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口車大王「旅のおもひで」

 
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2002-09-29 [馬太]Kalkaraの日本海軍戦没者の墓
2002-09-29 [馬太]名誉総領事訪問
2002-09-28 [馬太]St. Julian's
2002-09-27 [馬太]昼下がりのValletta
2002-09-25 [馬太]銀線細工のショップと5千億ディナール紙幣
2002-09-25 [馬太]The TOY MUSEUM
2002-09-24 [馬太]9月11日のValletta
2002-09-23 [馬太]小説家Nさんたちと行くマルタと南イングランドの旅
2002-09-20 [馬太]マルタ国際空港の麻薬犬
2002-09-10 [蘭国]ただ今アムステルダム・スキポール空港におります


2002-09-29 [馬太]Kalkaraの日本海軍戦没者の墓


 名誉総領事のオフィスを訪問した後、マルタ観光局のJohn M. Maistre氏の案内で、日本海軍の墓のある墓地へ向かいます。彼は所在地を正確に知らなかったようで、もうひとつ別の墓地へ行ってしまいました。改めてお墓のある墓地へ向かいます。

 旧英国海軍の墓地は現在は英連邦墓地となっていて、ヴァレッタとグランドハーバーを挟んだ反対側の、カルカラの街の丘の上にあります。前回訪れた時は墓地の入口から一直線に続く通路の奥、一番突き当たりに墓が見えたのですが、その墓が見えません。また場所を間違えたのかと思ったのですが、樹が生い茂って見えなくなっていたのでした。27年の歳月を感じます。

 門をくぐってすぐ左手に管理人室があるのですが、そこの壁に「旧日本海軍戦没者墓地」の銘版が取り付けられていました。これも、前回来たときはありませんでした。そして、墓地の周囲はほとんど何も建物がなく、お墓の後ろ側には全く何もなかったのですが、現在は住宅が立て込んでいます。Maistre氏の説明では、建てられてから10年そこそこだろうということです。

 初めて訪れたときも感じましたが、日本海軍のお墓は墓地の中の最も良い場所にあります。祖父の乗艦していた駆逐艦「榊」は、魚雷を被弾する直前、僚艦の駆逐艦「松」とともに、まだドイツ軍の潜水艦のいる海域で、遭難した船から2000名もの人たちを救出しました。英国海軍はかつて二次攻撃によって被害を拡大されたこともあり、一度魚雷攻撃を受けた艦船の救出にはあたらないようになっていたので、これは勇敢な行為としてたたえられました。その救助にあたったうちの一隻が被弾し、戦死者を出したのです。それだけに、最大限の敬意をもってこの場所を与えてくれたのだと思います。

 27年前、初めてお墓を訪れたとき、「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」という碑文を見上げて、思わずじんと来てしまいました。その時は、先代の名誉総領事とたった二人でのお墓参り。当時、ここを訪れる日本人もほとんどいませんでした。だいたい、年間のマルタ来訪者が1000人そこそこだったのですから。歴史から完全に忘れ去られ、この人たちの死はいったいなんだったのか、当時、そういう思いが強烈に込み上げてきたことを思い出します。経済的にも、先代の名誉総領事がもっと日本人観光客がマルタに来ないかなぁと、寂しそうな顔しながらつぶやいたのも、心に残っていました。

 それが、現名誉総領事にも言われましたが、今や多くの日本人がお墓を訪れています。そして、我々の前に訪れた人が、お墓にお供えをしている。最近はガイドブックにもお墓のことが掲載され、ツアーコースの中に組み入れられるようにもなりました。遭難してから今年で85年、ようやく再び日の目を見るようになったようです。

 祖父は残念ながら被弾から1年後の慰霊祭を行う前に日本に帰任したため、このお墓を見ていません。死ぬまでに一度墓参することを夢見ていましたが、果たせませんでした。祖父の従卒だった人は戦死しており、生前その御家族のことを大変気にしていたそうです。今回ようやく写真を持参したので、まがりなりにも墓参を果たすことができました。ドクターIとともに、日本から持参したお酒をお墓にかけたのですが、おいしかったでしょうか。

