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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-03-25 ふたたび、つかの間の帰国 2
2003-03-25 ふたたび、つかの間の帰国 1
2003-03-02 悲しい過去を越えて 2
2003-03-02 悲しい過去を越えて 1
2003-02-28 19世紀のブロードバンド 3
2003-02-28 19世紀のブロードバンド 2
2003-02-28 19世紀のブロードバンド 1
2003-02-14 GMAT 正解と解説 4
2003-02-14 GMAT 正解と解説 3
2003-02-14 GMAT 正解と解説 2


2003-03-25 ふたたび、つかの間の帰国 2

また、6月中旬から社に戻るにあたり今月中に配属希望を提出することになっている。かねてから個人的に業務上のテーマとして掲げているナレッジマネジメントを実践できる部署として、営業統括的な部署を希望することにしている。要は知の共有によって5000人を越える社員を抱えるうちの会社の量的優位を質的優位に変換し、こと営業に関して言えば誰もが「勝てる営業」になれるような情報インフラを構築するという趣旨だ。今回の帰国では、迷いなく配属希望を提出するためにこの部署の先輩三人と会って話を聞いた。ナレッジマネジメントはかつて何度かトライしたがいずれもうまくいかなかったとのこと。様々な障壁はあるが需要はあるという。自分を試すにはよい環境だ。

先述の「Leading Teams」の論文提出が迫っているため、帰国中も毎日パソコンに向かって英文を綴りつづけた。そんなこともあって今回は極力夜に会合を入れることは避けたのだが、どうしても会いたい人々もいた。

中学時代をともにパキスタンのカラチ日本人学校で過ごした男女二人の親友が5月にボストンを訪ねてくれることになっていた。しかし女性の方の友人から今月頭に連絡があり、先月僕もよく知っている彼女の妹さんが27歳の若さで急逝したというのだ。ご両親も大変衝撃を受けており、この状況では5月にボストンへ来ることも難しいかもしれないということだった。せめてもということで今回の帰国で二人の親友と久しぶりに再会を果たした。僕の行きつけの築地の居酒屋で乾杯をし、笑って沢山の話をした。妹さんの話は一切しなかった。

悲しい死もあれば喜ばしい生命の誕生もある。今年の一月に生まれたばかりのフィー子ベビーのご尊顔を拝みに、フィー子さんとその夫である高校時代からの僕の親友を訪ねた。フィー子さんもすっかり母の貫禄がつき、以前にも増して静かな落ち着きを身につけていた。写真で見ていたとおり茶髪で現代的な美形ベビーだった。フィー子夫が泣き叫ぶベビーちゃんをあやそうと抱っこしていたが泣き止まず、試しに僕が抱っこしてみたらぴたりと泣きやんだのには皆驚いた。

最後に、今回の帰国中に戦争が始まった。このタイミングで日本の様子を見ておけたことは何にしても収穫だったと思う。予想通り表面的かつファシスト的に反戦を煽るメディア。良心と密かにして残虐な好奇心と宿命的な無責任とを織り交ぜて茶の間に陣取る視聴者たちと双方向のゲームに興じる。いつもの構図だ。国連や国際法遵守の意義、行過ぎた先制攻撃論のもたらす悪しき前例などの議論はそっちのけに感情論だけの反戦を叫ぶ人々。彼らを揺り動かすのが罪無きバグダッド市民の死だとしたら、もう片方の天秤には罪無きクルド人たちの死が既に載せられている。感情論が感情論によって相殺されれば、あとは正しい理性によってきちんとことの重みを計るしかない。その努力すらしない者は口を閉ざすべきだ。アメリカの法律家のほとんどが今回の先制攻撃は国際法違反であると明言しているとアメリカのメディアによって報じられたことには辛うじてほっとさせられた。

慌しい里帰りを終え、コートを羽織って夜のボストン・ローガン空港に降り立った僕は生暖かい空気に驚いた。闇に揺れる川面は氷がとっくに溶けていることを教えていた。休み明けの今日キャンパスを歩きながらふと顔を上げると裸の木々の枝先に微かな蕾がのぞいていた。背に注ぐ真昼の太陽がうっすらと熱かった。ボストンにももうそこまで春が来ている。

