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口車大王「旅のおもひで」

 
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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-10-29 [馬太]午後はマルタ島の中央部へ
2002-10-24 [馬太]Ristorante & Dolceria Rubino
2002-10-22 [馬太]エスカルゴ
2002-10-21 [馬太]St. John's Co-Cathedral
2002-10-17 [Czech]ただ今プラハにおります。
2002-10-04 [馬太]King's Own Band Club
2002-10-03 [馬太]すごいです、マルタ国立考古学博物館
2002-10-01 [馬太]MarsascalaのRestaurant Ta' Grabiel
2002-09-29 [馬太]Kalkaraの日本海軍戦没者の墓
2002-09-29 [馬太]名誉総領事訪問


2002-10-29 [馬太]午後はマルタ島の中央部へ


 マルタ観光局のJohn M. Maistre氏、まだ20代なんですが、大変教養溢れる人で、食事中いろいろ興味深いことを話してくれました。

・現在マルタには、海水淡水化装置がある。
・観光は、全産業の25%を占める。
・農業が盛んで、トマト以外に、ニンニク、ジャガイモ、オリーブ、ワインなど良質なものが生産され、輸出もしている。
・マルタにもイスラム教徒はいるのだが、全くの没交渉でキリスト教徒との結婚もあり得ない。

 今年は5月から雨が降っていないそうなんですが、にもかかわらず給水制限もない理由がよく分かりました。また、水を確保できたことによって、観光客数の急増につながり、農業も盛んになったのですね。

 食後ホテルまで送ってもらい、午後は一人バスに乗って島の中央部に向かうことにしました。目的地はMdina。かつてのマルタの首都だったところです。

 Mdina方面行きのバスを見てびっくり。今はもう存在しないイギリスのメーカーのバス。少なくとも30年は走っているでしょう。こういう味のあるバスがそこら中を走り回っています。

 Vallettaを出てしばらく行くと、道の片側に連続したアーチの構造物が見えてきます。これは、1500年代にVallettaが作られた時に、水を確保するために島の中央部から作られた水道の遺構です。今なら海水淡水化装置なんてものもありますが、当時は水の確保に苦労したことでしょう。

 Vallettaを出発して約30分。並木道の街道を走り抜け、丘が見えてきます。そこに城壁に囲まれたMdinaの街があります。バス停をおりて公園を抜け、城門をくぐってMdinaへ。かつては静かだったのでしょうが、完全に観光地化していますね。観光客が激増していますから、しようがないのかもしれません。しかし、ちょっと脇道に入ると、静かな路地が続きます。

 と、その先に民族衣装を着た女性が二人。そこは蝋人形でマルタ騎士団のことを説明している展示館でした。「今日はこれで最後だから。」という惹句につられ(若い美人女性に惹かれたという説もあるが)、600円ほどの入場料を支払って中へ。スピーカーから流れる英語はわかりにくかったのですが、各国の騎士団ごとに自治権のようなものがあったこと、1636年にMdinaで大地震があり、ほとんどの建物が倒壊したことなどがわかりました。Mdinaはマルタ島で最も高いところにあり、Vallettaからは島の反対側に近いところなのですが、Vallettaまで一望できてしまいます。いかに小さい島か、よく分かります。

 再びバスに乗り、工芸村を経由してMostaへと向かいます。今回時間がなかったので立ち寄りませんでしたが、27年前にはここを訪れています。そのころと比べると、やはり観光客の多いこと。工芸村から観光客がどっと乗り込み、バスは満員です。

 Mostaとは、アラビア語が語源で「中心」といったような意味があります。ここには、ヨーロッパで3番目に大きいドームがあります。外は結構豪華ですが、中は以外とがらんとしていて、Vallettaの聖ヨハネ教会とは異なり、見るべきものがありません。そして、なんとなく古い感じがしない。その理由は後でわかりました。

 第二次世界大戦時、このドームはドイツ軍の爆撃を受け、300キロ爆弾が屋根を突き抜けて落ちています。ところが幸いにも爆弾は不発で、屋根に穴があいただけですんだのでした。ですから、戦後修復されているわけです。


