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目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-06-10 [雑学]スッチー今昔物語 その5 日本の航空会社最高の制服
2002-05-26 [雑学]スッチー今昔物語 その4 制服の歴史
2002-05-23 [業界裏話]嘘も方便 − 窮すれば通ず
2002-05-20 [雑学]スッチー今昔物語 その3
2002-05-20 [波蘭昔話]ポーランドの通信事情
2002-05-13 アイルランド海軍 L. E. NIAMH & 練習艦かしま & 南極観測船しらせ
2002-05-10 晩秋のオスロへ その17 最終回 いざ日本へ、クレジットカードのトラブルつき
2002-02-12 晩秋のオスロへ その16 Do you play cards? - ヨーロッパ流割り勘の流儀
2002-02-11 晩秋のオスロへ その15 またまた路面電車、フログネル公園へ
2002-02-11 晩秋のオスロへ その14 ノルウェーの民族衣装 − 歓迎パーティー


2002-06-10 [雑学]スッチー今昔物語 その5 日本の航空会社最高の制服

 さて,前回日本の航空会社の制服の年譜を掲載しましたが,では過去登場した制服の中でどれがいちばんよかったか,今回は口車の独断と偏見で解説したいと思います。

 日本の航空会社最高の制服,それは誰がなんて言ったって1970年にボーイング747が就航したときに一新された,日本航空5代目の制服でしょう。

 当時,日本航空は半官半民であり,そのお堅い会社が,なんと,ひざ上10センチのミニスカートの制服を採用してしまったんですな。これ,森英恵さんデザインなんですが,日本航空のコーポレートカラーである濃紺と赤をうまく使い,デザイン的にも大変優れたものでした。

 しかしまあ,お客,しかも特に男性客からは大変受けた制服でしたが,それを着させられたスッチーは大変だったようです。ちょっと頭上の荷物収納のドアを開け閉めしようなんて伸び上がれば,へたをすれば下着が見えてしまう。スッチーが近づいてくると,わざとものを落とす輩もいっぱいいたようです。

 さらに,若い人にはかわいく見える制服でしたが,ちょっと年配になってくるときついものがあった。そこで,大変惜しまれつつ,1977年に6代目の制服となりました。6代目の制服は5代目の制服のイメージを残しつつ,いきなりロングスカートとなってしまいました。5代目の制服が,スッチーにいかに評判悪かったかわかります。しかし,7年間も使われたんですね。

 今思い出しても,5代目の制服は良かったです。

(目次)

先頭 表紙

むらりょうさま、そのとおりでございます。この「アテンションプリーズ」がスッチーブームに火をつけたと言って、間違いないでしょう。折しも、海外旅行が自由化されてジャンボ機が就航し、急速に海外旅行者数が増えていった時期にも重なります。だから、この制服と次の6代目は、見覚えある日とが多いと思います。6代目は、「スチュワーデス物語」で登場。 / 口車大王2号 ( 2002-06-11 17:28 )
テレビドラマ「アテンションプリーズ」の制服でしょうか?子供ながらに覚えています。その時代を反映しているものですね。 / むらりょう ( 2002-06-11 00:36 )

2002-05-26 [雑学]スッチー今昔物語 その4 制服の歴史

 今回は、スッチーの制服の変遷について、年表を掲載いたしましょう。

   日本航空 全日空
1951 初代
1952
1953 ?
1954 2代目
1955      初代
1956
1957
1958      2代目
1959
1960 3代目
1961
1962
1963
1964
1965
1966      3代目
1967 4代目
1968
1969
1970 5代目  4代目
1971
1972
1973
1974      5代目
1975
1976
1977 6代目
1978
1979      6代目
1980
1981
1982      7代目
1983
1984
1985
1986
1987
1988 7代目
1989
1990      8代目
1991
1992
1993
1994
1995
1996 8代目
1997
1998      (帽子なし)
1999
2000
2001
2002


 残念ながら、日本エアシステムの資料はありません。

 日本航空初代の制服は、タイトスカートがタラップの昇降に不便だということで不採用になった幻の制服となっているのですが、それでは2代目までの制服はいったいどうだったのか、わからないのです。

 年表で採用期間の短い制服は、今写真を見てみると、うーん、なんというかいまいちですな。なるほどと思います。

 ということで、どんな制服だったのか、実物の写真はそれぞれに会社のページでご覧ください。制服に対する口車なりのさらに詳しい解説は次回ということで。

JAL's History
ANA's History


つづく (目次)

