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口車大王「旅のおもひで」

 
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2002-10-04 [馬太]King's Own Band Club
2002-10-03 [馬太]すごいです、マルタ国立考古学博物館
2002-10-01 [馬太]MarsascalaのRestaurant Ta' Grabiel
2002-09-29 [馬太]Kalkaraの日本海軍戦没者の墓
2002-09-29 [馬太]名誉総領事訪問
2002-09-28 [馬太]St. Julian's
2002-09-27 [馬太]昼下がりのValletta
2002-09-25 [馬太]銀線細工のショップと5千億ディナール紙幣
2002-09-25 [馬太]The TOY MUSEUM
2002-09-24 [馬太]9月11日のValletta


2002-10-04 [馬太]King's Own Band Club


 考古学博物館出て、先日行った宝飾店へ向かって、すなわち半島の先へ向かってリパブリック・ストリートを1ブロック行くと、1874年創業のキングス・オウン・バンドクラブがあります。まあ、いわばパブのようなものなのですが、なぜバンドクラブなんて言う名前がついたのか。

 当時、マルタはイギリスの植民地でした。イギリスとしては、現地のマルタ人の男達が集まっていると、イギリスにとって何か良からぬことを相談しているのではないかと思う。そこで、マルタ人は各部落毎にブラスバンドを作って、バンドの練習で集まるというのを口実にしたのですた。そのバンドの人たちの練習場として作られたのがこのバンドクラブであり、階上には練習したりコンサートを行ったりするホールがあるようです。要するに集会所であり、パブそのものなのです。

 第一次大戦時、日本海軍がマルタに駐留していたとき、日本海軍の将校達はイギリス海軍の将校クラブで会食をするのが基本でした。しかし、将校クラブはドレスコードがきつく堅苦しいので、大方の将校達、もちろん兵卒達は、すぐご近所のこのマルタ人達のくつろぎの場である、キングス・オウン・バンドクラブに入り浸っていました。

 すなわち、1917年、祖父はここに腰掛けて、同僚達とくつろいだかもしれないのです。いや、のんべえだった祖父は、間違いなく来ているでしょう。85年の歳月を経て、祖父が訪れた場所にこうして座ることができて、なんだか感無量になり、うるうるしてしまいました。

 今でも、お年寄のくつろぎの場にもなっており、当時と雰囲気はかわらないでしょう。時々蒙古斑を持ったマルタ人の赤ちゃんが産まれるのがずっとなぞだったそうですが、こういう場所で恋が芽生えていたのでしょう。日本海軍が2年近くマルタにいたという事実は、ほとんどのマルタ人にも忘れられていたのです。

