 15:07 )
ひえー、こちらも素早い突っ込み。JAIさま、ご主人もこの写真見たわけですか? / 口車大王 ( 2001-06-03 14:40 )
私のダンナはてっちゃんです(笑)。納得してましたよ! / JAI ( 2001-06-03 14:35 )

2001-06-03 [旅行記]東京一筆書きの旅 第六章 三ノ輪橋から浅草合羽橋へ


 熊野前から町屋を経由して、電車は終点の三ノ輪橋に到着します。三ノ輪橋電停は商店街に囲まれるような停留所で、「ひっそり」といった言葉が似合いますか。JR常磐線のガードをくぐり、明治通りへ。ここから浅草へ抜ける路線バスがあるはずなんだがと思っていると、なんと目の前を浅草寿町行きのバスが走り抜けていく。あわててバス停に向かって走り、なんとか間に合いました。

 大関横丁停留所を出たバスは国道4号線を越えてしばらく明治通りを走り、日本堤へ。バスの進行方向左手、清川という地名があるのですが、ここは「山谷」と言われていました。そして、日本堤の次は吉原大門。そうです、このバスは吉原のど真ん中を走り抜けていきます。

 浅草という繁華街が栄えたのは、吉原へ至る「門前町」としてでした。すなわち、浅草でちょっと飲んだりしてから吉原へ繰り出すというのが、かつての「遊び」だったのです。昭和32年4月1日に「売春防止法」が施行され、買春が非合法化されたのと期を一にして、浅草は衰退していきます。夜遅くは客が吉原に移動してしまうせいか、浅草の繁華街は夜の9時を過ぎるともう真っ暗。これでは客が離れていくというものです。

 さて、バスは国際通りを走り抜け、終点の浅草寿町に到着します。ここから上野へ浅草通りを数ブロック歩くと合羽橋道具街です。実は、浅草通りのこの辺り、仏壇屋さんの街でもあります。仏壇を眺めながら東京本願寺を抜け、合羽橋道具街へ。東京本願寺周辺、住んでいる人達の街への愛着が伝わってきます。

 合羽橋道具街は、浅草通りから言問通りに至る約800メートルにわたる通りの両側に、ずらっと飲食店関係の道具や家具、電気屋、内装屋が並んでいます。日曜日のそれも夕方でほとんど店が閉まっているにも関わらず、ウィンドウショッピングが楽しい。圧倒されました。

 合羽橋道具街から言問通りへ右折し、国際通りへ戻ってきます。浅草を訪れる観光客もこの辺りまではほとんど来ません。六区へ足を踏み入れるともう人が閑散としている。場外馬券売り場があるのですが、夜の7時前後で周辺に人がほとんどいないというのも、繁華街としては問題ありです。

 JRAの建物の反対側に、「初音小路」と書かれた看板を発見。昔ながらの飲食店街の雰囲気に思わず突入してびっくり。今でこそ普通の飲食店街に見えますが、元々は「ちょいの間」の「小路」だったようで、なんと、未だに現役で客引きのおばさんが一人、路地の真ん中にぽつんと座っていました。吉原から浅草、風俗の歴史博物館のようです。

 初音小路のはずれの暗やみの中、正体不明の危ないおじさんの前を身構えながら通り抜けると、木馬座と木馬館の前へ出ます。木馬座は大衆演劇、木馬館は寄席です。木馬館の木戸銭にびっくり。1500円で映画より安い。これはまた、改めて来なくては。古典芸能ファンの皆さま、ここは必見ですぞ。

 木馬座の前を抜けて浅草寺を横目に仲見世を歩きます。夜の7時だというのに、修学旅行生の一行とすれ違います。こんな時間帯にやって来るなんて、なかなか粋な学校です。我々一行は仲見世から横丁に入り、お好み焼きもんじゃ焼の「ひょうたん」で一服。このお店は観光客を相手にしていますが、お客に変に迎合せず、東京のお好み焼きやもんじゃ焼きの基本をはずしていません。そのあたり大変好感が持てます。月島商店街のもんじゃ焼き屋のほとんどが、やたらお客に迎合していることとは対照的です。