先頭 表紙

とんぼさま,そう思うでしょ。それがそうでもないんですな。その話は,いずれ,おいおい。 / 口車大王 ( 2002-06-09 12:12 )
いろんな国いけるから羨ましいわ〜。(国内線じゃだめだけど) / とんぼ ( 2002-06-05 22:37 )
さにゃえもんどの,それはわっちのことかい。そら,ちっと違うわい。 / 口車大王2号 ( 2002-06-05 00:36 )
そーさま,ちょっときついのですなぁ。それで,静かにしておったでござるよ。 / 口車大王2号 ( 2002-06-05 00:35 )
えむどの,ダンスって,あんまし関係ないような。単なる口実のような。。。 / 口車大王2号 ( 2002-06-05 00:34 )
すごい・・・・・そっかそっか制服好きっと・・・・めもめも。 / さにゃえもん ( 2002-06-04 00:55 )
名古屋オフ開催が正式に決まりました。時は6月15日(土)です。お暇が合いましたら是非ご来訪下さいませ(^^ / そー@遠いからちょっと難しいかな(^^; ( 2002-06-01 00:24 )
うちのおかんはその昔スッチーの試験を受けたらしいが、ダンスのテストで落ちたと言ってた。・・ダンスのテストって何?(汗) / えむ ( 2002-05-31 09:57 )
koedaさま、今は確か身長制限とれていましたね。昔は155センチないとだめだったかな。 / 口車大王2号 ( 2002-05-29 11:13 )
夢樂堂さま、特にJALのページ行くと、昔のスッチーの化粧なんかよくわかって、時代の変遷を感じることができますよ。 / 口車大王2号 ( 2002-05-29 11:11 )
はなさま、最後の「うふふふ」が気になるぞ。 / 口車大王2号 ( 2002-05-29 11:10 )
むらりょうさま、だいじょぶです。私目も、そちら方面のおつきあいは、振り返ってみると結構ありましたから。 / 口車大王2号 ( 2002-05-29 11:09 )
若い頃、スッチーの試験受けに行ったことがあります。その頃は、背が足りないとダメと言う事で門前払いでしたが、今になって飛行機苦手な私が何故そんなところを受けたかと思えば、やはり制服が魅力だったんでしょうか。 / koeda ( 2002-05-28 08:03 )
去年、機内誌でJAL(だったかな)の制服の変遷を取り上げていました。スカートの丈やモデルの体系も要注目だよ。 / 夢樂堂 ( 2002-05-27 12:34 )
着てみたいなぁ、スッチーのユニフォーム♪うふふふ / はな ( 2002-05-26 03:21 )
やはり制服は良いなぁと思います。特にスチュワーデスや看護婦のは。。。って私は変態か! / むらりょう ( 2002-05-26 02:17 )

2002-05-23 [業界裏話]嘘も方便 − 窮すれば通ず


 昼食からもどってきたAさん、自分の机の上に置いてあるロシアのビザを見てまっ青になった。明日、急遽ロシアに出張することになったお客のため、午前中にスタッフに頼んで取ってきてもらった即日発行ビザの写真が、間違っているのである。ロシア大使館領事部の窓口業務は午後12時半まで。写真の間違いに気がついたのは午後1時半である。なんてこったい。

 オフィスにいても何も解決しない。とにかく、お客のパスポートとその写真の間違っているビザを握りしめ、ロシア大使館へと向かった。しかし、人間焦っていると間抜けなことをするものである。正しい写真を持っていかなければ、何にもならんではないか!Aさんの配下の優秀なスタッフBさんは、Aさんが写真を持っていないことに気がつき、急いで連絡を入れ、写真を握りしめて追っかけた。

 Bさんと六本木駅で待ち合わせ、写真を手にしたAさんは、タクシーで飯倉のロシア大使館へ向かう。正門で事情を説明するが、にべもなく断られる。仕方なく、閉まっていることがわかっている領事部の入口へ行ってみる。そして、閉まっている鉄扉にしがみついて中を除いていると、だれか人影が見えた。

 「すいまっせーーーん!」

 でかい声でAさんは叫び、鉄扉のすき間から手を突っ込んで、ビザをひらひら振ってみる。そうすると、建物の中の大使館員は右手を、Aさんの右へ、右へと、すなわち今来た正門の方を指さして振っている。正門の方へ行けと行っているように見える。これは、冷静に考えてみれば、「帰れ!」と言っていたと思うのだが、ここでAさんは、自分の都合の良いように解釈した。とにかく、門の脇にあるインターホンで必死に、「正門の方でこっちへ来いと言われたんですが。」とまくしたてた(おい、おい)。そうしたら、中から正門の方へ回れという返事。