 この墓地では、もうひとつ驚くことがありました。それは、第一次大戦時に戦死したドイツ軍の戦没者も埋葬されていることです。英国海軍の、海の男の心意気を感じます。

 つづく
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でじかめさま、第二次大戦前の日本海軍はすべて軍国主義一辺倒でどうしようもなかったということはないのです。むしろ、変な方向に突っ走ってしまった時期の方が短いのです。復刻された「日本海軍遠征記」を読むと、よくこんなものが正式文書として残されたものだということに驚きますし(ほとんど今どきの旅行記です)、そこに記述されている艦隊の組織は、それはそれはすぐれたものでありました。 / 口車大王2号 ( 2002-10-04 14:12 )
とても良い変化、そしてとても素晴らしい場所と歴史ですね。日本人として誇りに思える場所だと思いました。あ〜まだまだ勉強が足りない〜(^^; / でじかめ ( 2002-10-03 00:27 )
こっしーさま、管理人室のところにドイツ軍のプレートも飾ってあります。おそらく、潜水艦乗務員の戦死者でしょう。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:57 )
しらぴょんどの、死力を尽くして戦った後は、例え敵であろうと敬意を表する。それが本当の軍人だと思うのです。第二次大戦中「鬼畜米英」とばかりに捕虜を弾圧したりしたのは、日本本来の武士道からもはずれることです。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:55 )
綾丸様、無意味に兵隊を殺すというのは、すでに日露戦争の時の203高地の戦いで日本陸軍がやっていますね。日本海軍も、この時は本部勤務でずっとマルタにいた人たちは、帰国時に全員マルセイユに遊びに行かせたり、大変余裕がありました。第一次大戦の後からどんどんおかしくなっていきましたね。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:53 )
敵対していた国でも、一人一人の命の大切さは同じ、その意味をぐっと感じさせられました。 / こっしー ( 2002-10-01 18:25 )
海は繋がっていますからね。海を愛する心はどこの国の人間も変わらないって心意気に感謝です。 / しらぴょん ( 2002-10-01 00:34 )
太平洋戦争になると、日本軍はカミカゼやバンザイ突撃などで無意味に兵隊を殺していたのですが、昔は立派だったんですね。今の日本では軍人が尊敬されないから、こういう立派なお墓もできないのだろうなと、残念な思いがします。 / 綾丸 ( 2002-09-30 11:46 )
駆逐艦「榊」の乗務員で、出発前に金毘羅様へお参りした人たちは、全員助かったそうです。 / 口車大王2号 ( 2002-09-29 23:12 )
墓地への道順は、こちらを参照下さい。ページの下の方に書いてあります。 / 口車大王2号 ( 2002-09-29 19:57 )

2002-09-29 [馬太]名誉総領事訪問


 翌9月12日、今回の旅行の最大の目的の日本海軍の墓の墓参の日です。10時前にマルタ観光局の人がホテルまで迎えに来て、まずは日本国名誉総領事を訪問します。

 名誉総領事のMifsud氏は本業が船会社。そのオフィスはヴァレッタ市内にあり、ホテルから車で5分ほど。見上げれば、日の丸が翻り、菊の御紋が飾ってあります。日本国内日の丸や菊の御紋が普段から飾ってあるとまるで右翼のように思われますが、異国で見るこれらは、我々が日本人であることを実感させてくれます。そして、名誉総領事の執務室に入ると、壁には天皇皇后両陛下の写真と信任状が飾ってあります。これまた、日本人であることを実感させてくれます。

 今回名誉総領事を訪問した目的は、表敬訪問とともに、小説家Nさんが「日本海軍地中海遠征記」の復刻で得た印税を、日本海軍のお墓の維持のために寄付することにありました。3枚目の写真はその贈呈の瞬間ですね。

 さて、今回の訪問で大変残念なことがありました。27年前に初めてマルタを訪問したとき、現名誉総領事の父上にいろいろ面倒を見ていただき、今回再開できることを楽しみにしていたのですが、2か月前に亡くなられたということ。2年前、口車両親が訪れたときは大変元気だったそうですが、本当に残念です。