 ここで軽く一杯やって、本日の打ち上げです。

つづく

先頭 表紙

浅草は、観光地として魅力的なところです。そしてもうひとつ、歓楽街としての側面を持っているわけで、そっちがどうもねという状態です。 / 口車大王 ( 2001-06-08 15:49 )
外人や地方の人が東京に来て「どこが名所か」と尋ねると、ついつい浅草をすすめてしまいます。 / たらママ ( 2001-06-06 16:34 )
かごやんさま、画像処理ソフトを使ってひとつにまとめてからアップします。これはGraphic Converterというソフトを使っています。ひまじんではPhotoShopがはやっていますが、そういう高級ソフトを使わなくてももっと簡単で安いやつでできます。Photoshopの簡易版もあるし。 / 口車大王 ( 2001-06-05 12:54 )
写真、何個ものせられるんですね♪すげーすげー / かごやん ( 2001-06-05 07:59 )
結局、浅草は女性客の集客に失敗したことが、繁華街としての失敗です。六区をROXと言おうが、吉原門前町体質から脱却できなかった。大規模な再開発は結局、女性のことを考えていなかった。でも、今回立ち寄った「ひょうたん」のように、ちゃんと女性にとって魅力的な場所もあります。 / 口車大王 ( 2001-06-03 22:14 )
akemiねいさん、ひょっとして後楽園ホール行くのに浅草橋経由しているのですか?浅草線使っているのなら、三田で三田線乗り換えて水道橋行けますが。 / 口車大王 ( 2001-06-03 22:08 )
のんびり、ゆったりそぞろ歩き…は、日が落ちてからですよね。浅草橋駅のとこの「とんやき」で一杯やったら、うまそうだな〜。とプロレス観戦(水道橋ね。笑)前に立ち寄り思いました。 / akemi ( 2001-06-03 21:41 )
そういう意味で、浅草と横浜中華街、似たようなところがありますね。横浜中華街も、決して交通の便が良いわけではありません。 / 口車大王 ( 2001-06-03 21:20 )
横浜の中華街も、実はほとんどの料理屋さんは9時にはしまってしまいます。しかし、人は集まってくる。そして、9時過ぎに中華料理屋が閉店した後も人の流れを吸収するものがちゃんとある。この違いが繁華街として大きい。そしてこの吸収している部分、客層の転換に成功し、現在に至っています。 / 口車大王 ( 2001-06-03 21:05 )
ほんとに。いくら繁華街として人が集まったとしても、今の渋谷のようになることが目標ではないと思います。 / 口車大王 ( 2001-06-03 20:58 )
あえてきつい言葉を書きますが、人が入れ替わって街は出来る。時間を止めたり人の流れを止めることもない。何かあると交通の便が悪いから、そんな言い訳をするけど、どこか違う。 / 夢楽堂 ( 2001-06-03 19:47 )
をを、すばやい突っ込み。ジモティーがいるのわかっているから書きづらかったのですが、思うところを書いてみました。自分のペースを守っている人達が多いというの、わかりますね。繁華街として衰退してしまったことを嘆いている人達と、「別にいいじゃない。」と思っている人達と、両方いるような気がします。それで、嘆いている人達、どう考えても衰退した理由のポイントをはずしているような気がする。そんな思いで書きました。 / 口車大王 ( 2001-06-03 14:39 )
大関横町は、町名表示が「横町」、バス停の名前が「横丁」でした。 / 口車大王 ( 2001-06-03 14:02 )
浅草は夢楽堂が幼少時代を過ごした場所、東京の田舎。店は早く閉まるし、自分たちの生活のペースを守っている人が多い。千束は夢楽堂が名義上の社長になっている事務所があるので、ちょこちょこ行きます。 / 夢楽堂 ( 2001-06-03 14:00 )

2001-06-02 [旅行記]東京一筆書きの旅 第五章 熊野前3つの商店街−商店街衰退の理由


 特に当てもなくただぶらぶら歩いていると、突然思いがけない出会いがあるものです。

 路地を抜けて熊野前商店街に戻り、行きに見つけていた甘味処に入り休憩します。いつものお客の雰囲気と違うせいでしょうか、いきなりママが話かけてきます。新しくお店を尾久銀座に移転して開店すること、現在のお店の周辺の商店主達のこと、常連のお客のことなど、半ば愚痴のように話します。ママは訛りから生粋の土地の生まれ育ちです。

 ママの話の内容からすると、周囲の人達と基本的なものの考え方が全く異なる。ママは東京人特有の裏表のないということがすぐわかるのですが、周囲の人達は言うこととやることが違う。「甘いもの好き」と言いつつ全く店に来ない花屋、隣だと思ってずっと魚を買い続けたのに一度も店に来ない魚屋、その店で買い物しないと通りで会ってもそっぽを向いていて、買い物すると手のひら返したように愛想を作る洋品店主。要するに自分のことしか考えていないし、上っ面だけでしかない。そして他人のことばかり気にして、ねたみから足を引っ張るようなことを平気で言う。商売の基本的なことを全く守っていません。驚いたのは、現在ママが店を開いている場所の家賃。相場の3倍も取られている。ママも「しろうとが始めたから」と言っておりましたが、そういう足下を見るような行為は「いなかもん」のやることであり、結局天に向かってつばを吐くようなものです。

 ママの一方的な愚痴でないことは、商店街の人通りが物語っています。これでは商店街が衰退しても当然です。さらに、消滅して看板しか残っていない「熊の渡し商店街」も、昔は大変賑わっていたのだそうです。ママ曰く地元では「土地持ちが商売やっているからしようがない。」と言っているそうですが、それだけではないでしょう。熊野前商店街は村社会の「いなかもん」の集合体であり、どうもそういう連中が集まってしまっている一角のようです。東京土着でも「いなかもん」はいますし、そこに地方からの「いなかもん」が集まってしまったのでしょう。日本人の悪い面が集積したような場所です。通りひとつ隔てて熊野前商店街とは対照的に賑わっている尾久銀座という商店街があるのが、とても不思議です。どんな人達が商売をしている商店街か、熊野前商店街と比較すると手に取るようにわかります。「これで尾久銀座に脱出できて、ほっとしているわよ。」というママの言葉が印象的でした。なぜこの甘味処に足が止まったか、入ってみて良くわかりました。