 Aさんは大使館正門に戻って、「すいません、領事部の方でこっちへ来てくれと言われたんですけれど。」と改めて事情を説明した。正門で領事部に確認を取ってもらうと、確かに正門へ回れと指示したという返事。まんまと大使館内受付まで入ることに成功した。幸いにして受付にいた大使館職員は日本語が堪能であり、Aさんの説明は完ぺきに理解してくれた。しかし、「あなたが間違えたのでしょう?」と、ぐさりと来る。

 Aさんも必死である。

 「ごもっともでございます。しかし、これは即日発行ビザです。すなわち、○○さんはどうしても明日お国にいかなくてはならない。お国で稼働している工場の、不具合を解消しに行くのです。ここでビザが訂正されないで明日出発することができないとなったら、いかにお国にとって不利益になるか、そこのところを、どーーーか、ご理解ください!」

 こう説明を聞いて、しばらく考え込んでいた受付の大使館職員、書類を受け取ると「わかりました。ちょっと待っていてください。」と言い置いて、奥の方へ引っ込んでいった。

 待つことしばし30分、先程の大使館職員が戻ってきて、「はい、これでよろしいですか?」と、正しい写真の貼付されたビザをAさんに手渡した。なんと、時間外でビザを再発行してくれたのである。

 帰りがけ、大使館入口まで来て、警備に当たっている警視庁のお巡りさんにお礼を言ったら、「正面から入って行って、そんなことできたの、あんたが初めてだよ。」とAさんは言われた。

 いやいや、人間最後まであきらめてはいけないものである。必死の思いは通じるものである。「国際人とは、何か?」という問いに、たったひとつ答えるとしたら、「何でも自分に都合の良いように解釈するずぶとい神経」と言える。

先頭 表紙

むらりょうどの,「どたんばの口車」と我が輩も自称しておりまする。 / 口車大王2号 ( 2002-06-05 00:37 )
私はいつもギリギリセーフの男。高校も補欠。就職も採用活動終了後。会社でも制度が変わったハザマの世代と言う事で勝手に昇格。 / むらりょう ( 2002-05-29 13:04 )
ransyuさま、口車知り合いの中国人留学生は、一時帰国して出国するとき、「パスポートの写真と違う」と言われて、やはり30分留め置かれました。もちろん、パスポートの写真は本人だし、初めて日本に来たときは、そのパスポートでどうっていうことなく出国しているのですよ。このはなしは、また、おいおいと。 / 口車大王2号 ( 2002-05-24 23:42 )
でじかめさま、中国人こういうの得意でしょ。 / 口車大王2号 ( 2002-05-24 23:40 )
雅(みやび)さま、それは「帰国のための渡航書」という奴ですな。何で知っているかって?そりゃ、聞くだけ野暮って言うものですよ。 / 口車大王2号 ( 2002-05-24 23:39 )
八百八六助様、ロシア大使館領事部はこちらでございます。やってみるものです。 / 口車大王2号 ( 2002-05-24 23:37 )
りぃなさま、よろちく。 / 口車大王2号 ( 2002-05-24 23:35 )
そうです。瀋陽の空港で飛行機に乗る寸前、搭乗券のスタンプが押してないと、搭乗を拒否されました。向こうの係員のミスなのに頑として聞き入れない。20分ぐらい頑張ってやっと乗れました。これは単純な例ですが、とにかく頑張る神経が必要ですね。 / ransyu ( 2002-05-24 16:15 )
う〜ん、納得。やってみてダメだったら別の方法でやる。嘘でも一つの突破口を使って…日本人に足りない物かもしれないですね。 / でじかめ ( 2002-05-23 23:59 )
私の友達も帰る前日にハワイでパスポート盗まれて時間外に領事館のドアを殴打して奇跡的に「帰れるだけのパスポート」ってやつを発行してもらったよ!人間、諦めたらいけないんだよね、きっと。ちなみにオープンカーのトランクを壊されて服や靴も盗まれたので成田に降り立った時はビーサンだったという笑い話つき。 / 雅(みやび) ( 2002-05-23 23:55 )
これは読めません,なんて突っ返されなくて良かったですね. それにしても,やってみるものですねぇ. / 八百八六助 ( 2002-05-23 23:11 )
うおー。胸にふっかく、しかと刻み込んでおきます・・・。 / りぃな ( 2002-05-23 12:23 )

2002-05-20 [雑学]スッチー今昔物語 その3

 じつに、1年以上の間隔があいてしまいました。スッチー今昔物語再開でございます。

 さて、その2の中で、日本においてスッチーが誕生したのはいつかということで、それは1951年(昭和26年)8月1日、日本航空が創立した直後の8月20日であるということを書きました。しかし、今回その3を書くに当たって、「あれ?ちょっと待て。旅客機って、戦前から飛んでいなかったか?」ということで、調べてみました。そしたらありましたよ。不肖口車、間違っちまいました。いやいや、インターネットは便利でございます。「平成元年度 運輸白書 激動の時代を振り返って−昭和運輸史−(運輸をめぐる主な出来事)」なんていうページがありまして、そこにしっかり書いてありました。