 一番下の写真は、ヴァレッタのバスターミナルからゲートをくぐってすぐのリパブリック・ストリートの始まりの広場に面してある、名誉総領事の弟さんが後を継いだ旅行代理店のオフィスです。かつては、この場所に日の丸と菊の御紋が飾ってありました。今回改めて、こんな目抜きの目立つところに日の丸と菊の御紋あったのかと、びっくりです。

 つづく
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和代様、ありがとうございます。続いて、日本海軍のお墓について書きました。 / 口車大王2号 ( 2002-09-29 19:50 )
すばらしい旅の数々記録・・・・ため息であります。。。お祝いに来ていただきありがとうございました。 / 和代 ( 2002-09-29 19:07 )

2002-09-28 [馬太]St. Julian's


 ヴァレッタからバスで15分くらい行くと、サン・ジュリアンの街があります。ここは前回宿泊したところ。来てみてびっくりしました。

 写真でわかるように、ここは湾を囲むように街があり、びっしり建物が建っています。しかし、前回来たときはほとんんど建物がありませんでした。前回泊まったホテルは写真では見えませんが、右手奥の、湾の一番奥のところにパブリック・プールがあり、その目の前にありました。そして、建物はその周辺を中心に、まばらにしかありませんでした。この写真を撮っている地点も、何もなかったところです。

 現在はホテルがひしめき、観光客相手の新しい歓楽街の様相を呈しています。かつては、ヨーロッパのお年寄が長期滞在してのんびり過ごすような場所だったのですが。

 このときは、教えてもらったレストランで昼食をとろうとして来たのですが、残念ながらちょっと時間が遅く、隣の別のレストランで食事をとりました。かつて、マルタではどこで何を食べてもおいしかったのですが、観光地化することの性、非常に雑でいまいちの味でした。

 前回泊まったホテルも、名前が変わっていました。

 ところで、マルタの交通手段の中心はバスと書きましたが、こんなクラシックなバスが走っています。1930年までは50年ほど鉄道があったようですが、今では公共交通はバスとタクシーとミニバンです。27年前から同じバスが走っているような気がします。

 マルタの地図はこちら

 つづく
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あう、レストランの綴りが違っていた。San Giulianoでした。この風景がまんま夜景になって、ほんときれいだった。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 22:09 )
ゆうりさま、サン・ジュリアンに限らずどこ行ってもすてきですよ。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:48 )
サン・ジュリアンは素敵なところですね〜 でもどこの写真を見ても空が綺麗です・・いいなぁ / ゆうり ( 2002-10-01 13:41 )
この日の夜は、再度St. Julian'sにみんなでやって来て、日本のマルタ観光局で教えてもらったSt. Julianoという、昼間入りそこなった海鮮料理のレストランに行きました。こちらは大変おいしかったです。夜景もばっちり。写真は撮りそこないましたけれど。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 23:35 )
こっしーさま、そうなんです。マルタという島は遺跡が島になったようなところで、どこをほじくり返しても遺跡が出てくるし、ヴァレッタなどは街自体が世界遺産ですからいじくれません。このサン・ジュリアンは何もなかったので、ヴァレッタや空港に近いこともあって、新しいホテルや施設が集中したようです。ヴァレッタとの間のSliemaもそうですね。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 23:29 )
あらら、結構「都会」じゃないですか。。。地中海の島でこんなに建物びっしりなトコがあるなんて。。。 / こっしー ( 2002-09-28 15:18 )

2002-09-27 [馬太]昼下がりのValletta


 馬太の首都ヴァレッタは,端から端まで歩いても,15分もかかりません。日本で言えば,自由が丘や白金といった街区がひとつの町です。すべてがコンパクト。

 そんなヴァレッタでも観光客でわんさかしているのは限られていて,2ブロックも歩くと全く観光客が歩いていません。写真を撮ったのは昼下がりの午後2時前後。地元の人たちはシエスタ(お昼ね)をしているのでしょうか。通りは人っ子一人いません。

