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口車大王「旅のおもひで」

 
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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-04-27 [Czech]スキポール空港のスシバー
2004-04-26 [Czech]いざ、プラハへ
2004-03-08 [英國]THE LANSDOWNE CLUB − 日英同盟署名締結の場所
2004-03-08 [英國]トラファルガースクエアからピカデリーサーカスへ
2004-03-07 [英國]ロンドン漱石記念館
2003-08-29 [英國]巡洋艦ベルファスト その3 日本の技術力のすごさを知る
2003-06-29 [英國]巡洋艦ベルファスト その2 さすがマダム・タッソーの国
2003-06-21 [英國]巡洋艦ベルファスト その1 軍人は平和主義者
2003-05-18 [英國]The London Tube
2003-05-02 [英國]Mandarin Kitchen - ロンドンの中華街


2004-04-27 [Czech]スキポール空港のスシバー


 残念ながら、まだプラハの話ではない。

 9月に続いて再びアムステルダムのスキポール空港に降り立つ。9月の時の5時間待ちほどではないが時間に余裕があるので、写真を撮って回った。

 スキポール空港は埋め立てでできた土地にある空港で、なんとここでかつて海戦が行われている。世界広しと言えど、そんな空港はここくらいであろう。

 以前の日記でも登場したが、スキポール空港のフロアのど真ん中の目立つところに前年からスシバーがある。今回はじっくり眺めてみた。前年見たときはお客もまばらであったが、今回観察しているとお客が入れ替わり立ち替わり立ち寄り、結構飛ぶように売れている。メニューを見てみるとアボガド巻きなんてのもあって、どちらかというとアメリカの鮨の影響を受けているようである。「のり巻きの盛り合わせ」が "Assorted Rolls" となるところも、なんとなくアメリカ的である。

 それにしても、ヨーロッパに来て小生のような身長の低い日本人にとって困ることは、用を足すときにつま先立ちをしなければならないことである。ここスキポールのトイレも、その一例である。写真はスシバーの近所のトイレの写真である。なんとなく高そうな雰囲気が伝わっているであろうか。

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チチロー様、身長はそうらしいですね。パリで活躍するモデルさんのかなりの数が、オランダ人だそうです。ここのトイレはまだ届きましたが、イギリスで一度ほんとにつま先立ちしないと用を足せないトイレに遭遇したことがあります。イギリス人だって小さい人いるのですけれどね。 / 口車大王2号 ( 2004-04-30 12:21 )
世界で一番平均身長が高いのがオランダ人だと聞いたことがあります。男性の平均は、確か180センチ超。オランダは、陸路で出入りしたので、スキポールは行ったことがありません。 / チチロー ( 2004-04-28 23:32 )

2004-04-26 [Czech]いざ、プラハへ


 2002年10月13日から19日まで、チェコのプラハへ仕事で行ってきた。今更であるが、その時の旅行記である。

 エアラインは、先月のマルタ、イギリス旅行に続き今回もKLM。結構海外に出かけているようで、2か月連続ヨーロッパというのは初めてである。Northwest/KLMのマイレージは有効期間がないというのが最大の魅力であり、運賃が安い割に食事も良いのも魅力である。また、アムステルダムという位置が、ヨーロッパの各都市に乗り継ぐのに便利な場所であったりする。そんなこんなでここのところ10年ほどはKLMを使っている。

 今回の便の席は、たまたまビデオの制御室の真横であった(上の写真)。これまで何度も飛行機に乗っていて、制御室を見るのは初めてである。フライト中に我々が見ている映画は、ここで制御している。複数のチャンネルを放映しているのであるから考えてみれば当たり前なのであるが、デッキがずらっと並んで壮観だ。KLMとは縁があるのであろうか、パジャマ姿のスッチーを見たりとか、あまり機内でお目にかかれないことに遭遇する。

 今回のフライトの食事の中に「カツ丼」があった(写真下)。これは日本料理といって良いものなのだが、以前とは打って変わり、日本料理の知名度が世界中で上がったことによって、機内食でもこのような日本テイストのものが外国のエアラインでも出されるようになっている。もっとも、日本便はそれだけ日本人客が多いということでもあるけれど。まあ、KLMではカップヌードルが出てきてかなり驚かされたのではあるが。

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ストロボなしで撮ったので、手ぶれしておりまする。 / 口車大王2号 ( 2004-04-26 12:00 )