 日本に初めて旅客機が飛んだのは昭和4年(1929年)7月で、日本航空輸送が東京〜大阪〜福岡間に旅客輸送を開始というものでした。そしてその2年後の昭和6年(1931年)2月、我が国初のスチュワーデス「エアガール」を採用となっています。なんと、昨2001年は日本にスッチーが誕生して70年だったのでした。そんな記念すべき年に「スッチー今昔物語」を始めたなんて、私、口車、予知能力でもあるのでしょうか。ちなみに、この年表を眺めていて興味深いのは、昭和7年(1932年)に「婦人円タク運転手登場」となっているのです。なんと、女性タクシードライバーも、70年前には登場していたのでした。なんか、昭和初期の方が現代よりもよっぽど、女性に対して職業差別がなかったような気もします。

 それにしても、エアガール!なんともモダンなネーミングですね。「エアウルフ」なんていうアメリカTVドラマもありましたが、それをほうふつとさせる、なんかかっこいいネーミングであります。いかにも「保安要員」という感じですね。当時の制服がどんなものだったのか、全く資料がないのですが、気になります。そして、運賃はいったいいくらだったのでしょうか?

 この民間旅客機の歴史が太平洋戦争をはさんでぶった切られるわけで、あの戦争が日本に与えた悪影響は、本当に計り知れないものがあります。

つづく (目次)

先頭 表紙

ransyuさま、御愛読のほどよろしく。 / 口車大王2号 ( 2002-05-21 23:19 )
KUNさま、エアーウルフ2はホークもいつの間にかいなくなってしまって、全然面白くなくなってしまった。 / 口車大王2号 ( 2002-05-21 23:18 )
スッチー物語も書いていたんですか。恐れ入ります。 / ransyu ( 2002-05-21 22:09 )
エアーウルフ2の冒頭でドミニク・サンティーニが爆死したときにはしばらく口きけなくなりました(涙) / KUN ( 2002-05-21 12:14 )

2002-05-20 [波蘭昔話]ポーランドの通信事情


 じつに久しぶりの、ポーランドの昔話です。


 今やワルシャワクラコフの街の風景を、インターネットを通して日本の自宅から見ることができます。そして、口車が7か月暮らしたPLOCKの街の様子や天気がわかり、泊まっていたホテルに、日本から予約ができ、E-Mailで直接連絡できます。しかも、仕事していたお客のホームページにたどり着け、ここにもE-Mailで連絡を取ることができます。

 この、現在のインターネットに慣れ親しんでいる世界しか知らなかったら、「だから、どうなの?」ということでしかないのですが、口車、本当にしみじみしてしまうのです。

 口車がいたころは、ポーランドは共産主義政権ごりごりの頃で、鉄のカーテンの彼方の国でした。ポーンランド政府としては、一般人が不必要に電話なんかかけて欲しくない。ましてや、海外、特に西側と電話なんてとんでもない時代です。ワルシャワの街中にも、公衆電話なんてほとんどありませんでした。

 こんな状況で日本に電話しようなんて言ったら、もう大変。日本からの電話はすぐにつながるのに、ポーランドから日本に電話しようとすると、電話を申し込んでから、5時間またされます。申し込んだ本人が申し込んだことを忘れてしまったようなころになって、突然ホテルのフロントから電話がつながったと連絡が来る。しかも、しゃりしゃりとノイズが乗っている。盗聴されていることは、明らかです。

 当時のこんな状況を知っているだけに、鉄のカーテンがなくなったことの意味、インターネットという技術がオープンになって世界中に行き渡ったことの意味を、噛みしめるのです。

 本当に、隔世の感です。

先頭 表紙

平和で自由はいいよー。「うちの電話」とは中国での話ですか?しゃりしゃりずっとノイズがするようなら、間違いなく盗聴されていますね。接続不良だったらノイズが乗ったり乗らなかったりです。 / 口車大王2号 ( 2002-05-20 20:41 )
う〜む、今の世はつくづく平和なんですね〜。そういえばうちの電話も原因不明のノイズが…も、もしや…(^^; / でじかめ ( 2002-05-20 02:27 )