 つづく
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そそそさま、さらに旅先に知り合いがいると、全然深みが違います。 / 口車大王2号 ( 2002-10-17 21:29 )
旅は知識や思い入れがあるとおもひでの深さが全然違うんでしょうね〜「なんとなく」ふらふら旅をするのはやめよう>自分(苦笑) / そそそ ( 2002-10-13 22:39 )
さにゃえもんさま、まさに祖父がいた場所に今回は座ったわけで、なんというか感無量でした。 / 口車大王2号 ( 2002-10-12 11:00 )
時を越えて同じ場所に座るってなんだかロマンチックなお話だね。 いい感じだわ。 / さにゃえもん ( 2002-10-08 23:42 )
こっしーさま、奴隷制度のあった国なんかも、もっとシビアな状況でありましたね。 / 口車大王2号 ( 2002-10-07 23:43 )
夢樂堂様、まあ、ほんとに思いもかけないつながり方をしているものでございます。 / 口車大王2号 ( 2002-10-07 23:42 )
きっとそう言う「バンドクラブ」的なものは、世界中にあるのかもしれませんね。。。 / こっしー@マックユーザー様でしたか〜 ( 2002-10-06 22:29 )
マルタ島、ホント、日本と縁があったなんて知らなかった。 / 夢樂堂 ( 2002-10-06 21:17 )
小説家Nさんは、日本人です。 / 口車大王2号 ( 2002-10-06 12:24 )
CWさんなんだ〜。 / スーパーしえろ ( 2002-10-05 23:29 )
マルタへは、イタリアから船でも行けます。イタリア縦断をされるのでしたら、最後にぜひ訪れることをお勧めします。本当に、ほっとするところですよ。 / 口車大王2号 ( 2002-10-05 23:14 )
この本は、当時の日本海軍の公式記録文書として残されたものの後半部分を復刻したものですが、ずっと歴史にうずもれていました。初めてマルタを訪れてお墓を見上げたとき、ほとんど忘れ去られたその存在に悲しくなったものですが、私自身復刻に関わることができ、少しでも日本の社会に地中海遠征の事実が再び知れ渡るきっかけを作れたことは、望外の慶びです。 / 口車大王2号 ( 2002-10-05 23:12 )
以前自分の日記にも書きましたが、Hideyさま、日本人がどのようにヨーロッパの文化に触れたか、日本海軍地中海遠征記をぜひお読み下さい。旅行記として第一級です。当時の日本人がどのように考え、どのように行動したか、そして当時の日本海軍がいかに柔軟性に富んだ組織であったか、よくわかります。 / 口車大王2号 ( 2002-10-05 23:02 )
ゆうりさま、ありがたう。ほんとにやばいっす。 / 口車大王2号 ( 2002-10-05 22:56 )
おじいさまの足跡を辿られる旅、素晴らしいですね!それもマルタとは。その頃初めて西洋文化(それももっとも粋な!)に触れた日本人の驚きと戸惑いが目に浮かぶようです。僕も今度はその方面ぜひ行ってみたいです。来春にも予定しているイタリア縦断一人旅の続きで行きたいものです。 / Hidey ( 2002-10-05 11:16 )
大丈夫でしょうか・・崖っぷちとは!! 落ちないように!! 大王様なら大丈夫ですわッッ。 がんばって!! / ゆうり@いつも有難うデス ( 2002-10-05 02:31 )

2002-10-03 [馬太]すごいです、マルタ国立考古学博物館


 9月13日は午前中からヴァレッタ市内をぷらぷら。リパブリックストリートをずっと歩いていって、国立考古学博物館に入ってみました。博物館の建物自体歴史的建造物で、リパブリックストリートの骨格となってます。

 この建物に入っていって、展示を見て回ってびっくり。

 石造りの巨大建造物というと、まず思いつくのがエジプトのピラミッド。これが作られたのが紀元前2530年頃なんですが、なんとマルタで発掘された寺院跡は紀元前3600年頃に作られたもの。文句なく世界最古の石造りの建造物です。

 あとで説明を聞いたのですが、写真のようにこの建造物の壁はカーブを描いています。で、部屋の中のある位置に立つと、話し声とかがその一点に集中して大きく聞こえる。そんな構造になっている建造物を、紀元前3600年に作っているのですね。

 そして、遺跡から発掘されたのが「マルタのヴィーナス」と言われている土像。頭を木の棒で固定していたのでなくなってしまっていますが、なんと写実的なボディでしょう。こんな造形を今から5600年前に生み出していたなんて、ほんと信じられません。

 つづく
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2002-10-01 [馬太]MarsascalaのRestaurant Ta' Grabiel


 日本海軍のお墓参りをした夜は、ヴァレッタからサン・ジュリアンと反対方向のマルタ島の東海岸方面のレストランに行ってみることにしました。Tさんが持参したガイドブックをホテルのコンセルジェに見せてどこが良いか選んでもらう。最初はMarsaxlokkのIr-Rizzuに電話してくれたのですが、だれも出ず。次にちょっと南のさらに小さい漁村のMarsascalaのTa' Grabielに電話してくれて、予約完了。ミニバンを呼んでもらって片道20分ほどでレストランに到着。

 なかなか、よろしいではありませんか。

 料理は、その日に捕れた魚介類から選んで調理してもらいます。見た目にもとても新鮮そうな魚たち。適当に見繕って料理を出してもらったのですが、まあ、出てくるわ、出てくるわ。本当においしい。そして、安い!これ重要。テーブルワインもうまい!日本円で一人当たり4000円くらいだったでしょうか。