 常々衰退している商店街の人達の言うことを聞いていると、外的要因にばかりその原因を求めていることが多い。しかし、情況の変化は起きて当然なのであって、自分たちで努力しないで「けしからん」とやっているばかりでは、結局衰退するばかりでしょう。しかも、商売の基本の一度でも買ってくれたらお客という感覚を忘れてしまったとしたら、外的要因もくそもありません。熊野前の3つの商店街、改めてそういう商売の基本を考えさせてくれました。

 再び電車に乗り三ノ輪橋に向かいます。途中町屋を通るのですが、ここは京成本線と千代田線との乗換駅でもあります。車窓は町屋へ向かって心なしか潤いを取り戻していく。町屋周辺が古くからの街並みだったことがわかります。

つづく

先頭 表紙

相場の3倍ぼられてるママさん、可哀相。ところで、↓の記事ですが、東京外大は府中に移転しています。西ヶ原に残っているのは関連の研究所です。 / たらママ ( 2001-06-06 16:32 )
それにしても、相変わらず繁盛している商店街と、さびれた商店街と、完全に消滅してしまった商店街が隣り合わせに3つそろっているなんて、ものすごく貴重な経験でした。経営学とか勉強している人、この熊野前の商店街で論文ひとつ書けるな。 / 口車大王 ( 2001-06-03 09:45 )
夢楽堂もそう思いますよ。周囲の環境が変わっているのに、昔からの商売ではね。ニューカマーをひきつけて、回転をよくしていくのが商売だと思う。 / 夢楽堂 ( 2001-06-02 23:11 )

2001-06-02 [旅行記]東京一筆書きの旅 第四章 都電荒川線熊野前へ


 今回と次回は、辛口です。

 佃島を後に、月島駅から我々一行は春日を経由し、巣鴨をパスして西巣鴨へ。都営三田線西巣鴨駅からから都電荒川線新庚申塚電停まで歩き、三ノ輪橋へ向かいます。電車が遅れているうえに、お客が一杯待っている。今回の旅で、新庚申塚から王子駅前までの電車が一番混んでいました。

 ようやく電車が到着し、電車は西ヶ原の東京外大周辺の住宅地を抜け、滝野川、王子へ。飛鳥山公園のところで左に曲がり、明治通りに入って公園をぐるっと迂回するように坂を下ってJRのガードをくぐります。

 王子駅を境に荒川線の沿線風景は一変します。正直言って車窓から見える街並みに潤いがない。ところどころ感じの良い住宅はあるのですが、例外的です。その理由が、後々わかることになります。

 途中、「熊野前」で降りてみます。なぜここで下車したか。ここは1985年、「天才・たけしの元気が出るテレビ」の第一回で取り上げられた場所なのです。商店街の空洞化が言われて久しいですが、すでにこのころ問題になっていたわけで、その後の熊野前商店街がどうなったのか、見てみたくなったのでした。しかし、ここで思いがけず、全くすたれてしまった商店街、すたれつつある商店街、元気な商店街の3つを見比べることとなってしまいました。

 電停を後にした我々は、電車通を挟んで「熊の渡し商店街」と「ハッピーモール熊野前」というふたつの看板を目にします。まず「変な名前」ということで「熊の渡し商店街」へ足を踏み入れてみました。しかし、驚いたことに電車通りから入ると美容室があるくらいで商店がありません。さらに歩くと酒屋があるくらいで商店街と言えるものではありません。無残に街路灯の看板が残っているだけです。

 そこで取って返して電車道を渡り、「ハッピーモール熊野前」、すなわちテレビに登場した熊野前商店街に足を踏み入れてみます。「熊の渡し商店街」よりはましですが、写真を見てわかるように、人通りがほとんどありません。途中には店じまいセールをやっている呉服屋もあり、シャッタがー目立つ。典型的な「シャッター街」になってしまっています。結局、テレビは一過性のものでしかなかったわけです。ところが、さらに足を進めて商店街の奥へ進むと、通りが狭くなってその奥には「尾久(おぐ)銀座」の看板が見えます。近づいてみると、熊野前商店街とは打って変わってお客も多く賑わっています。むしろ都電の停留所に近いほうの商店街がすたれていて、駅から決して近いとは言えない商店街が栄えている。両方の商店街の境目の道には銭湯があって繁盛しているくらいですから、決してお客が来ないわけではない。

 ここで商店街から外れて平行する道を元に戻ります。一帯は大田区と並ぶ町工場の集まる地域で、工場が多く見受けられます。工場が多いということは地方からの労働力を集めたわけで、この辺りは地方出身者が多いということでもあります。すなわち、東京は仮の住み処であって自分たちの故郷とは決して思っていない、そういう人達が多いわけ。残念ながらそういう感覚が街並みに現れてしまい、殺伐としてしまいます。緑が少ないのです。そこが、高輪や佃と大きく異なるところです。本来の地元の人は、少数派となってしまっているのです。同じ下町と言っても、こうして比較してみるとその差は際立ちます。見かける町工場には味わいがあり、仕事場を大事にしているのは伝わってくるのですが、残念なことです。

 そして、この3つの商店街の違いの謎解きをしてくれる出会いがあります。

つづく

先頭 表紙

2001-06-02 [旅行記]東京一筆書きの旅 第三章 三田そして佃島


 清正公のすぐ隣の新海楼でちゃんぽんを食し、路線バスに乗って赤羽橋へ。バスは魚籃坂下から桜田通りを三田へ向かいます。三田と言えば慶應義塾大学のキャンパスがあります。バスは大きく右に曲がってラーメン二郎の前を正門前へ。