先頭 表紙

みほちゃん、すっかりタイミングをはずしてしまった返事になってしまい申し訳ありません。戦争は比較的早く終わり、イラクも再興へ向けて歩き始め、少なくともこのアメリカではあの戦争の是非を問う報道はほとんど姿を消しました。未だに大量破壊兵器が発見されていないことに関しアメリカの戦争開始の根拠を疑問視する風潮すらありません。きっとこのままイラクの民主化が進めばアメリカ批判自体が陳腐化されてゆくのだと思います。これが大国の論理。そんな横暴を許さないためにもこうして継続的にお互い考えていきたいですね。 / Hidey ( 2003-05-11 13:58 )
それでも私は自分はただの傍観者だと言ってしまうでしょう。それでも傍観者なりに冷静に物事を見極めて確かな感情をもっていたいものです。ほんとーに文というのは誤解を誘ってしまうものなのですね、もーちょっと文を作るとき、何か考えないとなぁ、迷惑をかけてすみませんでした・・・!しかしこれでまた誤解を呼ぶと元も子もないので腑に落ちないであればきになさらず・・・(書きにげ) / みほ ( 2003-04-04 23:01 )
もう終わりに向かって考えなければいけないのかもしれませんね。私はそこで「感情論」が正しく動いてくれることを祈るばかりです。もう終わりには戦争の意味や正当化や背景事実の積み重ねなど無く、ただただ死者への追悼と記憶だけが残るのでしょう。失った命はもう知識人が論じる論文の上では計れない、その事実が世界の人にどう響いて、それから世界がどう動くか、を考えているばかりです。 / みほ ( 2003-04-04 22:59 )
「感情論」は時としてメディアの標的に成ってしまうことは分かります。今の「反戦ブーム」も人の感情を過剰に刺激したメディアからの産物なのかもしれません。だからといってもうアメリカが戦争を国家による政策の合理的手段だと捕らえている、それについての論議や戦争が非倫理的だと思えばこそ、そのような悲惨なことを今度こそ終わりにするための戦争をしているのだと人々の感情をこれまた刺激してしまうようなことを言っていることに関して色々と論じてももう遅いのだと思います。戦争は実際に始まってしまいました。 / みほ ( 2003-04-04 22:58 )
私のまた誤解を誘うような文章に対して時間とスペースを割いて下さってありがとうございました。背景知識の不足、特定のメディアに踊らされているという事実は私にも言えることです。正しい知識を持っていればこそ今の、敢えて言ってしまいますが「反戦ブーム」に流されない視点が持てるのでしょう。 / みほ ( 2003-04-04 22:56 )
人間の盾については実はちゃんと効果をあげているようです。アメリカもバカじゃないから世論を考えれば人間の盾がどこに配置されているのかちゃんと把握していて、そこは攻撃対象から外しているということです。イラク軍ももちろん戦略的にそれを活用して、きちんと米英軍に人間の盾の人々の居場所を通知し、さらにそれを利用してイラク軍にとっての主要機能をそのうような場所に配置しているそうです。 / Hidey ( 2003-04-04 16:25 )
りぃなさん、戦争について考えたり個人的な努力をしたりするというのは、時に自己満足に過ぎないのではないかと思ってしまうけれど、僕は総じて無駄とは思いません。自己満足はね、誰も逃れられないと思います。自分もその状況にいないのであればね。でも自己満足が混ざろうとも彼等のためにしてあげらることがあればそれは大きなプラス。往々にして個人は無力でも、時に国家権力を覆すこともあります。それを信じなければ元も子もない。 / Hidey ( 2003-04-04 16:21 )
ニナさん、ありがとうございます。つっこみいただいて嬉しい!そう言えば同じ三月でしたね。気づかずに失礼しました。歳とともに訪れる平穏な気持ちはわりと好きです。でもお互いまだまだ若いですから!より魅力的な大人になったということでよしとしましょう。 / Hidey ( 2003-04-04 16:18 )
みなみちゃん、ありがとう。お気になさらず。先週はとても暖かい一週間でしたが、今週は少しボストンらしい肌寒さが戻りました。でもまた来週からは最高気温が10度以上の日が多くなりそうです。日本の春を見られて嬉しかったけど花粉症で死にました。 / Hidey ( 2003-04-04 16:14 )
フィー子さん、先日はありがとう。大変だったでしょう?哺乳瓶、キャップを明日にでも送るね。これでベビちゃんも僕の後輩だ。 / Hidey ( 2003-04-04 16:12 )
パンドラさん、ありがとうございます。そして本当に今回は残念でした。ガス欠コインさん同様、6月に本物の乾杯をしましょう。2日前に思い出したように軽い雪が降りましたが、それが正真正銘の最後のようです。先日は最高気温18度までいったくらいですから! / Hidey ( 2003-04-04 16:11 )
ガス欠コインさん、ありがとうございます。今回の帰国もお会いできませんでしたが、また昨年同様6月に再会しましょう! / Hidey ( 2003-04-04 16:08 )
ミサトさん、ありがとう!ミサトさんに負けないくらい素敵な年にしたいと思います。枝の蕾は次第に膨らんできましたよ! / Hidey ( 2003-04-04 16:07 )
プルーさんまでハモってくれて!!ありがとうございます。勉強はさっさと終わってほしいけれど日本にはまだまだ帰りたくない。大いなる矛盾に苦しんでいます。でも5月上旬に試験が終わったら最後一ヶ月ほど休みがありますので、それが最後の楽しみ。その時はもう一度会いましょうか?ちなみにアンチフレンチはさすがにこの学校ではありません。みな常識的。 / Hidey ( 2003-04-04 16:06 )
Rさん、しゃどう猫くんとハモってのお祝いメッセージ、ありがとうございます!卒業後10日以内に現場復帰せよとの社の命令ですので仕方がないですね。確かに早く実践したいのはやまやまですが、なんの役にも立てずに終わる自分の姿も容易に想像できて、ちょっと心配でもあります。 / Hidey ( 2003-04-04 16:02 )
しゃどう猫くん、ありがとうございます。ディナーはインディアン、でした。おしゃれじゃないね。ただし絶品のお店。夫婦で20分で平らげて、さっさと家に帰って勉強をしました。 / Hidey ( 2003-04-04 16:00 )
真冬さん、ありがとうございます。ほんとに最後まで息が抜けないはずですが、一つ目の論文が終わったところで今週だけはちょっと一息と言う感じです。最新の日記にもあるように友人の劇を見たり今週末はセクションメイトとモントリオールに行ったり。誕生日は論文提出前だったので特にお祝いもしませんでした。悲しい。 / Hidey ( 2003-04-04 15:58 )
ああ、きりがないからもうやめておくね。とにかく僕の本意はそういうことだったのです。短く端折ったような文章だったので伝わりにくくてごめんね。きっと多くの人がみほちゃんと同じ印象を持ったと思う。自業自得でした。 / Hidey ( 2003-04-04 15:54 )
しかも大量破壊兵器についてはアメリカがそもそもその種を蒔いた張本人であり、その分その存在に確信があるのだろうけど、張本人ならそれらしく相手の事情ももう少し尊重しろと。そして僕は1989年、湾岸戦争の2年前のバグダッドで素朴で平和的なイラクの人々と交わりを持ったことがあります。真昼の広大な公園の芝生一面にたくさんの家族たちがピクニックをしていましたが、どの家族も僕に「ちょっとこっちに来て一緒に食べていけ」と誘ってくれました。個人的にも、罪のない彼らが命を落としたり傷を負うことが悲しくてなりません。 / Hidey ( 2003-04-04 15:52 )
ちなみに僕自身は今回の先制攻撃は言語道断だと思っています。これだけ歴史的経緯や文化・価値観の相違が状況を難しくしている現代の世界において、国連の創設は人類共通の努力の結果だし歴史的偉業だと思います。平和を本当に考えるからこそ国連の尊重と国際法の遵守はイラクのためだけでなく、これから焦点になりうるすべての紛争地域のためにも大変重要なことです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:44 )
それは「難しいこと」では決してなくて、知る努力すらすれば誰でも簡単に理解できることです。フセインがこれまでしてきたこと、これからするかもしれないこと、そして大量破壊兵器がなぜ存在しうるかなどをきちんと認識した上で、暴走するアメリカを説得するには何を言えばいいのか。それは国連安保理での討論に限らず、個人レベルの会話でも必要な手続きだと思うのです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:38 )
浅い分析、過剰演出で人々の情感だけを掻き立て、より「戦争ショー」を盛り上げようと躍起になるテレビ局と、あっさりその思惑に流される大衆。反戦の部分だけ見ればそれはいいことかも知れないけれど、少し引いて考えればとても危険なことです。ファシズムに呑まれることの危険性は置いておいたとしても、政治家だろうが一般大衆だろうが真にイラクのことを考え世界平和を考えるのだったら、少なくともあれだけ人々の憎悪の的になっているブッシュですら注意を払っている周辺事情はちゃんと知る努力をすべきだと思います。 / Hidey ( 2003-04-04 15:35 )
これは日本のテレビを観ていてインタビューに答えたりする人々を見て思ったことです。クルド人が5000人虐殺されたことを知らない人までいるんだから。そして視聴率を稼ぐことだけを考えて意図的に骨抜きな番組をつくり、朝から晩まで無分別に戦闘シーンを伝えるテレビ局にも大いなる怒りを感じました。職業柄彼等の表向きだけの反戦メッセージなんて簡単に見破れるのです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:27 )
みほちゃん、少し長くなるかも知れないけどごめんね。まず真意が伝わらないような文章を書いてしまってごめんなさい。人の命を計るのは間違いなく人の心です。論理や理屈ではありません。僕が言いたかったのは、気持ちを大切にするのはもちろん大切で必要だけれども、その気持ちがあるのならもう少し歴史的背景や多角的な事実の認識をしてほしい、と思わせられる人が多いということなのです。 / Hidey ( 2003-04-04 15:24 )
しんちゃんさん、ありがとうございます。そちらも肺炎にだけは気をつけて、楽しい生活を送ってください。 / Hidey ( 2003-04-04 14:54 )
akemiさん、二つ目のつっこみもありがとうございます。友人の妹さん、こんなに早く別れが来るとは想像できませんでした。このごろは戦争やら肺炎やら個人的な寝不足やら(!)で、ほんとにいつどうなるかわからないのでちゃんと生きないとな、なんて思うこともあります。季節の狭間の海、いとおしゅうございます。 / Hidey ( 2003-04-04 14:53 )
azzurriさん、せっかく一番乗りしていただいたのに返事が遅くなってすみません。有意義ではありましたが勤めを果たしただけのような気もしました。フィー子ベビーは可愛くなってますよー。いつか一緒にフィー子家に集まりたいですね。来年のバースデーはどんな状況で迎えているのか、そう言えばまったく想像できません。 / Hidey ( 2003-04-04 14:48 )
断固反対と叫んでみても、国家レベルで動く事には太刀打ちできない。…と考えて、もう無力感と悲しさでいっぱいです。投げやり気味の考えですが。世界は広くなったけど、目も当てられない程ぐっちゃぐっちゃになってしまった、と日記を読んで思いました。長いツッコミですみませんでした。。 / りぃな ( 2003-04-02 16:27 )
もう戦争の事は、語る言葉も尽きたというのが正直な気持ちですけど、最後にここでつっこんで、終わりにします。個人と国家レベルでは対処も建前も使える力も違っていて、自分は個人としてしか動けないから、早期終結には直接的には何も出来ない。それでも人間の盾として現地に残る人や、反対運動で座り込んだりする人もいて、やらないよりかはマシだろうけど、あまり意味はないと感じてしまいます(汗) / りぃな ( 2003-04-02 16:25 )
お誕生日おめでとうございます。こちらにも春が来ました。私もひとつ歳をとり、良いこともそうでないことも、変化を受け入れられる大人になりつつあります。良きはじまりでありますように。 / ニナ ( 2003-04-01 02:04 )
↓最後、もう来ましたか の間違いでした。すみません。(^^;; / みなみ ( 2003-03-31 21:08 )
わたしも見落としてしまったようです。遅れ馳せながらお誕生日おめでとうございます! ボストンには春は来ていますか?  / みなみ ( 2003-03-31 21:06 )
お誕生日おめでとうございます。抱っこどうもありがとう。ハーバードの哺乳瓶、ウケました! / フィー子 ( 2003-03-28 18:04 )
お誕生日おめでとう! 春になると、いろんなことが動きだしますね。雪解け。Hideyさまの2年間が、大きく花開く春になるのでしょう。 今度こそカンパイ、心から楽しみにしています。 / パンドラ ( 2003-03-28 10:46 )
遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。いよいよ、ラストスパートですか。Good Luck! / ガス欠コイン ( 2003-03-27 17:00 )
お誕生日おめでとうございます。今年もHideyさんにとって素敵な1年でありますように♪春・・もうすぐそこまで来てるんですね! / misato ( 2003-03-27 11:05 )
ぎょぎょっ。ワールドのトップって滅多に開けないので見落としました、ごめんなさい。お誕生日おめでとうございます。(*^-^*) / akemi ( 2003-03-26 23:05 )
わーいわーいわーい。お誕生日おめでとうございます。超多忙ですね、アメリカ生活ラストスパートかしら。楽しんでください。 / アンチフレンチもヒステリックだわ@プルー ( 2003-03-26 06:53 )
わーいわーい。お誕生日おめでとうございます!卒業後、すぐにお仕事に復帰なさるなんて、休む間もないのですね。それとも、2年間で学んだことを実践できる楽しみで一杯といったところでしょうか? / R ( 2003-03-26 03:53 )
わーい。お誕生日おめでとうございます! ディナーは、イタリアン、だったのかしら? / しゃどう猫 ( 2003-03-26 03:17 )
お誕生日おめでとうございます。いよいよ終盤の追い込みでしょうか。最後まで息が抜けないとは、このこと?お誕生日くらいはゆっくりと楽しいお時間をお過ごしになったことでしょう。 / 真冬 ( 2003-03-25 22:59 )
誕生日おめでとうございまーっす!東京、多くの友人が上京してその内の数人かはHideyサマの後輩になりまっせ。人の命は感情論以外でどう言い表せるのでしょうか。論理的に説明されてしまう人の命の重さは。 / みほ ( 2003-03-25 21:15 )
生日快楽♪です^^ 今年もいい年であるといいですね〜^^ / しんちゃん ( 2003-03-25 18:11 )
お疲れ様でした。慌しい中にも収穫の多い最後の一時帰国?だったようでなによりでした。人生というのは出会いと別れの繰り返しですね。今を精一杯生きたい、、とこの時期、特に強く感じます。海辺の街でも空気の匂いが変わってきていますよ。 / akemi ( 2003-03-25 11:39 )
お誕生日おめでとうございまーす!!一番乗りかな???怒涛の日々の中で束の間の帰国は有意義な時間になられたんですね、、、フィー子さまベビちゃん、1月よりもさらに可愛くなってるんでしょうね〜♪ボストンでの生活を終えられて、また新しい日本での日々がスタートする一年が、実り多き一年となりますように! / azzurri ( 2003-03-25 09:09 )

2003-03-25 ふたたび、つかの間の帰国 1

相変わらず鬼のように大量のリーディングを課せられる日々が続いているが、別の要素も加わって日記がまったく書けずにいた。先週一週間にわたる一時帰国とそのための準備により多忙を極めていたのだ。

