買い物帰りにみた夜桜がとても綺麗だった。
このところ、数年前に亡くなった叔父の夢を何度も見る。
子供の頃、うちに来るたびに、飲みすぎて酔っぱらっては絡んでくるその叔父が好きではなかった。
叔父はエリートだった。いわゆる猛烈サラリーマンで、会社に人生の全てを捧げていたといっても過言ではない。ゴルフも麻雀も囲碁もカラオケも接待のため。趣味は仕事。
その人生の全てあった会社を退職して、第二の職場に行って以来、叔母とも不仲になり、お酒だけが叔父のよりどころとなった。
小雨の降る暖かい日。
酒屋を何軒もはしごして、最後に酔っ払った叔父は路地で大の字になって眠ってしまった。
運悪く、そこを抜け道にしていた空のタクシーが通ってしまった。
その話を聞いたとき、悲しむより先に憤りを覚えた。
「なんて酷いこと。」と。
叔父に死ぬ気はなかったと思う。
けれど、「生きる」ということに対する執着もなかった。
無責任すぎる。家族に対して。
それから轢いてしまった人に対して。
その人はこの先ずっと罪の意識を背負っていかなければいけないのだ。
もう仕事を続けられないかもしれない。
叔母には一生遊んで暮らせる位の保険金と見舞金が入ってきた。
でも、私ならたとえ喧嘩相手でもよい。生きていて欲しい。そう思ったと思う。
そんな叔父だから何故今頃夢にでてくるのか不思議でならない。
夢の中の叔父はまだ三十代でとても穏やかな顔をしている。
いったい何を私に伝えたいのだろう。
今、カレンダーを見て気がついたのだけど、ちょうどお彼岸だった。
※お節句に京都から送ってきたお菓子。 |