 桜田通りを右へ曲がらず大学の裏手と中等部に挟まれた道をまっすぐ抜けていくと、その坂道の左手は三田綱町三井倶楽部の塀が延々と続きます。この一帯はやはり武家屋敷で、慶應義塾大学と三井倶楽部も武家屋敷の跡地、そして慶應に隣り合わせてイタリア大使館があります。塀の内側、綱町三井倶楽部の庭園も一見の価値があるのですが、なかなか一般には目にする機会がないのが残念です。

 おっと、脇道にそれてしまいました。三田交差点でバスは大きく左へ曲がり三田通りへ。ここでバスの座席の位置取りを間違えたことに気がつきました。バスの前の方に座ると、真正面にどんと東京タワーが見えます。この絶景を見損なってしまった。三田通りは道路拡張が進み、すっかり変わってしまいました。慶應の東門、元々は正門なんですが、見上げるようにビルが建ってしまい、ここもかつてのだらだら坂を上っていくという風景とは様変わりです。今回はバスで素通りしてしまいましたが、三田綱町から麻布十番にかけて、歩いてみたいものです。

 さて、バスは赤羽橋へ到着。済生会病院の前から古川を渡って大江戸線の駅へ。目の前に東京タワー、右手に芝ゴルフ練習場の緑が見えます。この辺り一帯は、かつて芝増上寺の所領でした。芝の一帯も歩き回ってみたい地域です。

 大江戸線は、以外と余地のない東京の地下を無理矢理通した感があり、車両が一回り小さくなっています。また、リニアモーターを採用しており、線路までの高さが低くなっているとともに急勾配を上ることもでき、以外とスピードが出ます。あっという間に赤羽橋から月島に着いてしまいました。なんだかんだ言われていますが、やはり大江戸線は便利です。

 月島の駅から、もんじゃ焼き屋が集中する月島商店街とは反対の、月島二、三丁目方面へ。月島商店街の、そして佃大橋の喧騒とは隔絶された静粛な空間が目の前に現れます。関東大震災と空襲を免れた街並みは、数少ない江戸の情緒を残す場所です。ここの路地裏の住宅も、二階の縁台が特徴です。高輪の路地裏の住宅と同じ特徴が見て取れます。佃の路地裏と隣り合わせて高層マンション。再開発という名の破壊が繰り返される東京では、珍しい空間です。

 佃島は、江戸時代、 徳川家康が報賞と江戸の食料確保もあって摂津国、安治川河口佃村の漁民34人を招き、 漁業権を与えて住まわせたことからその名となったものです。木曽のきこりを江戸に招いたり、江戸は徳川家康の時代にすでに日本全国の文化の集積地でした。かつて佃島界隈には大阪弁が飛び交っていたことを思うと、なにか不思議な感覚になります。

 佃でも現役の井戸発見。しかもふたつも見つけてしまいました。自分たちの住んでいる町をいかに大切にしているか、その現れです。そんなにまずくはなかったと申し添えておきましょう。

 路地を抜けて大川に出てみました。水辺はやはりいいものです。川風が気持ちいい。東京オリンピックの年1964年に佃大橋が開通するまで、ここには佃の渡しがありましたが、今は頭上を佃大橋が覆っています。「便利」と「風情」は相反するものなのでしょうか。

つづく

先頭 表紙

人形町界隈も鉢植えが多い。この風景もほっとする。木のやさしかな。 / 夢楽堂 ( 2001-06-02 19:09 )
それにしても鉢植えの緑が多い。豊かな証拠です。 / 口車大王 ( 2001-06-02 13:22 )

2001-05-31 [旅行記]東京一筆書きの旅 第二章 伊皿子坂から清正公へ


 高輪は、三田から新高輪プリンスホテルの辺りにかけて馬の背のように細長く丘が続いています。その丘を横断するように泉岳寺から白金に抜ける道があり、泉岳寺側を伊皿子坂、白金側を魚籃坂と言います。昔はこの坂を、都電が走っていました。

 泉岳寺から歩き始めてすぐ、通りの左側にはかつて高輪ホテルという、瀟洒なホテルがありました。しかし、経営的にはきつかったようで、今はある宗教団体の施設を建設中です。その斜め向かいにはNHK交響楽団の練習場があります。旧高輪ホテルの隣は伊皿子アパートメントで、昭和30年代に建てられたもので、今の億ションの走りといえるでしょう。

 伊皿子坂にかかると、右手の長く空き地だったところがマンションになっている。角に今まではなかった石碑が建っていたので読んでみると、この土地は東京医科歯科大学発祥の地でした。口車も知りませんでした。新しいマンションは古い石垣を有効に利用しており、景観に配慮が感じられます。

 伊皿子交差点を左折すると、交差点からすぐの右手が高松宮邸。今も広いですが、かつての敷地の一部が現在は都営住宅になっています。しょぼいアパートだったのが最近建て替えられて、感じの良い高層建築になっていました。このアパートの反対側に和洋折衷のお屋敷があったのですが、写真を撮り忘れてしまいました。