2002-05-13 アイルランド海軍 L. E. NIAMH & 練習艦かしま & 南極観測船しらせ


 去る4月13日、晴海埠頭で初めて日本にやってきたアイルランド海軍の軍艦の公開があったので行ってきました。船の前では、海上自衛隊の渉外担当の女性自衛官が案内をしていました。アイルランド海軍の軍艦がアジアまで航海したのは、初めてだそうです。船の名前はL. E. ニーム、主たる任務は沿岸警備で、アイルランド海軍自体、日本では海上保安庁が行っている任務が、そのほとんどです。国対国というよりは、漁業の違法操業、麻薬や覚せい剤の取引、密入国に対する警備がほとんどなんですな。ニームのトン数も日本の巡視船並です。今回はニームの就航記念ということで、日本までやって来たそうです。

L. E. NIAMH
IRISH NAVY
TYPE: Offshore Patrol Vessel
LENGTH: 78.84m
DISPLACE-MENT: 1548 tonnes
MAX SPEED: 23 kts
HOME PORT: Cork, Ireland

 記録によると、20世紀初頭、確か1903年だったと思うのですが、日本海軍の軍艦がアイルランドを訪れています。じつに、それ以来の表敬訪問なんですね。第一世界大戦の時に護衛艦隊として、地中海まで日本海軍の艦船が行っているのですが、第一次世界大戦ではアイルランドは中立だったそうで、そのせいもあって、日本海軍はアイルランドにはこのとき立ち寄っていないようです。ちなみに、このニームだって決して大きな船ではないのですが、当時口車祖父が地中海まで乗っていった駆逐艦は600トンしかなく、ニームの半分もない小さな船でした。この、第一次世界大戦で日本海軍が地中海まで行っていたという話をすると、皆一様に驚いていましたね。

 ニームの装備、ずいぶん日本製のものも使われています。まず、ボートが搭載されているのですが、このエンジンがヤマハ。ちなみに、ニームの後部デッキには燃料の容器があり、ボートが活動するときはこの容器を海上に落として、給油のためにいちいち帰ってこなくて良いようにしています。そして、艦橋の装備にはFURUNOのモニターが。おそらく魚群探知器のたぐいだと思います。乗務員も初めて日本まできたものだから、えらく陽気でした。

 さて、この日は幸運にも、もうすぐ練習航海に出発する練習艦かしまと、前日到着したばかりの難局観測船しらせも見ることができました。しらせは、南極の基地でのゴミを積み下ろしているところでした。クール宅急便のトラックがいっぱい来ていて、南極で採取したサンプルをどんどん運んでいるのも印象的でした。考えてみれば、これがいちばん確実てっとり早いんですね。

先頭 表紙

ちなみに、しらせは自衛艦です。 / 口車大王2号 ( 2002-05-16 23:10 )
け、毛並みですか。。。馬並だったらいいな。。。 / 下ネタの口車大王2号 ( 2002-05-16 23:08 )
地中海まで行った日本海軍ーも読ませてもらいました。口車さん博学ぶりはいつものことですが毛並みいい家でもあるんですね、驚きました。 / ransyu ( 2002-05-16 20:03 )

2002-05-10 晩秋のオスロへ その17 最終回 いざ日本へ、クレジットカードのトラブルつき


 いやいや、気がついたら3か月もほったらかしていましたね。「晩秋」が「初夏」になってしまいました。オスロへの旅も最終回です。

 2001年10月5日。

 ホテルを朝チェックアウトするときにちょっとトラブル。JCBのカードを最初使ったのですが、反応なし。そこで、VISAカードを使ったのですが、後日びっくり。カードを通した3回分の金額で請求が来ました。VISAで支払ったことを示す伝票と領収書をコピーしてJCBに送付。どうも、JCBのシステムに不具合があったようです。領収書等は、やはりとっておくものです。

 さて、オスロ駅から列車に乗ってあっという間に空港到着。昨年のストックホルムの空港もそうでしたが、ここオスロもちょうど千歳空港くらいのサイズです。長く延びた通路に出発ゲートと待合室が並び、免税店があります。街中の物価は偉く高かったのですが、免税店のサーモンはまたずいぶんと安い。日本で打っているスモークサーモンの半値くらいでしょうか。

 2番目の写真ですが、オスロ空港の搭乗ゲート、壁が透明です。普通は外が見えないのですが、非常に飛行機に乗るときに開放的でした。エアラインはKLMなんですが、機内食の、まあ、おいしかったこと。大変サーモンが美味でした。

 そして、アムステルダム、スキポール空港到着。およそ30年ほど前に作られた空港で、以来基本的な建物の構造は変わっていないのですが、大変モダンで全く古さを感じさせません。ただし、だだっぴろい建物を全部徒歩で歩かなければならないのが難点ですが。端から端まで20分くらいかかります。しかしながら、中はどんどん変わっていて、たった1年前に立ち寄ったばかりなのに、新しいものがいっぱい増えていました。