2004-03-08 [英國]THE LANSDOWNE CLUB − 日英同盟署名締結の場所


 一番上のの写真は、ピカデリーサーカスから北に延びるリージェントストリート。私はこのゆるくカーブを描いた通りが大好きです。世界で最も美しい通りのひとつではないでしょうか。写真のバス停の先を左折するとピカデリーストリートへのショートカットで、そこにBentley's Oyster Barがあります。この日の夜、ここで食事をすることになります。

 イギリスでは別行動しているT夫妻のだんなが、「イギリスにうまい食い物はない!」と断言したので、「そんなことはない!」と、小説家Nさんと口車が切り返し、Dr. I姪御さんの御主人に4か所挙げてもらい、その中からホテルのコンシェルジェにどこが一番良いか選んでもらいました。ここは12年前に不祥口車が昼食をとったところで、今回大人数だったので、「高いよ。」と言われていた2階になってしまったのですが、高いだけにさらにうまかった。しかし、食事しながらの会話は犬の落とし物に2B弾突っ込んで爆発させた話とか、高級レストランにはふさわしくない内容であったことは内緒です。直前まで隣の席に日本人の団体さんいたけれど。

 Bentley's Oyster Barを通り過ぎピカデリーストリートにでると、そこに和菓子屋さんがありました。鎌倉の源吉兆庵という店です。以前ロンドンに来たときはなかったのでびっくり。さらに西に進みピカデリーストリートから北にちょっと入ったところにTHE LANSDOWNE CLUBはありました。そうです、アンバレー村を訪れるきっかけになったアーサー・ラウンスダウン外相の邸宅です。

 まず外から写真を撮って、続いて入り口の写真を撮って良いか、中の受付にいたベルボーイと交渉です。すると、「今マネージャーが来るからちょっと待っていてください。」と言われてしまいます。待つこと5分、マネージャー登場。すると、「会員がいるので写真は勘弁してもらいたいが、中を案内しましょう。」と言ってくれるではありませんか。日英同盟百周年のセレモニーがあった上に問い合わせていたので、我々の訪問目的を理解してくれたようです。早速日英同盟が署名された部屋に通されました。入り口のすぐ裏側にあり、広さは10畳ほど、さほど広くありません。今から百年前に、この同じ場所で条約締結が行われたかと思うと、感慨深いものがあります。現在この建物はプライベートクラブになっており、地下にあるプールも見せてもらいました。このプールも百年以上前に作られたものです。

 帰ってきてから THE LANSDOWNE CLUBのページを読んでびっくりしました。

 1782年、日英同盟締結の120年前、この同じ建物でアメリカの独立を認めたパリ条約が作成されているではありませんか。ベンジャミン・フランクリンが訪問しています。作成が行われたthe Round Roomというのがどの部屋か確認し忘れたのですが、ひょっとしたら日英同盟締結の部屋と同じ部屋かもしれません。道路拡張に伴い解体された部分は、現在ニューヨークとフィラデルフィアに移築されているそうです。

 また、ロンドンのプライベートクラブで最初に女性を会員にしたクラブでもあります。ちなみに、海外会員は入会金7万円弱、年会費4万5千円ほど。1年以上の会員二人の推薦があれば会員になれます。

 おひとついかが?

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みほさま、ぼんさい、ふとんなんちゅうのも英語になっておりまするからなぁ。それに、サンフランシスコには日本のアンティークの家具だけ扱っている店あったし。鮨は、今や世界中どこでもブームです。アムステルダムのゴッホ美術館にもスシバーあるし。あ、ヨーロッパではパリのオペラ座近所の、オペラ座通りとサントノーレ通りの間の「ふじた」の鮨が大変うまいっす。 / 口車大王2号 ( 2004-03-18 23:09 )
イギリスでも和風なものは人気なのですね〜。ていうか、世界で和ブームなきが・・・ / みほ ( 2004-03-16 22:29 )
まさや〜んどの、どういたしまして! / 口車大王2号 ( 2004-03-15 19:30 )
御祝いメッセージありがとう。^^ / まさや〜ん ( 2004-03-14 21:37 )
走る酔人(PAO) さま、ロンドンは歩いて回るだけでも見どころ一杯です。日記にも書きましたが、大英博物館なんか、最低1週間は通わないと半日ではごく一部を駆け足で見ることになります。 / 口車大王2号 ( 2004-03-10 09:50 )
チチローさま、"Two of the rooms were shipped intact to America: The ‘First Drawing Room’ is reinstated at the Philadelphia Museum of Art and the Dining Room was re-erected at the Metropolitan Museum in New York." ということです。 / 口車大王2号 ( 2004-03-10 09:48 )
ロンドンは1年ほど前トランジットで2時間ほど街をうろうろしただけです。ああゆっくり遊んでみたい。 / 走る酔人(PAO) ( 2004-03-10 03:29 )
フィラデルフィアには住んでいたんですが、美術館にそんな大物があったとは。常設展示ですようねえ。大きすぎて気がつかなかったのか(笑)、見ていても、背景を十分に知らないので記憶に残っていないのか。センチメンタルジャーニーの折には是非確認してみたいです。 / チチロー ( 2004-03-10 03:02 )