 この高松宮邸一帯、江戸時代は細川下屋敷でした。ここに大石内蔵助以下、討ち入り後にお預けになっています。今回の旅でその石碑を発見。石碑は都営住宅と港区立高松中学校の敷地の間にあり、ほぼ切腹をした場所です。一帯は武蔵野の原野そのままで残されており、東京のど真ん中にこのような空間が残されているのは、ちょっと驚きです。

 高松中学校の横の細い道を降りていくと、路地裏に入り込みます。かなり新しくなっていましたが、昔ながらの建物も残っています。東京の下町の住宅の特徴は、通りに向かって2階に必ず物干し台があることです。坂の上のお屋敷と坂の下の仕舞屋(しもたや)。正に「山の手」と「下町」の地形的特徴を表しています。

 それにしても静かな空間です。目と鼻の先に桜田通り(国道1号線)の喧騒があるのに。そして、狭い空間をうまく利用した花の鉢のきれいなこと。さらに路地の奥に入っていくと、なんと現役の井戸がありました。この一帯に住む住民の、心の豊かさが伝わってくるような空間です。

 お屋敷町に隣接してこのような路地裏庶民の街が形成された理由ですが、お屋敷に働く人達が居住したこと、商店が形成されたこと、そしてなにより崖の下で湧水や井戸水が確保しやすかったことなどが考えられます。目の前に清正公という「観光地」があったことも考えると、江戸時代にはこの路地は形成されていたのではないかと思います。

 桜田通りを渡ると、そこは白金です。目の前は清正公。東京オリンピックの時の道路拡張で、参道はほとんどなくなってしまいました。正式には覚林寺と言いますが、口車もそうですが、正式なお寺の名前を知っている人はほとんどいないでしょう。お寺なのに加藤清正を祀っている。神社のようです。今回初めてお寺の由来を読みましたが、驚きました。創建したのは朝鮮王朝の血筋の高僧です。秀吉の朝鮮出兵によってその先兵となった加藤清正を、朝鮮王朝由来のお坊さんが祀る。そのいきさつを、もっと詳しく調べてみたいものです。愛憎ないまぜになった日韓関係は、そんなに単純なものでないということを、改めて知りました。こういう事実を日本はもっと知らしめる努力をするべきでしょう。

つづく

先頭 表紙

日本語には階級言語がちゃんとありますよ。まず、東京の言葉の代名詞のように言われている「べらんめえ」ですが、これは町人の言葉。武士階級の言葉とは違います。町人の言葉でも、主と使用人では異なる。また、公家の言葉も違いますね。敬語というのも、階級を表すものでもありました。それが乱れてきてしまって使われなくなったということとは、別の話です。その辺は、こちらを参考にしてみてください。 / 口車大王 ( 2001-06-02 13:18 )
殆どないといわれている日本の階級言語ですがそんなこともないわけですね。 / ウサ子 ( 2001-06-02 10:48 )
同じ下町と言っても、場所によって雰囲気も言葉も違います。東京の下町すべてで「ひ」と「し」の区別がつかないなんてことはないのです。また、「階級」によって使う言葉は微妙に違います。 / 口車大王 ( 2001-06-01 23:14 )
東京の下町って本当に独特ですね。最近気付きました(遅いっ!)。 / チビクロ ( 2001-06-01 20:47 )
ほほほぉ、こりゃ一度清正公へ行ってきちんと聞いてこよう。 / 口車大王 ( 2001-06-01 17:49 )
加藤虎之助清正公は、朝鮮出兵の戦争中に確か2人の王妃様方を丁重にオモテナシされている筈です。(一応捕虜としてなのですが)そこらへんのご縁の様な感じもしたのですが、是非真相を知りたいですわ。解かりましたら教えて下さいね。 / peach ( 2001-06-01 14:24 )
うぎゃ!(・・;) / かねちゃん ( 2001-06-01 00:34 )
脚だけ写っていらっしゃるお方は? / ( 2001-05-31 22:15 )
すでに他の人が書いていますが、この先井戸ではもっとびっくりします。 / 口車大王 ( 2001-05-31 21:20 )
昔からある街は、とんでもないところで井戸が出てくる。 / 夢楽堂 ( 2001-05-31 21:10 )

2001-05-31 [旅行記]東京一筆書きの旅 第一章 泉岳寺点景


 品川駅を出発した3人は、第一京浜の喧騒の中を泉岳寺へ。道々、早速口車の蘊蓄が炸裂します。

 「品川駅は港区高輪になぜあり、京浜急行の北品川駅はなぜ品川駅の南にあるのか?」

 品川駅から泉岳寺にかけての一帯は高輪と呼ばれる地域で、江戸時代、実は江戸府内ではありませんでした。泉岳寺駅から都心に向かって第一京浜を300メートルほど歩くと、石垣が道路にはみ出していて車線が狭くなっているところがあります。この石垣は「高輪大木戸」の名残の石垣で、江戸時代ここに門があり、ここから内側が江戸府内でした。「高輪大木戸」を出て江戸を離れ、そして最初の宿場が品川だったわけです。したがって高輪は市街地からちょっと離れたところであり、大名の下屋敷が多く点在しました。人口密集地ではなかったわけです。今では想像もつきませんが、高輪大木戸は海岸線沿いにあり、高輪の高台からは海が一望できました。