 つづく
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あう、自身→地震ざんす。>そそそさま / 口車大王2号 ( 2002-11-04 13:36 )
そそそさま、蝋人形館と思ってちょうだい。自身のあった年聞いたら、もう一人の女性は答えられなかったのだけれど、彼女は一発で答えてくれたな。頭よさそうだったっす。 / 口車大王2号 ( 2002-11-04 03:46 )
赤いベストの女性の写真いいですねぇ・・あの扉の向こうには何が・・ドキドキ。 / そそそ ( 2002-11-03 00:34 )
無樂堂様、右上の写真がこのバスの運転席です。エンジン音は軽く、なかなか快調でした。 / 口車大王2号 ( 2002-11-01 00:05 )
こっしーさま、9月25日の日記の写真の、500,000,000,000ディナールの後ろに、夏目漱石さんがいらっしゃいます、 / 口車大王2号 ( 2002-11-01 00:03 )
このバスにぜしぜし乗って見たいね。 / 夢樂堂 ( 2002-10-31 22:18 )
城壁の街、多いですよね〜。・・・にしてもそんなたくさん日本人行ってるんですかぁ。私が初めてスペイン行ったときは、日本の千円札を銀行に両替に持っていったら怪訝そうな顔されましたが、最近ではドライブインの土産売りが「千円、千円〜」と日本人に声かけてるらしいですし。 / こっしー ( 2002-10-31 12:29 )
ちなみに、ヴァレッタも城壁に囲まれていて、さらに街の先端には砦もあるのです。 / 口車大王2号 ( 2002-10-30 20:35 )
しんちゃんどの、やっぱヨーロッパですから。 / 口車大王2号 ( 2002-10-30 20:34 )
こっしーさま、マルタも最近日本人激増していますからね。昨年は1万2千人が訪れています。私が初めて行ったときは、1年で千人に届かなかった。空港で買ったお土産のお菓子には、パッケージに日の丸とともに日本語で説明が書いてあります。 / 口車大王2号 ( 2002-10-30 20:34 )
こんのちわ。写真がいっぱいでわくわくしますねえ。「城壁」はチャイにもあるんですが雰囲気が全く違いますねえ。 / しんちゃん@未ログイン ( 2002-10-30 12:54 )
私が最近スペインに行こうとしないのは、日本人がたくさん行っているから、と言うのもあります。マルタは日本人が少ないたいですし、何でも(ローマ・カトリック・イスラム)あって楽しそうですね。いつかホントに行きたいと思います。 / こっしー ( 2002-10-30 09:27 )

2002-10-24 [馬太]Ristorante & Dolceria Rubino


 午前中ヴァレッタ市内を歩き回った後は、いったんホテルに戻りマルタ観光局のJohn M. Maistre氏を待ちます。本日のお昼は彼がマルタ料理をごちそうしてくれることになっています。「マルタ伝統料理をごちそうしようと思うのですが。」という申し出を、だれが断るでしょうか。

 レストランはヴァレッタ市内メインストリートのRepublic Streetの通り一本隣、Old Bakery Streetにあります。看板にはConfectionaeryとあり、「あれ?」と思ったのですが、創業時はお菓子屋さんだったそうな。現在の御当主はマルタ料理の研究家で、伝統的なマルタ料理を再現している人でもあります。本も出版されていて、小説家Nさんはしっかり署名入りで一冊もらっていました。

 いやいや、それにしてもほんとおいしい。私、ラムを頼んだのですが、なんというか、一種独特の味付けです。見た目は濃い感じなんですが、全くもたれません。マルタのワインもおいしいし。マルタでは、食べるものが毎日毎日どんどんおいしくなります。