この学期はハーフコースの授業をふたつ取っており、前半のコース「Leading Teams」はその全日程を終え、3月28日提出の期末論文を残すのみとなった。かつて僕が広告代理店の営業として従事していたヤマハ発動機の海外販促物制作作業を題材にして、遠隔チーム作業の成功と失敗の要因について書くことにした。主にこの論文のリサーチのために3月15日から23日までの春休みを丸々潰して一時帰国したのだ。

静岡県磐田市のヤマハ発動機と東京にあるうちの会社、そしてアムステルダムのヤマハヨーロッパとブリュッセルにあるうちの関連会社の四者によるITを駆使したコラボレーションは、地域性に縛られることなくそれぞれの専門知識や技術を持ち寄った理想的なチームである傍ら、距離や文化の隔たりによりもたらされる様々な問題に直面することも多かった。その最新事例について書くために、僕の作業を継いだ後輩やクリエーティブスタッフに対しこと細かなインタビューを実施した。28日が提出期限であるため、帰国前から電話でできるだけの話を聞きだし、既に文章を起こし始め、帰国中の作業は補足のリサーチに留めることにしていたので、3月上旬から既に多忙な日々が続いていた。

今回の帰国では他の三つの授業のためのリサーチやインタビューも実施した。4月末提出の「The Marketing of Innovations」の論文では僕がかつて心血を注いだ電動自転車PASのマーケティングについて書くことにした。社に残した資料を集めるのと同時にクライアントからも情報収集するため磐田にも出向いた。いつも親しくしてくださっていたクライアントの方々から沢山の貴重な情報をいただいた。また「Evolution of Global Business」というハーフコースの後半の授業のための期末論文でもヤマハ発動機の海外戦略について書くことにし、これも磐田の広報室の方々からオリエンテーションをいただいたうえ、「コミュニケーション・プラザ」という広報施設にて様々な資料を漁らせていただいた。この論文は5月9日までに提出。そして「Managing across Cultures」という授業の課題として、異文化間マネジメントに携わるビジネスマン二人にインタビューをし、そこから学んだことをレポートにまとめて4月末までに提出することになっている。某有名外資系コンピューター関連メーカーの作業を担当するうちの会社の日本人営業と、彼をサポートするために提携先海外広告代理店からうちの会社に派遣されているニュージーランド人の営業の二人にインタビューすることによって、国による代理店文化の違いや、それを超えて共同作業を成功に導くための方法論を模索することにした。

(つづく)

先頭 表紙

りぃなさん、すっかり返事が遅くなりましたが、ありがとうございます。充実はしてますね。させないとね。そうでないと帰国してからpay the priceすることになるから。おたがいあと一ヶ月かな。最後まで気を抜かないで行きましょう! / Hidey ( 2003-04-04 14:46 )
お誕生日、おめでとうございます♪ もう、ボストンでは25日ですよね。忙しく、大変そうですけれど、すごく充実してらっしゃるのでは? 前も書いたと思うのですが、この学期が一番実りがありそうです。残りのラストスパート、共に頑張りましょう! / りぃな ( 2003-03-25 14:25 )

2003-03-02 悲しい過去を越えて 2

エラはやはりサマースクール当時からとても仲のいい友人で、一年生の本学期が始まる前の暑い夏の日に二人で家具屋を見てまわったり、他の友人とともにカラオケやクラブに行ったりした。彼女は何においても仕切り屋で、サマースクール当時の友人を束ねては度々パーティーを開いたりと、とても明るく思慮深く、本当にいい子だ。アイリーンはサマースクールには通わなかったが、エラのルームメイトであり、僕も彼女とはずっと仲よくしている。昨年の学生演劇コンテストでは得意のダンスを披露して舞台を彩っていた。クリスとはエラを通じて何度か食事をしたことがあった。

エラは“I like Japan.”としばしば口にし、それはとても嬉しいのだけれど正直僕はその度に歴史が脳裡をかすめ、複雑な気持ちになってしまう。「バターン死の行進」に代表される二次大戦中のフィリピンにおける日本軍の非人道的行為、そして戦後補償の名のもとに展開された日本の経済進出プログラムにおける償いの精神の欠如。そしてその構図が紆余曲折の末生活レベルに反映されたとも言える「ジャパゆきさん」などの問題が横たわりつづけてきた。始終そんなことを考えて友達づきあいをしたりはしないが、エラはどんな気持ちでこんな風に嬉しい言葉をかけてくれているのだろうとふと思ってしまう。忘却も時にはひとつの知恵だが、完全な忘却、ましてや無知は罪でしかない。

でも我々は落ち合えば互いにそんなことはひとたび忘れて底抜けに楽しい時間を過ごす。メイソンとリンリンとはよく夫婦でトランプをしたり、一緒にDVDで映画を観たりする。先日は紅白歌合戦のビデオを借りてきて一緒に観てはリンリンが実はキムタクの大ファンであることを知った。昨日は僕の大好きなイレーヌ・ジャコブが出ていた「トリコロール」の「赤」をBGVにしながら大貧民で盛り上がった。

エラは僕が昔買った6枚組の80年代ポップスコレクションがお気に入りで、懐かしい曲をかけて盛り上がったり、ともに参加した一年半前のバーモント州への小旅行の写真を一緒に見ては思い出話に花を咲かせたりした。この日はお得意のイタリア料理で彼らをもてなし、それにあわせてクリスが持ってきてくれたで赤のトスカーナワインを飲みながらかの情熱的な国に思いを馳せた。ゲーテの時代から現代にいたるまでドイツ人はイタリアに特別な思慕を抱き、クリスもその例外ではなかった。そしてワインにあわせて出してきたリーデルのグラスに気づいたクリスは「趣味がいい」と言った。同じドイツ語圏のオーストリアのグラスを彼はことのほか喜んでくれたらしい。その夜我々は、隠居後にはお互いイタリアに移り住んでワイナリーで再会しようと誓い合って別れた。

時に過去を掘り下げてビジネスを学ぶ大人の我々には完全な忘却や無知は許されない。だからこそ我々は口には出さなくても互いに礼節をわきまえ、互いの国がしてきたことを真摯に受け止め、なおかつひとたびそれを忘れて無邪気に楽しい時を過ごす。それぞれに悲しい因縁を分け合う国の人々と一生続くであろう友情を持ち合えたことはこの留学をさらに実り多きものにしてくれている。

