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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-04-20 Japan Trek途中経過 1
2002-04-12 ボストン観光案内 2
2002-04-12 ボストン観光案内 1
2002-04-07 親友の来訪
2002-03-25 Lonely Birthday
2002-03-22 Mamma Mia! リベンジ成功 2
2002-03-22 Mamma Mia! リベンジ成功 1
2002-03-18 Miracle Years 4
2002-03-18 Miracle Years 3
2002-03-18 Miracle Years 2


2002-04-20 Japan Trek途中経過 1

今さらながらボストンは春だ。カリフォルニアの親友が春を連れてきたかのように、その日からくっきりと気候が変わった。ここ最近は20度を越える日が続き、火曜日には何と31度の最高気温を記録した。この2週間でそれまで裸だった街の木々がいっせいに緑に変わった。あちこちで小ぶりの桜が花をつけ、「ああ、ここにも桜があったんだ」と今さら気づくことしばし。先日妻とダウンタウンへドライブをした際、MITの講堂とチャールズ・リバーの間の道路の中央分離帯にたくさんの桜が花を広げていた。一番生長の遅い蔦もまだ皺の寄った赤子のように小さな葉をようやく茶色の煉瓦の上に這わせ始めている。

そんな中僕はこれまでに増して多忙な日々を送っている。勉強が大変なのはいつものことだが、ここへ来てJapan Trekの準備作業が重くのしかかってきており、ケースが読みきれないこともたまにある。日本人学生と日本で就職していた日系アメリカ人の合計9人で作業を分担しているのだが、皆同様に余裕がなくなってきているようだ。予想通り大人気のツアーとなり、正式に約80名の学生が参加することが決まった。その人数ゆえに作業が煩雑になっている部分も少なからずある。

僕個人は全体のディレクションやコーディネートという曖昧な仕事に加え、言い出しっぺとしてホームページを作成する役目を負うことになってしまった。その方面においてまったく素人の僕は、HP作成ソフト「フロントページ」をダウンロードし膨大な試行錯誤を重ねて初めてのホームページを作り始めた。謙虚に単純なものを作ればよいのだが、なまじビジュアルな表現の世界で生きてきた者としては実力がないくせに妥協ができない。シンプルでセンスのある体裁をこころがけ、なんとかそれっぽくなってきたので是非皆さんにもご紹介したいところだが、プライバシーに関わるところが多いので残念ながら控えさせていただく。

その忙しさに追い討ちをかけるかのように、このTrekで僕の会社を訪問することが正式に決まった。シカゴのビジネススクールで同じような日本へのツアーを開催したが、どんな世界的なメーカーよりも広告代理店の訪問が断然人気が高かったという情報をメンバーのひとりが披露。単純に日本のCMを見て特異な消費者感覚をつぶさに学べたことがとても受けたようだ。それは僕の会社のライバル企業だったのだが、せっかく僕がいるのでということで急遽そのように決定したのだ。

メーカーと違ってビジター用見学施設や素材といったものがまるで存在しない。新規クライアントへのプロモートに際しては、各営業が様々な資料をカスタマイズして加工するのが常である。しかもソニーやトヨタなら海外の学生も充分予備知識があるが、日本の広告代理店の名前など誰も知らないのだ。なぜうちの会社を訪れる意味があるのかという根本的な疑問から答えるべく、僕が初めに簡単なプレゼンテーションをしなくてはならない。

まずは理屈抜きで現在の日本を象徴する数々のうち制作のCMを見てもらい、それに続いて僕が日本のメディア文化におけるうちの会社の位置付けと役割、事業の幅、今後の課題と戦略などを簡単に話す。そのあとは大手クライアント担当の営業に登場してもらい、四媒体・プロモーション・イベント・CRMなどにまたがる横断的なキャンペーン事例を紹介してもらう。また日本の総合広告代理店、ことにうちの会社ならではということで、ワールドカップ作業や「ポケモン」、「千と千尋の神隠し」などのコンテンツ事業をその担当者に説明してもらう。

(つづく)

先頭 表紙

またようやく暖かさが戻ってきたみたいですね。会社に来てもらうのは嬉しいのですが、とにかく準備がたいへん。でも久しぶりに自分がうちの会社の社員であることを実感しました。不思議な気持ちです。 / Hidey ( 2002-05-05 05:35 )
こちらも3月以降、一気に暖かくなってきてます。クレイジー・オクラホマなので、ここ最近はまた冷えてますが・・・。ご自分の会社を訪問してもらう、なんてステキな反面、ちょっとドキドキですね!私も訪ねてみたいもんです♪MBAのベンキョ+ホームページに旅行の企画・・・ホント、お疲れ様です!風邪にはお気を付けて〜☆ / りぃな ( 2002-04-25 18:30 )

2002-04-12 ボストン観光案内 2

クインシー・マーケットというのは19世紀初頭に建てられた三つの細長い建物からなる食品中心のマーケットなのだが、現在はニューイングランドゆかりの品々を売る店や通常のブティックが並んでいる。建物の中には土産物を満載した小さな屋台が所狭しと並んでおり、なかなか壮観だ。この日は春の二日目でとても暖かかったので僕たちは建物の外にテーブルを並べたシーフードカフェで昼食を摂った。同じ並びに歴史的な集会場、ファニュエル・ホールが立っている。独立戦争以前からの建物で、大陸からの独立を説く論客がここで演説をしたという。

子供達がクインシー・マーケット前の広場で大道芸人に夢中になっていたので、先ほどからそわそわしていた親友の奥さんを連れて、彼女のお目当てのヘイ・マーケットへ歩いた。新鮮な野菜や果物がどれもほとんど一束1ドルという安さで並んでいる。狭い歩道にそって無数の小さな露店が並び、そこに大勢の客が詰め掛けるので、まるでラッシュ時の新宿駅のような混雑ぶりだ。彼女は子供達のためのイチゴとブドウを買ってかえった。

クインシー・マーケットを後にし、ボストンきっての高級住宅街、ビーコン・ヒルへ向かう。その名の通りなだらかな坂が縦横に縫う瀟洒な煉瓦造りの住宅街。ガス灯が等間隔に道を飾り、これからの季節は煉瓦の壁を這う蔦が古い家並を彩ることになる。あまりの美しさに親友夫婦はすっかり眠りこけた子供達を僕とともに車に残し、写真撮影に興じていた。

いよいよ僕の通う学校へ向かうのだが、街の中心部からチャールズ・リバー沿いに学校へ向かう道がまた美しい。車を走らせる左手すぐにヨットが白い帆を広げる川が臨め、その向こうには古く背の低い建物を足元に従えた二本のタワーが聳えている。建物に灯が点りはじめる夕暮れ時は特に壮観だ。この通りに沿って、右手にMIT、左手の川向こうにボストン大学、そしてもう少し行くと狭くなった川の左右に僕の学校が現れる。右が四年制大学のドミトリー、左が僕の通うビジネススクールだ。

親友も一番の目当てと言っていたビジネススクールを案内した。これも煉瓦で統一された均整の取れた数々の建物が、ようやく緑色に生え変わり始めた芝生の上にしっとりと佇む。既に慣れていいはずの僕は今でもこの学校の美しさに我を忘れてしまうことがある。図書館、僕が毎日学ぶ校舎、昨年できたばかりの壮麗な学生会館などを案内すると、彼も奥さんも何度も溜息をついてその美しさに呆然としていた。

その夜は彼らを僕のアパートに招き、ひとつ覚えのパスタやアンティパストをご馳走した。この日のパスタはナスとたまねぎ、ケーパーを使ったトマトソースと、恒例のボンゴレの二種類。スタンフォードの学生らしく彼が買ってきてくれたナパのRobert Mondaviのシャルドネをあけた。女の子たちが持ってきたトランプで僕たちも子供にかえったように他愛のない遊戯に興じた。あっという間に時は過ぎ、名残惜しく彼らをタクシー乗り場まで送った。

彼は一年間のプログラムなので今年の7月に帰国する。6月に一時帰国からアメリカへ戻る僕とはすれ違いなので、次に会えるのは1年以上先ということになる。社の派遣制度による今回の留学を経て、僕たちの運命はこれまで以上にうねった道筋を描き出すことだろう。20年来の友人ではあるが、この先には僕の知らない彼がいて、僕の知らない僕がいる。20年後僕たちはどんな新しい言葉を語っているだろう。手つかずの未来はいついかなるときも麗しい。