 あ、料理の写真とり忘れた。


 つづく
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夢樂堂殿、画像をとってくるだけザンすね! / 口車大王2号 ( 2002-10-29 21:33 )
しんちゃんどの、ようこそおこしを。マルタ料理ですか。。。一言、大変旨い味です。イタリアに似ているっちゃぁ似ているかな。 / 口車大王2号 ( 2002-10-29 21:32 )
走る酔人(PAO) さま、ほんとーーーーーに左様でござるなぁ。イタリアはイタリアで、捨てがたいでござるよ。 / 口車大王2号 ( 2002-10-29 21:26 )
でじかめさま、当たり!一応写真とったが、ほとんど食い終わりのぐちゃぐちゃな状態であった。 / 口車大王2号 ( 2002-10-29 21:25 )
代わりに行って夢樂堂が画像を撮ってくら。。 / 夢樂堂 ( 2002-10-29 17:27 )
こんにちわ。マルタ料理ですか、どんなお味なんでしょうか、一度食べてみたいものです。 / しんちゃん ( 2002-10-28 05:32 )
ああ旨そう。1日こっちのイタリア料理と交換できたらいいのに。 / 走る酔人(PAO) ( 2002-10-27 17:45 )
さては写真とるのも忘れて食べましたね?(笑) あぁぁ食べたぃぃぃ〜(^へ^)じゅるりんこ★  / でじかめ@毎回しでかす男☆ ( 2002-10-27 05:51 )
まあぼうさま、ご来場ありがとうございます。左下の注文をとっている方がオーナーシェフで、マルタでもすたれつつあった独自の料理を、復元研究されていらっしゃいます。デザートがまた、最高にんまかった。 / 口車大王2号 ( 2002-10-26 21:35 )
ランダムジャンプで飛んできた(笑)外人さんだぁ〜(*・。・*) / まあぼう ( 2002-10-26 13:10 )
えむさま、マルタではずしたのは一か所だけだな。それでもすごくまずいわけではなかった。 / 口車大王2号 ( 2002-10-25 10:44 )
こっしーさま、うさぎもです。ほんとうにんまかっただ。 / 口車大王2号 ( 2002-10-25 10:43 )
ラム・・おいしいラム・・・ワイン・・・ごくっ。 / えむ ( 2002-10-25 08:55 )
ウ、ウサギもですかぁっ。いいなぁ〜〜〜っ。↓↓この店って、ホントにおいしかったんですねっっっ ! ! ! / こっしー ( 2002-10-24 22:23 )
こっしーさま、マルタは、ウサギも名物です。ここは、ほんと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜においしかった。日本のガイドブックにも載っていないっす。 / 口車大王2号 ( 2002-10-24 20:36 )
ラム・・・懐かしいです。スペインで食べたもので忘れられないのが、ラムとウサギ。またマルタに行きたくなっちゃいましたよ〜。 / こっしー@先立つものがない〜 ( 2002-10-24 11:26 )

2002-10-22 [馬太]エスカルゴ


 別に、だれかさんのことを呼んだわけではありません。

 聖ヨハネ教会から出てきたら、出口のところに木が一本あって、前を通りがかると目の高さに小さな洞があって、そこにびっしりとカタツムリがいるではありませんか。マルタは5月から4か月雨が降っておらず、カタツムリ君たちはこうやって木の洞に固まってじっとしているのでした。

 聞くところによると、マルタはエスカルゴの有名な産地なんだそうです。


 つづく
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そそそさま、そうなんです、カタツムリ君たちなんです。雨がずっと降っていないから、かなりつらそうにじっとしていました。 / 口車大王2号 ( 2002-10-29 21:23 )
いやぁ〜!(笑)これカタツムリなんですの?驚き! / そそそ ( 2002-10-27 23:56 )
りぃなさま、受けたかいね。 / 口車大王2号 ( 2002-10-24 20:34 )
だれかさん、ども! / 口車大王2号 ( 2002-10-24 20:34 )
勇者パオラさま、これは食用になる種類だそうです。ただし、ここは教会の中なので殺生はいたしません。エスカルゴの食感は、ま、サザエに近いと思って下さい。 / 口車大王2号 ( 2002-10-24 20:34 )
こっしーさま、あのガーリックの香りとともになんともいえませんなぁ。ポーランドいた時、ワルシャワにたった一軒あった魚料理のレストランで、貝の料理というとエスカルゴしかありませんでしたね。 / 口車大王2号 ( 2002-10-24 20:31 )
こっしーさま、この日記を書くときまでなんでCo-がつくのかわかっていなかったのです。んで、「あっ、そうか。」とはたと気がついた。翻訳の困るのは、最初に翻訳した人間の勝手な解釈が入って、「共同協会」の「共同」の部分がとれたりするわけです。そうすると、本来の教会の位置づけとかが全然伝わらない。 / 口車大王2号 ( 2002-10-24 20:30 )
八百八六助様、驚きましたよ。ちょうど目線の高さ。乾ききっているものだから、じっと寄り添うようにしていました。木から水分をもらっているようですね。 / 口車大王2号 ( 2002-10-24 20:28 )
んふ、笑っちゃいました↓ もっと気合いを入れた書き方だったら、もっと面白かったのに、なんて。 / りぃな@すみません。。 ( 2002-10-24 03:07 )
誰かさんです。→ / エスカルゴ ( 2002-10-23 20:26 )
これは食用のみなさんなのでしょうか?そしてエスカルゴとは旨いものなのでしょうか?ばい貝みたいな味?(←失礼。) / 勇者パオラ ( 2002-10-23 01:12 )
↓下の日記のつっこみと間違えました〜、ゴメンナサイっ。スペインで食べたエスカルゴもブエニッシモ ! でした。 / こっしー ( 2002-10-23 01:11 )
かつてあっしもストロボ無し撮影をして、いろんなトコを撮りました〜。Co-で始まる名前に負けない内装ですね。Co-だからこそできたのかも。。。 / こっしー ( 2002-10-23 01:09 )
エスカルゴってこんなところにいるんですね.そういえば最近,道ばたをカタツムリが歩いているのを見かけた.つぶされなかったかなぁ. / 八百八六助 ( 2002-10-22 23:42 )

