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Hideyの「蛍の光の下で」

帰国に伴い長い間ご愛読いただいたこの日記を終了させていただきます。
もうこのサイトに文章を綴ることはありませんが
もしこの先もおつきあいいただけるようであれば
メールをいただければ幸甚です。
皆様、本当にありがとうございました。お元気で。

絵日記

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-06-13 おわりに
2003-06-09 帰国後の進路
2003-06-06 卒業 2
2003-06-06 卒業 1
2003-06-05 門出
2003-06-03 両親到着
2003-06-02 最後のニューヨーク
2003-05-31 二日連続日本食パーティー
2003-05-30 Capstone Class 3
2003-05-30 Capstone Class 2


2003-06-13 おわりに

この日記を書きはじめたきっかけには言及したことがあるが、理由については書いたことがなかったように思う。米国高校留学の際僕は敢えて日々の出来事を書き綴ることをせず、結果としてその後の歳月は心地よい記憶だけを残し、海が砂浜を洗うように辛い思い出を綺麗に消し去った。もちろん辛い経験が形作った僕自身は後に残ったのだが、辛さの過程をきちんと書いておけばそれは後の生き方に何らかの示唆を与えていたような気がする。だから今回の留学では文章を書こうと思った。ただし愚痴ったり自分への同情を抱いたりすることなく。

辛さ、そして前の日記では痛みと書いたが、はじめの頃はそんなものではなかった。それまでの35年間に生きてきたのとはまったく異なるシステムと語彙とで構成された世界に叩き込まれ、何がなんだか分からないという状況に陥った。それは絶対的な無力感だった。頭が真っ白になったり冷や汗が流れたり背筋が凍りついたりなどという現実的なもがきはほんの数秒で流れ去った。そんな焦りや怖れすら役に立たないと悟る圧倒的な絶望感だった。

英語力の不足が絶望感に拍車をかけた。一年間の高校留学やその後の学習、多少なりとも国際的なビジネス経験、TOEICの点数などはほとんど何の足しにもならなかった。それはほんの一年アメリカで暮らしただけの者が本物の帰国子女やネイティブ・スピーカーに対して抱く絶望感ということだけではなかった。ここで話される英語は最上級レベルの英語なのだ。

そんな中本当に絶望することなくなんとかやれたのは、苦しみをともにくぐった世界中から集まった友人がいたからだった。彼らがいてくれてよかったと心の底から何度も思った。卒業式でそんな友人たちとおめでとうと言い合ったが、今では流暢な英語で経営理論を語る彼らの顔を見ていると、ともに分け合った辛さは容易に思い出せなかった。僕も当初の絶望感からはずいぶん遠いところにたどり着いたからでもある。その意味ではやはり日記を書くことには意味があった。今日改めて昔の日記を読み返してあの頃の気持ちを思い出した。

この二年の間にはアメリカが初めて自信を喪失する様と特異な愛国主義によってそこから脱却する様、そして彼ら特有の国際感覚またはその欠如を内側から眺める機会を得た。それは僕の日本人としてのアイデンティティをさらに浮き彫りにした。この日記にも何らかの色合いを落としたような気もする。

今、空っぽになった僕の部屋ではノートパソコンだけが暗闇にぼんやりとした光を放つ。不思議な感覚が蘇る。サマースクールの頃に一月半入った学生寮。狭く冷たく暗い部屋に蛍光灯だけが申し訳程度の灯りを机の上に落としていた。勉強まみれになって部屋に転がり込んだ僕は真っ先にパソコンを起動した。その小さな画面はさながら世界への扉のようだった。そんなときにこの日記をはじめた。温かい励ましの言葉が心地よかった。母国語で自由に自分を表現できることが嬉しかった。しかしリアルな世界は部屋の外にあることを分かっていた。ネットという落とし穴に落ちることのないようにバランスを求めた。

拙い言葉で綴られたこの日記も今日で終わる。軽い気持ちで書き始めたのだが振り返るとあまり軽いものではなくなったようだ。それらの文章が何を意味するのかは今はよく分からない。時を隔てて俯瞰してみなければ物事の意味は分からない。

最後に、この場所で僕を見つづけてきてくれたすべての方、そしてこの大切な場所を無償でご提供してくださった管理組合の方々に、心からの感謝を捧げてお別れの言葉としたい。皆様、長い間どうもありがとうございました。

つっこみ 先頭 表紙

長らくご無沙汰しておりました。東京でご活躍中ですか?こちらは、2年前とはまた違うところで、がんばっています。ロシアへお越しのときはぜひご連絡ください。自分もHideyさんと同じでこちらでのロシア語習得は通過点でこれをいかにビジネスにいかすかがポイントになります。またいろいろアドバイスください。以上 / たまたま ( 2003-07-07 07:26 )
ご卒業おめでとうございます。いろんな意味で自分自身の生き方や仕事に対するスタンスを見つめなおすいいきっかけになりました。いつかお会いできる機会があればと思っています。 / 走る酔人(PAO) ( 2003-07-06 17:07 )
本当に素晴らしい思い出でいっぱいの2年間でしたね。卒業できて本当に嬉しいです。Hideyとは一生のクラスメートですね!I will miss you! / わかな ( 2003-06-25 12:02 )
遅ればせながら卒業おめでとう。そして、お疲れ様でした。Hideyさん、いろいろありがとね。また、いつかどこかで。 / トモコ ( 2003-06-21 01:58 )
読ませていただいて楽しかったです。新しい生活が実り多いもにものになるよう、お祈りしています。 / Arminn ( 2003-06-20 00:32 )
日本にいた頃は「今のボストン」がわかってとても楽しませていただいておりました。これからは私が「今のボストン」を少しでもお伝えできればと思います!いつかまた日本でお会いしましょう♪♪ひまじん、お疲れ様でした! / rica ( 2003-06-19 04:27 )
Hideyさん大変遅くなってしまいましたがご卒業おめでとうございます。なかなか突っ込む事は出来ませんでしたが真剣に読ませていただきいております(まだ全部読みきってないのですが)日記だけではなく突込みなども読んでいて色々と学ばせていただきました・・・。日本でのこれからのHideyさんのご活躍をお祈りしております。まだどこかでHideyさんの文章にお目にかかればと思っております・・・。 / 有末那智。 ( 2003-06-17 14:51 )
ご卒業おめでとうございます。興味深く読んでいたこの日記が終わってしまうのは残念ですが、また違う形でHideyの文章に触れることができることを祈ってます。おめでとう、そしておかえり。 / あやや ( 2003-06-17 14:49 )
Hideyさんの日記を拝読することができた事、本当に本当によかった。私はHideyさんの日記からとてもたくさんの事を学ばせて頂きました。Hideyさんの言葉が大好きだった。励まされた事もいっぱいあった。Hideyさんこれからはまた違うステージでのご活躍になりますね!日記は読めなくなってしまうけどHideyさんが新しい場所で活躍されていることを考えると、ワクワクします。素晴らしい日記を今まで本当にありがとうございました。 / misato ( 2003-06-17 03:09 )
お疲れ様でした!そして改めてご卒業おめでとうございます。今後仕事に復帰されてからこの2年間の真価を試される多くの事があると思いますが、Hideyさんなら何一つ無駄にすること無く今後に役立てて行かれると確信しております。挫折感、焦り等の壁もあるかと思いますが、信念にそって弛まず進んで行ってください。心から応援しています。この日記は私の生活も叱咤激励してくれるとても意味あるものでした。見事イタリア人になった際は是非遊びに行くのでお知らせ下さい。安ワインで悪酔いしましょう! / さやこ ( 2003-06-17 00:39 )
遅ればせながら、ご卒業おめでとうございます。Hideyさまの日記、まだまだ読み追いつけないままに筆を置かれてしまうのは、とても残念です。これからも様々な事を日記に綴っていただきたかったです・・・Hideyさまの文章はとても考えさせられることがあり、お仕事をしていく中でヒントをいただいたり、、、絵日記の優しい柔らかい文章とお写真と少し対照的なこちらの日記。どちらも大好きでした。ありがとうございました!また、いつか新しいストーリーを、、、 / azzurri ( 2003-06-16 18:28 )
ご卒業おめでとうございます。日記が最後になるのは残念ですが、また劇場とかどこかでお会いできれば。素敵な日記をありがとうございました。 / ウサ子 ( 2003-06-16 17:57 )
ご卒業おめでとうございます.日本でもMBAをほんの少しだけかじれるとっても美味しい講義録をありがとうございました. / 八百八六助 ( 2003-06-15 09:33 )
お疲れさまでした。それからこちらこそありがとうございました。体にだけは気をつけて、日本でバリバリやってきて下さい。(笑)20年後のHideyさんのイタリア生活日記を楽しみにしてるよ! / また来てね@rei ( 2003-06-15 01:57 )
ご卒業おめでとう。 そして、ありがとう。  あなたが真摯に綴られてきた2年間の最終章、なんだか胸がいっぱいで、言葉が見つかりません。本当にありがとう。 日本に戻られても、私はモチロン応援団のひとりです。 / パンドラ ( 2003-06-15 01:50 )
ご無沙汰致しております。もう麗しのボストンを離れ、慌ただしい東京の生活を始められていらっしゃる頃でしょうか。Hideyさんの日記との出逢いは衝撃的でした。心の宝箱を紐解かれたような気持ちになり、特に美しいセンスの光った絵日記は毎回わくわくでした。お忙しい中、Queensberryを訪ねて下さり本当にありがとうございました。あの日の日記は驚きの余り、パソコンの前で立ち上がってしまった自分を想い出します(苦笑)今でも彼の地は私の心のサンクチュアリです。どうぞこれからもお元気でますますパワフルにご活躍くださいね。 / ライラック ( 2003-06-14 23:14 )
こちらこそありがとうございました。Hideyさんの日記(と、私へ下さるつっこみ、つっこみ返し)で多くのことを学びました。たくさん書きたいのですが明日試験なのでこの辺で。 タイトルを変更して帰国後も日記を続けることはされないのですか? / ( 2003-06-14 22:51 )
繰り返しになりますが、日記がなくなるのは本当に残念です。Hideyさんの日記で励まされたこともたくさんあります。私もできればこのままに残していただければと思うのですが…。これからのご活躍を心からお祈りしています。 / りり ( 2003-06-14 21:50 )
最終回ですか?帰国後の日記も楽しみにしていたので、残念です。あまりつっこみができずにおりましたが、毎回とても楽しみに読ませていただきました。ありがとうございました。読み返したいところがたくさんあるので、できればこのページはこのままにしていただければと思ってます。これからもどうぞお元気でご活躍ください。たまにはひまじんにも現れてくださいね。 / Ecru ( 2003-06-14 19:48 )
きっと、きつか、どこかで、必ず。。。ね。 / 和代 ( 2003-06-14 17:18 )
私もHideyさんの日記を読んで「僕も頑張らなくては!」とはっぱをかけさせて頂いたくちですので、日記終了は空虚な気分です。本当にお浸かれ様でした。これからは違うステージで頑張って下さい。MBAホルダーとして周囲の目が厳しくなると思いますが、ひとつひとつクリアしていって欲しいと思います。 / むらぱぱ ( 2003-06-14 13:18 )
とうとうこの日記も終わってしまうのですね。Hideyさんの日記はいろんなことを教えてくれましたし、自分に甘い自分に対しての戒めにもなりました。有難うございました。今後のご活躍をお祈りいたします。 / Hiroko@でも淋しいです! ( 2003-06-14 12:13 )
日記も卒業ですか?残念ですね。日本での御活躍を期待しております。今迄ありがとうございました。 / 東京生活@私も終わった。。。 ( 2003-06-14 08:36 )
この日記を通して僕が得たものは、計り知れないほど大きなものでした。ありがとう。また、新しい痛みへと向かっていくのですね。僕も頑張らなきゃと思います。ぜひ、日本でまたお会いしましょう。その日を心待ちにしています。 / ガス欠コイン ( 2003-06-14 07:48 )
日記も卒業しちゃうのね。忙しい中で、この日記を書くのは大変だったと思うけど、この日記も一緒に記念になると思います。私も為になった日記でした。卒業おめでとう♪ / Chie ( 2003-06-14 07:35 )
短い間でしたが全く新しい知識と世界をこの日記から垣間見ることができました。文章で感じうる「経験」もあるのだ、と感じたものです、ありがとうございました。お疲れ様です、がんばれ営業戦士! / みほ ( 2003-06-14 04:59 )
有り難う御座いました。Hideyさんの日記を読み始めて、己を周りを全てを何というか、客観的にというか冷静に見る目を覚えたような気がします。寂しいけどゴリエチャンも頑張ろうと思います。いつも色々なたくさんの心を有り難う。 / ゴリラ ( 2003-06-14 04:46 )
これからの人生で立ち止まる度に、きっとこの二年間のいろいろな場面が蘇るのでしょうね。そしてそれらはきっとHideyさんの心の支えになると思います。長い間日記を楽しませていただきました。ありがとうございました。今後のご活躍を遠くからお祈りいたします。 / 真冬 ( 2003-06-14 03:07 )
遅れ馳せながらご卒業おめでとうございました。ゴールは新たなスタートラインですね。さらなるご活躍をお祈りしています。/ずっとHideyさんの日記を読ませて頂いてきて、いろいろ印象に残っている日記があるのですが、中でも特に印象的だったのはワールドカップ前後の日記です。拝見していてとても、鮮やかでした。 / みなみ ( 2003-06-14 01:30 )
こちらの日記には、言葉が見つからずつっこみ出来ませんでしたが読ませて頂いておりました。次の扉が開かれるワケですね。健闘をお祈りします☆ / MOMO ( 2003-06-13 23:17 )
このまま日々を綴るつもりのあたしにも、Hideyさんのようなきれいな去り際はないでしょう。凛々しい旅立ちに私からおかけする言葉はないような気もします。読ませていただいてありがとうございました。・・という気持ちです。 / akemi ( 2003-06-13 23:14 )
新たな旅立ちですね。これからのご活躍をお祈りしています。 / ぺんぺん ( 2003-06-13 23:06 )
筆を置かれる日が来ましたか。一度やめたはずがまだ続けている私には、実に清々しい締めくくりに思えます。Bon Voyage! / たらママ ( 2003-06-13 23:01 )