先頭 表紙

夢樂堂さん、うっかりつっこみ返しをし忘れてしまいました。ごめんなさい。歴史はどれだけ学んでもまだまだ知ったことにならないのが辛いですが、その努力をしないということは社会的責任を放棄するようなものですよね。温故知新という言葉の意味をこのところ痛感することしきりです。 / Hidey ( 2003-04-04 14:44 )
おとじろうさん、らしいボケをどうも(笑)。人間、国家という大きな単位になっても性質は一緒ですね。やりにくいことは先延ばしにする。僕もその点まったく人を批判できませんが(笑)。戦争の解釈が違うとしても、互いの違いの根拠は何か、同じ空間で考え合えればいいですよね。その貴重な機会がここにはあります。いつもそれには感謝しています。 / Hidey ( 2003-03-31 16:43 )
ぶちょう、先日はようやく再会を果たせて嬉しかったです!反戦集会、ぶちょうらしいですね。僕も行ってみたと思う。容易に変わらないのは事実だけど、さすがに今回だけは日本国民にも色々考える機会を与えたのではないかと思います。できるだけ肯定的に取りたいとは考えています。 / Hidey ( 2003-03-31 16:40 )
ガス欠コインさん、本当に細部の史実はなかなか知り得ないですね。でも骨格からその歴史的根源を探り、今の我々にも通ずる人の本性を考えることは大切ですね。君が代にしても正解はないと思います。反戦集会も参加すればいいというわけではない。何をどう考えたかによりますよね。 / Hidey ( 2003-03-31 16:38 )
やっちーさん、はじめてつっこみいただいたのに返事が遅くなってごめんなさい!フィリピンだけはさすがに史実として逃れようがないですからね。エラが「I like Japan.」と言うとき、その瞬間には意識的でなくても、彼女のこれまでの精神体験の中で間違いなく歴史も顧み、同時に現代の日本文化を思い、そのバランスの中で「like」という気持ちに至ったわけなので、その直接的・肯定的な言葉にだけは一瞬僕も反応してしまいます。おっしゃるとおり、最終的には一人一人の絆。それがなければ変化は起こりえないと思っています。 / Hidey ( 2003-03-31 16:36 )
フィー子さん、いろいろ活動的だったんだね。先日はそんな話にはならなくて残念でしたが、フィー子さんの経験もたくさん聞かせてほしいな。 / Hidey ( 2003-03-31 16:31 )
みほちゃん、つっこみ返しの順番がぐちゃぐちゃになってごめん。みほちゃんの場合は悲しみもさることながらそうした大切な話をやり方によっては率直に話し合える間柄でもあるのでしょうね。互いのdistortionの事実を認識した上で、健全な会話をされることを望みます。いつかそんな話も聞かせてね。 / Hidey ( 2003-03-31 16:30 )
りぃなさん、ほんとに受験戦争の弊害とは言え、あれだけ世界大戦の辺りを端折られるとお上の陰謀ではないかと思ってしまいますよね。僕も時々ですが祖父から生の戦争の話を聞き、色々思うところがありました。もう今はそれも敵いませんが。 / Hidey ( 2003-03-31 16:28 )
あれ、抜かしちゃいました。口車さん、「金づる」という発想は不健全ですがもちろん存在しますよね。もちろん日本人もそれを見透かして行動しなければいけない。国益に敏感な政治家はもちろんそんなことだけはとうに承知ですが。閔姫事件についても残忍な結果だけを見れば日本が一方的に反省してしまいがちですが、よく言われているように当時の朝鮮国内の政治的事情、諸勢力の対立などを見渡せば、これも日本人の悪行というだけではなく歴史の不幸とも理解できますよね。多くの異なる視点を持つということが肝要かと思います。 / Hidey ( 2003-03-31 16:25 )
りりさん、おこがましくも語ってしまいましたがりりさんこそ香港という特別な環境で思うことはたくさんおありでしょね。本当に海外にいるということは日本を改めて学ぶことを強いると僕も日々実感しています。 / Hidey ( 2003-03-31 16:14 )
ミサトさん、人によってはそしてその人の体験によっては、どんなに冷静に客観的な見解を示しても容易には理解されないのでそこだけは踏まえないといけないですよね。うちの学生はうちに来ているというだけでどの国の学生も相当戦後資本主義に偏ってますから。ところでミサトさんらし追伸がかわいい!麻婆豆腐、もちろん僕もあつあつのご飯にかけます!葱と中国山椒もね。 / Hidey ( 2003-03-31 16:13 )
ricaさん、ちょっとこの文章を書いたときがたまたま戦時中の映像を綴ったドキュメンタリーを観た直後だったので、かなり過去を見つめた文章になってしまったのでしょうね。すみません。普段は21世紀という新しい世界を生きる友人同士で、歴史を振り返りつつ話をすることはほとんどありません。そんな堅苦しい仲じゃないし。でもこの学校では毎日のように戦時中の歴史までも振りかえる授業において同じ教室で議論を繰り返していますので、無知はまったく許されないのは事実です。 / Hidey ( 2003-03-31 16:09 )
daseinさん、はじめまして。貴重なお言葉をありがとうございます。僕も思うところが多々ありましたので、お返事はつづきの日記という形で書かせていただきます。 / Hidey ( 2003-03-31 16:05 )
KATSUMIさん、大連も今は昔の面影をまったく残していないのではないかと思いますが、肌で感じれられるものがあったらいいですね。日記、これから読ませていただきます。 / Hidey ( 2003-03-31 16:04 )
たらママさん、おっしゃるとおり。歴史を学ぶと同時に現代政治も学ばないとものごとの本質は見えませんね。 / Hidey ( 2003-03-31 16:02 )
Arminnさん、はじめまして。朝鮮の分断についても諸説ありますね。部分的にどれも正しいように思います。国家の分断という大きな出来事は、外的要因においても内的要因においても、それぞれにそれを意図する人が存在したからありえたことだと思います。寛容なのはよりグローバルで公正な視点で史実を解釈し、現代にその学びを生かすということなのでしょうね。望んでもなかなか得られない直接的に他の国の人々と接する機会を得られていることにはただただ感謝です。 / Hidey ( 2003-03-31 16:01 )
八百屋六助さん、乖離についてはおっしゃる通りだと思います。国家の論理は前時代から本質的には余り変わろうとしないのに対して個人は理性を身につけつつあるということでしょうか。イラク攻撃のアメリカ世論に関しては大都市ほど反戦、田舎ほど戦争指示というギャップが見て取れます。国を開いて以来本質的には外にそれほど目を向けずにすみ、大国ゆえに中央部の外界との接触が希少になるというアメリカ独特の現象ですね。僕の周りの学生はみな「利口」なのではっきり口には出しませんが、大部分が今回の戦争には反対のようです。 / Hidey ( 2003-03-31 15:53 )
沢山のつっこみをいただいておきながら、お返事をする余裕がなくて遅くなってしまい申し訳ありません。少し落ち着いたら必ずすべてお返事させていただきます。 / Hidey ( 2003-03-25 05:50 )
国家間の償いはお金。愛のつぐないはテレサ・テン(すみません)。戦争による過去の過ちは早いうちに国としてきっちりと償いをしておいてほしかったです。一個人として出来ることは真実に目を向けそれを理解した上で相手と接する。その気持ちが一番大切だと思います。戦争の解釈は国によって大きく違いますしね。 / おとじろう ( 2003-03-13 15:28 )
日比谷の反戦集会行って来ました。来場者の世代の幅広さにちょっとびっくり、メディアの取材と報道の少なさにびっくり、ネットのパワーにびっくり。会場にいると(知る限り)歴史上初めての人民パワーによる戦争休止が実現できそうな希望が持てたけど、ウチ帰ってニュース見たら何も変わりそうに無いな。なんだかむなしいものです。 / ぶちょう ( 2003-03-10 10:22 )
本当の意味で細部までの真実を知ることはもはや不可能に近い部分もありますが、骨格を知り、自分の中の咀嚼する大切さを感じます。もちろん、当該の外国人とこの問題について語り合う機会を持てれば、それに越したことはないと思います。P.S. 今日、ピースボートが、日比谷の野音で反戦集会を開いたようです。 / ガス欠コイン ( 2003-03-08 18:04 )
僕は、両親が幼い頃から第二次世界大戦について語ってくれたことで、その骨格というものは早いうちに理解できていたかと思います。ただ、成人となってから、『君が代』は歌ってはいけないのかなど、自分の中で葛藤を繰り返し、結論を導いたものもあります。日本の現在の学校教育では、Hideyさんの語る歴史をとても物語ることは出来ず、偉そうに言うつもりはありませんが、無知のままか、偏向的な思想を持つか、そのどちらかになってしまっている人が多いような気がします。(続く) / ガス欠コイン ( 2003-03-08 17:58 )
そうですね、第二次世界大戦ぐらいになると3学期の終わりのほうで、ささっと流しておしまいって感じでした。「今」を生きるわたしたちにとって、もっとも大切なところなのに。アメリカで出会った韓国の学生さんたちは、何よりわたしたちが歴史を知らないことに驚いたでしょう。歴史の授業は古代史を最後にして現代から遡っていったほうがいいかもしれません。 / Arminn ( 2003-03-05 23:17 )
20歳の時、初めての外国・フィリピンの田舎で、友人は地元の人から戦争の時に日本軍にもらった物を見せられたり、私は会話の中で日本に対する気持ちを知り、日本の行いや戦争の傷を未だに引きずって生きてる人々がいることを知りました。でも、きっと新しい世代の私達が、新しい関係を作っていけるんですよね。例えば、韓国の方々は日本に対して良い感情を持っていないようですが、今私は、数少ないアジア人の仲間としてとても優しくしてもらっています。一人一人の小さな絆、でもそれがいつか大きな力になればいいですよね。 / やっちー ( 2003-03-05 21:56 )
大学時代にやっていた草の根交流(留学生と交流する)を思い出しました。諸外国の人との歴史の議論は白熱していました。3月、こんな話もしたいですね。 / フィー子 ( 2003-03-05 15:29 )
皆さま書いてらっしゃる、歴史をきちんと知ること、に強く同意、です。中高共に、日本史の授業では世界大戦の辺りは駆け抜けてしまったけど、それは全国的な事らしいし。。留学前に父が"おじいちゃん、戦争のことを教えて”という本を読ませてくれたのですが、目から鱗でした。 / りぃな ( 2003-03-05 14:52 )
私もよく人を見てからでないと、こういう話はできません。補償問題で団体が会社に押しかけてきたり、尖閣諸島問題では日本人学校までデモがきたり、色々経験しているので…。わざと無知を装うこともあります。ただ、こちらの高校の社会科の先生とこういう話題を論じた時は、お互いに理性的に話し合えたので勉強になったし理解も深まりました。サンフランシスコ条約を読んだり、靖国神社の歴史を勉強したりしたのは、恥ずかしい話ですがこちらに来てからですね。もっと日本にいる時に自覚していれば良かったと思いました。 / りり ( 2003-03-04 20:02 )
大切な人たちが戦時中、日本から被害をこうむった国の出身である事ほど辛いものはありません。それに直面したのは一年半前、17になったばかりの自分は涙を流すしかない程無知でしたが。それでも彼らの中で「日本人が思うほど単純ではない心の内」が払拭されるのを夢見ているのですけどね。私の中ではとても大切なトピックですが、言いたいことはHideyサマとほぼ同じ、です。 / みほ ( 2003-03-04 18:59 )
そうですね、わたしも朝鮮半島が分断国家になったことに日本が直接的にそうしたとは思いません。しかし、間接的なことであれわかっていなかった。そう言われるまで。韓国の人のどれぐらいの人しかしらないけど、そのことも含めて「過去」の問題なんだということも知らなかった。ワールドカップ共催でそういう感覚もだいぶ変わったかもしれませんが・・・ / Arminn ( 2003-03-03 22:49 )
下に書いたように、朝鮮半島が分断国家になったのには、間接的に日本が関与しているかもしれませんが、直接的には関係ありません。夢樂堂さまも書いていますが、自分達の国の歴史をきちんと知らないと言うことが大問題で、知らないと相手の言いなりに間違ったことを植え付けられてしまうのです。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 17:51 )
韓国の場合も、朝鮮戦争による同胞同士の殺しあい、その前のやはり1947年の済洲島でのアメリカ軍政による弾圧と虐殺なんてことが起きています。4.3事件は統一国家建国を狙った民族主義の人たちと、ソ連との分断国家を狙ったアメリカ軍政との対立の結果でもあります。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 17:47 )
ちなみに、誤解のないように書いておきますが、「金づるね。」と言った台湾人の程度が低いわけではありません。彼は承知して言っているのです。別の北京在住の中国人にも言われましたが、直接被害を受けた人は別として、大方の中国人は日本に対して恨みの感情なんて持っていないということを言っていました。それよりは、自国内での弾圧とかの方がひどかったのです。台湾に置ける1947年の2.28事件しかり、文化大革命然りです。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 17:33 )
夢樂堂たちの不幸は日本の歴史を知らないことです。いいことも悪いことも知っているべきで、そうでないとそれなりの歴史観をもてないでしょう。 / 夢樂堂 ( 2003-03-03 13:52 )
小泉首相が選挙民対策として靖国参拝にこだわるように、彼等も自分達への批判をかわすための政治の道具として「日本はけしからん。」とやっていたりします。その当たりを見失うと、弱みにつけ込まれるだけということになってしまいます。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 12:18 )
5年ほど前、仕事で付き合いのある台湾人を食事に誘ったとき、靖国神社の前をたまたま通ったので、「ここが例の揉めている場所。」という説明をしました。そうすると彼は開口一番、「あ、金づるね。」ということを言いました。朝鮮王朝の王宮内における閔姫暗殺事件のような破廉恥な行為に対して正式に日本政府は謝罪していない等、日本人として贖罪の意識を持つ必要はありますが、過剰に反応するのもいかがなものかと思うのです。相手は相手でその程度の意識であったりします。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 12:15 )
ミサトも同じ様な事がありました。その時はやはりメイソンさんのような客観的思考の方が多かったけれど、そうではない方々もいらっしゃる事(高齢の方などは特にそうなのかもしれません)は忘れてはいけないと思っています。そして今を生きる者として、今後このような悲しい過去を世界で1つでも増やしてはならないと強く感じています。ps:麻婆豆腐を刻んだ葱と一緒にあつあつごはんにのせるの好き♪ / misato ( 2003-03-03 10:06 )
日本人が日本人同士でお友達になるのと感覚は同じというか。だって一個人同士がお友達になるわけで、その友達の国を自分または相手が「好き」だと思えば「好き」なわけで・・・。それは歴史上どちらかがどちらかの国に対して何か良くないことをしたという事実があったとしても、です。うう、良くわからなくなってきた(笑)。ううむ。 / rica ( 2003-03-03 06:34 )
う〜ん、確かに過去や歴史について「無知である」「完全に忘れる(無視)」ことが良いとは思いません。それぞれの中に知識としてあるべきことだとは思います・・・が、個人レベルで「お友達」になる時には私はあまり深く考えません。また私が思うに相手もあまり考えていないように感じます。 / rica ( 2003-03-03 06:34 )
偏った情報だけでは、そりゃ、自虐的にもなりますよね。幅広く学ぶことをお薦めいたします。感情も大切ですが、事実をしっかりと見極め、相手の言うコトだけを鵜呑みにするのはやめたほうがいいでしょう。 / dasein ( 2003-03-03 03:40 )
今週末大連に行くのですが、日清・日露戦争や戦後の引き上げを抜きにして訪ねてはいけない場所だと思っています。過去を過去として捉えられる強さ、日本には少ない気はします。 / KATSUMI@プレイヤーモード ( 2003-03-03 01:31 )
国が教える歴史も、政府の判断でいろいろ事実に濃淡ついてますね。国益といえばそれまでですが。 / たらママ ( 2003-03-03 01:22 )
はじめまして。朝鮮半島が北と南に分かれてしまったのは日本のせいだということをあまりよく知らず、アメリカに語学留学したときに韓国人の学生さんたちに聞いてそのことを直視しました。日本が違う道を選択できたら、拉致問題にしたって起き得なかった。そうした過去をわたしはしっかり感じて生きていこうと思っています。 / Arminn ( 2003-03-02 21:44 )
国民一人一人の考え方(これがマジョリティだったりする)と国家の考え方の乖離,だんだん大きくなっていくような気がします.特に今回のイラク攻撃,アメリカでは結構支持率あるのでしょうけど,積極的な英豪日を含めて他の国はほとんど支持率無いですね. / 八百八六助 ( 2003-03-02 18:06 )