2002-10-21 [馬太]St. John's Co-Cathedral


 さて、しばらくプラハに行っておりましたので、間が開いてしまいましたな。

 King's Own Band Clubを出てさらに1ブロック下って通りの反対側に出ると、そこにはSt. John's Co-Cathedralがあります。Johnはヨハネのこと。すなわち日本語では聖ヨハネ教会となります。

 さらに、なんでCo-Cathedralとなっているかですが、マルタ騎士団というのはヨーロッパ各国の混成部隊で、今で言う多国籍軍なんですな。この各国の騎士団が共同で教会を建てたのが、ここの教会です。そこでCo-Cathedralとなっている。だから、日本語では正確には、聖ヨハネ共同教会となります。

 教会に入ってみると、中央の礼拝堂の両わきにチャペルが並んでいて、各国毎の名前になっています。中央の礼拝堂の両脇にアーチが見えますが、そのアーチごとにチャペルがあります。

 外観は地味な教会ですが、中はなかなか豪華です。

 さて、ここの教会がもうひとつ有名なのは、イタリアの画家Caravaggioの代表作があることです。実生活では殺人を犯したりはちゃめちゃだったカラバッジオですが、その残した作品は、ルネッサンスの呪縛から逃れ出た、革新的なものでした。


 つづく
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先頭 表紙

えむどの、そうにゃのですにゃ。 / 口車大王2号 ( 2002-10-25 17:27 )
にゃるほど、そうなのですか。私が行った教会は内部撮影禁止でしたわ。荘厳な感じですなぁ・・。 / えむ ( 2002-10-25 08:54 )
えむさま、個々の教会はストロボ使わなければOKでした。他の教会でも、禁止となっていてもストロボ使わなければだいたい黙認です。 / 口車大王2号 ( 2002-10-22 20:15 )
こっしーさま、マルタ騎士団の象徴の教会の割には外観は地味だなと思って、中入ってびっくり。すんごかったです。さすが、各国の騎士団が協同で建てた教会だけのことはある。 / 口車大王2号 ( 2002-10-22 20:13 )
教会内部って写真撮れるのですか?結構ダメなところが多いから・・ / えむ ( 2002-10-22 15:46 )
確かに外観に対して内装(?)がスゴイですね。あっしもスペインのカテドラルを見て回った事がありますが、この組み合わせは珍しいと思います。 / こっしー@うー、また行きたくなった ( 2002-10-22 12:19 )

2002-10-17 [Czech]ただ今プラハにおります。


 ここのところマルタ旅行の日記が途切れておりますが、それはなぜかというと、、、、


 ただ今プラハに来ております。何しに来ているかというと、写真のところで会議をやっております。

 ぢゃ、また!