2003-06-09 帰国後の進路

実は4月の段階で帰国後の配属先が内定している。希望どおりの営業統括的な部署である。海外企業と異なりほとんどの日本企業においてはMBA取得による昇格、昇給というものはなく、うちの会社もその例外ではない。ただし数少ない特権のひとつが、別枠の人事システムによって希望の配属先に就きやすくなるということなのだ。

企業戦略を重点的に学んだからには経営企画的な部署に進むのが普通と思われるが、色々考えてそれはやめておいた。どこの企業においても、経営企画は大局的な見地での仕事であると同時に、どうしてもトップの政治的なしがらみも多くなりがちなのだ。そして僕が今何をしようとしても経験主義的な日本企業においては実績が必要であり、実績とはより目に見えやすいものである方がよい。年功序列的な現実の中では僕はまだ若く、まだ先は長い。しかるべき手順を踏むという意味でも、最前線の営業に近く、かつ全社的な視野も求められる営業統括的部署に身を置くことにした。うちの会社の場合、クライアント・ニーズのあるところに現実の仕事があり地に足のついた作業がある。しかしあまりクライアントに近すぎるとうちの会社自身の進むべき道を見誤ったりもする。かといってあまり高いところに登りすぎると社が市場に求められているものを見失う。今の自分にはあらゆる意味で中間点があっていると判断した。

卒業式について比較的淡々と書いてしまったのは、思っていたほどの達成感がなかったからだと思う。長い長い痛みの日々を終えた安堵感はあった。しかしMBAという資格はただの印でしかなく、それ自体は何をも語らない。あれほど膨大な学びさえ机上の論理と言えばそれまでだ。ケーススタディは現実の出来事の集積だが、あくまで学習の目的に沿ったケースを都合よく分かりやすい順序に並び替えたものに過ぎない。経験至上主義は日本企業に巣食う病理だと僕は思うが、経験や実践に裏打ちされない理論は何の価値もない。簡単に言えば僕が得たものの真価が問われるのはこれからだということだ。現実にそれは役に立つのか、本当に僕は何かを学んだのか。それが分からない今、不安こそあれ達成感はほとんどない。一枚の紙切れをもらっただけのことだ。

ましてやMBAホルダーであることを鼻に掛けてそれを頼りに仕事をするような人々の気持ちは僕の理解を超え、彼らには何の共感も抱けない。タイトルがあっても仕事のできない者には所詮未来はなく、空虚なプライドは余計な重圧や不必要な努力を生む。MBAホルダーをもてはやす者すら実のところは心のどこかで彼らの失敗を望んでいるものだとある教授が言った。そんな中でペラペラと学位や学校の名前を口にすることほど愚かなことはない。そんなことを口にしなければできない仕事は本当の仕事ではない。第一その学位の意味に対して一番疑問を抱いているのは僕自身なのだ。

では僕は何をここで得たのかといえば、究極的には、一企業の戦略を二時間で分析し、今何をすべきかという結論を導く術を徹底的に身につけたということだと思う。その結論が必ずしも正しいということではない。簡潔に俯瞰する癖をつけたというだけのことだ。日本企業ではしがらみがしがらみを伴い、それらが互いに引っ張り合ってどこへも動けないという場合が多い。コンパクトな視点と迅速な意思決定の欠如が現在の日本企業の閉塞の大きな原因であり、それらはアメリカ的ビジネスに特有の美徳だ。それだけは常に忘れることなく身につけていたい。