 まず、"Multifoon"という、インターネット電話。公衆電話にディスプレイとキーボードがついていて、WWWにアクセスできるようになっています。例に使ってみましたが、料金は10分100円ほど。日本と変わりはありません。ただし、日本語正しく表示されません(;_;)。

 続いて、スシバー。1年前、ゴッホ美術館の中にもあってびっくりしたのですが、ついに、スキポール空港にも登場です。店員は全員日本人のようで、開店したてのようでした。今回は食してみなかったのですが、10年ほど前まではそんなにヨーロッパに浸透していなかったスシ、ついに一般的な食べ物となりました。

 そして、最後に最大の難関が待ち受けていました。

 まず、出発ゲートが遠くに変更になっていました。というか、オスロからの便の到着ゲートに近いほうに変更になっていました。はじっこの搭乗口まで来てきがつくなんて、「なんてこったい!」です。そして、目的の搭乗口に向かうと、その一角は異様に混んでいる。行きのスキポールはすんなりゲートチェックを通ったのですが、帰りはとんでもないことになりました。Dという搭乗口のその一角、全部の出発便を集めて臨時の関所を作り、チェックしています。通常そんなことないのに、まいりました。30分以上またされたでしょうか。しかも、後ろに並んだ人たちの方が、途中から増やしたゲートの方に移動してそっちの方が早いと来ている。うんざりしました。まあ、9月11日から1か月も経っていませんから、無理はないのかもしれません。

 今回の帰りの便は、隣の人と話すわけでもなく、ひたすら飲んで食って映画を見てだけでした。なんか全く記憶に残っておりません。それにしても、途中、京成線佐倉付近の車窓一面の稲穂は本当に美しい。日本を実感できる風景です。意外なところに日本の美しさがあるものです。

おしまい

先頭 表紙

なみまるさま、そんなりんごがあったなんて、知らんかった。 / 口車大王2号 ( 2002-05-12 22:36 )
こんにちは!わ〜。スキポール空港、懐かしいです。最後に行ったのは1996年ですが、子供のときにも利用していたのでとても思い出深い空港です。行き交う人が書き込みした木製の大きなリンゴがあるんですよね。大昔、自分の名前を書いたことがあったのですが、1996年当時確認した限りでは当然ながら(笑)真っ黒なリンゴになっていましたっけ。 / なみまる ( 2002-05-12 11:57 )
邪夢猫さま、初めまして。スキポールは移動手段が徒歩しかないということを除けば、非常に楽な空港ですね。ショップも、搭乗口近所にもありますし。口車、ただ今いちばん行ってみたいところのひとつが、ディジョ〜ンです。 / 口車大王2号 ( 2002-05-11 18:48 )
りぃなさま、特に海外旅行の場合、密封できる袋を用意しておいて、どんどん放り込んでいくとよいです。クレジットカードではないですが、かつて「つけ」にしてもらったものを支払ったのに「払っていない」とやられたことがあって、必ず領収書をとっておくように心がけています。 / 口車大王2号 ( 2002-05-11 18:18 )
むらりょうさま、オスロはじつに静かで落ち着いた街ですね、緑が多いし。また行ってみたいです。スキポール空港のスシバーは、本当にできたばっかりの感じでした。店員もなんか動きがぎこちないし。買ってみなかったのはうまりうまそうに見えなかったというのもあります。あと、有料のパソコンのアクセスポイントもできていました。 / 口車大王2号 ( 2002-05-11 18:14 )
雅(みやび)さま、オスロは良いです。さらに1年前のストックホルムも良かったです。ノルウェー人は日本人好きなようですし(スウェーデンもそうだったけれど)。口車、今年の9月にロンドン観光旅行を予定しております。桃の時期になったら、また連絡いたしましょう。 / 口車大王2号 ( 2002-05-11 18:07 )
スキポール空港はお気に入りの空港のひとつです。平面なので移動が楽。どこかのように何度もエレベーター―やエスカレーターに乗らなくていいのは子供づれにはとてもありがたいことです。SHOPも充実しているし、インフォメーションもわかり易い。オランダはどこへ行ってもお寿司が食べられるほどポピュラーだと聞きました。お魚がおいしいからでしょうね。 / 邪夢猫@はじめまして ( 2002-05-11 14:42 )
領収書って、以外とすぐ捨てちゃうんですよね〜。偉いです、さすがですっ。 北欧に興味があって、行ってみたいんですけど、とても参考になりそうです♪ ありがとうございまっす! / りぃな@返品したいものがあるのにぃぃ! ( 2002-05-10 12:44 )
私はちょうど3年前の今の時期(5月)にオスロに行きましたが、美しく、穏やかで、心を洗われる都市はないなって感想でした。また行きたいと思っています。しかしスキポール空港にスシバーがあるんですか。すごい。アンカレッジに立ち食い?そば屋があるのは知ってましたが。(←超まずい) / むらりょう ( 2002-05-10 10:18 )
ご無沙汰です!ずっと桃のことが気になっていました!オスロは行った事がありません。いつかロンドン勤務になることがあるから、その時に行こうと取っておいたんですけど、どうやら当分日本って感じなので、こちらで堪能させていただきます。 / 雅(みやび) ( 2002-05-10 08:07 )