 ヴァレッタは半島に作られた城塞都市で,その半島の先端にはサン・エルモ砦があります。この周辺から見る地中海は,絶景の一言。口車,晴れ男の面目躍如であります。

 サン・エルモ砦の脇のカフェで一服して,ここで馬車に乗ってみます。運賃を値切ってみたのですが,やられましたな。見事に手を抜かれて,45分の約束が30分たらずでした。

 つづく
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スーパーしえろさま、、、、だじゃれでくるかい。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 23:24 )
こっしーさま、なんたって地中海ですからね。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 23:22 )
シエスタ ビフォー フィエスタ?ふふふ、私はラテン系。。。。今度はプラハなのね、い〜な〜。 / スーパーしえろ ( 2002-09-28 21:51 )
マルタにもシエスタがあるのですか。。。スペインでは「シエスタの時間は誰もいないから、外を一人で歩かないように」と言われてました。 / こっしー ( 2002-09-28 15:14 )

2002-09-25 [馬太]銀線細工のショップと5千億ディナール紙幣


 The TOY MUSEUMの向い側に銀線細工の店ARDNAEL FILIGREE GOLD & SILVER WORKSを発見。場所といい、入口のディスプレイからしてリーズナブルな店の感じがします。

 FILIGREEとは線細工のこと。マルタは銀線を使った装飾品が有名です。このお店は、製造販売の店。Republic Streetのバスターミナルに近い広場にあった店と比べると価格も安いし細工も段違いに良くできている。その後見つけた店と比べてみても安いほうでした。

 それにしても安いですね。写真の銀線細工のブローチで2000円もしません。日本で同じものを買ったら、下手すると5倍はするでしょうか。

 そして、もうひとつびっくりしたのは、カウンタのところに各国のお札が飾ってあるのですが、ユーゴスラビアのお金。なんと、5千億という数字が。最近デノミをやったようですが、その前の旧ディナール紙幣のようです。すごいの一言。5千億ディナール紙幣の後ろには、1夏目漱石紙幣が見えますね。

 店主のVincenzo Attard氏は、最近ランニングをしているそうな。次の日も訪問したら、「今日は5時で店じまいして大会にでる。」と言っておりました。1年で100キロあった体重が80キロまで落ちたとか。昔の太っていたころの写真も見せてもらいました。

 ちなみに、毎年2月にはマルタマラソンが開催され、今年の優勝者は日本人でした。

 つづく
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こっしーさま、他の店も覗いてみましたが、Vincenzo Attad氏の細工は抜きんでています。そして、マルタも安いんですが、観光客が多く立ち寄りそうなところは少し高いです。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 23:21 )
あっしはスペインに行ったことがありますが、シルバーのアクセサリがステキで安いんです ! 懐かしいです〜。 / こっしー ( 2002-09-28 15:13 )
トルコは今でもそうですが、ユーゴスラビアは通貨切り下げをやって、1ディナール1.8円になっています。第一次大戦後のドイツといい勝負ではないでしょうか。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 11:56 )
トルコもすごい桁数で(ちょっと調べてみたら1万リラで1円くらい)、土産物を買って何十億リラ払ったという人を知っていますが、5000億には負けた。こんなお金、桁をどうやって数えるんでしょうね。第一次大戦後のドイツよりひどいのかな。恐ろしいですね。 / 綾丸 ( 2002-09-27 16:06 )
くすのき燕さま,しばし桁を数えてしまいましたよ。 / 口車大王2号 ( 2002-09-27 10:33 )
ひとケタぐらい間違っていても気づかないですね。 / くすのき燕 ( 2002-09-26 09:37 )
あ、スーパーしえろさまでございます。 / 口車大王2号 ( 2002-09-26 01:08 )
マルタは、治安も良くて良いですぞ。 / 口車大王2号 ( 2002-09-26 01:08 )
あ、丸太、いやマルタ!行ってみたい!! / スーパーしえろ ( 2002-09-25 23:38 )

2002-09-25 [馬太]The TOY MUSEUM


 ヴァレッタのメインストリートRepublic Streetをずっと歩いていくと、途中から結構急な下り坂になります。坂のせいか、その手前まではあふれ返っている観光客も、ほとんど歩いていません。万国共通、観光地の常として、人の集まる所からちょっと外れたところに穴場があるものです。そうしたら、やはり、ありました、ありました。