帰国は凱旋でもなんでもない。それは新たな痛みのはじまりに過ぎない。留学の成否が決まるのはこれからなのだ。

つっこみ 先頭 表紙

下のに書き加えて、Hideyさんは、表面だけじゃない真の力を身につけられた方だと思います。きっとHideyさんがこの2年間で習得されたものは自然に表われ、周りの方々はMBAでHideyさんが学んだ功績にすぐに気づくでしょう。日本に帰っても大きく羽ばたいてくださいね。 / やっちー ( 2003-06-13 17:24 )
この先、何が待ち構えてるか予想がつかないでしょうが、倫理とボストンでの2年間を忘れなければ、Hideyさんなら必ず道が拓けることと思います。どんなに痛くても、今まで自分の中に培ったものが、その痛みを和らげてくれますよね。これからの飛躍をお祈りしております。またお会いする機会があったら、成功の話から苦労話まで、色々聞かせてくださいね。偉大なるセンパイ、ひまじんではありがとうございました! / りぃな@色々書きたかったけど難しいですね ( 2003-06-13 15:45 )
もう次の一歩を踏み出したくてうずうずしていらっしゃるのでしょうか。辛いことや厳しい事が多いと容易に想像できても、やはり新たな展開には期待や希望を持たずにはいられないですよね。きっとご活躍されることと思います。帰国されては、お忙しくなるのでしょうけど、時々はここで色々お話ししていただければと思っています。 / Ecru ( 2003-06-13 10:41 )
真のMBAホルダーという言葉が頭に浮かびました。Hideyさん、次のステップへと移られるのですね。 / misato ( 2003-06-12 15:24 )
難しいことを達成した人には、より高度な難問が用意されている、そんなふうに感じました。 / Arminn ( 2003-06-12 12:59 )
「簡潔に俯瞰できる」という財産が、現実の中でどこまで活かされるか。僕自身、日本的企業の悪しき慣習に翻弄されている身なので、今のHideyさんの気持ち、少しだけわかります。これからの健闘、祈ります。 / ガス欠コイン ( 2003-06-12 12:58 )
いよいよですね。MBAでも知見を活かす事は勿論ですが、9.11から戦争までをアメリカで過ごせた経験は何物にも変えがたいと思います。一発かましてください。後方支援します。(あれ?それじゃ自衛隊?) / ぶちょう ( 2003-06-12 10:39 )
とうとう帰国が近づいてきているのですね。Hideyさんの日記、とっても読み応えのある勉強になる内容なので、忙しさのせいで読めなかった部分、時間のできたときにじっくり読みたいので、残しておいてくださいね。そしてできれば日記続けてください! / Hiroko ( 2003-06-11 23:36 )
達成感に酔うことは、簡単なことだね。 でも、あなたはもう次を見据えている。 その強い視線こそ、新しい一歩を祝福するのだと、私は確信しているよ。  / パンドラ ( 2003-06-11 17:46 )
これからが正念場ですね。存分に能力を発揮してください。 / 夢樂堂 ( 2003-06-11 13:36 )
MBA卒業生を迎える土壌があると言い難い日系企業でHideyさんの選択は現実的かつきわめて客観的な決断のように思います。でもHideyさんのことだからなんらかの形でMBAで学んだこと活かせるのだろうとも思ってます。アメリカ企業内でもMBA卒とは言えコーポレイトのラダーを登っていくことは時間的にも精神的にも大変なことですもの。それでもハーバードのMBAを卒業なさったことそれはそれで素晴らしいことだと思います。今後の活躍期待していますね。 / プルー ( 2003-06-11 03:23 )
Hideyさんの考え方に非常に共感します。それに、そんな風に考えられるHideyさんは素敵です。世の中には学歴だけで人格や能力まで素晴らしいかのように自慢する方もいらっしゃいますが、錯覚ですよね。そうそう、本当にデキル人はそんなこと、ひけらかさないもんですよ。 / やっちー ( 2003-06-10 18:07 )
実は渡米する前、最後の1年は経営管理部にいたんです(私)。社長補佐みたいな感じだったんですが、物凄く勉強になったし本当に楽しくてやりがいがありまくりでした・・・が同時に自分の若さ(年齢という意味だけでなく)がもどかしかったことが非常に多かったのも事実です。Hideyさんが今後の進路をきちんと考えられられているのはご立派で、それが今後のHideyさん自身を大きく変えていくことでしょう!将来有名になっちゃうHideyさんを楽しみにしております(笑)。→まだ言ってる。 / rica ( 2003-06-10 12:40 )
ちょっとお気楽なコメントと思われたのなら、ごめんなさい。新たな現実に自分をフィットさせるのに痛みを伴うことは、何となく私にも理解できます。海外で長く仕事しているので、私も私なりに満身創痍だから。でも生きていくってそういうことなのかもしれないと、この頃思ってます…。(何だか大仰になってしまいました。) / りり ( 2003-06-10 12:34 )
卒業のことを淡々と書いておられたのは、嬉しい気持ちを隠されてるのかな、とか、痛みからの解放という言葉を読んで、マラソンのゴールみたいな気持ちなのかな、と思って「達成」という言葉を使ったのですが、そうですね、Hidey様には日本での現実というかお仕事が待ち構えているのですよね…。 / りり ( 2003-06-10 12:01 )
全くその通りだと思います。そして現実と相対する時に一番必要なのは気持ちの体力だと思います。やはり現実の仕事ははるかに「しがらみ」が多く、思ったことは30%も実施できればいいほうで、その現実に負けない気持ちを持ちつづけることなのでしょう,大事なのは。これが結構難しい。 / kofuku ( 2003-06-10 00:08 )

2003-06-06 卒業 2

昼食の後は各学部での卒業証書授与式があった。昼食の間に僕は家に戻り両親と妻をタクシーに乗せてビジネススクールのキャンパスへ向かった。学校を象徴する建物である図書館の正面の芝に、チャールズ・リバーを背にしてステージがつくられていた。ステージ前を学生たちが埋め、その後ろに家族席が設けられていた。

学部長がこの学校の意味するもの、その厳しい環境、そしてその環境に相対するとき学生たちは決して一人ではなく、常に友人たちのサポートがあったことなどを話しはじめた。その典型的な例として、交通事故で全身麻痺になり仲間たちと同じタイミングでの卒業を諦めざるを得なかった学生を様々な形でサポートしつづけたあるセクションを称えた。全員が立ち上がって彼らに長い拍手を送った。

セクションAから順に学生たちが登壇し、一人ひとりの名前が読み上げられると学部長の前に進み出て卒業証書を受け取った。小さな子供のいる学生は子供を抱き上げながら登壇した。我らがセクションEの順番が訪れ、ステージに上がりかけた僕は家族席の一番前のあたりに母と妻が出てきてカメラを手にしている姿を認めた。そんなことは知らぬげに僕はステージに進み出て赤い封筒に入った卒業証書を受け取り、学部長の「Congratulations, Hidey」という言葉に「Thank you very much」と答えた。映画に出てくるように最後にキャップを空高く放り投げるのかと思っていたが、そうではなかった。申し訳程度に一メートルくらい投げ上げたキャップを自分で受け止めただけだった。

誰も頼りになどしたくなかったとは書いたが、僕が何を言わなくても僕を支えてくれつづけたのが妻と両親だった。妻は何かを特別にしてくれたわけではない。そこにいてくれただけで、そして僕が多忙を極めたときに余分に家事をこなしてくれただけで僕は支えられていると感じた。母は手紙代わりのこの日記を読んでは、時折懸命に覚えたパソコンを操って僕を励ます電子メールをくれた。父は何も言わなかったが無言は雄弁だった。何よりも最後に彼が弱い足にも関わらず長旅を経て僕の晴れ舞台を見にやってきてくれたことに僕は生涯感謝しつづけるだろう。

そんな父の誕生祝いも兼ねて、ステーキ、シーフードともにボストンでトップと言われるGrill 23 & Barという店で僕の卒業を家族で祝った。高級店といわれている店でさえメニューによってははずれがあるので、過去の経験を顧みながら注意深く注文をした。その結果父は大西洋産の生牡蠣を、母はロブスターのスープを大変喜んでくれた。メインディッシュにはこの店の人気メニューであるステーキやローストビーフを久しぶりのジュブレ・シャンベルタンでいただいた。

痛みのことは忘れていた。そんな時代があったことすら忘れてしまいそうだ。しかし痛みをともなって得た学びだけは忘れずにいたい。二つの本箱を埋め尽くす膨大なケースが僕の宝だ。そのケースを紐解くたびに僕はきっと少しだけ痛みのことを思い出すのだ。