2003-03-02 悲しい過去を越えて 1

このところ勉強が忙しいことに加えて週末ごとに来客があったりこちらから友人宅に遊びに行くこともあったりして、落ち着いて日記を書く時間がとれずにいた。昨日は中国人のメイソンとリンリン夫婦の家にこちらも夫婦でお邪魔し、先週はフィリピン人のエラとアイリーン、そしてエラの彼氏でドイツ人のクリスが家に来てくれた。3週間前には逆にメイソンとリンリンを家に招待した。リンリン以外は皆うちの学校の友人だ。

メイソンは僕がボストンに着いてからはじめてできた友人だ。こちらに来て2日目に僕は学校の家族寮への申し込み手続きについて調べるために学校の運営する不動産関係の事務所を訪れた。そこで偶々出会って話をしたのがメイソンだった。英語に不自由する可能性のある学生50人あまりが集められたサマースクールで再び彼に会い、実際の授業が始まってからは偶然同じセクション(クラス)に属した。

すらりと痩せ型で眼鏡をかけた、いわゆる秀才タイプの彼は実は結構気骨の人だ。人当たりはよいけれど、議論になれば明確に自説を主張しつづける粘り強さを持っている。奥さんのリンリンとはネット恋愛から結婚に至ったという中国では超先端的なカップルだ。リンリンは目鼻立ちのはっきりした美しい都会的な中国人女性である。

初めて家に来てくれたときは彼らに敬意を表して僕なりの中華料理で歓待した。と言ってもひとつ覚えの陳建一流麻婆豆腐。豆板醤や辣油、花椒のきいた辛い味付けだったが、美味しい美味しいと言って食べてくれた。昨日は彼らの家でリンリンのつくった春巻、冷奴、餃子など、クラシックな中国の家庭料理を食べさせてもらった。

先日家に来てくれたときにはひょんなことから日本と中国の歴史の話になった。前に韓国人の友人が家に来てくれて、やはり日韓の悲しい過去の話になったことを話したのがきっかけだったと思う。国としては簡単に過去の過ちを認めることはないけれど、日本人は個人レベルではその大半が、戦時中の日本の暴虐ぶりを史実として認識しており、アジア各国に対し責任を感じていると話した。アジア各国が政治的な思惑から日本に対し過去の問題をを繰り返し取り沙汰することも事実だが、そこまでの話には至らなかった。

メイソンは「僕もこういう話はオープンに話したいと思っている」と前置きして、「なぜ日本の首相は中国人や韓国人が非難しているのを知りながら公然と靖国参拝をするのか」と質問した。それぞれの首相によって事情は異なるが、ある場合は、補償責任はともかく国のために戦死した人々への敬意という個人の強い信念ということもあるし、同時に右傾化した党のリーダーという立場、そしてその支持者たちへの政治的な配慮があるのだと説明した。彼はなるほどねと簡単に納得してくれたが、それは彼が資本主義国のビジネススクールに学ぶに足る生活レベルと客観的思考の持ち主だからだ。過去の過ちと現在なすべきことを体系的に分けて考える者同士、礼儀と理性を併せた話ができたが、これが一般の中国国民に通じるかと言ったら大間違いだということは忘れてはならない。

(つづく)

先頭 表紙

おとじろうさん、まさにその点は文化による死生観の違いだと思います。日本の死生観が必ずしも正しいということではなくて、仏教思想においては死が魂を浄化するという理解があり、政治家もその点をもう少し説明できればいいのに、と思います。ただし死生観の違いを超えて軍国主義復権ののろしのように参拝をする歴代首相も多くいたと思いますが。 / Hidey ( 2003-03-31 15:44 )
鳥さん、いえいえ、まだ日本のことをよく知ったとはいえないところが辛いです。今の世の中は多角的に学ぶ機会だけは与えられているのでそれは幸せですよね。できるだけ活用しないとね。 / Hidey ( 2003-03-31 15:40 )
りぃなさん、回答例というか、でき得る限りを我々も学び、でき得る限り公正な見解を持つことによって、多少の軋轢は残っても、双方の信頼性は向上すると信じます。ただし相手を見るのはたしかに大切だと思います。 / Hidey ( 2003-03-31 15:38 )
クリスチャンの人も強く批判していますが、私もHideyさまと同じ意見です。お国のために戦死した人が神様になろうが仏様になろうがその魂への敬意は国のリーダーとして当然やるべき行為だと思います。戦争を忘れないためにも。過去の過ちを繰り返さないためにも。 / おとじろう ( 2003-03-13 15:05 )
靖国神社のことをこんな風に説明できるなんてすごい!しかも英語で。日本語でさえ答えられないです。 日本のことをよく知った、真の国際人ですね。 / ( 2003-03-09 13:17 )
今まで、こういう事をどう説明したらいいもんか、と思ってたんですけど…いい回答例ですね。留学生は、マイノリティーという環境に身を置くからか、大抵の人は歴史的な話も落ち着いて出来るんですが。。日本国内でも、全ての人に通じるわけでもないし。。ため息出ちゃいますね。 / りぃな ( 2003-03-05 14:40 )

2003-02-28 19世紀のブロードバンド 3

鉄道会社が乱立し、過当競争が繰り広げられ、破綻する企業も次第に増え始めた。過当競争による経営の悪化を是正すべくカルテルやM&Aという業界統合の動きが見え始め、破綻寸前の企業は株式や債券を発行して経営再建を試みた。しかし買収の調停は困難を極め、仮に買収が成功しても倍増した資産をコントロールする手腕を持ち合わせた経営者はいなかった。経営難の鉄道会社は株式、債券も容易に売れなかった。そこに登場しこれらの困難な作業をことごとく成功に導き、アメリカ鉄道産業の統合と発展に重要な役割を果たしたのが、アメリカ政府の金融危機をも救ったあのJ.P.モルガンだった。モルガンは鉄道産業の再編で培ったノウハウを他産業にも応用し、エジソンを補佐してGE、ジェネラル・エレクトリック社を設立、AT&Tの発展に寄与し、カーネギー社や彼自身が設立を助けたフェデラル・スティールなど8つの鉄鋼会社を統合した超巨大企業、U.S.スティールを誕生させた。