 前の日のSan Giulianoも決して悪くなかったのですが、お値段が安い分、Ta' Grabielに軍配が上がります。

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こっしーさま、マルタの公用語はマルタ語と英語なので、英語は通じます。ワインは、ほんとにおいしいところです。 / 口車大王2号 ( 2002-10-02 14:49 )
ちなみに、美味しい白のテーブルワインが飲みたいと言う理由だけではありませんので。。。 / こっしー ( 2002-10-01 23:26 )
毎日、読ませていただいているうちに、だんだと行きたくなってきました。英語も通じるんですよね。。。 / こっしー ( 2002-10-01 23:25 )

2002-09-29 [馬太]Kalkaraの日本海軍戦没者の墓


 名誉総領事のオフィスを訪問した後、マルタ観光局のJohn M. Maistre氏の案内で、日本海軍の墓のある墓地へ向かいます。彼は所在地を正確に知らなかったようで、もうひとつ別の墓地へ行ってしまいました。改めてお墓のある墓地へ向かいます。

 旧英国海軍の墓地は現在は英連邦墓地となっていて、ヴァレッタとグランドハーバーを挟んだ反対側の、カルカラの街の丘の上にあります。前回訪れた時は墓地の入口から一直線に続く通路の奥、一番突き当たりに墓が見えたのですが、その墓が見えません。また場所を間違えたのかと思ったのですが、樹が生い茂って見えなくなっていたのでした。27年の歳月を感じます。

 門をくぐってすぐ左手に管理人室があるのですが、そこの壁に「旧日本海軍戦没者墓地」の銘版が取り付けられていました。これも、前回来たときはありませんでした。そして、墓地の周囲はほとんど何も建物がなく、お墓の後ろ側には全く何もなかったのですが、現在は住宅が立て込んでいます。Maistre氏の説明では、建てられてから10年そこそこだろうということです。

 初めて訪れたときも感じましたが、日本海軍のお墓は墓地の中の最も良い場所にあります。祖父の乗艦していた駆逐艦「榊」は、魚雷を被弾する直前、僚艦の駆逐艦「松」とともに、まだドイツ軍の潜水艦のいる海域で、遭難した船から2000名もの人たちを救出しました。英国海軍はかつて二次攻撃によって被害を拡大されたこともあり、一度魚雷攻撃を受けた艦船の救出にはあたらないようになっていたので、これは勇敢な行為としてたたえられました。その救助にあたったうちの一隻が被弾し、戦死者を出したのです。それだけに、最大限の敬意をもってこの場所を与えてくれたのだと思います。

 27年前、初めてお墓を訪れたとき、「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」という碑文を見上げて、思わずじんと来てしまいました。その時は、先代の名誉総領事とたった二人でのお墓参り。当時、ここを訪れる日本人もほとんどいませんでした。だいたい、年間のマルタ来訪者が1000人そこそこだったのですから。歴史から完全に忘れ去られ、この人たちの死はいったいなんだったのか、当時、そういう思いが強烈に込み上げてきたことを思い出します。経済的にも、先代の名誉総領事がもっと日本人観光客がマルタに来ないかなぁと、寂しそうな顔しながらつぶやいたのも、心に残っていました。

 それが、現名誉総領事にも言われましたが、今や多くの日本人がお墓を訪れています。そして、我々の前に訪れた人が、お墓にお供えをしている。最近はガイドブックにもお墓のことが掲載され、ツアーコースの中に組み入れられるようにもなりました。遭難してから今年で85年、ようやく再び日の目を見るようになったようです。

 祖父は残念ながら被弾から1年後の慰霊祭を行う前に日本に帰任したため、このお墓を見ていません。死ぬまでに一度墓参することを夢見ていましたが、果たせませんでした。祖父の従卒だった人は戦死しており、生前その御家族のことを大変気にしていたそうです。今回ようやく写真を持参したので、まがりなりにも墓参を果たすことができました。ドクターIとともに、日本から持参したお酒をお墓にかけたのですが、おいしかったでしょうか。