*写真はうちの学校の図書館


先頭 表紙

ガス欠コインさん、フィー子さんを通じてご連絡するかと思います。 / Hidey ( 2002-05-05 05:33 )
I see.です。 / ガス欠コイン ( 2002-04-21 05:37 )
たまたまさん、ご無沙汰!日記は時々読ませてもらってるけどね。新オフィスってどこに行ったの?新しい仕事は何をしてるのかな?うちと関わりがあるというとメディア系のお仕事かな?こちらのメールアドレスは、以前のmediaoneの方のドメインを、attbi.comに直していただければ届きます。学校のアドレスは当然生きています。 / Hidey ( 2002-04-20 16:07 )
ricaさん、それは懐かしいでしょうね。なるほどどちらの大学にしても素晴らしい大学。ご近所さんだったんですね。最新の日記にも書きましたがもうこちらは春真っ盛り。もう少しで新緑も全開というところです。ボストンにお越しの際はぜひご連絡ください! / Hidey ( 2002-04-20 16:03 )
lim.さん、ぜひ付いてきちゃいましょう!この街は学校の好きなlim.さんには格別かもしれません。ハーバード、MIT、タフツ、BUなどいくつあるか知れません。ボストン市の平均年齢は26歳とのこと。MITはメインの建物や有名な講堂がとても風格があり、いつ通っても素敵です。お越しの際にはぜひご連絡を。とっておきのボストンととっておきの食をご用意して待ってます。 / Hidey ( 2002-04-20 16:01 )
はるぴょんさん、お褒めのお言葉、ありがとうございます。でもこの景色を前に僕の文章など無力。まさにアメリカでは一番歴史のある街のひとつであるボストン。ぜひ訪れてほしいです。 / Hidey ( 2002-04-20 15:56 )
フィー子さん、僕も神戸の試合、手紙がきたよ。お互いよかったよかった。フィー子夫妻が来てくれるのはいつ頃になるかなー。フィー子さん冬も好きと言うけど、雪はさっさと片付けられてしまうので、やっぱり緑の美しい春、夏をお薦めします。 / Hidey ( 2002-04-20 15:54 )
misatoさん、ぜひぜひ来てください!僕がこちらにいる間だったらよろこんでご案内しますよ。バークリーの界隈はいつもあそこの学生が一風変わった雰囲気を醸し出しています。ご存知の通りこの街にはボストンシンフォニーもあります。まだ観に行ったことがないんだけど、先日たまたま寿司屋で小澤征爾さんと遭遇。すっかり舞い上がって一緒に記念写真など撮らせてもらいました。 / Hidey ( 2002-04-20 15:51 )
ガス欠コインさん、もうすぐ本番だというのに(だからこそ?)お忙しそうですね。W杯期間中は休養!…というわけにはいきませんよね。済みません。とっちーも忙しいみたいで、前にガス欠コインさんのことを書いたメールを出したのですが、いまだに返事がきません。今度6月にでも一緒にお会いしましょうか? / Hidey ( 2002-04-20 15:48 )
しゃむさん、嬉しいお言葉をありがとうございます。昔の大切な友人は沢山いますが、いくつになっても新しい出会いを大事にしたいと思っています。そういう意味では昨年からの数多くの出会いはとても貴重でした。一生のつきあいがまた沢山生まれるといいなと思っています。 / Hidey ( 2002-04-20 15:46 )
KATSUMIさん、ほんとによい街ですよ。いつの日かぜひどうぞ! / Hidey ( 2002-04-20 15:44 )
たらママさん、15年前も全然変わってないでしょうね、その辺は。僕は18年前にメイン州に留学していたときに二度ほど訪れたのですが、ホストファーザーの運転する車で夜のチャールズリバーに沿って走りながら、彼が僕の今の学校を指差して、「あれが・・・・・だよ」と教えてくれたことが不思議と記憶の片隅にあります。まさかそこで自分が勉強するとは夢にも思いませんでした。 / Hidey ( 2002-04-20 15:43 )
マイケルさん、その映画は観たことがありません。今度休みにでもビデオ屋で観てみよう。競馬場はまだ見たことがありません。どこにあるのかな? / Hidey ( 2002-04-20 15:35 )
むらりょうさん、MBAの学位は取れないのですが、スタンフォードやMITにはそのような制度があります。それとヨーロッパのMBAは基本は1年間ですよね。 / Hidey ( 2002-04-20 15:34 )
ほんとーご無沙汰しています。今日から新オフィスでがんばります。本社の19階なんで、、見渡しはいいです。また再会したいですね、、、これからの新役割はいろんなことできて、貴社とも絡む可能性あるのでそのときはよろしくお願いします。メルアド後日おくります、、、でも、貴方のアドレス変わったんですかね? / たまたま ( 2002-04-19 09:19 )
情景が目に浮かんできてとってもなつかしいです〜、ホントに!ちなみに大学は・・・Hideyさんが日記(全体) の中に書かれていた大学のうちの1つです。うふ。近いうちにボストン行きたいです〜。 / rica ( 2002-04-18 11:58 )
指導教官が夏にMITに行くので、付いていっちゃおうかなあ... / lim. ( 2002-04-17 17:30 )
古い、歴史のある建物や街並が好きなので、いつかぜひ訪れてみたいです。Hideyさんの文章はいつ見ても素敵。情景がくっきり思い浮かぶの。 / はるぴょん ( 2002-04-17 02:37 )
こ、これが図書館・・・。想像以上です。どうも読んでいるとやはり西海岸とはだいぶ雰囲気が違いそうですね。西海岸しか知らないので東への憧れがもともと強いのだけどさらにいっそう強くなってきました!下の文章に出てくる、煉瓦に蔦がからまる古い住宅街。ああ、ああ、素敵・・・。 / フィー子 ( 2002-04-15 23:34 )
Hideyさんの日記拝見してボストンにぜひ行ってみたいーって思ってしまいました。たまたま先日友人の知り合いの方がバークリー音楽学院で勉強していたという話しをされていて、ボストンという街がとても印象に残っていたのでミサトにとってすごくタイムリーな日記でした♪手つかずの未来ってとってもいい言葉ですね・・・。 / misato ( 2002-04-15 12:23 )
超多忙につき、すっかりご無沙汰しておりました。自分の日記の更新はいつ出来るかな。思い出の街が蘇ったようで、嬉しい原稿でした、ありがとう。そういえば、木曜日、聖路加付近でとっちーとバッタリ。メールでも来たら、僕のハンドルネームでも教えてやってください。立ち話だったので言い忘れてしまって(笑)。 / ガス欠コイン ( 2002-04-13 13:17 )
昔からのお友達って、何年経ってもその時にタイムスリップしたような気がしますよね。Hideyさまの情景描写、なんだか私までボストンにいる気がしました。 / しゃむ ( 2002-04-13 11:18 )
ボストン、良い町なんですね。一度行ってみたいですが、近いうちには無理そうで残念です。 / KATSUMI@W杯専念 ( 2002-04-13 02:28 )
クインシー・マーケットにビーコン・ヒル、なつかしいです。15年前に行きました。ボストンは本当に観光スポットが豊富でいいですよね。 / たらママ ( 2002-04-12 22:43 )
以前ボストンが舞台の 「Next Stop Wonderland」という映画を見ました。主人公の元配管工が海洋学を勉強しながらパートタイムで水族館で働いているのです。もちろん水族館やその近所?の競馬場も出てきましたし、ホエールウォッチングのシーンもありました。 / マイケル ( 2002-04-12 19:26 )
1年間のプログラムなんてあるんですね。会社を辞めて行ける期間ですね。。。しかし、そんなに信頼でき、境遇をわかってくれるアドバイザーが近くに居てくれるって幸せですよ。 / むらりょう ( 2002-04-12 18:08 )

2002-04-12 ボストン観光案内 1

翌朝は11:00に親友とその家族を迎えにホテルへ向かった。この日は一日彼らを案内してボストン観光。ボストンはすべてが凝縮された小さな街で、簡単に見どころを廻ることができる。僕自身あまり観光名所には行かないのでこれまで取り上げたことがなかったが、この機会に友人を連れて回ったコースを辿りながらボストンの見どころをご紹介したい。

小さな赤いシビックに彼らを乗せてBoylston Streetを東へ向かった。この通り沿いにはボストンを代表するプルデンシャル・タワーと一面ガラス張りのジョン・ハンコック・タワーという高層ビルが立っている。ジョン・ハンコック・タワーの目の前には1877年に建てられたロマネスク様式のトリニティ教会がある。毎週金曜にはパイプオルガンのコンサートを無料で楽しめるという。

Boylston Streetに並行して、煉瓦造りの小ぢんまりとした建物が連なるショッピングストリート、Newbury Streetが東西に走る。ファッション、雑貨、レストランとあらゆる店が建ち並び、Boylston Streetの現代的な表情とは好対照を成している。この二本の通りを歩けばほとんどの有名ブランドショップをカバーすることができ非常に効率的だ。ここにないブランドといえばブルガリくらいだそうだ。

Boylston Streetを東に進むと、左手に緑の美しいボストン・コモンという大きな公園が見えてくる。市民の憩いの場であるだけではなく、ハイドパークやセントラルパーク同様、集会、演説、演劇など、誰もが分け隔てなく街の知的なリソースに接することができる場所でもある。

ボストン・コモンの終わりの交差点を右折するとシアター・ディストリクトが現れる。代わる代わる訪れるブロードウェー・ミュージカルの地方公演を一年中楽しむことができ、現在はエルトン・ジョン作曲、ティム・ライス作詞による「アイーダ」を上演中だ。すぐに左折すると一変してそこはチャイナタウンだ。漢字の看板が並び、心なしか建物も雑然としている。

港に沿った環状の通りを北に上がり、再び街の中心側へ向かって左折すると高層ビルの建ち並ぶフィナンシャル・ディストリクトが現れる。ニューヨークに本拠を置くあらゆる金融系の企業が所狭しと建ち並び、そこの部分だけ空が狭く、さながら小ウォール街といったところだ。

しばらくその界隈をジグザグと廻り再び港へ出ると、そこには巨大なニューイングランド水族館が立っている。ちなみにこの港からはホエール・ウォッチングのための船が出ている。僕も高校生の頃メイン州の友人達と鯨を見に行ったことがあるが、船の真下を鯨が潜り抜け、船が大きく傾いた後にその巨大な姿を水面に現したことときの驚きは今もよく覚えている。

しばらく湾岸通りを北へと進むと、港のカーブに沿って北へ向かっていた道が西へと折れ曲がる。そこがノースエンドと呼ばれる区域で、一本中へ入るとちょっとしたイタリア人街となっている。イタリア料理店が立ち並ぶHanover Streetを進む。他のどの通りとも風情が違い、夜歩くとまるでローマの裏道といった感じだ。限りなく並ぶリストランテについつい期待してしまうが、そこはアメリカのイタリアン。正直あまりお勧めできる店はない。

そのまま街の中心部へ戻ると、ボストンの観光ガイドには必ず登場するヘイ・マーケットという主にイタリア系住民による金曜と土曜だけ開かれる露店の市場が見えてくる。そのすぐそばにはボストンを代表する観光名所クインシー・マーケットがある。我々は近くの駐車場に車を停めて、しばらくこのクインシー・マーケットとヘイ・マーケットでぶらぶらすることにした。

(つづく)

先頭 表紙

りぃなさん、日記を読ませてもらいましたが冬の方がいいようですね。僕はボストンに母と伯母を連れて戻り、また落ち着くのは6月末になります。7月上旬からはヨーロッパに2週間ほど行こうと思ってるし。すれ違いそうですね。冬に会いましょうか。 / Hidey ( 2002-05-09 10:02 )
実は、日本に帰る前に・・・とか思ってたんですけど、その時は多分6月、Hideyさんは日本・・・♪冬休みでしたら、お酒も解禁になりますので、やはり冬休みにしようかなー、と・・・(苦笑) / りぃな@あとはGW以降かしらん。 ( 2002-04-25 18:49 )
りぃなさん、ぜひリベンジにどうぞ!冬休みといわず、夏休みにでも来てもらえれば、一番美しいボストンをお目にかけられるし、僕も個人的にご案内できると思います。去年8月、僕も既にいたんですよね。どこかの街角ですれ違ってたかもしれないね。ほんと、よかったら遊びに来てね。 / Hidey ( 2002-04-20 15:32 )
プルーさん、ぜひ機会があったら遊びにいらしてください。これからは気候もいいしね。Harvard界隈は本当に古都ボストンって感じがしますよね。最近は暖かい夜が多く、Harvard Squareに人が多く出ている中を歩いているととても幸せな気持ちになります。 / Hidey ( 2002-04-20 15:30 )
懐かしいな〜。去年の8月の旅行の時、ボストンも少し観光したんですよ。ツアーだったので、ゆっくり見れなかったのが残念です。今度いく時はもっとじっくり見てまわりたいです。冬休みに、もう一回リベンジに行こうかしら〜♪ / りぃな@何故か中国人用のツアーで... ( 2002-04-14 13:55 )
ジョン・ハンコックはシカゴみたいで、トリニティ教会はNYみたい、なボストン。もう長いこと行ってないです。ワシントンへは何やかやと行くこともあるのに、不思議ですけど。ボストンといえば、ロブスターとおいしい牡蠣。それとハーバード大の界隈。対照的なのがMITね。Hideyさんがいらっしゃる間にボストンへも訪れたいです。 / プルー ( 2002-04-12 22:57 )

2002-04-07 親友の来訪

高校一年生の僕はまだ知り合って日が浅い同級の彼を黒板の前に連れ出して真剣に尋ねた。「この“get me down”の“me”の前の“t”の音は、ただ省略されているというよりは、息を飲みこむような感じの発音になってるように思うんだけど、どう思う?」新しい言語への憧れだけでがむしゃらに扉という扉を叩き、この日はカーペンターズの“Rainy Days and Mondays”の歌詞を黒板に書き出して、同じく英語に心酔していた彼に発音談義をしかけた僕だった。

ともに高校米国留学をし、大学では一緒にサークルの運営を担い、同じ企業に就職、その12年後に彼はスタンフォードへ、僕はボストンの学校へ留学するという奇妙な縁を共有しているという彼の話は昨年の日記にも書いた通りだ。

その彼が春休みを利用して僕を訪ねてくれた。春休みとは言いつつも、学校のプロジェクトでニューヨークとワシントンの企業や政府系機関を訪問した後、さらに家族4人でボストンへ足を伸ばしてくれたのだ。妻が仕事で日本へ帰っていたことが唯一残念だ。

彼が滞在するホテルで半年振りの再会を果たす。もともととても落ち着いた男だが、半年の厳しい学生生活がさらに深く裏打ちのある微笑を彼に身につけさせていた。僕にとってサークルの後輩でもある彼の奥さんからもこの国での生活を前向きに楽しんでいる雰囲気が伝わってきた。僕になついている幼稚園生と小学生の女の子たちは久しぶりの再会に少し戸惑い、それでも僕の手をとり無言の挨拶を交わした。

いつものLegal Sea Foodsでボストン自慢のシーフードを体験してもらう。生牡蠣ももロブスターもこれまでとは比べ物にならない旬の味を出していた。東と西で同じ境遇にある者同士の限りなく続く話の腰を折って次々に皿が運ばれてくる。そのたびに話の内容はしばし忘れ、皆揃ってニューイングランドの美味に唸ることになる。