鉄道は他にも数多くの起業家に成功の機会を提供し、彼らの成功は今なお君臨する多くの大企業を誕生させた。鉄道会社の激しい競争状態を巧みに利用した安価で独占的な輸送システムにより一大石油帝国を打ち立てたロックフェラー、都市部と農村部の新たな絆に需要と供給の交錯を見出した食品産業のハインツ、人・モノ・金のすべての流れの中継点として急速に発展したシカゴを舞台に新しい流通の姿を描き出した高級百貨店のマーシャル・フィールドなどがその例だが、彼らについてはまた別の機会に書いてみたい。

鉄道のインフラとしての機能、その規模と速度、そして社会の構造を変革した技術性は19世紀のブロードバンドと呼ぶにふさわしい。しかも数年でバブルが崩壊したIT産業と比べてみれば、鉄道がアメリカン・ビジネスにもたらした影響がどれだけ大きかったかが分かると思う。どこの国でも鉄道の経済効果は大きかったが、他の国と違い未開の地を鉄道が切り拓きながら人口が流動し、物資が流れ、都市が発達していったことは、アメリカにおける鉄道の意味合いを特別なものにしているのだ。

この鉄道に関する部分の授業は、ピューリッツァー賞を受賞した経営史、組織論の大家である当校のアルフレッド・チャンドラーJr.教授と、同じくピューリッツァー賞受賞のトーマス・マックグロー教授を含む三人の著者による教科書に基づいて学んだ。最初の授業でコース全体の説明があり、鉄道に関して三日間を割いて学ぶと聞いたときは正直「何でまた」と思ったが、実際に授業を受けてみて納得した。先日の日記にも書いた女性教授が初期の蒸気機関車などのスライド写真を見せてくれたが、興味深かったのは1908年創立当時のうちの学校の必修科目の中に鉄道の経営について学ぶ授業があったことである。昨今どのビジネススクールにもITビジネスに特化した授業が存在することと相似している。ここにも当時の社会における鉄道産業の位置づけが見出せる。

大変に読書量が多い授業であり、多い日には50ページ近くも読まされることがあるが、とても刺激の多い授業なのでなんとか喰らいついていっている。歳を食ってから歴史が好きになったこともうまく作用している。故きを温ね新しきを知る日々が続く。

先頭 表紙

口車さん、新幹線が日本の経済成長に駄目を押したのは事実ですね。その後次第に票田対策等の政治色が色濃くなったのも事実ですが。どの国でもどの時代でも功罪の両方があるのでしょうね。その意味では当時のアメリカの鉄道によるフロンティア開発のもたらした罪とはなんだったのか、気になるところです。中国の物流面でのものすごくまずいこと、興味があります。機会がありましたらご教示ください。 / Hidey ( 2003-03-31 14:38 )
それから、経済発展と輸送手段の相関関係の観点から、中国の今後の経済発展は、実はつま先立ちな部分があります。物流面でものすごくまずいことがあるのです。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 12:02 )
経済的な発展と輸送手段は切っても切れない関係がありますね。鉄道に関しては、日本も世界中にインパクトを与えた国で、誇っていいことだと思います。すなわち、新幹線の開業ですね。新幹線の開業に当たっては、日本国内でも叩かれたし、世界中から斜陽産業なのに今さらと嘲笑された。ところが、日本の経済発展の原動力のひとつとなった。新幹線に続いてヨーロッパで高速鉄道が続々と登場したことは、良く知られたところです。 / 口車筆無精乃介周作 ( 2003-03-03 12:00 )
ガス欠コインさん、ありがとうございます。この頃日本食材屋で古いNHKスペシャルの「映像の世紀」やら「戦後50年 その時日本は」やらを借りてきてはせっせと観ています。歴史って本当に面白い。我々自身を知ることですからね。ボストンからNYへも電車が走っているのですが、あまりに遅いので残念ながらまだアメリカで電車に乗ったことはありません。一度乗ってみようかな。 / Hidey ( 2003-03-02 16:18 )
りぃなさん、どうもありがとう。単に市場が拡大してそれに比例する人口に対し社会全体の利潤が比例して増えたのではなくて、技術の発達を二重にも三重にも活用することによって二乗、三乗にもなる効果を得られたのです。だからこそ人口が増えてもそれ以上に「一人当たり」のリターンが倍増したわけです。戦国大名もたしかにそうですが、大きく異なるところは、拡大する先の領土に人もモノも何もなかったということです。 / Hidey ( 2003-03-02 16:15 )
「先生」は冗談にしてもあまりに畏れ多いのですが…。面白いといっていただけてよかった。日本の歴史教育のように何の脈絡もなく一つひとつの事象を順に並べて覚えていくだけではなくて、ある事象が今から振り返れば何を意味し、それが現代に繋がる何にどう作用し、影響したのか。そんな風に教えてくれるこの授業は本当に素晴らしい授業です。100年前にしか存在し得なかった環境がある種実験室的な環境を作り出し、そこで企業や戦略をテストにかけることによって、現代の環境では得られない測定結果が得られたりするものですし。 / Hidey ( 2003-03-02 16:11 )
いやあ、面白かったです。あのウィンディ・シティ、シカゴがねえ。僕自身も20代後半頃から歴史に興味を持つようになったこともあり、小学校の頃、SLを撮影するのが大好きだったので、特に惹かれる話しでした。1ヵ月アメリカを回った大学生の折、グレイハウンドばかりでなく、もっと鉄道を使えば良かったなあと思いました。 / ガス欠コイン ( 2003-03-01 21:32 )
んなるほど、納得♪ 市場が拡大すると、利益も増える…んですよね(汗)土地を切り開いていく、というのに、何故だか戦国大名の領土拡大を重ねてしまいました。。Hidey先生、お疲れ様です。とてもためになりました! / りぃな@akemiさまに倣ってみました ( 2003-03-01 12:39 )
ほんとほんと!あたしは歴史が好きなので、今日のHidey先生の授業は、とっても面白かったです。経営を学ぶというのは、いろんな側面(学科)からものごとを見るってことなんですね。 / akemi ( 2003-02-28 19:32 )

2003-02-28 19世紀のブロードバンド 2

1814年にイギリスのスティーブンソンが蒸気機関車を発明してから16年後、アメリカ最初の鉄道であるボルティモア・オハイオ鉄道が誕生した。その後1850年頃までに、東海岸のニューヨーク、フィラデルフィア、ボルティモアを起点に西はエリー湖畔のバッファロー、クリーブランド、デトロイトへと、複数の鉄道会社が開発を競った。

鉄道が新大陸アメリカにもたらしたものはあまりに多く、大きかった。

まず単純に鉄道を支える新たな産業が誕生した。レールや機関車自体を生産するための鉄鋼業、燃料である石炭を採掘するための石炭鉱業、そして巨大な資本を調達するための金融業。これらの産業の発達に加え鉄道事業自体も著しく発展し、1890年頃には既に鉄道事業だけで75万人の雇用を創出していた。まさに母なる大地を掘り起こし切り拓くことによってアメリカは豊かになっていった。

時間の概念が変わった。1800年当時、ニューヨーク市からクリーブランドへ旅するのには3週間かかり、シカゴに着くには6週間を要した。それが1857年にはクリーブランドへは1日、シカゴへは2日で着き、西海岸へたどり着くにも3週間でこと足りるようになった。

都市間が短時間で結ばれるようになると生鮮食料品の輸送も可能になった。それまではせいぜい時間をかけて穀物を輸送する程度だったのが、氷を積み込むことによって西で生産した牛肉、豚肉を東の都市生活者が消費することも可能になった。鉄道会社が初期の投資を回収することで輸送費も安くなり、19世紀の始めと終わりを比べると輸送費は約40分の1に低下した。これに伴って都市部での食料品の価格も著しく安価になった。その他にも様々な物流が活性化され、農村部は新たな市場を見出し、都市部の流通・小売業が発展した。

五大湖地域を中心に次第に西へと開発が進み、新たな大都市が形成されていった。特にミシガン湖畔のシカゴの発達は目覚しく、1850年には3万人だった人口が1890年には110万人に達した。同じ期間におけるニューヨークの人口が52万人から152万人に増えた程度だったことを考えると、まさに爆発的な発展と言うことができる。新たな都市が形成されれば当然建設業を中心にあらゆる産業が開花し市民の所得が増加する。19世紀中頃のアメリカ国民の一人当たり所得は19世紀当初と比べ実質で2倍に増えた。

先述の通り、鉄道事業は未曾有の巨大産業と化し、その大規模な経営はこれまでの経営の概念をことごとく変えた。区間ごとに必要な所定の人員があるため、単純にレールが延長されることによって管理すべき労働者の数が膨れ上がる。一人の管理者が統括する範囲にも限界があるので、次第に階層的マネジメントが形成されてゆく。ヒエラルキーに伴う非効率が発生するのでこれを解決すべく権限の委譲が必要になる。巨大な設備投資を効率よく回収するために、固定費と変動費という概念が導入され、管理会計の基礎ができあがった。

(つづく)

先頭 表紙

2003-02-28 19世紀のブロードバンド 1

日本でもインターネットに接続している世帯が48%に達したとニュースで知った。世はまさにブロードバンド時代。「インターネットがなかった頃のことが信じられない。もう逆戻りなんて絶対にできない」という言葉も時々耳にするが、確かに実感としては否定できないものがある。50年もして、昔は友達に最近の消息を知らせるには自筆の手紙を書き、フィルムを使って写真を撮り、DPEに出して焼き増しをして、それを手紙と同封して数日掛けて郵便で送ったなどと未来の子供達に話したら、なんという化石時代にこの人は生きていたのだろうと笑われるかもしれない。その意味ではとても貴重な時代の境目に我々は生きているとも言える。

