その朝、朝食室へ下りていくわたしたちに、ホテルのマネージャーが声をかけてきた。
渡された新聞の一面の、ほぼ半分を占めるカラー写真。
一瞬、わけがわからなかった。
早めに発った方がいいでしょう、という声を背に朝食室へ入り席について新聞を読み出した。まるで現実とは思えなかったけれど。
マネージャーは勘違いしていたが、その日の移動はエアではなく列車だったので、テルミニ駅の警備がいつもより少し多い気がしたけれど、ほとんど日常のままだった。
フィレンツェも同様だった。
橋の上の宝飾店が軒並み哀悼のメッセージを貼り出していること、美術館の入場待ちで、わたしたちの前に並んでいるアメリカ人が熱心に新聞を読んでいたこと以外は、いつもと変わらない。
多くの観光客達は、いつもと変わらず旅を楽しんでいるようだった。
もちろん、わたしもその一人。
自分に少なからず影響を及ぼすであろう重大な事件が起きていても、それとは別に「楽しむ」ことができる。
それを知った。
ホテルに帰ればすかさずニュースをつける。
そのたびに、両親とわたしはそれらのことについて話し合った。
その時は確かに真剣だった。
心の底から憂いていたし、恐ろしかったし、悲しかった。
たとえ、その午後に買ったフェラガモの靴が部屋の隅に転がっていても。
30分後にピンキオーリに行くためのタクシーが来る予定だったとしても。
結局、有事だと言うことを意識したのは、パリのエアポートに両親を送っていった時くらいのものだった。
ド・ゴール空港では、いつもならほとんどしない出国時のコントロールが、しっかりなされていた。
その後、トゥールーズで爆弾テロがあったが関連はなかった。
不安は多少あったが、結局何をするでもなく、いつも通りに過ごしていた。
何かしたい気持ちもあったけれど、何もしなかった。
引っ越しが終わってから、パリが舞台のミステリを読み返していた。予想以上に刺激的な再読だった。
そこでは、悪とそれに抵抗することの是非が問われていた。
悪への抵抗の仕方に悩む女に探偵は「すべてを承認することだ」という。
「善も悪もない。運命という大河だけがあり、この流れだけを凝視するその時、人は、歓びと安らぎに満ちて呟くだろう。<Tout est bien>と。」
Tout est bien.
すべてよし。
強さからこう言える人間がどれだけいるだろうか。
弱いものにとって「甘い蜜」になりはしないだろうか。
少なくとも、わたしが今、「すべて世はこともなし」と言ったら、それはいろいろなものから眼を反らした結果に過ぎない。
作中に答えは見つからなかった。
『サマー・アポカリプス』 笠井潔 1981年 |