 この墓地では、もうひとつ驚くことがありました。それは、第一次大戦時に戦死したドイツ軍の戦没者も埋葬されていることです。英国海軍の、海の男の心意気を感じます。

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でじかめさま、第二次大戦前の日本海軍はすべて軍国主義一辺倒でどうしようもなかったということはないのです。むしろ、変な方向に突っ走ってしまった時期の方が短いのです。復刻された「日本海軍遠征記」を読むと、よくこんなものが正式文書として残されたものだということに驚きますし(ほとんど今どきの旅行記です)、そこに記述されている艦隊の組織は、それはそれはすぐれたものでありました。 / 口車大王2号 ( 2002-10-04 14:12 )
とても良い変化、そしてとても素晴らしい場所と歴史ですね。日本人として誇りに思える場所だと思いました。あ〜まだまだ勉強が足りない〜(^^; / でじかめ ( 2002-10-03 00:27 )
こっしーさま、管理人室のところにドイツ軍のプレートも飾ってあります。おそらく、潜水艦乗務員の戦死者でしょう。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:57 )
しらぴょんどの、死力を尽くして戦った後は、例え敵であろうと敬意を表する。それが本当の軍人だと思うのです。第二次大戦中「鬼畜米英」とばかりに捕虜を弾圧したりしたのは、日本本来の武士道からもはずれることです。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:55 )
綾丸様、無意味に兵隊を殺すというのは、すでに日露戦争の時の203高地の戦いで日本陸軍がやっていますね。日本海軍も、この時は本部勤務でずっとマルタにいた人たちは、帰国時に全員マルセイユに遊びに行かせたり、大変余裕がありました。第一次大戦の後からどんどんおかしくなっていきましたね。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:53 )
敵対していた国でも、一人一人の命の大切さは同じ、その意味をぐっと感じさせられました。 / こっしー ( 2002-10-01 18:25 )
海は繋がっていますからね。海を愛する心はどこの国の人間も変わらないって心意気に感謝です。 / しらぴょん ( 2002-10-01 00:34 )
太平洋戦争になると、日本軍はカミカゼやバンザイ突撃などで無意味に兵隊を殺していたのですが、昔は立派だったんですね。今の日本では軍人が尊敬されないから、こういう立派なお墓もできないのだろうなと、残念な思いがします。 / 綾丸 ( 2002-09-30 11:46 )
駆逐艦「榊」の乗務員で、出発前に金毘羅様へお参りした人たちは、全員助かったそうです。 / 口車大王2号 ( 2002-09-29 23:12 )
墓地への道順は、こちらを参照下さい。ページの下の方に書いてあります。 / 口車大王2号 ( 2002-09-29 19:57 )

2002-09-29 [馬太]名誉総領事訪問


 翌9月12日、今回の旅行の最大の目的の日本海軍の墓の墓参の日です。10時前にマルタ観光局の人がホテルまで迎えに来て、まずは日本国名誉総領事を訪問します。

 名誉総領事のMifsud氏は本業が船会社。そのオフィスはヴァレッタ市内にあり、ホテルから車で5分ほど。見上げれば、日の丸が翻り、菊の御紋が飾ってあります。日本国内日の丸や菊の御紋が普段から飾ってあるとまるで右翼のように思われますが、異国で見るこれらは、我々が日本人であることを実感させてくれます。そして、名誉総領事の執務室に入ると、壁には天皇皇后両陛下の写真と信任状が飾ってあります。これまた、日本人であることを実感させてくれます。

 今回名誉総領事を訪問した目的は、表敬訪問とともに、小説家Nさんが「日本海軍地中海遠征記」の復刻で得た印税を、日本海軍のお墓の維持のために寄付することにありました。3枚目の写真はその贈呈の瞬間ですね。

 さて、今回の訪問で大変残念なことがありました。27年前に初めてマルタを訪問したとき、現名誉総領事の父上にいろいろ面倒を見ていただき、今回再開できることを楽しみにしていたのですが、2か月前に亡くなられたということ。2年前、口車両親が訪れたときは大変元気だったそうですが、本当に残念です。