インターネットは文化を変え産業を変え社会の構造を変えたが、かつてそれに勝る変化をもたらした技術が存在した。僕は今The Coming of Managerial Capitalismというアメリカ資本主義の歴史を学ぶ授業を取っている。独立直後のアメリカにマクロ経済的な骨格を打ち立てた初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンからご存知ビル・ゲイツに至るまでのアメリカン・ビジネスの変遷を紐解くのだが、授業における最初の重要なポイントが鉄道の成り立ちである。19世紀初頭にイギリスで発明され、第一次産業革命の主役となった鉄道は、アメリカの歴史を大きく前に進めた。技術の発達が社会にもたらす影響を時代を超えて考えるにはとても面白い話なので、もともとは大変な量になる内容をできるだけ短くまとめてご紹介したい。

鉄道のない時代の新大陸アメリカを想像してみてほしい。人口はまだヨーロッパからの移民が開拓し独立を宣言したばかりの東部に集中していた。西へと開発を進めようとしてもその手段は道路の建設と川の利用だけしかない。道路の建設と言っても、森を貫き馬車が通るのに困らないくらいの道をつくる程度のもので、深い水溜りや木の切り株などがあちこちに残る、大変お粗末なものだった。そして馬車は遅く、時速10キロほどでしか走れなかった。物流に利用しようにもその費用はとてつもなく高く、ニューヨーク州の西端バッファローからニューヨーク市に輸送されたオート麦の価格は、もとの価格の12倍に釣り上げられた。船で川を下るにしても当然ながら川のないところへは移動できず、夏は水位が下がったり冬は川が凍結したり、また天候によっては大変な危険を伴った。蒸気船が開発されて移動速度は増したものの、上記の自然環境には逆らえず、運航スケジュールはあてにならなかった。

当時としてはこれらの脆弱な交通手段が同時に唯一の情報流通手段であった。普通の人々が生涯に活動する範囲はとても狭く、今でこそ数時間でたどり着ける場所は想像の遥かかなたにあった。人々は行商人の話から貴重な情報を得て、ビジネスや新たな生活の機会を窺った。時には死の危険をも乗り越えてもたらされた情報なだけにその価値は計り知れなかった。

(つづく)

先頭 表紙

フィー子さん、コメントありがとうございます。かつて、GREを受けたときには無かった出題形式で学ぶところがあるように思いました。GMATの文法の出題傾向を調べたところ、主に十数パターン程度しかなく、極めて限定的な知識を試しているようだというのは分かりました。 / lamancha ( 2003-03-08 11:52 )
↓下の文章にもうつっこめなくなってしまったのでこの場をお借りします。lamanchaさん、悪問というのは日本の受験生に対しては、という意味だそうですので。GMATでは英語を母国語とする人も受けるような文法問題ですので微妙なところを付いてくる下記のような問題があってもいいんじゃないか、とのことでした。念のため・・・ / フィー子 ( 2003-03-05 15:32 )
akemiさん、とってもとっても同感です。僕は子供の頃から手紙に対して特別な思い入れを抱いてきました。たくさんの人々が僕一人のためだけに筆を取り書き送ってくれた文の数々。幼稚園時代のものから一通も捨てずに保管しています。 / Hidey ( 2003-03-02 16:05 )
ricaさん、どの時代においても新しい技術は使いようですね。技術が人間を支配するのではなくて人間の意志が技術を支配しないと意味がないですよね。鉄道においてもその意味を追求した人たちが新しい時代をつくっていったのだと思います。 / Hidey ( 2003-03-02 16:03 )
りぃなさん、あえてこんな風に書いたけれど、僕は手紙の持つ特別な意味を信じています。笑うようなガキがいたらぶん殴る・・・っていやな爺さんになりそうだなあ。 / Hidey ( 2003-03-02 16:01 )
そうですね、あたしもりぃなさん同様、手紙の魅力はネットの即時性(これももちろん大事)と対極にありながら大切にしていきたいものです。たとえばネットで知り合った方と実際にお目にかかるのは別として、お手紙などをやりとりすると相手の存在が俄然リアルに感じられてきたりしますものね。 / akemi ( 2003-03-02 15:43 )
「様々な場所に散らばっているDataの収集と、その有効な活用法」っていうのが、非常に基本的なことに聞こえますが、意外と実現できていなく今後も重要になってくることだと私は思っています。う、19世紀のブロードバンドという日記に対するコメントじゃなくて、最初の1部分だけに対するレスになってしまいました・・・。 / rica ( 2003-03-01 21:13 )
手間があるからこそ、手紙が好きです。一字一字、相手のことを考えて書いて、写真もとびっきりのを選んで…。未来の人には笑われちゃうかな?それでも私は好きだなぁ。 / りぃな ( 2003-03-01 12:32 )

2003-02-14 GMAT 正解と解説 4

前回の日記で「簡潔な英語」と書いたことで、単純に簡潔な選択肢を選んだ方がいらっしゃるかもしれないが、簡潔である前に、正しい文法であること、本来の意味が正しく反映されていることなどが求められる。脅すつもりはないけれど、これらはもっとも基本的なパターンの問題であり、普通はもう少しひねりがあったり、文章量もこれらの倍近くあったりする。そして時間配分上これらの文法問題は一問平均一分半で解かなければならない。もっとやっかいな論理的思考を問う問題と単語が難しく時間に追われる長文読解があるからだ。通勤の電車や出張の新幹線でばかみたいに時計を睨みながら来る日も来る日も練習問題を解いていた頃が懐かしい。

コンピューターテストのため作文以外はその場で点数が分かる。試験会場を出て暗い声で妻に「また駄目だったよ」とよく電話をかけたものだ。また出願時、GMATを実施しているETSという協会を通じて受験する学校にもっともよいスコアを報告するのだが、そうすると自動的にその前二回分の点数も一緒に報告されてしまうので、実力が伴わないまま闇雲に受験することもできないなど、多少の戦略も必要になるのだ。

ということで、合計13人の方にご応募いただいたが、正解がもっとも多かったのは匿名「内緒でね!」さんとみほさんの3問。おめでとうございます。お二人には正式にボストン土産をお送りしたいので、みほさんはメールのリンクがあるから連絡が取れるとして、「内緒でね!」さんはよろしければ改めてハンドルネームを名乗っていただき、僕から管理組合様経由でご連絡をさせていただくか、どうしても名乗り出たくないという場合は恐縮ですが管理組合様経由で僕にメールをお送りいただくかして、お土産の受け渡しの方法をご相談させてください。他の方々も本当にありがとうございました。

余談だが、実はひとりだけ全問正解者が存在した。フィー子さんの旦那である。ご存知の方が多いと思うが、彼と僕は高校一年生からの親友同士で、日本人でこれだけ英文法に詳しい人間を僕は他に知らない。別途メールのやり取りで「試しに解答が聞きたいな」と書いてみたら、フィー子さんから「EEBAEだそうです。解答どころか解説できるようです。プレゼント到着待ってます(^o^)丿おほほほほ(←急に強気)」と返ってきた。うーむ。仕方ないから、フィー子夫婦のところには3月のリサーチのための一時帰国でベビーに会いにお邪魔するので、そのお土産ってことで何か持って帰りましょう。