2004-03-08 [英國]トラファルガースクエアからピカデリーサーカスへ


 ロンドン漱石記念館を後にして、ガトウィック空港で指を怪我したのが悪化して腫れてきてしまった小説家NさんとマネージャーMさんはホテルに戻り、残るDr. I ご夫妻、I博士の姪御さんそして口車の4人はバスに乗ってトラファルガー広場に向かいます。目的は、日英同盟が署名調印、即日発効した場所を訪問するためです。

 いわゆるロンドンバスの2階に乗り、ゆったりとして車窓の変化を楽しみます。バスはテムズ川を渡り、しばらく川に沿って走ります。と、姪御さんが左手の黒い建物を指して、「あのね、ここがつい最近所在がわかってしまったMI6よ。」と言います。そうです。ここが007の所属する英情報部であり、最近国連盗聴疑惑などでなにかと話題になっている場所です。あわてて写真を撮ろうとしたのですが、残念。写真を撮るにはバスは速かった。

 さらにトラファルガー広場に近づくにつれ、東京で言えば霞が関、永田町界隈のようなところを通ります。首相官邸を左手に見て、大蔵省が右手に見えます。そしてトラファルガー広場をバスはかすめ、そこでバスを降ります。

 上の写真はバスを降りたところで見つけたポール。クラシック音楽好きだったら"St. MARTIN IN THE FIELDS"という名前にピンとくるでしょう。

 たまたまトラファルガー広場は乗っていたバスが目的地に最も近づくところだったので降りたのですが、考えて見ればトラファルガー海戦にちなんでネルソン提督を顕彰している場所ではありませんか。広場にある像もネルソン提督の像です。後になって気がつきました。残念ながら、ネルソン提督の像の写真はありません。

 ここで電話ボックスを見つけ、日英同盟署名調印の場所が見学できるかどうか、頼んでおいたJapan Societyに確認です。「今日は会員がいるので見せられない。明日10時に来てもらったら見学できる。」という返事。残念ながら、明日は日本に帰国する日です。そこでめげないDr. I、「入り口だけでも見せてもらおうよ。」と、歩いていくことになりました。

  目的の場所、THE LANSDOWNE CLUBはピカデリーサーカスの西側にあります。トラファルガー広場からピカデリーサーカスはSOHOを抜けて以外と近い。SOHOはかなり危ないところだったのですが、かつてに比べると安心して歩けます。そして、歩いてみて驚くのは、ロンドンの町並みのかつてに比べてほんとにきれいになったこと。SOHOやピカデリーサーカスには紙くずがそこら中に舞っていたものですが、そんなものは全くありません。しかも驚いたことに、かつては清掃人といったらかつての植民地出身の肌の黒い人たちがやっているのが当たり前だったのですが、若い白人のお兄さんがやっていたりする。随分変わったものです。

 つづく
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りゃん吉さま、お久しぶりです。前の日記に突っ込めなくなってしまった。そうですね、英国人にはそういう傾向があると思います。加えて、第二次世界大戦の時は敵味方になってしまいましたが、日英同盟を締結していたという関係でもあるんです。基本的にイギリス人というか、ヨーロッパの人たちは日本が好きです。 / 口車大王2号 ( 2004-04-30 13:35 )

2004-03-07 [英國]ロンドン漱石記念館


 気がつけば、半年も日記を放置してしまいました。

 さて、巡洋艦ベルファストの前のパブで一服し、次に我々はタクシーでロンドン漱石記念館へ向かいました(80b, The Chase, London SW4)。ここは漱石ロンドン留学時代の最後の下宿の向かいにあります。