つっこみ 先頭 表紙

遅くなりましたがご卒業おめでとうございます。もうボストンの空気を感じる事が出来ないのが少々残念です。 / Emiko@お久しぶりです ( 2003-06-12 22:29 )
大変遅れましたが、ご卒業おめでとうございます!今後、ますますのご活躍をお祈りします。私も日本への帰国は嬉しいような、寂しいような、今後への不安などありましたが素敵な毎日が待っていることと思います。 本当にお疲れさまでした。 / みるみる@Atelier ( 2003-06-11 11:53 )
りりさん、ありがとうございます。お言葉を返しているようにはとっていただきたくないのですが達成感という言葉、実は今いちばん縁遠いものなのです。りりさんのつっこみによって色々考えさせていただき、今日の日記を書きました。真意が伝わればいいなと思います。このコミュニティから去るのは僕もとても寂しいですが、ひとつの区切りということで。でもこれからもたまに遊びに来ると思います。りりさんがどうしてらっしゃるかとても気になるし。 / Hidey ( 2003-06-09 22:35 )
reiちゃん、ありがとう。境遇は違うけど一緒に競いながら励ましながら頑張ってきたようなものだもんね。僕もreiちゃんの仕事での成功を聞くと同じようにproudになります。ほんとに淋しくなるけどまだ出会ったばかりとも言えるし。ずっとkeep in touchしましょう。これからも海外の代理店事情など聞かせてほしいしね。そちらも新しい世界で頑張って! / Hidey ( 2003-06-09 22:33 )
夢樂堂さん、ありがとうございます。本当におっしゃるとおり、これからのフィードバックによってはじめて僕の留学の成否が決まりますから、全然緊張は解けません。引き続き努力あるのみです。 / Hidey ( 2003-06-09 22:30 )
りぃなさん、天気は曇りでしたが恐れられていたほど雨は降りませんでした。時折ポツリポツリくらい。ラッキーでした。もう既に忙しさの絶頂になりつつあります。 / Hidey ( 2003-06-09 22:29 )
フィー子さん、ありがとう。簡潔なつっこみにまた色々考えさせられました。本当に変わっているのか、それもポジティブに変わっているのか、捨ててはいけないものを捨てていないか。まだ遅いわけではないので常に問いつづけていきたいと思います。とりあえず再会を楽しみにしています。 / Hidey ( 2003-06-09 22:28 )
コインさん、ありがとうございます。「痛み」はまだまだ終わりません。常に僕とともにありつづけます。最新の日記にも色々書かせていただきました。まあでもまたお会いしたときに現実に乾杯していただけたら嬉しいです! / Hidey ( 2003-06-09 22:26 )
たらママさん、ありがとうございます。たらママさんのつっこみにもとても支えられた参りました。いつも見守ってきてくださりありがとうございました。大きな影響になる、のかな?そうであることを願いたいと思います。 / Hidey ( 2003-06-09 22:24 )
和代さん、ありがとうございました。おっしゃるとおり、助走という要素が多分に強いのです。充分な助走になっているかどうか、大変に不安ですが。とりあえず今日の日は乾杯です。 / Hidey ( 2003-06-09 22:23 )
やっちーさん、ありがとうございます。こちらこそ地球の裏側でもっと大変な日常を送られている方がいるんだと勇気づけられました。やっちーさんの日記は僕も大好きなんです。ひとつの仕事が終わりましたが本番はこれから。今後もお互い励ましあっていければいいですね。 / Hidey ( 2003-06-09 22:21 )
鳥さん、ありがとうございます。本当はただ感動して終わっただけではなく色々と複雑な思いも秘めていたので、その辺は最新の日記に書かせていただきます。 / Hidey ( 2003-06-09 22:20 )
Ecruさん、ありがとうございます。正直辛いことの方が多かった二年間だったかもしれません。でも終わってみれば楽しいことばかりが蘇ってくるんですよね。これからの日々はまたあまりにも不安です。初めて本当に自分が試されるときがくるので。まあ泣き言を言わず、またはじめたいと思います。 / Hidey ( 2003-06-09 22:19 )
あややん、ありがとう。駄文を読みつづけていただいたことにも感謝いたします。現金なもので今はボストンとの別れを惜しむとともに、帰国したらこれやろう、あの人にも会おうと、色々考えて楽しんでいます。もちろんあややんに会うのももっとも楽しみにしていることのひとつ。もう少しです。待っててね。 / Hidey ( 2003-06-09 22:17 )
ミサトさん、ありがとうございます。そうですね、やっぱり疲れたかな。でも本当に得がたい経験でした。それもこんな年になって再び学生をやるなんて許されるとは思いませんでしたから(笑)。決してかっこよくはないですが、ともかくやり終えました。ずっと間接的にでも支えていただいてありがとう。 / Hidey ( 2003-06-09 22:14 )
みほちゃん、ありがとう。みほちゃんの卒業も同じように祝ってあげられたらいいね。 / Hidey ( 2003-06-09 22:12 )
ricaさん、ありがとうございます。ほかにも行政大学院生は、世界を治めるという意味合いなのかビニール製の地球儀をポンポンやってて、ロースクール生は裁判所での辛辣な発言を象徴して鮫の人形を持っていました。真後ろがロースクール生で、みんな「Throw the money!」と叫んでましたが、誰も投げませんでした(笑)。 / Hidey ( 2003-06-09 22:11 )
チチローさん、ありがとうございます。Grill 23は二度ほどいったことがあるのですが、オーダーの失敗もありました。この日はおすすめのステーキを選んで正解。ミディアムレアだと日本の牛との差が出てしまうのでミディアムどまりにしておきましたが(笑)。 / Hidey ( 2003-06-09 22:06 )
akemiさん、ありがとうございます。僕も映画のワンシーンを内側から眺めて楽しんでいました。へえ、こんなことするんだ、みたいに。「痛み」については書くのも嫌だったし、ここで書いて心優しい方々に慰められるのもすごく嫌だったのです。優しい方々はもちろん素晴らしいのですが、そうされている自分を見るのがとても嫌。まあ、なんにしてもひとつ終わりました。またすぐに次が始まりますけどね。 / Hidey ( 2003-06-09 22:04 )
ご卒業おめでとうございます! きっとすごい達成感にひたっておられることだと思います。この日記がなくなるのは残念ですけれど、Hidey様の日本でのご活躍を応援しています。 / りり ( 2003-06-09 19:34 )
ご卒業おめでとうございます。とうとうやったね!I'm sooooo proud of you! 貴重な2年間だったね。本当に帰っちゃうと思うと何かちょっと寂しいけど、日本で会えるもんね。出会えてよかったよ。Best of luck! / love, rei ( 2003-06-09 10:36 )
ご卒業おめでとうございます。米国生活、どのような形でHideyさんがフィードバックするか楽しみです。 / 夢樂堂 ( 2003-06-09 09:33 )
心配なさってた天気はいかがでしたか? お気をつけて日本へお帰りください。帰る間際はすごく忙しいですよね!充実した日々を☆ / りぃな ( 2003-06-09 02:03 )
お疲れ様でした。とても変化したHidey、変わらないHidey、ともに楽しみにして日本で待っています。 / フィー子 ( 2003-06-08 15:26 )
ご卒業おめでとうございます。「痛み」というものは大切ですね。幸せのために。これからの人生の門出を祝して、東京から乾杯! / ガス欠コイン ( 2003-06-08 13:58 )
ご卒業おめでとうございます。その後の人生に大きな影響を与える2年間になるんでしょうね。 / たらママ ( 2003-06-08 11:43 )
ご卒業おめでとうございます。ゴールでもあり、帰国後のスタートにむけての助走でもあり・・・かな。乾杯! / 和代 ( 2003-06-08 07:27 )
本当に本当におめでとうございます。Hideyさんの日記にはいつも考えさせられたり励まされたりしてました。かけがえのない2年間でしたね。私もHideyさんみたいにがんばれたらいいな。 / やっちー ( 2003-06-08 04:55 )
おめでとうございます!!感動的ですね。 / ( 2003-06-08 00:41 )
ご卒業おめでとうございます。いろいろな思いを抱えての2年間だったのでしょうか。また新たにはじまる日々も素晴らしいものでありますように。。。 / Ecru ( 2003-06-07 19:55 )
ご卒業おめでとう、そして新たなるスタートに、心からのエールをお送りします。ずっと突っ込んでいなかった&自分の更新も止まったままだけど、ずっと読んでました。支えつづけてきたご家族と、時に訪れる例えようもないプレッシャーを乗り越えたHidey自身に敬意を表して、ご無事の帰国を待ってます。 / あやや ( 2003-06-07 13:52 )
ご卒業おめでとうございます!いろいろな思い出がつまった2年間、本当にお疲れ様でした。いつも思っていることなのですが、これ絶対今日のつっこみで書かせていただかなくては♪Hideyさんかっこいい!! / misato ( 2003-06-07 11:07 )
感動しました。ご卒業、おめでとうございます! / みほ ( 2003-06-07 06:19 )
おめでとうございます〜!本当にお疲れ様でした。それにしても、さすがMBA、1ドル札を振るところが素敵ですね〜(笑)♪♪ / rica ( 2003-06-07 03:06 )
お疲れ様でした。レストラン、予想が外れました。もっといいところに行かれたんですね(笑)。 / チチロー ( 2003-06-06 23:47 )
ご卒業おめでとうございます。 外国映画のワンシーンが浮かびます。「痛み」のことは、今までの日記では語られていなかったですね。それがHideyさんの「頑張り」だったのかな・・・。 / akemi ( 2003-06-06 22:34 )
温かい言葉をたくさんいただいておきながらつっこみ返しが遅くなって申し訳ありません。両親の世話をしつつ日記を認めるのが精一杯の状況になっています。本文中には書きませんでしたが、ひまじんの皆様方にも支えられてこの卒業がありました。この場をお借りして御礼を申し上げます。ありがとうございました。 / Hidey ( 2003-06-06 22:30 )

2003-06-06 卒業 1

痛みには慣れることができるといつも信じてきた。辛いことはじっと目を過ごしてやり過ごすことができると信じて二年間を過ごしてきた。だから気の遠くなるような苦しみも焦りも人に訴えたりそれについて愚痴ったりすることはしなかった。記録のため日記に記すことはあったが誰も頼りになどしたくなかった。格好つけるわけではなくそんなことは考えつきもしなかった。

ようやくその痛みから解放された。

早朝の曇り空の下に九百の晴れ晴れとした顔が揺れていた。慣れない装束を互いに直しあい、肩を組んでは写真を撮りあっていた。通いなれたキャンパスにセクションごとに集い、他学部生や四年生大学生たちと落ち合うために大学本部キャンパスへ向けて行進をはじめた。ボストンとケンブリッジを隔てるチャールズ・リバーに架かる美しい歩道橋を、不規則に這う蛇のように長く黒い列が渡った。川に沿って走るメモリアル・ドライブを警察の指示に従って横断した。堰き止められた自動車の列がクラクションを鳴らしつづけた。多分顰蹙を買っていただけだがそれすらもが祝福の合図のように聞こえた。

本部キャンパスには同じように様々な方角から少しずつ色の異なる列が集結していた。黒いガウンとキャップは共通だが学部によって違う色のフードを首から背中に掛けていた。ビジネススクールはさらに多岐に渡った。出身大学のスクールカラーを模した色のフードを渡されたのだが、外国人学生はその国の旗の色をあしらったフードを纏った。

一万人にも達するかと思われる学生たちが着席の順を待つために裏庭で足止めを食った。そんな時間さえ最後の語らいをする貴重な時間になった。口々におめでとうと互いの健闘を称えた。休みの間に一度も会うことのなかった連中と近況を確認しあった。まだ職探しの真っ最中という者も少なくなかった。

天高く聳える教会を正面に据えて学生たちが学部ごとに指定された席に腰を掛けた。国家や賛美歌、ラテン語によるスピーチ、学部を代表した学生によるスピーチが続いた。

いよいよ学位授与の認定式が始まった。各学部長が順番に現れ、学生たちに学位を授与する旨学長に対して承認を求めた。その学部の学生たちは立ち上がって奇声を上げ、それぞれの学部に縁のある品物を手に持って振ったり空中に放り投げたりした。医学部はSARS用のマスクを放り、神学部は黒いキャップの上に金色の天使の輪をくくりつけ、我々ビジネススクールの学生はポケットから一ドル札を取り出して振り回した。

(つづく)