先頭 表紙

コインさん、あれ、抜かしちゃった。済みませんでした。フィー子旦那はちょっと特殊なのであまり気にしないでください(笑)。まあでもあの英語力は心底感服しますね。 / Hidey ( 2003-02-28 16:20 )
よちみさん、責めちゃダメです(笑)!僕も受験が終わったらすぐにGMATのことなど忘却の彼方となりました。今回これを書くために久しぶりに問題を解いてみましたが、やっぱりなまってしまいましたね。こんな技術をキープアップしても仕方ないんだけど。 / Hidey ( 2003-02-28 16:06 )
しゃどう猫くん、アメリカ生まれなのにやっぱり難しかったかな?ボストンのロブスター、ぜひこちらまで食べにきてください!そうしたらもれなくご馳走いたします。 / Hidey ( 2003-02-28 16:04 )
有末那智。さん、僕も受験するときは追い込まれると結構当てずっぽうでした。それにこれはふつうの英語力とは異なる範疇の試験なので、あまり参考にしないでくださいね。英語の勉強をされるならまずは音楽でも映画でもお好きなところからされるといいと思います。 / Hidey ( 2003-02-28 16:02 )
りぃなさん、あれは疲れるよ。4時間集中した上に非常な結果だからね。僕の場合は最初の受験でかなりいい点が取れたんだけどその後ずっと伸び悩みました。英文法は英会話と違ってアメリカ人に比べても日本人は体系的に学ぶことで簡単に勝つこともできる分野ですよ! / Hidey ( 2003-02-28 16:00 )
プルーさん、日記本文にも書いた通りこれはアメリカ人にとっても「頭の体操」のような問題なのでお気になさらず。いったいこの試験の何がBスクール受験の判断材料になるんだか。 / Hidey ( 2003-02-28 15:58 )
lamanchaさん、フィー子夫によればGMATの問題は「悪問」と呼ぶに値するそうです。ところで最近GMATのルールが変わって、ビジネススクール受験のためには4回しか受験ができなくなったようです。僕の頃は無制限だったのですが。僕は5回目がベストスコアだったのでラッキーだったなあ。 / Hidey ( 2003-02-28 15:57 )
みほさん、最近また忙しくなってひまじんに寄りつけなくて、ボストン土産用のメールも送ってなくてごめんね。この週末にちゃんと送るからね。さすがにロブスターは送れないのが残念。 / Hidey ( 2003-02-28 15:55 )
むらぱぱさん、そうなんです。あの学校の同窓です。一芸に秀でた連中が多いですよね。Bスクール留学、まだまだ遅くはないですよ! / Hidey ( 2003-02-28 15:53 )
フィー子さん、ひらがないっぱいのつっこみをありがとう。うーむ、何買っていこうかなあ。先日はベビちゃん用だったから今回は親用ね。 / Hidey ( 2003-02-28 15:52 )
夢樂堂さん、僕も今回参考書の解説を見てあらためて「深いなあ」と感じました。でもGMATって偶然がかなり作用する試験なんです。偶々一度いい点取っちゃったらそれで勝ち、という感じ。 / Hidey ( 2003-02-28 15:51 )
azzurriさん、フィー子家はベビちゃんもバイリンが保証されたようなものですね。でもやつと英語で会話をする娘というのはちょっと気味が悪い気がするんだけど…(笑)。 / Hidey ( 2003-02-28 15:49 )
2問しか当たらず、、、オールAと答えたのと変わらないじゃん!と責めたら「これが実力さ〜」と笑っていました。しょうがないわねえ・・・。 / よちみ ( 2003-02-25 12:55 )
おぉ、間違えまくりだぜ! 半分くらいは当たってると思ったのに! 難しいのね、ほんと、お疲れ様です。ボストンのロブスター・・・仕方がないから、しゃどうにねだってみることにします。 / しゃどう猫 ( 2003-02-17 18:35 )
回答でましたね・・・やっぱりあてずっぽうはダメでしたか(笑)。後でじっくり解説を読ませていただきます・・・これを機会にチョットは苦手意識克服しようかな・・・。 / 有末那智。 ( 2003-02-17 16:06 )
「また駄目だったよ」って、言っては駄目なんですけど、可愛いですね。すみませんすみませんすみません。ところで、フィー子さまのダンナさまのように、英文法に詳しくなりたいもんです。 / りぃな@理系教科の次に文法が嫌い。。 ( 2003-02-17 13:15 )
本来こういうテストは好きじゃない(そういう問題でもないのだけど)けど、こっそりやってみました。でも3問しか正解できず。同じ文章がはいってるのがトリッキーね。 / プルー ( 2003-02-16 09:26 )
なるほど。それ用に勉強しないとダメですね。GMAT、少し受けてみる気になりました。スコアも5年もつし… / lamancha ( 2003-02-15 17:07 )
バカなことに気がつきました。友達にやってもらえばよかったのです、ITの授業中にこのページ見せて。・・・なっぁあんて、そんなのもう気にしなくてもいいんですよね〜!ひゃっほう、ボストン土産だ!!ありがとうございまっす!キウイ土産は期待しないで待っていてください(笑) / みほ ( 2003-02-15 16:14 )
と言う事はフィー子さんの旦那様も同窓って事ね?す、すごい。実は問題を解こう解こうと思って居る間にこんなに日数が。。。解説も含め、帰りの電車で読ませて頂きます。(残業中) / むらぱぱ ( 2003-02-14 22:21 )
第4問の解説に少しおかしいところがあったので訂正しておきました。どうもすみません。 / Hidey ( 2003-02-14 21:56 )
むふふふふ、ボストン土産ってなーんだろ♪らららんらんらんらりらんらん♪あ、私じゃないって?すいません、私は日本語しか読めませーん(_ / フィー子 ( 2003-02-14 19:52 )
結局、辞書は使わずにやりました。意味ないですもんね。3問はいけてると思ったのですが、難しいです。ところで、フィー子さんの旦那さまは一体何者なのでしょう。噂は聞いていましたが、恐るべし。週末にゆっくり解説読んで復習します。 / ガス欠コイン ( 2003-02-14 17:58 )
う〜む、答え合わせをして正解があっても、多分間違っているんだろうね。 / 夢樂堂 ( 2003-02-14 17:21 )
問題と解説、じっくりと取り組ませていただきます・・・それにしても、フィー子さまのだんなさま、凄い!!なぜ解説までできる!?ベビちゃん、カッチョイイパパは英語堪能で羨ましいです。 / azzurri ( 2003-02-14 16:08 )

2003-02-14 GMAT 正解と解説 3

4.
Quasars are so distant that their light has taken billions of years to reach the Earth; consequently, we see them as they were during the formation of the universe.
(A) we see them as they were during
(B) we see them as they had been during
(C) we see them as if during
(D) they appear to us as they did in
(E) they appear to us as though in

和訳:準星はとても遠くにあるため、その光が地球に届くのには数十億年がかかり、従って我々はそれらが小宇宙を形成している頃の姿を見ていることになる。(準星という言葉の意味合いからして、universeは「全宇宙」という意味ではなく、準星がその周りにつくり出している小宇宙的な空間を指す。つまりformationの意味上の主語はquasars)

文章の本来の意味をどれだけ忠実に反映しているかを問う問題。この問題は正解を選ぶのはそれほど難しくないが、不正解がなぜ不正解であるかをきちんと理解するのはかなり難しい。(B)のhad beenという過去完了は、ある過去の出来事に対しさらにそれより昔の出来事、つまり過去の過去を表現するときに使うもので、ここでは過去完了を使う必然性がない。(C)は前述の通りas ifを使うこと自体おかしいのに加えて、そのあとのduringとともにwe seeを修飾してしまい、「まるで(今が)宇宙の形成期であるかのように我々はそれらを見る」または「まるで(我々が)宇宙を形成している最中であるかのように我々はそれらを見る」という意味になってしまう。(D)ではthey appear to us as they appeared to us inとも置き換えられ、「我々」が宇宙の形成期に生きていたという意味に捉えられかねない。(E)はas ifと同じで「あたかも〜のように」という意味になり、しかもここでは準星が小宇宙形成に関わっていないようなニュアンスになってしまう。ということで、(A)が正解。

5.
Although Napoleon’s army entered Russia with far more supplies than they had in their previous campaigns, it had provisions for only twenty-four days.
(A) they had in their previous campaigns
(B) their previous campaigns had had
(C) they had for any previous campaign
(D) in their previous campaigns
(E) for any previous campaign

和訳:ナポレオンの軍隊は以前の出征の時よりもはるかに多くの軍需品を伴ってロシアに入ったが、それでも24日分の蓄えしかなかった。

代名詞の正しい用法を問う問題。これも選択肢によっては色々な間違いがあるのだが、実は代名詞の誤用ということだけで「一発斬り」できる。(A)から(D)で使われているthey、theirはすべてNapoleon’s armyを指しているつもりなのだが、armyは確かにその中身は複数の兵士だとしても、army自体は単数の「軍隊」という意味でしかない。従ってthey、theirを使うことはできず、it、itsを使わなくてはならない。その点(E)は代名詞を使わずに正しい文法を使っているのでこれが正解。代名詞以外の誤りとしては、(A)は「以前の出征」は「ロシアに入った」のよりもさらに過去なのでit had hadとならなければならない。そしてこれは(D)と共通しているが、in previous campaignsの前にはsuppliesが省略されているので、supplies (it had had) in previous campaignsとなるわけだが、この場合出征の「ための」軍需品を持っていたわけだから、前置詞はinではなくforになるべき。(C)は(A)と同様過去完了を使っていないのでこれも誤り。

(つづく)

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まだご不明の点があれば何なりとご質問ください。できるだけ詳しくご説明いたします。 / Hidey ( 2003-02-15 00:21 )

2003-02-14 GMAT 正解と解説 2

2.
George Sand was one of the first European writers to consider the rural poor to be legitimate subjects for literature and portray these with sympathy and respect in her novels.
(A) to be legitimate subjects for literature and portray these
(B) should be legitimate subjects for literature and portray these
(C) as being legitimate subjects for literature and portraying them
(D) as if they were legitimate subjects for literature and portray them
(E) legitimate subjects for literature and to portray them

和訳:ジョルジュ・サンドは、田舎の貧しい人々を文学における正当な題材としてみなし、その小説の中で思いやりと敬意を持って彼らを描写した、最初のヨーロッパの作家の一人であった。

正しい慣用表現を問う典型的な問題であり、塾では経験的に「一発斬り」で正解を選べると教えられる種類の問題である。「consider +〇〇+□□」で「〇〇を□□と見なす」というのがconsiderの正しい使い方であり、consider 〇〇 to be □□というアメリカ人もよく使う表現は本来好ましくないというのがplain Englishを旨とするGMATの見解である。従って(A)は不正解。同様に(B)、(C)、(D)も不正解で、(D)のas ifだと「あたかも〜であるかのように」という意味になってしまう。また、(A)と(B)のtheseは「貧しい人々」を指しているのでthemでなくてはならず、(C)のportrayingはconsiderと並列に原型のportrayでなくてはならない。(E)が正解。

3.
Dirt roads may evoke the bucolic simplicity of another century, but financially strained townships point out that dirt roads cost twice as much as maintaining paved roads.
(A) dirt roads cost twice as much as maintaining paved roads
(B) dirt roads cost twice as much to maintain as paved roads do
(C) maintaining dirt roads costs twice as much as paved roads do
(D) maintaining dirt roads costs twice as much as it does for paved roads
(E) to maintain dirt roads costs twice as much as for paved roads

和訳:土の道路は古い時代の牧歌的な単純さを思わせるかもしれないが、財政的に逼迫している町としては土の道路は舗装道路と比べて維持するのに倍の費用がかかると指摘している。

並列になるべき複数の語句が正しく並列になっているかどうかを問う問題。twice as much asの前後が並列になっているかどうかが問題になっている。(A)ではtwice as much asの前の主語+動詞はdirt roads costで、後ろはmaintaining paved roadsが主語であり動詞のcostsまたはdoesは省略されている。動詞が省略されることは問題ではないが、dirt roads(土の道路)とmaintaining paved roads(舗装道路を維持すること)が非対称であることが問題。その点(B)はto maintainがtwice as much as の中に入り込んだだけで、その前後のdirt roads costとpaved roads doが綺麗に並列になっているので正解。(C)、(D)、(E)はすべて非対称なので不正解。

(つづく)

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