 通りの左側にThe TOY MUSEUMの看板発見。中に入るとすぐに館長さんが座っていて、入館料は2マルタリラ。600円弱と言ったところです。展示室は階上と地下にあり、まずは階上の展示室へ。そこには一面ブリキのおもちゃを中心に飾ってあります。だいたい1950年前後のおもちゃでしょうか。生産国は、日本、イギリス、ドイツの文字が見えます。当時、どうもブリキのおもちゃというとこの3か国が有名だったようです。日本もそうでしたが、戦争直後の経済復興の原動力として、日本以外のイギリスやドイツでもブリキのおもちゃの果たした役割がいかに大きかったか、展示品から垣間見えてきます。

 それにしても、どこかで見たような展示品と展示の仕方です。そうそう、横浜山手のブリキのおもちゃ博物館そっくりではありませんか。で、見終わってから館長さんに聞いてみました。

 「北原照久さん知っていますか?」

 そうしたら、おもむろに彼の著作の「1000TIN TOYS」(TASCHEN社(ドイツ))を取りだしてきました。ちなみに、博物館のオープンは1992年だそうです。

 そして、続けて館長どの、

 「イタリアのシチリア島には日本人観光客はいっぱいやってくる。しかしシチリアの連中は英語を話せない。ほんのちょっと南に来れば、ここ、マルタだよ。そして、我々は英語をしゃべれる。日本人観光客にとってとても好都合じゃないか。なのに、なんで日本人観光客はマルタまでやってこないんだ!」

と、きました。しかしながら、日本人観光客は急増していて、昨年1年間では1万2千人がマルタを訪れています。しかも、英語の語学学校も有名で、ここちらの生徒も日本人がどんどん増えています。口車が初めてマルタにやってきた27年前は、年間千人にも来訪者が届かなかったことを思うと隔世の感です。

 そのこと館長に説明したのですが、もっと来てくれなくちゃといった口ぶりでしたね。

 つづく
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夢樂堂様、マルタ自体治安が良くて気候が良くて飯もうまくてですからね。こりゃも行くしかないです。 / 口車大王2号 ( 2002-09-25 20:12 )
ここはもう絶対に行きたい場所だね。 / 夢樂堂 ( 2002-09-25 12:38 )

2002-09-24 [馬太]9月11日のValletta


 あの事件からちょうど1年。口車はマルタ島のヴァレッタにいました。目の前に広がる風景は、そんなこと全く関係のないような平和な風景。そうなのです。本当にマルタは治安の良い、平和な国なのです。

 Le Meridian Phoeniciaの前は、バスターミナル。巨大なロータリーになっていて島中のバスがここを中心に運行されています。バスはマルタの交通手段の中心。運賃は15セントから40セント。だいたい35円から110円といったところでしょうか。

 バスターミナルはヴァレッタの街の面してあり、バスターミナルの前が城壁とヴァレッタ市内へのゲートとなっています。

 ヴァレッタ市街は、1565年のオスマン・トルコの侵寇に3分の1の兵力で耐え抜いたマルタ騎士団が、1566年に城塞都市として建設を開始して作られたものです。細長い半島の上に作られた城壁に囲まれた市街は碁盤の目のようになっており、整然としています。

 口車、マルタは27年ぶりの再訪なのですが、ゲートをくぐってヴァレッタ市内に入りびっくりしてしまいました。ゲートすぐの広場にも、メインストリートのRepublic Streetにも、かつては観光客の姿などほとんど見かけませんでした。それが今や、原宿竹下通り状態。マルタへの観光客が激増したことを示しています。

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でじかめどの、答えは次の日記に書いておきました。 / 口車大王2号 ( 2002-09-25 08:55 )
エスカルゴどの、海外旅行は気合いです。そして最低限、英語は勉強しておきましょう。英語ですべて通じるわけではありませんが。 / 口車大王2号 ( 2002-09-25 08:54 )
う〜!ヨーロッパ行ってみたいっ!マルタって英語通じるんですか? / でじかめ ( 2002-09-24 23:46 )
海外行きてぇ〜。 / エスカルゴ@海外未経験 ( 2002-09-24 10:13 )