もう夜11時近くになりホテルへ戻る奥さんと娘さん達と別れ、彼と二人でプルデンシャルタワーの最上階のバーへ入った。ボストンへ来てから高いところへ登るのは初めてということもあったが、視界に背の高いビルがなく大地に貼りついた白や黄色の無数の光を遥か見渡せるそのバーの華麗さは噂以上だった。彼はフローズンダイキリを飲み僕はジャック・ダニエルのロックを飲んだ。質の高いジャズの生演奏がアルコールの味をより深いものにしていた。

授業の内容、お互いの家庭生活、自分達の将来、ともに勤める会社の行く末、日本経済についてなど、まさに時を忘れて語り合った。「はじめてあった頃には20年後にこんな場所でこんな話をしてるなんて想像できなかったね」と僕は言った。「いや、ちゃんと想像してたよ」と彼は笑いながら話した。「なんたってはじめの会話がカーペンターズの発音だからね」

十五歳の僕たちは十五歳らしい会話を飽きもせず繰り返していた。世の成り立ち、恋の話、薄汚い冗談、そして英語への情熱など。形のない命題に稚拙な結論を与え合い朝まで語り尽くしたこともあった。闇に向かって発せられる若い僕たちの言葉は確かに可能性というものの無限の広がりを感じさせていた。その中から僕たちは奇しくも似通った道筋を選び、辿ってきたのだ。

人の傾向は余りに力強く進化は限定的だ。その小さい触れ幅の中でも僕たちは懸命に微調整を繰り返し、いくつもの取捨選択を経て今の自分達を作り上げてきた。しかし成長したつもりでどこかで大事な何かを捨ててしまってはいないか。自分はまだあの頃の大胆さで未来を見ているか。彼との再会は常に僕を問い詰め、僕を試す機会を与えるのだ。

先頭 表紙

スーパーしえろさん、わざわざ読んでいただいてありがとうございます。カレンの発音は本当にアメリカ人の発音の中でもど真ん中に位置するような美しい模範的な音ですね。いまだに僕は矯正の基準としてとらえています。 / Hidey ( 2002-04-20 15:27 )
パンドラさん、正直「発願」という言葉はよく分からないのですが、十五のときの透き通るような眼で、大人のしがらみなど無縁な中、見通せたものというのは確かにありましたよね。パンドラさんもご自身のそんな時代をいつまでも大切にされているのでしょうね。 / Hidey ( 2002-04-20 15:25 )
りぃなさん、お返事が遅れてしまってごめんなさい。道標という感覚、とてもよく分かります。僕は自分ですべて決める人なんだけど、確かにその後彼らと会ってはなすことによって微調整をしているようなところはあります。結婚しても子供ができてからも若い頃のお友達は大切にね。異性の友達だって同じです。 / Hidey ( 2002-04-20 15:22 )
過去日記読みました。これまで知らなかったこともあって、より感慨深いものがあります。メロディーよりも歌詞を聴きたいタイプなので、滑舌のいいカレンの発音がとても小気味よくて、大学生の頃、一人暮らしの部屋で何度も何度も聞いては、アメリカを懐かしく思い出しました。 / スーパーしえろ@未ログイン ( 2002-04-15 15:07 )
拝見してから書き込むまでに、ずい分時間がかかってしまいました。「発願」という言葉を思い出していたのです。15歳ですでに、Hideyさまにはそれが芽生えていたのですね。屈折しない願いは、どんな道を辿ろうとも必ず届く。その道程こそ人生だと。 / パンドラ ( 2002-04-15 07:37 )
私もちょうどそんな人たちと会ってきたところです。確かに彼女たちと会うと、その時々の命題を考えて答えないといけない。なかなか一人だと決められないから、彼女達と会って考えをまとめるのかもしれません。そう思うと、私にとって彼女達は道標みたいな存在なんですね。お互い、素敵な再会をしたみたいですね♪ / りぃな ( 2002-04-14 13:46 )
むらりょうさん、ていうか悪くてケロッグってすごいレベル高い話だなと思って。ケロッグはでもほんとに評価が高くて、有名な二つのランキングのひとつではここんとこずっと2位をキープしているはずです。昨年やめたカリスマ・ディーンが25年かけてトップ校に仕立て上げたそうです。 / Hidey ( 2002-04-12 23:33 )
ケロッグの件、失礼しました!弊社社員はちゃんと勉強してますでしょうか?私はMBA的な思考回路だけでも身に付けたいと思う今日この頃です。本を読んで勉強します。 / むらりょう ( 2002-04-12 17:24 )
Hirokoさん、見方によってはそのお友達よりさらに人生楽しんでらっしゃるわけだから。。。まあ、比較はできませんよね。Legal Sea Foods、ほんとにあれから随分時間が経ったような気がする。懐かしいですね。 / Hidey ( 2002-04-12 16:01 )
スーパーしえろさん、僕はリアルタイムというには少しだけずれてますが、カーペンターズは僕にとってとっても特別な人たちです。過去日記ご参照。 / Hidey ( 2002-04-12 15:59 )
ricaさん、はじめまして。というか実は前から時々日記を読ませていただいていました。コンパクトに時事をまとめてさらに雑感を書いていただいて、海外にいる僕にとっては貴重な文章です。しかもボストンにいらしたとは!学校はどこだったのかな〜? / Hidey ( 2002-04-12 15:55 )
reiさん、男二人、素敵な夜でしたよ(笑)。そーかー、reiさん落ち込むと高いとこ登るのかー。猫?確かに猫っぽいけど。決めた。今度ボストンで会うときはトップオブザハブにしましょう。 / Hidey ( 2002-04-12 15:53 )
misatoさん、さらに言うと僕は中学三年間をパキスタンの日本人学校で過ごし、その頃の友人も同様に一生涯の親友です。ほんとに会えなかった時間が消え去ってしまうって気持ちよくわかります。やはりあの時代の友人は特別ですよね。 / Hidey ( 2002-04-12 15:51 )
まゆ猫さん、十五の男の子は美しさと醜さが入り混じって、とっても不思議だと思います。お母さんが想像できないってことは、やっぱり十五って大人に差し掛かった年齢ってことなんでしょうね。 / Hidey ( 2002-04-12 15:49 )
むらりょうさん、悪くてもケロッグって。。。ケロッグはいい学校ですよ!僕はずっと第一志望にしてました。受かったけど色々考えて今の学校にしました。むらりょうさんが挙げた学校のひとつです。一応選択肢にはなっているかな(笑)。むらりょうさんと多分同じ会社出身の学生が4人いますよ。 / Hidey ( 2002-04-12 15:46 )
lim.さん、それは究極のお友達ですね。僕もこの彼とはそんな間柄かもしれない。僕の一番醜い姿を彼に見せました。彼も信じられないと思ったようです。それでも友人でいてくれる。大事な存在ですね。 / Hidey ( 2002-04-12 15:43 )
nameさん、すみません、僕は友人に会いに一ヵ月後に帰らせていただきます。今から予定作りが大変そうです。 / Hidey ( 2002-04-12 15:41 )
おとじろうさん、僕らの場合は前世など全く感じさせないほどに人種が違うのですが、それが逆にいいんだと思います。一生意識すべき相手です。 / Hidey ( 2002-04-12 15:40 )
たらママさん、説明が足りませんでしたが高校大学はエスカレーターだったもので。でも同じ年に社内選抜で受かって留学するとまでは思っていませんでした。僕は古い友人は大切にする方なので、親友やそれに類する友達って他にも結構いて、たくさんの種類の刺激を受けつづけられることに感謝しています。 / Hidey ( 2002-04-12 15:38 )
kofukuさん、そのようですね。本当は彼がボストンに来たときに一緒に会おうかと思っていたのですが、事前に彼からその頃はkofukuさんはいない旨聞いていたので。この週末電話させてください。今度は家族で一緒に会いましょうか?ところで新庄を見にいく件。「彼にもそのとき会う」って新庄のことか、すげーなーなんて思っちゃいましたが、彼ってスタンフォードの彼のことですよね(笑)。卒論頑張ってください。 / Hidey ( 2002-04-12 15:34 )
はるぴょんさん、僕らはあった頃から酒飲んでたから(笑)。たしかに子供の頃の顔でお酒飲まれるとたまんないでしょうね。 / Hidey ( 2002-04-12 15:26 )
KATSUMIさん、そうであることを願いたいです。どんなに形が変わってもね。 / Hidey ( 2002-04-12 15:25 )
Hideyさんとそのお友達とは理想的な関係ですよね。 お互いに刺激を与えあえる仲というか・・・。 同じような境遇で20年後に話ができるというのがなんとも羨ましいデス・・・。学生時代、いっつも一緒にいた友人はもう結婚して子供も出来たというのに、なんか私はおいてけぼりくらった感じ(苦笑) おいつけるかしら? でもまだまだ夢を追いつづけたいしなー。   リーガル・シーフード、すでに懐かしい♪また行きたいですー!! / Hiroko ( 2002-04-11 23:44 )
Hanging aroud, nothing to do but frawn・・・カーペンターズ大好き。 / スーパーしえろ@リアルタイムです ( 2002-04-11 21:04 )
うわ、めちゃくちゃごめんなさい。Hideyさん様でした・・・。どうもそそっかしいもので。すみません!(最初からこれじゃなぁ・・・)。 / rica ( 2002-04-10 10:23 )
はじめまして。いいな〜ボストンにいらっしゃるんですね!私もボストンの大学を卒業しており(undergrad)、真氏さんの日記に出てくる単語、単語がなつかしいです!リーガルシーフード、行きたい〜っ。 / rica ( 2002-04-10 10:22 )
素敵ね〜。私もボストン在住時代、トップオブザハブには何回か行きました。母親と行ったのが一番楽しかったな。嫌なことがあると、いつもプルデンシャルの展望台に行ったことや、あのビルの中でインターンしたこととかいろいろ思い出しました。 / rei ( 2002-04-09 12:22 )
10代の頃からの様々な想いをshareできるお友達がいらっしゃるってとても素晴らしいことだと思います♪ミサトも深い話しのできる友人達が何故か皆全員海外に散らばっているので会う事もなかなか難しいのですが、それでも何年かぶりに顔を見れば会えなかった時間なんてどこかへいってしまうんですよね。・・大切にしていきたいって思っています。 / misato ( 2002-04-08 19:59 )
十五歳の男の会話なんて想像できなくて、興味シンシン。うちの息子もそんな話をするのでしょうか。娘のことは想像出来るけれど、男の子は経験がないから謎だわ。私のいちばんの友人はやっと二十年来です。Hideyさんの親友はきっと一生良い刺激を与え合う友人でしょうね。いいな。 / まゆ猫 ( 2002-04-08 15:50 )
何年離れて居ても、どんなに遠くに居ても、安心感を与えてくれる友人。素敵なお話です。しかし、スタンフォードかウォートンかスローンかHBS、悪くてもケロッグ、のどれかに行こうと思っていたのですが、いつのまにか、私は志していた事すら忘れてました。勉強しなおします。良い刺激を与えてくれてありがとうございます。 / むらりょう ( 2002-04-08 15:40 )
親友と呼べる人は、私の昔の過ち(?!)すら一緒に乗り越えてもらったこともあり、たまにそんなことを思い出しては、会って話がしたくなります。遠く離れているけども。 / lim. ( 2002-04-08 15:25 )
友達に会いに帰りたくなってしまいました。 / name ( 2002-04-08 13:31 )
私も20年前に知り合った(すみませんもう少し前です)友達と今でも仲良くしています。前世は姉妹又は親子ではなかったのか、と思うほど『縁』を感じます。学校が一緒で留学先も同じ学校で今は別々の会社ですが、同じ会社に勤めたこともあります。大事にしたいですね。 / おとじろう ( 2002-04-08 13:08 )
私は高校卒業後上京したため、高校時代の親友たちとは離れ離れになってしまいました。大学や会社まで同じとはすごいご縁ですね。 / たらママ ( 2002-04-08 12:37 )
私も彼にワシントンで会いました.大変ながらも1年間の学生生活を楽しんでいるようでいい雰囲気でしたね.私は5月16日には引越しをしてしまうのでその前に一度会いましょう.Legal Seafoodにももう一度くらいいっとかなくっちゃ・・・・5月4日あたりにSFに新庄を見にいく予定にしています.彼にもそのとき会うつもりです.でもその前に卒論が。 / kofuku ( 2002-04-08 08:51 )
不思議なご縁のお友達ですね。私にも幼い頃からの友人で、常に私を触発してくれる親友がいます。私も彼女に会うといつも、恥じない自分になろう、と思うのです。でも彼女は小さい頃から顔が変わらないから、一緒にお酒を飲んでる時は不思議な感じ。ああ私達大人になったんだなあって思うの。 / はるぴょん@いつもながらボストンのシーフードはおいしそう! ( 2002-04-08 03:36 )
幼い頃からの友人と久しぶりに会うことは、いつも真摯である事を要求される気がします。でもそれが嬉しいのは、きっと自分の本質を失わないまま、成長しているからなんでしょうね。 / KATSUMI@故障リスト ( 2002-04-08 01:39 )