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こっしーさま、確かに書体が違うというか、ここら辺の言葉は発音記号もいろいろやたらついていますしね。惑わされる。 / 口車大王2号 ( 2002-10-22 20:11 )
あ、チェコ・スタンダード・インスティテュート、ですな。失礼しましたぁ〜っ。チェコ・ポーランド・ハンガリーあたりのアルファベットってちょっと書体が違うんですよね〜。でも、ケレル文字とも違うし。 / こっしー ( 2002-10-22 12:15 )
gewbieさま、珈琲よりビール一杯のほうが安いという、とてつもない国です。最高級レストランで飲む珈琲一杯がドトールといっしょのお値段です。クラシック音楽の演奏会、そこら中でやっています。チェコ人は日本人が大好きです。最近も、長野オリンピックでチェコがアイスホッケーで初めて金メダル取ったし、今年は天皇、皇后両陛下がチェコ訪問しているし。 / 口車大王2号 ( 2002-10-21 20:33 )
あややん、残念ながらプラハでは栗は落ちていなかった。去年オスロで拾ってきたのなら、まだ山のようにあるっす。ちなみに、ナイロビは治安が悪いから、気をつけるように!ライオンの牙ひろってきておくれ! / 口車大王2号 ( 2002-10-21 20:31 )
Hideyさま、行きましたよコンサート、最後の日は2軒はしごしました。 / 口車大王2号 ( 2002-10-21 20:30 )
こっしーさま、一部英語が入っております。「チェコ規格協会」と日本語に翻訳できますか。 / 口車大王2号 ( 2002-10-21 20:29 )
いつも見にきてくださりありがとうございます。プラハというのはどんなところなんでしょう。未だヨーロッパ行ったことないんです。 / gewbie ( 2002-10-21 20:04 )
栗ひろってきて。 / あやや ( 2002-10-21 13:32 )
おお、プラハ!僕もこの7月に行って大感激してまいりました。クラシックやオペラなど機会があったら是非お楽しみください。ちなみにRさんが最新の記事でプラハのこと書かれてますよ。 / Hidey ( 2002-10-18 10:35 )
う、チェコ語わからないでーす。続きを楽しみにしてまーす。 / こっしー ( 2002-10-17 22:26 )

2002-10-04 [馬太]King's Own Band Club


 考古学博物館出て、先日行った宝飾店へ向かって、すなわち半島の先へ向かってリパブリック・ストリートを1ブロック行くと、1874年創業のキングス・オウン・バンドクラブがあります。まあ、いわばパブのようなものなのですが、なぜバンドクラブなんて言う名前がついたのか。

 当時、マルタはイギリスの植民地でした。イギリスとしては、現地のマルタ人の男達が集まっていると、イギリスにとって何か良からぬことを相談しているのではないかと思う。そこで、マルタ人は各部落毎にブラスバンドを作って、バンドの練習で集まるというのを口実にしたのですた。そのバンドの人たちの練習場として作られたのがこのバンドクラブであり、階上には練習したりコンサートを行ったりするホールがあるようです。要するに集会所であり、パブそのものなのです。

 第一次大戦時、日本海軍がマルタに駐留していたとき、日本海軍の将校達はイギリス海軍の将校クラブで会食をするのが基本でした。しかし、将校クラブはドレスコードがきつく堅苦しいので、大方の将校達、もちろん兵卒達は、すぐご近所のこのマルタ人達のくつろぎの場である、キングス・オウン・バンドクラブに入り浸っていました。

 すなわち、1917年、祖父はここに腰掛けて、同僚達とくつろいだかもしれないのです。いや、のんべえだった祖父は、間違いなく来ているでしょう。85年の歳月を経て、祖父が訪れた場所にこうして座ることができて、なんだか感無量になり、うるうるしてしまいました。

 今でも、お年寄のくつろぎの場にもなっており、当時と雰囲気はかわらないでしょう。時々蒙古斑を持ったマルタ人の赤ちゃんが産まれるのがずっとなぞだったそうですが、こういう場所で恋が芽生えていたのでしょう。日本海軍が2年近くマルタにいたという事実は、ほとんどのマルタ人にも忘れられていたのです。