2002-09-23 [馬太]小説家Nさんたちと行くマルタと南イングランドの旅


 今回の旅は、日英同盟百周年の節目に、第一次世界大戦時、地中海まで護衛艦隊として遠征した日本海軍第二特務艦隊の足跡をたどるものでした。口車祖父は、その第二特務艦隊の駆逐艦榊に機関大尉として乗艦し、地中海に赴いたのでした。第二特務艦隊については、詳しくはこちらをご覧ください。

 9月10日に日本を出発してアムステルダム経由でマルタに入り、14日にロンドンガトウィックに飛んでポーツマスへ。そして16日にロンドンに移動して18日に日本に帰国という10日間の旅。同行者は、御父上が駆逐艦桃の艦長として第二特務艦隊に加わり、御本人も沖縄水上特攻作戦の戦艦大和に随伴した巡洋艦矢矧の大尉として九死に一生を得た、霞が関ビルの設計者でもある建築家ドクターIと奥様、幕末の和歌山太地町の鯨取りの話から始まり、日露戦争、第一次世界大戦の日本海軍について小説を書き続ける小説家NさんとマネージャーのMさん、そして別フライトで旅行に加わるTさん御夫妻の総勢7名。

 今回宿泊したホテルは、Le Meridian Phoeniciaという、五つ星ホテルのひとつで、首都ヴァレッタに隣接したホテルです。と言ってもマルタのホテル代は安く、一泊50マルタリラ、すなわち約14,000円。これはシングルでもツインでも一緒のお値段。しかし、朝食代はトップクラスですな。2,000円も取られてしまいました。このホテルの周囲に何もなく、ちょっと歩かないと店はないので、まあしかたないですか。

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でじかめさま、口車祖父の足跡ですからね。今回の旅には祖父の写真も持っていきました。 / 口車大王2号 ( 2002-09-24 00:20 )
歴史の足跡を辿る旅ですか…。近代の足跡なら未だに残ってるのも多いのでしょうね。今度日本に帰ったら例の本を探してみます! / でじかめ ( 2002-09-23 19:55 )

2002-09-20 [馬太]マルタ国際空港の麻薬犬


 9月10日深夜、アムステルダムからマルタ国際空港に到着。

 マルタは、マルタ島、ゴゾ島、コミノ島の3つの島からなり、淡路島の半分ほど。地中海の中央、シチリア島の南に位置します。人口はおよそ37万人で、1964年まで英国領だったこともあって、英語が通じます。

 マルタ国際空港は、まあ、日本のローカル空港並のサイズでしょうか。なんと、国際線しかない空港です。非常に治安の良い国ですが、麻薬犬が活躍中。麻薬取締官に写真を取らせてもらいました。

 つづく
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でじかめさま、かわいいでしょ。カメラ向けたらポーズをちゃんとつけるんですわ。 / 口車大王2号 ( 2002-09-24 00:18 )
ワンちゃんがかわいいですね〜。右の子供は触りたいんだろうなぁ(笑) / でじかめ ( 2002-09-23 19:52 )
9月10日にスキポールでしたが、普通の状態に戻っていました。昨年の10月は臨時のゲートチェックができていたりしてすごく厳しかったんですが。 / 口車大王2号 ( 2002-09-22 23:15 )
直接関係無いですけど、友人が9月11日前後にカナダから帰国しまあしたが空港のチェックが厳しかったみたいですね。 / gewbie ( 2002-09-22 08:53 )
おかえり!! 何だか楽しそうでいいなあ・・・・・ / さにゃえもん ( 2002-09-22 00:14 )
マイケルさま、今回は3月から計画していました。いろいろ重ならないようにしたのだけれど、財布の中はきついし。。。 / 口車大王2号 ( 2002-09-21 20:55 )
走る酔人(PAO)さま、それがね、すごく充実しているんですわ。そりゃ、スキポールに比べたらしょぼいけれど。 / 口車大王2号 ( 2002-09-21 20:54 )
八百八六助さま、をを、そうであった。。。 / 口車大王2号 ( 2002-09-21 20:53 )
メッセージありがとうございました。相変わらず色々旅されてますね。 / マイケル ( 2002-09-21 13:13 )
小さい国際空港は歩く距離が短いのでいいですね。でもショップの品揃えが欠点。 / 走る酔人(PAO) ( 2002-09-21 09:46 )
アムステルダムから来るとね,ついポケットに... / 八百八六助 ( 2002-09-20 23:26 )