つっこみ 先頭 表紙

2003-06-05 門出

親孝行になっているかどうかは分からないが、できるだけ両親にボストンの素晴らしさを味わわせてあげようとしている。

見事に晴れ上がった到着二日目は、先日僕もはじめて知ったばかりの美しいボストン郊外をドライブした。チャールズ・リバーの上流で車を停めて、鏡のようなその美しい流れを親子でしばらく眺めた。母がここ、あそこと欲するままに煉瓦造りの美しい家の写真を何枚か撮った。夜は生きたロブスターを買ってきて家で料理し、普段から少食の父は丸々一匹食べてしまい皆を驚かせた。

昨日は朝から僕の学校へ行き、レンタルしていた車椅子をはじめて使用した。車椅子を押すのはちょっと僕を複雑な気持ちにさせたが、父はまんざらでもないようで、美しいキャンパスを目で楽しんでいた。カフェで一休みしてコーヒーを飲んだが周りにも年老いた親を連れた多くの学生たちがいた。同じセクションの韓国人ヘイリーと会い、彼女に両親を紹介した。

午後4時からは同じセクションで懐かしの教室に集まる最後の機会を持った。ケリーがセクションを代表して二年間を振り返り、入学式以来学部長が常に強調していた「transformation(変化)」をテーマにしたスピーチをした。80人の素晴らしい仲間たちと競争するのではなく彼らから学ぶことを選んだことが、様々な形で彼女を変えたと。そして陸軍出身の彼女は、同じ陸軍から今年の9月にすれ違いでこの学校に入学するはずだった、イラク戦争でのヘリコプター墜落事故で命を落とした兵士の話を紹介し、我々が経験できて彼が知り得なかったこの素晴らしい学校での学びをいつまでも大切にしていこうと話した。

セクション委員長のデイビッドが最後に話をし、二年間セクションを束ねていくことを通じてリーダーシップの本質を学ぶ機会を得たことをセクション全員に感謝した。屈強な彼が何度か声を詰まらせ、それは聞くものを神妙にさせた。彼もまた、ここで学んだことを、学ぶ機会を得ていない外の世界の人々に向かって常に実践していこう、それを僕は生涯を通じて皆に問い質しつづけたいと話した。そこには嫌味な特権意識は微塵もなく、この素晴らしい環境に感謝し、なんらかの還元をしていきたいと謙虚に望む心だけがあった。

夜はセクションのディナーがあり、学生たちはそれぞれの両親を連れて集まった。これが僕の両親だと互いに紹介しあい、その度に足の悪い父が立ち上がってくれるのが申し訳なかった。今年のJapan Trekに参加してきたばかりのキラと20年以上前に日本を訪れたことのある彼女の両親とはことのほか話が弾んだ。また日系アメリカ人のアレクシスの流暢な日本語は僕の両親を驚かせた。

慌しくこの二日間を綴ってしまったが、それは今から卒業式の朝のセッションに参加するためだ。英語では卒業式をcommencementといい、それは始まりの式という意味合いを持つ。今日僕は新しい門出を迎える。その先に何が待ち受けているかはまだよく見えないけれど。

つっこみ 先頭 表紙

みほちゃん、この日ばかりは宇多田の旦那よりかっこよかったかもよ。でもあの帽子とガウン、黒いオバQみたいで僕はちょっと好きではないんだけど。 / Hidey ( 2003-06-09 22:02 )
りぃなさん、ありがとうございます。こちらでは蛍の光は流れないからね。みんな言うことだけど、学べる間が幸せだよ。環境に感謝してゆっくりじっくり学び尽くしてください。 / Hidey ( 2003-06-09 22:00 )
タズラさん、ありがとうございます。乾杯です。もともとは大学卒業者が自動的に教師として教え始めることから、教師としてのcommencementだったそうです。でもそれが転じて終わりが始まりという感覚にもなったのだと思います。ほんとに勝負はこれから…。 / Hidey ( 2003-06-09 21:59 )
やっちーさん、ありがとうございます。個人的には新しい出発という意味合いが本当に強い日になりました。あまり何かを達成したという気持ちはなく、すべてはこれから次第という意味で。子供ではないですが、イイ顔してたのかもしれませんね(笑)。 / Hidey ( 2003-06-09 21:57 )
チチローさん、ご質問にお答えする意味で上の写真をアップしました。ちょっと全体は見えませんけど。 / Hidey ( 2003-06-09 21:55 )
KATSUMIさん、ありがとうございます。まさか父が来てくれるとは思っていなかったので余計に嬉しいです。でもこちらの卒業式ではほぼ例外なく親は飛んでくるものなのです。僕の知る範囲では誰も来ていないという友人は一人もいませんでした。 / Hidey ( 2003-06-09 21:54 )
lamanchaさん、ありがとうございます。本当に終わってみるとあっという間でした。最後まで気は抜けませんでしたが。6月14日にボストンを発ち、7月1日には新しい部署で勤務しはじめます。もう出発まで5日になりました。目まぐるしい毎日です。 / Hidey ( 2003-06-09 21:52 )
ああ、あの帽子とガウン・・・・。超あこがれ・・・。おめでとうごz・・・言いかけてやめときました。次の機会に取っておきます。 / みほ ( 2003-06-06 17:48 )
卒業おめでとうございます♪蛍の光なんて、ばっちりそのままの歌じゃないですか♪しまった、先日、仰げば尊しとセットで歌っとけばよかったな。んー。2年間お疲れさまでした。Hideyさんの門出を心よりお祝いいたします! / りぃな@早く順番こないかな〜…(遠い目) ( 2003-06-06 14:07 )
なるほど〜。「commencement」は開始ですね。「卒」は終えること。同じ出来事でも文化が異なると正反対の捉え方をするんですね。Hideyさんの新しいスタートに、乾杯。 / タズラ ( 2003-06-06 08:35 )
この日がボストンでの集大成、そして2年間で素晴らしいものを習得されたHideyさんの新しい出発ですね!私は大好きなんです、卒業式の子どもの顔が。きっとHideyさんもイイ顔してることでしょう! / やっちー ( 2003-06-06 03:17 )
いよいよですね。どんなガウンを着られるんでしょうか。絵日記にアップして下さいな。 / チチロー ( 2003-06-06 01:57 )
卒業おめでとうございます! 自分の場所を両親に紹介できるのはお互いに嬉しいことですね。 / KATSUMI@適度に活動中 ( 2003-06-06 01:48 )
ご卒業おめでとうございます。あっというまの2年間でしたね。しばらくボストンでゆっくりするのですか? / lamancha ( 2003-06-06 01:34 )

2003-06-03 両親到着

先週はまるで梅雨かと思われるような天気が続いたが昨日の月曜日から気持ちのいい青空が広がっている。この天気を心待ちにしていたのには、今週屋外での卒業式がある以外にも理由があった。卒業式に列席するために昨日から一週間両親が滞在しているのである。

卒業式のために遠く離れた親が飛行機で飛んでくるということはアメリカでは当たり前のことなのだが、僕の場合はそう簡単なことではなかった。現在62歳の父は足を悪くしていて長距離を歩くことができず、日本でもほとんど家で過ごしている。卒業式の件も早くから話をしていたのだが、まあ難しいよと話していた。

この4月くらいに卒業式絡みのイベントに参加をする家族の人数を確定しなくてはならなくなり、だめもとで母に電話をしたところ、ほどなく「お父さん行くってよ」と折り返しの電話があった。父の決心には正直かなり驚いたとともに、ああよかったと思った。晴れの舞台を見てもらえることだけではなく、健康に関し弱気になっていた父には大きな自信にもなると思ったからだ。

まだ父が心を決める前から、早々に僕は卒業式の夜のレストランを4人分予約しておいた。卒業式のシーズンにはその手の予約で有名な店はいっぱいになるのではないかと危惧していたこともあったが、両親が来てくれたらいいなと願を掛ける意味もあった。それにその日は偶然父の63歳の誕生日でもあるのだ。これで正式に二つのお祝いを一緒にできることになった。

来てくれることになったのはよかったが現実的な準備も必要になった。シカゴの空港での乗り換えのために長距離移動しなくてはならないため航空会社に車椅子と乗り換えの手伝いを依頼し、ボストン内で動き回るための車椅子もレンタルした。

無事空港で彼らを迎え、少し遠回りをしてチャールズ・リバーとその向こうに聳えるボストンのビル群を見せてあげながら車で家に向かった。母は昨年の8月に来ているが、記録的な猛暑だったのでこの季節のボストンはとても気持ちがよいと喜んでいた。長旅でかなり疲れた様子だった父もようやくリラックスし始めて、商社に勤めていた頃のアメリカ出張の話などをしはじめた。チャールズ・リバーが久しぶりの陽の光に輝いていた。来るのが雨続きの先週でなくて本当によかった。

昨日は家でゆっくり過ごしたが今日はさっそくあと一時間もしたらボストン郊外にドライブをすることにしている。午後には僕の学校を案内してあげようか。夜は生のロブスターを買ってきて家で食べる予定にしている。

嬉しい話がもうひとつある。昨日の朝10時に学校のイントラネット上で最終学期の成績が発表になり、予想よりよい成績で僕の卒業が確定した。まあここまできて卒業ができないということは現実的にはほとんどありえないのだけど、やはり正式な決定にはほっとさせられるものだ。両親を呼んでおいて卒業できませんでしたではあまりにも洒落にならない。