 こんなところが質問の答えのヒントですね。

 さて、写真ですが、泉岳寺の山門の前の二軒の写真です。泉岳寺は第一京浜、すなわち泉岳寺駅からゆるい坂を登ってきて5分ほどのところにあります。その門前は道が広くなっており、山門の並びの右手に上の写真のお店、そのちょうど反対側の角に下の写真の住宅があります。

 写真上の駒屋商店、明治20年創業です。品川に駅ができ、また江戸幕府から明治政府に変わったことによってご禁制がとれ、泉岳寺への観光客が急増していったことが想像されます。「こち亀人形焼」をおいていたのが、ほほ笑ましい。

 下の写真、典型的な東京の山の手の住宅です。かつて、東京の山の手お屋敷町には、このような住宅が連なっていました。写真では純和風建築に見えますが、玄関右手に洋風応接間があります。このような形式の住宅は、大正から昭和初期にかけての典型的な和洋折衷様式の住宅であり、この時代の建物はまた、名建築の宝庫です。写真の建物も、関東大震災の後、昭和一桁の頃の建物と推察されます。軍国主義の時代に至る直前、大正デモクラシーと言われている時代、日本は文化的にもひとつの頂点を極めていたことがわかります。昭和20年8月15日に至る戦争の時代、いかに傷が大きかったかわかります。戦争をくぐり抜け、戦後の高度経済成長時代、そしてバブル経済の狂乱をくぐり抜けた建物には、風格がただよっています。

 もう一軒、高松宮邸の近所でもっとはっきり和洋折衷の歯科医院の住宅を見つけたのですが、写真を撮り忘れてしまいました。ちょっと残念。マンションだらけの画一化された風景の中に、街並みの格を決定づけるこのような住宅を見つけると、ほっとします。

つづく

先頭 表紙

おとじろうさま、お屋敷というよりは料亭だったのではないでしょうか。みすじ通りから田町通界隈、この10年で急速に減りましたね。もっとも、あの界隈で呉服屋のご主人の隠居所を改装した料理屋もありますけれど。ここ、お勧めです。 / 口車大王 ( 2001-06-02 13:26 )
相続税という鬼がまたいいお屋敷をどんどん壊してビルにしているも惜しい話です。赤坂のビルズバーがある場所も10年前位は立派なお屋敷でした。 / あ、ログインしてない@おとじろう ( 2001-06-02 12:57 )
peach様、おやそうっすか。泉岳寺山門の真ん前の、ちょうど角のお宅です。 / 口車大王 ( 2001-06-01 17:48 )
ギクッ!?、、、若しや身内かも!? / peach ( 2001-06-01 14:22 )
きれいに写ってますね。ホントに風情のあるお宅でした。 / かねちゃん ( 2001-06-01 00:33 )
この辺り、マンションが本当に増えてしまいました。ただ、まだまだ個人のお屋敷はあるし、緑も多い。また新しいマンションはかなり景観を意識しています。 / 口車大王 ( 2001-05-31 21:05 )
この界隈の風景は実に落ち着く。緑も多いし、家屋の木の匂いもしてくる。坂も大好きなのだ。 / 夢楽堂 ( 2001-05-31 13:15 )

2001-05-30 [宣伝]雑誌に記事書きました「LAN 有線/無線接続上手になるコツ50」

 えー、一筆書きの旅の合間にちと宣伝させていただきます。

 5月18日発売の「N+Iマガジン」6月号(SOFTBANK)に、

 「LAN 有線/無線接続上手になるコツ50」

という特集記事を書きました。

 ひまじんライターの皆さんの中には、自前でネットワークを構築しようという人も多いかと思います。この記事では、一般のコンピュータ雑誌ではなかなか触れられていないLANの構築や配線そのものについてまとめていますので、何かとお役に立つのではないかと思います。しろうとが、自分でネットワーク構築するにはどうしたら良いかという観点で書いています。他の人の記事と合わせると、ネットワーク構築で陥りがちなトラブルを、回避することができるでしょう。

 お買い求めいただければ、幸いです(980円也)。

 以上、宣伝でした。

#おかげで、ゴールデンウィークはなくなった。。。パソコンも壊れるし。

先頭 表紙

あ、ごめん。仙川様のことを言っているわけではないっす。。。 / 口車大王 ( 2001-06-01 22:09 )
八百八六助さま、これだけではなかったのですよ。今もまだ終わらなくて四苦八苦している。 / 口車大王 ( 2001-05-30 23:38 )
皆さまありがとうございます。LANの配線は、電源ケーブルなどと同じでつなげれば簡単に動くと思っている人がほとんどです。それもプロが平気ですごいことやったりする。「基本」を理解していないのですね。ケーブルの形状は電話と一緒でも、LANははるかに高周波の信号です。すなわちデリケートなわけ。広く一般的に使われているイーサネットでは、その「衝突検知」という動作原理から特に注意しなければいけないのですが、ほんとひどいですね。んなことを書いてあります。 / 口車大王 ( 2001-05-30 23:37 )
口車さん,これで忙しかったんですね.ゴールデンウィーク. / 八百八六助 ( 2001-05-30 22:55 )
LAN構築って、知るべきことがいろいろあったり妙なところで引っかけがあったり、難しいですよね。LANの解説って、始める人にはきっと貴重な情報になるでしょうね。本屋さんに行ってきます。どんな解説をなさっているのか、興味津々。 / ぷりぷり所長 ( 2001-05-30 20:42 )
買いました。内容は私が読んでもわかりませんが、主人ならわかると思います。 / たらママ ( 2001-05-30 13:23 )
ん〜☆もう一度〜基礎からやり直してみたいです〜☆ 全部〜独学です〜★ / 仙川 ( 2001-05-30 11:13 )
すごーい、すごーい。私はそんな能力はないのですが興味はあるので読んでみま〜す。 / ウサ子 ( 2001-05-30 10:33 )
すみません。大王さまが「台王さま」になってしもてます。すみません。 / 鐵子 ( 2001-05-30 10:20 )
口車台王様のゴールデンウィークがぁ。(涙)ではでは、心して拝見いたしまする。自前ネットワーク、がんばりまっす。 / 鐵子 ( 2001-05-30 10:16 )
ありがとう、読んでみます。 / 夢楽堂 ( 2001-05-30 08:50 )

