読者Cさんからの情報で、英語の詩が新約聖書のコリント前書の13章である事が分かりました。読者Cさん、有難う御座いました。結局、この詩も原文(ヘブライ語ですよね)の英訳であり、調べると色々な、訳のバージョンがある事を知りました。前回載せた英訳は、数あるバージョンの中でも詩的な翻訳になっていると言う事の様ね。
さて、「愛なんて口にした瞬間消えてしまう氷のカケラ」と辻が言えば、パウロは「Love never fails. (愛は、朽ちない)」と言い、辻が、「どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない 」と言えば、パウロは「If I give all I possess to the poor and surrender my body to the flames, but have not love, I gain nothing.(貧しき者に、全てを与え、炎に身を投じても、愛が無ければ、何も得ない)」と言う。この差は、愛に対する価値観が違うのではなく、そもそも愛の意味が違うように思えるの。辻の詩では、愛は出会いと別れの中にあって、パウロのloveは、人の内面の客観的なあり方を語っている様。辻の愛は、「惚れる」に近く、パウロのそれは、「慈悲」に近い。面白い事に、英訳の中には、「love」の部分を「charity」と訳しているものもあったの。「love」は季節どころか、あらゆる試練に対しても不変であると、この英語の詩は物語っているのね。
「I love you」には相当の覚悟がいるのよ。切っても切れない、肉親関係ならまだしも、まだ知り合って間も無い相手に、そうやすやすと言える言葉ではないようね。おネエの友達に、ニュージャージー出身の敬虔なバプチストの女の子が居たけど、恋に落ちると、「I'm in lust(欲情中)」と良く言ってたわ。恋愛中の独特の高揚感をそう呼んで、「love」ではないことを自戒していたわね。
もし、辻のような愛だったら、後先考えずに、一瞬の真実を信じて、「愛してる」と気持ちのままに、言う事が出来る。でも、パウロが語るようなloveは重い決断を伴う。結婚式でコリント前書13章が良く引用されるらしいけど、それはそう言った意味合いからなのね。
日本人の女の子がキリスト教文化圏の男の人に、「I love you」を早く言い過ぎて、上手く行っていた関係をギクシャクさせた例をいくつか知っている。知り合って3日で、この先一生変わらない決意を表明されたら、相手も驚くわよね。負担に思うと思うわ。ブリジットみたいに最初からそう言う文化の中で育っても、同じようなドジをしそうになるのね。そういうわけで、あのシーンはとても印象に残ったわ。 |