イベント続きの先週に続いて今週も多忙になるが、それはとても嬉しい種類の多忙だ。二年間の学生生活にピリオドを打つための舞台が着々と整いつつある。

先頭 表紙

コインさん、ありがとうございます。あっという間に終わってしまいました。今は順々に家のものがなくなっていくので何か物寂しい感じです。もうベッドルームにはライトがないし。 / Hidey ( 2003-06-09 21:51 )
フィー子さん、いやあ、孝行息子では全然ないんだけど、ほんとにこれがいいきっかけになってもっと活動的になってもらえればと願っています。ドライブも楽しかったよ。母が少女に戻ったように嬉々としていろんな場所で写真を撮ってました。 / Hidey ( 2003-06-09 21:49 )
KNくん、ありがとう。今度は是非君が卒業のときどんな風に感じていたかなどゆっくり聞かせてもらいたいと思います。懐かしい連中を集めて是非会おう! / Hidey ( 2003-06-09 21:48 )
ちえちゃん、「よい成績」じゃないよ!「予想よりよい成績」だよ。ほんと、再会して一緒にワイン飲んだりわいわいやったりするのが楽しみです! / Hidey ( 2003-06-09 21:47 )
やっちーさん、ありがとうございます。卒業の日は残念ながら晴れ空にはなりませんでしたが、降る降ると言われていた雨がほとんど降らずに終わったのは僥倖でした。 / Hidey ( 2003-06-09 21:45 )
akemiさん、ありがとうございます。こんな親孝行の機会が与えられるとは思っていなかったのでほんとうによかった。と言いつつ今回は親孝行より僕が親にしてもらっていることの方が大きいのですが。 / Hidey ( 2003-06-09 21:44 )
ricaさん、昨日はMITでもあったみたいですね。妻がガウンを見てうちの学校のガウンよりもよっぽど高級だと嘆いていました。卒業式、両親にとってもよい思い出となりましたが、900人も学生がいるので最後は相当疲れてしまったようです。 / Hidey ( 2003-06-09 21:43 )
ぺんぺんさん、つっこみ返しが滞っているうちに卒業してしまいました。両親もすっかりボストンを楽しんでくれたようでよかったです。ありがとうございました。 / Hidey ( 2003-06-09 21:41 )
チチローさん、もう答えは上の日記で書いてしまいましたが、残念ながら不正解でした(笑)。Legal Sea Foodsは昨年母を連れて行っていたので。でも卒業式で隣に座っていた女の子は両親をLegalに連れて行くといっていました。東海岸一帯に支店があるようですね。 / Hidey ( 2003-06-09 21:37 )
パンドラさん、ありがとうございます。もう体調も大分よくなられたでしょうか?もうあっという間にあと5日になってしまいました。何をし残しているのかもよく分からないくらい慌しいです。でもただいるだけで楽しめるのがボストン。せいぜい5日間楽しみます。 / Hidey ( 2003-06-09 21:35 )
みほちゃん、古い話になってしまったけどありがとう! / Hidey ( 2003-06-09 21:33 )
お父さん、来られて本当に良かったですね。そして、改めておめでとうございます。いやあ、いよいよですね。 / ガス欠コイン ( 2003-06-05 16:59 )
お父さんの決心、感慨深いものがあります。親孝行息子できっと喜んでると思うよ。Hidey一家のボストンドライブを一人空想しています。 / フィー子 ( 2003-06-04 13:34 )
卒業確定、おめでとう。心からお祝い申し上げます。そして、2年間、本当にお疲れ様でした。 / KN ( 2003-06-04 10:13 )
ご両親が来てくれるなんて、嬉しいね。もう卒業かァ。。。それにしても、良い成績での卒業なんてさすがだわ〜!!帰国したら、また遊んでね♪ / Chie ( 2003-06-04 09:12 )
卒業の日を迎えられるんですね、本当におめでとうございます。御卒業の日は素晴らしい晴れ空になりますように、、、、、、 / やっちー ( 2003-06-04 04:58 )
ご卒業、おめでとうございます。親孝行もできてなによりですね。 / akemi ( 2003-06-04 01:56 )
周りでは本当、卒業式などに向けてぞくぞくと皆様のご両親が日本から到着されています〜。ご両親様はボストンを楽しまれ、Hideyさんの素晴らしい卒業の姿に感動されることでしょう!! / rica ( 2003-06-04 01:26 )
いよいよご卒業なのですね。ご両親とボストンを楽しんでくださいね。 / ぺんぺん ( 2003-06-03 23:33 )
何よりの親孝行になりますね。ご両親を連れて行かれるとなると、やはりLのつくシーフード店でしょうか。あさっての日記のネタバレ失礼(笑)。あまり知られていませんが、DCに支店があるんですよ。 / チチロー ( 2003-06-03 23:28 )
ご卒業確定おめでとうございます! ご両親もお見えになって、本当によかった。 二年間、全力投球してこられた清々しさが、こちらまで伝わってくるようです。 あと少しのボストン、いろいろな思い、存分に味わって下さいね。 / パンドラ ( 2003-06-03 22:28 )
おお!取り急ぎ卒業確定おめでとうございます! / みほ ( 2003-06-03 22:03 )

2003-06-02 最後のニューヨーク

僕の最も好きな日記のひとつが更新されず止まってしまっている。rei@NYCというニューヨークに住む女性の日記だ。古いライターさんならご存知の方が多いと思うがreiさんはニューヨークの大手広告代理店に務める20代半ばの女性だ。広告に従事していてしかもかつてボストンに住んでいたこともあるというから他人とは思えなかった。そして彼女の強く潔い生き方、人としての優しさが綴られた日記はすぐに僕を虜にした。そんな人が日記をつけるようなサイトでなら僕も日記を書いてみようかなとこの日記をはじめた次第だ。彼女とはすぐにメールを交換し、お友達を訪ねてボストンに来られるというのでそこで初めて会うことになった。以来reiさんとは三回会っている。

帰国する前にはもう一度だけ会っておきたいと思っていた矢先にreiさんからも最後に一度飲みたいなとメールをもらった。せっかくなので、reiさんを心から尊敬していて昨年ニューヨークで会い損なっていたりぃなさんも誘うことにした。そしてreiさんと会うときはほとんどいつも一緒にだった彼女のボストンの旧友さやこさんも。そうしてこの土曜日、僕は2年間の滞在中八回目のニューヨークへ雨を冒して車を走らせた。

事故渋滞などもあって待ち合わせのスペイン料理屋にすっかり遅れてしまい、「おそーい」とreiさんに怒られてしまった。りぃなさんもさやこさんも前日からニューヨークに入っていて、この日は既に三人で半日をともに過ごしていた。一年ぶりというのが信じられないくらいすぐにいつものペースで話をはじめた。reiさんは豪快な下町っ子という感じで、身を刻むように自分をネタにして思い切り人を笑わせる。そんな彼女を隅から隅まで熟知しているさやこさんは、的確なつっこみを弾丸のように打ち込みつづける。漫才みたいで笑える。それもかなり激しい漫才なので本場関西出身のりぃなさんもちょっと圧倒されるほどだ。

魅力的なreiさんは行くところ行くところで男性に声を掛けられる。前回会ったときもそうだったし、この日も僕と落ち合う前に女性三人でチャイナタウンを歩いていたらやはり黒人男性からちょっかいを出されて豪快に撃退したらしい。「俺が白人だったらついてくんだろ!?」と言われてそんな偏見は微塵もない彼女はむかっときたそうだ。reiさんらしい話だ。

りぃなさんとは昨年の12月にボストンで会っている。髪形も変わって服装も手伝い、より大人っぽくなっていた。いつも人の気持ちをよく考えて話をする人だ。彼女と一緒にボストンを訪れていた連れの方と二人で素敵な卒業祝いまでいただいてしまった。厳密には今日発表の成績が出るまでは卒業が確定しないのだけど。

reiさんが予約をしていたクイーンズボロ・ブリッジの袂の新しくて綺麗なクラブへ行った。同じような調子で話をしていたら、魅力的な女性三人にしか目が行かなかったのか、アメリカ人の男性が彼女たちに話し掛けてきた。ようやく男つきということが分かっても彼はひるまず僕にも陽気に挨拶をし話を続けた。なかなかいい奴だったので結局彼にもお酒を奢ったりしてそのままずっと五人で楽しく過ごした。

今度彼女たちと会うときは日本ということになるだろうか。特にreiさんは昨年ハーレムのジャズクラブで引き合わせたこれまた豪傑の僕の伯母を慕ってくれているのでまた一緒に飲もうねと約束した。reiさんの場合あまりにもニューヨークが似合いすぎて、東京の街を闊歩する彼女はあまり想像できないけれど。