2001-05-30 [旅行記]東京一筆書きの旅 序章


 あっと言う間に2日経ってしまいましたが、27日の日曜日、おとじろうさまとかねちゃんさまの3人で、東京をぶらぶら歩いてまいりました。

 当初、墨田区京島に行こうかと思ったのですが、参加者全員品川集合が楽なので、ここをを起点に歩き回ることとしました。下町だけでなく、山の手も含めてということに相成りました。

 品川で集合してから、いきなり第一京浜を泉岳寺に向かっててくてく歩く。というのは、泉岳寺で都営交通一日乗車券を買いたかったからです。京浜急行で一駅乗っても良かったのですが、歩いてしまえということで小雨の中泉岳寺へ。昔はこのあたりが海岸線だったことを想像すると、不思議な感覚です。

 写真がその一日乗車券です。700円也。駅で乗車券を買ったら、そこはひまじん、そこから電車に乗らずに泉岳寺→伊皿子坂→高松宮邸→細川下屋敷→港区立高松中学校→近所の路地裏→清正公と、ほぼ1時間かけて歩き昼食。そこから以下のように移動しました。

 白金台一丁目 →都営バス反96乙→ 赤羽橋 →大江戸線→月 島 →大江戸線→ 春日 →三田線→ 西巣鴨 → 新庚申塚 →荒川線→ 熊野前 →荒川線→ 三ノ輪橋 → 大関横丁 →都営バス草64(吉原大門経由)→ 浅草寿町 → 田原町(合羽橋)→ 浅草六区 → 初音小路 → 仲見世(ここで「ひょうたん」に寄る) → 浅草駅 → 浅草線 → そして品川方面へ

 こうして東京一筆書きの旅、完成!そして口車は、三田で三田線に乗り換えて目黒へ向かったのでした。

 以上、しめてまともに運賃支払ったら1450円。実に、お得な一日乗車券でした。大江戸線が開通したことにより、大変使いやすくなりました。

 旅の詳細はまた次回に。。。他の二人の日記もよろしく。

#なんか、亀屋万年堂の王監督のコマーシャルのようだ(ご、ごめん、東京ローカル)

つづく

先頭 表紙

チビクロさま、まねしてもいいだす。第2回を開催予定でもあります。 / 口車大王 ( 2001-05-30 18:31 )
うー楽しそうですねぇ! 真似してもいいですか?(笑) / チビクロ ( 2001-05-30 16:42 )
夢楽堂さま、なにかと悪口言われている大江戸線ですが、とても便利です。深いといわれているけれど、月島は有楽町線より浅いです。 / 口車大王 ( 2001-05-30 09:26 )
大江戸線、まだ乗ったことはありません。泉岳寺からとぼとぼ坂を登って、よく広告代理店に行きましたが、あの付近、結構雰囲気がいいですよね。 / 夢楽堂 ( 2001-05-30 08:40 )
akemiねいさん、ありがとう。「森の詩」が思い出せなかったぁ。浅草は「初音小路」という、とってもディープなところがあった。いやー、浅草は奥が深い。浅草恐るべし。 / 口車大王 ( 2001-05-30 08:30 )
おとじろうさま、行きに品川から泉岳寺まで歩いた本当の意味、わかりました? / 口車大王 ( 2001-05-30 07:56 )
いよかんさま、たまーにやっています。昔ジャイアンツの選手でコーチやっていた国松が、亀屋万年堂の娘婿で、その縁で王さん出ています。 / 口車大王 ( 2001-05-30 07:56 )
ん、が余計っす。(^^;; / akemi ( 2001-05-30 07:25 )
「森んの詩」もよろしく。そして、浅草六区と言えば、ストリップ。。梶原一騎人生劇場「男の星座」の舞台やんけ〜〜! / akemi ( 2001-05-30 07:24 )
大王様お疲れ様でした。帰り品川駅でこのパスで降りようとしたら、ピ〜ン、ポ〜ン。泉岳寺からは都営ではなかったのですね。130円支払ったのが妙に悔しい。 / おとじろう ( 2001-05-30 00:44 )
誤字発見。大関横丁→大関横町でやんした。ほっほっほ。 / 口車大王 ( 2001-05-30 00:34 )
700円で乗り放題?安い。ところで王監督って今でも亀屋万年堂のCMやってるんですか?ナ○ナはお菓子のホームラン王です、って。 / いよかん ( 2001-05-30 00:31 )
うーむ、なかったか。。。顛末は本人がそのうち語るでしょう。(涙) / 口車大王 ( 2001-05-30 00:24 )
一筆書き!オイラートレールだわ。 / マッキ〜 ( 2001-05-30 00:21 )
あ、恨みの一日乗車券(笑…その話は明日書きます、たぶん)。やっぱりありませんでした! / かねちゃん ( 2001-05-30 00:17 )