 館長のサミー恒松氏はかねてよりの知り合いで、今回の旅行でロンドンを訪れるので是非訪問したい場所のひとつでした。また我々が訪問する半年前にここは英国の歴史的建設物に指定され、3月22日に除幕式が行われました。以下はそれを伝える共同通信の記事です。


 明治の文豪、夏目漱石がロンドン留学時代にに下宿した家が、英国の政府機関イングリッシュ・ヘリテイジの「ブルー・プラーク」指定を受け「歴史的建設物」と正式に決まり、漱石の名を刻んだ
ブループラーク(青色の金属板)の序幕式が二十二日に行われることに決まった。

 ブループラークは、日本人関係では、漱石が初めて。

 ロンドン漱石記念館の恒松郁生館長によると、漱石ブループラークは、五ヶ所の漱石の下宿のうち漱石
が、最も愛したロンドン南部チェイスの下宿がった建物に掲げられる。(ロンドン一日共同)


 写真の一番上は記念館入口のドア、2番目が向かいの下宿、そして一番下がブループラークの写真です。記念館では漱石の肖像画も特別に撮らせてもらえたのですが、うっかり削除してしまいました。

 つづく
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英国人は人に敬意を表するのがうまい国民のように思われます。日本人が下手だという証拠ですか・・ 名前がきちんと”日本読み”になっておる・・すばらしい! / りゃん吉@久しぶりです! ( 2004-04-19 22:09 )
asariさま、ほんとにそうですね。 / 口車大王2号 ( 2004-03-08 22:08 )
「SOSEKI NATSUME」となっていないところになんというか、日本の文化に対する包容力みたいなものを感じます。 / asari@未ろぐいん ( 2004-03-07 23:39 )

2003-08-29 [英國]巡洋艦ベルファスト その3 日本の技術力のすごさを知る


 気がつけば、2か月も書き込んでいませんでしたなぁ。そして、英國旅行からもうすぐ1年ではありませんか。

 さて、巡洋艦ベルファストの展示を見て回っていて、あるコーナーに来たら写真パネルが展示してありました。巡洋艦ベルファストが建造されたきっかけが説明してあるパネルなんですが、左側のパネルを見ると"Japanese ..."という単語が飛び込んできます。良く読むと左側が「日本の脅威」、右側は「そして、英國の対応は、、、」という見出し。おやっと思いさらに詳しく解説を読んで見て驚きました。

 左側の「日本の脅威」のパネルには、ロンドン軍縮会議の結果として1931年(昭和6年)に日本海軍が建造した軽巡洋艦「最上」が、排水量8500トンの船体に6.1インチ砲15門を備えて37ノット(68.5 km/h)のスピードを誇り、当時の軽巡洋艦としてはぶっちぎり世界最高性能であったということが記述してあります。当時、30ノット(55.6 km/h)も出れば速い船だったので、世界中を驚かせたわけです。

 これに対して、英國がどう対応したかが書かれているわけですが、急遽建造中の巡洋艦の建造を中断し、ベルファストを含む「サウザンプトン」級の設計を行い建造しました。ただし、排水量は9100トンで、6インチ砲12門に最高速度は32ノット(59.2 km/h)と、かなり見劣りするものでした。「その他のところでは最上と同等である」と書いてあるのが、なんとも負け惜しみのようです。

 ドクターIによりますと、「最上』の動力源は蒸気タービンで、これだけのスピードをたたき出すには精密なタービンの加工が必要なわけで、日本の製造技術は第二次大戦後急に良くなったわけではなく、戦前から世界トップレベルにあったことの証明です。ただし、巡洋艦「最上』はかなり設計に無理があり、最終的には船体を補強してトン数が増え、最高速度も35ノット(64.8 km/h)になってしまったのですが、それでも世界最高速度だったわけです。

 それにしても、このパネル展示は本当に驚きです。日本の技術力が当時世界トップクラスであったことが示されているとともに、第一次大戦関係の展示ならわかりますが、直接敵対関係にあった第二次大戦時の巡洋艦の展示に、このような日本を言わば称賛するパネルが展示されているのです。負け惜しみを書くくらいなら展示しなければ良いのにとも思うのですが、歴史的事実をきちんと展示して後世に残していくという英國のこの姿勢は、本当に尊敬に値します。「日本はすごかったんだよ。」と、しかも当時敵国であった英國から称賛される、日本人としてこんなにうれしいことはありません。