2002-02-12 晩秋のオスロへ その16 Do you play cards? - ヨーロッパ流割り勘の流儀


 フログネル公園からもどってきて、オスロ最後の夜はここに登場したメンバーとステーキハウスに行きました。前々日に同じメンバーでインド料理屋に行っており、純粋ノルウェー料理というのは、ホテルの朝食と昨晩の歓迎パーティーだけでしたね、結局。鯨を食べたかったのだけれど、会議のメンバーだとちょっとやばいかな。

 日本に来たときもそうなのですが、とにかく、ヨーロッパのメンバー、皆さん牛肉が大好き。日本では「鉄板焼き行きたい!」を連呼します。価格帯を聞いて、すぐ諦めますけれど。

 ステーキハウスはアメリカ風。しかしメニューを見るとなんとなくノルウェー風が読み取れます。そんな中、口車は目ざとく「タルタルステーキ」を注文しました。そうするとウェイトレスのおねいさんからお約束の質問が帰ってきます。

 「タルタルステーキ、どんなものだかわかっていますよね?」

 タルタルステーキはノルウェーというよりはヨーロッパ全体で見受けられる料理で、口車も、ポーランドにいたときに覚えました。要するに牛又は馬のひき肉を生で食べるものです。日本には馬刺しがあるくらいですから以外と日本人には抵抗がないのですが、ヨーロッパではみなさんあまり食べません。だから念を押してくるのですね。今回はこんなもんで済みましたが、パリの時はすごかったです。4回確認されたかな。

 さて、支払いの段になって "Do you play cards?" と相成りました。実は、今回ではなくて前々日のインド料理の時にまずこう言われていたのです。口車、その時はなんのことやらわからず、"???"だったのですが、なんと皆さん、伝票の上に一斉にクレジットカードを出す。要するに、支払いの段階で各自のクレジットカードに割り勘で付けてしまおうという段取り。前々日はあいにく使えるカードを持っていなかったのですが、今回はVISAカードを用意してきました。

 そう言えば、今までヨーロッパのメンバーとこういう食事をする機会がなかなかなかったのですが、なるほど、みんなうまいこと考えている。お店がちょっと面倒くさいですけれど、まあ、顧客サービスとして考えてくれれば、日本でも流行って欲しい流儀です。

つづく

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りぃなさま、口車も最初聞かれたとき、「え、トランプで遊ぶ?」と思っちまいました。だっはっは。 / 口車大王2号 ( 2002-02-20 12:07 )
カードで割り勘☆すごいな〜。どこでも、こういうシステムがあると便利なのにな・・・(ぼやーん) / りぃな@トランプで遊ぶのかと思っちゃった ( 2002-02-19 09:00 )
おとめさま、このステーキハウスはそんなに高い高級なところではないですよ。日本で言えば、フォルクスとか、すかいらーくガーデンとかそんなところですか。 / 口車大王2号 ( 2002-02-15 22:23 )
かっこいいっす!おとめも、こんな場所はディナーに行きたいっす!がんばって働く女性になるっす!(憧れ☆) / おとめ ( 2002-02-14 22:50 )
さなえもんさま、なかなかよいでしょ。お店がぶーたれたら、「ヨーロッパじゃ当たり前なのに!」とごねてみましょ。 / 口車大王2号 ( 2002-02-14 21:22 )
何だかスマート。 いい事聞いちゃったわ。 / さなえもん ( 2002-02-14 01:33 )
とんぼさま、口車も第一回目は現金で支払いました。海外旅行をする場合、カードを持っていたほうが何かと樂だし便利だし、安くつきます。 / 口車大王2号 ( 2002-02-12 23:13 )
runsyuさま、口車も初めてでした。「なるほどー」と感心してしまいました。 / 口車大王2号 ( 2002-02-12 23:12 )
ふ〜ん上手いことしますね・・・ってカード持ち歩かない私は結局現金ね。 / とんぼ ( 2002-02-12 22:49 )
カードの割り勘ですか、はじめて知りました。なるほど。 / ransyu ( 2002-02-12 20:45 )