 一番下の写真は、ヴァレッタのバスターミナルからゲートをくぐってすぐのリパブリック・ストリートの始まりの広場に面してある、名誉総領事の弟さんが後を継いだ旅行代理店のオフィスです。かつては、この場所に日の丸と菊の御紋が飾ってありました。今回改めて、こんな目抜きの目立つところに日の丸と菊の御紋あったのかと、びっくりです。

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和代様、ありがとうございます。続いて、日本海軍のお墓について書きました。 / 口車大王2号 ( 2002-09-29 19:50 )
すばらしい旅の数々記録・・・・ため息であります。。。お祝いに来ていただきありがとうございました。 / 和代 ( 2002-09-29 19:07 )

2002-09-28 [馬太]St. Julian's


 ヴァレッタからバスで15分くらい行くと、サン・ジュリアンの街があります。ここは前回宿泊したところ。来てみてびっくりしました。

 写真でわかるように、ここは湾を囲むように街があり、びっしり建物が建っています。しかし、前回来たときはほとんんど建物がありませんでした。前回泊まったホテルは写真では見えませんが、右手奥の、湾の一番奥のところにパブリック・プールがあり、その目の前にありました。そして、建物はその周辺を中心に、まばらにしかありませんでした。この写真を撮っている地点も、何もなかったところです。

 現在はホテルがひしめき、観光客相手の新しい歓楽街の様相を呈しています。かつては、ヨーロッパのお年寄が長期滞在してのんびり過ごすような場所だったのですが。

 このときは、教えてもらったレストランで昼食をとろうとして来たのですが、残念ながらちょっと時間が遅く、隣の別のレストランで食事をとりました。かつて、マルタではどこで何を食べてもおいしかったのですが、観光地化することの性、非常に雑でいまいちの味でした。

 前回泊まったホテルも、名前が変わっていました。

 ところで、マルタの交通手段の中心はバスと書きましたが、こんなクラシックなバスが走っています。1930年までは50年ほど鉄道があったようですが、今では公共交通はバスとタクシーとミニバンです。27年前から同じバスが走っているような気がします。

 マルタの地図はこちら

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あう、レストランの綴りが違っていた。San Giulianoでした。この風景がまんま夜景になって、ほんときれいだった。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 22:09 )
ゆうりさま、サン・ジュリアンに限らずどこ行ってもすてきですよ。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:48 )
サン・ジュリアンは素敵なところですね〜 でもどこの写真を見ても空が綺麗です・・いいなぁ / ゆうり ( 2002-10-01 13:41 )
この日の夜は、再度St. Julian'sにみんなでやって来て、日本のマルタ観光局で教えてもらったSt. Julianoという、昼間入りそこなった海鮮料理のレストランに行きました。こちらは大変おいしかったです。夜景もばっちり。写真は撮りそこないましたけれど。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 23:35 )
こっしーさま、そうなんです。マルタという島は遺跡が島になったようなところで、どこをほじくり返しても遺跡が出てくるし、ヴァレッタなどは街自体が世界遺産ですからいじくれません。このサン・ジュリアンは何もなかったので、ヴァレッタや空港に近いこともあって、新しいホテルや施設が集中したようです。ヴァレッタとの間のSliemaもそうですね。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 23:29 )
あらら、結構「都会」じゃないですか。。。地中海の島でこんなに建物びっしりなトコがあるなんて。。。 / こっしー ( 2002-09-28 15:18 )

2002-09-27 [馬太]昼下がりのValletta


 馬太の首都ヴァレッタは,端から端まで歩いても,15分もかかりません。日本で言えば,自由が丘や白金といった街区がひとつの町です。すべてがコンパクト。

 そんなヴァレッタでも観光客でわんさかしているのは限られていて,2ブロックも歩くと全く観光客が歩いていません。写真を撮ったのは昼下がりの午後2時前後。地元の人たちはシエスタ(お昼ね)をしているのでしょうか。通りは人っ子一人いません。

 ヴァレッタは半島に作られた城塞都市で,その半島の先端にはサン・エルモ砦があります。この周辺から見る地中海は,絶景の一言。口車,晴れ男の面目躍如であります。

 サン・エルモ砦の脇のカフェで一服して,ここで馬車に乗ってみます。運賃を値切ってみたのですが,やられましたな。見事に手を抜かれて,45分の約束が30分たらずでした。