2002-03-25 Lonely Birthday

日曜の朝の青空に教会の鐘が10回鳴り響き、日本が3月25日を迎えたことを知った。僕の生まれた日だ。その2時間前、僕は仕事で日本へ帰る妻を空港へ送った。彼女がボストンへ戻るのは4月2日のこと。今年の誕生日はひとりで過ごすことになった。昨年7月の彼女の誕生日には僕は既にボストンに来ていたのでお互い様ということになる。

妻が仕事で日本へ帰るのはこれで二回目だ。フリーランスで声の仕事をしているのでアメリカに住んでいることは大きなハンディキャップとなる。その分今後の武器にもなり得る英会話を習得しているのだが、バランスとしては正直マイナスの方が大きいだろう。そのマイナスを最小限にすべく、程よい間隔をおいてなるべく日本で仕事をするようにしている。コネクションを保ちつづけることが大変重要なのだ。もともとは僕の都合でこちらに連れてきたわけなので、それに協力するのは当たり前のこと。今回は横浜で大きなイベントがあるということで、彼女はいつものように企画書や原稿をスタッフからメールで受け取り、WEBで参考情報を収集していた。本当にITさまさまだ。

僕は今日で春休みが終わり、当然ほとんど手をつけていなかった予習にバタバタと追われており、寂しがる余裕もない。明日の授業の合間には恒例でセクションメートが蝋燭を立てた小さなケーキを僕の机に置き、“Happy Birthday to You”と歌ってくれるだろう。こちらでは誕生日を迎える者が自ら友人を招いてパーティーをすることが多いが、それはしないことにしている。ひとりでしみじみ人生を顧みるのも悪くない。(暗い)

寂しがる余裕もないと書いたものの、やはり空港から誰もいない家に帰ってくると、思ってもみなかった喪失感を味わうことになる。気を紛らすためにもいよいよWACC(資本コスト)の登場で本番を迎えたファイナンス2の予習をしていたら、12時ごろに電話が鳴った。既に中継地のシカゴに着いた妻からだった。時間があるので手持ち無沙汰でかけたと、彼女らしい素っ気ない物言いだったので、こちらから半ば強制的に「誕生日おめでとう」と言わせてしまった。やはり多少は寂しかったものと自覚してしまった。

reiさんも日記に書いていたが、歳をとることはいくつになっても喜ぶべきことだと思う。一年前には知らなかったこと、知らなかった人との出会いに感謝し、まだまだ未知の領域が人生に残されていることを祝いたい。この一年の収穫は大きかった。これからの一年も負けないくらい得るものの多い一年にしていきたい。十五のときに覚えた詩の一節は今もその輝きを失わず僕とともにある。
「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」

Happy 36th birthday to me.