2002-09-10 [蘭国]ただ今アムステルダム・スキポール空港におります


 9月10日の10時25分、定刻に成田を出発したKLM862便で、ただ今アムステルダム空港に到着しております。現地時間午後3時。定刻より1時間も早くついてしまった。ただ今マルタ行き20時25分発KM395便を待っておりまする。あう、まだ5時間以上ある。

 それにしても、無線LANは便利です。スキポール空港は昨年からインターネットアクセスが出来るようになったのだが、無線LANも使える。つながるかどうか確認したら感度有り。しかし、ちゃんとプロテクトはかかっていました。コミュニケーションセンターでアクセスコードを購入せよとな。24時間使用できて9.8ユーロなんで、ちょっと高いけれど(1ユーロ150円)、まあ仕事のメールとか旅先でも読めるので、口車のような立場だとほんと助かります。無線だから、適当な場所で作業できるし。さすがに日本人の利用は少ないようで、user idあっさり自分の名字で登録できてしまいました。これで今後スキポール空港ではこのuser idで使えるでしょう。

 画像をアップしようと思ったら、メモリカードのアダプタを預けてしまった。。。間抜けだ!ということで、後日画像はアップします。

 つづく

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gewbieさま、まだちょっと高いですけれど、ほんと便利です。電源さえなんとかなれば、近くのカフェでビール飲みながらでもできますからね。 / 口車大王2号 ( 2002-09-22 23:13 )
どこでも無線LANができる環境が増えるとといいですね。 / gewbie ( 2002-09-22 08:47 )
なみまるさま、そうですスキポールは進化しています。スシバーもできたし。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:29 )
peachさま、御愛読ありがとうございます。今回の旅行は、濃かったです。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:28 )
でじかめさま、あってもよさそうですな。ただ今、スキポール空港が世界の最先端ではないかと思います。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:27 )
八百八六助さま、そういや球根屋あったな。八百八六助さまもKLMですか。ちなみに、KLMはRoyal Duch Airlinesのオランダ語の頭文字です。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:26 )
あ、ちなみにこのアクセスコードは24時間のみ有効ですからね。念のため。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:19 )
っちゅうことで、画像です。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:18 )
皆さま、昨日帰ってまいりました。結局、帰ってくるまでアクセスできませんでしたな。 / 口車大王2号 ( 2002-09-20 03:09 )
おぉ!懐かしのスキポール!1997以来行ってませんが、今や無線LANとは…時代もありますが、進化する空港ですね。Bon Voyage! / なみまる ( 2002-09-15 00:04 )
口車大王様らしい日記!!私の中で口車大王様は旅人な感じなのです。。あ〜懐かしきひまじん日記を初めて覗いた頃の事。。右肩で紹介されていた頃を思い出しますわ!画像のアップも日記と共に楽しみにしています。 / peach ( 2002-09-14 10:09 )
お久しぶりです!へ〜便利ですね。上海にもできないかなぁ(笑) 画像お待ちしてます♪ / でじかめ ( 2002-09-14 00:56 )
向かい側はチューリップの球根屋ですね(球根食うなって).先月行きました. / 八百八六助 ( 2002-09-13 23:44 )
シュガーサマ、ど真ん中に寿司バーがあります。 / 口車大王2号 ( 2002-09-11 01:19 )
はじめまして。スキポール空港にいるんですね!私もいつかいってみたい・・。スキポール空港はおいしそうな手軽な食事はありますか?どうもヨーロッパ料理は苦手なもんで・・。 / シュガー ( 2002-09-10 23:52 )
しまった、夏時間設定されていなかった。ただ今午後4時12分でしゅ。 / 口車大王2号 ( 2002-09-10 23:12 )

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