 つづく
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lamanchaさま、ごぶさたです。ほんと、イギリスはびびっていますよね。軍国主義のイメージにつきまとわれて、こういったことは省みられようともしませんね。 / 口車大王2号 ( 2004-02-26 17:15 )
零戦についてはあれこれ聞きますが、これほどイギリスをびびらせた最上については殆ど聞いたことが無いのは私だけでしょうか? / lamancha ( 2003-10-30 18:27 )

2003-06-29 [英國]巡洋艦ベルファスト その2 さすがマダム・タッソーの国


 館内の展示を見て回って、びっくり。さすがマダム・タッソーの国です。ろう人形がそこら中に展示され、当時の館内の雰囲気を再現しています。

 上から2番目の写真は、作戦分析室なのですが、ドクターIによるとこれはレーダーが装備されてからの設備で、朝鮮戦争の頃にこのような形に改造されたそうです。それより前は、下の写真の弾薬庫のところの床にハッチがあって、そこに計算室があってそこで作戦指令に必要な情報を、タイガー計算機を使って計算していたそうです。タイガー計算機とは手回しの計算機で、電卓が登場するまではこれと計算尺が計算機の代名詞でした。

 この計算室は平穏時は船の中で一番安全な場所ですが、戦闘時は一番危険なところで、船が撃沈されるとまず脱出することができません。戦艦大和沖縄特攻作戦に随行した巡洋艦矢矧では、8人が犠牲になったそうです。

 艦内にパーティーのための広大なスペースがあるのも驚きです。

 つづく
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ほ肝どの、ごぶさたです。 / 口車大王2号 ( 2004-02-26 16:15 )
ムッシュさま、ごぶさたで。 / 口車大王2号 ( 2004-02-26 16:14 )
りゃん吉さま、砲弾はプラスチックでできた偽物です。触ったら軽かった。 / 口車大王2号 ( 2004-02-26 16:13 )
くすのき燕さま、モノはいっしょです。 / 口車大王2号 ( 2004-02-26 16:10 )
イワサ博士さま、なんたってマダムタッソーの国ですからね。それにしても、ちょっと見はわからんです。 / 口車大王2号 ( 2004-02-26 16:09 )
チェーズティンバーデー / - ( 2003-07-27 07:17 )
御言葉ありがとうございました!いつもウンチク遠巻きながら関心するばかりであります!!ひまじんの中尾彬と言うことで?  次回はねじリン棒スカーフでキーパーを? / ムッシュ ( 2003-07-18 11:48 )
ちゃんと砲弾の信管抜いてますよね?あれだけあると背筋はさむくなりますね / りゃん吉 ( 2003-07-13 02:10 )
東京タワーの蝋人形館を思い出しちゃいました。 / くすのき燕 ( 2003-07-10 08:08 )
イギリスの博物館は、マネキン多いですよね。RAF Museumも、こんな雰囲気でした。 / イワサ博士@ベルファストは外から見ただけ ( 2003-07-07 23:21 )

2003-06-21 [英國]巡洋艦ベルファスト その1 軍人は平和主義者


 またまた前回の日記から空いてしまいました。

 さて、ラッセルスクエアからロンドンブリッジまで地下鉄に乗り、巡洋艦ベルファスト見学に向かったのですが、地下鉄で移動となったら、あのごっつい小説家Nさんが妙に静か。子供の頃、地下鉄で轢かれそうになって、以来地下鉄が苦手なんだそうな。小説家Nさんの意外な弱点発見!

 さて、ロンドンブリッジ駅から徒歩5分、ロンドンブリッジとタワーブリッジの間に巡洋艦ベルファストは係留されています。日本で売られているガイドブックにはまず登場しませんが、我々日本人に無縁ではありません。

 巡洋艦ベルファストが建造されたのは1938年。「サウザンプトン」級の巡洋艦の1隻として建造され、第二次世界大戦、朝鮮戦争で活躍しました。

 同行者のドクターIは、元海軍大尉。巡洋艦ベルファストと同じ時期の巡洋艦「矢矧(やはぎ)」の乗組員で、戦艦大和沖縄特攻作戦で撃沈された「矢矧」の生き残りです。ドクターIにとってこの見学は感慨深かったようです。「軍艦の構造はだいたい世界中同じでね。」という説明で、通り一遍の観光客だったら見落としてしまうようなところを、いろいろ説明してもらいました。しかし、高射砲の前に立っていると、「ちょうどその位置で僕のクラスメートは死んだんだよ。」なんていうことを言われると、返す言葉がありません。