2001-05-13 [近況]皇居の周りを走ってまいりました。


 ここのところご無沙汰しております。忙しい合間を縫って、皇居の周りを走ってきました。コースは皇居1周、2周、4周とありまして、最近3か月全く走っていなかった軟弱口車は、2周で申し込んだのでした。ちなみに、皇居1周、約5kmです。

 さらに、よせばよいのに昨日付け焼き刃のように豊洲から荒川河口橋まで往復していたのでした(10km)。

 へろへろです。

 明日は、外出の予定キャンセルです。満員電車、乗れるかい!

#すっちー今昔物語は、またね。

先頭 表紙

皇居、よく走っていました。坂があるんで効率がいいんです。警備もいるし。 / 夢楽堂 ( 2001-05-24 19:59 )
みかりんさま、今回はほんとに口車びりだった。 / 口車大王 ( 2001-05-22 22:09 )
あたしもマラソンは苦手。。でも休み休みなら頑張れそうな気がする。ビリでいいよねえ♪ / みかりん ( 2001-05-20 08:30 )
ルルル様、前の日に走ってしまったので当日すでに筋肉が痛かった。火曜日くらいまでいたかったっす。 / 口車大王 ( 2001-05-19 12:49 )
マラソン、苦手・・・。10kmなんて、すごいです!筋肉痛とかはないんでしょうか?私なんてもう2日後くらいに出るんですよ(;;) / ルルル@はじめまして♪ ( 2001-05-18 09:47 )
えむさま、姿勢と走り方に気をつけなければならないけれど、慣れると歩くより走るほうが楽ですよ。 / 口車大王 ( 2001-05-17 12:44 )
10kmなんて未だかつて自分の足で走ったことがない・・(汗)歩きはあるけど / えむ ( 2001-05-17 10:52 )
足の痛みも取れて、今日は快調です。やはり、運動せんといかんね。 / 口車大王 ( 2001-05-17 10:05 )
にゃんともさま、鶴瓶さんはいなかったけれど、金髪の美人(と思う。後ろ姿しか見ていないから)は走っていたダス。それと、観光客がどかねぇの。「通してください!」って5回くらい叫んでも歩道を塞いでいやがった。頭来て、半ば体当たりしてやった。おやじと中国人(なんとなく風体でわかる)の観光客はどかんねぇ。欧米人はすぐどくが。 / 口車大王 ( 2001-05-16 23:02 )
ぷちまろ様、最初は1kmからだす。 / 口車大王 ( 2001-05-16 22:58 )
鶴瓶さん見なかった?(笑)(よくそこを走ってるって聞いたので(笑)) / にゃんとも@御疲れ様〜 ( 2001-05-16 01:38 )
10km?をいらにゃ不可能。 大王様の大王たる所以? / ぷちまろ ( 2001-05-16 01:11 )
TAKEさま、そっ、そうっすか。ま、過去最長距離は、九十九里浜はじからはじまでっちゅうのがあるな。 / 口車大王 ( 2001-05-14 23:55 )
大王さま、やっぱしかなりのタフガイっすよね〜。 / TAKE ( 2001-05-14 23:27 )
仙川様、口車も最初は1キロ走るのがやっとだった。 / 口車大王 ( 2001-05-14 19:16 )
SAKUさま、すでに終わった直後に痛かった。気温は、ちょっと暑かったです。まあ湿度が低いから良かったけれど。 / 口車大王 ( 2001-05-14 05:58 )
さえこさま、これはスポーツクラブのイベントなのですが、会員でなくても参加できます。来年やります? / 口車大王 ( 2001-05-14 05:56 )
自転車ならともかく〜走ることは〜辛いです〜★ / 仙川 ( 2001-05-14 03:27 )
やっちゃいましたね(笑)連続10Km・・さぞ明日は辛いのではでは?でもきっと快晴のもとだったから気持ちよかったでしょう!(いや暑かったかも) / SAKU ( 2001-05-14 01:32 )
これは申し込めば誰でも走れるものなのですか?1周くらいなら、やってみたいかな?でも、完走できないかも・・・(涙) / さえこ ( 2001-05-14 01:02 )
よくお昼時に皇居のまわりをマラソンしている人って、あれは趣味なのか?仕事・・・ではまさかないだろう、と悩みます。だってあんなに汗かいて昼休み終わったらどうするのかなーって・・・。すいません脱線しました。 / さえこ ( 2001-05-14 01:00 )
1周だけでもスゴイのに、2周とは。。。お疲れ様です。 / おとじろう ( 2001-05-13 23:57 )
昨日の10キロは余計でして、いやー、ほんときついでしゅ。口車、いません。 / 口車大王 ( 2001-05-13 22:58 )
連日10キロも走れるなんてスゴイですー。軟弱じゃないですー。この写真の中に口車様いらっしゃるのかしら。 / JAI ( 2001-05-13 21:23 )

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