先頭 表紙

おとじろうさん、どういたしまして。ありがとうございます。「取るのではなく重ねるもの」、いい言葉ですね。常に胸においておきたいです。 / Hidey ( 2002-04-12 15:23 )
今ごろすみません。お誕生日おめでとうございます。年は取るのではなくて重ねるものですね。 / おとじろう ( 2002-04-08 13:11 )
nameさん、ありがとうございます。「生きているだけで幸せ」って、目が開かれるようなお言葉でした。ほんの時々、生活の断片でそんなことを思ったりしますが、言葉にして心の隅に置いておけばなかなか重宝しそうな気がします。ありがとうございました。 / Hidey ( 2002-04-07 23:17 )
lamanchaさん、ありがとうございます。ほんとに飽きないくらい毎日何かがある生活です。それも結構楽しんでいます。日記を書くには事欠かなくていいですね。 / Hidey ( 2002-04-07 23:15 )
しまおさん、ありがとう。そしてご無沙汰です。お勉強の方はいかがですか?僕も何とか負けずに頑張ろうとはしています。皆さんのお祝いの言葉を励みにあと一ヶ月ちょっと頑張りたいと思います。そしたら三ヶ月の夏休み!(←ごめんなさい) / Hidey ( 2002-04-07 23:13 )
プルーさん、ありがとうございます。そしてお帰りなさい。充実のご旅行だったようですね。僕も一ヵ月半後の日本を夢見て自分に鞭打っているところ。ここに来て勉強が大変で、日記の更新もおぼつかなくなりましたが、何とか続けたいと思います。 / Hidey ( 2002-04-07 23:05 )
りるりるさん、ありがとうございます。冷静沈着とはとても言えませんが、寂しさの種明かしははるぴょんさんへのつっこみがえしの通り。いつまでもガキです。それはともかく充実した一年は心に誓っているところです。 / Hidey ( 2002-04-07 23:03 )
りりさん、ありがとうございます。そしてお久しぶり。お元気そうで何よりです。もういくつ歳をとっても余り変わらないしね。特に女性は年齢に比例した魅力ってすごくあります。いつまでも素敵な女性には自分より少し大人でいてほしい、なんて思ってしまいます。 / Hidey ( 2002-04-07 23:01 )
しっぽなさん、ありがとうございます。一人のバースデー、乙なはずだったのですが、結局予習がはかどらず、25日の夜、最後の10分だけビールで一人乾杯しました。来年はもっと楽しく祝ってやる! / Hidey ( 2002-04-07 22:58 )
わかな、ありがとう。そしてTrekの件、拙い僕をいつも支えてくれてありがとうございます。最近はTrekの方も皆気が張ってきているので、今度一回息抜きでぱっとやりたいね。そのときの仕切りはお任せを。 / Hidey ( 2002-04-07 22:57 )
Hirokoさん、ありがとうございます。今の世の中ネット経ちはつらいですよね。ADSL開通おめでとう。こちらもケーブルでとても快適です。考えたら後一年ちょっとしかこの生活は楽しめないので、さらに気持ちを引き締めて、積極的に生活を楽しんでいきたいと思います。 / Hidey ( 2002-04-07 22:55 )
みなみさん、ありがとうございます。高村光太郎はかつていくつも詩を読んだのですが実際のところ今は全く触れる機会がありません。今のように限界的な生活をしているときこそ、短くて強い言葉は心に刺さる気がします。今度日本に帰ったらいくつか詩集でも買ってこようかな。 / Hidey ( 2002-04-07 22:52 )
oggiさん、ありがとうございます。素敵かどうかは分かりませんが、もうしっかりおじさまです。せめて素敵という形容詞でもつけるべく努力したいところです。 / Hidey ( 2002-04-07 22:50 )
Rさん、ありがとうございます。怒られてしまいそうだけど、確かにこれがはじめて一人のbirthdayかもしれません。大人の世界はとげや毒もある分、素敵なことがもっと素敵に見えてくるのだと思います。Rさんは充分素敵な大人のようにお見受けしていますが。。。 / Hidey ( 2002-04-07 22:49 )
しゃむさん、ありがとうございます。本当にこんなに皆さんから祝っていただいて、一生忘れないと思います。皆さんとの素敵な絆を大切に素敵な一年にしたいと思います。 / Hidey ( 2002-04-07 22:46 )
りぃなさん、Thanks a lot!僕も年齢に見合った大人かと言われるとへこんでしまいそうです。だからこそまだ前を向いて生きていけるんだけど。人間ってどこかしら永遠に子供なのかもね。 / Hidey ( 2002-04-07 22:45 )
アナイスさん、ありがとうございます。僕は極端に孤独に強いところと寂しがりやなところとが同居している人間のようです。でも今回の寂しさの種明かしはしたのはるぴょんさんへのつっこみ返しの通り。アナイスさんの「おとなになること」の日記、読ませていただきました。いつまでもその視点は忘れないでいたいと思います。十五ってほんとうに何であんなに強くて繊細で美しい歳なのでしょうね。 / Hidey ( 2002-04-07 22:43 )
はるぴょんさん、ありがとうございます。後で分かったんですが、妻がいなくて寂しかったのももちろんあったと思いますが、単純に春休みがその日で終わって心が登校拒否をしていただけでは?という自覚に至りました。現実逃避のただのだだっ子です(笑)。こういうところだけは年齢並みになりたいところです。 / Hidey ( 2002-04-07 22:38 )
俺様さん、ありがとうございます。 / Hidey ( 2002-04-07 22:35 )
Emikoさん、ありがとうございます。妻は寂しくなかったんじゃないかな。いつでも飄々としている人だから。いつもパンクしそうになってますが、なんとか次の一年も懸命に生きていきたいと思います。 / Hidey ( 2002-04-07 22:32 )
ガス欠コインさん、ありがとうございます。ほんと、ひとつお兄ちゃんですね。いや、気にしないでがんがん飛ばしてってください。特にクリエーターさんはね。心が若くいられることが最大の資本ですからね。お互い捨ててはいけないものを捨てずに前向きに生きていけたらいいですね。 / Hidey ( 2002-04-07 22:31 )
あややさん、ありがとうございます。離れてみて見えてくることって本当に多いです。また少し馴れ合いになってきていたけど、少しこのへん反省しないとな、とか。そろそろお誕生日が近づいてきましたね。じたばたしないようにね(笑)。 / Hidey ( 2002-04-07 22:29 )
パンドラさん、ありがとうございます。「道程」、こんなにストレートなのに決して色褪せないいい詩ですよね。ストレートなだけに重みがあるのだと思います。ほんと、こんなにお祝いをいただけるとは思いませんでした。嬉しい限りです。この歳になってまたこうして友達の輪が広がっていることに感謝感謝です。いつも応援してくれてありがとう。 / Hidey ( 2002-04-07 22:26 )
たらママさん、ありがとうございます。確かに興味は失ってますね(笑)。でもこんなふうに前向きにいることを確認する機会になりつづけられればいい名と思っています。たらママさんのその姿勢にはいつも感服です。見習わせていただきたいと思っています。 / Hidey ( 2002-04-07 22:24 )
スーパーしえろさん、ありがとうございます。スペイン語はさっぱりなので、今度友人に訳してもらいたいと思っています。 / Hidey ( 2002-04-07 22:22 )
Ecruさん、ありがとうございます。そう、言い聞かせることが大事なんですよね。常に前を向いて歩いていきたいと願っています。 / Hidey ( 2002-04-07 22:21 )
鳥さん、ありがとうございます。勉強の中身が中心になってしまって英語自体はそれほど意識的に努力していないのが現状ですが、鳥さんを見習って2年間こちらにいただけの英語力を身につけて帰りたいとも思っています。 / Hidey ( 2002-04-07 22:20 )
真賀砂州子さん、ありがとうございます!南西から素敵な響きが聞こえてきたと思ったら。。。いや、本当に光栄です。お祝いに恥じないよい一年にしたいと思っています。 / Hidey ( 2002-04-07 22:19 )
KATSUMIさん、ありがとうございます。まだ故障中ですか!できなくなったこと...確かに年齢的な理由もあってあえて選んでやらなくなったことはありますけど、できるだけ本当に「できなく」はなりたくないものですよね。お互い頑張りましょう. / Hidey ( 2002-04-07 22:17 )
まゆ猫さん、ありがとうございます。はい、お勉強の日々です。辛いけど、毎日身につくことばかり。この脳みそがちゃんと記憶を留めていてくれるといいんだけど。 / Hidey ( 2002-04-07 22:13 )
むらりょうさん、ありがとうございます。お互い寂しいサラリーマン。まあ忙しいうちが華ですから。でもそろそろ自分のペースでお仕事を組み立てられてらっしゃるのでは? / Hidey ( 2002-04-07 22:12 )
reiさん、ありがとう。そちらも本当に忙しそうですね。でも本当に今度は素面のreiさんと飲む約束だからね。是非実現しないと。 / Hidey ( 2002-04-07 22:10 )
misatoさん、ありがとうございます。これまで以上に充実した1年間を心がけたいと思っています。これからもよろしくね。 / Hidey ( 2002-04-07 22:09 )
フィー子さん、ありがとう。昨日は久しぶりにゆっくり話せて嬉しかったです。こちらこそ末永くよろしくね。 / Hidey ( 2002-04-07 22:08 )
ちえちゃん、ありがとう。聞こえたよ!もうすぐ再会できますね。楽しみにしてます。 / Hidey ( 2002-04-07 22:07 )
mignonneさん、ありがとうございます。高村光太郎という高潔な人は、いつも仰ぎ見るには眩しすぎるんだけど、確かに折に触れ思い出してみると励みになりますよね。特に弱音を吐いてしまいそうなときなど。 / Hidey ( 2002-04-07 22:06 )
ゆーさん、ありがとうございます。実りあるかないかは本当に自分の努力次第。最後まで手を抜かないでやっていきたいと思います。 / Hidey ( 2002-04-07 22:03 )
マッキ〜さん、ありがとう。本当に祝ってもらえるのはうれしいことですよね。あのあと日本についた妻からあらためて「おめでとう」と電話をもらいました。今は妻も戻り、一緒にボストンの春を楽しんでいます。 / Hidey ( 2002-04-07 22:02 )
akemiさん、ありがとうございます。ほんと、特に幼稚園のときは一番年下のクラスということもあって、なかなか手のかかる子供でした。いまでもそれはある?akemiさんは本当に素敵に歳を重ねてらっしゃるのがよく分かります。 / Hidey ( 2002-04-07 22:01 )
しゃどう猫さん、ありがとうございます。情熱ばかりでなく、今年は落ち着きも身につけたいと思っています。 / Hidey ( 2002-04-07 21:59 )
peachさん、ありがとうございます。まさに妻が春を連れてきたようで、このボストンもようやく暖かくなってきました。気がつくと芝生が緑になっていたり、そこここに花が咲きはじめたりしています。キャンパスにも桜の木が一本あって、花がつき始めてます。 / Hidey ( 2002-04-07 21:58 )
れいじくん、ありがとう。Japan Trekの件、いつまでもおんぶに抱っこで申し訳ない。また近いうちに飲みたいね。 / Hidey ( 2002-04-07 21:56 )
happy birthday...私も、自分の年齢言うことに抵抗ありません。生きているだけで幸せ。年齢はその幸せの軌跡ですし。 / name ( 2002-04-05 01:16 )
遅れ馳せながら、お誕生日、おめでとう御座います!また色々な事がありそうな一年ですね♪ / lamancha ( 2002-04-04 02:51 )
しまった!忙しくてばたばたしていたら、遅刻しました。ごめんなさい!お誕生日おめでとうございます!奥様は日本に行かれてしまって、ちょっぴりお寂しそうですが、↓こんなにたくさんのお祝いが!ロンリーではないですね〜。 / しまお ( 2002-04-04 00:52 )
Hideyさん、お誕生日おめでとうございます。3月だからうお座かと思ってたら違いましたね。また新たな一年すばらしいものとなりますよう、祈ってます。 / プルー ( 2002-04-01 23:09 )
お誕生日おめでとうございます!普段は冷静沈着なビジネスマンのイメージなのに、奥様がいらっしゃらなくてちょっとさみしげなHideyさま。なんだか新たな一面を垣間見たような!?今年もさらに充実した年になるよう祈っています! / りるりる ( 2002-03-31 22:00 )
すっかり遅くなりましたが…お誕生日おめでとうございます!私もここにきてやっと、歳をとるのは悪くないことだと思うようになりました。よい1年になりますように。 / りり ( 2002-03-28 23:29 )
遅れ馳せながら。。。お誕生日おめでとうございます!! 一人のバースディもまた乙な物?実り多き人生を!! / しっぽな ( 2002-03-28 23:23 )
Hidey, Happy Belated Birthday!!! / Wakana ( 2002-03-28 09:00 )
Hidey様、お誕生日おめでとうございます! 遅くなってすみません。なにせADSLの(自分のPCの)工事に手間取って数日間NET絶ちをしておりました。もう2ケ月近くも前に開通していたというのに・・・(苦笑) たった今無事作業が終わり、この突っ込みが開通後初の突込みです。これからはイライラせずに快適にNETライフを楽しめそうです♪ Hideyさんにとって、さらにお勉強と幸せな結婚生活@ボストン♪  という有意義な一年になるといいですね。 / Hiroko ( 2002-03-28 02:53 )
おくればせながら お誕生日おめでとうございます。 僕の後ろに道は出来る 高村光太郎? ですか? / みなみ ( 2002-03-28 01:30 )
↓毎年、が抜けてましたわ。 / oggi ( 2002-03-27 21:36 )
お誕生日おめでとうございます。Hidey様は36年間、とても有意義な1年を過ごしている感じ。そしてとっても素敵なおじさまになりそうだわ。 / oggi ( 2002-03-27 21:35 )
お誕生日おめでとうございます!なんだか本当に淋しそうですけど、まさかこれが始めてひとりで迎えるBirthdayなのでしょうか? こどもの頃夢のようだった大人の世界は、優しいばかりの世界じゃないけれど想像以上に魅力的ですね。わたしも年齢ばかりじゃなく、はやく実を伴いたいものです。 / R@傲慢さも魅力になる。それが3月生まれ! ( 2002-03-27 06:41 )
Hideyさま、お誕生日おめでとうございます。きっとこの36歳は生涯忘れられないでしょうね。更にステキな一年になりますように。 / しゃむ ( 2002-03-26 14:16 )
♪Happy Birthday to- you--, Happy Birthday to- you--, Hapy Birthday Dear Hideyサーン, Happy Birthda-y to- you--♪ 私も年を取るのは、に賛成です。それだけ経験を重ねてきたってことですので♪ 年齢に見合った経験が無いってへこむ事もありますが(苦笑)これからも更に良い経験を重ねられますように...☆ / りぃな ( 2002-03-26 12:10 )
お誕生日おめでとうございます。幸せな1年でありますように。寂しがりやとは、意外です?15の時に感じた「何か」は、今の自分にまだ残っていると信じたいなあ。 / アナイス ( 2002-03-26 08:43 )
お誕生日おめでとうございます。何歳になってもお誕生日はやっぱりspecial!な日だと思います。Hideyさまにとっては少し淋しいバースデーになってしまったかもしれませんが、奥様もきっと同じように感じられているでしょうね。でも長いスパンで考えれば!これくらいなんてことないわ。これからもずっとお二人は一緒にいらっしゃるのだもの。 / はるぴょん ( 2002-03-26 05:47 )
お目出度うございます / 俺様 ( 2002-03-26 01:07 )
お誕生日おめでとうございます。日記から奥様とはなれて寂しい気分〜?が伝わってきました。奥様もきっとお寂しいんでしょうね。これからの一年が素晴らしい一年でありますようね。 / Emiko ( 2002-03-25 23:50 )
誕生日おめでとう。遅れてしまいました。僕も3月なので、ほぼひとつの歳の差ですね。そりゃあ、やっぱり寂しかったでしょう。僕もね、「ええ!もう37」とか言われても、全然気にならなくなりました。僕の場合は気にした方がいいのか(笑)。とにかく、Happy Happy Birthday! / ガス欠コイン ( 2002-03-25 23:20 )
お誕生日おめでとうございます。心のそこから。 ご夫婦の絆を感じます。離れた時間すらも深い愛情のスパイスになさっている様子がうかがえます。来月の今日、私も誕生日です。25日つながり〜 / あやや ( 2002-03-25 23:05 )
Hideyさま、お誕生日おめでとう!!! 『道程』は私も大好きな大好きな詩です。年をとるごとにずしんと重く、そしてチカラをくれるように思えます。空の向こうで、こんなにひまじんのみんながHideyさまのお祝いできるなんて、ステキだね。ますます、実り多い素晴らしい時間をすごされますように。 / パンドラ@Love! ( 2002-03-25 22:44 )
お誕生日おめでとうございます。意外に一人きりの誕生日にめげてらっしゃったんですね。私は自分の誕生日にはとっくに興味を失っていますが(時々何歳だか忘れてます)、年をいくつ重ねても自分の人生に悔いなし、でいたいと思っています。 / たらママ ( 2002-03-25 21:55 )
お誕生日おめでとうございます。高村光太郎のその詩は、私もとても好きです。スペインの古い詩に、似た一節があり、そちらのニュアンスも好きです。Caminante,no hay camino,se hace camino al andar.(Antonio Machado) / スーパーしえろ ( 2002-03-25 21:54 )
お誕生日おめでとうございます。益々充実の1年となりますように。歳をとることはいくつになっても喜ぶべきこと。わたしも自分なりにそう言い続けていきたいです。 / Ecru ( 2002-03-25 19:15 )
お誕生日おめでとうございます!素敵な1年になりますように。 / ( 2002-03-25 19:10 )
お誕生日おめでとうございます! ほんとに、いま、ちゃんと 大きな声で 北東に向かって歌いましたよ♪  / 真賀砂州子(マガサスコ) ( 2002-03-25 16:56 )
お誕生日おめでとうございます。よい一年になりますように! 実際、年を重ねるにつれ、できなくなったことばかりを数えてしまいがちですが、よい歳の取り方をしたいと思います。 / KATSUMI@まだ故障中 ( 2002-03-25 15:54 )
お誕生日おめでとうございます。この一年もまたお勉強の日々なのですね。頑張ってください。素晴らしい年になりますように。 / まゆ猫 ( 2002-03-25 15:35 )
お誕生日おめでとうございます。私も入社後数年間は狙われた様に誕生日に出張に行ってました。なんだかんだ寂しいですよね。 / むらりょう ( 2002-03-25 15:11 )
Hideyさん、心からお誕生日おめでとう。素敵な年になるといいね。お互い忙しいけど、また飲みに行こうね。 / rei ( 2002-03-25 14:48 )
お誕生日おめでとうございます♪今年も素敵な経験と素晴らしい感動ができる1年になりますように♪ / misato ( 2002-03-25 11:26 )
お誕生日おめでとうございます。ますます磨きがかかりそうですね!これからも末永くよろしくお願いいたします。 / フィー子 ( 2002-03-25 11:24 )
ハァピバァスデイトゥーユ〜♪(歌ってるつもり)日本から歌ってお祝いするね〜☆ / Chie ( 2002-03-25 11:23 )
お誕生日おめでとうございます。私も高村のこの詩、時々思い出しては励みにしています。すばらしい一年になりますように。 / mignonne ( 2002-03-25 10:01 )
お誕生日おめでとうございます。更に実りある1年となりますように!!!!! / ゆー ( 2002-03-25 09:30 )
お誕生日おめでとうございます。昨年の誕生日に、誰かに祝ってもらえるって言うのは素敵なこと!って改めてわかりました。来年は一緒に祝えるといいですね。 / マッキ〜 ( 2002-03-25 08:31 )
3月末の生れなのね。「大人の男性」のHideyちゃまが、甘えん坊の男の子に見えました。あたしも「年令を重ねること」は素敵だと思います。様々な経験とそれを乗り越えて糧にするには多くの時間が必要だからです。「お誕生日おめでとう」 / akemi ( 2002-03-25 08:27 )
お誕生日おめでとうございます。情熱的なHideyさん、今年も実りある年になりますように。素敵な日記を期待しています。 / しゃどう猫 ( 2002-03-25 08:19 )
申し訳有りません。。。成ってではなくて「待って」です。 / peach ( 2002-03-25 08:06 )
Hidey様、お誕生日おめでとうございます!!年男ですね!?この先お誕生日を一人で向かえる日が来るのでしょうか?それとも今日が最後でしょうか?人生何が先に成っていてくれているのか、扉を開いて見ないと解りませんが、夢多き一年間が始まりますね。今から暫らくチョッピリ!寂しい分、奥様が再渡米なさって来てからが、また楽しみですね!!キッと桜の名残を持って渡米して下さるのでワ!?春爛漫の素敵な季節にお生まれで、素敵で良い感じですね!お誕生日おめでとうございます!! / peach ( 2002-03-25 08:04 )
お誕生日おめでとうございます!いつまでもその(外見的+心の)若さをキープしてくださいね。 / れいじ ( 2002-03-25 07:11 )