 つづく
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そそそさま、さらに旅先に知り合いがいると、全然深みが違います。 / 口車大王2号 ( 2002-10-17 21:29 )
旅は知識や思い入れがあるとおもひでの深さが全然違うんでしょうね〜「なんとなく」ふらふら旅をするのはやめよう>自分(苦笑) / そそそ ( 2002-10-13 22:39 )
さにゃえもんさま、まさに祖父がいた場所に今回は座ったわけで、なんというか感無量でした。 / 口車大王2号 ( 2002-10-12 11:00 )
時を越えて同じ場所に座るってなんだかロマンチックなお話だね。 いい感じだわ。 / さにゃえもん ( 2002-10-08 23:42 )
こっしーさま、奴隷制度のあった国なんかも、もっとシビアな状況でありましたね。 / 口車大王2号 ( 2002-10-07 23:43 )
夢樂堂様、まあ、ほんとに思いもかけないつながり方をしているものでございます。 / 口車大王2号 ( 2002-10-07 23:42 )
きっとそう言う「バンドクラブ」的なものは、世界中にあるのかもしれませんね。。。 / こっしー@マックユーザー様でしたか〜 ( 2002-10-06 22:29 )
マルタ島、ホント、日本と縁があったなんて知らなかった。 / 夢樂堂 ( 2002-10-06 21:17 )
小説家Nさんは、日本人です。 / 口車大王2号 ( 2002-10-06 12:24 )
CWさんなんだ〜。 / スーパーしえろ ( 2002-10-05 23:29 )
マルタへは、イタリアから船でも行けます。イタリア縦断をされるのでしたら、最後にぜひ訪れることをお勧めします。本当に、ほっとするところですよ。 / 口車大王2号 ( 2002-10-05 23:14 )
この本は、当時の日本海軍の公式記録文書として残されたものの後半部分を復刻したものですが、ずっと歴史にうずもれていました。初めてマルタを訪れてお墓を見上げたとき、ほとんど忘れ去られたその存在に悲しくなったものですが、私自身復刻に関わることができ、少しでも日本の社会に地中海遠征の事実が再び知れ渡るきっかけを作れたことは、望外の慶びです。 / 口車大王2号 ( 2002-10-05 23:12 )
以前自分の日記にも書きましたが、Hideyさま、日本人がどのようにヨーロッパの文化に触れたか、日本海軍地中海遠征記をぜひお読み下さい。旅行記として第一級です。当時の日本人がどのように考え、どのように行動したか、そして当時の日本海軍がいかに柔軟性に富んだ組織であったか、よくわかります。 / 口車大王2号 ( 2002-10-05 23:02 )
ゆうりさま、ありがたう。ほんとにやばいっす。 / 口車大王2号 ( 2002-10-05 22:56 )
おじいさまの足跡を辿られる旅、素晴らしいですね!それもマルタとは。その頃初めて西洋文化(それももっとも粋な!)に触れた日本人の驚きと戸惑いが目に浮かぶようです。僕も今度はその方面ぜひ行ってみたいです。来春にも予定しているイタリア縦断一人旅の続きで行きたいものです。 / Hidey ( 2002-10-05 11:16 )
大丈夫でしょうか・・崖っぷちとは!! 落ちないように!! 大王様なら大丈夫ですわッッ。 がんばって!! / ゆうり@いつも有難うデス ( 2002-10-05 02:31 )

2002-10-03 [馬太]すごいです、マルタ国立考古学博物館


 9月13日は午前中からヴァレッタ市内をぷらぷら。リパブリックストリートをずっと歩いていって、国立考古学博物館に入ってみました。博物館の建物自体歴史的建造物で、リパブリックストリートの骨格となってます。

 この建物に入っていって、展示を見て回ってびっくり。

 石造りの巨大建造物というと、まず思いつくのがエジプトのピラミッド。これが作られたのが紀元前2530年頃なんですが、なんとマルタで発掘された寺院跡は紀元前3600年頃に作られたもの。文句なく世界最古の石造りの建造物です。

 あとで説明を聞いたのですが、写真のようにこの建造物の壁はカーブを描いています。で、部屋の中のある位置に立つと、話し声とかがその一点に集中して大きく聞こえる。そんな構造になっている建造物を、紀元前3600年に作っているのですね。

 そして、遺跡から発掘されたのが「マルタのヴィーナス」と言われている土像。頭を木の棒で固定していたのでなくなってしまっていますが、なんと写実的なボディでしょう。こんな造形を今から5600年前に生み出していたなんて、ほんと信じられません。

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2002-10-01 [馬太]MarsascalaのRestaurant Ta' Grabiel


 日本海軍のお墓参りをした夜は、ヴァレッタからサン・ジュリアンと反対方向のマルタ島の東海岸方面のレストランに行ってみることにしました。Tさんが持参したガイドブックをホテルのコンセルジェに見せてどこが良いか選んでもらう。最初はMarsaxlokkのIr-Rizzuに電話してくれたのですが、だれも出ず。次にちょっと南のさらに小さい漁村のMarsascalaのTa' Grabielに電話してくれて、予約完了。ミニバンを呼んでもらって片道20分ほどでレストランに到着。

 なかなか、よろしいではありませんか。

 料理は、その日に捕れた魚介類から選んで調理してもらいます。見た目にもとても新鮮そうな魚たち。適当に見繕って料理を出してもらったのですが、まあ、出てくるわ、出てくるわ。本当においしい。そして、安い!これ重要。テーブルワインもうまい!日本円で一人当たり4000円くらいだったでしょうか。