先頭 表紙

チチローさん、水村美苗はまだ読んだことがありません。面白いようでしたら是非読んでみましょう。プロヴィデンスは先日ニューポートへ行くときに道を間違えて図らずも目にすることになりました。遠めにも美しい街でした。Ivy League、僕はボストン周りとColumbiaしか行ったことがないです。 / Hidey ( 2003-06-09 21:33 )
さやこさん、激しさとしとやかさを併せ持っているのが本当に魅力的な女性なのです。心配ない、心配ない。いろいろ暴露される前に寝ちゃって正解でした。逃げ足は速いからね。たしかにこの一週間はとても密度の濃い一週間でした。けっこう疲れたし(笑)。でもこれからは引越し作業。気を抜けません。ぜひまた再会しましょう! / Hidey ( 2003-06-09 21:27 )
北からだと、最後はCTですね。最近はまっている水村美苗がYale出身なので、ちょっと神経が向いているエリアです。I-95といえば、「メリーに首ったけ」という爆笑コメディに、確かプロヴィデンスが出てきて懐かしかったです。いつか、「Ivy Leagueを巡る旅」をやるのが課題の1つです。両端と貴校は押さえているんですが、真中がおろそか。Cornell以外は、何度も脇を通ったりしてるんですが。 / チチロー ( 2003-06-03 23:45 )
えーおねえさんたちって私も含まれてるんですかー??こんなに大和なでしこなのにー。。しょぼーん。それにても本当に眠らないんですね。私起きたの11時過ぎでした。本当にりいなちゃん含めてお会いできて良かったです。とても楽しかったです。もうちょっと酔わせて更なる暴露を計画していたのに。。してやられました。ご卒業おめでとうございます。この一週間はHeidyさんのみならず、ご両親にも思い出深い素的な時になるでしょうね。最後の数日を堪能して下さい。 / さやこ ( 2003-06-03 22:41 )
りぃなさん、本当にお疲れさま。あの激しいおねえさんたちと一日一緒にいるのは疲れたでしょう(笑)。翌朝はばっちり7時前に目覚ましもなしに起きて、8時半には車に乗ってボストンへ向かったので12時前には家に着きました。次にりぃなさんと会うのは関西かな? / Hidey ( 2003-06-03 21:49 )
一家に一台あったら大変なことになりそうなreiちゃん、こんなもんでよかったかな?復活バトルは実のところちょっと期待したかったけどね。友情は失いたくないから(笑)。またまたreiちゃんの魅力に悩殺された半日でした。短い時間にもたくさんいい思い出をつくってくれてありがとう。次は東京で。 / Hidey ( 2003-06-03 21:47 )
プルーさん、今回はお会いできずすみませんでした。もう少し時間があれば別途プルーさん御用達のお店でデートでもさせていただきたかったのですが、両親を迎え入れる準備のために早々にボストンに飛んで帰ってしまいました。僕こそアメリカで「本物の」生活をされているプルーさんはいつまでも目標です。僕の場合はモラトリアムの二年間でしたから。東京に戻ってからは残念ながら日記を書くことはしないつもりでいます。メールで近況を交換させていただければ幸いです。 / Hidey@たまにはクラブも行きますよ ( 2003-06-03 21:45 )
チチローさん、僕もまたタイトルに「最後の」がついちゃったけどまあ仕方ないやと思っていたところでした。昨日卒業式のために両親が日本から来てくれて、美しい思い出がどんどんかたちになりつつあります。ボストンからNYに入るには、ハートフォード、ニューヘイヴンと抜けて95号で南西へと下ります。ボストンで八回行ったNYはすべて9.11のあとだったので、WTCの記憶ははるか彼方です。 / Hidey ( 2003-06-03 21:40 )
お疲れさまでした!場所はどこでもいいので、またこのメンバーで集まりたいなー!復活バトル、ちょっと楽しみにしてたのに、ちょっと残念(笑)翌朝、ちゃんと起きられましたか? 私はちょっとだけ辛かったです(苦笑) / りぃな@彼女達の計画は成功、なんかしら。 ( 2003-06-03 13:47 )
ずいぶんお手柔らかに書いてくれたので、復活バトルはしなくていいみたい。(笑)睡眠リベンジもされたし、一緒にふざけて踊れたし、Mr.PCの「真実の姿」もちょっと暴いたし(笑)、私としてはとっても満足だったよん。今度は本当、日本で飲もうね。橋の下の屋台でカップ酒ひっかける、なんてのはどう?それなら似合うかな?(笑)Again, thanks for everything, and I sincerely wish you the best of luck. I'll miss you and keep in touch! / 一家に一台 ( 2003-06-03 13:32 )
いよいよ東海岸の旅行も最後でしょうか。お会い出来なくて残念でした。Hideyさんの学業に対する姿勢はもちろん、アメリカ生活を100%エンジョイする姿勢とその行動力には羨ましい限りです。刹那的な快楽ばかりを享受してる私にはとても刺激になります。東京へもどられてからもひまじんの日記楽しみにしてますね。 / Hideyさんがクラブ?は驚き@プルー ( 2003-06-03 10:32 )
この時期は、何をやっても最後の○○になりますね。一瞬、一瞬を慈しむようにして、美しい思い出を重ねて下さい。会いたい人に会えて何よりでした。北から入るNYは、どういう風に見えるんでしょうか。いつもいつも南からだったので、今度そのルートでNY入りしても、最初に見えるべきWTCがないなんて、現実のこととは思えません。 / チチロー ( 2003-06-02 23:04 )

2003-05-31 二日連続日本食パーティー

昨日と一昨日の二日間にわたり、うちに大勢の友人を招いて日本食パーティーを開いた。本当は一日で終わらそうと思っていたのだけど、もしあまりに大人数になったら大変と、まずセクションの連中にだけ声をかけてみたところ、やはりかなりの人数になってしまいそうだったので二日間に分けることにしたのだ。ということで一日目にはセクションメイト、二日目にはサマースクール以来の友人やスタディグループ、日本人学生を招いた。

ご存知のとおり海外では日本料理は大変な人気で、このボストンにも多くの自称日本料理屋が乱立する。しかしほとんどは韓国人が韓国料理とセットでいい加減な日本料理を出すような店で、それで満足している友人たちが気の毒だった。さすがに伝統的な純和食は手が込んで出せないけれど、日本人が家庭で食べる典型的な料理だったら用意できる。それも経験上彼らが好きそうな味と考えた結果、しゃぶしゃぶ、ちらし寿司、和風カレー、和風餃子、そしてイタリアンのレシピだが生のマグロを使うということで、アボカドとマグロをバルサミコやワインビネガーで和えたアンティパストをつくることにした。飲み物はこちらで入手できるサッポロとアサヒのビール、ワイン赤白、日本酒、梅酒。そしてどこの国の連中も大好きなポッキーやブルボン・ルマンド、たけのこの里、ポテトチップス・コンソメ味などを用意した。それから小豆と抹茶アイスも。

一日目のセクションパーティーはとにかく忙しかった。18人のセクションメイトやその奥さんなどが来てくれて、部屋からあふれた連中がキッチンや玄関のあたりでもたむろするほどの賑わい。うち11人がアメリカ人だったこともあって放っておいてもすぐにワイワイガヤガヤと盛り上がる。僕と妻は彼らの間を縫うようにして食事を足したり皿を片付けてまわったりした。それでも久しぶりのセクションの連中と、イタ飯談義をしたり二年間の思い出を振り返ったり楽しく過ごせた。特にイスラエル出身のイタマールとは「実は前からずっとイスラエルに行きたいと思っていたんだ」という話で盛り上がり、いつか必ず訪問する約束をした。今だって誇張して報道されているだけで本当は安全なんだと彼は言っていたがどうなんだろうか。

二日目はもっと人が来ることを予想していたのだが、僕も誘っていたある中国人が同じ日に誕生会を催すことが発覚したり、日本人はほとんどがまだボストンに戻っていなかったりで、合計11人の来客にとどまった。そんなこともあって僕も妻もわりと腰を落ち着けて彼らと話をすることができた。ブラジル人のカルロスにようやく僕のボサノバコレクションを見せてあげることができた。一度我々夫婦を家に呼んでくれたメキシコ人のロドリゴは臨月のマルセラを伴って来てくれた。芸術を愛する台湾のアイリーンには、以前僕がキャンパスで日記用に写真を撮っているときにたまたま会って以来、定期的に新しい写真を送ってあげる約束になっている。そのアイリーンに「絵日記」の画面を見せてあげたりもした。

日本食は大好評。特にちらしとカレーが受けたようだ。合計40人分の買い物と料理、準備と後片づけは気が遠くなるほど大変だったが、英会話などもあってとても忙しい妻がずいぶん助けてくれた。こちらにきた当初は英会話もままならなかった彼女だが、今ではパーティーで誰かが彼女をつかまえて話し込んでも立派に対応している。

卒業と帰国を前にぎりぎりのタイミングで開催することができた日本食パーティー。これからずっと先まで続いていくだろう友人たちとのつきあいにおいても、ともにたやすく訪ねることのできる思い出ができた。