2002-03-22 Mamma Mia! リベンジ成功 2

最後にABBAについて書こう。品のよいジャンクフードと冒頭に書いたが、教科書的なまでに理論上均整の取れた旋律、重みは伴わないものの相当に考え抜かれた歌詞は、確かに一時代を形成するに値するものばかりだ。僕は中学の終わりに英語に目覚め、当時流行っていた洋楽を片っ端から聴いていた頃ABBAに出会った。それきりだったのだが7〜8年前出張でアメリカに来たときニューヨークのタワーレコーズで売っていた4枚組のボックスを発作的に買ってしまい、それからは時々思い出したように聴いている。決して積極的に求めて聴くというものではない。

個人的にもっとも好きな曲は先にも書いた「The Winner Takes It All」だ。80年代に入りレコードのセールスも落ち込みを見せはじめ、グループの関係もギクシャクしだした頃、奇跡のように舞い降りた名曲だった。アグネタの若干頼りなげだが時に類ないきらめきを見せる歌声がこの曲にはよく似合う。スウェーデン人ながらアメリカ発音のもっとも華やかな響きを効かせたサビの部分が印象的だ。

ミュージカルは初めてという妻もすっかり感激した様子だった。これでようやく先日のリベンジ成功というところだ。6月にはJapan Trek後に母と伯母を連れてニューヨーク、ボストンと戻ってくるのだが、アメリカ自体初めてという二人がもっとも楽しみにしているのがブロードウェー・ミュージカルだ。今回はあれこれ相談して「Cabaret」のチケットを取った。言わずと知れたミュージカルの歴史を代表する作品のリバイバルで、まさにヨーロッパのキャバレーを模した劇場では食事や酒を注文することができるという。大人のエンターテインメントを堪能できる作品である。

あと1年ちょっとの間にいくつの作品が観られるだろうか。次に自分で行くときは、ダンス主体の幻想的な作品「Contact」や、禁酒法時代のシカゴのナイトクラブを描き、ジャズの生演奏もたっぷり楽しめる「Chicago」を狙いたい。車でたった3時間半、出費はほとんどホテル代のみというこの恵まれた環境にあるうちに、できるだけ話題作と言われるものは観ておきたいと思っている。

先頭 表紙

Hirokoさん、無事成功です。たしかに先日NYに行ったときは、春休みの卒業旅行ということももちろんあるでしょうけど、やたらと日本人が目につきました。ミュージカルでもちらほらいたし、その後にはいったジャズクラブでは周りは日本人だらけでした。なんにせよ正常化しているというのはいいことです。ところで「ストロベリー・オン・ザ・ショートケーキ」とか「窪塚君」って全然分からないんですが(笑)。 / Hidey ( 2002-04-07 23:28 )
すいません。「ソトロベリー(誤)」→「ストロベリー(正)」でした。 / Hiroko ( 2002-04-06 01:00 )
リベンジ、成功したんですね。おめでとうございます! 3月の、Hideyさん達ご夫婦がミュージカルを観に行かれた頃はちょうどテロ以降低迷していたNYのブロードウエーが以前と同じ活気を取り戻し、SOLD OUTも出た一週間だと新聞で読んだ気がします。「ABBA」→「ソトロベリー・オンザ・ショートケーキ」→「窪塚君」と連想してしまう私です(苦笑) / Hiroko@お久し振りです ( 2002-04-06 00:58 )
ぶちょー!はじめ僕の本名が出ていたのでいじっておきました。よろしくおねがいしますよ!ABBAについては確かに当時よりは今のほうが遥かにニュートラルな聴き方ができるし、時間が経つと許せるものってすごく分かります。その時代の既成事実として受け止められるから。 / Hidey ( 2002-03-29 21:24 )
リアルタイムのABBAはナンパなポップスって感じだったけど、時間は名曲を磨くんだな。でも、この話を読んでピンクフロイドのライブを思い出しました。ロジャーウォーターズのいないピンクのライブは正に音と光のスーパーエンターテイメントなんだけど、そこにメッセージ性は消滅している。同じ頃にベルリンでロジャーウォーターズがやったWallのライブと比較すると、その違いが歴然と見えてきます。まあ、君は見る時間もないかぁ。 / ぶちょー<さ> ( 2002-03-29 21:13 )
misatoさん、ありがとうございます。鳥さんへの返事にも書きましたが、ジャズもしっかり楽しんできました。ハーレムの方にもいいジャズクラブが多いらしいので、今度はそちらも挑戦したいと思っています。 / Hidey ( 2002-03-25 05:19 )
フィー子さん、そう、劇団四季は基本的にブロードウェーで流行ったのを日本語で上演するのが多いです。コンタクトもやるんですね。知らなかった。かけファミリーはNYでライオンキング観てくるらしいね。 / Hidey ( 2002-03-25 05:18 )
りぃなさん、おかえりなさい。レ・ミゼラブルは僕も近いうちに観たい舞台のひとつです。りぃなさんの劇評もいずれ是非聞かせてください。 / Hidey ( 2002-03-25 05:16 )
スーパーしえろさん、The Producersが映画になっているとは知りませんでした。今度予習で観てみよう。舞台もトニー賞総ナメで凄かったらしいですよ。 / Hidey ( 2002-03-25 05:14 )
鳥さん、このミュージカルを見た後、妻を一人ホテルに残してVillage Vanguardで夜中の1:00頃までJazzを楽しんでしまいました。しかも25ドルでドリンクつき!JazzもNYの魅力のひとつですね。 / Hidey ( 2002-03-25 05:13 )
ガス欠コインさん、「Chiquitita」も綺麗な曲ですよね。日本でもドラマで流行ったようだし。W杯が終わって仕事も一段落したらどうぞ大好きなNYでミュージカル三昧してください。 / Hidey ( 2002-03-25 05:11 )
りるりるさん、長いお休みもあっという間に終わってしまいました。いま少し焦りながらこのつっこみ返しをしてます(笑)。 / Hidey ( 2002-03-25 05:09 )
まゆ猫さん、ニュートラルな英語ならではの美しさってありますよね。スウェーデン人やオランダ人の英語ってそんな感じ。このミュージカルの本家はイギリスですので、チケットさえ取れれば遠くないですよ! / Hidey ( 2002-03-25 05:08 )
浪花撫子さん、やはり英語という言語が劇には適している言語というのもひとつありますよね。そういった言語文化をもつ人種だからこそ大きく演じても違和感がないし。こちらでしか味わえない種類の芸術をできるだけ味わっておきたいと思います。 / Hidey ( 2002-03-25 05:07 )
たらママさん、ABBAがザ・ベストテンというのも驚きですね。確かにミュージカルの英語は聴き取りにくいですよね。僕も妻のためにあらすじを訳しておいたのが役に立ちました。 / Hidey ( 2002-03-25 05:05 )
Alan Cumming、とてもよかったらしいですね。もうやってないみたいですけど。日本にも結構来てるんですね。バブルの頃だけかと思ってましたが。 / Hidey ( 2002-03-25 05:03 )
mignonneさん、批評はちょっと難しくてできませんが、観るたびに感想じみたものは書いてみたいと思います。mignonneさんの念願が早くかないますように。 / Hidey ( 2002-03-25 05:02 )
むらりょうさん、That's Me、僕も一番好きな曲のひとつです。高校時代によく聴いていたラジオの「百万人の英語」でテーマソングとしてかかっていたのが懐かしいです。そこまでABBAに思い入れがあるのならぜひ本場で観られた方がいいと思います。機会を作って是非どうぞ! / Hidey ( 2002-03-25 04:59 )
KATSUMIさん、「Dancing Queen」はこちらでもカラオケではお約束の全員揃って盛り上がりソングのようです。昨年うちの学校の連中とはじめて六本木のカラオケで会ったときは椅子の上に総立ちになって肩組んで歌って踊ってました。 / Hidey ( 2002-03-25 04:57 )
マイケルさん、「The Producers」!すごい話題ですよね。賞を総ナメだし。僕も近いうちに観たいと思っています。 / Hidey ( 2002-03-25 04:54 )
Emikoさん、ありがとうございます。僕が初めて観たのは色々評価の分かれるCATSでしたが、あの「Memories」の熱唱はやはり鳥肌が立ちました。僕も観光地としてのNYはそれほど興味がありませんが、ブロードウェーを有するNYが大好きです。 / Hidey ( 2002-03-25 04:53 )
まあ!成功されたんですね♪おめでとうございます。ところでジャズの生演奏も楽しめる作品なんて素敵。ミサトもジャズは大好きで、日中用、夜用とバージョン別にして聴いていた時期もあったくらい(笑)。あら、ジャズに反応しすぎちゃいました!そちらにいらっしゃる間にたくさんの素敵な作品に出会えるといいですね。 / misato ( 2002-03-24 19:22 )
先日劇団四季のライオンキングを観てきました。今度はコンタクトを見に行こうかと思っているの。よく知らないんだけどそちらでやってるのを日本語版でやるのが劇団四季なのかな?? / フィー子 ( 2002-03-24 12:32 )
おぉ、成功したんですね、よかったーvミュージカルはご縁がないな、と思っていましたが、CATSにレ・ミゼラブルと、そうでもないみたいです。今度NYに行く時は、本場のミュージカルを見たいものです。 / りぃな ( 2002-03-24 03:37 )
The Producersはむか〜し、アメリカで映画で見ました。すっごいおもしろかった!から、舞台でも是非見てみたい!あのユーモアのセンスはアメリカだと思いました。 / スーパーしえろ ( 2002-03-24 00:02 )
ジャズですか。いいな〜。ブルーノート(日本で、ですが)になら行ったことあるけど、むちゃくちゃ高いです。 / ( 2002-03-23 17:00 )
リベンジ良かったですね。前の件は笑わされました(笑)。ABBAと言うと、僕は「チキチータ」かな。僕も英語に目覚めたのは中学の時で、BeatlesやCarpentersが教科書でしたね。前の日記の時にも言いましたが、本物を見たいなあ、NYで。 / ガス欠コイン ( 2002-03-23 01:40 )
おめでとうございます、リベンジ達成!ひさびさの長いお休み、存分に楽しんでくださいね! / りるりる ( 2002-03-23 00:20 )
ABBAの魅力はまさに歌い易いメロディーとわかり易い歌詞ですよね。ネイティブな英語人じゃないところがミソだと思ってます。面白そうですね、このミュージカル。観に行きたいけど遠すぎる。 / まゆ猫 ( 2002-03-22 21:38 )
映画はひどくても、ミュージカルは「さすが本家」の貫禄ですよね。映画だけ、TVだけの俳優達と比べると、巧さが違います。舞台俳優もしかり。SNLでゲスト出演する英俳優達のおもしろい事。日頃シリアスな役をする人が、えらいおもろいって事が多々あります。 / 浪花撫子@オペラもええでっせ! ( 2002-03-22 16:05 )
ABBAがザ・ベストテンのゲストに登場してDancing Queenを歌った時のことをおぼろげに覚えています。ニューヨークでミュージカルを見たのはもう10年も前のことですが、英語ヒアリングに難があったので、ほとんど歌を聴いているだけでした。 / たらママ ( 2002-03-22 10:29 )
Cabaret、日本ツアーのカンパニーもよかったですが、ブロードウェイ版アラン・カミングのMC見てみたかったです。 / まう ( 2002-03-22 09:52 )
リベンジおめでとうございます!!私はNYへはまだ行ったことがないのですが、念願かなって行った際には必ずミュージカルとバレエを見たいと思っています。Hidey様の他の作品の批評、楽しみです。 / mignonne ( 2002-03-22 08:58 )
ABBA大好きでした。中学校の時に1人でABBA THE MOVIEを観に行きましたよ。初めて買ったレコードもThat's me.でした。そのミュージカル、観たいです。劇団四季ではやらないだろうなぁ。ちょっくら観に行くかなぁって、結婚したら出来ませんねぇ。NYに転勤しないかなぁ。 / むらりょう ( 2002-03-22 02:14 )
リベンジ、成功したんですね。おめでとうございます。お幸せそうで何よりです。ちなみに今日試合観戦後入った焼肉屋で「Dancing Queen」がかかっていました。あとはカルチャークラブとか。青春の1ページですね(笑)。 / KATSUMI@故障リスト ( 2002-03-22 01:15 )
リベンジ成功おめでとうございます。僕は「The Producers」が気になっています。Nathan Lane と Matthew Broderick はもう降りたらしいのですが... / マイケル ( 2002-03-22 00:51 )
レベンジ成功おめでとうございます。やっぱりブロードウェーはいいですよね。初めて見たときは英語のわからない私でも鳥肌が立つくらい感動しました。 / Emiko ( 2002-03-22 00:35 )