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スーパーしえろさま、、、、だじゃれでくるかい。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 23:24 )
こっしーさま、なんたって地中海ですからね。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 23:22 )
シエスタ ビフォー フィエスタ?ふふふ、私はラテン系。。。。今度はプラハなのね、い〜な〜。 / スーパーしえろ ( 2002-09-28 21:51 )
マルタにもシエスタがあるのですか。。。スペインでは「シエスタの時間は誰もいないから、外を一人で歩かないように」と言われてました。 / こっしー ( 2002-09-28 15:14 )

2002-09-25 [馬太]銀線細工のショップと5千億ディナール紙幣


 The TOY MUSEUMの向い側に銀線細工の店ARDNAEL FILIGREE GOLD & SILVER WORKSを発見。場所といい、入口のディスプレイからしてリーズナブルな店の感じがします。

 FILIGREEとは線細工のこと。マルタは銀線を使った装飾品が有名です。このお店は、製造販売の店。Republic Streetのバスターミナルに近い広場にあった店と比べると価格も安いし細工も段違いに良くできている。その後見つけた店と比べてみても安いほうでした。

 それにしても安いですね。写真の銀線細工のブローチで2000円もしません。日本で同じものを買ったら、下手すると5倍はするでしょうか。

 そして、もうひとつびっくりしたのは、カウンタのところに各国のお札が飾ってあるのですが、ユーゴスラビアのお金。なんと、5千億という数字が。最近デノミをやったようですが、その前の旧ディナール紙幣のようです。すごいの一言。5千億ディナール紙幣の後ろには、1夏目漱石紙幣が見えますね。

 店主のVincenzo Attard氏は、最近ランニングをしているそうな。次の日も訪問したら、「今日は5時で店じまいして大会にでる。」と言っておりました。1年で100キロあった体重が80キロまで落ちたとか。昔の太っていたころの写真も見せてもらいました。

 ちなみに、毎年2月にはマルタマラソンが開催され、今年の優勝者は日本人でした。

 つづく
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こっしーさま、他の店も覗いてみましたが、Vincenzo Attad氏の細工は抜きんでています。そして、マルタも安いんですが、観光客が多く立ち寄りそうなところは少し高いです。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 23:21 )
あっしはスペインに行ったことがありますが、シルバーのアクセサリがステキで安いんです ! 懐かしいです〜。 / こっしー ( 2002-09-28 15:13 )
トルコは今でもそうですが、ユーゴスラビアは通貨切り下げをやって、1ディナール1.8円になっています。第一次大戦後のドイツといい勝負ではないでしょうか。 / 口車大王2号 ( 2002-09-28 11:56 )
トルコもすごい桁数で(ちょっと調べてみたら1万リラで1円くらい)、土産物を買って何十億リラ払ったという人を知っていますが、5000億には負けた。こんなお金、桁をどうやって数えるんでしょうね。第一次大戦後のドイツよりひどいのかな。恐ろしいですね。 / 綾丸 ( 2002-09-27 16:06 )
くすのき燕さま,しばし桁を数えてしまいましたよ。 / 口車大王2号 ( 2002-09-27 10:33 )
ひとケタぐらい間違っていても気づかないですね。 / くすのき燕 ( 2002-09-26 09:37 )
あ、スーパーしえろさまでございます。 / 口車大王2号 ( 2002-09-26 01:08 )
マルタは、治安も良くて良いですぞ。 / 口車大王2号 ( 2002-09-26 01:08 )
あ、丸太、いやマルタ!行ってみたい!! / スーパーしえろ ( 2002-09-25 23:38 )

2002-09-25 [馬太]The TOY MUSEUM


 ヴァレッタのメインストリートRepublic Streetをずっと歩いていくと、途中から結構急な下り坂になります。坂のせいか、その手前まではあふれ返っている観光客も、ほとんど歩いていません。万国共通、観光地の常として、人の集まる所からちょっと外れたところに穴場があるものです。そうしたら、やはり、ありました、ありました。

