ここ数日、母方の祖母のことを考えていました。
もしタイムマシーンがあったら、唯一会ってみたい憧れの人。
この祖母のことを母はほとんど覚えていないのです。臥せった枕の下から出して貰ったお金でもんじゃ屋に行きをおやつを食べていた事。お葬式に人が大勢来てはしゃいでしまった事だけでした。
だから私に祖母の話をしてくれたのは母より15年上の伯母でした。
伯母は私のこともとても可愛がってくれました。
毎年一緒に行った避暑地の別荘でいろんな話を聞かせもらうのは楽しみの一つでした。
伯母の祖母に当たる人は正真正銘のお姫様だったそうです。
某藩のお殿様が鷹狩に来て休息を取るために訪れた庄屋の娘を見初めて側室に迎え生まれたのが「おばあ様」。廃藩置県が行われ、一夫一婦制になった為、お城を出た「おばあ様」は商家の行儀見習いという名目で預けられ、のち結婚して長男を産み落とした。それが伯母の父親。
幼い頃「おんば(乳母)ひがさ(日傘)」で育てられた伯母。
綺麗な着物を着せられ、習い事に行くときは人力車で行った昔を懐かしそうに話してくれました。
父親、母親と亡くなり家も没落して働き始めた矢先、結核にかかって。
そんな伯母を見初めたのが叔父。
「若い頃はそれはそれは綺麗だったからね〜。」とは本人談。
「病気だし、子供も産めない。」そう何度断っても「それでもいい。自分が何不自由ない暮らしをさせるから。」そう頼まれて嫁いだそうです。伯父は昼の仕事とは別に夜も働いて病弱な妻のために家政婦をやとった人です。妻の療養のために別荘まで建てて。
そのうち伯母は身ごもりました。
医者は「子供を産む体力なんてない。死ぬから絶対やめなさい。」そう言ったそうです。
でも伯母は産んだ。その長女は弁護士夫人となって伯父の建てた家の1階に住みました。今で言う2世帯住宅の走り。
次も「危険だからやめなさい。」と。産まれた長男は目が悪かったのですが。
「学校から帰って、一日2時間以上机に向かってはいけません。失明しますよ。」医者に宣告されたその子は1日2時間の勉強でなんとT大に合格。超一流企業の役員になりました。
ちなみに次男もW大。ただし卒業式に自分だけ卒業証書が渡されなかったことを今でも根にもっています。伯母が授業料を払い忘れてたせいで。ありがちな長男溺愛タイプ。
自慢話もたくさん聞かされました。でも伯母が言うとちっともイヤな感じがしないのは、きっと本当に大切にされてきた人だからなんだと思います。
子供たちがある程度手が離れて、家政婦さんがいなくなってからは、伯父と1階に住んでいた長女が本当によく支えてきたと思います。寒い朝などは毎朝家中の暖房をつけて部屋を暖めてから伯父が伯母を起こしたと聞きました。
伯父が十数年前に亡くなってからは下に住んでいた従兄弟の一人が2階に部屋を移して伯母のすぐ側で暮らしていましたし。その孫が結婚して、自身も骨折して歩けなくなって、痴呆が始まった数年前、伯母は施設に移りました。80も半ば過ぎてからだから周りも何も言えませんでした。
そこでの伯母も決して「可愛そうな人」ではありませんでした。好きな短歌を読み、昔話をしては「私はお姫様なの。」といって施設の職員さんを笑わせていたそうです。だからそこでの伯母の呼び名は「お姫様」。イヤミじゃなくてかわいらしいニックネーム。それはずっと文学少女だった伯母にふさわしい呼び名だと私は思いました。
そして今日、伯母の危篤の知らせを聞いたのです。
もう、あの独特の口調で話してもらう祖母の話が聞けなくなる。
寂しいです。
※従姉妹(伯母の長女)にソックリ。 |