2002-02-11 晩秋のオスロへ その15 またまた路面電車、フログネル公園へ


 10月4日、今日は会議の最後の日です。

 午後ちょっと早めに会議が終わったので、いったん宿泊先のホテルへ戻り、昨日教えてもらったフログネル公園へ行ってみることにしました。ホテルの近くから路面電車に乗って約15分。あとで気がついたのですが、すぐに来た電車でたどり着くことができたのでした。10分以上電車を待ってしまいました。

 さて、フログネル公園ですが、JALワールドシティガイドによると(オスロに行く前にここを知っていれば、、、)以下のように説明されています。

■フログネル公園 Frognerparken

オスロの観光ハイライトのひとつ。市の西に位置し、別名ビーゲラン公園。19世紀末から20世紀にかけて活躍したノルウェーの偉大な彫刻家グスタフ・ビーゲランの作品を展示。40年以上の歳月を費やし完成した650以上の彫像は人間が普段の生活で垣間見せる様々な表情を的確にとらえている。小高い丘の上に配されたオベリスクは高さ18m、重さ約200トンの一枚岩を使い、作者の一生のテーマである人間の一生(誕生、子供時代、思春期、壮年、老年、死)を表わした121人の老若男女が絡み合って、らせん状に彫られている。


 このオベリスク周辺は圧巻です。晩秋の夕刻の柔らかい日差しを浴びて、青空を背景になんとも不思議な空間を作り上げています。

 そして、公園のはるか彼方には、ホルメンコーレンのジャンプ台も見えます。この写真の中にも映っているのですが、ちょっとわかりませんね。公園は緑も多く、周辺は閑静な住宅街です。たまたま通った通りには、ギリシャ大使館がありました。

 委員会のメンバーとの会食の時間が迫っていたので、再びトラムに乗ってホテルへ戻ります。


つづく

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2002-02-11 晩秋のオスロへ その14 ノルウェーの民族衣装 − 歓迎パーティー


 10月3日の午後はずっと市内をめぐり歩いていましたが、夜は歓迎パーティー。オスロの市街のちょっとはずれに王室所属の牧場があり、その隣がノルウェー民俗博物館。そこの建物のひとつで歓迎パーティーが開催されます。会議場のホテルに7時に集合してバスで移動。

 トラムで知りあったおじさんと話し込んで予定より遠くまで乗ってしまい、戻ってくるのに時間をとってしまいました。一旦宿泊しているホテルに戻って着替え、集合場所まで小走り。エレベータでイギリスからの年配の委員と一緒になって走ったのですが、あとで年齢を聞いてびっくり。なんと84歳で最近心臓の病気で入院していたそうな。その割にはしっかり走っていましたな。

 さて、ホテルに着いたらバスは満杯で、我々遅刻組はタクシーで行くことになりました。ちょっとラッキーですか。

 ノルウェーの伝統的な建物は、日本と同じで木造です。パーティー会場も木造の建物でした。オスロ市街の建物は他のヨーロッパ諸国の都市と比べると割と新しいものが多く、結構ばらばらです。その辺りの雰囲気、日本の都市と似たところがあり、どうも伝統的に木造建築の文化は、古い建物をあっさり壊してしまう傾向があるようです。それでも、日本よりはずっと街並みは落ち着いていますが。こういうことは、実際にノルウェーに来てみないと見えないところです。食文化といい、日本と文化的な面で共通性が思ったよりあることがわかります。そんなところも、ノルウェー人が親日的なことに結びつくのでしょう。おそらく、荻原健司らの存在も、親日的な心を加速しているでしょう。

 写真は、ノルウェーの委員です。彼はパーティーのために民族衣装を着てきてくれました。改めてみると、なんか、サンタクロースの衣装の原形になったような衣装ですね。代々受け継がれているのだそうです。

 物価の高いことを除けば、じつに気分の落ち着く良い国です。


つづく

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ransyuさま、魚食べます。魚の種類も日本とそっくり。イワシとか多いです。また、日本の技術も入っているようで、日本的な魚の処理をしていると見受けられる加工食品もあります。 / 口車大王2号 ( 2002-02-11 19:39 )
今世界中に知れ渡っているサンタクロースの格好はコカコーラが広めたものですが、やはり、北欧の民族衣装が原形になっているようですね。 / 口車大王2号 ( 2002-02-11 19:37 )
ほんとだ、サンタクロースみたいだ。ノルウェーは魚も結構食べるんじゃないですか。日本と共通点は多いみたいですね。 / ransyu ( 2002-02-11 19:11 )

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