 前の日のSan Giulianoも決して悪くなかったのですが、お値段が安い分、Ta' Grabielに軍配が上がります。

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こっしーさま、マルタの公用語はマルタ語と英語なので、英語は通じます。ワインは、ほんとにおいしいところです。 / 口車大王2号 ( 2002-10-02 14:49 )
ちなみに、美味しい白のテーブルワインが飲みたいと言う理由だけではありませんので。。。 / こっしー ( 2002-10-01 23:26 )
毎日、読ませていただいているうちに、だんだと行きたくなってきました。英語も通じるんですよね。。。 / こっしー ( 2002-10-01 23:25 )

2002-09-29 [馬太]Kalkaraの日本海軍戦没者の墓


 名誉総領事のオフィスを訪問した後、マルタ観光局のJohn M. Maistre氏の案内で、日本海軍の墓のある墓地へ向かいます。彼は所在地を正確に知らなかったようで、もうひとつ別の墓地へ行ってしまいました。改めてお墓のある墓地へ向かいます。

 旧英国海軍の墓地は現在は英連邦墓地となっていて、ヴァレッタとグランドハーバーを挟んだ反対側の、カルカラの街の丘の上にあります。前回訪れた時は墓地の入口から一直線に続く通路の奥、一番突き当たりに墓が見えたのですが、その墓が見えません。また場所を間違えたのかと思ったのですが、樹が生い茂って見えなくなっていたのでした。27年の歳月を感じます。

 門をくぐってすぐ左手に管理人室があるのですが、そこの壁に「旧日本海軍戦没者墓地」の銘版が取り付けられていました。これも、前回来たときはありませんでした。そして、墓地の周囲はほとんど何も建物がなく、お墓の後ろ側には全く何もなかったのですが、現在は住宅が立て込んでいます。Maistre氏の説明では、建てられてから10年そこそこだろうということです。

 初めて訪れたときも感じましたが、日本海軍のお墓は墓地の中の最も良い場所にあります。祖父の乗艦していた駆逐艦「榊」は、魚雷を被弾する直前、僚艦の駆逐艦「松」とともに、まだドイツ軍の潜水艦のいる海域で、遭難した船から2000名もの人たちを救出しました。英国海軍はかつて二次攻撃によって被害を拡大されたこともあり、一度魚雷攻撃を受けた艦船の救出にはあたらないようになっていたので、これは勇敢な行為としてたたえられました。その救助にあたったうちの一隻が被弾し、戦死者を出したのです。それだけに、最大限の敬意をもってこの場所を与えてくれたのだと思います。

 27年前、初めてお墓を訪れたとき、「大日本帝国第二特務艦隊戦死者之墓」という碑文を見上げて、思わずじんと来てしまいました。その時は、先代の名誉総領事とたった二人でのお墓参り。当時、ここを訪れる日本人もほとんどいませんでした。だいたい、年間のマルタ来訪者が1000人そこそこだったのですから。歴史から完全に忘れ去られ、この人たちの死はいったいなんだったのか、当時、そういう思いが強烈に込み上げてきたことを思い出します。経済的にも、先代の名誉総領事がもっと日本人観光客がマルタに来ないかなぁと、寂しそうな顔しながらつぶやいたのも、心に残っていました。

 それが、現名誉総領事にも言われましたが、今や多くの日本人がお墓を訪れています。そして、我々の前に訪れた人が、お墓にお供えをしている。最近はガイドブックにもお墓のことが掲載され、ツアーコースの中に組み入れられるようにもなりました。遭難してから今年で85年、ようやく再び日の目を見るようになったようです。

 祖父は残念ながら被弾から1年後の慰霊祭を行う前に日本に帰任したため、このお墓を見ていません。死ぬまでに一度墓参することを夢見ていましたが、果たせませんでした。祖父の従卒だった人は戦死しており、生前その御家族のことを大変気にしていたそうです。今回ようやく写真を持参したので、まがりなりにも墓参を果たすことができました。ドクターIとともに、日本から持参したお酒をお墓にかけたのですが、おいしかったでしょうか。