 通りの左側にThe TOY MUSEUMの看板発見。中に入るとすぐに館長さんが座っていて、入館料は2マルタリラ。600円弱と言ったところです。展示室は階上と地下にあり、まずは階上の展示室へ。そこには一面ブリキのおもちゃを中心に飾ってあります。だいたい1950年前後のおもちゃでしょうか。生産国は、日本、イギリス、ドイツの文字が見えます。当時、どうもブリキのおもちゃというとこの3か国が有名だったようです。日本もそうでしたが、戦争直後の経済復興の原動力として、日本以外のイギリスやドイツでもブリキのおもちゃの果たした役割がいかに大きかったか、展示品から垣間見えてきます。

 それにしても、どこかで見たような展示品と展示の仕方です。そうそう、横浜山手のブリキのおもちゃ博物館そっくりではありませんか。で、見終わってから館長さんに聞いてみました。

 「北原照久さん知っていますか?」

 そうしたら、おもむろに彼の著作の「1000TIN TOYS」(TASCHEN社(ドイツ))を取りだしてきました。ちなみに、博物館のオープンは1992年だそうです。

 そして、続けて館長どの、

 「イタリアのシチリア島には日本人観光客はいっぱいやってくる。しかしシチリアの連中は英語を話せない。ほんのちょっと南に来れば、ここ、マルタだよ。そして、我々は英語をしゃべれる。日本人観光客にとってとても好都合じゃないか。なのに、なんで日本人観光客はマルタまでやってこないんだ!」

と、きました。しかしながら、日本人観光客は急増していて、昨年1年間では1万2千人がマルタを訪れています。しかも、英語の語学学校も有名で、ここちらの生徒も日本人がどんどん増えています。口車が初めてマルタにやってきた27年前は、年間千人にも来訪者が届かなかったことを思うと隔世の感です。

 そのこと館長に説明したのですが、もっと来てくれなくちゃといった口ぶりでしたね。

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夢樂堂様、マルタ自体治安が良くて気候が良くて飯もうまくてですからね。こりゃも行くしかないです。 / 口車大王2号 ( 2002-09-25 20:12 )
ここはもう絶対に行きたい場所だね。 / 夢樂堂 ( 2002-09-25 12:38 )

2002-09-24 [馬太]9月11日のValletta


 あの事件からちょうど1年。口車はマルタ島のヴァレッタにいました。目の前に広がる風景は、そんなこと全く関係のないような平和な風景。そうなのです。本当にマルタは治安の良い、平和な国なのです。

 Le Meridian Phoeniciaの前は、バスターミナル。巨大なロータリーになっていて島中のバスがここを中心に運行されています。バスはマルタの交通手段の中心。運賃は15セントから40セント。だいたい35円から110円といったところでしょうか。

 バスターミナルはヴァレッタの街の面してあり、バスターミナルの前が城壁とヴァレッタ市内へのゲートとなっています。

 ヴァレッタ市街は、1565年のオスマン・トルコの侵寇に3分の1の兵力で耐え抜いたマルタ騎士団が、1566年に城塞都市として建設を開始して作られたものです。細長い半島の上に作られた城壁に囲まれた市街は碁盤の目のようになっており、整然としています。

 口車、マルタは27年ぶりの再訪なのですが、ゲートをくぐってヴァレッタ市内に入りびっくりしてしまいました。ゲートすぐの広場にも、メインストリートのRepublic Streetにも、かつては観光客の姿などほとんど見かけませんでした。それが今や、原宿竹下通り状態。マルタへの観光客が激増したことを示しています。

 つづく
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でじかめどの、答えは次の日記に書いておきました。 / 口車大王2号 ( 2002-09-25 08:55 )
エスカルゴどの、海外旅行は気合いです。そして最低限、英語は勉強しておきましょう。英語ですべて通じるわけではありませんが。 / 口車大王2号 ( 2002-09-25 08:54 )
う〜!ヨーロッパ行ってみたいっ!マルタって英語通じるんですか? / でじかめ ( 2002-09-24 23:46 )
海外行きてぇ〜。 / エスカルゴ@海外未経験 ( 2002-09-24 10:13 )

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