 「日本は、アメリカとやってはいけない戦争をやってしまった。」

ということも言われていました。軍人として死線を乗り越えた方のこういう言葉は、ずしっとした重みがあります。軍人は、実は一番の平和主義者であると実感した瞬間でした。

 そして、キャプテンシートに座って一言。

 「うーん、やっぱり矢萩の方がいーなー。」

 つづく
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やっちーさま、お友達ですね。小説家Nさんについては、こことかここあたりがヒントです。戦争が如何に悲惨なものか、体験者の話を聞くのは貴重なことです。 / 口車大王2号 ( 2003-06-29 22:31 )
小説家Nさんは口車大王さんのお友達ですか?(ごめんなさい、前の日記を読んでないので、、、)私にとってはその巡洋艦は過去の遺跡、でも戦争を実体験している方にとっては、その記憶や亡くなった友を思い出させる意味深いモノなのですね。ちゃんとその艦は歴史を刻んでそこにたたずんでいるんだなぁ。 / やっちー ( 2003-06-23 02:02 )

2003-05-18 [英國]The London Tube


 2003年9月17日

 今日は今回の旅行の目的地のひとつである、巡洋艦ベルファストの見学です。

 前日も経験したことですが、とにかくロンドンの渋滞がひどい。昨日が月曜日で今日が火曜日。ウィークデーの渋滞は半端ではなく、ラッセルスクウェア周辺の道路も、朝は車がびっしりで身動きが取れません。9年前に訪れたときはここまで渋滞が激しかった記憶はないので、当時に比べて景気が良いことに関係しているのでしょう。ということで、ホテルから最寄りの駅のLondon Bridgeまで地下鉄で移動することにしました。Piccadilly LineのRussell SquareからKing's Cross St. Pancrasまで行き、そこからNorthern Lineに乗り換え、London Bridgeまで行きます。

 Piccadilly Lineに乗ってまず驚いたのは、駅がきれいになったこと、車両がきれいになったことでした。Piccadilly Lineの車両はクロスシートで、土足を乗せる乗客で大変汚れていたのですが、ロングシートのプラスチック製のシートとなり、汚れも目立たなくなりました。そして、落書きも激減しています。

 一番上の写真はLondon Bridge駅の路線案内図なんですが、Northern Lineはロンドン地下鉄の中でもよく止まるので悪名高い路線です。その原因のひとつとして路線の複雑さもあるようです。図のように北行きも行き先が2か所に別れていますが、都心の部分も我々が乗る東廻りの路線と、Carling Crossを経由する西廻りの路線があります。この路線も車両が更新されていました。少しは定時運行が増えたでしょうか。

 そして、駅構内も更新されてきれいになっています。1987年のKing's Crossでの木造エスカレータが原因の大火災事故以来設備の更新が行われていて、London Bridge駅の校内もモダンな造りに改装されています。

 下の2つの写真は、夕方Piccadilly Lineに乗ったときの写真ですが、プラットホームに着いた途端、電源系統の故障により電車が送れるというアナウンス。15分くらい待ったら電車が来たのですが、とても乗れるような状況でなく、もう1本待って乗りました。ロンドンで東京のラッシュアワー並の混雑に遭遇するとは思いませんでした。

 残念ながら、列車の遅れはあいかわらず結構あるようです。

 つづく
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でじかめさま、なるほど、マンチェスターUですか。 / 口車大王2号 ( 2003-06-22 12:19 )
gewbieさま、いいでしょ。まさか大英博物館のショップでこんなもの置いているとは思いませんでした。 / 口車大王2号 ( 2003-06-22 12:19 )
Hirokoさま、そのようにもとれますなぁ。しかし、違います。東京ほどまだラッシュ時の乗り方に慣れていないだけ。もっとも、最近東京で電車に乗っても、ラッシュ時の乗り方に慣れていないの大変増えていますけれど。なんでだ? / 口車大王2号 ( 2003-06-22 12:18 )
八百八六助さま、以下にもロンドンの地下鉄らしいですなぁ。ロンドン地下鉄は民営化の話が出ていて、しかも2社に分けるのだそうな。東京の地下鉄が営団と都営の2社で不便をかこっているのに、なんでそういうことをするんでしょうかねぇ。BRの民営化で大失敗しているのに。 / 口車大王2号 ( 2003-06-22 12:17 )
ご無沙汰しています。一番下、確かにスリの現場に見えます(爆笑) マンチェスターUのファンの方ですね♪ / でじかめ ( 2003-06-14 03:24 )
大変ご無沙汰いたしております。下のほうにある招き猫、いい顔ですね。 / gewbie ( 2003-05-31 14:11 )
一番下の写真は「スリ」の現場ですか(笑) / Hiroko ( 2003-05-23 01:52 )
初めてイギリスに行ったとき,ヒースローからパディントンに(安いから)地下鉄で向かったら,地下鉄止まってた.ピカデリー線は良かったんだけど,サークル線がダメで,別の線に向かった覚えが.イギリスだなぁと感じた瞬間でした. / 八百八六助 ( 2003-05-18 17:23 )