2002-03-22 Mamma Mia! リベンジ成功 1

ABBAという名前を聞くと僕は決まって品のよいジャンクフードを思い出す。大して栄養があるわけでもなく美食と呼ぶには程遠いものの、小奇麗で味のバランスがよく、清潔にして均一だ。どんなに小馬鹿にしていても数ヶ月に一度の割合で中毒的に食べたくなる。

そのABBAがスウェーデンのドメスティックなポップグループから国際的なスターへと踊り出たのが1974年4月6日のこと。ロンドンで開催されたEurovision Song Contestという汎ヨーロッパの音楽祭でグランプリを獲得した日だ。それからちょうど四半世紀を経た1999年4月6日、ABBAの二つのBことBjornとBennyが音楽監督を務め、その伝説的なポップグループの楽曲を連ねたミュージカルがロンドンで誕生した。「Mamma Mia!」はもっとも辛辣な批評家の心をもさらい、名門プリンス・エドワード劇場にして無期限上演を決定、一躍世界的な話題作という地位を獲得した。

それからほぼ3年して、僕はようやくニューヨーク・ブロードウェイにてその作品を見ることができた。それも3月3日の日記に記述したとおりの紆余曲折を経てのことだ。今度ばかりは「間違いを犯せば即離婚の危機」と自らに言い聞かせ、チケットを忘れず持っていること、その日付、時間が間違っていないことを、5回以上確認した。お蔭で今回は間違いなくこの作品を観ることができた。ブロードウェー51丁目の、かつては「CATS」を18年間上演していたWinter Garden Theatreに、僕と妻は充分時間の余裕をもって到着した。

前の日記に書いたとおり作品はあくまで楽曲ありきで、22のABBAの曲を何とかひとつのストーリーにまとめるべく相当無理のある脚本となっている。さすがに楽曲にストーリーをはめただけあって歌詞が非常に意味を持ち、しかもオリジナルからほとんど詩句をいじっていない。結婚を目前に控えるSophieの初々しい愛とその母Donnaのしっかり蓋を閉ざしていたはずの三つの愛、主人公達の住む「島」が象徴する心の砦による呪縛とそこからの脱却―などと書くともっともらしいが、要はブロードウェー一流のドタバタ恋愛コメディーだ。ストーリーが歌詞に縛られてしまっている以上活路はシニカルなユーモアを盛った科白回しに求められ、それをブロードウェー的、予定調和的な観客の笑いが包み込む。本当の主人公というべき母親Donnaを演ずるベテランLouise Pitreが密かに劇を引き締めていた。

一流の歌と踊りが満載の金のかかった人間サーカスと割り切ればこの作品は素直に楽しめる。しかも誰の耳にも馴染みのある音楽と来ればこれはなかなか上質なエンターテインメントだ。メロディアスで歌詞が分かりやすいABBAの曲がミュージカルにはしっくりする。三人の昔の男達との再会に揺れるDonnaの心の内を歌い上げたタイトル曲「Mamma Mia」の詞のマッチの仕方、「Voulez-Vous」にあわせて繰り広げられる贅沢な群舞とコーラスのパーティーシーン、蘇りつつある愛にDonnaの自尊心が最後の抵抗を試みるシーンでの「The Winner Takes It All」などは圧巻であった。そして噂に聞いていたカーテンコール後のABBAオンパレードでの大合唱。観客は総立ちで体を揺らしながら馴染みの曲を一緒に歌っていた。

(つづく)

先頭 表紙

バニーさん、ゆっくり読んでね。めんどくさいのは飛ばしていいからね(笑)。 / Hidey ( 2002-03-25 04:51 )
むらりょうさん、確かに今は皆やってますね。それにしてもABBAって秀逸なネーミングですよね。 / Hidey ( 2002-03-25 04:50 )
ひさぶりにきたら日記大量アップでびくーりです。ゆっくり読むので待っててね(?) / バニー ( 2002-03-22 18:58 )
ABBAのBをひっくり返したアイデアが斬新だなって思ってましたが、その後、そのアイデアは漫才のB&Bにパクられてしまいました。三菱自動車のRVRにも。。。 / むらりょう ( 2002-03-22 13:00 )

2002-03-18 Miracle Years 4

「当時のシンプルな製造業においては」と書いたとおり、まだ産業構造が単純で、成功要因が熟練による生産性の向上に過ぎなかった時代においては、ここまで書いてきた政府主導の経済措置が大変効率的に機能した。しかしこの頃に確立し大きな成果をもたらした日本型経済基盤によって、我々はずっと後になって大きなしっぺ返しを食うことになった。

肥大化した官僚の権限は日本が経済大国になるにつれ腐敗を生み、様々な経済・社会問題の温床となった。通産省主導による過剰な競争の排除は、IT革命など産業構造の大きな変革が期待されたとき、変化を妨げる重い足かせとなった。大蔵省が日銀、商業銀行をコントロールしていたことは金融自由化を遅らせ、資本市場を膠着させた。銀行融資に依存する企業の資本構成は、バブル期の無反省な融資を導き、そのツケは不良債権となって今も尾を引いている。経済を支える健全な株式投資という思想はいまだに浸透せず、アメリカのニューエコノミーの原動力となったスタートアップ系企業のサポートは実現しない。旧来の雇用制度は既に錆びついた過去の経験だけでステップアップできるぬるま湯のような企業体質を生み、変化に対応できる柔軟性・戦略性を備えた人材は育たない。売上至上主義は利益管理を疎かにした垂れ流し的な負の成長をもたらした。

お気づきの通り、高度成長期というと必ず語られる「追いつき、追い越せ」といった精神論はほとんど排除され、純粋に政治経済的視点から徹底的に日本の奇跡を分析している。学問的に極めて正しいアプローチだが、せめて授業の外だけでも他の学生達に日本人にとっての肌感覚の高度成長期を知ってもらいたいと思い、授業開始前に10分間、ロシア人のElenaを真似てこの時代の日本を象徴するいくつかの写真を切り貼りしたパワーポイントのプレゼンテーションを行った。

玉音放送が流れる街頭ラジオの前で頭を垂れる大勢の日本人の写真をはじめに見せた。国民はそれまで天皇を神と信じ、その肉声を聞いたことすらなかったのだと解説した。次に進駐軍が意図的に撮影、公開し、日本国民に敗戦の意識を決定的に刷り込んだ、天皇とマッカーサーの記念写真を見せた。しかしこの会見でマッカーサーは天皇が高潔な紳士であることに素直に驚き、それがその後の日本への処遇に大きな影響を与えたことを話した。1950年、既に一部の消費者がデパートのバーゲンセールに興じる姿を見せ、50年代前半に次々と発売された洗濯機、カラーテレビ、冷蔵庫という三種の神器を見せた。力道山の写真を見せ、彼が外人レスラーを倒す姿に熱狂する国民のことを話し、彼らの心の奥底ではまだ戦争は終わっていなかったのだと話した。ようやく国の威信を取り戻させた東京オリンピック、それに付随して整備された新幹線などのインフラを見せた。「追いつき、追い越せ」「滅私奉公」に象徴される我々の父や祖父の世代は、誰もが心から国の復興を願って働き、そこには明治以前の封建制、その元となった儒教思想の影響もあるのだと私見を述べた。

BGIEの一番最後の授業には二つ目の日本のケース、「Japan: Beyond the Bubble」が予定されている。冒頭だけ読んでみたが、昨年6月の小泉政権の発足から始まっている最新のケースである。今度こそ少しは馴染みのある現代日本の政治経済に関し、日本人としての独自の視点でより大きなクラスへの貢献を果たしたいと思っている。5月中旬の授業だが、早めの段階でケースを読み、関連した資料を収集して知識を蓄えておきたい。