先頭 表紙

やっちーさん、ほんとに妻に助けられました。僕がつくったのはカレーとマグロ・アボカドの前菜だけ。そうですよねー。調味料って貴重なんですよね。ボストンには歩いて5分のところに何でも揃っているので、かつてパキスタン生活を経験した僕はあまりの便利さに卒倒しそうでした。醤油なんかはアメリカの工場で作っているのでとても安いし。 / Hidey ( 2003-06-02 22:27 )
コインさん、おかげさまで皆もとてもリラックスしていいパーティーになりました。僕と妻の馴れ初めビデオ(結婚式のときつくったもの)も見せてあげたりして。もう帰国まで10日ほどになりました。毎日やり残しのないように精力的に動いていて大変です。日本に帰ったら少しはゆっくりできるかな。 / Hidey ( 2003-06-02 22:25 )
チチローさん、外国人にお好み焼きは受けるでしょうね!うちはホストの僕があいにくお好み焼きは好物ではないので(笑)。でも関西のお好み焼きならけっこう好きです。最後にいい思い出ができて本当によかったです。 / Hidey ( 2003-06-02 22:23 )
ricaさんの接客上手はもう容易に想像できます。パーティーには必ず一人ricaさんがほしいくらいですね。僕も本当は5〜6人の小パーティーが大好きなのです。日本でもこちらでもよくやりました。ひとつ覚えのイタリアンをサーブして。 / Hidey ( 2003-06-02 22:22 )
東京生活さん(もうgingerさんじゃないのね?)、全然意外じゃないよ。前からパーティーホスト上手なイメージがちゃんとありました。日舞もやってらっしゃるってかかれてたし、こういう会にはぜひいらしていただきたかった。正式な帰国は14日発、15日着です。 / Hidey ( 2003-06-02 22:20 )
akemiさん、ある意味毎日がおもてなしをされてらっしゃるので心から尊敬します。無条件に。ところでメアド、変わってたかな?そんなに前でしたっけ、連絡とったの。今かなり立てこんでますが必ず時間を見つけてこちらからメールしますので少々お待ちを。 / Hidey ( 2003-06-02 22:18 )
みほちゃん、まだダイエットやってるの?どうせ続かないんだから無駄な抵抗はやめなよ。日本のカレーはエスビー・ディナーカレーに限ります! / Hidey ( 2003-06-02 22:16 )
PAOさん、妻が「じゃあ二日連続にしたら」と果敢にも言ってくれたので助かりました。しかしこの週は旅行、プチオフ、ホストペアレンツ訪問、そして今日更新のNY訪問など毎日がイベントでさすがに疲れました。 / Hidey ( 2003-06-02 22:14 )
2日間連続ですか!!!そしてすごい数、2日目は11人にとどまったって、11人も、、、私が奥さんだったらそんなにつくれませんよ!!和食器も、5人分しか持ってきてないし(笑)。献立のメニュー、ぜひこちらでも参考にさせてください!ちらしとカレーですか、ふむふむ。日本の調味料はこちらでは貴重なので、残念ながらなかなか醤油を使った料理とか大人数の時は出せないんですよね。クラスのパーティーでは、チャーハンとお好み焼きを作っていきました。カゴメソースはあったので(笑)どっちも好評でしたよ!! / やっちー ( 2003-06-02 19:40 )
楽しそうですね。一生のつきあいになるであろう人達の笑顔が浮かんでくるようです。そして、いよいよカウントダウンですね。 / ガス欠コイン ( 2003-06-02 12:58 )
もう少し少人数の集まりでしたが、お客さんの前でお好み焼きを焼いて好評を得たことがあります。正確に言うと、そばをのせる「モダン焼き」ですが。関西系なので。 / チチロー ( 2003-06-01 23:00 )
楽しそうですね!それにしてもご自宅でパーティーを開けるのは偉い!と思います。私は接客は大好きなのだけれど準備などが大嫌いなので(笑)、うちでの開催は5〜6名の内輪どまりです・・・・。 / rica ( 2003-06-01 12:18 )
そんな楽しそうなパーティーなら、私も参加したいです!意外に思われるかもしれないけど、パーティーホストは上手なのよ?なんて。6月5日までもうちょっとですね。日本にはいつ頃お戻りに? / 東京生活 ( 2003-06-01 01:20 )
大好評でなによりでしたね^^ あたしは・・・仕事以外では「おもてなし」ってしたことないかも。もっぱらお呼ばれする側です。 業務連絡・・・メアド変わっちゃいましたか?ちょっとお知らせがあって以前のメアドにメールしたら戻ってきちゃいました。 / akemi ( 2003-06-01 00:33 )
ダイエット中の私の元に親から余計なお世話のブラックチョコが届き、ソレが大好きなホストマザーにムリヤリ進呈いたしました。しかし日本のカレーて本当に日本にしかないのだなぁ(今更気づく) / みほ ( 2003-05-31 22:15 )
どこの国の料理もやっぱり家庭の味は旨いですねえ。出も2日間にわたってのパーティーを開こうというパワーに脱帽。 / 走る酔人(PAO) ( 2003-05-31 22:03 )

2003-05-30 Capstone Class 3

ケースは「金が舞い降りた学年」とフォーチュン誌が呼んだ1949年度卒業生たちのプロフィールと時代背景について書いていた。戦後の経済復興、ベビーブームなどにのってビッグ・ビジネスの台頭とともに育っていった彼らは、1994年の調査によるとその45%がCEOなどの要職に就いていた。その中にはゼロックス、ABC、ジョンソン&ジョンソン、ブルーミングデールなどのCEOもいた。多くの者は大変裕福な家庭の出身で、父親がエンパイヤ・ステート・ビルを所有している者や何人もの召使を連れてきたインドの王子も含まれていた。そんな652人の学生たちの中には女性と黒人は一人もいなかった。一言で言えば特権的でコンサーバティブで上昇志向の大変強い学生たちだったのだ。

卒業当時の彼らの成功の定義と1994年現在のそれとの比較が発言集になっていた。ある者は卒業当時「成功とは金を稼ぐことだ。そして金を稼いだことによって仲間から尊敬の眼差しで見られることだ」と言っていたが45年後には「成功とは頼られること、信頼されることだ。もう私は金のために働くことはしない」と態度を翻していた。ある者は「素早く出世すること、それによって肩書き、特権、報酬を得ること」という定義を「自己実現を果たすこと。それもあらゆる活動において。自分が何者かを知ること」と変えていた。年老いて人生の真の意味を悟ったのかもしれないし、得るべきものを得てしまって欲得が減じたのかもしれない。多分両方だろう。いずれにせよ僕の賢い同級生たちは先回りしてそんな「模範解答」をそのまま口にしていた。

ケースはその後半で「金が舞い降りた学年」の比較対象である我々2003年度卒業生を取り巻く環境について言及していた。冷戦構造に変わる、アフガニスタン、イラク、北朝鮮などの新しい外交的脅威。ITバブルの崩壊による経済停滞。取り沙汰される企業倫理。発達しすぎた資本主義による貧富の差の拡大。家庭環境の悪化。そんな中で船出をする我々には1949年度卒業生とはどんな風に違った将来が待ち受けているのか。少なくとも就職戦線は大変厳しく、未だに20%近くの学生がひとつも内定を得ていないという状況を我々は既に認識している。

日本でもそうだがバブル入社組の僕の世代よりも最近の新入社員たちの方が余程しっかりと将来について考えているし、早く手に職をつけたいと努力しているように見える。考え方が大人だし総じて優秀だ。同じことがアメリカでも言えるのではないかと思うし、加えて言えばアメリカ人は殊に変化や混沌とした価値観を梃子にして何かを生み出すことが得意だ。新卒時の就職活動が最重要視される日本の企業社会と、能力さえあればいくらでも中途採用の機会があるこちらのビジネスという違いもある。今はそこそこの企業に就職しておいて、景気上昇などの機会を見てステップアップすることはいくらでもできるのだ。その意味では今苦労することでより切実に能力に磨きをかけることは彼らの将来をむしろ明るくするかもしれない。

それに比べて僕自身はどうなのだろうと考えた。もちろん自分自身の能力の有無にもよるが、相変わらずの年功序列、経験主義に代表される日本企業は僕をどのように扱うだろうか。出世などしなくてもよいが僕が僕の学んだことを実践する機会は本当に得られるのだろうか。企業派遣という身で少なくとも直近の未来は保証されている僕は、そのような拠り所のないこちらの学生を時に羨ましく思ったりもする。しかし泣き言を言っても始まらない。そんな環境的な部分まで含めて我々の世代が少しでも変化を生んでいかなければならないし、そのためにも今僕はここにいるのだ。

先頭 表紙

2003-05-30 Capstone Class 2

僕も手を挙げて発言した。「実は僕はこの学校での出来事を日記に書いており、印象に残った授業についてはそのダイジェストも記録しているのですが、その最初の授業があなたのベニハナの授業でした。別にお世辞を言おうとしているのではありません(と言うとなぜか教室中が爆笑した)。はじめはただのシンプルな読み物だと思っていたのに、あなたの指揮で教室中がオーケストレートされて、共同でそこに隠された一つひとつの問題を説き明かしていきました。そして一番最後にあなたの芸術的なまでの種明かしで一気にケースの中核に触れて鳥肌が立ったことを覚えています。これがこの学校を有名にしているケーススタディなんだ、と実感しました」

その後も懐かしい出来事を振り返る発言が続いた。ロシア出身のAlexは「前の年のセクションE(E組ということ)の連中が我々にセクションEの伝統を伝えるために授業のあとに乱入してきたことがあったけど、そのとき一番印象に残ったのは全員を起立させて何年何月以前に生まれたものは着席しなさいとか言って、どんどん若い学生を残していって最後にKristinaが最年少だと探り当てるようなゲームだった。その後Kristinaは散々からかわれたんだけど、次に最年長が誰かを探すゲームに移ったときは『Oh, my God!』と思った。だって僕は34歳だったから。だんだん立っている連中が年寄りばかりになってきて『あーあ』と思っていたら最後に残ったのはHideyだった。ほんとに助かった」と僕にとっては忌まわしい逸話を披露した(2001年9月30日の日記参照)。

そんな風に旧友たちの発言が続いたが一人懐かしい顔が見えなかった。ある中国人の男子学生は既にこの学校に籍を置いていなかったのだ。放校処分だった。二年生の後期の半分までは出ていたので、急に彼が授業に出てこなくなったことを知ったまわりの連中は、このタイミングだと成績不十分ということではないし、何があったのかなと訝っていた。噂の域を越えないがどうやら学歴査証があったということらしい。中国人学生に関しては過去にも似たような例があったらしく、慣習的または組織的にそのような行為をすることがままあるらしい。ちょっとお間抜けで純粋で愛すべきその学生は、実際には悪気はなかったのかもしれない。しかし倫理問題にはどこよりも厳しいうちの学校は厳しい判断を下したのだ。できすぎたくらいの「常識人」の集まるこの学校では、陰でこそこそ噂する以外にはそのような事件には触れないのが普通なのだが、愛すべき彼のキャラクターによって何人かがジョークまじりに彼を回顧するような発言をした。無人の彼の席には誰かが手書きした彼のネームカードが立っていた。

将来どのような成功を求めるかという教授の質問に何人もの学生が「金銭的な成功がすべてではない。仕事と家庭のバランスをとった上で人間として何が本当に幸せなのかを忘れずにいたい」という優等生的な発言を繰り返した。そう言いながらちゃんと彼らの多くはいずれ出世と金銭的報酬のために働き家庭を犠牲にするのだと思う。よくも悪くもこの学校は100年近くそうあり続けてきたのだ。それにも関わらず彼らがそれなりに真剣な表情でそのような発言をした背景には先述のナンシー・ケーンの書いたケースがあったものと思われる。

(つづく)

先頭 表紙

ウェリントンで最年長のオバサンには言われなくない。 / Hidey ( 2003-06-02 22:12 )
最年長・・・本当にオジサンだったのですね(微笑) / みほ ( 2003-06-01 08:37 )

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