2003-05-02 [英國]Mandarin Kitchen - ロンドンの中華街


 気がつけば、1ヶ月半も空いてしまいましたなぁ。

 さて、ロンドンに着いた日の夜はドクターIのロンドン長期駐在中の姪御さんの御推薦で、QueenswayのMandarin Kitchenという中華料理屋へ。ロンドンの中華料理屋でただいま一番おいしいのだそうな。QueenswayからBayswaterにかけての、ハイドパークから北西の位置は中華料理屋が多く、言わばロンドンの中華街といっても良いところです。

 そもそも、ロンドンの中華料理屋とインド料理屋は安くておいしいところが多いのですが、特にこのあたりの中華料理屋、安いけれどわい雑な雰囲気の店がほとんどでした。ところが、ここMandarin Kitchenはモダンなインテリアでかつてのイメージを払拭するには十分です。ポーツマスのタイ料理屋もそうでしたが、こういうインテリアのアジア系の料理屋が増えているようです。

 Mandarin KitchenにはドクターIの姪御さんもいらっしゃったのですが、お話を伺ってびっくり。なんと御主人が某A航空会社のヨーロッパ総支配人!「言ってくれれば航空券手配したのに。。。」ということで、フライトの手配に四苦八苦したので、がっくり。。。後で調べたら、ヨーロッパ往復の中にA社だとマルタも含まれていたし。。。

 なお、写真右下の人物は私ではありません。

 つづく
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くすのき燕さま、かつてはこんなかっこいい中華料理屋なんて、皆無だったですね。今や、ロンドンはヨーロッパにおける食文化の中心となりました。 / 口車大王2号 ( 2003-05-18 15:36 )
パンダ様、タイタニックを沈めたミイラですか。。。そのミイラの呪いがかかったのか、それとも積まれていたのか。。。 / 口車大王2号 ( 2003-05-18 15:34 )
エスカルゴさま、違うんです。だから、マルタの新聞でも間違えられたんだよな。 / 口車大王2号 ( 2003-05-18 15:31 )
雅(みやび) さま、30センチの距離で会っているのに、普通間違えるかね。あ、ボブサップの唇付きであった。 / 口車大王2号 ( 2003-05-18 15:30 )
tomohikoさま、イギリスにうまいものがないなんてだれが言ったのか知らないけれど、それを言うなら東京でも同じことです。東京の飲食店のすべてが皆おいしいとは、とても思えない。 / 口車大王2号 ( 2003-05-18 15:28 )
貧乏旅行をしていた若かりし頃、ロンドンの中華料理屋でテイクアウトをしてました。今や、こんなかっこいい店があるんですね。 / くすのき燕 ( 2003-05-14 12:33 )
お祝いメッセージありがとうございました♪一瞬、ご本人かと思いました。 / エスカルゴ ( 2003-05-12 21:00 )
初めまして。ロンドンの中華街・・・私はロンドンに2年ほど居ましたが1回も訪れる事なく移動してしまいました(苦笑)よくイーストエンダーにはなりましたが。。。今思えばもっと出歩いておけば良かったな〜ところで↓の欄の大英博物館にはタイタニックを沈めたミイラ(?)が展示してあると友人から聞いた事があります。 / パンダ ( 2003-05-04 01:35 )
え!違うの?「顔出し〜♪」って思ったのにぃ〜。 / 雅(みやび) ( 2003-05-02 10:44 )
イギリスにはうまい食べものが存在しないかのように言われていますが、あるにはある、ということを知りましたよ。 / tomohiko ( 2003-05-02 10:23 )

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