よく知っているようで実は知らなかった日本に、このアメリカで出会うことができた貴重な授業だった。

先頭 表紙

あの時代を生きた人にはある意味いつまでもかないませんね。恵まれていればいるほど今の時代に生きている我々は責任が重いのでしょうね。あの時代が原因を作った歪みを是正していくうえでも。 / Hidey ( 2002-03-25 04:49 )
「誰もが心から国の、、」の部分を読んであるドラマのシーンを思い出しました。外国人設定の俳優の台詞、「日本は豊かな国のくせに」に対し、日本人設定の俳優が「戦後は何もなかった。だけど皆が一丸となって頑張って今の日本を築いたんだ」という台詞を返すシーン。現在もこの気持ちに変わりはないと信じているけど!次のケースも楽しみしています♪ / misato ( 2002-03-24 19:43 )
Ecruさん、そう言っていただいてほっとしました。次のケースを日記にするのも大掛かりな作業になってしまいそうですが、どうぞお楽しみに! / Hidey ( 2002-03-22 00:17 )
ガス欠コインさん、ご指摘の通りだと思います。MBAの勉強の意義も正にそこにあって、どんな構造変化にも対応できる理詰めのマネジメント能力を徹底的に教え込むのがアメリカのビジネススクールです。しかしそのビジネススクールの卒業生達ですら、ITバブルに呑まれてしまったのはとても皮肉なことでしたが。 / Hidey ( 2002-03-22 00:16 )
ぶちょう、確かにアメリカの学校だからこそ大局的な視点で学べたようです。日本の最近のマーケット事情にはすっかり疎くなってしまったので、今度じっくり教えてください。 / Hidey ( 2002-03-22 00:13 )
(lim.さんへつづき)相変わらず贅沢しまくりのコギャルなどを見てしまうと確かに「ほんとに不景気?」と思ってしまうけど、それは現代の日本が高いレベルの消費で経済を支えあっているからで、これで国民全員が生活必需品しか買わない生活をし始めたら、消費の落ち込みから一気に日本は崩壊してしまうでしょう。結局コギャルがブランド品を買ってくれてても、まだ経済が好転しないというのが実態なのです。 / Hidey ( 2002-03-22 00:11 )
lim.さん、言葉を返してしまうようですが、花屋はやはり生活必需品ではないことから不況なのだとニュースで言ってました。でも花屋の需要って大きくは景気に左右されるのでしょうけど、景気が悪いからこそブランド品のプレゼントなどをケチって花束にするとか一部逆行することもありそう。フリーターについては正にそうで、不景気で正社員が雇えないから低賃金のフリーターが求められるということで、やはりそれは不景気の象徴なのだと思います。 / Hidey ( 2002-03-22 00:07 )
TAKEさん、確かに体系的に社会を捉える機会ってなかなかないですからね。日曜朝の政治討論を見ていてもやはり大局は見えにくいですよね。 / Hidey ( 2002-03-22 00:02 )
KATSUMIさん、どういたしまして。僕は政治経済学部出身なのですが、大学ではむしろ古典的な勉強に比重が偏り、やはり現代の日本を学ぶことはできませんでした。選択科目には何かしらあったのかもしれないけど、それこそ日本人の一般教養として教えてほしいことだと思います。 / Hidey ( 2002-03-22 00:01 )
たらママさん、つっこんでいただくのを期待していました。さすがに鋭いご指摘。持ち合い...そうですよね、考えてみたらそれが大きな原因ですよね。そこまではケースにも出ていませんでした。さすがです。 / Hidey ( 2002-03-21 23:58 )
りぃなさん、お友達の参考になるかどうかはとても自信が持てません(笑)。次の話は相当先になりますが、何とか日記にまとめてみたいと思います。春休み、満喫してます! / Hidey ( 2002-03-21 23:56 )
長かったけどとても読みやすかったです。一気に読めました。ありがとうございます。次のケースも楽しみです。現代日本、外から見るとどんな風に語られるのでしょうか。 / Ecru ( 2002-03-20 23:03 )
でもそれより、毎度毎度違う日本人が、Hideyさんとまた違ったプレゼンをしてみるのもいいかと思います。 / ガス欠コイン ( 2002-03-19 22:17 )
ナショナリズムが動かしたというところまでは良かったのでしょう。しかし、成功によって、動かした役割を担った人間の権力が肥大化し、当初効果的だった産業ごとの寡占状態が、競争力を低下させたということなのでしょうか。Hideyさんがしたプレゼンが今後授業に加えられるようになれば、後の学生もその深い背景をもっと知れるのではと思います。 / ガス欠コイン ( 2002-03-19 22:15 )
これは面白いですね。個々の事柄は史実として知っていても、時系列的に関連付けて考えている日本人はなかなかいない気がしますね。ある意味でアメリカの視点で冷静に俯瞰できるが故の講義という気がします。「デフレ」と言われながら世界標準に近い価格のアパレルや、就職しなくても生きて行けるが故の失業率のアップをアメリカがどう見るのか、バブル後のケースも楽しみにしています。 / ぶちょう(さ) ( 2002-03-19 16:13 )
直接関係のある話ではないのですが、日本って本当に不況なんでしょうか?株価や雇用情勢を見ると確かに不況なのでしょうが、駅前に氾濫する花屋(花なんて豊かな証拠ですよね)や、自らフリーターを選択する若い世代なんかを見ていると、とても不況の世の中とは思えません。端から見ていると不思議な感じです。 / lim. ( 2002-03-19 10:34 )
今の我々(日本人)って、自身についての知識はあっても、全体像を思い描くことが出来なくなっている気がしてます。貴重なお話、ありがとうございます。 / TAKE ( 2002-03-18 20:44 )
教授の言うナショナリズムという一言。Hideyさんのプレゼンのあるものと、日本代表のサポーターにあるもの。似て非なるものが見えるような気がします。 / KATSUMI@故障リスト ( 2002-03-18 12:35 )
ありがとうございました。学校の歴史の「現代」は、諸々の事情で詳しく教えてもらえませんからね。勉強になります。 / KATSUMI@故障リスト ( 2002-03-18 12:33 )
なぜ株主リターンを追求する必要がなかったか。持ち合いだったからです。 / たらママ ( 2002-03-18 09:10 )
ご指摘の通り、こうしたシステムは産業構造の急変化が要求される時代になると機能不全に陥ります。産業政策の担い手側には(表面的には否定なさっても)既得権益が生じてしまい、自らの存在意義を否定するような産業革命を推進するわけにはいかないでしょう。リターンよりもマーケットシェア重視の企業経営戦略はおっしゃる通りです。金融はその典型。 / たらママ ( 2002-03-18 09:07 )
米国の場合、各省庁のトップは専門家が起用されているようですが(当然政権交代でクビ)、日本では長らく一党独裁体制にあった政治家たちが順送りで大臣になるのがほとんどだったと思います。ということで、国家公務員のキャリアの人たちは「自分たちが国の政策を担っている」というものすごいプライドとインセンティブのもとで激務に励まれて、日本の産業政策を担ってきたのだと思います。 / たらママ ( 2002-03-18 09:05 )
Hideyさんこそお疲れ様でした☆ 今、友達がヒストリーのリサーチペーパーで高度成長期について書いてるらしいんですが、参考に、とこの日記を紹介しました(笑)長所と短所は表裏一体、じゃないですけど、それに近いものを感じました。次はバブル経済なんですか?それについても、また、つらつらと書いていただければ嬉しいんですけど・・・☆ 良い春休みをお過ごし下さいませ♪ / りぃな@経済ってムズカシイ。 ( 2002-03-18 08:59 )
長ったらしくなってしまいましたが、ビジネススクールの学生とは言え、アメリカ人が学校で習う日本の最近の歴史を日本人の我々が知らないというは恥ずかしいことではないかと思い、つらつらと書いてしまいました。もちろんこんな話全部知ってる、という方も多いのでしょうが。今回の日記でケースから抽出した部分に関しては、元の量はその10倍近くありますので、これでも抜粋し、自分なりに分かりやすくまとめてみたつもりなのですが。。。最後まで読んでくださった方、ご苦労様でした。 / Hidey ( 2002-03-18 07:30 )

2002-03-18 Miracle Years 3

大蔵省の強みは何より中央銀行である日銀を手中に収めていたことだった。それによって財政政策・金融政策の両面で日本経済を直接コントロールできた。諸外国と比べ、日本の商業銀行の中央銀行への依存度は非常に高い。それは日本の諸企業の資本構成が海外の企業と比べ銀行融資に大きく依存し、そのため常に商業銀行は企業融資のための原資を日銀から借りる必要があったからだ。なぜ日本企業の資本構成が株主資本よりも銀行融資に偏っていたかというと、社会保障制度が不十分だったことから国民は預金を蓄え、株への投資は投機的であるとして社会的に敬遠され、さらに銀行は潰さないという政府の護送船団方式により安全で安価な資本が保証されたからだ。結局大蔵省は日銀をコントロールし、日銀は商業銀行をコントロールし、商業銀行は諸企業をコントロールするという図式ができあがった。このような一極支配の構図によって、大蔵省は通産省の意図した産業構造を作り上げる実際的な武器である資本を自在に操ったのだ。

ここで特筆すべきは、通産省も大蔵省もこれだけの権限を有しながら、官僚の腐敗がほとんど見られなかったという事実だ。ソ連をはじめとするあらゆる国の計画経済は必ずと言っていいほど官僚の腐敗に苛まれ、それが経済発展の足かせにもなる。ケースはこの時期の日本の官僚はなぜ例外なのかという理由には触れていなかったが、授業後に教授と話したとき、彼はナショナリズムがプラスに機能したことは否めないと認めていた。

忘れてはならないのは、通産省、大蔵省にこれだけの武器を与えて日本を再生させるというシナリオを書いたのが進駐軍だったということだ。進駐軍はその他にも日本再生のためのいくつかのシステムを構築していた。為替レートを1ドル360円に固定し日本の輸出製品の競争力を高めた。そして関税や輸入許可制度により国内産業を保護した。アメリカが日本の産業をこれだけ厚遇したのは、既に冷戦を闘っていたソ連に対し地理的に重要な位置を占める日本を戦略的な拠点にするために他ならなかった。またアメリカは外国企業による日本への投資を規制したが、これは日本を他の国の色に染めさせたくないという思惑からだった。

この他にもケースは日本の経済成長の要素に不可欠だったお馴染みの要素をいくつか紹介している。通産省、経団連、自民党による政官財の密接な関係、例えばイギリスなどに比べはるかに開かれた教育制度、そして年功序列・終身雇用・平等主義に代表される日本的雇用制度。特に雇用制度については、海外と比較すれば馴れ合いに過ぎない労組問題と併せ、政府の青写真を実現するのに安定的な労働力を供給するものとして評価された。

労働力に関連して、「和」の精神、高い企業倫理、国の発展に対する誇り、ほとんどスポーツにも似た経済成長率への執着が取り上げられていた。「新しい日本の建設」と「調和と誠実」を謳い上げた松下電器産業の社歌の訳文も載っていた。しかしこうした文化的要因に関する記述は非常に限定的だった。

また興味深い考察として、企業の目的が利益やリターンの極大化ではなく市場の拡大、マーケットシェアの極大化であったという指摘がある。これは画一化された賃金体系、終身雇用により労働力のコストがほぼ固定化していたこと、前述の通り企業の資本構成において株主資本の割合が低く、株主へのリターンが重要視されなかったことによる。当時のシンプルな製造業においては、生産を拡大することにより学習効果が得られ、その結果コストの低減が可能になり、結果経済も発展したということだ。

(つづく)

先頭 表紙

りぃなさん、何か官僚に個人的な恨みがあるの!?外務省のドタバタなんかも、海外にいると余計に恥ずかしいことでしたよね。 / Hidey ( 2002-03-21 23:54 )
そうなのーー、全ての悪の根源は官僚の腐敗〜!(私にとっては)エゴなしで働ける人はいないんですけど、でも、もう少し良い仕事してくれないかしらん。 / りぃな ( 2002-03-18 09:01 )

2002-03-18 Miracle Years 2

ではこのような英断を下せば、発展途上国は皆この「ジャパン・モデル」を模倣して同じような成功を収められるのだろうか。実際数多くの途上国がそれを試みたのだが、必ずしも成功に終わらないことは歴史が証明している。「Strategy」という別の授業の話になってしまうが、本当の「戦略」とは、あるひとつの差別的なコンセプトということでは必ずしもなく、そうした統一的コンセプトと一貫性のある数十という細かなアクティビティが有機的に絡み合う状態を指すのだという。このように木目細かく編み上げられた組織体であればこそ、他者は容易に模倣できず、持続的な成長が保証される。高度成長期の日本の戦略はまさにこうした細かな戦術の積み重ねであればこそどの国にも真似のできない戦略だった。そこにはもちろん独自の文化的要因もあった。

では、なぜ日本だけはこのような危険な賭けに勝つことができたのか、その戦略を探っていこう。

成功の要因の根本は政府主導型経済にあった。しかしケースは真っ先にこれは旧ソ連の計画経済とは似ても似つかぬものだと断っている。ソ連と違い、日本では政府と産業界が常にコミュニケーションを保ち、互いに情報を交換しながら共同で経済を動かしていったということだ。それでも官主導の計画的な経済成長には変わりない。その原動力となったのが通産省と大蔵省だった。

通産省は日本経済の意思決定センターの役割を果たし、重点化すべき産業のプライオリティを決め、さらに個々の企業にもプライオリティを与えた。通産省は産業をコントロールするための資金的な武器を擁していたわけではないが、常に政治的な影響力を行使することによって、日本にとってもっとも効率的と思われる産業界の姿を意のままに形成していった。

例えば通産省は銀行資本の行き先を決める権限は与えられていなかったが、銀行は常に通産省の指導を仰いだ。それによって銀行は保護や支援を約束されたからだ。また日本開発銀行を操って、重点的に資本注入すべき産業を決定することもできた。

通産省の基本方針は、企業間の過剰な競争を排除し少数の企業にその業界を委ねることだった。その理由は、まず重複した無駄な投資を避けられること、少数の企業に集中させることによってスケールメリットを生み出し業界全体のコストを押さえること、そして過剰な競争により社会全体の生産稼働率が低くなるのを避けることだった。具体的には進駐軍が制定させた独占禁止法を緩和し、条件付きでカルテルが可能になった。進駐軍が解体させた「財閥」も通産省の後押しによって「系列」という形で復活した。ビール、ガラス、アルミニウムなどの業界に見られるように、数社が市場を独占し、ともに安定的に成長していくという形を促した。

(つづく)

先頭 表紙


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