 この墓地では、もうひとつ驚くことがありました。それは、第一次大戦時に戦死したドイツ軍の戦没者も埋葬されていることです。英国海軍の、海の男の心意気を感じます。

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でじかめさま、第二次大戦前の日本海軍はすべて軍国主義一辺倒でどうしようもなかったということはないのです。むしろ、変な方向に突っ走ってしまった時期の方が短いのです。復刻された「日本海軍遠征記」を読むと、よくこんなものが正式文書として残されたものだということに驚きますし(ほとんど今どきの旅行記です)、そこに記述されている艦隊の組織は、それはそれはすぐれたものでありました。 / 口車大王2号 ( 2002-10-04 14:12 )
とても良い変化、そしてとても素晴らしい場所と歴史ですね。日本人として誇りに思える場所だと思いました。あ〜まだまだ勉強が足りない〜(^^; / でじかめ ( 2002-10-03 00:27 )
こっしーさま、管理人室のところにドイツ軍のプレートも飾ってあります。おそらく、潜水艦乗務員の戦死者でしょう。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:57 )
しらぴょんどの、死力を尽くして戦った後は、例え敵であろうと敬意を表する。それが本当の軍人だと思うのです。第二次大戦中「鬼畜米英」とばかりに捕虜を弾圧したりしたのは、日本本来の武士道からもはずれることです。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:55 )
綾丸様、無意味に兵隊を殺すというのは、すでに日露戦争の時の203高地の戦いで日本陸軍がやっていますね。日本海軍も、この時は本部勤務でずっとマルタにいた人たちは、帰国時に全員マルセイユに遊びに行かせたり、大変余裕がありました。第一次大戦の後からどんどんおかしくなっていきましたね。 / 口車大王2号 ( 2002-10-01 20:53 )
敵対していた国でも、一人一人の命の大切さは同じ、その意味をぐっと感じさせられました。 / こっしー ( 2002-10-01 18:25 )
海は繋がっていますからね。海を愛する心はどこの国の人間も変わらないって心意気に感謝です。 / しらぴょん ( 2002-10-01 00:34 )
太平洋戦争になると、日本軍はカミカゼやバンザイ突撃などで無意味に兵隊を殺していたのですが、昔は立派だったんですね。今の日本では軍人が尊敬されないから、こういう立派なお墓もできないのだろうなと、残念な思いがします。 / 綾丸 ( 2002-09-30 11:46 )
駆逐艦「榊」の乗務員で、出発前に金毘羅様へお参りした人たちは、全員助かったそうです。 / 口車大王2号 ( 2002-09-29 23:12 )
墓地への道順は、こちらを参照下さい。ページの下の方に書いてあります。 / 口車大王2号 ( 2002-09-29 19:57 )

2002-09-29 [馬太]名誉総領事訪問


 翌9月12日、今回の旅行の最大の目的の日本海軍の墓の墓参の日です。10時前にマルタ観光局の人がホテルまで迎えに来て、まずは日本国名誉総領事を訪問します。

 名誉総領事のMifsud氏は本業が船会社。そのオフィスはヴァレッタ市内にあり、ホテルから車で5分ほど。見上げれば、日の丸が翻り、菊の御紋が飾ってあります。日本国内日の丸や菊の御紋が普段から飾ってあるとまるで右翼のように思われますが、異国で見るこれらは、我々が日本人であることを実感させてくれます。そして、名誉総領事の執務室に入ると、壁には天皇皇后両陛下の写真と信任状が飾ってあります。これまた、日本人であることを実感させてくれます。

 今回名誉総領事を訪問した目的は、表敬訪問とともに、小説家Nさんが「日本海軍地中海遠征記」の復刻で得た印税を、日本海軍のお墓の維持のために寄付することにありました。3枚目の写真はその贈呈の瞬間ですね。

 さて、今回の訪問で大変残念なことがありました。27年前に初めてマルタを訪問したとき、現名誉総領事の父上にいろいろ面倒を見ていただき、今回再開できることを楽しみにしていたのですが、2か月前に亡くなられたということ。2年前、口車両親が訪れたときは大変元気だったそうですが、本当に残念です。

 一番下の写真は、ヴァレッタのバスターミナルからゲートをくぐってすぐのリパブリック・ストリートの始まりの広場に面してある、名誉総領事の弟さんが後を継いだ旅行代理店のオフィスです。かつては、この場所に日の丸と菊の御紋が飾ってありました。今回改めて、こんな目抜きの目立つところに日の丸と菊の御紋あったのかと、びっくりです。

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和代様、ありがとうございます。続いて、日本海軍のお墓について書きました。 / 口車大王2号 ( 2002-09-29 19:50 )
すばらしい旅の数々記録・・・・ため息であります。。。お祝いに来ていただきありがとうございました。 / 和代 ( 2002-09-29 19:07 )

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